端末ルーム
三界の光
#6
The Strange Trinity



 月基地にて、シンに割り当てられた仕事はまずデータ整理だった。
 航行プログラムのデータチェックと聞いていたが、それ以前にしなければならないことがある。新しい機体の識別ナンバーや種別、新規パイロットの名簿など、ひと所に雑然と積まれたデータディスクを全て、一度予備のコンピューターに移し、ジャンル毎に分けて書き出す下地作業だ。
 作業自体はそこまで長くかかるものではないが、そのデータを月のメインコンピューターに落とす、最終段階までは二日はかかりそうだった。ただでさえつまらない研修なので、せめて早くアストロノーツらしいデータを見たいところだが、とんだ雑用を回されたものだ。
「よう、どうだ、慣れて来たか?」
 その時丁度シンのデスクの横を通り掛かった、月基地のオペレーターが笑いながら言った。
「ああ、アヌビスさん」
「ハハハ、こんなの見るだけでやる気が失せるよな。面倒を押し付けて悪ィな!」
 そしてデータディスクの山をそう形容したが、言わば自分の尻拭いをさせることに、彼は大して申し訳なさそうでもなかった。ただ裏腹に、何処か憎めない愛嬌のある先輩像には、不思議な親しみを感じるシンだった。
 ナアザやシュテンとは違うタイプの彼のイメージは、木星行きで出会ったリョウやシュウと似た心安さがあった。欠点が表に見える人物は、社会的には不利な面もあるが、基本的な人付き合いの点では安心感のある存在だ。
 なので、シンは初対面でも堅くならずに話すことができた。
「はあ、指示通りにできてるかどうか」
「ああそんなに神経質にならなくていい。細かいミスは後で修正できるからな」
「そうですか。良かった…」
 そこでシンの表情が弛んだのを見ると、アヌビスは更に肩を軽くさせるように続けた。
「ま、こんなことはな、ひとつふたつ間違いがあったって平気だから気楽にやれよ。ここのメインコンピューターは、そこらの奴とは出来が違う。自己推論で何が正しいか、何が誤りかを自分で判断するからな」
 自己推論型のメインコンピューター。つまり月基地のコンピューターは自ら考える。
 無論他の場所にも、自己推論型の大型コンピューターが無い訳ではない。だが通常のコンピューターに比べ扱いが面倒で、使い勝手が悪いことも知られている。それはそうだろう、人間の命令を逐一守る機械と、勝手に考え勝手に動作する機械では、使う側の人間の意識も変わる。それは機械と言うより、ひとつの生き物のように扱うことになるからだ。
 しかし何故、航行プログラムのような重要データを、勝手の悪いコンピューターで管理するのだろう?。
 自己推論型は主に学校教育や医療、裁判所などで使われることが多い。時と共に事例が変化して行く物事に対しては、効果的な能力を発揮するからだ。だが航行プログラムなどは、特に複雑な進化をして行くものではない。せいぜい新たな宙域が増えて行くくらいのことだ。シンはその点を疑問に思い、またそれにかこつけてこんな質問をした。
「もしかして元首コンピューター?、ですか?」
 ただひとつ、今のシンが関心を寄せるコンピューター。元首と呼ばれる唯一無二の秩序。そして自分の人生に何らかの関わりがある存在だ。それについて何かヒントを拾えないかと、シンの気持は些か逸っている。するとアヌビスは、
「その一部だ」
 と、正にシンの望むことを答えてくれた。それだけでなく、
「つまりな、人には人の脳味噌は作れないが、元首は特殊な成功例なんだ」
 新たに奇妙な印象を教えてくれた。
「え…、元首は人が作ったものじゃないってことですか?」
 アヌビスの話し振りからは、シンがそう受け取るのも仕方ない。無論、機械自体やシステムは誰かが作ったに決まっているが、アヌビスはその動作のことを言っているようだ。
 そして彼は更に興味深い話を続けた。
「いや、基礎を設計したのは初代の元首らしい。だがその死後、彼の脳を培養しコンピュータに直結して、その後コンピューターが自ら自己改良、自己増殖してったって言うんだけどな。こんな話信じられるか?」
 信じられるかと言われれば、信じられない顔をしてシンは答える。
「…さぁ、ねぇ…」
 現状生きた体と機械を結ぶような研究は、成功例を聞いたことがない。例え指一本にしても、生体の神経と電線を繋げられるとは考え難い。完全な人工神経の開発や、脳神経の移植なども行われていない。或いは脳だけを生かしておく方法も不明だ。単に医学として見ても疑問が多い話なのに、と、アヌビスも同意する言葉を連ねた。
「俺も鵜呑みにはできないと思う、都市伝説の類だろ。機密事項だから末端の人間に真実は判らん」
「脳をコンピューターに直結なんて、できるんですか?」
「聞いたこともないね。不完全だが、人の記憶を他に移すくらいならできるとしても」
 どうもふたりの間では、この話は眉唾物と言う結論に達しそうだった。夢のあるなしはともかく、現在の科学力では不可能に感じられた。
「バイオコンピューターもありますけど…」
「素材がバイオってだけで、機械は機械だ。人の思考に置き換えられる訳じゃない」
 情報科学の専門家ではない、シンの想像は次々打ち消されて行く。一応ここの主任オペレーターであるアヌビスは、シンよりはもう少し仕組を理解しているようだが、その上で彼はこう結論した。
「だが、元首は確かに生きている。と、感じさせるコンピューターなのさ」
 どれ程緻密に設計しようと、如何なる素材を集めようと、機械は人の脳と同じようには働かない。何故なら機械の脳には心が存在しないからだ。否、本来機械には心など邪魔な概念だ。無意味な執着や余計な情は持たぬからこそ、正確な情報源として認められている。だがそんな非情な物体が世界の指導者では、いつか破綻すると誰もが予想できるだろう。人には必ず心があり、誰もが心ある世界を望んでいるからだ。
 では元首の脳は世界の為に生き続けているのか?。
 そもそもシンは、元首コンピューターの『元首』とは名目だけで、それを扱う大臣達が世界を指導していると考えていた。シンだけではない、この地球を祖とした世界では、それが常識的見解だと何処でも教えられている。まさかコンピューターそのものが、人のように世界を率いているとは受け入れ難い話だろう。
 それでも、敢えて元首は「生きている」とアヌビスは言った。元首に触れて来た人がそう言うのだから、それは疑いのない感覚かも知れない。そして本当に生きているとしたら、
「じゃあ元首コンピューターって…、何だかわからない存在なんだ…」
 と、シンは深い溜息を吐いた。思っていたよりこれは深く難解な問題だと、話をする内に充分把握できていた。付け焼き刃の知識ではとてもじゃないが、その存在を解明できそうもないと。
 だがそんなシンに、アヌビスはもうひとつ興味深い情報を教えてくれた。
「月から0方向に真直ぐ行った所に、『ポリヴ』ってポケット空間があるんだが、元首の脳はそこで今も活動し続けてるって話なんだ。そのポリヴを見学でもさせてくれりゃ、信憑性を疑うこともないんだが、今のところ夢みたいな話だな」
「ですねぇ…」
 そこには恐らく元首コンピューターのコアもある。三百年前に設計された神憑かり的なそれが、一体どんな物かと言う好奇心は、携わる人間なら当然あるだろうが、
「それとも、培養した脳が何かの理由で飛躍したのか、コンピューターの自己改良が進んで、不可能を可能にしたとかな…」
 今のところ、否、選ばれた者以外は永遠に、想像で補うしかないとアヌビスはボヤいていた。そう、ごく僅かな人間しか知らないことだと、年の近いセイジが話したことをシンは思い出す。確かそれは、元首がクローンを認めていると言う話だったが…
 するとその時不意に、
「アヌビス!、ちょっとこっち…」
 離れたブロックの机に座る、アヌビスと同等のオペレーターが彼を呼んだ。その声にハッと我に返ると、
「あっ!、いっけね、忘れてたぜ」
 彼は慌ててシンの傍を飛び退く。研修生と同様に、彼も何らかの作業途中だったようで、シンにはちょっと声を掛けるつもりが、思いの外長話になってしまったと頭を掻いた。呼んだ職員の渋い顔を見ると、どうもそれは常習的な行動らしい。
 なので悔やむ様子もなく、寧ろ自ら楽しんで話したと伝えるように、
「それじゃーな、頑張れよ〜」
 アヌビスは他意のない笑顔でその場を離れて行った。
『面白い人…』
 卒なく仕事をこなすイメージの管制官にしては、多少無責任に感じる人物。
 だがそんな彼のお陰でシンは、謎多き元首コンピューターに少し近付けた気がした。それなりに盛り上がっていた話が、中断したのは残念だが、この月基地に来て良かったと早くも思い始めていた。予め決まった運命であろうが、関心の向く方に導かれるなら感謝しなくもない。偶然声を掛けてくれた人物が、気さくに話せるタイプの人で良かったと、シンは仕事に戻りながら思うばかりだった。
 何故なら、求める答は恐らく元首の中にある。

 それから暫く立つと、十五分ほどの休憩時間があった。同フロアで画面に向かっていた人員が、一斉に席を立ち、まちまちな方向に散じて行った。
 ところでフロアと言ってもそう広くはない。月基地は予想通りコンパクトな施設で、学校の体育館よりひと回り小さい程度のスペースに、通信用の大型機器が詰め込まれ、その隙間に職員がいると言う印象だ。中央のコンピューターと壁際の機器の間に、所々広く空いたスペースがあり、その最も広い所にシンとナアザは通されていたけれど。
 作業もつまらなければ、背の高い機械に囲まれ気分も窮屈だと、ナアザは再び愚痴を漏らしていた。
「データ整理でも何でもいいが、もう少し環境のいい場所にしてくれよ…」
 すると、またそこを通り掛かったアヌビスが、
「まあまあ、お前らはそれなりに優秀だから、ここに派遣されたんだろ」
 と、嘘か真か疑わしいが、多少慰めになる言葉を掛けていた。シンの方はともかく、ナアザから見てもこのアヌビスの言動は、何処か適当さを感じさせるようだ。なので、
「そう言える根拠は?」
 ナアザは頬杖をついていた顔を上げ、鋭くそう言い返していた。単なる煽てや持ち上げなら寧ろ不愉快だ、と彼は言いたげだ。ところがアヌビスは、研修生のふたりをある程度納得させてくれる。
「肉体労働に回されるのは、頭が足らないってことさ。ここは国家の中枢に関わる重要機関だからな」
 確かにそう言える面はあるかも知れない。研修生のデータ整理は別として、実際のオペレーター業務は、太陽系内外を航行する全ての船を管制する、重要な役目を日々果たしている。地球上の航空管制と同じで、勝手に飛び回られては発着所の渋滞や衝突も起こる。また、禁止品目の密輸入などにも目を光らせている。
 そんな、彼等の大事な仕事に触れさせてもらえる立場は、成程、自分達がそこそこ使える人材との判断かも知れない。否、シンにはまた別の理由も考えられたが、今は考えずにおくことにした。
 けれどナアザは、それなりに納得しながらも、アヌビスには一言嫌味を言った。
「その割に、貴様のようなぐうたら職員も居るんだな」
 相手を見て、何を言おうと冗談で済むだろうと、ナアザもまた彼には気安さを感じ取ったたようだ。
「悪かったな!。って、まあその通り重要機関ではあるが、することは大して複雑じゃないんだ。暇でしょうがないから、研修生を受け入れて遊んでる訳だ」
「それホントかよ?」
「ハハハハ」
 さすがに上層部は、そこまでいい加減な任命はしないだろう。ただ、アヌビスがそう笑っていられるのを見ると、確かにここは、常に緊張で張り詰めたような職場ではないようだと、研修生達は素直に思った。元首コンピューターには、重要な機密事項が数々秘められている筈で、それを思うと、もっと堅苦しい雰囲気の基地でも良さそうなものだが。
 などと、彼等が談笑しているとシンの横目に、フロアを出たり入ったり、ウロウロしている者の姿が映る。まだ若い、自分達と変わらないような年令の青年だ。
 何をしているのだろう?、と思うと、彼は外の廊下に居る誰かと話している。元首コンピューターの話をしている、と、シンは耳をそば立てた。その横で何故かアヌビスも、廊下での会話を注意深く聞いていた。
 そして、その青年がもう一度フロアに入って来た時、
「ここの端末ルームからならできるぞ?、外部のコンピューターは受け付けないが」
 と、アヌビスは助言していた。すると表情は見えなくとも、青年は嬉々とした声で喜びながら、
「そうなんですか!、じゃあキーもらって来ます!」
 そう言って走るように何処かへ行ってしまった。
 適当なようで案外、若輩者の面倒をよく見てくれそうな人物だと、アヌビスに対するイメージも良くなっていたが、今ナアザとシンが気にしているのは、走り去った青年の方だ。どう見てもこの場に不慣れな若者が、自分らの他に居るとは聞いていなかった。
「あいつ、研修生か?」
 とナアザが尋ねる。他の研修生はいないとシュテン教官は話したが、余所のチームが既に来ていたのだろうか?。しかしアヌビスはそれにも笑いながら返した。
「いや新人のオペレーターだ。一昨日来たばっかりだから、まあ研修中みたいなもんだ」
 言われてみれば、他の業務を志望するついでではなく、最初からオペレーターを志望する新人もいる訳で。愚問だったとナアザも腑に落ちたようだった。誰がどのような夢を掲げて生きているかなど、端からは判らないのだから。
 ただ、その新人オペレーターは明らかに、元首に関心を寄せているようだった。ナアザに代わってシンが、
「個人的に端末を使ってもいいんですか?」
 と、アヌビスに質問を続ける。もし研修生でも触れられると言うなら、是非この目で確認したいと、シンは心の中に珍しく強い意欲を感じていた。今は怖れを越え、真実を知りたい意識が頭を支配している。このまま前進しなくては駄目だと、内なる何かが警告しているようだった。
 己を知らなければ、他人の為に誠実に生きることもできないだろう。
 そんな思いで尋ねたシンには、アヌビスの返事は正に朗報だった。
「元首の情報は機密ばかりじゃない、誰でもキーを借りれば、データの引き出しは自由なんだ。大規模な百科事典ってところさ」
 百科事典と言われると、そのイメージは充分に掴み易くなった。つまりあらゆる分野のあらゆる情報が、分類され詰め込まれている巨大データバンク。それが元首コンピューターの一面なのだろう。それだけなら単なる機械の範疇だけれど。
「へぇ、そうなんですか…」
 シンは、逸る気持を押さえながら平静に返したが、ナアザはそれとは反対に、
「こんだけやらされて、まだ他のをいじろうって気が知れねぇよ」
 うんざりした様子でそう言った。全く人の思いはそれぞれだが、コンピューターの持つ特徴もそれぞれだ。シンは全ての元凶と思える、元首に近付ける機会を誘導と知りながらも、魅力的に映る彼から目を逸らせないでいた。



 地球時間の午後七時を迎えると、研修生は宿舎で夕食を摂り、その後は就寝まで自由時間となる。月での研修初日の夜、シンは月基地の管理局でキーを借り、地下にある端末ルームの入口に立っていた。
 恐らく元首の中には、長く疑問に思って来た移民の歴史の詳細から、例外的なクローンのことまで全ての答があるだろう。これまでの不可思議な出来事全てに、理由や裏付けが見出せる筈だ。そう意識すると、期待と共に俄な緊張感も感じられた。単なる民間人の分際で、世界の秘密を知ることが許されるだろうか?。暴いてしまうことが正しいだろうか?。否、自分にそんな興味を抱かせたのはそもそも元首だ…
 シンは意を決すると、端末ルームのガラスのドアを開き、おずおずとその中へ足を踏み入れた。
 そのフロアはほぼ円のような形をしていて、その中心に月基地のメインコンピューター、それを囲むように十六台の端末が並んでいた。それが地下三層、合計四十八台あるようだ。メインコンピューターは二十二階の管制室まで高く聳え、筒状のアクリルガラスで周囲と遮断されていた。
『これが元首コンピューター、の一部か』
 シンはそれを見上げ、気の遠くなりそうな回路やケーブルの集積物を、暫し感慨深く眺めていた。これが一部だと言うのだから、本体はさぞかし複雑怪奇で巨大な物体だろう。生きていると言われれば、何となく納得してしまうくらいの存在感かも知れない。これまでコンピューターにはあまり関心のなかったシンだが、元首は確かに面白いと感じていた。
 その時端末ルームには二十名程の人間が居た。平日のこの時間は一般解放時間の為、月基地の職員は見当たらない代わりに、近場で働く労働者や研究者が集まっていた。皆それぞれの関心事、或いは業務に必要な情報を熱心に閲覧し、思い思いに過ごしている様子だった。
 その、意外にリラックスした雰囲気に触れると、シンも安心して空いている端末に向かうことが出来た。そう、アヌビスが言ったように、元首の情報は機密ばかりではない。単なる遊びの調べものでやって来た趣味人さえ、この時間は普通に紛れている筈だ。
 さて、端末の操作については一通り説明を受けたシンだが、実物に向かってみると多少戸惑った。まず渡されたキーの差し込み口が判らない。それらしきものを見付けようと、シンが端末を凝視して立っていると、
「モウリ君」
 そこへ丁度、自身の作業を終えたシュテン教官が通り掛かった。そして、
「君は機械類に興味があるのか。昨日はロボットの話をしていたが」
 と話し掛けた。その内容はお門違いだったが、困っている現場に顔見知りが現れたのは幸いだ。
「いえ、機械はあまり知らないんですが、『元首』に興味があって」
「おや、歴史に関心がある口かな?。私も好きなんだが、」
 するとシュテンは、答えたシンが何やら覚束ない様子なのを見て、
「操作の仕方は解るか?、教えてやろう」
 すぐにそう申し出てくれた。小さなことだが、シンにはそれなりの幸運も着いて回っているようだ。シュテンは彼からキーを預かると、慣れた動作で端末の右側面を探り、そこにキーを差して半回転させた。
「まずキーを入れる、それからこのパネルに左手を置くんだ」
 キーを回した瞬間から、端末上の画面と各種ランプが点灯し、シュテンの示した左側の手形認証パネルは、白く淡い光を放ち始める。その上に、まず例として自分の手を乗せたシュテンは、
「これで操作する人間の識別を行い、自動的にこの人にはこのランクまでの情報を、と判断される。犯罪者などは機械が作動しないようになっているんだ」
 と説明した。今現在そうした認証システムは当たり前の機能で、銀行のキャッシュディスペンサーから、家の鍵、自動車の鍵まで何らかの認証システムが付いている。なので今更説明するまでもないことだったが、数十秒ほど時間がかかる間の繋ぎの話題だ。
 そしてその行程が終わると、
「さてそれでは…、君の聞きたいことをどうぞ?」
 シュテンはシンに顔を向けてそう言った。そこまで、操作手順を目で追うばかりだったシンは、突然の質問に、丁度良い適当な返事が思い付けなかった。まさかいきなり、「クローン法」などと言う単語を出す訳にも行かない。
「え、えーと…」
 こんな展開は予想しなかった。何か差し障りない話題はないだろうか?、と、焦りながらシンが考えていると、彼の何らかの都合を感じ取ったのか、シュテンは気転を利かせ、
「じゃあ、私が今どれだけの情報を引き出せるか調べてみよう」
 と切り替えていた。
 まあ確かに、調べものを人に知られたくない場面は、通常誰にでも訪れると思う。法に触れるような疾しい情報でなくとも、例えば自身の病気について調べる、家族や恋人に関する何かを調べるなど、極めてプライベートな物事は、あまり人に知られたくないだろう。
 シュテンは恐らくそんなことを考え、シンの興味を追及せずにいてくれた。教官のこうした気遣いは、今は本当に有難いものだった。
「地球本部第二操縦課、第八隊長補シュテン一尉、がアクセスできる情報のランクを表示…」
 シュテンは自身のプロフィールを読み上げながら、画面に上がって来た操作パネルに、次々と手順通りの指示を与える。そして『Wait Please』の文字が、十数秒点滅した後の画面に、彼の求めたデータが引き出されて来た。
 ただ、待たされた割にその結果は、シンに取って残念なものだった。
「宙航技術はランクB、操縦技術、宙域資料もランクB、危険物取扱法、外部病原体資料、云々…はランクAだな、機体製造技術、惑星改造技術、ニューアグリ技術?、とか、専門外のものは大体Aだ。一般学術、法律類はランクなしと」
 画面に羅列された言葉をスクロールしながら、読み上げて行くシュテンの面白そうな様子は、彼もまたこのデータを初めて見たと言う、ちょっとした事実をシンに見せていた。このデータはその人が、惑星連合にどれほど有用な人物かを表す、一種の成績表のようなものかも知れない。そう思うと、今の自分が引き出せる情報など僅かだと、シンはがっかりしてしまう。
「ランクっていくつあるんですか?」
 と、一応尋ねてみると、
「一般的にはAとBの二段階だ。微妙な政治的問題や、危険を伴う専門分野だと、AからCの三段階のものもある」
 とのことだった。シュテン教官でさえCの文字は出ていないのだから、重大な機密事項など、自分に見られる訳がないとシンは考える。一パイロットと言う立場は社会的に見て、そこまで重要な存在ではないのだ。ひとり死亡しても代わりはいくらでも居る。けれど。
 それでも自分は元首の干渉を受けている。その理由が増々掴めなくなった。
「それと、私はお目にかかったことはないが、Sと言うランクが出ることもあるらしい」
 シュテンは続けてそんな話もしてくれた。
「何か難しいことの研究者とか?」
「あとは大臣や官僚だろうな。連合政府の重要ポストなら、色々目を配る必要もあるだろう」
 成程、年の近いセイジが、自分より博識なのは当たり前だったんだと、シンはそれを聞いて納得した。また情報的特権のある職業だからこそ、自分の行動に先回りできるのだとも。
 ここに至り、自分が大した情報を拾えない事実は残念だが、そんな世界の仕組みが見えただけ、触れに来た甲斐があったとシンは思う。元首は絶対だと、前に聞いたように、世界は正に元首コンピューターと共に在る。それが弾き出す答を最優先に尊重し、世界の調和が保たれている。人知れず、全ての人間のバックボーンとして活動し続けている…
 しかしそれは本当に必要なのだろうか?。
 元首コンピューターがないと、世界が崩壊するとでも言うのだろうか?。
 人間はつい三百年前まで、元首コンピューターなどない世界に生きて来た筈だ。
「じゃあ、後は好きなように使ってくれ」
 一頻り、呼び出したデータを眺めると、シュテンはそれを閉じてキーを抜いた。
「はい、ありがとうございました」
 シンはそうお礼を言ったが、去って行く教官の背中を見ながら、最早変わってしまった目的意識を噛み締める。コンピューターの、内包する各種データなどどうでもいい。元首そのものを知る手立ては他にないものか。誰かその方法を知らないかと。
 何故僕らは元首を必要としている?。何故僕は元首に監視されている?。
 とりあえず今は軽い落胆の内に、シンは宿舎に戻ることにした。



 けれど、やはり気になる。
 最初に端末ルームを訪れた日から五日後、シンは再びそこへやって来た。もうあと二日もしない内に、この月基地ともお別れだと思うと、折角だからやはり、一度自分で元首に触れてみようと思い直した。正式なパイロットとなった暁には、仕事でここに立ち寄る機会もあるだろうが、それがいつになるかは解らない。ならば大した情報は引き出せなくとも、今できる範囲で元首の何たるかを探ってみよう、と彼は考えた。
 その日は土曜日で、一般への端末の解放はされていなかった。夕食を終えた後、借りたキーを手にシンがドアを開けると、三層ある端末ルームの何処にも人が見当たらなかった。
 自分の他には誰も居ない、まるで貸し切り状態だ。静まり返った部屋にポツンと居るのは、少々淋しくも感じるが、返せば周囲を気にせず、納得するまで充分な時間を費やせそうだった。シンはやや落ち着かない気持を胸に、適当な端末の前へと歩き出した。
 前の時はシュテン教官の立場で、引き出し可能なデータリストを閲覧できた。彼と自分にはどれだけの格差があるだろうか?。前回の機会を多少惜しみつつシンは、習った通り端末の側面にキーを入れる。そして白く発光するパネルに左手を乗せた後、前にシュテンがしたのと同じように、自分が今引き出せるデータのリストを呼び出すボタンに触れた。
 画面上に『Wait Please』の文字が点滅する。
 さて、まず何から調べてみようかと、待つ間シンはその順序などを考えていたが、何故か前回より待ち時間が長い気がする。現在「研修生」と言う中途半端な肩書きのせいか、処理に時間が掛かっているようだ。否、世界を一手に管理する元首コンピューターが、そんな疎い反応を見せるだろうか?。
 もし何らかの判断を迷っているとしたら、少なくとも犯罪者扱いはされない筈だが、シンには徐々に不安な気持が増して来る。
 自分に関わりのある元首だからこそ、自分をどう扱うかも自由に選択できる筈だ。ともすれば、自分のアクセスは全てブロックされるかも知れない。或いは嫌な情報を押し付けて来るかも知れない。そんな場合、今後コンピューターと言うものを信用できなくなるかも知れない。そうなればパイロット業務などできなくなる、と、シンは自らの思考に追い詰められている。
 けれど、三十秒ほど経過した後、求めるデータリストは問題なく上がって来た。
 その瞬間ホッと溜息を吐いたシン。下手な想像が杞憂に済んで良かったと、一時強張った体の力も抜けた。だが、各データの見出しを確認し始めると、彼の目は自ずと瞬きを忘れた。
「…惑星移民条例特例、連合議会密約、連合元首資料、惑星改造技術、生体工学技術…、ランクS!」
『学者や大臣って言ったのに、何で…?』
 自分の操作で何故Sの項目が出たのか、思考の止まったシンの唇が震え出す。他をざっとスクロールしてみても、殆どがCかSの高度な情報ばかりなのだ。こんなことなら始めから自分で操作すれば良かった、などと呑気に喜べる事態ではない。
『生体工学なんて知らない…、惑星改造だって…』
 専門外の技術情報、惑星連合の機密的情報、それらが何故要人でも何でもない自分に提供される?。それともこれらを覗くことによって、自分をより深みに嵌めるつもりか?。
 シンはこの異常さを怖れ、端末から一歩身を引いてしまった。元首の誘導任せに閲覧を続けていいものかどうか。しかし、確かに呼び出されたデータには、シンの興味を惹く項目が犇めき合っていた。恐らくそれらのページを開けば、自分の知りたいことはほぼ全て解るだろう、と予想もついた。
 シンは迷い、怖れ、悩みながらも、既に血の気の引いた指を画面のタッチパネルへと伸ばす。取り敢えず最初はそこまで重要そうではない、見ても後悔しないであろう情報を探し、「連合元首資料」のデータを呼び出してみることにした。何故ならこのコンピューターのことも、惑星移民を始めた指導者のことも知りたかった。
 そして、切り替わった情報画面を読み始めれば、再びシンに戦慄が走った。
「伊達征士…、AD26730609生まれ…、三百年前の日付だ…。三百年なら大体、惑星改造が始まった頃だから、指揮を取ってたのはこの人でいいんだ…」
 資料写真のその姿は、紛れもなく「自分はクローンだ」と言った彼だった。ただ似ているのではない、遺伝的に同一であることが判るその容姿は、年の近いセイジの話が嘘でないことを証明していた。そう、彼は世界中の情報を掌握できると言っていた…。
 ほんのひと月前までシンは、脳だけであれ何であれ、生きた元首が存在するとも知らなかった。無論クローン人間が元首だなどと、知る者はごく僅かに限られるだろう。だがその特例の意味について、今のシンはある程度想像することもできた。
 人口増加に悩む地球の急務だった移民計画。その前代未聞で困難な事業を成し遂げ、以降も問題なく存続させる為に、元首を生かし続ける必要があったのだろう。理由は判らない。何に必要なのかは判らないが、年の近いセイジも、せっちゃんも、この世界を維持する為に作られたクローンなのだ。それは間違いないとシンには思えた。
 しかし、この伊達征士と言う人物は、それほどまで優れたカリスマ的存在だったのだろうか。少なくとも自分が出会ったセイジ・ダテは、天才的頭脳の持ち主でもなければ、完全な人格者とも思えなかった。もし初代がカリスマだったとしても、クローンは全く同じ人間ではない。育つ時代や環境が違えば自ずと性質も変わって来る。それはもう伊達征士とは言えないだろう。
 なのに何故?。
 そもそも初代元首は大きな失敗を犯している。移民計画は成功させたものの、地球人と移民の間に種の壁が生まれてしまった。亜人間を生み出す結果になることを、予想できなかったのか、予想しながら強行したのか、ともかくそんな不注意な人物が、何故三百年後の今まで支持されているのか解らない。何故彼は、元首は批難されなかったのだろう?。甘んじて許されるほどに、人口増加が深刻な問題だったのだろうか?。
 一体何故?。
 と、データを見詰め考え込むシンの視界に、ふと人影が映る。
「何か判ったか?」
 いつ入って来たのか、涼しい顔で彼の横に立っていたのはセイジだ。夢中で考えに浸っていたシンに、その気配が感じられなかったとしても無理はない。だがシンは今、特に驚くことなく相手を見ることができた。丁度彼のことを考えていたのだ。頭の中を掛け巡る様々な情報の、中心に居座る元首と言う謎の人物。それに最も近いセイジがここに現れたのは、偶然なんかじゃないと既にシンにも理解できていた。
 前回は逃げてしまったが、今日は全て話を聞こう。
 と、ひた向きな意志を固めたシンに対し、セイジはまず挨拶代わりのような話を始めた。
「元首はいつも見ている、そこかしこの機械を通して」
「君は、連合元首のクローンだったのか」
「そうだ。私はこの世界の元首でも、惑星開発庁の事務次官補佐でもある」
 セイジの口から語られることは、以前はただ非現実的で怪しく感じられたが、今は割にすんなり耳に入って来ることを、シンは不思議に思いながら聞いていた。それは周囲に急激な変化の起こる中、彼が努めて多くを消化して来た結果なのだろう。下地となる知識がひと月前とは格段に違う。進んでそうなろうとした訳ではないが、心の落ち着きを取り戻せたなら、悪くない変化だとシンは自らを評価できた。
 そして冷静に目下の関心事を話題にもできた。
「じゃあ、コンピューターに脳が直結してるって話は嘘なんだ…」
 アヌビスが話していた、元首コンピューターの奇怪な逸話は、やはり彼の想像通り都市伝説なのだろうか?。別段、それならそれで構わないことだが、誤った情報が伝達されている現状を元首は、放置していいと判断しているのだろうか?。それも解らない話だった。
 ところが、
「フフ、それで納得してもらうしかないな」
 と、セイジは珍しく笑って返す。それを見て、根も葉もない噂を故意に放置していると知ると、シンは元首が、全人類に何らかの隠し事をしている事実を見出せた。
「おかしいよ…!」
 シンは思わず呟いた。全ての惑星市民が信頼を寄せる元首コンピューター。それがある面では市民を裏切っている。都合良く管理されている。市民の殆どが何も知らずに騙されている。そんな状態で何故か調和が保たれているのだ。
 有識者の中には疑問を提唱する者もいる筈だ。何故彼等は革命的な言動を見せない?。現状の世界が平和なら、わざわざ不穏な種を穿り出そうとはしないものだが、それでも、不明瞭な土台の上に生活する現状を、彼等は気持悪く感じないのだろうか?。
 神などではない、一人物のクローンが連綿と監視を続ける世界に、何故誰も逆らおうとしないのだろう?。
「クローンは同じ環境で育っても、同じ性格にはならないって知られてる。それがどうして?。こんな時代に世襲政治か?、君はこの世界の支配者なのか?。何で元首が特定人物でなきゃならないんだ?」
 シンは自身の持つ疑問をそう投げ掛ける。するとやや間を置いてセイジも、
「確かに、君の疑問は妥当だと思う」
 シンに同調するように答えた。つまりそれはシンでなくても、誰もが思うことだと認める返事だった。ならばその理由は?、と、今はただ明確な答を求める姿勢を見せるシン。だがその前に、セイジは彼にひとつの提案を示した。
「他の情報にアクセスしてみたらどうだ?、クローン法の特例とか」
 はぐらかされた?、と一度は思ったが、確かにクローンの話をしていたとシンは思い直す。セイジがそう誘導するのは、そこに何らかのヒントがあると言う意味だろう。指示に従うことには抵抗があるが、ここは深く考えず、そのデータを見てみるべきかも知れない。シンは沸き立つ不信感をどうにか押さえ、再び元首の情報を引き出しに掛かる。
 クローン法の特例は、スクロールされる項目のかなり下位の方で見付けられた。無論ランクSのデータだ。その文字列に手を触れると画面が切り替わり、「該当人物二名登録」と出て来た。
 二名、と言うことは、セイジの他にもうひとりクローンが存在してるようだ。或いは伊達征士をクローニングする為に、卵の提供者か何か、もうひとりが必要なのかも知れないとシンは考える。そしてその画面を送ると今度は、先程見た連合元首資料と似たような、伊達征士のプロフィールが現れた。
 但しその左上に枠で囲まれた、登録ナンバーが「1」と出ている。では二番は誰だろう、と、シンが画面をスクロールして行くと…
 思い掛けずそこには、自分の顔が現れた。
「…僕が、クローン…?。…何で…?」
 登録ナンバー2、毛利伸、の下には、AD26730314生まれとあった。初代元首が生まれた日付と、半年も違わない生年月日だった。
 正に想定外の事実を目の当たりにし、シンは言葉を無くしている。そしてセイジは、
「教えてあげよう」
 事の経緯を静かに語り出した。



つづく





コメント)話が佳境に入って参りましたが、今回の分、本当はカットをアヌビスにしたかった。しかし他のページでシュテンを描けなかったので、多く出て来る方を優先した次第。
元の小説は章毎に、二点ずつカットを入れていたので、好きな場面のイメージを充分伝えられたんですけどねー。まあしょうがない。むしろこのリメイクは、挿絵で誤魔化した部分をちゃんと文章にしてるので、カットなんかなくても別に構わないけどね(^ ^;



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