楽の舞
#1
REVERSE



 山の霞も風情があれど、大海原を漂う靄もまた風流なり。
 櫂を失くした浮船の如く、遥か向こうの島翳へと渡り行く。
 未だ見ぬ新しき国へと、東風は櫻花を散らせて見送らん。
 目覚めは寿ぎ、吾も身ばかりを残し、全ての上に座し給う神の御膝元へと参る。

 黒船や、黒船や。

 江戸の町は天地を逆さにしたような騒ぎに揺れている。
 将軍様も殿様も、大手を振って往来を行く御家人方も、いつ何時その地位が崩れ去るかと、眠れぬ日々をお過ごしだろう。全てはこの、浦賀の港に漆黒の船団が姿を現した、その時からだ。
 予てより力の衰えを見せていた、徳川幕府の支配を改めようとする士族衆が、この黒船騒動に乗じて各地から集まっていると言う。それに対し、幕府もまた攘夷を唱える武士を集め、そこかしこで一触即発の、危うい状況を作り出していると言う。お江戸は元より賑やかな町なれど、今暫くは、物見遊山の気分にはなれぬ様子だそうだ。
 幕府は長く考えた末に、メリケンに対し通商条約を結ぶこととなった。それがまた新たな混乱を作り出して行く、頑に古来からの攘夷を唱える者在らば、幕府を見限る意味での尊王攘夷論者も在った。方や穏やかな開国のみを望む者、開国と討幕を同時に目指す者など、主義主張の違った集団が入り乱れ、最早この国に統治者無しと言った具合だ。
 無論何れの主張が正しいかなど、将軍様にも誰にも解りはしない。ただ、この日の本の国は長きに渡り、外の景色に目を瞑り、聞こえ来る音には耳を塞いで来たのだ。全ての天に於いて今が、果たしてどんな時であるかも知り得ない。否、知る者在れど幕府は弾圧する他に術が無い。それが封建的治世であり支配である。
 故に今上の幕府は、迫り来る欧米列強の影に怯え、赤子の様に縮こまってしまっている。井の中の蛙大海を知らず、とは正にこのこと。海を隔てた異国との交易が、何故忌むべき事とされて来たのやら。海に開けた土地に住まう、地方士族の「愚かしや」との念は、我等、芸を生業とする賤の者にも、易く汲み取れる心情とお察し申す。
 海の向こうには、朽ちかけた幕府も息巻く士族も、堪えるばかりの氏無き者も、等しく全てを救うてくれるものが、在るやも知れぬと言うのに…。

 春の若葉に賑わう林の先、三方に海の広がる小高い丘の上に、誰もがあっと言わざるを得ない、珍奇な形をした芝居小屋が建っていた。
 例えこの地が黒船の来航以降、外来の文化や産物に恵まれていると言えど、その建築はあらゆる文明の、何処の何とも掛け離れて奇妙な姿をしていた。左右に二本突き出した塔は、如何なる工法を用いて造られたのか、土地の農民などには見当も付かぬと言ったところ。それ故人々は物見高な様子で、日々小屋の様子を窺いにやって来た。
 揺れるお江戸に比べれば、浦賀は遥かに平和な田舎の集落だった。
 芝居の興行が始まると、まず土地の民衆に拍手喝采を浴び、芝居小屋の周囲も賑わい始めた。暫しの時が経てば、その評判を聞き付けて少しずつ、遠方よりやって来る客足も増えて行った。今や横浜から馬車を乗りつけて、大棚の御主人衆などが連れ立ってやって来る程の、盛況振りに村が沸いていた。ここでは尊王攘夷も何処吹く風だ。
 しかし、芝居小屋を取り仕切る一座の座長だけは、常に難しい顔をしていた。
 その日の昼下がり、舞台を前にした役者達は、一時の休憩や着付けをしながら賑わっていた。その様子を、小屋の縁側に座って眺めていたひとりの少女。闖入者、と言う訳ではない。ここに居ることを許されている少女は、波打つフリルの襟に黒の袈裟を纏ったような、妙な装束を身に着けていたが、誰も気にしてはいなかった。通り掛かった役者のひとりが、その前に立ち止まって声を掛けていた。
「どうしたんだい?、親父様に叱られたのか?」
 男は、ひとりぽつんとしている彼女の、些か淋し気な様子を見て声を掛けたが、
「叱られてなんかないよ」
 と、キョトンとしながら返した様は、的外れな質問だったとすぐに気付かせていた。否、内容は間違っていたが、確かに少女は何かを気にしている風なのだ。役者の男はその横に腰掛けると、彼女の目線の先を確かめてみる。すると芝居小屋の裏に建てられた、小さな茶室風の離れの窓に、この一座を率いる座長の横顔が在った。ああ成程、と男は思う。
 少女はその一人娘なのだ。恐らく父親に対して何かを言いたいのだろう、と想像できた。すると目の前の景色を見据えたまま、少女は男にこう続けていた。
「でも、こんなに賑やかなのに、どうしてお父上は楽しそうじゃないの?」
 未だ十に満たぬ少女の目には、それが酷く不可解な様子に見えたようだった。
 勿論一端の大人ならば、学は無くとも思い測れる事情は、色々と考えられる一場面だろう。そもそも『芸』と名の付くものには終わりが無い。何処まで行ったからこれで終り、と言う終着点の無い努力を続ける作業である。そんな生き方は、田畑を耕すよりも寧ろ苦しい時もある。又、喝采を浴びようと己が満足しないのでは、矢張り素直に喜べぬだろう。
 或いは見た目の賑わいに反して、台所が苦しい状況もあり得る。或いは人気が高まるに連れ、意にそぐわぬ興行をせざるを得ない、そんな場面も出て来るやも知れない。何にせよ、大人はただ喜び愉しんでばかりは居られない、と、役者の男は少女に話した。
「座長は芸のみならず、俺等の暮らしも面倒見てくれてるだろ?。色んな事を考えなきゃなんねぇから、苦労も多いんだよ」
 そして、宥めの言葉を聞かされると、花の蕾のような小さな口からホウッと息を吐いて、
「そうなの…」
 と、やや安心した様子で少女は答えていた。何を案じていたのやら、恐らく父親が仕事にばかり打ち込む姿を見て、淋しく思うのか、痛々しく感じるのか、そんなところだっただろう。
 天職を認められた男は幸いだ。役者の目から見ても一座の主は、自ら脚本をしたため、自ら演出と指導を手掛け、自らも舞台に立つ、優れた人物だからこそ忙しい師範だった。更に、一からこの一座を旗揚げし、若くして専用の芝居小屋を建てた実行力もある。真面目で不正を嫌い、誰にも贔屓せず接する清々しさは、舞台に関わる全ての者から尊敬を集めてもいた。
 並外れて優れている。それだけに、強固な意思と信念に基づいた彼の行動、彼の生活には、なるべく邪魔を入れないよう気遣う。公私の区切りも無く、芝居に関する事で四六時中奔走するかと思えば、本や演出り為に四六時中篭っていたりもする。有り触れた庶民感覚では、多少理解が及ばぬ点があっても、致し方無しと言うものだった。
 だが、彼は家族を顧みぬ道楽者であったかと言えば、それもまた違う。
「嬢ちゃんはここの芝居が好きか?」
 役者の男は思い付きで問い掛けて、
「うん、大好きだよ」
 と言う少女の返事を耳にすると、その屈託の無い笑顔に合わせるように、自らも破顔してこう言うのだった。
「そりゃあいい、親父様はそれが一番嬉しいだろう」
 何故なら、座長の創る演目は皆、彼の心の奥底からの願い、叫びのような思い、普く人々に伝えたいこの世の道理と矛盾を、芝居として表現しているからなのだ。そう、今正に混沌としているこの国の、不幸の出所は何かを暗に示している。
 この娘はそれを正しく受け取らねばならぬ。
 他ならぬ己自身の為に。そして次の時代を造って行く者達の為に、だ。もう再び目を瞑ってはならぬ、耳を塞いではならぬ。外への恐れを自ら解き放ち、真の正しさを見い出さねばならぬ、そんな時代が訪れようとしているのだから。
 頭に宛てがわれた男の掌の下で、今は何も知らず、楽し気に笑っている幼い少女。
「でも昔の男衆は、本当にこんな戦をしていたの?」
 ふと気付くと、ふたりの視界の中で役者達が、殺陣(たて)の申し合せを始めていた。歌舞伎に於いてもそうだが、迫力があり格好の良い殺陣を演じることは、特に男の客を呼ぶ出し物となっていた。
 無論舞台は現実ではない。実際の立合いに美しさがあるとすれば、内面的な遣り取りのみであって、そこを視覚化したのが殺陣と言えるだろう。平和な時代が長く続いたからこそ、非現実的で奇抜な趣向が好まれた。刀を手にしたことの無い農民や商人が、想像を逞しくして、芝居の対決もの等を楽しんで来た。それが歌舞伎の主な流れである。
 と、男は話して聞かせるつもりだったが、
「嬢ちゃん、うちの『鎧演舞』は歌舞伎の一種だがな、」
「…?」
 話し出した途端にもう少しばかり、女性に向いた説もあると思い付く。殺陣の存在意義は客入りの為であって、そんな夢の無い話よりも、何故戦を扱った物語が存在するか、それについて話した方が良いと考え、続けた。
「元は『散楽』と呼ばれた、唐(から)の雑芸なんだよ。知ってるかい?」
「知らない」
 尚、奈良時代初期に渡来した散楽は、現代の劇形式ではなく、曲芸や手品、物真似、踊りと言った芸を組み合わせたもので、それ故雑芸と今は呼ばれている。劇の形を取り始めたのは、平安中期以降に大道芸として広まった散楽が、寸劇的に演じられるようになってからである。
「それが『田楽』と言う田舎芝居になって、そこから洗練された『申楽』が生まれた。申楽はお武家様が親しむ『能』となって、お江戸の町では『浄瑠璃』や『歌舞伎』が生まれた。いつの時代も庶民が楽しめる工夫をするのが、現代演劇ってもんさ。だから、大昔から伝わってる有名な話でも、能と歌舞伎じゃそれぞれ解釈が違うんだ」
 つまり、男の言わんとしていることは、劇中の戦や立合いの捉え方が、時代に拠って違うこと、同時に芝居自体が変わって来た、と言うことのようだ。各地で田楽が発達した時代は主に、空想上の偉人や神々、妖怪等の説話を演じていたと言うから、より具体的な題になって来たのは確かである。
 しかし、
「いや、演出が違うと言うかな」
「どうして違うの?」
 少女は質問する通り、いまひとつその事情を呑み込めないでいる。無理も無かった、まだ寺子屋に通う年にも至らない、広い意味での社会の存在も、殆ど意識できない年頃なのだ。そんな相手には、さてどう説明するのが良いだろうか?。
「そうさね…、能はお武家様のもんだから、庶民の俺等にはむつかし過ぎるんだな。殿様やお公家様なら、少なくとも俺等よりは、世の中の事をよく知ってるだろ?。俺等は戦と言われてもピンと来ねぇが、偉いお方の中には、戦が何かを知ってる人も居るんだよ。そんな違いだな」
 と最後に、単なる役者のひとりにしては、なかなか良い纏めができたようだった。
 帯刀を許された、戦う者の家を「武家」と呼ぶのだから、武士に戦や争いは付き物だ。故に彼等には彼等の戦観が存在し、それに合った芝居が好まれる。また一方では、庶民に好まれる想像的な戦が存在する。芝居の違いとは、受ける対象の違いだと、恐らく少女にもある程度伝わったことだろう。
 男が改めて少女の方を窺うと、少女は幼いなりに理解した口振りで、
「ふうん…。じゃあお能では、全然違う戦かも知れないんだ」
 と返していた。父の描き出す舞台が、その全てだと思っていた彼女には、意外な事実だった筈なのだが、思いの外落ち着いて話を受け入れていた。否、もしかすると少女の胸の内には、既に何らかの矛盾が存在したのやも知れない。
 それこそが、一座の座長として、少女の父が世に知らしめたい核なのだが。
「その通り、本当はこの『水滸新闘記』も、大なり小なり違う筋なんだろうな。これは親父様が、当世風に書き改めた台本だから…」
 鎧演舞の中で、特に人気のある題目のひとつ。本日の上演は『水滸新闘記』と言った。
 観客は、鎧武者五人衆の潔く勝ち進んで行く様、その中での殺陣や、武器を携えた役者の立ち振舞いに喜び、戦場での様々な葛藤の場面に震え、最後には不思議な物語の完結に溜息を吐く。大体そんな組み立ての芝居だった。印象に残る奇抜さも、振幅の豊かな場の構成も、全て緻密に考えられた舞台である。恐らく今宵の上演も、喝采の内に幕を下ろすと想像に易かった。
 けれど少女は今、もうひとつの『水滸新闘記』を観たいと思っていた。父に刃向かう意味ではなく、戦とは何であるかを、幼いなりに知りたがっていた。
 荒々しくも、人を魅了して行く破壊の嵐は、確実にすぐ傍までやって来ていたが。



 舞台に烏帽子直垂姿の狂言師が現れた。
「桜花爛漫の、春の演能にお運び戴きまして、誠に有難く申し候。此度はえも珍しき、キリシタン侍と鎧武者に拠る新作能、五番上演にて候…」
 静かな拍手と共に、切り取られた壇上の空間は別世界となった。
 松明の炎に照らされた白州の砂利が、石炭を燃したように爛々と光っていた。時折舞い降りる櫻の花弁は、対称を為す雪の様に、薄暗い空に白々と映えて見えた。
「さて各々方、キリシタンとは如何なるものか御存知か。遠く西方より夷の者あり、紅毛碧眼にて鬼のやうな形相の、彼等が此の日の本に伝えし、西の神の教えを信ずる者なり」
 地謡も囃子も無く、シンと静まり返る野外舞台に、ひとり狂言師の口開間(くちあけあい)が谺している。その歩を進める幽かな音、衣擦れの音、松明のパチパチと燃える音。この世がたったそれだけで出来ているような、錯覚さえ覚える。
 身なりの良い、厳格な様子の観客達は皆舞台に集中している。
「何故キリシタンらは、仏を捨て、唐の神々を捨てましたのやら。其れは、度重なる戦の内に、剣には剣を、策には策を、呪いには呪いをと、禍々しきものの応酬となり果てた、戦乱の世を憂えてのことなり。武者達も家中の者も皆、戦の神に天運を任せる此の世は、まこと地獄絵図に似たり。戦にのみ勝利すことが、世の全てとする時代があり申した」
 そして言葉の調子が、愈々と言うように盛り上がって行った。
「累々と積み上がる屍の、今生の恨みと怨念。世の末迄も届くと見れば、何ぴとも、救いを求め彷徨うより他無し。其処に現れたが、神は神でも、慈悲と救いにて戦に勝利すと言う、西方の唯一神なり。閻魔や如来に在らず、善悪一源を唱えて、民の心を惹き付けたり…」

「キリシタンよ、キリシタンよ、己らは全き上人なのか、卑しき夷狄なのか…」



初番能「三位」

 白式尉(はくしきじょう)の翁の面を着け、橋掛かりに現れた役者は扇子を両手に、舞台へと移動して行った。翁烏帽子に金糸銀糸の文様が雅びな翁狩衣は、正しく男神を表す装束だ。その渡りの途中で、地面から沸き上がるような謡(うたい)が始まっていた。
『虚より出でし、闇より出でし、光より出でし、此の世を六日の内に拵えし、
 天上におはすもの、然れど、全ての場に在り、全ての身に宿れり。
 其の小手先、土塊を摘み、未曾有の男に御霊を与えたり…』
 鏡板に描かれた老松が映り込む、磨かれた舞台へと渡る神の姿は、まるで天照大神の渡るようでもあるが、何処の地でも最高位に在る神とは、全天を司ると言う表現なのだろう。そして、ゆっくりと舞台の中央にやって来ると、手にした金の扇子をさらさらと広げ、それを合図に鳴り出した小鼓と笛の囃子で、「翁舞」を舞い始めた。
 三節に分かれた舞は流れるように、節末の足拍子は力強く、この世の自然な有り様を表しているようだった。末永く世は太平であると、神が自ら祝いの宴をしているようなものだ。そこに人や動物は介在できない。神自身の世界の喜びが在るだけだ。
 神の世界。神のみの世界はただただ幻想的で、幽玄そのものだった。
 再び謡が始まる、同時に翁は後座へと下がって面を取り替える。
『未曾有の男より、千々の月日を経、御子なる姿、新たに生まれ出ず。
 遠く東より、此の世の闇を割くる、計斗の出ずれば、標と見ぬ。
 親は親でなし、子は子でなし、乙女より現るるは、ただ慈悲のみなり…』
 振り返った、翁であった者は、武将を表す平太(へいだ)の面へと変わっていた。
 そして、金の狩衣のまま輝ける将軍は、再び舞台の中心へと上がって行った。その時になって、橋掛かりの中程には、甲冑を着込んだ鎧武者が現れていた。蒼の兜、蒼の糸縅(いとおどし)、蒼の篭手、手には弓を持って立ち尽くしている。ワキとして登場した鎧武者は、ただ茫然と舞台を眺める役所のようだ。
 その意味は、死力を尽して戦に明け暮れた後の、価値観の損失と言った表現なのだろう。
 そんなものには気を留めず、将軍を演じる役者は次に、勇敢さと品とを表す「早舞」を始める。太鼓の早い律動と、笛の音が舞台の空気を踊らせ始める。またそれに素晴しい同調をしながら、将軍は祝い、寿ぎと言った晴れやかさを舞う。さながら時勢を見つつ、知略に拠って軽々と荒波を越えて行く、颯爽とした武人の姿を思わせた。
 誰をか言わんや、戦わずして戦に勝てる者を、真の勝者と言う。下界に降りた神ならばこそ、それを体現できるのだろう。
 早舞を終えると、後座へ下がった将軍と入れ代わりに、直面(ひためん)の狂言師が現れた。口開間の際の格好に、上から奇妙な黒マントを被り、首からは大きなロザリオを下げている。そして語った。
「我等この地に在るは、誰を以っての計らいぞ。
 人伝に聞こゆ、書として観ゆる、古より業を賜ふる我等の、生き様死に様を知る。生けることは争ふこと、太刀を揮い、群馬を駆り、富と土、合い見(まみ)える者の命までも、残さず刈り取るが我等の生業。其れが武士なり。誰もが祖は荒ぶる蛮人にて、血を違える者無し。
 只、哀れなるは我が胸の空しさよ。さだめとて、戦を重ね、誉れはあれども、まことの幸は遠からむ。奪えば奪え、己が骸は更に満たせざり。愛でし月をも、今や憎しみ怖れを生して眺むる。
 取れば欠くる。殺めれば絶へる。我等この地に在るは、誰を以っての計らいぞ」
 と、口上を終えると、狂言師はその場で「三番叟(さんばそう)」を舞い始めた。この場面ではまず「揉ノ段」を舞う。大鼓、小鼓、笛による独特の囃子に乗せて、力強く躍動的な舞が繰り広げられる。板を踏み締める足の音と、跳ね回り飛び上がり、見目にも賑やかなこの舞は、神の意に戦(おのの)いたり、喜んだり、常に右往左往している我等、人間を表現していると思う。
 更に、狂言師は黒式尉の面を着けて、手に鈴を持つと、前の口上の続きを語る。
「只、屍は土へと還へり、土は肥となる。仇味方無く我等は屍、生まれながらの屍にござる。借り物の御霊で何を為したとて、まことの栄華は人の物に在らず。我等は短き昼を過ぎ、土へと還りて、後の命を紡ぐ糸となるのみ。神の世を支ふるひと枝となるのみ。ならば、苦とは何であろう。
 花開き、葉生い茂り、何れ実りを結ぶ。万物には時が在る。人の苦とは、時が過ぐるに必要な力やも知れぬ…」
 言い終えると、囃子に合わせて鈴を振りながら、三番叟の「鈴ノ段」を舞い始めた。
 古来から鈴の音は、五穀豊穣の祈願に使われる。悟りを得た男は神の姿に扮して、個人の思惑とは関係なく、ただ全てが豊かであらんことを祈る。揉ノ段とは違い、力を印象付けるより、鳴り響く囃子と鈴の音の調和が、神々しい何かの到来を感じさせるような、儀式的な舞だった。
 結局、戦おうと戦うまいと、人の求めるものは同じなのだろう。身分が何であれ、同じ幸福を欲するなら、皆同じ手順を踏むしかない。そんなことを表しているようだった。平和を欲するなら、誰もが共通の平和を胸に描けなければならぬ。
 しかしそんな間も、橋に立つ鎧武者は何もできずに居た。
 狂言師が下がると、地謡が再び口を開く。
『茨の冠を被せられ、身に鞭を打たれ、己の運びし十字架に、釘にて打たるる。
 救いの主は丘に晒され、一度御霊は消え去るも、三日の後に黄泉より下りし。
 四十日、民の元に留まりて、世のまことを伝えたり。
 神は在り、我は在り、御霊は在り、とこしなえに在り…』
 すると、今度は平太から小面に面を変えた神が、舞台へと上がって来た。この場合は若い女の役ではなく、目に見えぬ霊的な存在を表している。
 小面の神は、両手に鳩の羽を束ねた扇子を持って、「楽(がく)」を舞い始めた。太鼓のみの節に合わせながら、最初は緩く優雅に、徐々に早足になって、仕舞には調子の良い足拍子を響かせ、楽し気な様子を醸し出して行った。この世はかくも明るく、命は皆楽しいと知らしめるように。
 神を慕い、神を讃え、神と同一であることを喜ぶ楽の舞。手にした羽の扇子は本来、背中から生えているものなのだろう。舞い踊る精霊達に誘(いざな)われ、万物は生の喜びを感じている。万物は救われる、命は皆救われる。
 ただひとり、蒼き鎧武者だけがそこに加われないで居た。恐らく彼は、根底から覆された理念に茫然としていて、まだ理解が及ばない状態なのだ。戦うことで、世の安定を得られるならと、自らの安定を捨てて戦って来た。害を為す者を知った上で、見逃すことはできなかった。けれど結果の出た後になって、争いから和が生じることは無いと知るのだ。
 初番能はこの場面にて全てを終えるが、鎧武者にも何れは悟りが訪れるのだろう。例え過去の全てを否定されても、命ある限り救われ続けると、この演目は説いているのだから。

 観客の静かな拍手の中で、誰かの目から舞台を観続けていた、伸は口を噤んだまま話していた。
「当麻、君は知っていたか。初番は祝言能とも言って、お祝いの意味で演じられるんだ。僕らが、否、人間が関与できない所で、誰かは大いに喜んでるんだよ。間違いかどうかじゃないんだ、何処まで考えられるかを、君が放棄しては駄目だ…」
 



二番能「鎧慈童」

 気付くと伸は舞台の真ん中に、作り物として置かれた宮に座り、童子の面を着け、酷く長い黒頭(くろがしら)を頭に被り、縫箔の着物の上に片袖だけ唐織の上着を纏っていた。
 これは少年の姿をした何らかの神、或いは神憑かりな存在を表すものだ。と、多少知識のある伸は自らの状況を覚っていた。遠い祖である毛利元就公も能を嗜んだと言う。武家の有り様、当時の物の考え方を知る上で、国の大切な文化のひとつだと、彼はまだ冷静に考えていられた。
 伸の手には、紐で編んだような唐団扇が握られている。
 すると、初番能の時と同じく、橋掛かりに今度は浅葱色の鎧武者が現れた。それこそが見慣れた鎧、見慣れた槍の持ち主だった。そしてそれが己の分身であることも、この演目の中心的存在であることも、伸には即座に理解できた。何故なら演じられる五番を纏めて、『水滸新闘記』と題しているのだ。
 能の主役を演じる者をシテと呼び、シテの分身や伴する者の役をツレと言う。今伸はシテの立場に在り、鎧武者はもうひとりの自分、ツレである。そして、舞台に立ち尽くす彼の元に、後座からワキの人物が近付いて来た。中尉の面に、金糸の華やかな模様を織った法被を着た、何処かの武将の出で立ちと見られた。その役者は伸の横に立つと、
「お主は何者ぞ?、此所で何をして居る」
 と問い掛ける。すると伸の口からは、思ってもみない言葉がスラスラと出ていた。
「我が名は慈童と申す。過去は周の穆(ぼく)帝に仕える身なれど、今は御覧の通りの有り様。日々戦場を慰めに歩く、流れ者と成り果てり」
 しかしその内容を考える暇も無く、舞台の上での話は進んで行く。
「周の帝、七百年も昔の人間とは、お主は妖怪変化か」
「七百年…?」
 伸も疑問に思ったが、舞台の上の童子もまた、その年数を聞いて驚いているようだった。不穏を嗅ぎ付け奔走している内に、どれだけの月日が経過したのか知らなかった、と言う様子だ。また尋ねた武将も、少年の姿をしたままの人物に驚いていた。
 そして慈童はこんないきさつを続けた。
「…死罪となるところを赦免され、帝からは鎧を賜って流され申した。其の兜の裏に、意味深長な経文を見付けました故、帝への感謝の積もりで、毎日お唱え申した。忘れてはならぬと、ある時其の経文を写し書いたところ、天が開け、光が差し、守護の御神が舞い降りて来たのでございまする…」
 すると彼は徐に団扇を揚げ、込み上げる喜びを表す楽を舞い始めた。結果的に帝から賜った「不老長寿」、気付けば周と言う国が存在した時代から、七百年余り経過していたのだ。荒々しい時代を経ながら、七百年生き延びたことに感謝を示す舞。それは純粋な生命の持つ、太古からの欲求が満たされた意味だった。ただただ命ばかりが、己の財であるとでも言うような。
 慈童は舞い続ける、若く純粋な魂だからこそ舞い続ける。伸はしかし、意思にそぐわぬ形で舞わされ続けていた。
 舞いながら舞台の後方へと下がって行くと、橋に居た浅葱色の鎧武者が歩を進め、入れ替わるように舞台の中心に跪く。そしてもうひとり、ロザリオを下げた狂言師が再び現れ、その場で口上を始めた。
「諌めども慰めども、我が心は晴れぬ。一度争ひに関わらば、絡め取らるるが如く、其ばかりが日々の懸想となる。正しきものを追い求め、誠を信じてこそ、刃を振り翳せるもの。然れど未だ何も見えず、何も生まれず。この目に見ゆる世ばかりが、全てでなしと知るばかり也…。
 此の者、戦に疲れし鎧武者の、言上をまずはお聞き下さらぬか…」
 すると、楽を舞い終えて一時控えている伸の、意識だけが鎧武者に重なった。まるで魂が体から体へ移動するような、奇妙な感覚だった。
「汝は何故戦う?」
 狂言師が鎧武者に尋ねると、
『悪しき流れを断ち切る為』
 と、伸は答えていた。
「剣を以って剣を制すとな。果たして、何処にその果てはあるのやら」
『判らない。戦うことを託されたんだ、鎧と共に』
「愚か也、うら若き魂とは、清らかにして愚か也。是ぞ世の矛盾にて、人に哀切を与ふる」
『仕方がない、悪と示されるものを、正しいと信じられる方法で封じるしかなかった。いつも心の透く結果じゃなかったが、仕方がない…』
「折られた剣は何も言うまいが、斬られた者には思う事もあろう。斬った者にも思う事があろう。致し方無しと申せ、意の在るものは易々とは消えぬ。そうして悪しき流れは、綿々と続くのではあるまいか?」
『そう、かも知れない。今はそう思えている』
「故に、汝の受けし傷も易々とは癒えぬ」
『だから僕は辛い、戦う度に僕等の傷は増えて行く。だから僕は、皆の為に戦いたくはない…』
 狂言師とのやり取りは、実際は鎧武者役の台詞があったのだろう。けれど伸の耳には聞こえなかった。どころか、伸の答えに全く違和感の無い返事があり、狂言師との会話が続いていた。これはどうだろう、鎧武者が単なる役ではなく、真に己であることを覚る他に無い。
 三百年も昔に、本に描き出された水滸の姿は、正しく現代の水滸だと伸は思った。
「業を負う者よ、汝は再び戦へと向かうか、それとも兜を置くか」
 狂言師はそう告げると、鎧武者に向いていた体を正面の、観客達に向け直して続ける。
「お導きを。何方かこの男にお導きを。戦に迷へしこの者にお導きを」
 静まり返った舞台と、息を殺して見入る観客の作り出す、張り詰めた空気が肌に感じられた。無論武家に関わる者ならば、戦の意味と殺生の空しさとを、同時に考えることも多々あるだろう。故に能は武人に好まれて来た。そして、場の空気を切り裂く様に、舞台の上方からは、鎧武者の持つ槍が降りて来るのだ。
 狂言師は俄に声高な調子になる。
「此れは如何に、更に戦えと宣われるか…」
 けれど驚きの表現ではなかった。
 何故なら後座に控えていた、慈童が再び動き出していた。年数の分だけ積もる苦悩さえも、全て個人の喜びの内に取り込まれて行く、と言う話なのだ。
 狂言師が下がり、鎧武者は石の様に蹲っている。慈童の内世界にて繰り広げられた、不老長寿への喜びと戦への悲しみに、傍観していた武将も深い共感を得ていた。和を乱す苦悩を知ればこそ、己の安寧を大いに喜べる。己の命を見詰めぬ者に、他の命の価値も見出せはしない。また、どれ程長く生きようとも、人はこの苦悩からは逃れられぬと知ったようだ。
 慈童は酒を酌み、場に居合わせた武将にも勧め、自らも飲み、楽の続きを舞い始めた。抜け殻の如く佇む鎧武者の周りを、寧ろその思いで、伸は慈童として舞い続けた。あくまでも明るく祝言性を重んじた、太鼓の節が身を追い立てるようだった。
 より眼を開き、哀が楽に変わるまで、汝は全ての命を見渡すことだと。

 二番目物の能は「修羅もの」と呼ばれ、戦場や闘争の中にある葛藤や、修羅道に堕ちた武人の苦悩等が表現されると言う。伸は無論、これまでの自分達の活動が、「修羅」などと言う言葉に置き換わるとは思っていない。けれど、結果的には同じかも知れないと考え始めていた。平和な現代の日本にまで、息を顰めつつ続いて来た悪しき流れ、即ち修羅道の到達点に鎧戦士は存在していると知った。
 その流れを変える事が、最初から自分達の役割ではあったけれど。
 どんな考えにせよ、立場にせよ、関わってしまったものには、最後まで付き合わなければならないだろう。既に染み付いてしまった鎧の意思は、簡単に切り離せるものではなくなっている。だからと言って、若くして重過ぎる命題を与えられたことを、恨みに思う訳ではない。寧ろ恨みに思わぬ為に、何か、新しい価値観を見い出さなくてはならないのだ、と思った。
 これまで以上に、否、過去を修正する為に生きようとしなければならない、と伸は思った。

「僕らはいつも、たったひとつの事に全てを賭けて、命を賭して戦った来たんだ。でもそれでは駄目だったんだよ、みんな。でなければ、七百年生きた慈童の気持なんか、理解できる訳ないだろう…」
 伸は再び観客席の何処かで呟いていた。
「持つ者と持たざる者の責任は違う。力のある者は、生きなければならない」



つづく





コメント)これは「Message」に出て来た「江戸末期鎧舞台」の、元の解釈があるという話なんですが、どうにも難解な内容ですみません(^ ^;。元々「Message」自体、解釈が難しいOVAですが、それで言わんとしていることを書いてるだけ、のつもりなんですけど…。能や歌舞伎らしい表現、幕末の世相、聖書の内容等を織りまぜて、なかなか文章が進みません(- -)。上がりが遅くて本当に申し訳ない。
 尚、『水滸新闘記』と言うタイトルは、OVAにこれだけ出て来たから引っ張ったんですが、やはり鎧演舞とは歌舞伎っぽいものみたいですね。それと、最初に出て来る女の子は勿論すずなぎです。
 一応書いておきますが、『三位』の下地は『翁』、『鎧慈童』の下地は『菊(枕)慈童』です。まあ書かなくても、判る人はクスッと笑えた筈。




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