裏通りのシンの店
現 の 人
(うつつのひと)
#2
THE REAL



 彼等が最初に出会ってから、まだ二時間程しか経っていない。が、噛み合わないばかりだったふたりの会話も、やや打ち解けて来たように感じられていた。気が合うかどうかだけの区別なら、合わせられない相手ではなかったらしい。
 後はセイジが、問題の行動を起こさなければ、明日にはもっと気を許してもらえるのだろう。誰にしても、余所者の内は信用できないと言われた通りだ。
 それらのことを、セイジが納得してくれた様子を見て取ると、秀は途端に元の調子に戻って話し掛ける。
「まっ、それは置いといて、何処から回ってみるつもりだ?。この町にゃ02前期型が八人、02後期型が十九人、03型が十六人居るが?」
 相互理解にほっとする間もなく本題に戻っていた。セイジはまた、基本的問題に頭を抱えなければならなかった。
 実のところ名簿を貸してもらったは良いが、この町の番地さえ知らない彼には、名簿に書かれている所在地が、今居た店から近いか遠いかも判断できない。又個々についてめぼしい特徴を拾おうとしても、誰も彼もがそう大差ない傾向を持っていて、特に目立つ情報もなく、皆同じ顔をしている。そこから特定の誰かを選べるとも思えない。
「…見当も付かないが、取り敢えず03型だ」
 拠ってタイガー・バーのシンが指摘した03型、と言う目標しか設定できなかった。否それについても、何故03型なのかは全く解らないのだ。しかし、
「そうだな、シンが言ってたが、新しい奴の方が記憶がはっきりしてるらしい。同じロボットが言うんだから確かだろ」
 続けられた秀の説明に拠って、セイジにも漸くシンの助言が理解できた。何故なら彼の感覚では、タイガー・バーに居たシン02型は、『セイジ』と言う名前と顔は知っていたが、それ以上の記憶は辿れない様子だった。知り合いにしては態度も素っ気無いものだった。言ってみれば、セイジの記憶喪失よりはもう少しマシ、と言う程度だろう。
 だが03型には、それ以上の記憶があるかも知れないと言う。新型の方が脳内情報をより良く移植できているようだ。恐らく店で感じた程には、他人行儀な空気を苦にせず話せる筈だ。
 唯一記憶しているシン・モウリが、特に意味のない名前とも思いたくなかった。
「そうか、そうだと良いが」
 少しばかり希望を持てる状況を前に、セイジはここに来て始めて笑みを零す。
「じゃあよ、『裏通りのシン』のとこに案内してやろうか。確か、まだ五時過ぎだったよな。営業までもう少し時間があるから、話くらいできんだろ」
「ああ、宜しく頼む」
 歩いて行く彼等の足取りは、何処となく軽やかな歩調に変わりつつあった。

 ところでこのA市街だが、合金とセラミックの家屋が立ち並ぶ住宅地の、その色合いこそが冴えない景色の原因かも知れない。
 地球的な自然界には様々な色が溢れていて、それが天然の在り方だと長く考えられて来た。後に到来した宇宙時代は、その意味では人々を貧しくしたかも知れない。ただ住めるだけの場所は拡大して行ったが、地球以外の惑星、衛星は殆どが単一に近い色調で成り立っているからだ。それもある意味では自然な姿だと、人間は受け入れて行くしかなくなった。
 そして、金星の様子をそのまま写したような、この単調な人工惑星の景色にしても。嘗ての地球人は愛と美の女神が住む星として、美しい金星を夜空に眺めて来たけれど。
「…何をしているのだろう」
 するとその単調な家々の壁に、黄色と緑のロボットが一体ずつ、流れ作業のように働く様子が目に入った。鮮やかなカラーリングが一際セイジの目を引いた。
「あれはウタ23と24だ。色も違うが機能も少し違うから、一緒に作業してることが多いんだ。多分工事と掃除をしてんじゃねぇか?」
 秀は歩きながらそう説明をしてくれた。成程ウタにも幾つか種類があるようだ。サーの方なら種類が多く存在することも、町を歩けばすぐに理解できるだろう。信号の傍に立つサーは、歩道のゴミを拾っては元の場所に戻る。家々の前に立つのは個人用のセキュリティだ。タクシーの座席にも座っているのが見えた。認証の為か、或いは乗客へのサービスでもするのだろう。
 IPPOと言う団体には確かに、優れた開発力と製造技術があるように思われる。
「おっ、そこの窓見ろよ」
 秀が何かに気付いてセイジを呼んだ。彼の指し示す住居の二階の窓には、窓拭きをしているシンの姿を見ることができた。
「あれがシン02前期型さ。段々数が減って来てるけどな」
 言われてみれば、首に赤いスイッチがあるのをセイジにも確認できた。確かに見分け易い特徴だと思える。ただ、数が減っているとはどんな理由なのか。ハンターの所為だろうか?、とセイジは尋ねる。
「壊されるからか?」
「いんや、ほとんどは寿命だ。一応工業製品だからな、耐用年数ってモンがちゃんとあんのさ。だからもう01型は居なくなっちまってる。ロバートも今は一体しか残ってねぇ」
 答えた秀の声には、記憶に残る何かを懐かしむような、悲しむような響きさえ聞かれた。単に工業製品としての存在以上に、ロボットが人に感慨を与えていることが解る。
 そしてそれでは、人間と全く同じようなものだとセイジは感じた。体の維持機能が人とは違うにしても、己の存在が消える運命からは逃れられない。そして人間と同様に世代交替をして、消えたロボット達を懐かしむ者さえ居たりする。異常なのか、慣性なのか、何しろこの惑星は特殊な環境だと、セイジは徐々に知識を深めている。
 ロボットとヒト型ロボットが平和的に共生する、もう少し先の未来の夢を誰かが見ている。何故それが必要なのかは解らないけれど。
「しかし、本当にロボットが多いな」
 改めて、未来への礎である町を眺めてセイジは言った。
「まあここは特別だな」
 それについては秀に限らず、この町の誰もが率直に認めることだった。良くも悪くも、便利で新しいロボットが次々運び込まれて来る。市民が望もうと望まずともお構いなしに、整備し続けられるデルタ・エンジミオンの近況。
「これでは人間のすることなど、殆どなくなってしまうのではないか?」
「んー、その辺は人によって違うけどよ、」
 セイジの問い掛けには、環境に慣れ切った秀が答えるのは難しかったが、
「でもそこまで必要じゃねぇのは確かだぜ」
 と、的確な考えを言葉にできていた。
 社会に役立つロボットの存在は良いものだと思う。或いは人間にしかできない事に時間を裂く為に、雑用はロボットが引き受けてくれれば助かるだろう。この惑星では万人がそんな利益を受けている。けれど、全ての活動や行いが、尊く「人間にしかできない技」とは思わない。つまりどこまでが万人に必要なのか、と言う問題が生じている訳だ。
 怠ける人間を育成するメリットは何もない。却って多くの心は荒んでいる。
「分からなくもない」
 セイジは肯定的に返すが、秀は更に己の疑問を話し続けていた。
「ぶっちゃけた話、ウタやサーみてぇな作業用はいいが、ヒト型が何に必要なのか俺には分かんねぇ。IPPOが開発し続けてるってことは、何かの役に立てるつもりなんだろうけどな」
 現在の宇宙的需要と言えば、過去の地球と同じく福祉や看護の分野だが、それも既にサー系列のロボットが採用されていた。特に人間に近いものである必要はない。否、むしろプログラム通りに働いて、頑丈で長持ちしてくれる方が、使う側には都合が良いらしいのだ。では他に何の役に立つだろうか。
 セイジは秀の言葉を借りて返した。
「大事な仲間として」
「それじゃ話が逆だっての。居なかったら居ねぇで困りゃしねぇよ」
 その通りだと思う。しかし、
「何処かに必要な場所があるのかも知れない」
 目的もなく技術開発を行うなど、そんな酔狂な事はないとセイジは考えた。
「そうかねぇ。…着いたぜ」
 そうして、ふたりがロボットについての議論をする内に、目指す目的地へと到着していた。秀に言われて立ち止まった裏通りの一角、建物の様子を一目見るなり、セイジは思わず言葉を失ってしまった。
「ここが『裏通りのシン』の店だ。…まああんたどう見ても大人だから、取り敢えず追い返されやしねぇだろ、ダハハ」
 それは比較的きれいなセラミック壁に、地球の感覚で言えば地味に感じる、昼光の電飾で描かれた沢山のハートマーク。脇から降りる階段を示す立て看板には、ヴィーナスローズの紫の造花が飾られている。階段の壁は故意に黒く塗り潰され、通路には青い絨毯が敷かれている。これは如何にも、風俗営業店の某かだと想像がついた。
 まさか、どれ程人間に近いとしてもロボットはロボット、クローン人間ではない。こんな怪しい職業に従事できるとは考えなかった…。との、セイジの思考は確かに誤りではないが、人間と全く同様のことをすると思わなければ、あり得ない発想ではなかっただろう。
 つまり「自由で独立したロボット」の意味は、その場に応じて必要な仕事を選択し、社会性を持って存在できる意味に他ならない。社会に求められている、或いは必要だと感じることを、ヒト型ロボット達は自ずと始めているだけだ。プログラムされた意識なのか、そうでないかは判らないにしても。
「…03型なんだな?」
「そりゃ間違いねぇよ。こーゆー仕事してんのが何よりの証拠。03型より前のは、基本的な生活行動しか理解できねぇからな。まあ、02よりほんのちょっとお利口なんだ」
 ただ秀の言葉から判るように、ロボットの機能的進化はそう早くはないらしい。ならば恐らくこの場所は、何らかの慰めになる程度のサービスをする所、と解釈するのが適当かも知れない。人間並みの想像をすべきではなかったようだ。
 そしてそれならさほど印象も悪くはなかった。別段、慰安的遊戯の目的で作られるロボットが居ても、おかしくはないが、『友人』として配付する意味を裏切って、理想の社会が成り立つとも思えないからだ。
「なら良いが」
 セイジが腹を決めてそう答える頃には、秀は二、三歩その場を下がり始めていた。
「んじゃっ、俺はここら辺で待ってるからな」
 と、そそくさと身を隠すように、道の反対側へと離れて行ってしまった。礼儀と思ったのか、他人の目が気になるのかは定かでない。



 目指す入口までの道程には、気を取られる装飾は何も無かった。暗く細い階段を真直ぐに降りて行くと、自らの心の深層部へと、一歩一歩沈んで行く気分になっていた。奥深い苦痛が解放されて行くような、その効果を意図して内装を選んだのなら、全く大したロボットだと感心するばかりだ。それならセイジの望む「記憶」についても、幾分期待して尋ねられるかも知れない。
 階段を降り切った狭い踊り場の、重厚なドアには「準備中」と書かれた札が下がっていた。呼び出しベルの代わりに足元に立っている、サーが自動的に人影を認識して、ドアの中に居る者に来客を告げていた。程なく奥からは聞き覚えのある声がした。
「はーい…」
 確かに、タイガー・バーで聞いたシンの声とよく似ていた。同種のロボットなのは間違いないだろう。とセイジが思惟する内に、そのドアは恐る恐ると言った風に開かれる。
「どちら様ですか?、まだお店開けてないんだけど?」
 そして開け切らない隙間から覗いた顔は、正しくシンと呼ばれるロボットのものだった。セイジは彼の目線に合わせて向き直すと、軽く一礼をして話し始める。シン型ロボットには既に会っていても、この店のシンには初対面だと忘れてはならない。
「忙しいところ申し訳ない。実は客として来たのではなく、少し話を…」
 すると、
「セイジだね!?」
 用件を言い終えない内に、驚愕する声がそれを遮っていた。
「あ、ああそうだが」
 目を見開いて驚いている、些かの畏怖と大いなる喜びが感じられる表情。このシン03型は、見ればすぐ彼を『セイジ』と呼び、それに結び付く感情を即座に引き出しているようだ。どちらかと言えば、驚かされたのはセイジの方かも知れない。シンは半端に開けていたドアをするりと抜けると、
「セイジ!!」
 何年も離ればなれになっていた、愛しい恋人にでも再会したように、迷いなくセイジに抱き着いていた。そして迸り出る言葉と共に、歓喜に躍動する感情を確と彼に伝えた。
「君にまた会えるなんて!、わぁ、本当に会えたんだ!、嬉しいっ!」
 シン・モウリと言う人が、少なくとも敵ではないとセイジは安堵していた。彼の願った通り、自分に好意的な人物だともすぐに判った。
「…私が分かるのか?」
「何言ってんの!?、ずっと会いたかったんだよ…」
 そして事実長く離れていたことも知った。
 泣きそうな顔をしながら涙が出ないのは、ロボットらしい事情だと面白く観察できたが、例えそんな不条理が起こっているとしても、彼が発する意志や感情は確かなもののようだ。何故ならシンの言葉遣いからも、相手がどの程度親しいかは判断できる。セイジに対するシンの在り様をロボットは、忠実に再現しているのかも知れなかった。脳モデルからの情報に従って。
 しかし、素直に受け入れ難い要素もあった。恐らく商売の所為だろうが、金モールの織り込まれた透ける上着をひらひらさせて、他は下着とガーターベルト、長い靴下、と言う出で立ちはかなりインパクトがあった。タイガー・バーのシンからはかなり遠いイメージだ。そして密着する彼の体からは、甘やかな香水が辺りを覆う程に薫り立っている。
 実在したシン・モウリはこんな人物なのだろうか?。
 否、実像かどうかは今は考えなくて良い。シン03型に多くの記憶が存在するのは間違いなかった。セイジが今一縷の望みを託せるのは、他の何でもなくこのロボットなのだから。
「ああ…、それで是非、君の話を聞かせてほしいのだが、少し時間をもらえないだろうか?」
 色好い返事を祈るようにセイジは言った。するとそれを聞いたシンは快く、
「いいよ、勿論。僕は命を懸けても君を助けるよ」
 やや妙な答え方をしながらも、満面の笑みを返してセイジを店の中へと促す。
「…???」
 受諾してくれたのは嬉しいが、何も話さない内から『命』とは大袈裟な。
 言葉の選択を誤ったのはシンなのか、ロボットの機能的な不具合なのか、或いは誤りでないとしたら、シンが習慣的に使っていた言葉なのか、過去に生死を意識させる事情があったのか…。色々に考えられてセイジは戸惑ってしまう。
 もし己が本当に工作員だったなら、確かに命懸けの仕事をしていたかも知れないが。

 地下の割には明るい室内だった。今は夕陽の色に染められた広い空間。部屋中に充満している甘い香りが、壁面を隠すように飾られた生花と、艶かしい彫像や絵画、ランプシェードの七色の反射と相まって、異様な雰囲気を作り出していた。とセイジには感じられた。何かしらの感情を煽り立てるような、普通に生活できる場所でないのは確かだ。
 その部屋の中央に置かれた人造ファーの、肌触りの良い大型のソファに座って、セイジは隣に掛けたシンに、まず自分の状況を正直に話していた。話さなければ始まらない事情を。
「記憶喪失…なの」
 その内容を知れば、ロボットのシンでも更なる驚きを隠せなかった。人間ならば記憶、機械ならばデータと呼ばれる、日々蓄積される膨大な情報を失うことは、どちらにしても重大な悲劇に変わりない。それに因って相手に対する、己の意味が変わってしまうとしたら。
「だから、君の憶えていることを話してほしい」
 セイジは淡々と話し続けたが、
「じゃあ僕のことも忘れちゃったの!?」
 シンの様子は尋常ではなかった。そうでないことを切に願うように、セイジの口から否定してくれるようにと、必死の様子で身を乗り出す態度には、彼の思いが真正直に表れていた。セイジの記憶から自分が消えてしまっているなど、決して受け入れたくない現実だと。
「いや、だから、何故だかシンと言う名前だけが、記憶に残っていたのだ」
 そんな風に、セイジはややぼかした形でしか、言葉を返すことができなくなった。
「本当?」
「本当だ」
 救いが欲しいのは自分なのに、何故だか相手の感情を気遣う立場になっている。まあ、シンが気分良く協力してくれるなら、それくらいの労力は構わなかっただろう。
「忘れる訳ないよね、僕は絶対に忘れない…」
 途端に彼は落ち着きを取り戻して、安らかさを表すように、セイジの肩にしなだれ掛かっていた。
 暫し、静寂が流れた。肩口に感じるシンの温度、絡み付く腕の心地良い重さを感じた。それらはある意味で人の存在を意識させている。又彼の心の動きは、単なるプログラムではないのも明白だが、それでも人間と呼べないのは、この静寂なのだとセイジは考えていた。
 人の動作を模して呼吸をしても、彼の心臓は酸素を運ばない。そもそも心臓は存在しない。時として鼓動が何かを伝えることがあるように、高等生物には脈打つものが必要だ。その意味では、余りに人間じみた仕事をして、人間らしく振舞う新しい03型は、酷く哀れな存在にも思えて来たところだ。存在していても、生きているとは言えないのだから。自らの意志を持ちながら、体から伝えることはできない。
 そして哀れさを思えば思う程に、ヒト型ロボットとは不思議な存在だった。ロボットは『工業製品』だと秀は言ったが、シンの装いと、この部屋の雰囲気はマニュアルとは思えなかった。心の隙間に知らぬ間に入り込んでしまうような、馴染み易い優しさと快楽をシンは知っている。知っているからこんな商売も成り立つ。工業製品の思考にしては酷く感覚的な、それが人間の業でなくて何だと言うのか。
「…何だか落ち着かないな…」
「ハハハ。この部屋のこと?、僕のこと?。営業用だから気にしないでよ」
 やはり、故意にやっていると本人が言うように、ロボットに於ける人間らしさとは、ロボットそのものの評価ではなく、人間に対する理解力で評価されるらしい、とセイジは朧げに掴み始めていた。
「何故こんな仕事を選んだのだ?」
 と、最初から気になっていた質問をすると、シンは少し上目遣いに笑って見せる。
「気に入らない?。フフ、セイジには悪いと思ってるよ」
 悪いと思われる理由も、無論今のセイジには解らないことだったが、それは後回しに、話の流れを変えずに続けた。
「ヒト型ロボットは皆、普通の仕事をしていると思ったからだ」
「う〜ん、そう言う訳でもないよ。色んな仕事をしてるよ。ただもう人手が足りてることなら、それ以上人数が増えてもしょうがないし、他の仕事をするしかない時があるんだ。デルタ・エンジミオンは小さい惑星だから、人口もそう多くないしね」
 そしてそこにも、彼等の切ない在り方が鮮明に見えるようだった。
「全体の調整の為に?」
 結局ロボット達はそうして、人の都合に左右される存在なのだろうか。それなら確かに、ウタやサー並の作業用ロボットの方が、特に配慮も要らず気軽に使えると言うもの。何故ヒト型ロボットは造られるのだろう。何の為に「自由と独立」を唱っているのだろう。少なくともこの現状では、モデルであろうシン・モウリも喜ばないだろう。
「そうだよ。でも僕は幸せに暮らしてるよ。君にも会えたから」
 けれどシンはそう言って、嘘ではないと言う思いを表すように、そっとセイジの首に両腕を回した。不幸に苦しまないのもプログラムだとすれば、罪な話と思う他になかった。
「それが聞きたかったの?」
「いや…、今のは思い付いただけだが」
 そして言葉通り幸せそうに笑うシンには、非常に切り出し難い話になってしまった本題だ。けれど言わない訳にはいかない。
「聞きたいことと言うのは…。まず、君は誰なのかと。…私はシン・モウリについて知りたいのだ」
 と、言えば案の定、シンは先程と同様に目を見開いて、激しく動揺した口調で返していた。
「何だい…?、僕は僕だよセイジ!?。そんなことも分からないの!?」
 突然降り掛かる悲しみ、突然落とされた奈落を見るかのような、シンは再び縋るような瞳で訴え始める。当然予測できた反応でもあるが、今度はどうしようもなく、セイジは思うことを有りの侭に綴るしかなかった。結果が悪い方へ流れるとしても、確固としたものを与えてほしかった。
「シンと言う名の人が、私に強く関わっていることは分かっている。だが、それ以上のことは何も思い出せないのだ。…頼む、君の記憶にある君のこと、私のこと、何でも良いから教えてくれ…」
 空白なのだ。
 幾ら探しても何も見付からなかった。頭の中にはただ空白の宇宙が広がっていた。
 己のことが何も判らない。失われた記憶にどれ程の価値があったか、教えてくれる他の誰かの存在さえ判らない。名前だけを知っていても、誰のことなのか全く思い出せない。こうして過ごして居る内に、気付いた時から始まった空虚な日々の、どうでも良いような新しい記憶がそれに成り代わって、別の人間として生き続ける悪夢を見ている。
 何処か知らぬ次元へと放り込まれてしまったように。
 シンの居ない空白へと。
「セイジ…、かわいそう」
 すると、ひとりで苦しんでいるセイジに、シンは小さな声でそう呟いた。一度接触を断った彼の腕が、今は優しくセイジの頭を包んでいる。
「大丈夫、君に何かあった時には、僕は必ず、命を懸けても君を助けるから…」
 そして何故だか前にも言った、大袈裟に思える言葉でセイジを励まし続けていた。
「僕はずっとそう思いながら過ごしてたんだよ。君に会わなかったら僕は居なかったんだ。セイジは僕の一番大切な人だから」
「一体…、君には何があったのだ…?」
 聞かされた幾つかの経過と言葉。それらは記憶に繋がっていなければ、出て来ない感情表現だとセイジは思う。何が彼にそう言わせるのかを知りたい。それこそが己とシン・モウリとの関わりを明かす、ひとつの重要な部分だと判るからだ。
 シンがそれ程までに、己に価値を置いている理由とは。
「ん…、それは僕も忘れちゃったけど。もうずーっと昔のことだから」
 03型の限界だったようだ。
 新型と言えど、脳内の情報が完全に移植できた訳ではないと、改めて教えられたようなものだった。
 過度な期待はできないと、そう言えば事前に聞かされたことを思い出している。人の複雑な階層記憶の全て、知覚不能な情報記録も全てロボットに移せるとは、セイジにしても考えられなかった。できればそんな未来に臨みたくはない。いつか人間の方が蔑まれる対象になるだろうから。
 ならば、これで良かったのかも知れない。当てが外れたことには酷く脱力させられたが、シンと自分について、ほんの輪郭くらいは見出せたではないか。そして自分に対するシンの思いが、どんなものだったかその片鱗に触れて、不安ばかりの状況は変化して行く。
 ただの空白ではなくなったような気がした。セイジには事実そう感じられていた。
「それでも、君に会えて良かったよ…」
 心の源流を失ったまま、ただセイジに会いたがっていたシンにも、再び安堵の時が訪れていた。
「そうか…」
「セイジは僕の大切な人だ。僕は忘れない」
 例え人間でないにしても、そう言ってくれる者が居るだけ幸いなのかも知れない。
「・・・・・・・・」
 セイジの視界を塞いでいた腕が僅かばかり緩み、シンは向き直すと、彼の唇に自分のそれを押し当てた。続けて頬に、口端に、僅かずつ異なる他の場所を探すように。セイジの悲しみについて、何一つ取り零しを作らないように。
 人工物である筈のシンの皮膚は、殆ど人間との差を感じさせなかった。顔に触れる掌も、唇も、彼の心情を反映するように暖かく、優しくセイジの心を掠めていた。
 居心地が良かった。
 ロボットに残る一部の記憶だけだとしても、シンに触れているだけで安らいでいると判る。セイジはその安らぎを尚引き寄せるように、彼の体を強く抱き締めていた。
 やはり鼓動を聞くことはできない。けれど暖かい。命と言えるものは無いとしても、シンの中には豊かな感情がある。柔らかな髪の中に硬質なスイッチが触れた。けれどシンの頭脳には記憶がある。記憶から呼び起こされた愛情が感じられる。誰よりも大切だと言葉でなく聞かせている。この不思議な感覚。
 不思議な何かに包まれて、漂っていたいと感じずにも居られない。
 その時、セイジの頭の中で声がした。
『偽物は不要』
 そう、根本的な意味ではそうかも知れない。けれど生まれてしまった彼等は、その生存期限を全うするまで、そのままで居ても良いのではないか。
『邪魔になる』
 そんなことは…。
『排除しろ』

ガッ、ガリリッ

「セ…、%&#?、…」
「・・・・・・・・」
 セイジの右手は、緊急停止ボタンの奥に存在する、動力制御ボックスを破壊していた。何故ロボットの内部構造が判ったのかは不明だが。
 シンは後頭部に回復不能の穴を空けて、全く動かなくなった。
 シンは死んだのだ。正確に言えば『裏通りのシン』は死んでしまった。
 セイジに会えたことを精一杯に喜びながら。
「…何故だ…?」
 そしてセイジも止まっていた。突然消えてしまった彼の意識を追おうにも、僅かな余韻さえも、縋り付けるものは何も残らなかった、瞬間的なヒト型ロボットの死。
 誰かの声が次第に強くなって、意識が体の外に弾き出されている内に、自分の手が勝手に動いていた。後ろに下げさせられた意識から、ただそれを見ていることしかできなかった。
 何故殺すのだ。
 優しいだけで力を持たない存在に、抹殺されなければならない理由があるか?。
 遣り切れなくなる。私は自警団の連中が言うハンターではない。しかし私の背後には、姿のないハンターが潜んでいるのかも知れない。IPPOと言う黒幕が。
 もう、こんなことは二度と御免だ…。



 翌日の午前八時半頃だった。
「おいっ、やばいぜっ!!」
 タイガー・バーのドアを乱暴に開け放って、秀は恐ろし気な形相で飛び込んで来た。今先刻この目で確認した光景を仲間達に伝えようと、彼は息巻いてそこに駆け付けたけれど。
 しかし、続けて話そうとしたことを瞬時に飲み込み、ドア口から見た店の風景をただ凝視するしかなかった。
「おはよう秀、どうしたんだい?」
 カウンター越しにはいつものシンが、変わりなくにこやかに朝食の支度をしている。
「何かあったのか?」
 秀のただならぬ声を聞き付けて、奥の部屋から遼も姿を現した。
「い、いや…。朝から脅かしてすまん。後でいいんだ」
 けれど答えた秀のおかしな態度から、「ここでは話せない」との意味を遼は察していた。恐らく今この店に居る、普段と違う顔触れの所為だろうと。
 まだ開店前のカウンター席は、この時間にはいつも遼が朝食を摂っている。或いは自警団のメンバーが会合している、或いは宴会後の二日酔いの朝を迎えている。そして支度と片付けをするシンがいつも彼等の傍に居た。それが日常的なこの店の風景。
 ところが、今朝カウンターの席に居たのはセイジだった。彼は騒ぎにも微動だにせず、カウンターの上に伏せて寝ているようだった。
「おい、あいつ、どーなってんだ?」
 仕方なく話題を変えた秀だが、その疑問も彼には重要なことだった。何故なら昨日の夕方、セイジを『裏通りのシン』の店に案内した後、秀の知らぬ間に彼は出て行ってしまったからだ。監視の目がうっかり弛んだ理由は、シンがセイジをよく知っていて、親し気に彼を迎えていたのを見たからだった。場所が場所だけに、長ければ泊まりと言う線も考えて、気長に待ったのが裏目に出てしまった。
 昨日は一晩中「準備中」の札が下がっていたが、朝を迎えてもそのまま変化がなかった。そして置いていたセキュリティロボットのセンサーは、元々人間の脳波しか感知できない設計だった。死後は変化して行く人体と違い、シン03がいつ破壊されたかは知りようがない。
 勿論手を下したのはセイジだと思っているが。
「ああ、それが昨日の晩、疲れ切った様子で戻って来てな。それっきり殆どあのまんまなんだ」
 遼は特に気になる様子もなくそう説明した。
「疲れ切ってねぇ…」
「それに何だか怯えてるみたいだったよ。何かあったんたんだろうけど、教えてくれないんだ。秀はあれから着いてたんじゃないの?」
 続けてシンもその時の様子を説明してくれた。
「怯えてたって??」
 自分の失敗はともかく、ふたりの説明を聞けば尚混乱する秀だった。
『ハンターが怯えててどうすんだ!?』
 セイジが最も疑わしいのは事実だが、未だ納得し兼ねていたのも確かだ。
 過去に現れたハンターとは全く手口が違っていた。大概は銃で撃たれる筈が、直接何かで頭部を破壊されていた。又ハンターの行動としても不適合だった。彼等は常に身を潜めて行動し、最後まで尻尾を出さないのが通例だった。元々諜報員や工作員を揃えた企業なら、そんな人材には恵まれていて然り。記憶喪失も有り得なければ、大柄で金髪と言う外見的特徴を持ち、町中で一際目立つものでもなかった。
 そして今は、疲労して怯えていると言う現状だ。
 IPPO本部から、彼が出て来たその時から妙だと感じていたが、その周辺に起こる事態もまた不可解だと、秀は些か匙を投げたい気分だった。
「ごはん食べるかい?、君。昨日からお酒しか飲んでないだろ」
 シンの言葉にふとカウンターの方を向くと、変わらず伏せたままだが、セイジが僅かに身動きする様子が見られた。
「…いらない」
 彼は一言返事をしたが、また黙り込んでしまった。
「ずっとあの調子だ」
 遼は言いながらカウンターの端の席に座ると、既に全て用意された朝食のプレートを前に、普段通りの一日を始めようとしていた。否、そう見せていただけかも知れないが。

 秀は一旦店の外に出ると、携帯通信機のアンテナを伸ばして、まず当麻に事情を話してみることにした。尚携帯通信機は携帯電話とは異なる。公共の通信網を使わずに個々で連絡を着けられる為、傍受される可能性が非常に低いものだった。彼等には外部に対して、取り分けIPPOに知られてはならない情報があり、常にそんな活動をしているからだ。
 それは自警団と言う表向きの顔をした、又別の活動だった。
「当麻か?、俺だ。今タイガー・バーの前に居んだけどよ、何か妙なことになってるぜ」
『妙なこと?』
 通信機の感度は非常に良好だった。当麻はここからそう遠くない所に居るらしい。そして少しばかり言い難い部分も含めて、秀は事の経過を順を追って話し始める。任された仕事を貫徹できなかったのは、当麻には申し訳ないばかりだった。
「ああ、それが昨日…、俺ちょっとドジっちまってな、奴を『裏通り』に案内した後、出てったのを確認できなかったんだ。そんで今朝まで待ってたら、やっぱり事件が起こっててよ、急いでタイガー・バーに来てみたら奴が居るじゃねぇか。それで…」
 ところが話を中断するように、
『今朝二時頃だ』
 と当麻は挟んだ。秀には不明の時間帯での成り行きが、既に彼の耳には入っているらしい。
「あ?、聞いてるのか?」
『早朝の内に遼から連絡があった。死人みたいな顔してたってよ。店を閉めようとしたシンが、横の細い路地に竦んでるのを見付けたそうだ。だからもっと前からそこに居たのかも知れん。それから殆ど何も喋らないそうだ。遼は一応安全策を取って、今日はずっとシンに着いてるからな』
 当麻は数時間前に、同様に通信機で受けた情報を簡潔に整理して、秀の現況に繋がるように説明してくれた。
「そうか…、分かった」
 秀は短い返事をしながら、今見たばかりの様子を思い返していた。
 セイジが自ら殺したのか、他の誰かがやったのかは置いておくとして、彼はその事態にショックを受けて、ここで唯一知っているタイガー・バーに戻ったのだ。だが、普通の殺人者なら、疑う人間の集まる店に戻りはしないだろう。遼の判断は賢明だと秀にも理解できた。少なくともセイジの行動が予測不可能な時、彼の傍に居るシンは危険だからだ。
『で、どんな事件だって?』
 改めて新しい情報を問い直す当麻には、
「ああ、死んでた。だが撃たれたんじゃねぇ。何かで頭の一部に穴を空けて、それだけで完全に壊されてたんだ」
 秀は重複を省くように要点だけを答えていた。
『うーん…』
 何故それが重要なのかは、当麻が考え込んだ様子からも窺えるものだ。彼等の知るハンターの手法とは、大きく異なる行動なのは明らかだった。そして秀は更に、自分の考えを付け加えて言った。
「なあ、さっき見た奴の様子じゃ、この後おんなじ事を続けられんのかな?、って感じだったぜ?」
『どうかな』
 しかし当麻はそうは考えていないようだった。
「それに、03は奴のことをよく知ってるし、行ったらえらく喜んでたしよ。記憶喪失が演技じゃねぇなら、好意を持ってるシンを殺すと思うか?」
 尚続けられた秀の話に呼応して、そこで漸く、当麻は仮説的な呟きを漏らす。
『ふーん…。それが狙いなのかも…』
「ん?、何だよ、はっきり言えよ」
 様々な事実が出揃って来たところで、当麻の頭は大分整理が進んで来たらしい。
 IPPOはシン型ロボットを配布する傍ら、ある頃からハンターを寄越して狩っている。そこにセイジと言う無害そうな人物が現れて、シンを探していると話した。警戒していたが結局、ハンターらしからぬ行動でロボットを破壊した。今彼は落ち込んでいる状態だと聞く。
『いや、振り出しに戻っただけさ。やっぱり「セイジ」と言う名前が物を言うんだ。03なら自ら寄って行きそうじゃないか。奴に殺意があろうとなかろうと、行動を起こさせることはできるかも知れない。事実同じ結果を出してるんだからな』
 そう、これまでこの町に、シン・モウリの関係者が現れたことはなかった。
 もしかすれば故意にその記憶だけを残された、とも考えられはしないか?。セイジは記憶に残るシンを必死に探している、シンは会いさえすれば彼に好意を持ってくれる。だからやり易く疑われ難い。それはふたりが元々持っていた記憶を、IPPOが利用している意味ではないのか?。当麻はそんなことを言いたいようだった。
「…そうかも知れねぇ」
 すると、秀もそれには合点が行くと答えていた。彼には暫く接していたセイジが、己の意志で破壊をするとはどうしても考え難かったからだ。彼本人とは関係のない、他の誰かの意志が働き掛けているとすれば、何ら理屈に合わない事はない。或いは…。
『この後、少し落ち着いてから実験してみよう』
 最後にそう言って、当麻は通信機のスイッチを切った。
 疑わしい人物がここに現れて一晩、今日の夕方には丸一日が経つことになる。セイジの存在と、IPPOの狙いの全てが見えた訳ではないが、余計なことを探られる前に、早く見極めを付けて行動しなければならなかった。
 セイジと言う人物が現れた時が鍵だ、と言われていた今だからこそ。
 そしてハンターは排除しなければならない。



つづく





コメント)ああ…、2番はなかなか話が進まなくて辛かった。花粉のせいで頭の回りが悪くなってるのと、セイジがシンを殺す、なんてところはあまり書きたい場面じゃないから、気乗りがしなかったのも確かです。はぁ〜、早く良い展開に進んでくれないかな〜。
あ、今回の小説はそこまで長くならないので、もう数回気合を入れて読んで下さいませ。私ももうちょっと気合で頑張ります。


GO TO 「現の人 3」
BACK TO 先頭