高層ビル群
(鎧伝)新宿
#1
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 その時、移動する時空の流れが少しおかしいと気付く。
 俺達は異なる幾つもの時空を旅して来た。否、旅なんて楽しげなものじゃない、行き先も告げられず強制的に、何処かに放り込まれると言うだけだ。時には笑い、楽しむ場面もあったが、大抵は苦労と苦悩ばかりが続く修行のような旅。
 そう、俺達は単なる地球の人間から、ひとつ何かを超える為に、こうして様々な場所の様々な事象を経験させられている。選ばれた存在となったからには、仕方がないことだと諦めつつ、だが生まれ育った愛しい地球世界の為に、出来る事を全うしたい気持も勿論ある。俺達は広く全てを守れる力になりたい。必ずそうなれると信じて、いつまで続くか判らない旅を続けている。
 この五人の仲間が居る限り、きっと明日も、明後日も希望を持って生きているだろう。それこそが俺達の最大の使命なのだから…



 ふと遼が目を開くと、そこはビル街の真ん中の交差点だった。ビル街と言ってもアメリカ、中国などにも知られた大都市は多くある。だが立ち並ぶ建物の雰囲気、空気の匂い、そして記憶の片隅に残る記憶の断片が、自ずとその場所を特定していた。ここは自分にはとても大事な場所だと。
「あれ、ここは…」
「…新宿、みたいだね?」
 横に降り立った伸もまた、ここがあの懐かしい新宿であることにすぐに気付いた。時間は午後三時頃だろうか、正午を過ぎ夕方へと向かう日射しが柔らかかった。いつか感じたことのあるビル街の午後。けれどその後ろで、
「記憶と少し様子が違うような…」
 征士が素直な疑問を唱えていた。降り立つとすぐにキョロキョロし始めた秀も、
「いつ頃なんだ?、そこまで超未来って感じじゃねぇぜ?」
 と言った。彼の言うように、単純に未来の地球に来たのかも知れないし、或いは、彼等の居た地球とは違う次元に来たのかも知れない。地球と言っても幾つもの地球が、重なる違う次元に存在しながら世界はひとつなのだ。そのセル画のような世界を理解しかけている五人だったが、真偽のほどは解りようもなかった。ただ少なくとも年号などは、どの次元でも存在するだろうと思い、
「ちょっと待て…」
 当麻はそう言って、すぐ横のビルにさっさと入って行ってしまった。勿論そのビルにも見覚えがある、入口の様子から京王プラザだと思われる。だからこそ当麻は躊躇なくそこに入ったと、時が過ぎるに連れ誰もが腑に落ちた。一秒、十秒、三十秒、とそこに立っていると、体も徐々にこの世界に馴染み、落ち着いて辺りを眺める余裕が生まれて来た。
「都庁の周り、何か前よりすごくなった感じだけど、きれいになった気がしない?」
 伸が征士にそう話し掛けると、征士は歩道の端へ歩き出した伸に寄り添いながら、そこから見える、多少違和感のある新宿を細かく観察し始める。だが違和感はあるものの、確かに伸の言う通り町がきれいになったことは、容易に感じ取れる現実だった。
「そうだな、都庁に合わせて整備したんだろう。そこに地下鉄の駅ができたようだ」
「ホントだ!、都庁前だって。都営大江戸線なんて知らないね?」
 道路の向こう側にある地下鉄の入口、目を凝らすようにして文字を読み取ったふたりは、新しい路線に少しワクワクする思いだった。建物や店鋪の入換えなどは些細なことだが、電車の路線が増えると言うのは大きな事件だ。機会があったら是非乗ってみたいと思わせる、それは楽しいアトラクションのようなものだった。
 その一方で、反対の方向を向いていた遼は、
「だが変わってないものも多いみたいだ、NSビル、懐かしいな」
 そのガラスのエレベーターを思い出し、戦士として駆け出しの頃の記憶もまた思い出していた。妖邪弾なんてものがあったことも、妖邪の空間では完全にビルが崩壊したことも、人々の記憶には無いことだろうが、五人には只管懐かしいビルだった。
「だよな、あっちは住友ビルと三井ビルだろ」
 秀が指差した先に目を遣ると、確かに記憶と相違ないビルが並んでいるのが見える。だが、振り返った遼がふと横を見て、
「でもあれは何だ?、あんな変なビルなかったよな?」
 と呟くと、その鳥の巣のような不思議な外壁を持つビルに、
「奇抜なデザインだなー!」
 秀も面白そうに同意した。彼の声に吊られて振り返った伸と征士も、暫しその面白いビルに見入ってしまった。何故ならここはオフィス街だ、原宿や青山ならともかく、お洒落で面白い外観を競う街ではない。だがそんなビルも出現したと言うのは、新宿が以前とは違う顔を持ち始めたような、不思議な印象だった。
 まあ東京駅の周辺にしても、皇居傍の厳かさと銀座の賑わいが、同居するからこそ首都の町である。重要な街とはビジネスとファッション、共に持ち合わせるものなのだろう。つまり新宿は、バブルの頃からまたひとつ、主要都市としての進化をしたのかも知れない。
 そんなことを考えていた四人の元に、当麻が軽やかな足取りで戻って来た。何か目的通りの情報を掴めたに違いない。すると、
「待たせたな、カレンダーを見て来たんだ、二〇十三年と書いてあったぞ」
 彼はそう言って、成程ホテルのロビーにはカレンダーがあるものだ、と感服させた。彼の瞬時の思い付きは今も尚冴えているようだ。
「へぇー、じゃあ僕らが戦った頃から二十五年経ってるんだ」
 二〇十三年と聞いて、すぐに計算ができた伸がそう話すと、征士はそれに応え、
「私達は…四十才と言うことだな」
 と続けた。そう、もしかしたらこの次元には、自分達が置いて来た身代わりの五人が暮らしているかも知れない。その五人は四十才になっている。今彼等が何をしているかなど見当も付かなかった。
「ええっ!、四十路!?」
 想像できない様子で秀は騒ぐが、当麻は冷静に辺りを見回しながら話す。
「ああ、四十代になった俺らは、こんな新宿を見てるらしいな」
 もう戦いの後の爪痕は微塵も見られない、街は何事も無かったようにとり澄ましている。嘗て、この空の上に暗雲が現れ、一時街が封鎖されてしまったこと、そこから生まれた矛盾や不条理を当時は、必死に取り繕う時間があったけれど、もう誰もそんな事は気にしていないだろうと思えた。
 それ程に今は、アメリカのビル街を思わせる風情に整っている、と見えた。
「あの頃新宿は副都心て言われてだけど、都庁ができてからもっとそれらしくなったのかも知れないね」
 伸が言うと、それに同意した当麻は、
「実際以前より街がグレードアップした感じだ」
 と言って頷いた。政府主導なのか、企業等が自主的に動いたのかは不明だが、とにかく新宿が今も活気ある街であることは間違いないようだった。
 尚、他の四人は知らないことだが、当麻は自分達が生まれる以前、この町は反政府的な抗議活動が盛んな、不満分子の若者の町だったと聞いていた。それに伴い当時のインテリやアーティストも、こぞって集う最先端の町と言う位置付けだった。だが今は別の意味で、また最先端を走り続けているのかも知れない、と感じさせる今の風景だ。
 こうして、激しい時代の変遷を見られる都市は面白い。だから新宿は魅力的な町だと改めて思った。するとそんな当麻の気持に同調したのか、
「うん、折角だからちょっと散歩してみるか!」
 遼が珍しく羽目を外すように言った。本来時空を超えて送り出された世界では、まずその場所での目的探しに奔走することになるのだが、今は何故かそんなことより、この懐かしい町を楽しもうと言う気持が優先された。そして大将である遼がそう言うのだから、反対する者が居る筈もなかった。
「おうっ!、行こうぜ!」
 逸る気持に威勢良く秀が言うと、反対に落ち着き払った様子の当麻は、
「俺達は何故ここに来たのか、何が起こったのか知らないが、まあ一時間くらいここに居ても問題なかろう」
 と、自身の中で何らかの折り合いを着けるように言った。無論彼だって、知っていながら知らないこの新宿に、この上ない興味を持っている。恐らく短いイレギュラーな転位であるこの時間を、ただ突っ立っているのはあまりにも惜しかった。
 叱られたら、天つ神様には身の未熟さを真摯に話すとして、今は心のままにこの街を見て来ようと、誰もが納得しながら五人は歩き出していた。

 斯くして、鎧戦士達の二十五年目の新宿散策が始まった。

 一行はまず南を向いてその景色を確かめた。新宿NSビルの見える方向だ。
「それはモノリスビルだろ、隣はKDDビルだろ、この辺はそんなに変わってねぇじゃん」
 秀が記憶と違わぬビルをひとつひとつ確認する。しかし少しの間を置いて当麻が、
「いやよく見ろ、KDDじゃない、KDDIと書いてある」
 以前との微妙な違いを指摘した。
「あれ、ちょっと名前が変わったんだ」
「そう言う変化は色々ありそうだな。二十五年も経つと」
 伸と征士は、それについてその程度の感想しか言わなかったが、どうも腑に落ちない様子の秀は、
「アイって何だよ?。アイが付くと何が違うんだ?」
「知るか」
 しつこく尋ねて当麻に躱される。まあ多くがアルファベットのアイは、インテリジェンスに近い単語の頭文字だ。恐らくコンピュータ社会になり、単純な通信の他に何かそうした事業も始めたのだろう、と、当麻はそこまで読み切れていたようだが。
 ただ企業名の変化はともかく、南側はあまり変わっていないと知ると、
「向こう側に回ってみよう」
 と、遼が先導して一行は反対の北側に、折り返すように歩き出した。先程秀が指差した三井ビルの見える方向だ。戦いの中で一度崩落したそのビルが、あっと言う間に再建されたことには、当時も驚ろかされたが、それだけに思い出深い場所のひとつだった。すると、最初に降り立った交差点の右側をよく観察した伸が、
「ここ、工学院大学は建物変わったね。移転しないで今もあるのは根性だ」
 と話すと、当麻が今度は笑って相槌を打った。
「確かに」
 自分達の時代に既に、都心部から郊外へ移転した大学、高校は数多くあったが、こんな町中の窮屈な場所でも、在新宿と言う特徴を残したいと考えたのだろうか。勿論そんな大学もあっていい。ある意味新宿を愛するからこその選択を、面白く歓迎する気持になった。自分達がこの街に特別な感情を見い出すように、大学にもこの街は特別な価値があるんだろう、と微笑ましく思えた。
 その、道路を挟んだ向こう側に渡ることにすると、
「新宿センタービルは変わってないな」
 と遼が、道を渡る前に呟いていた。何故彼がこのビルをよく憶えているかは、一度中のレストランに連れて来てもらったことがあるからだ。変わらないものを見付けるとほっとする、変わったものを見付けると心が踊る、信号が変わって歩き出した遼は、その面白い感覚を充分に楽しみ始めていた。
 道を東に曲がると、四人が暫し眺めた奇抜なビルが目の前に見える。すると当麻が、
「あのビルはコクーンタワーと言うらしい、東京モード学園のビルだそうだ」
 抜け目なく京王プラザで頂戴して来た、新宿の観光マップを見ながらそう言った。するとその話は大いに盛り上がり、
「えっ、よくCMでやってた、専門学校だよな??」
 八十年代に盛んに放映していた、テレビCMの話を秀がする。今の彼等は知らないことだが、現在もしばしば放映されている通りで、デザインやカルチャー系の専門学校としては、一般によく知られた学校となった。同時に今は新宿のひとつのシンボルともなった。
「ああ、何かあの、ちょっと変わったCMな」
「へえ〜、随分羽振りがいいんだね?」
 遼と伸がそう言うのも無理はない。実際、学校がそんなに儲かるとも思えないし、ファッションデザインに限ればもっとお洒落な、桑沢デザインやバンタンデザインが知られている。この新宿にも文化服装学院があるのに、派手な宣伝で成上がったな、としか考えられなかった。まああまりいい印象ではなくても、建物自体は新宿の新しい顔として、受け入れられない訳じゃなかったが。
 その、コクーンタワーの角を左に曲がると、彼等にはまた思い出深いビルが見えて来るが、
「ん?、これも名前が変わったな。損保ジャパンとは何だろう?、前は安田火災ビルだったよな?」
 征士がすぐ気付いた通り、彼と当麻が再建中のこのビルの鉄骨から、町を見下ろした記憶が甦って来た。だから確かにそこは安田火災ビルに違いないのだが、
「保険会社のようだし、合併か何かしたのか社名を変更したようだな」
 当麻は征士にはそう説明した。KDDIの例といい、二千年代に入ると企業の再編などが進み、名称が変化したものは多い。だがその実態はそこまで変わっていないのが、二十五年後の世界だと少しずつ理解が進んで来る。すると北西の方へ伸びる道を眺めていた秀がまた、
「あんなビルもなかったぜ?、あそこ何だったっけ?」
 と、新たに見慣れない建物を発見していた。当麻が持っていた地図を見て、
「アイランドタワービルと書いてあるな」
 と話すと、誰もが暫し考えてしまった。そのビルの向こうには東京医科大学がある。ビルの右端には今も新宿警察があることが記されていた。しかし新宿の一等地と言えるようなこの場所に、かなり広い敷地を持って、以前は何が存在したのかイメージが湧かない。ところがそこで、
「ああ、もしかしたらあそこは水道局があった所じゃない?」
 思い付いたように伸が言った。するとそこから連想された遼も、些か興奮気味に言った。
「ああ、そうだそうだ!、よく憶えてたな」
「何となく水に関係ある所だったから思い出したよ」
 今現在は、新宿の水道局は別の場所に移転した。しかしこんなビル街のすぐ傍、ヒルトンホテルの隣に、水道局があったと言うのは何だか長閑な気もした。以前は副都心と言っても、町としてまだまだ発展途中だったんだな、と思わせた。
 こうして高層ビル群周辺を大体見て回った五人は、道を引き返し新宿駅の方向を目指した。歩く内に段々広く開けて行くその視界を、
「駅のロータリーはそんなに変わってないようだな、エルタワーもあるし」
 当麻は一見してそう口にする。けれどより近付いて行くと、やはり違和感のある風景を見付けてしまった。
「ハルクにビックカメラなんて入ってたか?」
「もっとお洒落なビルだったよねぇ?」
 征士と伸が首を傾げている。また、変わらないと初見では感じた当麻も、
「確かに、大型店がこう言う形で進出して来るとは意外だな」
 と、時代の流れを感じ取っていた。新宿と言えばヨドバシとさくらや、その他小さな電器店の犇めく町と言う感じだったが、他地域の量販店も新宿に店を持つほど、この街が重要な商業拠点となったことが伺える。実際はその他に、デパート業界の不振もあっての店鋪改造だろうが、そこまでは窺い知れない五人は、ただただ電器店の勢力に感心していた。
 そして横断歩道を渡り、駅と繋がる小滝橋通りへと出て行ったが、そこで新たに、今度こそ変わらないものを当麻が指摘した。
「しかしひとつ全く変わらないのは、この辺りをうろつく浮浪者だな」
 見掛ける人数、ダンボールハウスなどは減ったように感じられるものの、相変わらず新宿をねぐらにする浮浪者は多い。そしてその横を通り掛かると、相変わらず強烈な匂いがした。
「この辺歩くとトイレ臭ぇのは変わってねぇわ」
 秀がわざと身震いして見せながら言うと、遼も、
「そこは変わってほしいもんだな」
 秀と顔を見合わせて苦笑いした。副都心、東京都の中心としてより立派な街となった新宿だが、排除し切れない問題も未だあるようだ。まあニューヨークにもロンドンにも浮浪者は多い。人の多い町だからこそ、そのおこぼれに与ろうとする者が集まってしまうのは、仕方がない面もあるのだが。
 そんな有難くない人々との遭遇に、思わず息を止めて歩いていた伸が、懐かしい商業ビルの看板を見て喜んだ。
「新宿パレットはまだあった!」
 ガラス越しに女性の好きそうな可愛らしい物が並ぶ、そのビルを何故か伸はよく憶えていたようだ。だがそのすぐ傍には、またもや見慣れぬ地下鉄の入口がある。征士がそれを確かめ、
「ここにも新宿西口と言う駅があるな」
 と伝えた。勿論彼等は知らない駅であり、示されたそれを見て伸は、以前より地下道が広がっているんじゃないかと想像した。
「さっきの大江戸線だね。丸ノ内線の新宿と繋がってるんだ」
 そう実はその通り、そこから地下を伝ってサブナードまで回れるようになっている。南はNSビル付近、東は新宿三丁目まで延びている。嘗て五人が戦った戦場が、今は地下道でほぼ移動できるようになった。その事実を知ったらさぞかし彼等も驚いたことだろう。
 だが遼は、それより新線に関心が向いたようで、
「どう走ってるんだろうな、この路線?」
 と興味深く呟いていた。それを聞き付けた当麻は大体の想像で、
「大江戸と言うからには、ぐるっと回って東京駅の方向に行くんじゃないか?。銀座の辺りから直接来れる路線だろう」
 そう返していた。現実のルートは少しばかり違うが、環状線であることは何となく想像できたようだった。後に路線図を見て、少々面白いルートを辿っていると知ると、「大江戸」の意味も理解できたことだろう。
 そこで立ち止まっていた四人を後目に、先行していた秀がちょっとした歓喜の声を上げる。
「おっ、思い出横町!、残ってるじゃねーか!」
 昔から、いつ整理されても仕方ないと思えた小さな飲み屋街が、今も健在なことには誰もが驚いた。秀の声に引き寄せられるように、その様子を見に行った征士もまた感無量と言う風情で言った。
「少し小奇麗になったが、こういう新宿らしさが残っているのはいいな」
 今はお酒も普通に飲める立場になった彼等だ、これが夜で、時間が許すなら一杯引っ掛けたいところだが、今は後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎる。せめてうどん一杯くらい、との思いを振り切るように秀が駆け出すと、その先は新宿の大ガードだ。そこで珍しく、某文学小説の冒頭をなぞって彼は声を張り上げた。
「大ガードを抜けるとそこは…、おお!、西武新宿はそのまんまだぜ!」
「おお〜!」
 何故か秀の勢いに吊られて皆走り出していた。否、確かに昔もこの西武新宿周辺で、みんなで走った記憶があるからそうさせたのだろう。あの日はよく晴れた空がキラキラ輝いていたが、残念ながら今日の天気は曇りだった。ただ太陽の代わりに、新たにキラキラ光る物がそこに出現していた。
「あんなビルもビジョンもなかったよね。ヤマダ電気って書いてあるけど、知らないな」
 伸が駅前の公告ビジョンを見上げてそう言うと、遼もまた、
「俺も聞いたことないな?」
 と目を見開いていた。確かにヤマダ電気は、八十年代にはほぼ知られていなかった。まだ群馬を中心としたローカルな量販店だった。テレビCMなどで九十年代に知名度が上がったが、彼等がそれを知らないのは致し方ない。先程のビッグカメラの進出といい、暫し電器店の成長を考えた当麻も、
「俺達が居ない間に伸びた企業みたいだな」
 と纏めていた。ただ、JRの新宿に比べ何処か淋しげだった西武新宿が、以前より賑やかになったのは、彼等にも何となく嬉しく思えることだったようだ。その明るい気持を携えたまま、彼等は歓楽街である歌舞伎町の中へと入って行った。
 細い路地を入るとすぐに、ゴミゴミと小さな店鋪が連なる、歌舞伎町らしい風景に変わって行く。飲食店、風俗店、怪しくいかがわしい店の並ぶ先を指差し、
「あそこミラノ座だろ?、変わってねぇなこの辺の風景は」
 秀が、以前から存在する映画館のビルを指していた。そう、その映画館の周辺だけは、「歌舞伎町」の名の名残りで文化的な地域だ。怪しくない若者や、演劇を見に来た年輩の婦人などもよく見掛けた。五人はまずそこを目指して歩いて行った。ところが、
「この工事現場は…?」
 ヤングスポットと呼ばれる広場へ出た途端、先頭を歩いていた征士が異様な光景を見た。次に伸が、
「えーっ?、コマ劇場がなくなっちゃった」
 と、目を剥いて驚いていた。そう、普通の人が歌舞伎町に行く用と言えば、この辺りの劇場に来ることくらいなのに、そのシンボルが無くなったとは悲しかった。すると遼も、
「そう言えば映画を観に来たな、みんなで」
 大スクリーンを大勢で観る迫力と、集まった人々の熱気をふと思い出していた。八十年代は世界的に、映画産業はパッとしない時代だったが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「インディー・ジョーンズ」、「ブレード・ランナー」など、熱狂的支持を集めるヒット作も生まれた時代だった。新作を楽しみに待つ人々が、映画館に長蛇の列を成すことも少なくなかった。
 そんな一大拠点が消えたのはあまりに悲しかった。否、ただ消えた訳ではないかも知れないと、
「あの頃既にかなり古かったからな、建て直しかも知れん」
 征士がそう言うと、やはり当麻の持って来た新宿マップには、
「そうらしい、また映画館ができるようだぞ」
 そんな記載がされていて、一同はホッと溜息を吐いた。名称はTOHOシネマズに変わるが、映画館を含む商業ビルへと変貌するらしい。二〇十五年春完成予定とあり、今はその姿は見られないのが残念だった。いつかまたここに帰って来た時には、またみんなで訪れたいと思わせたコマ劇場跡…。
 すると、ふと後ろを振り返った秀が、
「どうでもいいが、この向かいの店ゲーセンだった筈だ」
 と呟いた。何故それを憶えていたかは、そこのクレーンゲームで、ぬいぐるみを大量に取った思い出があるからだ。
「パチンコ屋に変わったんだな」
 と、素っ気無く当麻は言ったが、パチンコ屋にしては妙だと更に秀が続ける。
「だが、ほれ、ガラスにアニメみてぇな絵があるし、パチンコ屋の質が変わったんかな?」
「うーん…、ゲーセンと変わらなくなったのかも知れん」
 聞こえて来る音は確かにパチンコなのだが、成程、何かのキャラクターのような絵が並んでいて、昔のようなオヤジの娯楽の雰囲気ではない。電器店の成長については素直に受け入れられたものの、この点についてはあまり理解が進まなかった。無論それは、彼等が地球で過ごした大半の時間は、まだギャンブルのできない年令だったからだ。パチンコ屋の何たるかなど知りようもなかった。
 そんな、首を傾げるような進化も確かに多くある。大衆文化がどんな方向に進むかなど、簡単に予想はできないものだ。悩みつつも、再びJR新宿駅の方向に歩き出すと、今度は伸が、あるコンビニエンスストアの横に出た看板を、目敏く見付けて言った。
「あれ、このライヴハウス西口にあった所だ。移転したのかな?」
「そんな細かい事よく憶えてるな?」
 戦っている間は目にも入らない筈の、地下のライヴハウスなどに注目していた伸に、些か驚いて遼が尋ねると、伸は、単純に憶えていただけではないことを話した。
「そうじゃなくて、ここ有名なライヴハウスなんだよ、メジャーデビューした人が沢山いるし」
 そう、古くはARBなどが拠点にしていた、新宿の顔とも言えるライヴスペースなのだが、実は騒音問題で元の場所を追い出され掛かり、裁判になったことを伸は知らない。だがまあ、場所は変わっても同じ新宿、以前より賑やかな歌舞伎町なら、寧ろ今の方が安住の地かも知れなかった。そんな、大衆文化より更にマイナーな文化にまで、時代による変化が起こっていることを感じた。
 その後、歌舞伎町の一番街の、あまり変わらない町並みを楽しみながら歩くと、通り抜けた先は懐かしいアルタ前だ。一番にそこに出た遼は、
「東口はそんなに変わってないみたいだ、アルタも百果園もある」
 と、些か嬉しそうな声で言った。ナスティと純に出会い、ふたりを人質に取られ、初めて五人で戦った思い出の場所。そこがあまり変わらずに残っているのは感慨深かった。特に角の果物屋は、よくぞ残ってくれたと言う気持だった。しかし、
「確かに」
 と征士が頷く横で、当麻が目を見開いて言った。
「いや待て!、あれを見ろ!」
「えっ…」
 その当麻の驚きように他の四人も、彼の指し示す方へ一斉に視線を向ける。そしてそこには…
「ルミネエスト…?、マイシティは何処行ったんだ!?」
 思わず遼が、周囲の迷惑を省みず叫んでいた。そう、嘗ての東口と言えばアルタとマイシティ、ヨドバシカメラなどがシンボルだった。今はその一角が失われてしまったとショックを隠せない。勿論自分が切り裂いたことも大事な思い出だ。そして伸が、
「変わっちゃったね?。ルミネは南口の方だったけど、こっちまで拡大したのかな」
 駅ビルの変化をそんな風に語ると、横浜方向から来る者には馴染み深いルミネについて、秀もその勢力の変化を面白がった。
「みてぇだな!、京王グループが頑張ってんだ」
 こんな時、電車で東京を廻れる時間があれば良いのだが、実際各地の駅ビルの多くがルミネ化している。アトレも多いが、昔はその土地だけの駅ビルだったものが、今は殆ど各系列の商業ビルになっている。それこそ時代の流れと言う現象だ。ポイントなどのサービス面では便利になったが、土地土地の雰囲気が消えたと言えばその通りだ。それについては知りようがない五人は、ただただ、新宿のひとつの特徴が無くなった喪失感に嘆いていた。
「もうあのマイシティは無いのか。淋しいな」
 遼はまだ、気持の整理がつかない様子で、じっとルミネエストの側面に掲げられた文字を見上げている。けれど当麻が、
「でも建物自体はあの頃のままのようだぞ」
 と話すと、誰かがそう言ってくれたことに、酷く安心したように彼は返した。
「そうだよな…」
 名称、運営企業、内在する店鋪、それらは皆変わってしまったとしても、まだその外側の形は残っている。それだけでも「良かった」と納得すべきだと、漸く遼の気持も収まったようだった。形ある物はいつかは壊れる。その理屈は既に嫌と言う程見て来た筈なのに、思い出の土地となると感情的にもなってしまう。
 そして再び五人は歩き出した。地下駐車場の横断歩道を渡ると、東口の店鋪の並びはそこまで違和感を感じずに歩けた。征士が目についた看板を読み上げ、
「高野フルーツパーラー、ヨドバシカメラも健在のようだ」
 と話す。しかしそうして南へと向かう途中、突然伸が顔を被って眉を顰めた。
「うわっ、何ここ、ドブ臭くない?」
 稀に大都市ではそんな異臭がすることもあるが、新宿のこの辺りは嘗て、そんな匂いはしなかったと秀も賛同する。
「渋谷のセンター街みてぇだな。典型的な下水の臭いだ」
 その匂いの原因が何かは、流石に鎧戦士には専門外で特定できないが、恐らく下水管が傷んでいるのだろうと五人は考える。実際水道や下水の管が老朽化していると、問題になっている最中の今年だ。ライフラインのメンテナンスが必要な時期に来た東京に、改めて五人は二十五年の歳月を考えた。
「だが店鋪はお洒落っぽい店が増えたような」
 と、伸が「ドブ臭い」と称した辺りにも、昔は見なかったブティックができたり、上辺だけは賑やかに盛られていると当麻が言う。これではお洒落な店も台無し、ヨドバシカメラも迷惑していることだろう。新宿がより長く、より良く続く都市になる為には、目に見えぬ部分にも手を入れてほしいものだった。元々雑多な町とは言え、不潔な印象はよろしくない。
 それはさておき、横の路地を覗き込んだ秀が、
「この辺ってよ、中古レコード屋なんかが多かったんだよな」
 昔を思い出しながら話した。五人の中では一番よくこの町に来ていた彼は、新宿のそんな面もよく憶えているようだった。
「レコードはさすがに古いな、もうそんな店はないだろう」
「ちょっと道を入ってみようよ」
 当麻と伸が口々にそう言うので、ここは駅から離れて行く路地に、少し足を踏み入れてみようと意見が纏まった。彼等は中央通りと呼ばれる道を東へ進んで行った。
「こういう中の通りはそんなに変わってない感じに見えるな」
 路地の様子を見ながら歩く遼が、この通りの細々した店の並びは変わっていないと話す。確かに秀の言うような、中古レコード屋などが存在していたことを、今も想像させる雰囲気を残している。この辺りはなかなか新宿らしい、いい空気だと彼は満足そうだった。否、誰もが不思議な安堵を感じられていた。
 ところが、この中央通りが明治通りにぶつかる辺りに近付くと、突然征士が立ち止まり、まるで不審者のようにキョロキョロし始める。それが何だったかと言うと、
「待て、この辺に駐車場があった筈だ。私達が新宿に偵察に来た時、確かこの辺に車を停めた筈」
 と言う、確かな記憶に基づく間違い探しだった。そう言われると、その時車に同乗していた当麻も、
「あ…、そう言やそうだな?」
 未成年、無免許の征士の素性がバレないよう、大変な芝居を打って駐車したことを思い出した。そうだ、確かにこの辺りだったと、今度は当麻もウロウロ歩き始める。当時にしても珍しかった地上の駐車場は、現代なら巨大な立体駐車場にでもなっていると思えたが、
「多分ここだ、大塚家具って店になったようだ」
 今はその名残りもなく、ふたりは残念に思うばかりだった。昔の新宿が感じられる良い感じの通りだったが、やはりどうしても変わってしまう面はあるものだ、と納得するしかない。まあただ、その駐車場が存在した区画はそのままであり、町並みを損ねていないことは幸いだった。



つづく





コメント)ただの新宿散歩がこんなに長くなると思ってなかった。変な所で切れたので、とりあえず先にお進み下さい。


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