レジスタンスの遼とシン
現 の 人
(うつつのひと)
#4
THE REAL



 IPPOから送られて来るハンターの目的は常にふたつある。ひとつはレジスタンスの情報を収集すること、そしてもうひとつはシン・モウリを探すことだった。
 遼の店であるタイガー・バーには、飲食店と言う以外の別の顔がある。道の途中、当麻と別れた遼とシンは、市街の下水道の一部からタイガー・バーの地下へと通じる、極秘ルートを辿って店へと戻って来た。まだ午後二時頃だった。別のシン02にカウンターを頼んで、店はいつも通りに営業されている筈だった。その様子が密かに地下室にも伝わって来ていた。
 そこへ着くなり荒い息を整えもせず、遼は機敏な動作で伝達作業を開始する。この惑星の全ての仲間達に『時』を知らせることが、まず先導者としての最初の仕事だった。機械類のスイッチを入れると、予め設定してある、傍受され難い周波数にダイヤルを合わせ、決められた暗号を幾度か発信した。
 RBT 6531 G 0100 0021 A PIF …
 意味としては「明後日の正午に決行するのでIPPOの前に集合」と言ったものだ。
「…心配だよ」
 その一通りの作業を終えた遼に、シンは漸く整った息を殺すようにして、極小さな声でそう言った。隠された地下室では常にそのように、外へ響き出す音を極力押さえなければならなかった。
「何だ、随分弱気なんだな?」
 返された遼の声も幽かなものではあったが、シンとは違って、それは何処か明るいトーンを含んでいる。
「だって。計画通り上手く行くかどうか、僕には保障できないから」
 シンは案じていた。自分が持ち込んだ情報によって、レジスタンス組織の全てが動き出す現状。と言うのは、襲撃に最適と思われるタイミングは今この時、この時でなければならない理由は、むしろシンの側にあったからだ。
『セイジと言うロボットが現れた時には』
 それはもしかしたら、自分の都合に合わさせているだけで、自警団の仲間達には利益にならない情報だったかも知れない。万一結果が失敗に終われば、反逆罪に問われる彼等にお詫びのしようもないと、シンは今になって怖じ気付く気持を覚える。
 けれど、
「大丈夫だ」
 遼はやはり、発せられる声色の通りに明るく、落ち着いた笑顔で返していた。
「シンがここに現れたのは、俺達には願ってもない幸運だったんだ。もしシンの情報が得られなくても、俺達はいずれ行動を起こさなきゃならなかった。情報があるかないか、どっちに可能性があるかは比べるまでもない。これで失敗しても、誰もシンのせいだなんて思わないさ」
 遼の言わんとしていることは、地下活動に於いて最も価値のあるものは、何より正確な情報であるとの意味だった。一般市民の立場ではIPPOの内部、その奥深くまでは立ち入ることができない。それをある程度知っていたシンに会えたことは、組織に有益でない筈もなかった。例えシン本人が大した情報と思えなくても、だ。
「ありがとう…」
 なので、自分を慰めてくれたと感じて返すシンには、
「シンの為だけじゃない。俺達には俺達の目的がある、この衛星全体の問題だ。自分の土地は自分で守るのが筋だろ?」
 遼は敢えてそう言った。
 偶然双方の目指すものが、同じ星の同じ場所に集約されていただけだ。互いが協力し合うことで、双方が目的を達成できると予測が立ったからだ。どちらが得をすると言うものでもない。ただどちらも上手く行くことを願うだけだ。そんなことを遼は力強く語っていた。
 遼の意志はいつの時も強く硬い。そして彼の目は常に、当たり前に正しく在るべき未来へ向けられている。このタイガー・バーに住み込むようになってから、シンは彼の行動を常に身近に見て来たけれど、自然に彼を慕う者が周囲に集まり、彼の頼み事を快く聞き入れ、誰もが自然に彼の意向を損なわずに動く、そんな様子を知れば知る程、彼の持つ人徳に感心するばかりだった。
 遼は必ず何かを成し遂げるだろう。だからこそ彼に期待し、信用し、この星の未来を託してくれる仲間が居る。それがどんなに困難な事態で、彼の肩に重く伸し掛かるものであったとしても、彼がいつも皆に配慮してくれるように、誰もが彼を助けようとする筈だった。
 潔く言い訳もせずに、計画の為の準備を日々重ねて来た遼を、誰もが信頼して、遼もまた仲間達を信じているから、今は失敗を恐れずに笑えるのかも知れない。
「うん。君達の望み通り、IPPOに致命的な打撃を与えられるといいな」
 シンも漸く笑顔を作ることができた。
「崩壊するか、元の健康な組織に戻るか、ふたつにひとつだ」
 遼はあくまで悲観的な言葉は使わなかった。
 そう、何よりまず気持の問題なのかも知れない。と遼の自信に満ちた態度を見て、シンも改めて見習うように考える。
『遼がこの異常な惑星の、本来の平和を取り戻そうと動くように、僕も大切な過去を取り戻しに行く』
 まずは己の明確な目的を。
『嘗て僕の命を救ってくれた征士を、今度は僕が助けなければ』
 そして己の理由と意志を。
『命を懸けても僕は君を助ける』

「おまえは何処のロボットだ?」
 そんな質問から始まった彼等の出会い。店の裏口から侵入したらしき、妙に草臥れた様子のシンを見て、自警団の面々はそれぞれ自分の目を疑った。何故ならそのロボットは、食料棚に置かれていたパンをかじっていたからだ。最新のシン03型でさえ、食物はおろか水さえ口にできない筈。否それ以前に、人の家に勝手に入るロボットが存在するとは。
 その頃はまだ、町にハンターらしき者は現れていなかった。IPPOから逃げ出したシン・モウリを探すハンターは、無論この逃亡劇の後に現れる存在だった。なので「普通の市民らしからぬ者」に対する見方は、固定されたイメージがまるでなかった。
 より最新型の泥棒稼業のロボットなのか、侵入させて故意に驚かす行為をさせているのか、後者の場合はスパイか何かだろうか?。
 と、疑われれるのは仕方ないとシンも感じていた。何しろこの惑星には、自分と同じ姿をしたロボットがうじゃうじゃ歩いている。一時的に隠れるには都合が良かったが、しかしロボットの振りをして、その中に紛れて暮らすにも限界があった。ロボットに扮している限り食事も排泄もできない。更にそれより問題なのは、心音が変化し汗をかいてしまうことだった。
 何処かで匿ってもらえなければ、このままではいずれ見付けられてしまうだろう。偶然開いていたドアから、食べ物を拝借しに入っただけの状況だったが、ここで正直に事情を説明をして、どうにか彼等の理解を得られないだろうか…?。
「あ、あの。話を聞いてくれないか?。僕はロボットじゃないんだ」
 シンは口の中の物を呑み込むと、奇妙な視線を浴びせる彼等に語り掛けた。
「…何言ってんの?、こいつ」
 頭おかしいんじゃないの?、と言う仕種をして見せたのは秀だったと思う。
 
 そうして、町の自警団での月日は過ぎて行った。
 地下に隠されていた個人用の装備の数々。拳銃、弾薬、必要な装置や機具は全て今の為に用意されたものだ。それらを全て身に着けると、遼は酒樽の下に隠されていた通路を開け、漸く日の目を見た地下工事の苦労を思い出していた。
「行くぞ」
 そして簡潔に一言だけ合図すると、
「うん、行こう」
 シンもそれだけで、遼の意志を受け、又自分の意志をも返していた。
『今まで匿ってくれてありがとう』
 遼の姿が更に地下へと通ずる穴に消えた。続いてシンもそこに足を下ろそうとして、ふと何かに気付いて動作を止める。
 長く左耳に差し込まれていた、精巧な偽のスイッチは当麻が作ってくれた物だ。地のまま03型に扮するより、一目でロボットと判る02型に扮する方が安全な上、愚鈍な演技の方がし易いだろうと勧められた。確かにそれで実に上手くいっていたのだ。
 でももうこれ以上の必要はなかった。シンはそれを手早く抜き取ると、手を掛けた樽の上にわざわざ乗せておいた。既に不要な物とは言え、それには仲間に加えてくれた彼等の思いと、『タイガー・バーのシン』と言う呼び名への、自らの愛着が詰まっていた。いつか平和的にこの地へ戻り、またそれを目にする時があったら良い。とシンは思いながらその場を後にした。



 デルタ・エンジミオンの市街に身を寄せて、オリジナルのシン、つまり毛利伸は一年程の時間を過ごしていた。その間はIPPOに新たな動きが始まるのを、虎視眈々と待ち続けて居たようなものだった。元はその工作員のひとりであった彼が、機を狙って外界へ逃げ出した切っ掛けも、やはりIPPOで製造されるロボットにあった。
 それはこんな経過だった。
 本来は言葉通りの警察的組織であったIPPOが、主催者の入れ替わりと共に体質を変えて行ったのは、今から二百年と少々前のことだ。この人工惑星に本部が移転する二、三十年前、その先行きの怪しさを懸念して、組織を離れようとする社員が相次いでいた。
 元より警察的権限の行使の為に、特に優れた判断や行動力を認められ、プライドを持って活動していた諜報員、工作員の集団である。そんな有能者が集う組織が、大義もなく個人的な意向に使われるとあっては、いずれ惑星社会に良からぬ結果を招くだろう、と考えられる者が殆どだった。辞職を希望する者が多く出て当然の事態だった。
 しかし彼等には、「辞職願」を提出する権限が存在しなかった。然るべき事情が発生した際にのみ、限定的に解雇されるか、或いは死亡して退職するかどちらかしかないのだ。収集した機密情報を絶対的に保護する為に、一度この職務に就いた者は、基本的には死ぬまでそれを全うしなければならなかった。その当初から続く取り決めが、そこに至って社員達の首輪となってしまった。
 つまり体質が変わったIPPOを離れようと、どんなに懇願しても、組織は過去の取り決めを盾にし、優秀な社員をみすみす手放そうとはしない。無論黙って逃げれば脱走者と見なされ、捕らえられれば社内法規に則った処罰をされるだけだ。その処罰とは大概無期限の冷凍刑だった。最もコストが安く、情報漏洩の心配もない方法だからだろう。
 そしてそんな時代、組織を脱走した工作員の中に毛利伸と伊達征士は存在した。
 その時既に征士は三百年以上のキャリアがあり、工作員の中でもかなり優れた人物だった。そして伸の方は、征士がある時スカウトして来た工作員で、百五十年来のパートナーである。当時のIPPOには社員となる為の絶対条件があり、既に職に就いた者がそれに見合った者に出会うと、スカウトして養成学校に連れて来ることが多かった。因みに征士も最初はそうして入って来た。
 しかし個人の経験、能力、社員価値がどうであったとしても、新組織が放つ追っ手は容赦がなかった。あらゆる手段を投じて妨害、追跡をされた結果、ふたりの脱走は失敗し、この二百年程の間IPPOの地下冷凍エリアに閉じ込められていた。そして同様に捕らえれた者が、そこにはまだ百人から眠っているのだ。
 ところが、伸はしばしば自分が解凍される現実に気付いた。今から七、八年前に始まったことだ。そう、それはつまりシン型ロボットが作られた時期に当たる。ロボット開発の順序は前に語られた通り、シンの前にはロバート型が存在するが、「ロバート」の名前は「ロボット」をもじったもので、まだ脳内情報をコピーする技術が、確立できていなかった頃の作品だった。
 IPPOが目指していたのは、恐らく完全に人間の後を引き継ぐロボットなのだろう。その意味ではシン型こそが、本来の目的に適った最初のヒト型ロボットだ。そしてその革命的な成功が、新型開発の速度に拍車をかけることにもなった。
 そしてそうなると元々の伸の方は、冷凍から起こされる機会が頻繁に巡って来るようになる。一体に対し一度のコピーを必要とする為、ロボットの製造数と同じに彼はコピーされた。始めの内はただただ奇妙な事が行われている、としか理解できなかった事態も、時間的には切れ切れだが、伸には徐々に把握できるようになって行った。
 捕らえられているIPPOに、自分は何か妙なことをされている。だがそれが重要ではない。何よりまずこの組織から離れることだ。
 そう考えられた伸は、以後起こされる度に得られる情報を蓄え、遂に機を捉えて再び脱走することになる。その際ひとつ気掛かりだったのは、共に捕らえられていた征士のことだが、まずひとりがその外に出れば、何らかの手立てを考えることもできると思えた。そして今度は幸運なことに、クーデターを企てるレジスタンスに出会えた。
 彼等と伸との、IPPOに対する利害がほぼ一致していた為に、有益な情報と必要な抵抗力が同時に揃うこととなった。伸は、征士を連れ出すことができるのは、コピーを取る為の解凍状態にある時だと説明し、又その時は主要な研究員が、社内のある一室に殆ど集まることも話した。最重要産業を支える研究者やその設備が、再起不能になればまず事は進め易くなる筈だった。
 そしてその決行の時を待っていたのだけれど。
 何故、『セイジ』と言うロボットが現れると予見していたかは、つまりその人物のコピーを取るのが、脱走者を追わせるのに都合が良いからだ。この場合まず伸を捕まえなければ、秘密裏の研究内容を露見させる危険がある。IPPOは血眼になって伸を探そうとする筈で、その際過去のデータから親しい人物と判る、征士が選ばれることは充分予測できることだったのだ。
 又市街に現れたハンター達は、単なる脱走者を追うのではなく、貴重なモデルを取り戻そうともしていた。町に多く配布されるロボット向きの性質とは、極普通なようで、実際は多く存在する人格ではない。ハンターがロボットを狙撃していたのは、そこに紛れる本物を探し易くする為だった。明らかにロボットと判る02型まで破壊するのは、脱走者を殺すつもりなら考えられない話だった。
 そして確かにセイジは現れた。
 このプロトタイプを破壊してしまえば、その時から三十六時間の内に本物が解凍されると、伸は社内で見聞した情報を持っていた。無論壊れたロボットに代わる、新しいロボットの体に情報をコピーする為に、だ。



「・・・・・・・・」
 最初には何の面白味もない、セラミックの天井が広がっていた。
「目が覚めたかい?、征士」
 そこに良く知った顔が覗き込んでいる。
「伸か…?。どうなっている…」
 よく眠っていたらしい意識が、徐々に覚醒する経過を征士は感じていた。それにしても、見渡す限り閑散として静かな部屋だった。
「ここは何処だ?」
 見覚えのない建物の様子、見覚えのない窓の外の景色。何故ここで眠っていたのか、これまでの経過がなかなか思い出せないでいる。
「何処ってIPPOだよ。ここは病室だけど」
 伸はさらりとそう言った。彼の変わらない、優し気な態度に疑わしいものは何もなかった。けれど、
「IPP…、そんな馬鹿な…」
「誰が馬鹿だよ?」
 信じ難い返答を耳にして、征士はまだ回転しない頭を文字通り抱えてしまう。否、全てを思い出せないにせよ、その組織からは確かに脱走した筈だった。それと現在の状況が繋がらない。自分は何を呑気に眠っていたのだろう、何故伸は安心し切っているのだろう、と征士は考える。
「それなら、私達は捕まった後なのか?」
 あまり考えたくはない可能性を思った。すると伸はこんな風に答えていた。
「え?、捕まったってどう言う意味?。僕らは元々IPPOの社員じゃないか。もしかしてどっかに頭をぶつけたりしたの?」
 いよいよ、何処かがおかしいと感じる以外になくなっていた。
「何…?。何を言っているんだ。ああとにかく、こんな所で油を売っている暇は…」
 そしておかしいと感じるなら、そんな場所からは早々に退散するべきだ。と征士は考え、寝ていたベッドから体を起こそうとしたその時、
「君こそ何言ってんのさ!、そんな体で出歩く前にリハビリだろ?。ここは社員に唯一安全な場所だって、君が教えてくれたんじゃないか」
 伸の言う通り、ただ眠っていたのとは違う体の状態、この枯渇したような脱力感が何なのか、征士にも漸く理解できた。そして敏捷には動けないことをも知らされていた。
「一体…、何がどうなったのか教えてくれ」
「どうもしないよ。君の勘違いだよ。君は新しい会長を快く思ってないみたいだけど、IPPOは何も変わってないし、僕らの待遇もそのままになってるよ?」
 しかし、幾ら何でもその説明は酷過ぎた。
「勘違いだと…?」
 征士は何とか自力で半身を起こすと、正気とは思えない発言の真偽を確かめようと、傍に立つ伸の顔を真直ぐに見上げた。傷ひとつ探せない、至って健康状態の良さそうなその顔色。すると彼は微妙にその表情を、悲し気なものに変えながら言った。
「僕の言うことが信じられないの?、僕はいつだって一番に君のことを考えてるのに」
 そしてそんな顔をされると、あまり強い調子で突っ込めなくなる征士だった。自分の他に頼る者も居ない伸の、その様子は演技のようにも思えない。だとしたら、知らない内に状況が変わったと理解するべきだろうか?。征士は考え倦ねている。
「伸…。それに、どうも解凍明けのようだが…」
「冷凍されてたのは確かだよ、僕はずっと待ってたんだから。怪我の具合が悪かったからだって聞かされてさ」
 するとそこには、他の誰かの意図が働いている状況が受け取れた。
「何処が悪いって?」
 それなら尋ねても伸が傷付くことはないだろう。
「知らない。詳しいことは誰も教えてくれないんだ」
「そんな馬鹿な…」
 一部の病ならともかく、人に教えられない怪我など基本的にありはしない。つまりそれは本当の理由ではなく、意図的な嘘だと征士は察していた。
 しかし、伸にもそれを教えられないとは奇妙だった。長く職務上のパートナーである伸と、自分の立場がそこまで違うとは考え難い。自分に関わる問題は伸にも関わる、この組織に於いては全てがそうなっている筈だった。
 否、もしかしたら、
「でも、本当なんだよ」
 それで何の疑いも持たない伸こそ妙だ。何かの暗示に掛かっているかのように。
「・・・・・・・・」
 これは罠かも知れない、と征士は新たに考え始めていた。

ガクンッ

 その時だった。鈍い音と共に、建物が上下左右に揺さぶられるような、尋常でない振動が体に感じられた。ベッドの他に何も見当たらないこの部屋では、取り敢えず伸が床に手を着く程度で済んでいたが、近隣の他の部屋からは一斉に物音、ガラス状の物が割れる音が聞こえて来た。大地震でも起こったのだろうか?、とまず考えられる状況。
 がなり立てるようなブザー音が、そこかしこで競うように鳴り始める。階下からは慌ただしい足音も聞こえ始めた。
「警報だ」
 そして、何処か遠くで銃声が響いていた。
「どうしたんだろう…、多分ここは安全だと思うけど…」
「安全?、今の振動は並のことではないぞ?」
 伸はどうも的確な判断力を失っているようだ。と観察しながら、征士は気だるい足取りで歩き始めていた。これが自然災害である筈がない、数を増して行く機銃や爆発の音を耳にすれば、ここで何かが起こっているのは間違いないだろう。征士は無論それを好機と受取っていた。上手くすればこの騒ぎに紛れて、今度こそ組織から逃れられる筈だと。
 だるいの何の言っている場合ではない。
「本部室の方に行こう」
 するとひとりで歩き出した征士を見て、伸はその傍へと寄りながら言った。本部室とは何処の何の部屋なのか知らないが、普通こんな時はまず外に出るものだ、と征士は言いたかったが黙っていた。
 と、目の前の自動扉が開いた。まだそこまで辿り着いていないと言うのに。
「征士!、離れろっ!」
 誰の声だ…?。
ガゥンッ…
 経験なのか癖なのか、征士は指示通り咄嗟に身を引いていた。
 そして中空には伸の首が、弾けるように飛んで、部屋の奥の壁にぶち当たるのを征士は見ていた。スローモーションのような瞬間的な出来事。まさか、こんな場面を目にするとは…。
 と一時眉間に深く皺を寄せた征士だが、しかし耳に届く妙な機械音と、不自然な状況に気付くのに時間はかからなかった。床に転がる伸の首からは一滴の血も流れない。足元から聞こえる微弱な機械の音は、放り捨てられたような体から発しているものだった。そして、
「な…、な…?」
 ドアの影から現れたのも伸だった。
「いいんだ、それロボットだから気にしないで」
「ロボット…」
 言われるまでもなく、横たわる残骸はそれを物語っていたが、征士は口に出さずには居られなかった。確かにこれまでの伸の様子は、いちいち引っ掛かるものがあると感じていたが、まさか人間でないものと疑うことはなかった。否疑いようがなかった。征士の活動していた二百年前の時代には、ヒト型のロボットはまだ、ロボットらしい外見で作られていたからだ。
 人間と見分けの付かないロボットを作るなど、絶対的な禁忌と信じられていた筈なのだ。
「そんなことより早く逃げるんだよ!」
 しかし深く思考している暇は、今はなかった。
「ああ…」
 それはここを無事に脱出した後、伸に説明してもらえば良いことだ。

『あれは多分唯一の04型…』
 病室、と言われた部屋を出る。凡そ病院らしからぬ金属的な壁に囲まれた廊下、単調に並ぶ自動ドアとランプの列を辿るように、ふたりはある方向へと走っていた。断続的に聞こえる曇った衝撃音、人々のざわめく声は、まだこのフロアからはかなり遠くに感じ、実際目立った影響は見られなかった。ここでは進むペースが遅くとも、危険を感じることはまずなかった。
 ところで現代に於いては、医療的な冷凍・解凍は極普通に行われており、特に難しい特殊な技術ではない。しかし解凍された後には必ず、筋肉組織の畏縮が起こってしまう為に、指一本動かすのもだるく感じるものだった。殊に長期間の冷凍を受け、職業柄体を鍛えていたような者には、通常とのギャップが激しく今にも枯れそうに感じるだろう。
 拠って本来はリハビリとトレーニングが欠かせないが、この状況ではまず走ることから始めるしかなかった。
「おかしいとは思ったが」
 と廊下を進みながら征士は言った。
「さっきのロボットのこと?」
 呟くような声でしか話せない彼の声を、伸は具に聞き取りながら返している。
「話の辻褄が…」
「うん、それは多分、嘘をついてる訳じゃないんだ。そう言う修正を受けてるんだよ」
 するとそんな説明を受けて、征士は奇妙だと感じていた理由が一気に、全てクリアになって行くのを感じた。
「…成程」
 明ら様におかしい、間違っていると思える状況説明を何故、疑いもなく自然な様子で自分に話せるのか。と征士は先程の伸に対して思っていた。もし本当に状況が変わったのだとしたら、聞き手の理解状況を窺いながら話すのが普通だろう。突然結果から話されても違和感がするばかりだ。けれど、それでも彼を異物だと認識できなかったのは、その極自然な感情表現にあった。
 嘘の無い表情、怯えのない態度、絶対的信用を疑わせない真直ぐな視線。職務上怪し気な人間を観察するのは、日常茶飯だった征士だが、初めて、向かい合った者が何かを認識できなかった事実を思う。そして多分に恐ろしくもなった。
「納得した?」
 落ち着いて考える彼の様子を見て伸が言った。そして征士も、上がる息に言葉を区切りながら、何とか言いたいことを伝えられていた。
「解凍明けとは言え、大事なことを、そう簡単に忘れはしない。なまじ工作員などやっていれば」
「そうだね、僕が君のことを忘れないのと同じだね」
 伸がそう言って笑うのを見て、征士も漸く笑い返せるだけの心境に至った。
「フフ」
 気が付けば如何なる状況下でも、極限の緊張状態の中でも、いつも笑っていられたことを征士は思い出していた。その鮮烈に焼き付く数々の記憶は、だから忘れようがないと言えるのだろう。私達は、幾度となく危険な状況をかい潜って来たのだと。
 どちらにしても、簡単に忘れられる過去ではなかったと。
 正面に見えていたエレベーターの扉を素通りし、その裏側に回って階段の防火シャッターを無理矢理こじ開ける。ロックが外れている為に、そう大した力も要らずそれを動せたが、開いた隙間からは硝煙臭い気流と共に、乱雑な音の反響が流れて聞こえた。始めに起きた大きな振動から、こうした闘争的な音は徐々に激しく、広い規模に広がっていると感じられた。
「何が起きているんだ」
 シャッターの隙間から階段の踊り場へと、擦り抜けながら征士はそう尋ねた。伸は彼が完全に通り抜けてしまうまで待ってから、この異常な状況について説明をした。
「レジスタンスが破壊活動を始めたんだよ。僕もその一部として動いてるんだ。それから僕らには逃亡ルートを用意してもらってる」
 聞けば確かに、少人数のテロと言う感じではないと征士は感じた。階段を下り始めれば、徐々に証券取引のような騒々しさも伝わって来る。このIPPOと言われた建物の中で、酷い混乱が生じているのが窺い知れた。そして伸は首尾良く、そのレジスタンスに渡りを着けたらしい。それでこそ修羅場を潜り抜けて来た工作員だ、と何故か征士も誇らしく思えた。
 否、そもそも伸は彼に出会わなければ、こんな仕事に関わることもなく、もう三百年も前に姿を消していた筈だから。
「しかし、よくここまで入り込めたな」
「仲間が大勢いるからさ。今中央制御のロックは全部解除されてるし。彼等はIPPOを潰す気でいるからね」
「そんな大それたことが可能か?」
 例え少人数でないにしても、と征士は疑問に思った。そもそもレジスタンスとは市民の集団である。専門的な戦闘訓練を受けた兵隊ではない。それが警察的機構を持つ企業に対して、転覆を謀るのは容易なことではない筈だ。昔のままの堅固なIPPOでないとしても。
 けれど、
「そうだね、でもやらなきゃならないんだ。この惑星の大半がレジスタンスに同調してるから、数で何とかなることを祈るだけさ」
 難しいと思えてもやらざるを得ない、この人工惑星の事情があるからだ。
「この惑星とは…」
 そして再び疑問を投げ掛ける征士に、伸は仕方なさそうに答えた。否、丁寧に説明しなければ解らないだろうが、そんな時間は取れないことを思っただけだ。
「君は知らなくても仕方ない。IPPO本部がデルタ・エンジミオンに移って、もう二百年くらい経ってるんだよ」
 伸はそう話したが、案の定征士には『デルタ・エンジミオン』と言う星の名すら、記憶の何処にもないものだった。デルタでなく『アルファ・エンジミオン』ならば、史上初の人工惑星として知られていたが、その後には当然ベータ、ガンマと続いてデルタなのだろう。自分が流れる時間から長く隔離されていた事実を、改めて知らさせたようなものだった。
「…どうりで、機械の進化が理解できない筈だ」
 自分が居る場所さえ把握できないのに、機械産業の発達など予想できなくて当たり前だ。と思わず可笑しさが込み上げて来る征士だった。
「その間、組織はもっと悪い方に向かっててさ」
「だろうな」
 ただひとつ、それについては予想通りだったけれど。
 降りて来た階段は途中で途切れていた。何棟かで成る社屋ビルの、別の棟に移動しなければならないようだった。伸は再び防火シャッターをこじ開けようとする。すると今度はその隙間から、黒煙と共にパチパチと音を上げる火花が見え、激しい銃撃の音も鮮やかに聞こえて来た。もうここからはこれまでのように、安全な道程ではないことを嫌でも、意識させるシャッターの向こうの様子。
 そんな経験は何度もして来た彼等だが、命の危険が伴う職務行動について、「慣れる」と言うことはないのが現実。いつ何処でそんな場面に遭遇しても、やはり恐怖感は拭い去れないものなのだ。否、慣れてしまった時には死が近付くからだ。
 言葉を使わずに合図して、伸は征士を先にシャッターの外へと行かせた。

 外へ出てみれば、そこは駐車場のような、飛行場のような、コンクリート壁が左右に吹き抜ける広いエリアだった。幾つかの棟の共有部分らしく、何処から何処までが今まで居た建物なのか、征士にはまるで測りようがなかった。無論伸はルートを把握している筈、その後をついて行けばいいだけだ。が、そこはただの広場ではない。
 対面の機械室が炎を上げて燃えている。吹き抜けの端にはIPPOの警備員か、レジスタンスの人間なのか判らない、倒れた人の山を盾にして、下方に向けて機関銃を撃ち続ける男が数人居る。その横で銃弾を用意しているもうひとりの男が、こちらに気付いて伸に小さく手を振って見せた。取り敢えず、武器を持つ者は味方のようだった。
「こっちだよ」
 伸は左右に長く続く、細いタラップの上に足を掛けて言った。征士はその後に続いて、人工太陽の日が翳る方向へと走った。タラップは幾つかの区切られたスペースに枝を伸ばし、その先には梯子かクレーンが設置されていた。恐らく小型飛行機の発着場だと想像できる。既にばらばらに解体された部品や鉄骨ばかりが、今は見るも無惨に散乱していた。
 硬質なタラップ面を駆けるふたりの足音と共に、下方の近い場所から爆発音が頻りに耳に届く。ふと下を見ると、一部は床が丸くくり貫かれて、排気孔か何かの巨大な暗い穴が口を開いていた。そこから生温かく焦げ臭い空気が立ち昇って来る。地獄の釜を覗き込むような暗い予感。
 嫌な予感がした。

ドォン…

 階下の音と振動がタラップを激しく揺らした。大規模な破壊活動が行われている様が、もう間近に迫って来ているようだ。吹き抜けから見える景色を考えると、まだ建物のかなり高い階に居る筈だった。
『大丈夫なのか?』
 征士の頭にその言葉が過った時だった。
 ふたつ目の排気孔を過ぎて、伸に続き征士がタラップを降りた瞬間、横の壁が迫り来るように盛り上がり、突然の爆発と爆風が彼等の身を襲った。
「伸…」
 猛烈な空圧に跳ね飛ばされるように、征士は対面の壁に打ち付けられた。再び目を開けて見れば、つい七、八秒前まで壁だった場所が、反対の壁まで突き抜けてすっかりトンネルになっていた。普通の爆発ではない。そこにはヘリウム等の気体タンクか、稼働中のコンプレッサーでもあったのではないか?。火事が出なかったのは幸運と言えた。
 しかし、探している人の姿が無い。
「伸!、何処だ!」
 よろめきながらも立ち上がると、征士は彼の名を呼びながら、爆発から飛ばされる可能性のある辺りを探し始める。別段今の衝撃での怪我はないが、体力が激しく衰えたこの状態では、瓦礫に埋まった床を歩き回るのさえ辛かった。征士はほぼ気力だけでそれを乗り越えながら歩く。すると幽かに、自分の名前を呼んでいる声が聞こえた。
 何処だ?。辺りを見回すが姿を捉えられない。また声がした。
 遠い。外に掻き消えて行くような反響。
 来た場所とは反対側の吹き抜けに向かって、征士は我を忘れて走っていた。
「…伸…」
 すると、彼は確かにそこで見付けられた。ただそれはどうしようもない状況だった。
「征士…」
 社屋の外壁に、爆風で飛ばされたらしき鉄柱と車輪が突き刺さり、それと外壁の間に服が挟まって、ピン打ちされたように宙吊りになっていた。手は全く届きそうもない。届いたとしても引き寄せる力が征士にはなかった。このままではいずれ何かの振動で鉄柱が外れ、伸は真下に落ちてしまうだろう。一体どうすれば良い。
 とにかく、伸を屋内に引き戻す方法を考えなければ。
 征士はそう思い、丈夫なワイヤーのような物があればと考えた。伸の体に輪投げの輪が引っ掛かれば、何とかここに引き上げることができるのではないか?。体を低くしていれば、引き摺られて落ちることもないだろう…。
 けれど、立ち上がろうとした征士を見上げながら、
「もういい、僕はもういいんだ。最後に顔を見たかっただけだから」
 と伸は言った。
「何を言っているんだ!、私が…」
『伸を置いて逃げる訳がない』
 半ば怒るように言い募ろうとした、征士の言葉を遮って伸は続ける。
「時間がないんだ!。いいかい?、そこの左のシェルターを開けて、十一階に着いたら、僕の仲間が待ってるから」
 確かにそうだろう、これだけ派手な破壊が行われているとすれば、そう長く待たずにこのビルは崩落するだろう。しかし、
「なら誰かを連れて来る!」
 その十一階に辿り着いたら、伸が仲間と呼んだ誰かをここに寄越せば良い。そう、それが最善の方法かも知れなかった。ただこの場を一度離れるのが辛いだけだ。解凍明けなどと言うコンディションでなければ、自力で何とか助ける方を選ぶのだが…。
「征士、行ってよ」
 風に吹かれている、煩そうに顔をかかる髪を伸は、自由になる方の手で幾度も押さえ直しながら、ずっと征士の姿を見詰めていた。そして未だ踏ん切りの着かない様子の彼に、微笑みながら、この期に及んで酷く穏やかに話した。
「僕は、君が拾ってくれなかったら、もうこの世には居なかったんだ。君は命の恩人だ、僕は忘れない。だから命に変えても君を助けたいんだ」
 そして伸は、腿のポケットから何かを取り出した。それは護身用の小さなナイフだった。
「ありがとう、大好きだったよ征士。…さあ早く逃げて!」
「何をする気だ」
 伸は、自ら挟まっている自分の衣服を切り裂いて行った。いつまでも征士に、ここに留まっていてほしくはなかった。
「待て、止めろ伸っ!」
 落下したからと言って、必ず死ぬかどうかは判らない。運が良ければまた会えるかも知れない。
「伸ーーーっ」
 征士の声は恐らく届かなかっただろう。建物の外を吹き抜けて行く風の音が、音らしき音を皆吸収してしまう。小さく消えて行った伸の姿が、地上の何だか判らない場所に吸い込まれた瞬間の、その音も同様に耳に届くことはなかった。
 こんなことがあって良いのか?。
 自分さえまともならば、伸は生存率の低い選択はしなかった筈だ。
 もう取り返しがつかない…。
 征士は階下の方向を眺め見たまま、増々そこを動けなくなってしまった。最早ひとりで助かっても意味がないような、これまで感じたことのない虚脱感が全身を覆い尽くす。ひとりで生き延びて何をする?。百五十年もの間常に傍に居て、共に広い世界を走り回って来たのだ。それに見合うものを取り戻せると思うか?。誰がその未来を保証できる。
 もう何の希望の光も見出せない。もう歩きたくもない…。



「もういいんだってば」
 背後からそんな言葉が聞こえた。
「・・・・・・・・」
 もしや、と思いながら、青褪めた征士が恐る恐る振り返ると、今の自分の心情を知ってか知らずか、些か意地の悪い顔で笑う伸が立って居た。それは偶然ではなかった。宙吊りにされていた伸が、これ以上動けなくなった状況を連絡していたからだ。
「さあ早く!。こっちだ、行くよ」
 そして新たに征士の元にやって来た伸は、彼の腕を取ってそう言った。



つづく





コメント)いや、もうすぐ終わりますから先に進んで下さい(笑)。



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