研修生たち
三界の光
#2
The Strange Trinity



 中央レイルロードのウェストキャピタルシティ駅。そのすぐ前に、アストロノーツの業務を司る航空宇宙局の本部がある。
 白亜の対の塔を持つ七十二階建てのそのビルは、すぐ前と言っても駅から五、六分ほど歩く。道程は真直ぐだが、それが都会らしさと言うものかも知れない。ウェストキャピタルシティは、首都のキャピタルシティを差し置き、現状『地球最大の都市』なのだ。ひとつひとつの建造物も大きく、密集していて、最も人と情報の集まる大都市である。
 本日はここに、今年度の試験に合格した新米飛行士が集合することになっている。そう、シンを始めアストロノーツ一年生の面々だ。
 しかし新米と呼ばれるのはともかく、始めの三ヶ月は研修期間として、あちらこちらの土地での土木作業、機械整備、町の清掃など、パイロット能力とは関係ない作業に従事させられる為、あまり華々しいスタートとは言えなかった。無論それらの活動は、人類が生活する植民星などの状況を知る為のもので、新人には殊に大事な研修とされている。
 だが当の新人達にしてみれば、面倒な手続き以外の何物でもない。なので集まって来る若者達の表情は、皆何処か冴えない様子ではあった。目下、痛切な思いを抱えているシンが、暗い表情でその中に紛れていても、特に目立つことはなかった。
『本当に、済みませんでした…』
 昨日、隣に住むせっちゃんの葬儀はしめやかに行われた。そう多く人が集まることもなく、粛々と葬儀が進んだ後、シンは彼の両親に向き合い、幾度も謝罪の言葉を連ねていた。
『済みませんなんて言葉で許されることじゃないのは、充分承知しています。他に何と言っていいのかわかりません…。僕がもっとしっかりしていれば、こんな事にはならなかったかも知れない。僕も辛いです、どうしたら償えるのか判りません。でも僕よりずっと悲しんでいらっしゃるのは…』
 どれ程言葉を連ねても言い足りない。自らの悲しみと申し訳なさが、或いは罪の意識から来る恐ろしい予感が、取り留めない言葉を口頭に運んで来るけれど、シンの心の乱れは一向に治まらなかった。何故なら、
『いいえ。あなたのせいではありません、あなたが気に病むことがあってはなりません』
 相手はその一点張りだったからだ。
 勿論前途ある若者への配慮だろうが、それでも、せめて痛みを共有することを許して欲しかった。人は罪から逃れようとするより、罪を認めてしまう方が楽に生きられるものだ。落ち度があったことを認め、一度でも叱咤や怒りを向けてくれれば、シンは気持の落ち着け所を見付けられたと言うのに。
『でも…、僕にも責任が』
 事故の原因を作った責任がある?、関係ない?。自分は悪い?、悪くない?。何れにせよ鼻から否定されては、シンは何も判断できなくなってしまう。否、実際その判断は難しいとしても、もしせっちゃんが一命を取り留めていたなら、一心に彼を思う気持でシンは答えられた筈だった。
 ひとりの大人として、多少なりとも後悔を感じるからこそ、この先ずっと君を気に掛けていたい思う。それはきっと自分の幸福に直結することだ。何故なら君はまだ小さくても、同じ未来を夢見る同志なのだから。
『事故は事故です。責任があるのは、町の安全を軽視していた自治体です。どうかこの事故について、苦しまないで下さい。辛く思う気持はなるべく早く忘れて、楽しかった頃のことを思い出してあげて下さい…』
 せっちゃんの母親は、終始悲し気ではあったけれど、何故かシンの抱える喪失感は理解してくれなかった。
『そんな…でも…』
 ある意味自分が育てていた夢を、自らの不注意で壊してしまった。こんな痛恨の出来事をそう簡単に、忘れてしまえる訳がない。対象が人間だから尚のこと苦しむ。見方を変えれば自分は殺人者かも知れないと、悩んで当然の状況だった。
 未来があると言うなら自分より更に若い、せっちゃんについて考えると、何故自分がこうまで守られるのか理不尽にさえ思った。
 無論、既に死んだ者より、生き残った方を配慮するのは普通だとしても。
「よう」
 駅のターミナルビルを抜け、メインストリートを歩き出したシンの肩に、その時親し気に手を掛ける者が現れた。振り返るとそれは航宙学校時代の先輩だった。
「あ…久し振りです、ナアザ先輩」
 考え事をしていたシンの、不用意な態度も多少妙ではあったが、呼び止めた方も何やらバツの悪そうな顔をしている。しかし今のシンは、咄嗟に気の利いた言葉が出て来る状態ではなかった。
「何か用事ですか?」
 と、素っ気無い様子で返すと、記憶にある後輩の姿らしからぬ態度を見て、相手はやや目を丸くして返した。
「用事?。アストロノーツの入隊式に決まってるだろうが」
「え…?。だって、先輩は一昨年卒業したのに」
 まあシンの言う通り、ナアザの方も事情持ちだったが故、噛み合わない会話になるのは仕方なかったかも知れない。この時間にこの街に居るからと言って、必ずアストロノーツ入隊式に行くとは限らない。ナアザの拠ん所ない事情とはこうだった。
「そう、一昨年試験には合格したが、他にもう少し勉強したいことがあってな。二年伸ばしてもらったんだ。ま、少々決まりが悪いからこうして、目立たぬようにこっそり来た訳だ」
「成程…」
 ただ、決まりが悪いと言ったナアザの、本人の考えはともかく、朝一番に顔見知りに出会えたことは、双方に少しばかり和みを与えたようだった。航宙学校の卒業生は他にも多く居るが、入隊式からグループ分けされている為、全員同じ日にここに集まる訳ではない。勿論友達となあなあしに来たつもりもないが、ささやかな安心感は、今は何にも代え難いとシンは感じていただろう。
 耳から目から入る情報、言葉、今は何もかも心の上辺を掠めて行くばかりで、確と受け止めることができないでいる。迷いと不安が意識の中心を占め、体だけが機械的に動いている。こんな時の自分に声を掛けてくれる人が、居てくれて良かったと溜息を吐くばかりだ。すると、
「初日からそんな不安そうな顔でどうする」
 シンの沈んだ表情を察し、ナアザはそう言った。
「いや、仕事の話じゃなくて。身近にアクシデントがあったもんで…」
「アクシデント?」
 そしてシンは、こんなに早く人に話すことはないと思われた、事故についての大まかな説明をナアザに、歩きながら伝えることとなった。
 ともすれば、別の人間ならば話さなかったかも知れない。シンに取ってこの先輩は、特別仲が良かった訳ではないのだが、体力だけのお馬鹿も多い航宙学校に在って、勤勉で皮肉屋と言う珍しい人物だったのをよく憶えていた。的確に皮肉が言えると言うのは、それなりの教養を持つ証でもある。自分の考えを助けてくれるのではないかと、期待する意識がシンにはあるのだろう。
 とにかく、藁にも縋る気持で答を探している。悲しみに揺れ続ける自分の心を誰か、どうにかしてくれないかと。
 ナアザは一通り話を聞くと、シンにはこう答えた。
「ま、誰にも胸の痛いことのひとつやふたつはあるだろ。時間を掛けて納得するしかないんじゃないか?。一応おまえは大事な後輩だから、辛くなったら話くらい聞いてやるよ。それなりに力になれるかも知れない」
 今の段階では出来事のみで、詳細な説明や葬儀の後のことは話せていない。それでも先輩は親切な言葉を向けてくれたので、シンは充分納得したように微笑んだ。
「ありがと…、先輩」
 少なくとも身の回りが、不穏なことばかりではないと知って安堵した。これから始まるアストロノーツの研修でも、何か心強いものに出会えるかも知れないと、少しばかり希望も見えて来る。
『せっちゃん…。お父さん…』
 そう、アストロノーツになることは、自分だけの夢ではないとシンは改めて心に念じていた。

 航空宇宙局のビルの三階ホールには、ふたりを含め五十人ほどの新卒パイロットが集められていた。その全てが希望通りパイロットになれるのではなく、その後任務をこなしながら適性を審査され、管制官や旅客機の乗務員に回されることも多々ある。つまり入隊式とは入口に過ぎない。
 そして誰もがそれを知っているせいか、ホールには一種異様な緊張感が漂っていた。今は横並びの新米パイロットだが、研修が終われば誰もが競争相手となるのだ。既に視線で牽制し合う者も居る、熱気と静寂が混在するそのフロアに、一際力強く長官の挨拶が響いた。
「新期生諸君、まずは合格おめでとう…!」



 シンとナアザは運良く同じチームに配属された。
 各チームに人員は四、五人ずつ、全部で二十前後のチームに教官が一名ずつ着く。彼等はこれから木星の衛星アマルテアに、地表整備と廃棄物処理の手伝いをしに行くが、途中火星に寄港し、火星の新人チームと合流することになっている。シンのチームは火星人を加えて四名になる予定だった。
 単に他の星に行くと言うだけでなく、植民星の民と交流する機会があるのは、地球の研修生達のひとつの楽しみだ。前途の通り、地球とその他の星には移動制限が設けられている。地球人から見れば植民の民は、ほぼ異星人と言って差し支えない存在だった。
 未知の星々、未知の人々、それらに憧れてこの職業を目指す者が殆どなので、研修生の誰もがこれから始まるミッションに、少なからず心を踊らせている。
 ただ、結局のところ土木作業の手伝いをするのは変わらない。アマルテアは居住地として開発を始めたばかりの衛星で、当然ライフライン等は無いに等しい状態。労働環境が良い悪いと言う以前に、身の危険を感じる場面もあるかも知れなかった。研修生の中にはそれを知って、途端に意気消沈する者も居たようだ。
 宇宙港から、彼等を乗せた輸送船が華々しく出航する。それと同時に船内のホールには、船長の明るいアナウンスが響いた。
「これが諸君の人生に於いて最も感動的な、地球からの出航である。心して我々の地球と言う星を見ておくように。恐らくそれは生涯忘れ得ぬ記憶となるだろう」
 窓の外を見ていたシンの視界に、始めは宇宙港の全容が映っていた。それがキャピタルシティの広大な街となり、大陸となり、全ての陸地となり、やがてひとつの球形の星の形になって行った。少しずつ離れて行く程に何故だか、この地球と言う星は美しく見えて行くようだった。
『地球…、僕の生まれた場所…』
 全ての太陽系人類の生まれた場所。だから誰に取っても大事な星だと判る。自分には帰る家のある星だから、尚のこと大切だとシンは思う。けれど同時に、
『でも今は、家から離れたことに少しホッとしてる…』
 シンにはそんな意識も存在していた。距離を隔てれば悲しみが消える訳ではないが、取り巻く世界がガラッと様相を変えれば、違った考えも生まれて来るかも知れない。自分は悪い?、悪くない?。麻痺した心がいつまでも同じ問答を続ける、現状が少しでも改善することを祈っている。
 今はまだせっちゃんを思い出す度、己を見失いそうになる。そんな怪しい心理状態では、とてもパイロットなど務められそうにない…。
 その後、輸送船は大気圏を抜け、火星へと向かう軌道上に穏やかに進んで行った。地球から火星までの距離は、この時期は八千万キロ程度なので、到着時間は約四時間後だ。古の時代から亜空間を利用するなど、高速移動の手段は様々なものが考えられたが、現状それらは理論上の可能性に留まっている。生きた人間が原型を留めたまま、虚数空間の滞在に堪えられるかどうか、実験さえしようがないのは今も昔も同じだった。
 まあ、一時間で二千万キロ移動できれば充分な進歩だが。

 火星に到着するまでの間船内では、教官が研修中の生活規律を簡単に説明してくれた。あまりに簡潔過ぎてその間十分。本来なら「初仕事にあたる心構え」だの、「植民星のメンバーへの接し方」だの、こと細かな「お話」が為される筈なのだが。事実他のチームは、特に面白くもない長話に欠伸を漏らす者もいた。
 それを見てナアザが、
「俺達は運が良かったようだな?」
 と、横に座るシンに耳打ちする。
「え?」
「長々と説教を垂れる教官に当たらずに済んだ」
「ハハハ…」
 だが、耳打ちと言うにはボリュームが大きかったのか、若い教官はすぐに振り向いてこう答えた。
「教官に抜擢された腹いせでね、君らには教養は与えないんだ」
 意外な理由にふたりの新人ははたと止まる。勿論半分は冗談だろうが、真面目そうな風貌の教官がそう言うからには、何か含むところがあるのだろう。
「ん…?。教官とは嫌な役回りなのか?。あんた、俺と大して年も変わらぬようだが?」
 ナアザがそう返すと、教官はポケットからチームの名簿を取り出し、
「そう、私は君より二才年嵩と言うだけだ。シュテンと言う。研修中は常に同行するから宜しくな」
 と自己紹介をした。それも本来、最初に顔を合わせた時にするものだが、年が若いせいなのか、彼は研修生とあまり距離を作らぬよう、形式的な行動を取ろうとしない人だった。ある意味友人のように、身近な先輩として接してくれるのは、確かにナアザの言う通り運が良かった。
「そんなに若くて教官になれるんですか?」
 と、思い付くまま質問したシンに対しても、シュテンは有りの侭に事情を話してくれた。
「三年も勤めれば誰でも立派な教官になれるさ。私はやりたくなかったが、私が適任だと推薦する奴が居たものでね」
 つまり望まぬ役目に推薦され、不本意ながらそれを受けたようだが。
「それで何が嫌なんだ、教官の?」
「そりゃあな、新人研修と言えばまだ環境の整わない場所に、何日も滞在させられるからな。私は指導するだけだが、普段の任務に比べれば疲れるし退屈だし、あまり良いことはないんだ。せめてボーナスでも出れば、やろうと言う気にもなるんだが」
 シュテンの不満を聞き出してしまうと、ナアザは吹き出すように言った。
「そりゃ御苦労なことだ。シュテン教官は己の無能を嘆くべし」
「貴様なぁ…」
 ナアザのこのような物言いは、全く普段のままの彼だとシンには判る。だがシュテンにしてみれば、初対面の後輩にいきなり痛いところを突かれ、思わず戦いてしまう場面だった。年が近いのも困りものである。下手に怒っても威厳と言うものがない。
 そして話を把握できないシンが、
「え?、どういうこと?」
 と尋ねると、ナアザは御丁寧に嫌味の意味を解説し、シュテンを尚困らせるのだった。
「馬鹿だな、エリートなら厄介を回されることもないだろ。他に仕事はいくらでもある」
「ああ、そうか…」
「口の悪い奴だ。貴様の分析力は買ってやるとしても」
 教官には多少不興を買ってしまったようだが。
 ただ、こうして腹を割った会話を続けられるなら、このチームメンバーは未来に繋がる、良き同志となってくれるのではないか。アストロノーツは個人の仕事が多く、長時間ひとりでフライトすることも多い為、精神的な孤独に陥り易いと言う。だからこそ気持の通じる仲間が必要だ。これから、このチームがそうなれるような予感に、シンの顔には自然な笑顔が戻って来た。

 輸送船が火星に到着する頃、新人達の多くは再び窓に貼り付き、近付いて来る赤い地表の星を眺めていた。嘗ては災いを齎すとして忌み嫌われた惑星も、今は地球以上に活気ある植民星となった。惑星改造技術とは偉大なものだと、誰もが感心せざるを得ない。
 その後、離着陸独特の震動があり、船は俗に言うマーズポートに降り立った。単に火星の宇宙港のことだが、植民星の人々は古い書物の中のロマンティシズムを以って、宇宙港のことをそう呼んでいた。
 火星に限らず他の植民星でも、土地や施設のネーミングには同様に、ロマンを求める傾向が存在する。現在の地球とは真逆の発想が、他の星に生まれた理由は割合簡単だ。地球を離れ、厳しい環境に堪えながら暮らす移民達には、何らかの心の支えが必要だったからだ。美しい故郷に思いを馳せる、思うだけでなく故郷に近い環境をこれから作って行こう。そんな思いが名称に反映されているのだ。
 故に地球の政府も、それをやめさせようとはしなかった。過去のアメリカ大陸にロンドンやら、ドーヴァーやら英国の地名があるように、人の心理はそう働くものだと理解されているのだろう。
 輸送船のハッチが開く頃、研修生は廊下とタラップに整列させられていた。入艦して来る火星の研修生と教官を迎える為だ。その列の中からシンは、宇宙港の殺風景な広がりと、それを囲む金網の向こうの、荒涼とした赤土の原野を眺めていた。
 明らかに地球とは違う殺伐とした風景。無論、飛行場や訓練施設は、人の住む町からは離れているだろう。ろくに植物もない岩石だらけの荒れ地が、火星の全体像ではないと誰もが知っている。それでも、嫌でも余所の星に来たと印象付ける、植民星の景色の独特な配色、空気の匂いに触れると、思い出そうとしなくとも、頭は無意識に地球の環境と比較していた。
 こんなに早く淋しさを感じるとは思わなかった。
 ところが、多少暗く傾いたシンの心情を笑うように、乗船して来た研修生達は皆精悍で明るかった。歩く足音ひとつ取っても、誰もが力強く賑やかに感じた。地球人しか知らない者には意外かも知れないが、それは移民達の獲得した民族性だ。明るく逞しくなければ生きて行けないと、誰もが先代から伝えられている。現在の太陽系世界は、そうした生命力ある人々に支えられ成り立っている。
「航空宇宙局火星本部所属、第三操縦課、第十四隊ラジュラ三尉であります」
「地球本部第二操縦課、第八隊長補シュテン一尉であります。宜しく」
 タラップの上で、教官同士が挨拶を交わしていた。それを耳にするとシンは隣に立つナアザに、
「あれ?、シュテン教官はかなりいい肩書きじゃないか?」
 と小声で疑問を漏らす。無能呼ばわりを甘んじて受け入れていた、シュテンの立場がシンには掴めないようだ。本当は優秀な人なのか、それとも肩書だけの人なのか、彼はナアザの見解を求めている。
「そりゃあそこそこの奴だろ。地球本部の人間が総括役なんだ、火星の教官より立場は上さ」
「そうなのか」
「おまえ何も解ってないな?。よくそれで試験に通ったもんだ」
 結果、藪蛇と言うか何と言うか、組織の構造など社会背景を殆ど勉強しなかったことが、ナアザにはバレてしまった。まあ試験には、そこまで踏み込んだことは出題されなかった為、必須の知識と言う訳でもなかったが。
 ただシンは改めて思った。今は地球上の地球人より、その他の惑星に散らばる移民の数の方が多い。移民の民こそ現在世界の中心と言えるのに、彼等は亜人間と区別され地球に従う。遺伝子の多少の違いが何なのだろう?、人種の違い程度のことで、交じってはいけないと頑な規制を布いているのは、もしかしたら地球人の単なるエゴではないかと。
 移民達が主張すれば、地球が全体を統治する体制を終わらせ、自由に人や物が行き来する世の中にできる筈だ。だが彼等は地球の意志を素直に受け、純粋な地球人を守ろうとしている。本来なら地球人と移民を区別するより、全体が混じり合った方が幸福ではないか。そもそも地球人と呼ばれる人類も、発生した頃からは相当に遺伝子の変化があるだろう。緩やかな過程ではなかったにせよ、移住によって人類が進化したことが何故タブーなのだろうか?。
 何故環境に弱い地球人が守られるのか。進化を進化と認める時間が、まだ充分に経過していない世の中なのか。この歪な社会構造を続ける理由は、恐らく移民が始まった頃に原因があるのだろうが…。
 再びシンは同じ疑問の壁にぶつかっていた。

「なあおまえ、何て名前?」
 輸送船が火星を離れ、整列状態を解かれた研修生が再びホールに集まると、シンの傍に居たひとりが唐突にそう言った。
「僕?、シン・モウリです。宜しく」
「俺はシュウ・レイファン!。シュウって呼んでくれていいぜ?。おまえのことはシンでいいか?」
 小柄ながら筋肉質で頑丈そうな火星の青年。日焼けした顔から人懐こい性格が零れて来るようだった。突然の自己紹介と友好の申し出だが、シンはそんな相手を見て穏やかに返す。
「いいよ。今年の新人なら同じ年だよね?」
「おう!。初めての地球の同胞!」
 するとシュウは、その出会いを心から喜ぶように、シンに抱き着いて背中を叩いた。無論シンにも初めての移民の同胞だ。こうして普通の友達のように、自然に仲間となってくれそうな人物は大歓迎だった。
 するとシュウの後ろから、
「おい、勝手に喋ってていいのか?、シュウ」
 もうひとり火星から乗り込んで来た研修生が、やや周囲を気にしながら話し掛けて来た。地球から輸送船に乗って来たメンバーなら、航行中は各々自由にしていいと知っていたが、彼等は船内での行動説明をまだ受けていないのだろう。
 だがシュウの方は、決まりがあろうとなかろうと気にしない様子で言った。
「あ、こいつはリョウ。航宙学校からの俺のダチね」
 紹介された方は、シュウに比べるともう少し落ち着いた青年に見える。同様に日焼けした健康そうな顔立ちに、意志の強さを感じさせる瞳が印象的だった。
「リョウ・サナダです、宜しく。リョウでいいです」
「こちらこそ宜しく、シン・モウリです」
 挨拶と共に握手を交わした、初対面の集団の中シュウは変わらず気さくに話し続ける。全く、彼のような人間が居てくれることは、シンにもリョウにも有難いことだった。誰もが他地域の知り合いを作りたいと思いながら、実際はなかなか打ち解けられないものだ。小さい子供ならまだしも、職業を背負った大人には色々思うことがあるからだろう。
 その意味では、ほぼ考えなしに突き進むタイプのシュウは、意外に貴重な個性かも知れない。
「ふたりとも火星から?」
「そう、俺達火星の子!。と言っても、俺んち二代前は地球で商売してたけどな!」
 シンの問い掛けにシュウがそう答えると、続けてリョウが付け加えた。
「敢えて言うことか?。みんな移民なのは誰でも知ってるし」
「ハハ、まあそうだね」
 確かに、と、シンはリョウに合わせて笑って見せた。少なくともアストロノーツになろうと言う者が、地球外の移民の歴史を知らない筈もない。そして、
「俺の家は七代前に火星に来たんだ。移民の第一団だったと親父から聞いてる」
「へぇ…」
「勇気があるよな!、リョウの先祖は。いや、やる気があるって言った方がいいのか?」
「そうだな、初期はとにかく農地の開墾が第一だったって、授業で習ったよな」
 そんなリョウの家系の話には、シンも関心を持って耳を傾けた。
「そう、僕も航宙学校で習ったよ、火星のこと…」
『腑に落ちない、何処か間抜けにも思える惑星開拓史の…』
 移民の第一団は、地球政府からどんな説明を受けたのだろう?。テストケースで火星に住んだ人々、移民団が向かう前に火星に降りた技術者達、それぞれどの段階で、地球人とは別物になったと判断されたのだろう。人間の亜種となることが始めから判っていたら、大移民団など送り出しただろうか。希望して移住する人などいただろうか。
 今でこそシュウの家のように、地球より活気ある土地へ出て行く者も現れたが、移民を始めた当初の情勢は違う。地球は枝分かれした移民達にどう話をつけ、事を収めたのか気になるところだ。
 その辺りの史実は、学校の授業や一般のデータベースでは公開されていない。知られたくない事情があるのかも知れないが、その前に人権等を考慮して非公開にしている。無論、今を生きる移民達が幸福なら、それで構わないとも言えるのだが…。
「そんな所で突っ立ってないで、座って話したらどうだ?」
 その時ホールの奥から、シンに向けて呼び掛ける声がした。確かに言われる通り、数歩歩いた場所に椅子が並んでいると言うのに、いつまでも立ち話は馬鹿馬鹿しい。
「あ、彼は僕と同じ学校だった、ナアザ先輩って言うんだ。ちょっと口汚い所のある人だけど、悪い先輩じゃないよ?」
 ついでにシンが、自分を呼んだナアザをふたりに紹介すると、
「そんな紹介の仕方があるか…」
「おう!、宜しく先輩!!」
「先輩って?、訳ありなのか?」
 シンを含めた三人は迷わず、ナアザの座るシートの周りに腰を下ろした。そして、その後何時間も談笑して過ごすことになるが、木星に到着するまで約半日、その間に充分親しくなれるかも知れないとシンは思う。
 単純に嬉しかった。家を出た時点では悲しみしか見えなかった心が、少しずつ明るい方へと開いて行くのを感じていた。



 木星は、地球も火星もこぢんまりと見えるほど巨大な惑星だ。
 但し地表はガスに覆われ、不安定な為現在のところ開拓はされていない。開拓が既に進んでいるのはその衛星、ガニメデ、カリスト、イオ、エウロパなどだ。そうは言ってもガニメデなどは、火星に匹敵するほどの半径を持つ衛星であり、十六ある全ての衛星の面積を合わせれば、地球と火星の和を大幅に越える広大なフロンティアだった。とにかく木星は呆れる程の規模を誇る。
 それ故、火星に比べるとやや文化水準が低い。移民の歴史が短いこともその理由だが、土地が広大過ぎると細かい整備は遅れがちになるものだ。ただそれが逆に、開拓の初期を思わせる荒々しい活気、パイオニアスピリットを感じさせる星として、近年は若い世帯の移住者が増えている。過去に火星を開拓した人々の子孫には、常に新しい土地を求める魂が宿っているのだろうか。
 研修中のアストロノーツを乗せた輸送船は、前に挙げた四つの衛星の中で、最も歴史の新しいエウロパの宇宙港に到着した。述べた通り歴史が新しいと言うことは、環境的に遅れた面のある衛星なのだが、元々木星の輸送と流通の拠点として開発された為、航空宇宙局の施設だけは大変立派なものが存在する。
 点在する小さな町には、まだろくな娯楽も存在しない為、旅行に訪れるには詰まらない場所だが、仕事にやって来た研修生達の、通された宿舎は充分な設備が整っていた。
「すげぇな!、こんな豪華なホテルに泊まるのか!?」
 と、部屋を見回すなりリョウは言うが、彼が少々世間知らずな点をシュウは指摘する。
「そーかぁ?。普通クラスの宿泊施設って感じだぜ?、新しいのはいいが」
「そうなのか!?。俺、『エウロパの宿舎にて』って誰かにメール書きたいくらいだ」
「ハハハハ…!」
 その言い種に笑ったシンも、シュウの評価を概ね支持しているようだ。通常のホテルに比べれば、宇宙で働く労働者向けの設備が整えられているが、デザインや遊び心の面では、並のホテルより簡素で素っ気無い印象だった。差し引きゼロで『普通クラス』と言うところだ。
 ただ部屋の広さは申し分なく、食事にも定評があると聞いている。軍隊の強行軍のように、劣悪な環境下で労働を強いられる、などと言うことはなさそうだった。
「最低これくらいの設備でないと、こっちもやる気がしないだろ」
 ナアザは平坦にそう付け加えた。
「そうだねぇ」
 とシンも、持ち込んだ荷物を紐解きながら、落ち着いた色合いの壁を見回してひと息吐いた。
 始めから決まっていたのか、火星を出発した後に決めたのか、船内で知り合った四人は結局同じチームになった。これから彼等は同じ宿舎の部屋に、ひと月ほど暮しながら研修作業に従事する。尚、作業自体はアマルテアと言う衛星上で行う為、毎日このエウロパから通勤することとなる。
 作業内容は、言われていた通りの土木作業だ。アマルテアはまだ地表が造成されていない為、別の場所から運んだ土砂を撒き固めるなり、クレーター状の凹凸をなだらかに成形するなり、まだ基礎段階の作業を必要としていた。火星のように古くから地表が定まっていた星は、惑星改造後すぐに居住可能となるのだが、木星ではこのように手間のかかる衛星が多い。
 それは太陽系が成立して行った歴史と、太陽からの距離に関係のあることで、地球や火星より若く、化学反応がゆっくり進む木星周辺は、まだ改造に着手できない不安定な星が多いのだ。木星自体がその最たるもので、巨大な質量が星として安定するまでには、まだ一億年はかかると言われている。が、その衛星は火星以下の質量だった為、比較的安定化が進んでいると言う訳だ。
 そんな事情で、木星の衛星開発には労働力が多く必要とされ、研修の名目でパイロットまで駆り出されている。本来このような労働の強制は、労働組合に訴えられてもおかしくないものだが、研修生は希望の職を得ることに必死な為、とりあえず誰も文句は言わなかった。

 宿舎に着いた後の彼等には、少々の休憩時間が与えられた後、惑星開発庁の庁舎に集合する命令が下されていた。惑星開発庁は、宇宙局の宿舎の隣に聳える四十階建てのビルで、現在のところエウロパのランドマーク的建物だ。地下と一階には店鋪や商業施設が配置され、適当な買物などもできる為、これからの滞在中は幾度も足を運ぶ場所となる。
 その二階のホールに四人が到着すると、既に百人近く他の新人達が集まっていた。どうやらシン達は最後の方だったらしく、フロアに点在するテーブルのスナックをひとつふたつ、摘んだところでメインの照明が落とされてしまった。もう少し、明るいパーティ気分を味わいたいところだった。
 フロアが暗くなると、代わりにステージの上が明るくなり、幕袖からぞろぞろと開発庁関係者が姿を現す。これから姑くは官僚や責任者の挨拶と、木星での注意事項等の話が続く予定だ。小学校の朝礼ではない、それぞれがひとりの大人として、真面目に聞く振りをするしかない。

「次に、惑星連合事務次官補佐、新期操縦士主任指導官より激励のお言葉を…」
 集会が始まり、既に五十分ほどが経過していた。実地の作業に有用な木星の情報だけは、誰もが注意深く耳を傾けていたが、それも終わり、後はお偉方の挨拶が続くばかりだ。
「まーだ話が続くのかよ〜」
「よくあるお決まりのコースだ」
 最早隠そうともせず、うんざりした態度で愚痴を漏らすシュウに、ナアザはまた平坦に返していた。彼の思考は恐らく、予め判っていたようなセレモニーの内容に、今更不満を垂れても仕方ないと言う、諦めの境地に似たものだったろう。シュウでなくとも、誰も面白い状況ではなかった。
 そう、官僚の挨拶など面白い筈もない。ところが、
「え…」
 シンは息を飲んだ。紹介されステージの中央に出て来た人物は、平静を取り戻しつつあったシンの意識を掻き乱す。
「ただいま御紹介にあがりました、惑星連合事務次官補佐、新期操縦士主任指導官のデシモ・セイジ・ダテ、と申します。これから暫くの間、ここで指導に当たることになりましたが、年の近い新期生諸君が良い経験を積めるよう、私も充分な努力をする所存です。宜しくお願い致します」
 簡潔で短い挨拶だったが、退屈を極めた新人達もふと彼の姿に目を止めた。研修生を囲む教官達も話している。
「随分若い官僚だなぁ、俺らより若いんじゃないの?」
 と、火星から来たラジュラが言うと、多少組織の人物を知るシュテンが説明した。
「その通り、新期生のひとつかふたつ上だ。何処かの大臣の御子息だと聞いたが、なかなかどうして、私などより出来のいい人物らしいな」
「デキが違うとな…?」
 確かに、一見二十歳前後の普通の青年に見えるが、その人物は何処か非人間的な落ち着きを感じさせていた。風貌のせいかも知れない。血の気が感じられない白い顔に切れ長の目、仮面を思わせるような板に着いた表情が、若者の初々しさとは掛け離れていた。
 そしてそんな人物が、連合の事務次官補佐と言う肩書を持ち、大して年も変わらない研修生の世話をすると言う。異色さ、違和感、多少の不快感、などを会衆は憶えていたに違いない。
 けれどそれどころの騒ぎではなかった。
「シン、…シン!、どうしたんだ!?」
 異常を伝えるリョウの声に、ナアザとシュウが振り向くと既に、シンはホールの奥の壁に凭れ座り込んでいた。すぐ横でリョウが呼び掛けているが、あまり反応がない様子を見て、直ちに他のふたりも傍に駆け寄る。
「顔が真っ青じゃねぇか!」
「具合が悪いのか?。こんな時に立ち眩みとは幸先悪いな」
 シュウに続けてナアザが声を掛けると、視界を遮る彼の顔にシンはふと反応した。話して解ってもらえる相手を見付けると、シンは漸く言葉を発した。
「同じなんだ」
「何が?」
「…名前」
 まだナアザにも話の意味は解らないが、それ以上に解らないシュウが横から口を出す。
「何の名前だって?」
「あの人…」
 答えて指で示そうとしたが、シンの手は震えるばかりで動かなかった。そもそもその人物は、既にステージの端に下がってしまった。
「あの人って?、誰なんだ?」
 リョウが辺りを見回す横で、ナアザは今一度確認するように問い掛ける。誰かと同姓同名の人物が居たとして、それが何なのかさっぱり解らない。けれど、
「名前が同じとはどう言うことだ?」
「話した、事故のこと。…隣に住んでた…、セイジ・ダテって…」
 そこまでを聞くと、流石に『マズい』との思いがナアザの頭を過った。
「そりゃ偶然の一致だ。セイジ・ダテなんてそこまで珍しい名前じゃない」
 相手を落ち着かせるよう、平静に、ナアザは配慮してそう言ったつもりだが、同時にこれはどうにもならない問題だと、覚っていることを気付かれまいとしていた。本人の話ではまだ、件の事故から数日しか経っていないのを知っている。入隊式の前の暗い表情を思い返せば、「考えるな」と言うのは無理だと思った。ただ、本人の意識が追い込まれない程度に、普段は気にし過ぎずにいられればいいのだが。
 そう本人が、何処かで気持を収めて前進するしかないことだ。そして、その気持の切り換えを一刻も早く行わなければ、シンは折角のチャンスをふいにしてしまうかも知れない。子供の頃から憧れていた職業に就けるか、就けないかと言う瀬戸際なのだ。
 どうか、誰に取っても最悪の状況にならぬよう願う。
「何の話だ?」
 そこで再びシュウが、ふたりの見えない会話について質問したが、火星のふたりには後で説明すればいいだろう。と、ナアザは苦しむシンに向けて声を掛け続けた。
「もう終わった事なんだろ?」
「似てるんだ…。子供だったけど、そのまま生きて成長したみたいに…」
「そんな馬鹿な…」
 青紫の唇が細かく震え、シンは真面目に怯える様子を見せていた。亡霊のようなものがいるなどと、この宇宙時代には馬鹿馬鹿しくて信じたくもないが、もしそうであるなら、事態はどうすれば解決できるだろうか?。しかも相手は研修生の世話役だ。この新人研修は前途多難かも知れないと、ナアザの表情も曇って行った。



つづく





コメント)このパートは星や宇宙の話が多いですねー。元の小説ではその点で、ちょっといい加減な記述があって直しながら書きました。ただのキャラ話だから適当でいいやー、と、当時は思ってたんだけど、知識が増えるといい加減なこと書きたくないなと、どうしてもこだわってしまいます(^ ^;
ところで配役について、先輩の役をリョウかシュウにした方が、出番が多くて良かったんだけど、シンの先輩がリョウorシュウって、イメージじゃないのでやめました(笑)。元々シンの方が年上だもんね。
ここまでで魔将達も三人出て来たけど、もうひとりも勿論出て来ます、この後。



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