待ち人来たる
理 の 夢
#1
Dream of Reason Presented Men



 日がな聞こえる木々のざわめき、風に揺れる草の波、水面の煌めき、明るい光を集める高窓のガラス。
 久し振りにやって来た、赤い屋根の洋館とその周囲は、これと言った変化もなくただ懐かしさを感じさせた。
 滅多に押したことのないその呼び鈴を押して、
「またここに来てしまった」
 と、遼が多少困ったように言うと、何の前触れもなく突然現れたにも関わらず、ナスティは、
「お帰りなさい」
 と五人に声を掛けてくれた。

 何が日常であり非日常であるか、判断が怪しくなりつつある自分達に取って、何でもない顔で迎え入れてくれる人が居る現在は、まだとても優しい時代だと感じる。
 導く者もなく、後ろ盾もなく、世界中の何を手掛かりに、何処を目指せば良いかも自ら判断しなくてはならない、鎧戦士の新しい時代はまだ、序章を迎えたばかりなのだから。



「『天つ神』ですって…?」
 何がどうなって一時地上を離れ、またここに戻って来たのか、その経過を聞く途中にナスティは問い返した。
 広間のダイニングテーブルには、見慣れたティーセットと菓子皿が並んでいる。彼女の好きそうな可愛らしい洋菓子の数々、フラワーベースには季節の花、それを囲む面々もまた見慣れた風景だった。だが、そこで語られている言葉だけは、以前とは微妙に趣が違う。
 謎は常に付き纏うものだけれど、先人の残した道を必死に辿って来た少年達の、苦悩に歪む横顔はもう見られない。誰もが意外に余裕を持って議論に参加していた。ゴールが見出せない状況とは反面、急かされず充分思考できることでもあるようだ。
 良いのやら悪いのやら。
「それがすんげぇ妙な奴なんだぜ?、悪魔みてぇなの」
 と、自身も納得行かない様子で秀が返すと、伸はすぐに続けて、
「悪魔じゃなくて死神だよ。イメージは似てるけど全然別物だ」
 そう誤りを訂正していた。半分は欧州の文化で育った相手に、曖昧なことを伝えるのは良くないと思ったらしい。
 まあ、確かに日本人の持つイメージでは、どちらにしても魔的なキャラクターと言うだけで、その区別を重要に感じることはないだろう。ただ悪奴弥守でさえ「死神」と言う言葉を使ったのだ、その言わんとする意味を誤ってはいけない。
 簡単に言えば悪魔は心を蝕む存在、死神は命を操る存在だ。また悪魔は元は天使だった背徳者だが、死神は元からそうした精霊である。
 無論ナスティなら、そんな知識は既に得ている上で、五人の話に興味深く耳を傾けていた。しかし、
「そう…。『古事記』の表記に出て来る名前だけど、迦雄須一族の神が何故そんな呼び名なのかしら…」
「何かおかしいか?」
 彼女が最初に感じた疑問に、思い当たることのない遼が返すと、その理由は当麻が説明してくれた。
「『天つ神』は総称さ。『日の神』、『天の神』、空に居そうな神はみんな『天つ神』なんだ」
 そしてナスティも頷きながら続ける。
「その通りよ。複数の神に対する呼び方なの。勿論一族の守り神なら、迦遊羅の呼び掛けにはちゃんと現れるでしょうけど」
「そうなのか…」
 今頃になってそんな基本情報を知った遼だった。折に触れ誰かが教えてあければ良いものを、何とものんびりした状況だった。
 否、五人は妖邪界に飛ばされて以降、差し当たって危機的局面に遭遇するでもなく、その『天つ神』が重要かどうかも判断できずにいる。新たに見聞きしたその他の事象についても、まだ誰も充分な説明ができない、誰も答を急げないのが現状だった。拠って今は、無理な統一見解を持たず個々に考えている。それで良しとしている為に、遼のように抜け落ちが発覚することもあるのだ。
 言わずもがな、秀を除く他の三人は知っていたようだが。
「言われてみれば変だよね?、昔は生き神だったって聞いたし、迦遊羅なんかあんなに馴染んでたのに、何で名前で呼ばないんだろ?」
 伸はそう続けて、確かに疑問を差し挟む余地があると同意する。彼には本当の親子のように見えた、儀式の光景の親し気なイメージがあるので尚更だ。すると征士は、
「名を口にするのは恐れ多いとか」
 と、一般に考えられる例を挙げた。成程そんな事実は神でなくとも、日本の歴史上に幾らでも見付けることができる。けれど、
「いや、もしかしたら知らないのかも知れないな。迦遊羅の話だと、迦雄須から直接話を受け継いだ訳じゃないんだ」
 そう言った当麻の説の方が、意外に説得力を持って聞こえた。誰にも何が正解かは判らない筈だが。
「ああ…、順序で言えばそうだな」
 つまり征士の答えたように、迦遊羅が本来の己に目覚めた時は既に、迦雄須と言う存在は失われていた。事実上の流れに合っていると言う説得力だ。伝わる錫杖に如何なる力があろうとも、声を言葉を発する訳ではない。可哀想なことだが、迦遊羅は最後のひとりであるばかりか、不完全な形で一族を継承したのかも知れない。そんな背景を考えられた。
 確かにそれも一理ある。だが伸は納得していない。
「でも文献が残ってるって言ってなかった?」
 無論そこから『天つ神』を見出し、今は呼び出すこともできるのだが。すると、さして興味もなさそうだった秀が突然、
「読めなくなってんじゃね?」
 と口を挟んだ。それがまた適当な発言のようで、それなりに納得できる話へと続いて行った。
「その可能性はある。迦雄須一族の生き神が登場するとしたら、少なくとも千年以上前の文献だ。地上に在ったなら、いくら保存が良かったとしても、完全な形で残るかは微妙だ」
「そうね。昔の文字は意味が今と異なる面もあるし。迦遊羅にも部分的にしか読めないものがあるかも知れないわ」
 当麻とナスティが続けて尤もらしいことを言うので、ひとり反論していた伸は膨れてしまった。
「そんなの迦雄須が書き直したかも知れないし」
「何で知ってることにしたいんだ?、伸は?」
 素朴な秀の疑問。否、彼だけでなく誰もが思ったことだが、議論の上で伸が臍を曲げるのは珍しいことだった。いつもならそれ程主張せずに、大事な事だけ伝えて黙っている。己の物の見方にそこまで自信がないので、一点を突き詰める議論をしたこともない。今の彼が何にこだわっているのか気になる場面だった。
 それだけに、
「別に。迦遊羅に敬意を表してるだけだよ。みんなお世話になっといて失礼だよ」
 と、思い付きのような理由で返した伸を、
「まあまあ…」
 征士は宥めながら注意深く見ていた。以前からそうと言えばそうだが、伸が外部から受け取るイメージは、なかなか明確な言葉にならない。今の時点で彼には彼なりの真理があるらしいが、話が進まないので打ち切らせるしかなかった。
 勿論伸が、指導者なり僧なり、戦士達の心の拠り所になるものを切に願い、迦遊羅と一族の神との繋がりを羨ましく感じていると、征士は知っているからだ。何らかの力を持つ者が背景に存在してほしい。迦遊羅や魔将達に対するように、『天つ神』が自分達に道を示してくれる存在なら、少なくとも方向性に迷う不安は解消されると、伸は感じているのだろう。
 彼がこだわるのはあくまで仲間達全体の為だ。それは昔から変わらない。
 ただ、迦雄須のように語りかけてくれる存在とは違う、『天つ神』をどう考えて良いのか、まだ誰も伸のような気持にはなれないでいるだけだ。

「でも、例え不完全な形でも、実際迦遊羅達を助けてくれてるんでしょう?。本当に一族との絆が深い神様なのね、きっと」
 伸の言動はともかく、ナスティはそう続けて話を本来の流れに戻して行った。彼女の解釈を耳に、
「それは間違いない」
 と当麻が同意すると、遼は漸くここで、最も重要な話を切り出すことができた。否、最も意見をほしがっている出来事についてだ。
「うん、それで、その『天つ神』が何かをして、俺達とすずなぎの間にあった決まりごとを解いたみたいなんだ」
 遼の話に続けて、やや言葉足らずに感じたことを当麻が補足する。
「完全に解いたと言うより、一部を変えたように俺は思うが」
「だな」
 言い出した本人も納得し頷いて見せた。
 とにかく今は、その出来事が全てだった。『天つ神』がどんな存在であろうとその前に、現在の自分達の急展開は何なのかを知りたい。今何をするべきか答を出さなければならない。最終的には己が判断を下すとしても、客観的に見て今がどんな状況なのか、信頼の置ける人の意見を聞いてみたかった。
 折角、まだ頼れる者の居る地上に降りて来たのだ。
 ところがこんな時にも、
「何で一部だと分かる?」
 話の腰を折りそうな調子で秀が口を挟んだ。統一見解を持たないことの弊害だ、と当麻はやや苛立っていたが、
「新しい鎧がそのまま残ってるだろ」
 遼が平素な様子で答えると、
「ああ、そうだな、納得」
「すずなぎの意志もそのままってことね?」
 と、ナスティの理解も得られたので、強ち悪いタイミングの質問ではなかったようだ。考えてみれば、鎧世界を知らないナスティの知識は、これに於いては秀と大差ないかも知れない。ただ、
「そう…、新しい鎧は残ってるのに、すずなぎが決めた活動形態が変わったと言うことね…。それはつまり、『天つ神』はすずなぎより上位に居るってことよね?」
 少ない情報からでも、広く思考できる能力は流石に比較にならなかった。彼女には今、何故事件より『天つ神』の話を先に始めたのか、充分な納得が得られた筈だった。誰も何もできない状況ではない、むしろ不可能がなさそうな存在が居て、鎧戦士達に何らかの干渉をしていると言う話なのだ。
 それについて遼はこう答える。
「恐らく。まだその神が何なのかは分からない。だが俺達は正直行き詰まってた。すずなぎとの約束を果たすにしても、俺達のしてる事は後始末に過ぎないんだ。これで本当に世界が救われるのか、みんな疑問に思い始めたところだった」
 続けて征士も自らの考えを話した。
「後始末もそれなりに意味を為すが、これだけでは埒が開かない気がした、私も」
 するとまたここで秀が、
「そうなんだよなー。敵が大挙してやって来る時はまだいいが、何にもすることがねぇ時の方が長いんじゃ、結局俺らは無駄に生きてるみてぇな気分になるしよ」
 征士の談を受け、やや方向の違うことを言い出した秀だが、それは個人の感覚であって総合的な話じゃないと、伸が注意を入れていた。
「それはしょうがないんじゃない?。世界は効率優先でできてる訳じゃないし」
 生きていることが無駄かどうかは、地上で普通に暮らしても感じるかも知れない。使命を託す対象に選ばれただけ、己の命には価値があるかも知れない。時間の観念を差し引けばどうとでも考えられることだ。
 問題は、感覚的にしろ時間が経過することだ。
「そうね。すずなぎは結果を急いでいた訳じゃないのよ。むしろ弱者の悲しみで覆われているこの世界に、ずっと希望を与え続けてほしい。そんな気持であなた達に未来を託したんだと思うわ」
 時間は考慮に入れていない。すずなぎ自身が死して生きる存在だったのだから、時の経過に拠る焦りや苛立ちなど考える筈もない。ナスティは伸の指摘を含め、最も適切であろう見方を示していた。
「そうだな、その通りだと思う」
 遼も、今となっては言い淀むことなくそれに同意した。
「期待され過ぎちまったよなぁ?」
「ハハハ」
 秀が頭を掻きながら笑うのを見て、伸も笑った。直前まで浅い考えを露呈していた秀も、解り易い説明を聞けばすぐに理解できる。現状はそれ程複雑な理屈で進んではいない。それを感じ取ると、一時拗ねていた伸の気持も穏やかになったようだ。
 誰だって判ることより判らないことの方が遥かに多い。
 事に当たり、最初から無理難題を押し付けられても、未だ迦雄須ほどにも到れない者には荷が重い。物事が必ず順序立って起こる訳ではないとしても、今はまだ段々と学んでいける緩やかな時間帯だと、秀の様子を見るにつけ感じられる。だからこんなに安心していられる今を、伸は喜んでいるようだった。
 もし、普く世界を切り盛りする誰かが居て、すずなぎや『天つ神』を動かしているなら、その人は人間のこともちゃんと考えてくれている。
 人は愚かだが柔軟だ。だからこんな状況にも堪えられる。
「終わらない使命を託されたことは解っていた。だがこんな形になるとは思わなかったんだ」
 と遼は言った。そう、過去からの戦いの延長上には、より自発的な意志で自在に動ける、未来の鎧戦士の姿を誰もが想像していた。そして、
「そうだ。鎧世界に自由に行き来できるなら、特別悩むことはなかった」
 征士が続けたように、限られた空間に閉じ込められ、単一の行動を続ける隷属的契約だったのかと、考えてしまう現在に至った。
 すずなぎを恨むつもりはないが、何処かが不完全なまま発進してしまった。と、今は五人全員の一致した意識がある。そこに、その状態を動かす者が現れた訳だが。
「じゃあ、今は移動できるようになってるのかしら?」
 話の流れからナスティは言ったが、
「どうなんだろうなぁ?」
「突然落とされただけだからな」
 残念ながら、秀も遼も「判らない」と返すしかなかった。何も確証はない、言葉通り『天つ神』の行動は唐突過ぎたのだ。
「落とされたって、ここに?。その鎧世界から?」
「そう。俺達の状況を知って助けてくれたのかも知れないし、別の理由があるのかも知れない。今は何とも言えない」
 当麻も今はそうとしか言えないと話す。状況が好転している可能性を、信じられない訳ではないが、相手が『神』と呼ばれるだけに彼も慎重だった。
 一口に神と言っても、語られて来た背景などから様々に分類される。全ての創造主である全能の神から、人間的な親しみを感じる八百万の神、希代の人物や動物を崇めて神としている例など。恐らく『天つ神』はその最後の例に当たるだろうが、何れの場合も、神とは尽く気紛れなものと知られている。否、人間の思考が及ばないからこそ、救いや恐怖を感じさせるものだけれど。
 それ故絶対的な信用には到れない、まだ安易に我々の味方とは考えられない。当麻はそんな風に考えているようだ。
「そう…」
 と、頷いて見せるナスティにしても、これまで触れて来た鎧に関わる人物とは性質の違う、雲を掴むような存在をどう捉えるか、判断し兼ねているのは明らかだった。
 状況的には当麻のように、一歩離れた思考をする方が安全かも知れない。神の考えは解らないのだから、万一現在の目的に合わない事を架せられたら、尚身動きが取れなくなるかも知れない。だが心情的には伸のように、助力を求める気持を見せた方が良いのかも知れない。未知の世界に於いて頼りにできるものは、他にありそうもないからだ。
 悩んだところで、最終的な結果は同じかも知れないが。
「自力で戻る術がなくては解雇されたのと同じだ」
 と征士は言った。
「それがマズいんだよなぁ…」
 続けて秀もそう呟いたように、五人は今、最も優先しなければならない使命について、痛々しいほど真摯に考えている。誰もが責任を重く受け止めている。彼等自身が過失を冒した訳ではなくても、すずなぎの伝えた裏の歴史を受け止める決意を持っている。
 誰の意志で、何の意志に拠って現代に生まれた彼等に、その役割が回って来たのか知る由もない。本当なら恨み言のひとつも言っていいと思う。先人の積み重ねた悪行が後の世界を乱す、その尻拭いをさせられるのは御免だと、現代人なら少なからず思っていることだと思う。けれど誰も、与えられた立場から逃げようとはしていない。それは何故か?。
 優れた力は自尊心となり、自尊心は優れた心の上に成り立つものだからだ。
 見ず知らずの寄せ集め集団だった、嘗ての少年達は成長した。その成長を長く支えて来たものをナスティは思った。
「でも、多分。…大丈夫よ、あなたたちは」
 考えた末の彼女の言葉に、遼は疑いでなく希望を持って問い掛ける。
「何故そう言えるんだ?」
 そして、最も判り易い言葉を選びながら、ナスティは静かにゆっくりと話した。
「何故も何もないわ、私達が知っているのは迦雄須と言う存在だけなのよ。過去から繋がる人間の歴史について、正しい道を示してくれたのは迦雄須だけ。だからその人が関わるものを信じて、頼って行くしかないと思うわ。そんな時にみんなは、迦雄須一族の神に出会ったの」
 第三者から見た成り行きに続けて、彼女は未来についても話してくれた。
「今までもそうだったけど、例え途中に困難な状況があっても、過った方向に導かれたことはなかった。みんなの鎧の、本来の邪悪な姿を知りながら、未来に最善の結果を残した教えが、一族に存在するのは確かなことよ。ただ、人である迦雄須と神様とでは伝え方が違うと思うの。だから今は何も分からなくても、身の上に起こる事を待ってればいいんじゃないかしら。落とされたのだって理由がある筈だけど、それは付き合い方を学んで行く過程かも知れない」
 もう自分は何も手助けができない立場となってしまった。けれどだからこそ、人間と言う小さな枠の外にある真理に、鎧戦士達が到達できるようナスティは願っている。遠い過去から蓄積された人の歴史の英知、それを信じられる者が必ず救われますように、と。

 ナスティのそんな考えを知ると、
「うん、今は『天つ神』を知ってるってことが大事なんだよ」
 伸は至極穏やかな顔をしてそう纏めた。確かにそうかも知れない、単純なことだが、思考の基準になるものがあるのとないのとでは、活動上全く違うことは解る。伸がその意味で言ったのかは定かでないが、
「物わかりのいいことを言うな?」
 と、当麻が些か訝し気な様子で尋ねると、
「え?、別に、そう思うから言っただけだよ」
 本人はこれについて、あまり深く語ろうと言う意志を見せず、またそんな言葉を掛けた当麻に対して、わざとらしく憮然として見せた。「何故こう言ったら悪い?」と言う態度だ。
 それを見て、当麻とはまた言い合いになりそうだと、今度は征士が予め説明することができた。
「伸は、私達がまだ知覚できないことを覚っている面がある。だがそれを言葉にするのが難しい、と言う感じだな」
 そう、仕入れた知識を理論上に組み込む当麻と、感覚的に捉えたことから理論を知る伸とでは、元々思考のベクトルが逆なのだ。地球上に限られている内は、彼等の意見に相違はなかったが今は違う。地球では知られていない理屈が外には存在するからだ。
 そんな時、そんな伸の優位性が感じられる場面がある度、当麻は面白くなさそうな顔をする。まあ、現時点ではそうでも、何れ考える役は皆当麻に回って来るだろうと、誰もが判っているけれど。
「いいよなァ、俺にもそーゆー能力がほしいんだが…」
 話題の序でに秀も愚痴り始めた。今のところ彼には、大気の一部に圧力を掛け、小爆発的なものを起こすことしかできない。まだまだ腕力に頼った行動が中心なので、既に役立つ能力を得ている遼、征士、伸には引けを感じているようだった。
 だが秀と同様、現在のところ使えない立場の当麻に、
「無理無理」
 などとあしらわれると、希望的な気分も一変、秀は酷く憎々し気に返した。
「わかんねぇだろ?、これからすんげぇ力が発現するかも知んねぇし?」
 どちらが最後まで落ちこぼれるか、彼等はどん尻でレースをしているような状態だ。その競争相手の馬鹿にした発言では、秀には殊更癇に触るだろう。だが、
「少なくとも、頭で考える当麻よりは素養がありそうだが」
「フフフ、そうね」
 征士の発言にナスティも同意すると、
「そら見ろ!」
 と、単純に得意顔を見せた秀を無視して、当麻は征士に詰め寄って言った。
「貴様、自ら墓穴を掘ってるのが解らんのか?」
 まあ、当麻の言は決して的外れではない。彼等ふたりは性質的に似た所がある為、片方が文句を言えば自分に跳ね返って来ることがある。この場合、理詰めでしかものを考えられないのは欠点だと、自ら公表していることを当麻が指摘した形だ。
 けれど、今の征士にはどうでも良いことだったらしい。
「私は己の無能を弁える人間になったのだ。他にできる者が居るならそれで良いだろう」
 昔だったら、例えば五人が出会ったばかりの頃なら、とてもそんなことは言えなかった。たったひとつの弱点が露呈するだけで、絶望的な気持になってしまうことが、ごく年の若い頃にはあると今は判る。
 だから例え今が、悩み多き苦悶の時期だとしても、一番充実した時だと考えることもできる。否、皆何処かでそう感じているに違いなかった。
「まあそうだが…」
 と、受け流された格好の当麻が返すと、
「五人も居るんだからな!」
「な!!」
 すっかり明るい口調に戻った遼が、そして秀がその答に沸いた。

 道程は遠く、立ちはだかる壁はまだ崩れる気配もないが、その先を求める意志がある限り、助け合える仲間がいる限りは、誰も過去の選択を後悔しないだろう。



 その日は何事もなく、地上の柳生邸は夜を迎えていた。
「久し振りに見る夜空だな」
 窓の外を見ていた征士に当麻が声を掛ける。
「空などまともに見ていた訳ではないが、意識していなくても懐かしいと感じるものだ」
 征士はそう返して、実は昨日の夜のことを考えていた。
 五人が鎧世界から地上に降りた時、多摩川の河川敷も丁度夜中だった。遠目から見た新宿の夜景、それは確かに懐かしく感じる地上の風景だが、この柳生邸の窓から見える景色の方が、今は何倍も感慨深く思う気持を彼は知った。
 全ての始まり、自分のその後の人生を決めてしまった、鎧戦士としての始まりは強く脳裏に焼き付いているが、今に至って、始まりだけが重要ではないと感じている。図形を描けば始点があり、中継点があり、終点があるように、人の一生も星の一点ではないと思う。何故なら自分達はここまで、たった一点には収まり切らないほど生に悩み、心を揺さぶられて来たと思う自負がある。
 それでもまだ完成した図形には程遠いだろうが。
 柔軟な生命体は、時に合わせ刻々と変化して行く。けれど物質は何十年、何万光年と言う緩い歩みを続けている。それぞれの個体の持つ時間の違いが、懐かしさや淋しさを生む。その時その時の印象を記憶に留める装置が、優秀であるからこそ人には感情がある。
 多くの時間を費やし、多くのことに悩み考えたこの家は、鎧戦士全体をひとつの生命に例えれば、間違いなくその一生のひとつの中継点となっているだろう。だからこんなにも懐かしい。
 そんなことを征士は考え、次には何が来るだろうとも考えていた。
 それを口に出した訳ではないのに、
「あの鎧世界を懐かしむ日も来るんだろうな」
 と当麻は返した。今は渾沌の現場でしかない、味気ないばかりの異空間も何れ、心地良く記憶に収まる風景となるのだろうか?。
 否、そうなるであろうから考える必要もなかった。ふたりは多少口惜しそうな顔をしながらも笑う。どう考えても今は、柳生邸のこの状態の方が居心地が良かった。
「おおっ!、久し振りに見る地球の飯だぜ!!」
 テーブルに並んだ夕食の彩りを見て、早速秀が騒ぎ始めた。
「ホントに久し振りだな」
「久し振りだから尚更美味しそうに見えるよね」
 常に何処か緊張感の抜けない顔をしていた、遼が穏やかに笑うのを見て、伸も余計なことを気にせず相槌を打った。何の予告もなく現れた来客に、急遽用意した割には充分過ぎるほどの食卓。否、何となく食材を溜め込んでおく習慣が、すっかり定着してしまった結果なのだ。
 恐らくこの後も、ナスティはその癖を改めようとはしないだろうが。
「今日だけかも知れないから、みんな沢山食べて行ってね?」
 と、ほぼ全ての料理が並べられた頃彼女は言った。突然、思い掛けない言葉を耳にして、
「えっ?、何でさ?」
 一旦勢い付いた動作をはたと止めて秀が尋ねる。
「さあ…?」
 ナスティは変わらず明るい様子だったが、自ら口にした不思議な、そして素直な気持を一度見詰め直すように話した。
「別に、二度と会えないんじゃないかとか、不安な予感がする訳じゃないの。ただみんなはもう、私達だけの為に働く立場じゃない気がするからよ。地球でも妖邪界でもない、いつ何処から呼び出されるか分からない、そんな存在になったのかな、と思うから」
 彼女の気持が、テーブルを囲む各々の心に伝わる。共に戦って来た家族的な仲間が、より広く人の知り得ない領域に触れる仕事をするまでになった。そんな状況は彼女の表情通り、晴れやかで喜ばしいことでもある。仮にも研究者として独立するナスティだから、未知への探究の機会を与えられることは、素晴しい誉と受け取る気持があるのだろう。
 だが無論それだけではない。それだけではない部分は動かしようがないから、ただ切ない気持として残ってしまう。
「ナスティ…、俺…」
 遼が何かを言い募ろうとして口を開いた。
「俺達…」
 だが何を言って良いのか判らなかった。この場に下手な慰めの言葉は似合わない。ナスティは自分などよりずっと大人だし、何もかも解って話しているのだ。何を言っても状況は変わらないのだから、詰まらないことは言わない方が良いかも知れない。
 と考え込んでしまうと、彼女の横で取り皿を抱えていた伸がこう言った。
「僕らを前より遠く感じてる?」
 本当はあまり聞きたくないけれど、敢えて口に出してみた質問。それを耳にすると、
「・・・・・・・・」
 居合わせた遼も秀も黙ってしまった。何を言われるかが怖い。仕方なく突き放されてしまうことも、逆にこれだけ世話になっておきながら、以後は何も手助けできないことも、彼等のささやかな平和の場所が、消えてしまうかも知れない恐れに繋がっているようだった。
 そんな様子を察してか、そうでないのか、ナスティは変わらぬ様子で答える。
「いいえ?。不思議なことね、こうして集まるとすぐ前の調子に戻っちゃう。だから帰りたくなったら帰って来なさい?、ここはみんなの家だから」
 それが本心からの言葉なのか、強がりなのかは測れないけれど。
 ただ、いつまでも鎧戦士達の味方だと言う、彼女の意志は間違えようがなかったので、
「うん」
 遼は余計なことを言わずに頷いた。そして伸も同意するように、
「ありがとう、ナスティ」
 と自然な笑顔を作った。が、そんな時、これまで輪に入っていなかった当麻が突然話し始めた。
「そう言ってくれると安心する。俺達はいずれ実家には戻れなくなるし」
 言いながら夕食の席に着こうとする、彼の何気ない様子を見て、ナスティは些かキョトンとしている。重大なことを話す割に、本人は特に意識していないような。
「え?、どうして?」
 そう言えば、この話はまだ誰も伝えていなかった。
「すずなぎの希望通り戦う為なのか、俺達は時間を止められてるらしい」
「…本当なの?」
 ナスティには唐突に感じただろうが、当麻の話は既に五人の中では常識だった。しかしそれを証明するにはどうしたら良いだろう?。
「本当って言うか、何を説明すりゃいいんだ?」
 真面目に話したいのに、またしても言葉に詰まってしまう遼。まあ共にひと月も生活すれば、充分に観察できる点はある筈だが、口頭で理解してもらうのは難しいことだった。なので秀は、
「食事を出されりゃ食うけど、食わなくっても腹が減らねぇんだぜ?。髪の毛も伸びねぇし、結構大怪我しても死ぬ感じもしねぇし、何かずっと変な調子なんだ」
 と、ごく端的な例を挙げて行ったが、意外にそれでナスティには通じたようだった。否、秀が「腹が減らない」と言うのは、相当な異常事態かも知れないが。
 現在、鎧戦士達はある時点で固定されている。ある意味永遠である。永遠に安寧の世を作る作業を続けられるよう、すずなぎがそう計らったのだ。
 生物として当たり前に変化して行く、肉体としての存在を一点に固定し、意識だけが時間軸上に存在できるようにした。つまり彼女は、魂だけは永遠に生きるものと信じているのだろう。実際どうなのかは不明だけれども。
 与えられた使命の上では、それらの操作は有効に働いていると言えた。屈強な体と長い時間がなければ、地球以外の理屈を一から勉強することなど不可能だ。だがそれにより困ったことも生じている。ひとつは当麻の言うように、時が経つほど地上の知人に会い難くなることだった。
 また伸が、
「それに、鎧世界は地球より時の進みが早いみたいなんだ。僕らは数カ月くらい居た感覚だけど、あれからもう二年経ってるなんて思わなかったよ」
 別の困った要素もあると話すと、
「あれからって、新しい鎧をもらった時からね…?」
 つまり彼等は二年前の姿のままなのだ、と言うことを初めてナスティは知った。今はこれと言って違和感を感じないが、これから十年、二十年も経てば当然異常な姿と捉えられる筈だ、と思った。
「ああ。俺も正直、どうしていいか困ってるんだ」
 遼はそう答えて、しかしそう深刻でもない様子で溜息を吐く。当麻の最初の態度もそうだが、恐らく彼等はもう、自身の変化については諦めているのだろう。否、前向きに言えば、立場上必要な資質として受け入れているのだ。だから悲観的に考えている訳ではない。
 だが最低限の気掛かりである、己のルーツである人々、故郷の家などに、全く関れなくなってしまうのが辛いようだった。時が過ぎれば過ぎる程に、年老いて行く両親や残して来た家族が、気になるのは当たり前のことだ。
「今だって下手に帰れねぇ。ずっと行方不明になってんだろ?、俺ら?」
 秀がふと、今現在の自分の扱いを思い付いて言うと、
「一応そう言うことになってるみたいよ?」
 と、ナスティはこれまでに連絡を受けた、それぞれの家庭からの報告を思い出しながら返す。五人の家族はまあそれなりに、子供達の特殊な事情は知っているものの、流石に良い気分ではないと思う。その辺りがまたもうひとつの問題だった。
「つまりこのままでは、俺達は死んだも同然なんだ。別に死んだなら死んだで構わないが、存在の消滅と実際は生きている事実の、歴史的な不整合を残したままでいいんだろうか?。と俺はずっと考えてるんだが…」
 当麻の話した第二の疑問は、少し内容が難しい。ぱっと耳にした時点では、秀や遼には言葉を返すこともできなかった。しかし理解できる人に向けて話したつもりなので、問題はなかった。
「そうね…。辻褄が合わない事が起きた後の歴史はどうなるのかしら。今何でもないってことは、全体の形には影響ないみたいだけど、みんなに関わる個人個人の歴史については、過ぎてみなければ判らないわ。私も含めて、とても不自然な状態で生き続けることになるのね」
 ナスティの理解度は当麻の期待通り、歴史を乱すと言う危険性への心配と、残る人々の心理的な問題、どちらもきちんと受け止めてくれているようだった。例え特別な啓示を受けた子を持つ親でも、特に覚悟もない状態で子供を連れ去られれば、戻って来るのを待つしかない。死亡した事実がない限り、居る筈の誰かを忘れることができない、と言う現実のことだ。
 離れる前に独立の意を示していれば、待ち続けることはないかも知れない。死んだなら死体を見て納得するだろう。すずなぎとの出会いが突然過ぎた為に、今はそのどちらでもない状況になっていた。
 この問題も、果たして解決できるのだろうか?。

 待望のまともな食事を前にして、予想外に真剣な議論になってしまった。ので、征士は少し外したように言った。
「神話には、神に連れて行かれて消えた人間の話もあるが?」
 おあずけを喰らっている秀が不憫だっただけで、真面目な例に挙げた訳ではない。するとそれを察したのか、そろそろ自分も食事をしたいと思ったのか、
「問題は質量だ。連れて行かれたら消えるだけだが、俺達は今地上に居るんだぞ?」
 当麻も簡単に回答して、カトラリーケースに手を伸ばしていた。それを見て漸く、秀も安心して手元のフォークを握り直す。否、当麻の返事は簡単なようで、非常に考え難い問題を含んでいるが、気付かない者は流せば良かった。
「目に見えないことだから難しいわね」
 ナスティも今は簡潔な言葉で済ませ、それぞれの行動を促すように席に着いた。
「取りあえず食事にしましょうか?」

 新しい鎧戦士に与えられた宿題は山積みで、これだけ話しても何の解決も見られない。まだ何もかもがぼんやり宙に浮いている。心情的な不安も常に付き纏っている。
 けれど、ここからは一時の家族的な団欒の始まり。
 すずなぎの意志と同様、時間をかけ少しずつやって行かなければならないことは、ナスティにも存分に伝えられたので、食事の時間を削ってまで考えることもない、と今は全員が納得したようだ。与えられた永遠の時間がこの先、喜びとなるか苦痛となるかは判らないけれど、この一時は他に代えようのない幸福だと知る。
 何気なく過ごして来た有り触れた日常こそ、今は至高の宝物だった。
 単なる偶然かも知れないが、地上に降りる機会に恵まれたことに感謝を。
 ところで、最後に当麻の振った謎掛けを、一応まだ考えていた征士は、
「私達五人分の質量がどれ程の影響になる?」
 と、隣に座る伸に話したが、
「さあ?、体積だったら大したことないけど、エネルギー量じゃないの?」
 そんな返事では、科学センスのない征士には増々判らなかった。判らないことだらけなのは、誰にしても同じだが。



つづく





コメント)前の話から本当に、随分間が空いてしまいましたがようやく再開ですっ。
でも、なかなか乗りが戻って来ないかも?、と思ったらそうでもなかった。「鎧伝シリーズ」としてある方の話の流れは、ある所までは前から決まってるせいか、それほど苦労せず進められるみたいです(^ ^)。
ところで、何やら当麻の立場がとっても悪い状態になってますが、これはTVシリーズと同じことの繰り返しです。目覚めの遅い天空の能力は、やっぱりなかなか使えるようになりません(笑)。他のメンバーも一応、「鎧戦士復活」の順序を踏まえて書いてます♪


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