アマルテア
三界の光
#3
The Strange Trinity



 シンが目を覚ました時、最初に見えたのは妙に白い部屋の天井と照明だった。
 白い天井、それ以上に白さを際立たせているのは、壁に貼られたタイルの光の反射だと、平常に戻りつつある意識が気付かせている。枕の上で少し頭を傾ければ、明かり取りの窓の下に小さな棚、その向こうにもうひとつのベッドが見える。ベッドと棚はそれぞれ、何処かのデザイナーの作品らしく洗練されていたが、ここはホテルや宿舎などではなく、病院か救護室だろうとシンは落ち着いて状況を判断できた。
 そして、徐々にここに至る経緯を思い出していた。航空宇宙局のホールに集まり、官僚や位の高い指導者の様々な挨拶を聞いていた。研修生の誰もがそろそろ飽きて来た頃になって、その人は現れた…。
 彼は一体何者なんだろう?。
 誰かが「偶然の一致だ」と言っていたが、とてもそうとは思えなかった。せっちゃんと彼は酷似している。名前だけならまだしも、外見的特徴がほぼ一致している。まるであっさり命を落としたことを恨み、せっちゃんが別の人間として現れたようだった。自分に何かを警告する為にやって来たのだと、シンには思えた。
 悪夢はまだ終わっていない。地球の小都市からこのエウロパまで追い掛けて来た。恐ろしい。寒気がする。せっちゃんに訴えたいことがあるとすれば何だろう?。僕に何か、彼にしてあげられることはあるだろうか?。それとも考え過ぎだろうか?。こんな風に、不自然な形で故人を想うのはいけないだろうか?。
 これはよくある普通の出来事ではないと、心の何処かに悲鳴のようなシグナルを感じる。今すぐここを逃げ出したいとも思う。否、逃げて解決するなら簡単だとシンは解っている。それが本当にせっちゃんの分身なら尚のこと…。
 その時、シンの頭上でノックの音が聞こえた。横たわっていると見えない位置で、ドアの開く音が聞こえ、そこに入って来たのはシュテン教官だった。
「気が付いたな…?。大丈夫なのか?」
 彼はシンの顔を覗き込むと、多少心配そうな様子でそう言った。そして、
「ああ、大丈夫です」
 教官がそこまで深刻そうな様子でないことに、シンはホッとしていた。恐らく自分の意識が遠退いた時も、酷く病的だったり、虚弱な状態には見えなかったからだろう。もしそんな判断をされたら、研修の前に国家資格を撤回され兼ねない。
「体の問題じゃなくて、心の問題と言うか何と言うか…」
 続けてシンは言いながら体を起こそうとしたが、シュテンはそれを柔らかく制止する。
「今日いっぱいは休んでおけ。どの道今日は明日からの作業に使う、道具整備をするだけだからな」
 と、彼はこの後のスケジュールを配慮してくれた。シンは既に、本人の言う通り何処にも異常はなく、手先や顔色にも血の気が戻っている。けれど最初に思ったように、いい教官に当たってラッキーだったと、ここで改めてシンは思った。
 確かに体には何も問題はなかったが、心の整理をする時間がほしかった。
「あ、ここは?、何処ですか?」
「植民星開発庁エウロパ支局の病院セクション、だ」
 シンが尋ねるとシュテンはそう返した。研修生は航空宇宙局に集合した筈が、何故かそこから三キロほど離れた、惑星開発庁の病院に居ると言う。実はエウロパには現在ここにしか医療施設がない為、シンは航空宇宙局から搬送されていた。
 まだ出来たばかりの惑星開発庁の内部は、設備も最新式で見た目も綺麗だ。この病室だけを取ってもそれなりの高級感が感じ取れる。だが、研修にやって来たアストロノーツには退屈な場所だった。
「できれば…、宿舎の部屋に戻りたいんですが」
 控え目にシンが希望を伝えると、予想外だがシュテンは同意してくれた。
「そうだな。私もここでは知った顔が居ないし、またここに様子を見に来るのも面倒だ。じゃあ車を呼んでもらおうか」
「お願いします」
 成程、教官から見てもこの状況は不便なのだ。宇宙局の研修生と自分を同時に見なくてはならない。どうせ自分は、病院の治療が必要な身ではないし、早く宇宙局の宿舎に戻るのが最善だとシンも安心した。
 シュテンの方は、「では早速」と言う足取りでドアへと歩き出した。嫌々教官を引き受けたと言う割に、彼の態度や行動は献身的で、こんな風に余計な世話をかけるのは申し訳なく感じさせた。加えて、彼がドアノブに手を掛け立ち止まった時、
「ああ…。君の先輩から話を聞いたが、」
 彼はシンの抱える事情にも気を留めているのが知れた。
「君は出発前に事故に遭遇したそうだな。…だが、こんな言い方は良くないかも知れんが、死んで行く人は始めからそうなる運命なんだろう。あまり、自分のせいだと己を責めない方がいい。幼少の内に死んでしまうことは、家族には悲劇だが、本人にはそうではないかも知れない。何が幸福かはわからないのだから」
「そうでしょうか…」
「君はその事故の件以外に何か負い目があるのか?」
 シュテンは諭すように続ける。無論シンに、彼の言う内容が理解できない訳ではない。確かに一理あると納得する面もあるのだが、まだ感情的に事態を処理できないでいる。
「いえ…ただ、僕がアストロノーツの試験に合格して、長く家を空けることになったので、会えなくなるのが淋しいと言って…いたくらいです」
 ただ隣人の子供と言うだけなら、そこまで深く考えなかったかも知れない。シンに取ってせっちゃんはただの子供ではなかった。何れアストロノーツとして肩を並べる存在だと思っていた。同じ夢を見ている小さな同志の、未来を潰してしまったことに自分が傷付いている。その状況は何を言われても変わらないと、シンは悩み続けているのだけれど。
 シュテンはそこで、敢えて強い調子で言った。
「それは君がそれまで、その子に良くしてやっていたと言うことだろう。なら大丈夫だ、その子は君の気持を解っているさ。君の重荷になりたいとは思わない筈だ」
「ああ…」
『そうかも知れない、そうだといい…』
 もし自分が反対の立場なら、確かに自分を足枷にしてほしくはないと考える。心が通じる相手だからこそそう思うだろう。シュテン教官の言うことは間違っていない。状況に打ちのめされている自分に、追い打ちをかけるようなことは、せっちゃんならしないとシンは思い直した。
 小さな子供の感情は、大人には測れない面も多くあるが、少なくとも仲の良かった自分に、強い不満や怒りをぶつける子ではなかった。恨み辛みを訴えに出て来るとは思えない。それはせっちゃんに失礼な想像だったかも知れない。とも思う。
「人の生死はデリケートな話題だが、それでも気にし過ぎはいかん。君には先があるのだから」
 最後にシュテンはそう纏めると、落ち着いたシンの表情を確かめ、安心した様子でドアの外へと出て行った。それを見てシンは、話せる人には話してみるものだ、と、今の自分を取り巻く人々との幸運な出会いを、改めて有難く感じた。
 早くチームメイトの元に戻りたい。彼等の顔を見れば今以上に、現実が自分を癒してくれるだろう。不幸な出来事はあったけれど、自分は教官にも仲間にも恵まれていると。

 十分ほどの後、その部屋に戻って来たシュテンは、
「窓口に話をつけて来た。車を入口の方に回したら呼びに来るそうだ」
 殊に明るい調子でシンにそう伝えた。恐らくそのお願いが、嫌な顔をされずに通ったのだろう。宇宙局の研修生の送迎など、本来は惑星開発庁がケアする分野ではないが、意外に親切な対応をしてくれたようだ。
「そうですか、助かりました」
「こんな所に置いてけぼりは流石に恥ずかしいもんな?」
「はい…、もう…」
 シュテンに言われる通り、シンには当然そうした恥じらいもあり、一分でも早くここから抜け出したい思いだった。まるで学校の朝礼で貧血を起こした子供みたいだ、と思うと年齢的に情けなくなる。だが、勢い良くベッドから起き上がった彼を見ると、シュテンはもう一言念を押した。
「君はまだ精神的に不安定な所があるんだ、無理をしないように。研修は任務実績とは関係ない」
「はい、ありがとうございます」
 暖かい人の気遣いが胸に染みる。だから、自分はこの教官に恩返しができるよう、この後の研修をしっかりやろうとシンは思う。自分の為の努力はそれだけのものだが、他人の為にする努力は価値があると思う。自分はそんな人物になりたいと、温情ある教官を見て、シンは清々しい目標を思い出していた。
 そこへ、再びドアをノックする音と共に、
「車の用意ができました」
 と誰かが伝えた。頼んでおいた車が早くも手配されたようだ。何と手際が良いのだろう。シュテンが洋々と出向いてドアを開けると、
「!!」
「ああ、おや君は事務次官の…?、総務課に頼んだつもりだが…」
 そこには問題の人物、セイジ・ダテと言う名を持ち、せっちゃんとは別人の若い指導官が立っていた。彼はステージ上で見た時と変わらず、何処か人間離れしたような風貌から、事務的に事の成り行きを話していた。
「他に暇な人間が居ないようなので、私が引き受けました。元々新期生の面倒を見る立場です」
「そうか、申し訳ないな」
 ところでシュテンは、事故で亡くなった子供がその人に酷似しているとは、聞いていないようだった。シンの方を気にする様子はなく、至って普通に世話役の人間と話している。
 しかし、それを見ていたシンは却って、シュテンが知らずに話しているのを感謝した。何らかの先入観がある状態では、相手がどんな人物かを正しく見られない。そしてシュテンが引き出してくれる相手の態度からは、それ程嫌な印象を受けなかった。彼を見た瞬間、反射的に意識が凍り付く思いがしたが、自分の思い込みが強過ぎるのかも知れない、とシンは少しばかり反省する。
 同じ名前、似たような見た目の特徴、それらには何らかの意味があるかも知れないが、取り敢えず悪く考えるのは止めよう。靴紐を結びながらそう念じていたシンに、
「大丈夫か?」
 とセイジが声を掛けると、シンは恐る恐るの心境ではあったが、失礼のないよう顔を上げて答えた。
「はい、もう何でもないです…」
 改めて相手の顔を見ると、やはり、似過ぎなほど似ていると思う。その謎めいた事実に惹き付けられ、シンはそれ以上言葉を続けられなかった。
「立てなくなったのは驚いたが、本人は病気などではないと言っているので。まあ一時的な緊張か疲労のせいでしょう」
 代わりにシュテンがそう続けると、一時止まっていた場面は動き出し、漸くシンがこの病室から解放される段となった。セイジは開いたままのドアに向かって歩き出す。
「そうですか。では車の方へ」
「ありがとう。行こうか、モウリ君」
 シュテンはシンの挙動に気を配りながら、歩き出したシンの後に着いて部屋を出た。

「エウロパに降りたのは二度目だが、以前より随分環境が良くなりましたね」
 庁舎の廊下を歩きながら、シュテンは何気ない世間話を続けている。金輪際会う可能性のない相手なら、黙ってやり過ごしたかも知れないが、シュテンに取ってもこの研修中、悪印象を与えたくない相手だ。自然に協力体制を願い出るような、友好的な言葉が次々口を突いて出ていた。
「ええ、私も滅多にここには来ませんが、去年から急速に整備が進みましてね。すぐ隣の衛星で、使える鉱物資源が出たのが決め手かと」
「成程、それは幸いだ」
 対してセイジも、官職だからと言って尊大な態度を取るでもなく、自身より少し年上の相手に、それなりの礼節を持って話しているようだった。
「木星本体は御存知の通りガス雲の固まりですが、周囲の衛星には即時利用可能な物が多くある。植民星開発庁は手当り次第に調査を進めてますよ」
「確かに少し急ぎ過ぎなくらいだ。活気があり、仕事があるのは良いことだが」
「今は転がり出したボールが止まらない、と言う段階でしょう」
 随分大人びた話し方をするなぁと、ふたりの会話を聞きながらシンは思う。自分より四才年上のシュテンは解らなくないが、セイジの方はどう見ても青二才と言う印象だ。それでも、ひとりの大人として社会に生きるようになると、自ずとこんな会話をするようになるのだろうか。或いは官僚と言う職業のせいなのか。シンは不思議な感覚に心を漂わせている。
 学校を卒業したばかりの自分は、既に社会人として生きる者に比べれば子供だろう。そしてそんな自分から見ても、五才のせっちゃんは子供だった。今、歩きながら横で教官と話している、同じ名を持つ事務次官補佐の彼には、やはり自分は子供っぽく映っているだろうか?。
 自分はどう振舞えばいいのだろうか。同じ顔をした子供ではない相手に。
 シンはひとり迷っている。その内、三人は庁舎のエントランスホールを通り抜け、玄関ポーチの階段へと差し掛かっていた。階段の下には、エアカーと呼ばれる車が一台停められていた。地球では滅多に見られない乗り物なので、シンはふとそれに釘付けになる。
「エアカーが珍しいか?。まあそうだろうな」
 シンの様子を見てシュテンが言うと、
「地球の道路のように整備された道ばかりじゃない、こんな燃費の悪い車も未だ現役だ」
 セイジもそう説明を続けた。名称通り空気を噴射して走る車で、排気ガスを出さない、鋪装された道以外も走れることで一時期脚光を浴びたが、ポピュラーな電気車に比べ、高電圧高消費な為一般には普及しなかった。しかしここ、エウロパのような開発途中の植民星では非常に有用で、植民星開発庁などの省庁が、大口発注者としてその生産を支えている。
 もしこれがシュウやリョウなら、一度や二度は見たことがあっただろう。残念ながら地球では、シンがまだ幼い頃に既に、その姿を見ることはできなくなっていた。但し、このエアカーが乗り物として優れているかどうかは、また別の話だ。
「そんなに珍しがらなくとも、これから嫌って程乗ることになるぞ」
 と、シュテンが付け加えたように、珍しいだけで実は乗り心地はあまり良くない。まず噴出する空気の音が煩い。そして地面から浮いているせいで、水平を保つことが難しく船のようにユラユラ揺れる。運転が難しく乗り物酔いも起こしやすかった。まあ最初だけは、未知の乗車感を楽しめるだろうが。
 すると、運転席のドアを開けようとしたシュテンに、
「シュテン一尉、また返しに戻らせるのは手間です、乗って行って私が運転して帰りますよ」
 セイジはそう声を掛けた。いいタイミングでの親切な申し出に、シュテンも有難そうに答える。
「ああ!、宜しくお願いします」
 シンを後列のシートに乗せ、セイジは教官と共に前列の座席に座った。問題の人物が、特に自分を意識していない様子を知ると、改めてシンはホッと溜息を吐いた。

 エアカーが、石ころだらけの道なき道を走り出す。
 指導する立場のふたりは先程と変わらず、仕事の話、この星の話など世間話的な会話を、当たり前のように続けている。聞いているシンはぼんやり、自分が彼等に追い付く頃にはこんな風に、出先の仕事仲間と話せるようになるだろう、と思っていた。具体的な未来像を見ているようだった。
 そう、今はまだ謎に満ちている、「せっちゃんに似た人」に対しても何れは、忌憚のない交流ができるかも知れない。そうなるのが心情的に、一番嬉しい未来ではないだろうか?。
『この人はせっちゃんじゃない』
 けれど、今は見るたび心が騒ぐから、早く別人であることを知りたいと思う。
『せっちゃんならアストロノーツになってる筈だ。官僚なんかになる訳ないんだ』
 気持が落ち着いて来ると、二者の明らかな差異も見えて来た。聞いたことはなかったが、単純にせっちゃんの親戚かも知れない。その程度に思って、あまり気にしないようにしよう…。
 ひとまず、仰天させられた人物の登場について、シンはどうにか気持を押さえられたようだった。
 その後十分少々で車は宇宙局の前に到着し、座席から降りたシンに、
「頑張れよ」
 と、セイジは至って穏やかに声を掛けた。
「ありがとうございます」
 まだ酷く違和感を感じているが、相手が多少微笑んでいるのを見て、少しばかりシンは安堵を得られた。同じ顔をして冷淡に見下ろされる状態は、正直に辛かった。



 翌日の朝、宇宙局の宿舎の一室は酷く賑やかだった。
 他の三人は前途の通り、作業用の道具の整備に当たっていた為、シンが病院から戻り就寝した後、この部屋に戻って来た。その時点で誰もがホッとしたのは確かだが、彼が目を覚まし、特に異常がない様子を見ると、再び喜びが込み上げて来たようだった。
「昨日、俺、どうしようかと思って、てるてる坊主作ったんだ」
 と、些か的外れなことをリョウが言い出すと、シュウは頭を抱えるような仕種で返した。
「リョウ…。バカな俺でも流石にそれはないと思うぜ」
「一生懸命無事を願えば、モノは何でもいいんじゃないかと思うんだ」
「すげぇ考え方だ。ある意味尊敬するぜ」
 つまりリョウは、てるてる坊主にシンの無事を願ったようなのだ。流石にシンも唖然として聞いていたが、リョウの真摯な気持だけは解る。すると、
「確かに願いは叶ったようだ」
 ナアザが薄笑いしながら言った。まあ確かに、結果が望み通りになるのなら、形にこだわる必要はないけれど。朝一番からこんな愉快な出来事に触れ、シンは自然に顔を綻ばせていた。
「もう何でもないよ、心配させちゃってごめんね」
 ただ、そう言いながらシンの立ち振る舞いは、何処か弱々しく不安げに映る。否、何も知らない内は気付かないことが、今はこの部屋の住人の共通認識となったからだ。窓際に立つシンの横に並んでいる、スツールのひとつをシュウは引き寄せ座ると、
「先輩から話聞いたけどよ、運が悪かったな、研修の直前に。シンがそんな辛い思いして参加してるなんて、知らなかったぜ」
 彼らしいとも思えない、真面目な語り口調でそう話し始めた。
「うん…」
 初めて見る相手の様子に、シンはまだその意図を掴めずにいる。その前に何故シュウが知っているのかと、多少驚いてもいた。だがそんなことは些細な問題だった。恐らくシュウが、どうしてもシンに伝えたいと考えた話は、確かにシンの心を楽にさせた。
「俺もガキの頃、余所の子に怪我させちまったことがあるんだ。それはホントに俺が悪かったから、長いことずっと後悔してた。周りにも色々言われたし、辛いこともあったが、今は痛い失敗も宝物みたいなもんだ。そう思えるようになるんだ。多分苦しんだ分だけ、後で納得できるんだと俺は思うぜ?」
 誰の記憶にも悲しみや後悔は存在する。そして誰も皆、それを繰り返すまいと考えながら次へ進む。単純なことだが、それが原動力となり生きる力となることがある。そうだ、悲しむ心があるなら自ら目を伏せてはいけないと、シンは素直にそのメッセージを受け取った。
「シュウ…、ありがとう」
「いい話だな」
「お、俺も感動したぜ。シュウがこんなに大人だったとは」
「うっせーな」
 続く仲間達の感想はそれぞれだったが、茶化した筈のリョウもまた、
「いやこう言うことだろ?。何してたって、時々辛いことを思い出すのは同じだから、今は仕事に必死になった方がいいんだ。それが一番シンに大事なことさ。どうかな?」
 と、気持の明るくなる解釈を聞かせていた。
「うん、そうだね」
 今は自分の悩みや苦しみをこうして、理解しよう、支えようとしてくれる人々に囲まれている。素晴しい現実をシンは受け入れ笑っている。ひとりでは脱出困難だったかも知れない、深い悲しみの淵から這い上がる機会を与えてくれた、この研修期間をシンは今更有難く思った。こんな面でもアストロノーツを志して良かったと、嘗ての父の言葉が、神の預言のように胸に響いて来た。
『宇宙は広く、わからない物やわからない事が沢山あるんだ。
 きっと何かが自分を見付けてほしくて、
 おまえを待っているから、アストロノーツになるんだよ』
 しかし、研修作業自体は明るい話題とは言えなかった。
「ま、今日からハードな土木作業だっつーから、暗い気持も吹っ飛ぶと思うぜ?、疲れて」
「はは、確かに」
 シュウの口調が常に明るいことだけが、救いになるかも知れなかった。疲れる、汚い、特に面白いこともない労働がこの後には待っている。
「任せてくれ!、俺達肉体労働は得意なんだ。シンがちょっとくらいサボっても、俺達がカバーしてやるからな!」
「そーそー、俺らふたりで三人分は軽くこなせるぜ!。な?」
 リョウとシュウはそう言って、シンの目の前で肩を組んで見せた。体力的には特に問題はなかったけれど、そんなふたりの心意気が何より、チームの信頼や安心感を生んでいた。
「アハハ、君達頼もしい!」
 シンが屈託のない笑い声を上げたところで、ナアザは全体を促すよう号令を発する。
「そろそろ支度を始めた方がいい。あと一時間で準備と飯を済ませて出発だ。モウリも早くしろよ」
「了解ー」
「やれやれ、研修期間にどんだけこき使われるやら…」
 他のふたりが素直に従うところを見ると、シンが不在の間に自然と、このチームのリーダーはナアザに決まったようだった。まあ例えシンが残っていたとしても、年令や管理能力から見て、結局ナアザになっていただろう。恐らく本人はあまり乗り気でないとしても。
 なのでシンは、
「先輩」
 ナアザを呼び止め、リーダーを引き受けてくれたお礼を言おうとしたのだが、ナアザはその前に、
「ああ、勝手に話しちまって悪かったな。あいつらも動揺してたもんで」
 と、こっそりシンに謝った。個人のプライバシーに関わることで、微妙な問題に感じる話題について、勝手に話してしまったことを彼はやや気に咎めているようだ。だが今となっては、ナアザの判断は的確だとしか言いようがない。それも含め、信用できるリーダーにシンは気持良く返した。
「いえ、結果的に良かったです、ありがとうございました」
「そうか」
 その意味は、恐らくナアザから見ても、リョウとシュウは信用に足る人物だと示している。そうでなければナアザは話さなかっただろう。自分と同じように彼が、このチームを認めている様を知るとシンは、もう少し己の感覚に自信を持てる気がした。一部で何かが歪んでいても、全てが歪んでいる訳ではないと。

 いよいよアマルテアでの作業が始まる。研修生達は支給された作業服に身を包み、資材を積み込んだ貨物船でその衛星へと渡る。
 地球から乗って来た輸送船とは違い、如何にも「現場へ行きます」と言う風情の、お世辞にも綺麗とは言えない貨物船は、その代わり冒険者のようなワイルドな気分が味わえた。三十分足らずの移動の間、乗員は思い思いに窓の外を見たり、仲間達と談笑したりしていたが、船の雰囲気も相まって、思いの外意気が上がっているのが窺えた。故意にそのような、冒険気分を演出したかどうかは不明だが。
 現地に到着し、貨物船の扉が開くと、目の前に現れたのはゴツゴツとした岩肌の地面だった。頻りに風が吹き、砂や埃が舞い、草木のひとつも見えなかった。降り立ってみると、薄青い空に巨大な木星の影と、小さな太陽の煌めきがあるばかりで、他に何も無いガランとした星の地平線が、視界の左右に弧を描いているのが見渡せた。
 現在のアマルテアはそんな衛星だが、教官から聞いた話では、何れここには大型の医療施設ができるのだと言う。それを知るとシンは些か動揺した。地球からそう遠くないこの衛星でこれなら、天王星のミランダなど恐ろしくて想像できない。まだ普通の客船が就航できないほど、設備や環境が整わない僻地なのだ。そんな所に父は暮らしているのかと。
 今、目の前に広がっている何も無い大地。荒涼とした淋しさを感じさせる景色に囲まれ、宇宙病のサナトリウムはポツンと建っていたりするのだろうか。絶海の孤島とも言える星で、実社会から隔離され、こんな場所に閉じ込められているのだろうか。しばしば届く父のメールには、そのようなことは書かれていないが、シンの頭には暗い想像が広がって行った。
 教官やチームメイトの励ましを受け、折角持ち直して来た気持が沈んでしまう。シンのチームには、貨物船からベルトコンベアで流れて来る土砂を、均等に撒いて踏み固める作業が割り当てられたが、どうにも気持が入らなくなった。スコップで土砂を救う動作が、その他の者に比べ明らかに緩慢に見えた。
 良くないな、と、その様子を見ていたナアザだが。
「具合はどうだ?」
 その時背後から、誰かがシンを呼ぶ声が聞こえた。否、シンは既にその声の主を憶えていた。
「あ…、大丈夫です」
 答えながら振り返ると、この研修の指導官でもあるセイジが、帽子を直しながら歩み寄って来る。そして、
「昨日の夕方は元気そうだったが、力が入ってないな」
 と、自身の観察をシンに伝えた。現場で指導官に尋ねられたとなると、あまりいい加減なことは言えない。要らぬ心配をされても困るので、シンは素直に行状を話した。
「いえ…、少し考えごとをしてました」
「考えごととは?」
 すると、注意されるかと思いきや、セイジは関心を寄せるようにシンの前に立ち、彼が次の言葉を発するのを待っていた。まさか、そんな風に立ち止まって待たれると、取り敢えず何か話さなくてはと慌ててしまう。シンは困惑しながら何とか言葉を探した。
「ここには…後に、医療施設ができると聞いたんですが、本当にそんな星になるのかなと…」
 そしてセイジは、まるで未来を見て来たかのように返した。
「ああ、ここには老人専門の医療機関と介護施設ができる。木星開発当初からの計画なんだ。今の状態からはとても想像できないだろうが、いずれ緑に覆われ、設備も整い、静かで環境の良い衛星になる」
 植民星開発庁の人間だけあり、これまでに様々な場所を見て来たのだろう。彼の説明には微塵の曇りも見えなかった。そう気付くと、シンは父親の住むミランダのことを、どうしても聞きたくなった。この人はきっとミランダのことも知っているだろう、と思った。
「あの、宇宙病のサナトリウムを知ってますか?」
 思い切ってシンが尋ねると、予想通りセイジは詰まることなく答える。
「知っているとも。天王星のミランダとコルデリアにある」
「どんな所ですか?」
 するとセイジは暫しの間を置き、何かを思い出すように言った。
「コルデリアの方はよく知らないが、ミランダなら何度か行ったことがある。…君は、『赤毛のアン』と言う話に出て来る、プリンスエドワード島と言うのを知っているか?」
「ああ、復刻版の映画なら観ました」
「それをモデルにしたと言う、気密タイプのドームが点在しているんだ。中は誰もが憧憬を抱くような美しいドームだ」
 想像する美しいドームの映像が、セイジの藤紫の瞳に重なる。
 ここに至ってシンは、セイジが丁寧な説明をしてくれること、しかも父親に関する情報を伝えてくれることを、酷く嬉しく感じるようになっていた。悪く考えるのは止めようと思っただけで、まだ反射的に構えてしまう相手ではある。だがこうして少しずつ、心象の良い場面を繰り返して行けば、いつか嫌な印象は消えてくれる筈だ。そうしてもっと、自分の知らないことを教えてくれるといい、と思った。
 誰も鼻から嫌いになりたくはなかった。
「そうなんですか…」
 シンが腑に落ちたように返すと、
「何故そんなことを?」
 セイジは質問の動機について尋ねた。ここまで話したら隠す意味もないと思い、シンは有りの侭に答える。
「父が、ずっとそこに居るんです。ミランダのサナトリウムに」
「そうか。だがこの場合心配は無用だ。サナトリウムをはじめ長期滞在型の医療施設は、何処も私達が暮らす場所より、数段良い環境になっている。宇宙病と言うことは、君の父上もアストロノーツだったんだろう?。航空宇宙局の保険は、宇宙病には殊に手厚く支払われているしな」
「へぇ…」
 言われてみれば、自分はずっと不自由なく暮らして来た。母も姉も家に居て、特に仕事は持っていなかったが、贅沢とは言わないレベルで豊かな家だった。その理由さえ知らなかったとは恥ずかしい。やはり、正直に話してみて正解だったと、シンは自然に顔を綻ばせている。
 そして、そんなシンの様子を確かめるとセイジは、
「もう作業に戻った方が良い」
 それまで正面に立ちはだかっていた体を傾け、シンを研修生の一団の方へ促した。丁度良いタイミングだった。話が一段落し、長くサボっていた印象も与えない。
「あ、はい。どうもありがとうございました」
 セイジの指導官としての気配りを察し、シンは畏まった挨拶を彼に返した。そして作業を続ける仲間の輪へと戻ると、途端に心も体も軽く感じられるようになっていた。
 それは無論、ミランダのサナトリウムの環境が、自分の想像とは違うと知ったこともある。多少退屈でも父が、不自由なく暮らしていることが判れば安心だった。それと同時に、セイジ・ダテと言う名の指導官についても、仕事の上では的確で親切な人だと判った。双方の新しい発見と共に、これからの自分の世界も広がって行く。そんな予感をシンが歓迎しない筈もない。
「おい、あいつ、何話したんだ?」
 シンの傍に寄って来たシュウが、やや躊躇いがちな表情で声を掛ける。シンがセイジを怖れていることも、ナアザから聞いて知っているのだろう。だが、
「ボーっとしてたから声掛けられただけだよ。それと、ここは老人用の施設ができるんだって」
 意外に朗らかな様子でそう返すシンを見ると、心配はなさそうだとシュウも笑って見せた。
「へぇ?、何だ、そんな話か」
「シンが気にならないならいいじゃないか」
 続けてリョウもそう言った。正にリョウの言う通りだと考えるナアザは、シンの心境の急速な変化に安堵している。昨日は酷いショック状態を現した、同じ相手を今日は目の前にして話せていた。もしかしたら昨日感じたほど、そっくり同じ人物ではなかったのかも知れない。と彼は考えた。
 人騒がせな話だが、まあ、不幸な出来事から不安定になったのは間違いなく、シンについては広い心で見守るしかなかった。仲間達は暗黙の了解でそうするつもりだ。ただ、当面続く土砂まみれの単純作業が、シンをどう癒してくれるかは知らない…。

 研修作業は始め、砂を撒いて地盤を固めることから入り、続いて別の区域に移動すると、重機で掘り出した岩石をある程度まで人力で砕き、粉砕する機械へ運ぶ作業が当てられた。それを再び、別の場所に撒いて踏み固めるのだ。これが朝から日が暮れるまで続き、帰りは毎日砂だらけになっていた。しかし辛いことばかりだろうと思われた作業も、慣れて来るとそれなりに楽しめていた。
 与えられた仕事自体を疎かにしなければ、作業中のお喋りは怒られなかった為、皆、轟く風の音に負けぬ大声で話し、話しながら笑い、笑いながらきつい作業も乗り越えていた。昼食の時間は常に戦場のように、運ばれて来た食事を貪り食っていた。よく動き声を出し合い、研修生達はいつもお腹が減っていた。この明朗快闊な爽やかさは、単純な肉体労働ならではだ。初期の開拓者の明るい魂を想像できる、いい体験にもなっていると感じた。
 そう、いつかこの殺風景な岩石の星が、優しく穏やかな介護施設に変貌するのだ。その為の基礎を自分達が造っている。間違いなく未来の為の事業に参加している。パイロットも大事な仕事ではあるが、形に残る仕事に参加することは、未来への楽しみを与えてくれる。単純で辛いばかりの作業にも夢があると、この研修は教えてくれた。
 全く、思いも拠らず幸福な一ヶ月となった。
 そして長いような短いような、終わってみればあっと言う間だったここでの研修が、恙無く終わりを告げようとしていた。



 楽しかったと言えてしまう、木星での研修期間が終了すると、研修生達は一旦それぞれの故郷の星に帰って行く。
 彼等を乗せた輸送船が、再び火星のマーズポートに降り立った時の、リョウの淋しそうな顔がシンは忘れられない。このひと月の間に火星の家族とも、兄弟とも思えるようになった仲間達だ。ふたりへの親しみや愛着が、一時の切なさを呼び起こすのは仕方なかった。
「元気でな…!。俺達も頑張るから、必ずまた会えるようにしような!」
「今度はみんなアストロノーツとしてな!、シン!、先輩!」
 下船の際に、競うように言葉を掛けてくれたふたりには、シンも格別の思いを持って手を振った。
「必ず!、また会おうね!、連絡するから!」
 自分で女々しいなと思いつつ、自然と涙が溢れ出ていた。その横でナアザは、
『相変わらず涙脆い奴だ』
 と笑っていたが。
 ただ、これが永遠の別れとなるケースもあると、ナアザも知っているので、無駄にシンをからかうことはしなかった。自主的に連絡を取り合おうとしなければ、研修終了と共にそれぞれ、遠隔地を行き交うばかりの職務形態に組み込まれる。無論その中で、新たな知人や仲間はできて来るだろうが、初めの一歩を共にした仲間と言うのも、貴重な繋がりだと今は思えていた。
 人生の長い時間の中で、それは一度しか巡って来ない機会だからだ。この広い宇宙の中でも、どれほど探しても、たったひとつしか手に入らないものがある。それは「人」だ。それだから宇宙に生きる者には、気持の通じる相手が何より大切だ…。
 と、火星を離陸する船の中で、何となしにシンの心情を考えていたナアザの目に、無言で手招きをするシュテン教官が映った。何事だろうと、周囲を見回したがシンの姿は無い。彼は取り敢えずひとりその元に向かった。
 シンはその時、泣きはらした顔を見られるのが嫌で、洗面室にて形を整え戻って来たのだが、
「はァ!?」
 ロビーの端からナアザの嬌声が聞こえ、慌ててふたりの傍へ駆け寄った。すると、
「戻ったら休暇じゃなかったのかよ?」
「その予定だったんだが、本部から急ぎの仕事が回って来たんだ。私も休みたいんだが…」
 ナアザとシュテンの会話から、どうやらこの後の休暇が潰れそうだと言う、嫌な話題がシンにも聞き取れた。否、正確には潰れる訳ではないようだが。
「まあ大した依頼じゃないから、一日足らずで終わるだろう。その後に三十六時間の休暇が入る」
 シュテンがそう説明を続けると、ナアザは眉間に皺を寄せ返した。
「ったく人使いが荒いな」
 そこで漸く話に参加できたシンは、何故研修に急な仕事なんか、と、不思議な思いで尋ねる。
「他のチームじゃ駄目なんですか?」
「直接命令なんだ。他に割り振ることはできない」
 つまりそれはシュテンへの依頼だったようだ。今現在彼が教官をしていることは、当然組織内ではすぐ確認できる。拠ってシュテンが見ている研修生への依頼、と言うことになる。この場合、シュテンが組織の評価を得て依頼されたのか、自分達が評価されて依頼が来たのか微妙なところだ。それなりの信用があるからこそ、急ぎの仕事など頼まれるのだろう。
 しかし、評価や信用があるにしろないにしろ、迷惑な事態には違いなかった。
「考えても仕方ない。とにかく目先のことを片付けるしかないな」
 ナアザはひとつ溜息を吐くと、不本意そうではあるが、既に頭を切り替えたように言った。そうしてくれるなら自身の面目も保たれそうだと、シュテンはニコっと笑って見せる。
「物わかりが良くて嬉しいよ♪」
「貴様を喜ばす為じゃない」
 確かに、命令違反をするつもりがないのなら、嫌でも何でもやるしかなかった。それさえ終われば、ひと月振りの地球での休暇が待っているのだ。



つづく





コメント)予定外の所で切れちゃった(; ;)
元の小説の章建て通りに書きたかったけど、Webページの改行数に限度があって、この次の部分が入り切らなかったです。しょうがないので少しずつ後に送るけど、上手くまとまってくれるかな〜。
それにしても今のところ、征伸と言うより那伸みたいな話ですね(笑)。いや朱伸かも(そんなカプがあるだろうか)。と言う訳で次へどうぞ。



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