セイジの家
三界の光
#4
The Strange Trinity



 まともな道を走る車に乗るのは久し振りだ。
 ほんの少し前はエアカーの滑るような乗り心地に、慣れよう慣れようとしていたものだ。普通の乗用車の安定感が嘘のように感じる。車は今、地球の航空宇宙局本部のあるウェストキャピタルシティを出て、郊外の町に差し掛かったところだ。そこでナアザがお偉方の前では言えなかった、最大の愚痴を吐き出していた。
「こんなのがパイロットの研修とはねぇ…」
 教官のシュテンに届いた急な依頼とは、退職パイロットの年金支給に関する調査だった。彼がボヤくのも無理はない。ただそれを言うなら、これまでの土木作業の連続も、パイロットの仕事とは全く無関係である。新人研修とは恐らく、その他の経験を積ませる為にあるものだと、推理できただけ儲けものかも知れない。
 さて、ふたりの話し合いの上で、行きはシンが運転をすることになった。合わせて四人の退職パイロットを訪ねるが、段々遠い郊外へと向かうようルートを決めた。最初に最も首都から近いミッドランド州、次に川を渡った向こうのリバーサイド州、次は海沿いを北上した先のノースロック州、と、そこまでは順調に調査を済ませて行った。約三時間の行程だった。
 その後昼食を車中で済ます為、公園の脇に暫し車を停めた。高級外食店で食事をしても、経費に計上される為困らなかったが、簡単に済ませることにしたのは訳がある。
「残るは一番遠いやつだけだ。何とか日が沈み切る前に終わらそう」
 店で購入したパンを齧りながら、ナアザが懸念するのは、最後の一件がそこから八十キロ先の地域にあることだった。午後二時のこの時点で考えれば、最後の仕事を終えるのは午後四時以降になるだろう。日が暮れると住所を探し難くなる為、明るい内に作業を済ませたいと言う訳だ。ただ、
「はい、でも、終わって戻ったら完璧夜ですよ。これじゃ宇宙局に一泊ですね」
 シンの言う通り、本部に戻れるのは早くとも午後八時以降になる。その後報告等の手続きを終えると十時を過ぎるだろう。一刻を争う事情がなければ、無理に自宅に帰る時間ではない。
「木星の研修が一日伸びたと思って我慢するか」
 と、既に諦めた様子でナアザは笑っていた。
 最後に向かう先はプレーンヒル州と言って、見通しの良い台地の続く住宅地だった。都市部からは離れている為、緑も多く空気も澄んでおり、市街は子供のいる家庭が多く暮らしている。
 その日は天気も良く、ドライブには適した一日だったので、本来ならプレーンヒルの環境の気持良さを感じながら、それなりに仕事を楽しめたかも知れない。しかしシンは、そこに辿り着いた時点でかなり疲労していた。木星、火星から戻ってすぐの四時間ほどの運転は、体力自慢でもない彼には堪えていた。
 ナビゲーション地図から目的地を割り出し、停車した途端、ハンドルにぐったりと頭を伏せたシンを見て、
「俺が行って来るから、おまえは休んでろ」
 と、ナアザはひとり車を降りて行った。申し訳ないと思いつつも、シンは重く感じる体をなかなか動かせないでいた。フロントガラスには町を暖めるような、綺麗なオレンジ色の空が広がっている。日が暮れる前にここに到着できて良かった。これで依頼された仕事も最後だ。と思うと、胸に押し寄せて来る安堵感や達成感が、次第に瞼を重くさせて行った。
『…いや、寝てる場合じゃない。そんな気の抜けた態度を見せたら、増々先輩に失礼じゃないか』
 するとシンは俄に思い立ち、眠気を振り払いにひとまず車の外へ出る。
 可愛らしい赤い屋根の住宅が建ち並ぶ、市街の一角はあまり人気がなかった。夕方と言えば普通は、買物に出歩く女性が多く見られる時間帯だ。或いは犬の散歩をする老人など、ひとりふたり歩いていても良さそうなものだが、不思議と道には人の姿が無い。
 ところがその時、車を停めた反対側の路肩から、複数の子供のワァッと騒ぐ声が聞こえた。声のする方を見てみると、建物に掛けてある看板には「サウス保育園」とあった。保育園と言う名称を見て、もしかしたらこの辺りは共働きの家が多く、そのせいでこの時間の人通りが少ないのかも知れない、とシンは考えた。
 耳を澄ますと保育園からは、切りなく賑やかで暖かい音がする。何となくそれに惹かれるように、シンがその前をうろつき始めると、突然柵の内側から服を引っ張られていた。
「お兄ちゃん!」
「え…?」
 そう呼ばれたことに一瞬身を引いたが、見ればやんちゃそうな、茶色の髪の少年が人懐こそうに笑顔を向けている。年はせっちゃんと同じくらいだが、外見の特徴は全く違う子供だった。そう見分けられると途端にホッとして、シンも笑顔を作って返した。
「一緒にあそぼーよぅ」
 少年はシンを柵の中の広場へ誘おうと、前より強く服の端を引き始める。仕事に時間制限はないので、遊んであげたいのは山々だったが、勝手に余所の子供に触れると色々問題がある。保育園の先生に断ればいいのだが、困ったな、とシンが考えていると、
「ジュンちゃん!、駄目よ、外の人の服を掴んだりしちゃ」
 いいタイミングで敷地の奥から、職員らしき女性が現れてくれた。すると、この辺りでは見慣れぬ人物と判ったのか、彼女は多少警戒してシンに尋ねた。
「すみません、どちらの方でしょうか?」
「ああ、僕は航空宇宙局の者で、研修でこちらに寄った最中なんです。もうひとりが戻って来るのを待っていたら、この子に声掛けられちゃって」
 恐らく園長と思われる、六十才くらいのその女性にシンが自己紹介すると、率直に話したのが良かったのか、相手はすぐ態度を変え笑い掛けてくれた。
「そうですか。わざわざ説明させて申し訳ございません。今頃になると順にお迎えが来る時間ですから、子供達もそわそわして」
 そう話を聞くと、少年が見も知らない自分にちょっかいを出す理由も、成程と納得できた。夕暮れ時は大人でも精神的に怪しくなる時間帯で、自殺者が最も増えると言われている。感覚の鋭敏な子供なら、尚更素直に淋しさを訴えて来るだろう。
 ジュンちゃんと呼ばれた少年は、注意されてもまだ柵際に寄り添い、諦め切れないようにシンを見上げている。すると保育園の引き戸が開き、中から甲高い赤ん坊の泣き声と共に、若い保育士の呼ぶ声が聞こえた。
「先生!、どうしたらいいですか!?」
 その騒々しさを耳にして、外に居た女性が慌てて戸口の方へ走り出す。結果的に邪魔者が居なくなったのをいいことに、少年は再びシンの袖を掴み、遊びながら話し始めた。
「お兄ちゃん、どこから来たの?」
「実は僕ね、一昨日まで木星にいたんだよ」
 その時シンは、嘗てそうして来たように、自分の夢であるアストロノーツの話をしようとした。意味が解りそうな年令の子供を見ると、ついついそれを話したくなるようだ。しかし予想外のことで対話は中断される。先程から泣き続けている赤ん坊の声が、一際激しく庭中に響き始めたのだ。
 すると少年は、赤ん坊を抱える保育士を遠目に見て言った。
「あの赤ちゃんねぇ、先生の言うこと全然聞かないんだよ!」
 勿論赤ん坊のことだから、言うことを聞きたくなくて聞かないのではない。だが少年の目から見た意見を面白く感じたので、シンは相槌を打って見せた。
「悪い子だなぁ」
 それにしても泣き止まない。これではまともに言葉を遣り取りできない。状況が変わらないので保育士も音を上げ、先程の園長らしき女性と共に庭へ出て来た。環境を変えれば変化があるだろうか?。増々煩くなった庭先で、ふたりの女性はシンと少年の方に歩み寄って来た。
 そして、まさかこんな場所でこんな時に、と言う出来事にシンは出会ってしまう。
「煩くてごめんなさい、この子は癇の虫が強くて…。あら?、どうしたの?」
 それまで途切れることなく泣いていた赤ん坊が、急に大人しくなっていた。目の前に来た保育士の手元をシンも、興味を持って覗き込んだ。大事そうに抱えている女性の腕から、一生懸命小さな手を伸ばす赤ん坊の目は、アメシストのような藤色をしていた。
『あなた、子供に好かれる方のようね』
『大人しくなって良かったわ』
 職員達が口々に話す言葉が、シンには何処か遠くに聞こえるようだった。これはせっちゃんだ、と思った。あり得ないことだと判っているが、シンの記憶は間違いないと言っている。四、五年前までせっちゃんはこんな赤ん坊だったのだから。
 そして途端に、何もかもが疑わしくなった。事故で死んだせっちゃんのことも、研修で出会った指導官のセイジのことも、何もかも仕組まれた舞台のように感じた。いつか、何処かで突然不穏な流れに嵌まり、仕掛けだらけの迷宮に落とされてしまったようだ。身の回りが一斉に怪しく回転し始めた。誰が何の為に自分を陥れようとしているのかは、判らないけれど…。
「モウリ、何やってんだ。もう済んだぞ?」
 その時、仕事を終えて戻ったナアザが背中を叩いた。彼が戻って来た時には、労いの言葉を返そうと思ったシンだが、昂る感情から喉が閉じ、上手く声を出せないまま振り返る。そしてその青い顔を見ると、
「おい、大丈夫かおまえ?」
 労いどころか、ナアザには更に不安を与えることとなった。何故ならシンをもっと驚かせることが続けて起きた。ナアザの後方から、何処かで見た女性がこの保育園に近付いて来る。その人がシンとナアザ、園内の職員達も集まる一角に踏み入れると、交わされた会話から、先程まで泣いていた赤ん坊の母親だと判った。
 否、そんなことはシンには判っていた。隣に住んでいたせっちゃんの母親その人だったからだ。だが彼女はシンのことなど素知らぬ顔で、ただ赤ん坊を受け取っていた。
 一体何が起こっているのだろう?。
 目の前を通り過ぎる、いつか見た親子をシンは無気味な思いで見送る。母親に抱かれている「彼」は、見えなくなるまでずっとシンの方を向いて、二度と泣き声を上げることはなかった。



 翌日の朝、天気は雲ひとつ無い快晴。丁度シンが国家試験に合格した日のそれと似ていた。
 しかしシンがその朝を知ることはなかった。前日のプレーンヒルからの帰り、ナアザが車を運転する横で熟睡してしまう程、シンは心も体も疲弊していた。夜の十時半頃に航空宇宙局へ戻ると、一時間程の事後報告を終え、彼は食事もせずに宿舎のベッドに潜り込んだ。そして再び眠りに就くと、次に目覚めたのは午前十時頃だった。
 不思議と空腹は感じなかった。それより幾ら眠っても寝足りない状態だった。恐らく体の疲労より、精神の混乱を鎮めたい意識の方が勝っているのだ。寝ている間は嫌なことを忘れていられる。今のシンにはそれが必要な作業となっていた。
 だが、これから自宅に戻ろうと動き出せば、自ずと昨日の出来事も思い出される。
 せっちゃんの両親は、葬儀の後一週間も経たぬ内に引越したと、姉からのメールで知っていた。それがあの母親だったのだろうか。否、それなら何故自分に気付かなかったのか。あの赤ん坊は誰なのか。たったひと月で新たな子供が生まれる筈はない。それに、あの子は僕のことを知ってるみたいに…。
 考えても答の出ない物事が、シンの頭の中を駆け巡っている。折角の休暇をこんな嫌な気分で過ごすなんて、と、彼は重い足取りで宇宙局のビルを出た。

 家の庭先に立つと、隣家の窓に以前とは違うベージュのカーテンが見えた。
 早くも新しい家族が入居したのか、印象の違いにシンは酷く違和感を感じた。隣の家のことはまだ鮮明に憶えている、住んでいた人々は勿論、家の中の間取りや置かれた家具の配置に至るまで、様々な出来事と共に思い出せる。だが今は全く知らない人が暮らしている、と思うと、過ぎて行く時の無情さを知るばかりだった。
 合格発表から帰ると真っ先に祝ってくれた、せっちゃんももう居ない。
 シンは暫く庭の一角に立ち止まり、考えていた。この庭の門から希望を胸に出掛けて行った、あの日が随分昔のように感じる。まだたった一ヶ月前のことなのに、既に懐かしささえ覚えるのは、異星での研修中の日々が慌ただしくも充実していたと、身を以って証明しているだろう。その充電期間がなければ、今このように落ち着いて考えることはできなかった。
 ひと月前とは、取り巻く状況が随分変わってしまった。けれど同時に自分も、何かしら変化し成長したと信じたい。この異常な現実に自分は堪えられている思う。家に逃げ帰って来た訳じゃない…。
 その日は連絡した時間より遅れて戻った為、シンは珍しく家の呼び鈴を押した。
「お帰りなさい」
 ドアが開き玄関からは、変わらぬ母親の優しい笑顔が現れた。
「随分遅かったけど、何かあったの?」
「ああ、うん。木星の研修の後、休暇の筈がすぐ別の仕事が入ってさ。草臥れたせいでちょっと寝過ごした」
「大変だったのねぇ」
 隣家の変貌を見たばかりのせいか、変わらず居てくれる家族に酷くホッとさせられる。これまで感じたことのなかった感覚が、シンには新鮮な驚きだった。帰る場所があるとは何と幸せなことだろう。今の自分の気持はもしかしたら、病に倒れる前の父と同じかも知れないと思った。時空的に事象的に、遠く離れる経験をして初めて気付く、この気持はきっと父からの贈り物だ。
 どれ程離れても変わらぬ愛情はあるのだと。
「さあ、お昼できてるわよ?」
 奥のドアから顔を出した姉の、明るい声を素直に受け取れたシンは、表情も徐々に柔らかに溶けて行った。漸く休暇らしい休暇を始められたようだった。

 食堂のテーブルの上には、彩り鮮やかな昼食の大皿と共に、シンには酷く懐かしいお菓子の皿があり、席に着くとどれから手を付けるか迷わせた。母親の得意のリンゴのグースは、シンが子供の頃、毎日のように作ってもらったタルトケーキだ。今日は姉がそれを焼いたと話したが、暫くお目見えしなかったメニューに、思わずシンの心が惹かれる。
 デザートから食べ始めるのは勿論マナー違反だが、全員がナイフフォークを手にすると、シンは迷わずケーキにフォークを刺していた。
「それから食べると思ったわ」
 すると、思惑通りの様子を見て姉と母は笑った。家族ならではの心遣いは的を射ていた。
「あー、懐かしい味がする」
「昔大好きだったのに、最近滅多に食べなかったでしょ?。無事帰ったお祝いに作ってみたの」
 そう言う姉も、昔は母親が焼いたこのケーキを食べていた。今は母に代わり自分の為に作ってくれる、そんな時の経過ならシンも大歓迎だろう。
「何か、食べ過ぎて飽きちゃったんだよね、一時期」
「そうねぇ、毎日おねだりしてたもの」
 そう言われるとシンは、自分がまだ小さかった頃を俄に思い出した。少し年の離れた姉は、いつも傍に居て見守ってくれていた。ある意味母親以上に信頼を寄せる存在だった。けれど常に見上げていた彼女も、今は自分より華奢で小さい。いつの間にかそんな変化にも、慣れてしまうものだなとシンは笑った。
 そう、変わり行くことを微笑みで受け止められる、穏やかな事例も存在するのだ。否、何事もいつかはそうなるのかも知れない。
 と、思わぬ流れで気付いたシンは、そこで思い切って隣家の話題を切り出してみた。
「あのさ…、せっちゃんの家、新しい人が入ったの?」
 やや話し難そうに尋ねたシンだが、姉はごく普通の様子で答えてくれた。
「ああ、昨日引越して来たみたいなのよ。まだご挨拶してないわ」
「じゃあどんな人か知らないのか」
 残念ながらシンの宛ては外れる。慣れ親しんだ環境に、新たに加わるものには不安もあるが、事実を確認したい気持が今は逸っていた。すると姉はこんな情報を続けた。
「知らないけど、大人数の家族じゃないわ。まだ若い人みたいよ。家具はもっと前に運び込んでて、高価な感じの家財道具が多かったわねぇ」
 それを聞くとシンはまず、
『プレーンヒルの親子が急に引越す、なんてことないよな…』
 最初に昨日の映像を思い出した。まだ物心付かない赤ん坊を抱えた若い母親。ただ昨日は何ら特別なことはなさそうに、保育園に子供を迎えに来ていた。昨日の内に引越しを済ませたとは考え難い。
 考え過ぎかも知れない。それならそれで構わないとシンは気持を落ち着ける。ところがその後母親が口を開いた。
「お隣の方、せっちゃんの親戚筋だそうよ。引越し屋さんから少し聞いたけど」
「本当…?」
 そう聞くと今度は途端に、
『親戚って、あの指導官じゃないだろうな…?』
 植民星開発庁の、同じ名前を持つ若い官僚をシンは思い出していた。彼にはエウロパに着いてすぐの頃世話になったが、それ以降は仕事上の会話を何度かした程度で、特にどんな人物とも知らないままだ。誰と何処に住んでいるかなんてこと、気味が悪くて聞きたいとは思わなかった。
 だが惑星連合が後ろ盾なら、家一軒買うくらいどうとでもなりそうだ。こんな普通の住宅地の家を選ぶかどうかは、ややイメージと違う気もするが…、とシンが考えていると、母親は更に続けて言った。
「お隣の家の、元々の持ち主なんですって。今まで貸してあげていたのね」
 その話は全くの初耳だった。シンの前に彼の姉が反応していた。
「全然知らなかったわ。そうだったの」
「へえ…。せっちゃんの家って、御両親若いのに、家持っててすごいなーと思ってたけど…」
 無論シンにも目の覚めるような話題だったけれど。話しながら過去の隣家の、幸福そうな明るい映像が思い出され、また昨日の出来事をも思い出していた。
『そんなことよりあの親子は誰なんだ』
 だがこうして家族と話す内にシンは気付く。自分以外は母も姉も、怪しい存在に出会っていないようだと。勿論この家はプレーンヒルからは遠く、日常生活の中で出会うことはまずない。だが永遠に出会わないとも限らない。もし母や姉が、自分達を知らないあの母子に会えば、どんな気分になるだろうとシンは考えてしまう。
 自分が悩むだけなら大きな問題じゃない。けれど自分の連れて来た災いが、大事な家族に及ぶことがあれば辛過ぎる。どうか、不安なものがこの家に近付かないようにと、シンは窓に見える隣家を見ながら祈っていた。既に引越して来たと言う隣人が、母や姉を驚かすことがないように…。
 昼食を終えた後、出されたお茶を啜っていたシンに、
「これからどうするの?、何か用事ある?」
 と、テーブルを拭いていた姉が尋ねた。聞いておいて彼女の口振りは、特に頼みたい用事がある風でもない。疲れて帰って来る弟に、予定を用意することはあまりないだろう。なのでシンは、
「いや別に。半端に暇だから散歩にでも行こうと思って」
 つい先程思い付いたことを話した。
「散歩?」
「ん。しばらく地球から離れてたらさ、何かいつもの風景が懐かしくなって」
「ホームシック?。まだひと月しか経ってないのに、そんなことでこれから大丈夫なの?」
「ハハ、我ながら不思議だよ。ほんのちょっとの間にこんな気持になるなんてさ!」
 シンの思うことは、交わした言葉通りの面も当然ある。地球とは全く違う、人間どころか鳥や虫さえ見ない未開の星の印象が、普段何気なく周囲を取り巻いている、自然の営みや人の文化を恋しくさせた。またそれに連なる別の考察も彼に生まれていた。深い文化や歴史があると言うことは、そこに住む人間に優しい環境だと言えるのだ。自分に対する地球の優しさ、大切さに初めて気付いたところだった。
 そして何故、先人が必死で地球圏を守ろうとしたのか、無理な体制を布いてまで移民との交流を断ったのか、その片鱗を理解できたような気がした。もし自分が当時の政治家なら、結局同じことをしたかも知れないと、今のシンは自然に思えた。
 地球の持つ記憶が何より大切だ。それは全人類の財産なのだ。だからもっと注意深く地球の環境を見ておこうと、シンは散歩に出る。
「でもホームシックみたいな気持を知って、何か良かったよ」
 席を立ちながらシンがそう言うと、意味は明確に解らなくとも、
「そう言うものかしらね」
 と、姉は嬉しそうに笑っていた。シンがひとつ何らかの成長をしたと、感じ取れたことの表現だろうか。直接的な言葉で誉められるより、いつも暗に受け止めてくれる家族がシンは好きだった。

 家を出て再び庭に降り立つと、嫌でも目に入って来る隣家の壁や窓。もう恋しい人々は居ないと判っていても、シンはどうしてもそれに目を遣ってしまう。在る物を見ずにいるのは難しい。
 散歩に出掛ける前に、シンは両家の境のフェンス際に立ち、素直な気持で、自分の気の済むようにその家を眺めることにした。外観は特に変わっておらず、外壁等を塗り直した感じもない。庭の木や芝生の様子も変わらない。家自体は以前のままなのに、その中身が違うと言う状況をシンは、まだ何となく納得できないでいた。過去にそうした経験がないせいかも知れない。
 ただ、先程見たベージュのカーテンが、動いた様子もなく閉め切られていた。そのひとつだけの違和感が、ずっとシンの興味を逸らさせないでいる。
『どんな人なんだろう?。親戚って言うからには…』
 親戚と言うからには、せっちゃんの家族によく似た人かも知れない。せっちゃんと母親は綺麗な金髪で、あまり見なかった父親は亜麻色の髪をしていた。夫婦共に色素の薄い人種らしく、皆真っ白な肌をしていた。一見石膏像のように見える人々だった。
 そう言えば、他にもそんな人物に会ったばかりだ。
「お帰り」
 その時門の方から、誰かがシンに声を掛けた。研修帰りにお帰りなどと、言いそうな地元の友人はいただろうか?、と、シンは疑問に思いながら振り返る。
 そして目を疑った。そこには今頭に浮かんだばかりの、年の近いセイジが穏やかな様子で立っていた。そして彼は門から歩み寄りながら、
「昨日ここに越して来たばかりなんだ。幼い頃に一時住んでいたが、この辺りは昔とあまり変わらないな」
 何らかの記憶を楽しむようにそう話した。何食わぬ態度で、と、シンが不快に感じてしまう場面だった。何故なら同じ名を持つ家の持ち主が、ここに居た少年を知らない訳がない。まだ彼が亡くなったばかりだと言うのに、何も触れず馴れ馴れしく寄って来るとは、酷い無神経だと怒りを覚えたからだ。
 するとシンの表情を見てセイジは言った。
「そんな怖い顔をするな。まあ宜しく」
 だが今は何を言われようと、彼に悪気があろうとなかろうと、シンの感じた印象の悪さは消えそうもなかった。ただでさえ薄気味悪い相手なのだ。
「君がせっちゃんと親戚だなんて、知らなかったよ」
「ああ、そうだな」
 セイジの方は特に変わらず、何を考えているやら解らない、不明の笑みを浮かべているだけだった。シンはそんな相手の落ち着きにも苛立ち、明から様に目を逸らす。
「僕に何か用でも?。…事故のこと、謝れと言うなら謝るよ」
 この状況は決して偶然ではない。必ず何かが起こっているとシンは確信を持てていた。ならば隣にやって来たこのセイジは、事の理由を何かしら知っているだろう。自分が悪いのか、不運に巻き込まれたのか、或いは別の視点で見た答を告げに来たのではないか、と、シンはセイジの次の言葉を待っている。
 しかし彼の返事は予想しないものだった。
「君は私のことを不審に思っている。それは仕方ないと諦めよう」
 てっきり自分が責められると思えば、反対に自省の弁を聞かされシンの思考が止まる。そしてセイジは、
「家に来ないか?、君が知りたがっていることを説明してもいい。ああ、まだ戻ったばかりだったな。なら夕食後にでも」
 殊に親切にそうシンを誘ってくれた。ふと、研修先のアマルテアで、父のいるサナトリウムの話を聞いた時のことを思い出した。
「…わかった」
「ではまた後程」
 セイジはそれだけ言うと、すんなり家の中へと消えてしまった。そこまでの行動、言動を見るに、年の近いセイジの人となりも、恐ろしい悪魔のようだとは流石に思えなかった。人を陥れようと企む風情には見えなかった。先入観がなければ恐らく、彼は近寄り難いだけの若い官僚、と言う判断に留まっていただろう。
 だがシンの、疑惑へと走り出した気持は止まらなかった。
『何なんだあいつ、何なんだ一体…』
 セイジの姿が消えてしまった後も、シンは暫くそこに立ち竦んでいた。彼を初めて見た時の想像は、大体当たっていたと言えるが、事故の責任を問い詰めるのでないなら、何故自分に話し掛けようとするのか?。その前に、何故自分の周囲に複数のセイジ・ダテが現れるのか?。疑問に思うなと言う方が無理だと、シンは胸の内で気持を強くしている。
 せっちゃんの記憶が良き思い出である分、自分の良心を蔑ろにされているのが悔しい。自分が少年に注いで来た愛情は無意味だったのか?。でなければ何故スペアのような子供が現れるのか…?。
 彼はその理由を話してくれるだろうか。シンは疑念と僅かな期待とを見詰めながら、夜の到来を待つことになった。



 夕食後、シンは約束通り隣家を訪ねた。
 隣の家に行くことがこれほど躊躇われたのは、初めてのことだった。勿論引越して来た人物のせいである。玄関の重厚な木製ドアの前に立つと、シンは俄に古い記憶を思い出した。まだ家に父が居て、隣家が空家だった頃、自分はこの家の中に入ってみたくて、窓によじ登ろうとしたことがあった。その後せっちゃんの一家が来た後、家に招いてもらえた時にはとても嬉しかったのだと。
 この家は幼い頃の興味の対象だった。故に思い出も沢山ある場所だ。そこでこれから、恐ろしくも新しい歴史が始まるかと思うと、呼び鈴を押す手が自然に強張っていた。
 シンは意を決する。チャイムの音が家の中で谺するのが聞こえ、程なくして近付く人の気配を感じた。
「来てくれたな?。まあどうぞ、入りたまえ」
 ドアが開き、訪問者がシンであると判ると、セイジは庭で会った時と変わらぬ、穏やかな調子で来客を中へと促した。シンは固唾を飲みながらも、それなりに礼儀正しく相手の誘導に従った。
 この家は玄関ホールに立つと、そこから続く廊下と広い居間が見渡せる。住人が変わった後のシンの印象は、内部の造りこそ変わらないものの、置かれた家具類のせいで全く違う雰囲気になった、と言う驚きから始まった。
 アンティーク収集の趣味でもあるのか、移民時代以前の物と思われる、重厚なリビングボードやカップボードは、素人目にも造りの良い高級家具だった。年代を経たオーク材が飴色に輝いている。そのリビングボードの上や、玄関ホールの飾り棚には、地球の太古の時代の発掘品であろう、鉄のオイルランプや土器の燭台等が飾られていた。居間の入口には一際目を引く、巨大なホールロックが見下ろしていた。
 その他、絨毯、カーテン、照明のひとつひとつに至るまで、趣味でこだわり抜いた様子が感じられた。背中に綺麗な曲線を描く、スウェード貼りのソファの美しい造型を眺めていると、
「その辺に座っていてくれ」
 とセイジが声を掛ける。しかしどうにも気が引けるシンは、暫し部屋の中をうろうろしていた。その内セイジがコーヒーを入れているのが見え、成程それで待たされているのか、とシンは気付く。ただ待つのも無駄なので本題の前に、この部屋のインテリアについて尋ねてみることにした。
「凄い部屋だね。珍しい物が沢山あって溜息が出るよ」
 するとセイジは、戯けたように溜息を吐いて見せる。シンには初めて見る態度だった。
「古い物が好きなんだ。これだけ集めるにはそれなりに金もかかっている」
 そう、年代物の収集にはそれなりの財力が必要だ。セイジは自分で溜息が出るほど散財している、と言いたいのだろう。けれどシンにはその背景が想像できない。
「君、僕とそんなに年変わらないって聞いたけど。その年でここまで集められるもの?。惑星連合の官僚ってそんなに給料がいいの?」
「まだ官僚ではない、事務次官の、しかも補佐だ」
「じゃあ元々の資産ってこと?」
 次々に質問を投げ掛けるシンに、けれどセイジは丁寧な種明かしをした。
「官僚達は確かに金持ちが多い。彼等の引越しや、模様替えの手伝いに駆り出されることがあると、その場で不要な物を貰うこともある。その他に、彼等の馴染みの店の展示品を譲って貰うこともある。そんな物が大半だが、無論自分で買った物もある。大体値切りに値切って買うのだ」
「ははっ!」
 シンの口から思わず笑いが零れる。例え不審人物でも、面白い一面があると知ると気持が和んだ。この凛として真面目そうな官僚候補生が、店先で品物を値切る姿など想像できない。
「こう言う物は馬鹿高い値札が付いているからな」
「それはそうだけど…」
 ただ、改めて部屋を見回したシンに、新たな疑問も生まれていた。この個人の趣味で飾られた、贅沢で賑やかな部屋を彼以外に、見る者は居ないのだろうかと。この家はひとりで住むには広過ぎる。そもそも元の持ち主とは、セイジの親や親類に当たる人物の筈だが、何故それらの人はここに居ないのだろう、と思った。
「あの、他に家族は?」
「ここには私だけだ。元々親代りの人間しかいないが」
 それを聞いてしまうと、案外家具類はその身代わりで、淋しさを紛らしているのかな、と、シンは同情的な想像をすることもできた。
「そう…か」
 玄関を入り、まだ五分ほどしか経っていないが、普通に会話できる程度に心が砕けて来たようだ。頑ななばかりでは、相手の話をうまく引き出すこともできない。なのでこれは良い経過だとシンは思う。
 そこにセイジがコーヒーを運んで来たので、シンは漸くソファに、遠慮がちながらも腰掛けた。
 カップから立ち昇る湯気の向こうには、今、何故だかとても満ち足りた様子のセイジが居る。単なる来客に対する社交辞令とは違う、この状況を良い意味で喜んでいるような、楽しんでいるような、嘘のない彼の感情が露出している様子だ。憎まれていないならそれはそれで安心だった。
 だがシンは、同時に居心地の悪さも感じていた。自分に意味不明な喜びを見い出されても困る。セイジはまるで、手に入れた念願の家具でも見ているようだと思った。
 悪意は感じないけれど、気味が悪いのは変わらない。
 席に着いて落ち着いたところで、テーブルを間に向かい合うセイジが話し始めた。
「さて、本題に入ろうか?」
 その言葉を皮切りに、シンのピンと張り詰めた心が静寂を呼び、静まり返った部屋にひとつひとつの声が、一際重く響くようになった。そしてセイジは早速、シンの疑問のひとつに触れた。
「実はな。君が出会った事故の件は、全て知っているのだ」
『やっぱり』
 シンは無意識に唇を噛み締める。けれどそれについてはもうある程度予想済みだ。今はその先に続くことを彼は知りたいのだ。するとセイジも察しているかのように続けた。
「事故についてだけではない、君のこれまでの過去のこと、君の家族やこの家に住んでいた子供のこと、昨日君に起こった出来事も私は知っている」
「え…、昨日起こったこと?」
「そうだ、君は昨日仕事先で、ここに住んでいた家族にそっくりな連中に会った」
「!!」
 何故、どうして、と言う当たり前の文言が出て来なかった。シンは自分が考えていたよりも、相手が多くのことを知っている現状に言葉を詰まらせる。そして、
「困惑する気持は解る、普通の人間なら理屈に合わない話だろう。だが私は特殊な立場の人間だ、世界中の情報を掌握できる身なんだ」
 とセイジが続けると、これまでそれなりに穏やかでいられた、シンの思考は一変した。
 何故なら、世界に重要と思われる活動は多くあり、殊に平和維持や全体の利益の為に監視は行われるものだ。その中で何でもない一個人の、昨日の出来事を掌握する理由がまるで解らない。解らないが自分は捕捉されている。もしかしたら知らない内に、自分は世界規模の何かに触れていたのかも知れないと、シンは青褪めるしかなくなった。
 続けてセイジはもうひとつ明かしてくれた。
「昨日のことは、予めそうなるよう計画されたことだった」
 それを耳にするとシンは、もう逃げ場が無いことも思い知らされる。相手はセイジ個人ではない、航空宇宙局を動かせるほどの権限を持つ組織が、事の背後に動いているのが判る。既に自分はそこに取り込まれてしまったと、絶望的な気持でシンは口を噤んでいたけれど。
「ここまでで何か質問は?」
 と問われると、ふと口を突いて嫌味のような言葉が出ていた。
「僕について何でもわかるなら、僕が聞きたいこともわかるだろ?」
 望んだ訳でもなく、他人に個人情報を握られるのは不愉快だ。不愉快なだけでなく生活に影響している。シンはそんな不満をセイジにぶつけている。だが、彼は質問に正しく答えることしか、相手の慰めにならないと知っていた。混迷するのは他ならぬシンの現実だからだ。
 なのでセイジは、淡々と有りの侭の状況を話した。
「想像している通りだと思う。この家に居た子供も、昨日会った赤ん坊もクローンだ」
 想像していた、かも知れないが、シンの指先からは血の気が引いて行く。クローニングの技術自体は、今は特別難しいことではないが、但し食料となる動植物、絶滅が危惧される動植物に限られた話だ。他に事故等で失った体の一部器官にも適用されるが、脳を復元することは固く禁じられている。生命の操作は侵してはいけない領域だと、今も昔も変わらぬモラルが存在する。それなのに。
 それなのに、セイジはまるで普通のことのように話す。シンはただただ恐ろしくなった。
「そんな…、人間のクローンは法律で禁止されてるのに」
「例外もあると言うことだ」
「例外って。君はそんな重要人物なのか?」
 特殊な立場とは聞いたが、二十歳前後の若さで、クローンが作られるほどに重要な存在とは考え難い。シンは怖れながらも問い詰め、セイジはこう答えた。
「連合元首が認めていることなんだ」
「元首…コンピューター?」
「他に一部の大臣と、僅かな人間しか知らないことだが、容認された人のクローンが存在するのは確かだ」
 突然考えの及ばぬ名称を示されシンは狼狽えた。
 元首と呼ばれる存在はこの世界にただひとり。惑星連合を束ねる指導者であり、太陽系の人類を支える唯一無二の秩序だ。初代は地球の人間だったが、死後彼の思想を組み込んだコンピューターに代替わりした。今は黙々と世界の調整に働いている。
 嘗ては火星移民の指揮を取った人物だった。名前は、今は使われない言語の為、正確に知っている者は僅かしかいない。けれど誰であろうと人民は、今も世界の安定と平和を維持し続ける、偉大な元首に敬意を示している。言うなれば「移民時代の人類の父」。その懐の深い思想と決断を以って、現状の世界は守られている。
 そんな、神のようなコンピューターの守る秘密。それを自分はこうもあっさり聞いて良いのだろうか?。良い筈はない。自分が他の誰かに話さない保障が何処にある。それとも自分は試されているのだろうか?。
 自分は、どうしたらいいんだと、シンは悩める現状を訴えた。
「何故僕にそこまで話すんだ。…何で僕に話した?」
「君が知りたがっていたからだ」
 確かにセイジの言う通りだが、こんな重荷になる話なら、先にリスクを説明すべきだとシンは噛み付く。
「そんなこと!、今更勝手じゃないか!」
 しかし怒鳴られても、セイジの平静な様子は変化がなかった。それどころか彼はもう一言、穏やかな口調で追い詰めた。
「同時に知ってもらいたいからだ」
 途端、シンの怒りが爆発する。
「知ってもらいたい?、何でだよ!、僕はただの民間人だぞ!?。そんな重大な秘密を守れるかどうか、とてもじゃないけど自信がないよ!」
 部屋に響く彼の声は、怒鳴りながらも泣いているように聞こえた。知ってしまったからには後戻りはできない。こうしてまた罠に嵌められたのかと、迂闊な自分の好奇心を悔やむばかり。そして目の前に居る人物に当たるばかりだった。
 ただセイジには、シンが怒ろうと何だろうと、どうしても伝えなければならないことがあった。
「私もクローンだからだ」
「・・・・・・・・」
 その時酷く真剣な顔を見せたセイジが、シンの勢いを自ずと抑止する。ある意味思い詰めたようなセイジの表情は、彼にも生きる悩みがあることを思わせた。当然だとシンは思った。複数のクローンの内の一体だなんて、誰も望まない立場だろう。何故そうなったのかは知らないが、否、今更もう知りたくもなかった。
 真実を知ることが、より深い苦悩になるとは思いもしなかった。凡庸だが希望があった、これまでの平穏な生活さえ、この先は望めないのかも知れない。現にこんな爆弾のような人間が傍に来てしまった。もう道は変更できないのだ。と、シンは頭を抱えてしまう。
「知ってどうしろって言うんだ…。こんなことに関わりたくない…」
 すると、大人しくなったシンとは反対に、セイジが饒舌になって話し始めた。
「同じクローンなのに、一方は隣人として可愛がられ、一方は不審人物として敬遠される。私は好き好んでこんな立場になったのではない…!」
「…な、何を言ってるんだ」
「私はこの家に三才まで住んでいた。だが君が生まれた後に別の場所に移された。元首の命令は絶対だ、元首の計画に従って私は生きて来た。今も、これからも。それが真実だ」
 急転直下の如く、話の趣が変わったことにシンの思考は着いて行けない。目を見開き固まっている彼に、セイジは尚も吐き出すように続けた。
「もうここに居た子供のことは忘れろ。その代わりに私は来たんだ。元首の意志に背くことは許されない」
 関わりたくない、とシンが言ったことで始まったのか、今のセイジは自己の悲しみと憤りを解放している。けれど当のシンには理解できない話ばかりだ。セイジが何故突然態度を変えたのか、それすら今は思い付けないでいる。彼の背景など想像する余地もなかった。
 ただ目の前の事態が怖かった。
「全て君の為だ、私を見ろ」
 と、セイジが椅子から乗り出して来ると、シンは咄嗟に退き、そのまま足を縺れさせながら出て行ってしまった。彼にはもう堪えられなかっただろう、新たな情報が何もかも異常で、太刀打ちできるものではないのだから。今唯一できたことは、一目散に逃げることだけだった。
 けたたましくドアの閉まる音が、尾を引くように長くセイジの耳に響いている。
『何故なら、私達は君を愛する為に生まれて来たんだ』
 既にその真実を受け取る者は居なかった。



つづく





コメント)あーあ、入り切らなくてチョコチョコ端折ることに(^ ^;。何とかギリギリで1ページに収めたけど、大事な部分なのでホントは端折りたくなかった…。もうコメントも書けないので次へ。


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