トウマV2
三界の光
#5
The Strange Trinity



 寝ている間に見る夢は、現実に見聞きしたことの歪な残像だと言う。
 ならば、ここ最近に起こった異常事態が、異常な夢を見せている可能性もあるだろう。どれが現実でどれが夢なのか混乱している。区別できない、区別したくない、何も考えたくない。できることなら全てが夢であってほしい、と、シンは追い立てられるように眠りに就いた。
 馴染んだ枕とシーツの香り、変わらない自分のベッドに変わらない部屋の様子。父の写真のフレームさえ、一ミリも傾いた形跡はない。今夜は風の音さえ聞こえない穏やかな夜だ。つまり本来なら、最も良い状態で眠れる条件が揃っていると言うのに。考えたくないと念じつつも、伸の頭には次々と映像や言葉が浮かんで止まなかった。
 どうしようもなかった。身近な人の死や事故は、それだけで人に深い傷とストレスを与える。彼はただ身の回りに起こる事件の、理由や目的を知りたかっただけだ。それが今や、何らかの国家機密に触れる身となり、禁断の領域へと引き込まれているようだ。そんなことに関わりたくなかったと、只管な恐怖や不安ばかりが、彼の心を占めてしまうのはどうしようもなかった。
 徴兵のような強制的事情ならまだ、目的が明白なだけ不快さは少なかったかも知れない。だが今のシンは何をどうするとも知らず、何の指示もなく戦場に取り残された状況だ。情報的孤立が恐れを引き出し、選択肢の不明さが苦痛を生み出す。視界が全て霧深い森に阻まれたように、何も見い出せない。
 だから早く眠りたい。
 隣に越して来たセイジはクローンで、他に出会った子供達も皆クローンだと言った。そして自分のこと、シン・モウリと言う何でもない民間人の情報と、同時に世界中の情報を入手できる立場だと言った。隣のセイジは元首の命令を受けて生きている。元首コンピューターの命令は絶対だと言った。せっちゃんのことを忘れろと言った。そして自分はその代わりだとも言った。好きでそうなった訳ではないとも…。
 訳が判らない。逃げずに最後まで聞けば謎は解けたのだろうか?。そして自分自身の謎も解けたのか?。謎が解けたら今まで通り平和に暮らせるのか?。否、とてもそうは思えない。
 何故連合元首が直接自分に関わって来るんだろう?。元首はクローンを作って何をしようとしている?。何故「セイジ」と言う名の人物が複数必要なんだ?。そして何故自分の傍に居なければならない?。そもそもセイジ達は誰のクローンだ?。それを何故自分が知らなければならない?。何故急に、それらを理解しろと迫られなければならないんだ…!。
 固く閉じた瞼の内側に、シンは怒りと苦悩の入り混じる夢を見る。こんな時は眠ったのか眠らないのか、あまり寝覚めの良い朝を迎えられないものだが、ともかく今は、ベッドに横たわってさえいれば、それ以上恐ろし気な出来事が進展せずに済む。それが今はささやかな救いとなっていた。
 ささやかな救い。ささやかな抵抗。
 そして言葉通りそれはほんの一時、シンに息を吐く暇を与えただけだけで、事態はより彼を窮地に追い込むこととなる。



「おはよう…」
 翌朝、普段より遅い目覚めの後、シンは覚束ない足取りで家の階段を降りて来た。寝不足のせいか瞼に違和感がある、頭は霞が掛かったようにボーっとしている。故にその時彼は、階下で何かが進行していることに気付かなかった。
 特に変わった音や声、物々しい様子は感じられなかった。普段とそう変わらない家の中の雰囲気をシンが、この冴えない状況で気にする筈もない。だが、階段を下りていつものように、まず水を飲もうとダイニングに向かうと、
「!、だ、誰?」
 シンはそこで急激に目覚める。乱された様子もないダイニングルームの、ドアの横には見知らぬ青年が立っていた。
 否、普段なら単なる来客、或いは工事や修理に来た業者と考えるところだ。家の中で穏やかにしている人物をいきなり、泥棒や異常者と疑う者はあまり居ない。だがその時のシンには、瞬時に感じ取れる何かがあったようだ。この青年は普通の人間とは違うと。
 すると、彼はシンの方にその長身の体を翻し、意外に友好的な様子でこう言った。
「やあ、シン・モウリ君。俺は『トウマV2』と言う」
「え…?」
 名称から推察するに、どうもロボットらしい。恐らく「トウマ」と言うロボットのバージョン2だ。などと当惑しながらシンは、取り敢えず当たり前の質問をする。
「何してるんだ、人の家で?」
 シンにはこの手のヒト型ロボットが、自分の家を訪ねる理由を思い付けない。所謂作業用ロボットならともかく、少なくとも自身が知る過去に、人と区別できない外見の、服を着たロボットが尋ねて来たことはなかった。
 大体そんなロボットは、現状町をうろつくような存在ではない。特定の場所の案内や受付をしたり、不自由な人の介護をしたり、しばしば如何わしい場所の働き手だったりする。そして、多くの複雑な行動パターンを組み込む彼等でも、その程度の仕事をするのが限界と言われている。しかもそれが、「俺は」などと砕けた一人称で話すのは、常識破りと言わざるを得なかった。
 そしてトウマと名乗った彼は、その印象通りシンには理解し難い話を始めた。
「用済みになったロボットを回収しに来たんだ」
「用済みのロボット?」
 理解はし難いが、相手が割に普通の仕事のような用件を話すので、シンの口からはふと溜息が漏れる。理由は解らないが回収業者にも、ロボット社員を置いている所があるのだろう。何処かの研究所から、実験機を依託されているのかも知れないと、考えていると少しばかり緊張が解れた。
 その後シンはそれとなく部屋を見回し、
「多分…、そんな古くて調子悪いロボットなんかないと思うけど」
 と答える。母や姉はそんなことを訴えていただろうか?。家庭用の作業ロボットが壊れて困っていると?。或いは新しいものに買い替えようと?。否、一ヶ月前も今も聞いた憶えがなかった。
 ところがその時、真直ぐにシンを見ているトウマが、妙に人間臭く顔を歪ませて言った。
「済まない」
 その表情は正に謝罪の意を感じさせていた。
 シンは再び怖れ戦く。ロボットがこんな表情をするのか?、と言う恐ろしさと共に、自分に何かまた嫌なことが起きると知れた。そうでなければ謝られる筈もない。
 逆に顔が強張って行くシンに対し、トウマは、正に恐ろしい宣告をするばかりだった。
「君にはこれまで秘密にしていたんだ。君の母親と姉妹はもう、ずっと前に亡くなっていてね」
「…え…?」
「君の父上のたっての希望で、君がいい環境で育つよう、嘗ての家庭環境を保持していたんだ。君が独立して働ける年になるまで、過去の家族とそっくりなロボットが君を育てる。そう言う約束になっていたんだ」
 誰だったとしても、俄に信じられる訳がない話。昨夜まで普通に触れ合い、言葉を交わし、この十八年間共に暮らしていた母と姉が、既に故人でありロボットであると言われても。
 けれど話す相手の様子は、人をからかうようなものではなかった。無論ロボットがこんな場面で、質の悪い冗談を言うとも思えない。けれど、それなら、それでも、
「そんな…!、だって…」
 シンは何と返せば良いか解らず、ただ感情のまま食い下がっていた。どうか冗談だと言ってほしい。これ程の長期間、身近な人がロボットであると気付かないなど、現実的にあり得ないことじゃないか?。どうか自分の気持に同意してほしい。これは狂言だと言ってほしい。声にはならずともトウマにそう訴えていた。
 けれど、シンはそうして彼に対する内、自身の感覚の矛盾にも気付かされていた。今、目の前にいるトウマと言う名のロボットは、言われなければロボットとはとても思えないのだ。人に拠ってはその名前すら、珍しい姓だと受け取るかも知れない。それ程精巧で人間に近い作品が、現在の地球圏の技術で製造可能なら、家族がそれと同様のロボットであるとも、充分考えられるではないか…。
 そしてそのトウマが、
「違和感を与えないよう随分苦労したんだ、これまでに何度バージョンを入れ替え、プログラムを書き換えたか知れない。だがそれもようやく終わりだ。君はもう自分の足で歩いて行ける立場になった。これで保護契約は終了だ」
 そう尤もらしい話を続けると、シンは言葉を無くし黙ってしまった。全て嘘であってほしいが、嘘ではないのだろう。何を言えども問えども事実は変わらないだろう。恐らくこのトウマも、自分にそう説いて納得させるだけだと見えてしまうと、最早言葉は無意味に思えた。
 けれどその時、ダイニングルームの奥のキッチンから、話が一段落したのを見てシンの母親が現れる。正しくはシンの母親であり、今はモウリ家の家長として存在するロボットだ。
「シン…」
 と彼女が呼び掛けると、彼は反射的に答えた。
「母さん、姉さん…」
 母親の後ろに立つ姉も、母親も、普段と何ら変わらない様子でそこに居る。ロボットだと聞かされても尚、そうは見えない姿を持つふたりをシンは見詰めている。本当だろうかとまだ疑っている。幾分痩せて白髪も増えて来た優しい母親、小さな頃から心強い笑顔を絶やさない姉、どちらも共に同じ年月を過ごし、少しずつ変化して来たのだと思っていた。否、今でもそうだとまだ信じたがっているシンだ。
 けれど、
「今日までよく頑張りました、シンは良い息子です。これからもお父さんの希望を忘れずに、しっかり歩んで行きなさい」
 母はそう別れの言葉を告げた。そして姉も、
「今までありがとう、シン。あなたの努力は必ず報われる。私達も祈っているわ」
 同様に優しい挨拶を続けると、その変わらぬ優しさや、愛情を感じさせるプログラムされた態度が、却ってシンの心を打ちのめした。
「ぅ、うわぁぁぁ…!」
 初めて彼は、涙も出ない悲しみを知った。
 自分はこれまで何を見て来たんだ?。何を信じて来たんだ?。何を信じればいい?。何をどうすればいいんだ?。眼前で繰り広げられた柔らかな悲劇が、シンに怒濤のような声を上げさせる。彼の意識は今何処か遠くの山の頂まで、一気に駆け登っているようだった。
 けれど、その横で冷静に見ていたトウマが、
「落ち着くんだ!」
 と、シンの後ろから両肩を確と握って続けた。
「言った通りこのふたりは、既にこの世に存在しないんだ。だが君には、君のことを誰より考えている父親が残っている。天涯孤独になった訳じゃない」
 今は遠い星に暮らす父親。地球から二億七千万キロ先の天王星の、その凍てつく衛星ミランダのドームに、隔離されて生きる宇宙病患者の人々。残された、大切なただひとりの家族がその中に居る…
 どれ程遠く離れていても、信じられるその愛情を思い出すと、不思議とシンの沸騰した頭にも、淡々としたトウマの語り口調は聞こえて来た。確かに彼の言う通り、父はいつも自分の身を案じてくれていた。病のせいで、頻繁に連絡を取り合うこともできなくなったが、父のその愛情が、ふたりのロボットの感情になったとすれば、子供のように泣き喚くべきではないとシンは理解する。
 自分は父のお陰で、これまで何の不自由もなく、環境と愛情に恵まれ育って来た。母と姉は既に存在しない家族なのに、その優しい記憶をこの年になるまで、守り続けてくれたのは他ならぬ父なのだ。ふたりのロボットが維持していたこの家は、正に父親の意志の形だと今は思えた。
 また彼は、肩を掴むトウマの両手が普通に温かいことも知る。そう、母も姉もそうであったから、自分はふたりを機械などとは思わなかった。否、この場合機械だろうと何だろうと、温かいから信用できるのかも知れないと、シンの意識は徐々に体に戻り始める。
「あ、ああぁ…」
 そうだった。自分を抱き締めてくれた父の腕も温かかった。それを知らなければ、父と自分の絆は生まれなかったかも知れない。
「君の父親に取って君は希望だ。人間は誰しもそうだが、自分が誰かの希望となっていることを忘れるな」
『父さん…、お父さん…』
「彼の希望通りアストロノーツになるんだろう?」
 そして、これからの職業も人間としての自立も、全てその父親が敷いてくれたレールなのだと、トウマは殊に慎重な様子で語り掛けていた。シンが充分に納得して前を向けるように。
 ただ、正常な意識が戻って来たシンには、このトウマがセイジ同様に何もかも知っていて、高みの見物でもしているように感じられる、その状況がずっと癇に触っている。ロボットなのだから、人間以上の明確な知識があって当然かも知れないが、自分が管理されていると感じるのは嫌だった。
 厳密に言えば誰もかも、自ら自分を生かしている訳ではないが、不明瞭で不快な事情の上で、誰かの目的の為に生かされているとしたらたまらない。
「君は、知ってるんだろ?、…僕の周りで何が起こってるんだ?」
 どうにか会話する意欲も戻って来たシンは、トウマに向き直すと、率直に事態の混乱を訴えた。
「この世界は現実なのか?、僕の周りは偽物だらけじゃないか!。僕は誰かに騙されてるのか?、偽の世界で架空の人生を生きてるだけなのか?。それともこれは何かの試験なの…?」
「シン…」
「僕は何なんだ…。どうしたらいいんだ…」
 それに対してトウマは、至って親身な態度で、シンの考えを助けるように話した。
「これが紛れもない現実だ。これからが現実なんだ」
 彼がロボットであるからこそ、話の真面目さを信用できるのも不思議なことだった。
「子供達は皆、ある意味お伽話の世界に生きているだろう?。存在しないヒーローに憧れ、魔法のような力を信じている。身の回りにある良心的世界を疑うこともない。だが少しずつ現実の世界を知るに連れ、子供の頃の想像は壊れて行く。誰しもその過程は同じだが、君には急激にその時が訪れることになった、と言うだけのことさ」
 しかし真面目な話はいいとして、自身に子供時代があるとも、子供を育てた経験があるとも思えない、ロボットがそんな話をするとは違和感だ。
「どうしてそんなことが判るんだ」
 と、シンが返すと、トウマは何処か含みのある笑顔を向けて言った。
「君が生まれた時から知っているからさ」
 セイジと同じことを言う、と思った。だがこの物腰は見た目通りの年ではないとも思った。
 するとトウマは不意に、シンを優しく両手に抱いて言った。
「現実には現実の幸福がある。君がそれを見付けられるよう祈っている。君には人を幸福にする力があると俺は思う」
 彼が言う意味はよく解らなかったけれど、ロボットなのに父親みたいだとシンは思う。
「人を幸福にする力…?」
「頑張れよ。君はこの世の終わりまでひとりにはならない。それが君の資質であり才能だ」
 そしてポンポンと、シンの背中を軽く叩いてトウマは離れて行った。彼の歩く後に従い、これまでシンの家族だったふたりのロボットも、大人しくその場を退出して行く。
「あ…。ま、待って…」
 シンはその後をフラフラと、力ない足取りで追おうとしたが、急な展開に戸惑う気持が体を震わせ、遂に追い付くことはできなかった。
 追い掛けようとしたのは、最早母や姉ではない。何処となく父親を感じさせるトウマの方だ。
『彼は一体…』
 恐らく彼に尋ねれば、自分の身辺のことは、全て判るのではないかとシンは直感していた。自分のことも父のことも、これまでのこともこれからのことも、彼は何もかも知っていてまだ黙っている。黙っているが、代わりに希望となる言葉も与えてくれた。彼もまた父のように、いつも自分を見守ってくれるひとりなのだ、と思うと、酷く虚ろなこの現状に少しばかり、光明が見えたような気分になった。
 この悲劇的現状は深い愛情を伴う。もしかしたらこれまでの、全ての事件もそうであるかも知れない。
 言われたように、足早だろうと緩やかだろうと変化することは同じ。どう生きても同じ胸の痛みや苦しみを味わうなら、流れの早さを気にすることはないかも知れない。自分はただ大人になろうとしている。自分はシン・モウリとして自立しようとしている。今は全てが慌ただしく、立ち止まって考える暇がない。それでも後になって、全ての愛情を思い出せればいいのかも知れないと、シンは今落ち着いて考えることができた。
 せっちゃん、お母さん、姉さん。誰のことも忘れはしない。
 いつか近い未来に、それぞれの人への感謝を何らかの形で表したいと思う。
 シンは今、ひとりきりになった家の中で、これまでの生活場所が如何に愛に溢れていたか、静かに思いを巡らせていた。

 ここには誰も居なくなったが、既に何処かの時点から居なかったのだから、傷付くことはない。
 代わりに、偽者でない仲間や家族が、これから増えて行けばいいだけだ。
 始めから親のない人に比べれば、これでも甘いかも知れない。
 僕にはまだ父が居る。宇宙は広く、出会える人が多く居ると教えてくれた父が…。



『シン、元気にしてるか?。
 俺達は今、前にシンが話していた天王星の、宇宙病施設の開発に来たところだ。
 ミランダとコルデリアのほぼ同一軌道にある、オベロンと言う衛星で、
 こないだ研修に行ったアマルテアよりずっと大きいが、
 開発はそこそこ進んでいて、俺達はドーム内の造成の手伝いをする予定だ。
 そこは重症患者の保護施設になるんだとか。
 で、すごいことがあったんだ!
 ミランダの宇宙港の近くで、シンのお父さんに会った。
 研修生が来ると知って、シンに会った誰かに会えないかと出て来たんだそうだ。
 シュウが「アマルテアでシンと同じチームだった」と話したら、
 「結構楽しく乗り越えたらしいね」って、シンのメールを読んだことを話してくれた。
 俺達にも色々アストロノーツの仕事の話をしてくれたよ。
 離れてても気に掛けてくれる、いいお父さんだと思った。
 シンは今何をしてるんだ?。
 研修期間が終わり、決まった休みが取れるようになったらまた会おうな!
 先輩によろしく。
 ミランダの宿舎より、リョウ・サナダ』

「誰のメールだ?」
 と、コンピューター画面を見るシンの背後から、ナアザがその文面を覗いていた。余程熱心にそれを読んでいると見えたのだろう、ナアザはからかい半分に声を掛けたが、
「邪推するようなもんじゃないですよ、リョウからだ」
 シンは彼によく見えるように、スッと身を端に寄せた。
 地球の航空宇宙局本部の一室で、ふたりは次の命令が下りるのを暫し待たされていた。その間部屋に備えられたコンピューターや、ドリンクコーナー等は自由に使えるが、「人使が荒い」宇宙局にしては、余分な暇を持たされるのは心外な状況だった。
 殊にシンは、暇があると余計なことを考えてしまうと懸念し、すぐコンピューターに飛び付いたのだが、お陰で嬉しい知らせを見逃さずに済んで幸いだった。父は色素の減退で視力が衰えている為、メールの返信はあまり出せないでいる。その代わりに友人が現況を伝えてくれるとは、素晴しい偶然に出会えたものだと思った。
 否、これも偶然ではないのかも知れないが、父と自分を繋ぐ出来事に関して言えば、それはどうでも良いことだった。今はもう本当に、心の支えとなってくれる人は父しか居ないのだから。
 すると、メールを読み終えたナアザが、
「ほーお、いいよなァあいつら。今度も面白そうな所に連れてってもらえて」
 些か不満げな様子で顔を上げる。確かに、移民星に長期滞在できない地球人は、あまり遠い星には連れ出してもらえない面がある。元々移民である彼等にはそのリスクがない為、自ずと研修範囲も広くなる。だが、
「判らないじゃないですか、こっちだって…」
 と、シンが慰めのように続けると、ナアザは天を仰ぐような仕種を見せながら言った。
「もう判ってるんだ。さっきシュテン教官に会ったから聞いた。月基地のデータチェックだとよ」
「データチェック…?」
 流石に、それは全く予想しない仕事だった。
「月なんざ一泊旅行にもなんねぇぞ。そんな所で一週間、航行プログラムのテストと修正をするんだと。勘弁してくれよ」
 彼の言う通り月は地球圏の内であり、現在は通信基地、輸送基地、各種の研究所、各種ネットワークの中枢コンピューターやバンクが犇めく、一大情報集積地と言った衛星だ。地球圏であるからには、当然他星の移民も存在せず、彼等に取っては非常につまらない場所だろう。
 しかも課せられる作業がデータチェックとは、土木作業より遥かに退屈そうだと、ナアザの溜息がシンにもそのまま伝染っていた。これが第二のパイロット研修かと。
 そんな項垂れたふたりの、落胆漂うレストルームのドアが開き、
「悪いなぁ君達、私もこんな仕事は嫌なんだが」
 と、シュテンが済まなそうな様子で入って来る。彼にもまた、月は特に嬉しい場所ではないようだ。技術を勉強しに行くなら面白いとも言えるが、文化的な面白さとは無縁の、完全なる人口環境の衛星だった。様々な土地を行き交うパイロットとしては、単なる中継地点のひとつでしかない。
「謝るなら変更できなかったのかよ?」
 恨みがましくナアザは言うが、
「そう言う訳にもいかんだろ、上からの命令だ」
 シュテンはそう返すしかなかった。もし自分で研修地を決められるなら、こんな場所は選ばないと彼も言いたげだ。そしてシンは、
『上からの?、誰からの…?』
 ふと、元首コンピューターを頭に思い浮かべていた。否、そのものを見たことはないので、単なる大型コンピューターのイメージだが。
 トウマと家族の件で忘れていたが、そう言えばもうひとり、そしてもうひとつ自分を見ている存在がある。この世界を機能させている「元首」と、その指示で生きていると言うクローンのセイジ。けれどどちらも今のところ、自分には有難くない干渉だとシンは感じている。
 何故なら自分はまだ何の資格も持たない、ただのパイロット研修生なのだ。特別勉強ができた訳でもなければ、群を抜く身体能力がある訳でもない。これと言って世界に貢献できるような、特殊な能力も何も持たないと言うのに、元首、即ち惑星連合は自分をどうしようと言うのか、未だ理解に苦しんでいるところだ。
 彼は、彼等は何をしている?。彼等は僕に何を求めている?。
 そしてこの月基地への、面白くない研修も彼等が決めたことなんだろうと、シンはもう一度溜息を吐いていた。付き合わされる先輩にはいい迷惑かも知れないと。
「せめて搬送作業の手伝いか何か、輸送基地の仕事なら研修らしく思えるんだがな。データを弄くる為に缶詰めになれってか、パイロットが」
「何を言ってもいいぞ、どうせ私には権限のないことだ」
「通信基地なんざロクに人も居ねぇだろ。毎日同じ顔とデータ眺めて一週間とは、研修生は囚人じゃないんだ」
 身支度を始めながらも、ナアザの愚痴はまだ勢い良く続いている。元々口の悪い質の彼ではあるが、些かその言動が投げ遺りになって来たのを見ると、一応シュテンはフォローしようと試みていた。
「まあ、航行データの仕組みを知ることだって、パイロットには大事な教養だ」
 全く嬉しくはないが、そう言われると嫌でも納得するしかなかった。確かに土木作業よりはパイロットに関係のある仕事だ。これを嫌とは言えない。
「上手い言い訳だな」
 と、ナアザはうんざりした様子で返すばかりだった。しかしシンの方は、
『人が少ないのはいいかも知れない』
 などと、多少安心した面持ちでふたりの会話を聞いていた。木星での研修は、結果的に快い仲間と出会い、社会人としての新たな繋がりを得ることになったが、その当初は何が起こるか戦々恐々としていた。もう衝撃的なハプニングは御免だ。嫌な人や、ギョッとする場面に会わずに済むなら、その方がいいと考えていた。
 そうは言っても、いつかは明かされるのだろう。彼に付き纏う謎と、その背景にある何らかの意志や力について。
 それがいつになるかは知らないが、シンはその時が来るのを、今はそこまで恐れていないようだった。あまりに多くのことが起こるので、感情がある程度麻痺して来ている。或いは衝撃に耐性がついて来ている。苦痛を苦痛と、悲しみを悲しみと認識せずに居られるのなら、それもひとつの幸いかも知れない。この困難な状況の中では。
 今はただ、落ち着いてその時を待っていたかった。
「モウリは大丈夫か?、あれからどうした?」
 ナアザの文句が一段落すると、シュテンはシンの方を向いて呼び掛ける。
「え、別に何も問題ないです」
「そうか、一時は心配したが、大分顔色も良くなって来たようだ」
「ハハ…」
 問題は何も解決していないのに、顔色が良くなったと言われれば苦笑いだ。だがまあ確かに、木星での一ヶ月が自分の心を強くしたような、嬉しい記憶もシンにはある。例え辛い事情を抱えていようと、気遣ってくれる集団の中で、ひとつの目的に集中している内乗り越えられた。受けた悲しみは消えないけれど、それが常に自分を責め立てる状態ではなくなった。それが、顔色の良くなった理由だろうとシンも思う。
 その後も不穏な、或いは異常な出来事は身の回りに起きているが、今はそれらが纏まる先のことを考えられるようになった。いつまでも目先の仕掛けに、驚ろかされるばかりではいけない。せっちゃんのことも、年の近いセイジのことも、元首コンピューターのことも、トウマのことも、きっと全て繋がっている筈だとシンは今、強く予感していた。
 なので、
「ああ、それより教官、月基地には人型のロボットなんか多いですか?」
 シンはシュテンにそんな質問をした。ほんの少し前まで全てを拒絶していた彼だが、現在は家族ロボットとトウマに関心を向けているようだ。何故だかシンは、トウマと言う存在は穏やかに見られている。父親のイメージに沿う何かを感じ取ったからだろうか。下手な人間より害にならない、ロボット自体に安心感を見い出したのだろうか。
 しかしシュテンが答える前に、横からナアザが喋り足りない様子で捲し立てた。
「そりゃ多いだろ、基地や研究所には案内嬢、輸送機の発着場には交通整備ロボットって、重要機関が多い場所は必然的に多くなる」
「そう言う業務用じゃなくて、ほとんど人と区別できないようなもっと高度な奴です」
「はぁ?、何を聞きたいんだおまえは」
 また、その話の流れを受けてシュテンも、
「さあ…、見たことも聞いたこともないが、それがどうしたんだ?」
 と、シンの妙な質問に更に質問で返した。当然シュテンとナアザは、今シンが何に直面しているかなど知らない。育ててくれた家族が実はロボットで、それが昨日回収されてしまったなど、話として飛躍し過ぎで、とても今伝えられる状況ではなかった。
 そこでシンは取り敢えずこう返した。
「いえ、月は研究所が多いし、最新の技術が見られたりするのかなぁと」
 実際それを知りたいとも思っている。自分が全く気付かなかったくらい精巧な、人間と寸部違わぬロボットの母と姉。違和感のないよう入れ替えていたと言うが、そこまで細密に作り込める高度なロボット技術が、果たしてこの世界の何処に存在するのだろう?、とシンは思うのだ。
 ナアザが例に出したような、業務用ロボットも見た目だけはほぼ人間らしい。ただ話すことや動作を見ていればすぐロボットと判る。それが現状の技術の限界かと思っていたが、そうではない現実が見えて来た。
 業務用ロボットは、その作業上で必要のない、無駄に高度な技術を組み込まないことで、価格コストを下げているのかも知れない。また故意にロボット的な部分を残し、人と区別を付ける方向で開発されているのかも知れない。
 だから研究所の中では、もっと人に近いロボットが進化しているのかも知れない、と思った。
「ロボット技術に興味があるのか?。まあ月には、機械類の研究所は一通り揃っていると思う。申込むと見学させてくれる所もあるから、月基地のスタッフに尋ねるといい」
 ところでそう話したシュテンは、これまで専ら自己主張をしなかったシンが、漸く自身の話を始めたと安堵したようだ。ナアザの文句にずっと苦い顔をしていた割に、今は何やら嬉しそうな表情を見せている。無論、教官として研修生の信用が感じられれば、誰でも誇らしいだろうが、初日から心配な様子を見せていたシンが、立ち直って来たと実感したこともあるだろう。
 血の繋がりはなくとも、長く傍に居なくとも、そんな風に気に掛けてくれる人は居るものだ。シンは教官の配慮ある態度を感じ取ると、自然に微笑んで答えた。
「そうですか」
「ふーん。俺も退屈凌ぎに研究所見学にでも行くか」
 そしてナアザもそう続けながら、漸く遣り場のない不満を収めたようだった。
「では、宇宙港に向かおうか。月の到着時刻は、地球標準時間の午前十時十分の予定だ。到着までの指示は特になし。到着後は身体チェックの後月基地へ移動する。以上」
「了解」
 彼等三人のチームは、予定を確認するとレストルームを後にした。
 今度の研修は他の研修生との合流等はないらしい。月の管制基地は小規模な施設なので、団体で押し掛ける場所ではないだろうが、木星での賑やかな生活を思うと、シンとナアザには少しばかり淋しい出発だ。
 ただ、嫌な作業が待っていようと、それ以上に楽しめることもあればいい。今はそう願いつつ船に乗り込むだけだった。



つづく





コメント)このページは少し短くなってしまった。前のページが押してた割に。
しかし、やっと当麻の登場に漕ぎ着けたのはいいけど、この話本当に征伸もあるのか?と、疑惑を感じて来た読者が出て来たんじゃないか(苦笑)。いや、大丈夫、大丈夫ですって。
でも、当麻と伸の関係は心温まる割に、征士と伸の関係は苦悩に満ちている…。こんなんでいいんだろうか、と思う面はちょっとだけあります(^ ^;。元の小説に比べ、キャラの性格が違う為、何かこんなことになってしまった…。
ついでに、当麻がいい人すぎる気もするけど、まあそこはロボットなので、そういうもんだと思って下さい〜



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