夜のテラス
理 の 夢
#2
Dream of Reason Presented Men



 例え食事と言う行為を必要としなくなっても、イベントとしての食事は気持を豊かにする。人は栄養摂取の為だけに、食材や調理法を発達させて来たのではない。
 と言う食文化の背景が、賑やかな会食の内に自然と現れて行った。今は秀でさえ空腹感に悩まされることはないが、いざ目の前に御馳走が並ぶと、以前と変わらず食欲が沸いて来るらしいので、人間の体の不思議を思わざるを得ない。
 否、新しい鎧戦士の、生体としての機能の変化は本人達にも、まだ全く判らないことばかりだ。誰も教えてくれないのだから、こうして実地に経験しながら憶えて行くしかなかった。まあ誰でも何をしたら痛い、何をしたら危険だと、己を確かめながら成長して来た訳だが。
 それはともかく、幸福感に繋がり易い味覚に変化はないようだった。
 スペアリブとミートローフ、ラムチョップ、魚貝のチャウダー、トマトソースのパスタ、ミモザサラダ、云々、テーブルの上の皿と言う皿をすっかり空にして、久し振りの地球の夕食を楽しんだ五人。今は食後の軽い談笑に誰もが和んでいた。

 無論、そう呑気にしていられないことは承知の上だ。
 今日のところはひどい難題は持ち出さず、ナスティの好意のままに甘え、以前と何ら変わらぬ調子で泊めてもらうことにしたけれど。明日になったらもう一歩踏み込んだ観点から、見えている疑問点と解決の方向を議論したいところだ。見識に於いて頼りになるナスティも交え、真面目に取組みたいと誰もが考えていた。
 そう、「起こる事を待っていればいい」、と彼女は言ったけれど、与えられた仕事を中断された感のある状態で、ただ待っているのも落ち着かないのだろう。こうして普通の生活の心地良さを思い出しながらも、彼等は一番に選ばれた戦士としての責任を考えている。いつからそうなったのか、今となってはもう思い出せないけれど、彼等の苦難の歩みが確実に、誰かの望んだ理想の姿へと近付けているようだった。
 否、特定の誰かではなく、世界の背景として存在する全ての人々の理想かも知れない。
 いつの世も民は救世主を待っている。
 呼び名は様々だが、そうした種類のものへと向かっていることは、恐らく五人も承知して受け入れているのだろう。
「あ…!」
 と、その時居間のソファに凭れていた遼が、既に暗くなった外を見て声を上げた。
「どうしたんだ?、遼?」
 その様子が平常とは違って見えたので、かなり離れてダイニングに居た秀が、本人に聞こえるように大声になって言った。他の三人も同様にダイニングに居たが、秀の声色で異変に気付いたところだ。
 すると、
「庭に白炎がいる…!」
 遼はそう呟くや否や立ち上がり、驚きのままに玄関へと駆け出していた。
 彼らしい、相変わらずの熱血ぶりと言えばそれまでだが、状況を見て一応安全の為に、当麻も外に様子を見に行くことにしたようだ。万一白炎と見せ掛けて、怪し気な何かが寄って来ないとも限らない。当麻もまたそんな慎重な考え方は変わらぬ美点だった。だから無言の内に任せておける。
 大人しく部屋に残された秀が、
「白炎か。そう言やアイツ何処に居たんだろうな?」
 と、やや首を傾げながら言うと、
「ここにはずっと姿を見せなかったわよ?。みんなと一緒に居たんじゃないの?」
 キッチンから出て来たナスティは、そこに居た三人の顔を見回しながら続ける。細かな経過を知らない彼女には、当たり前のようにそう思えるのだろう。いつも鎧戦士と共に、遼と共に居る筈だと。
 しかしそんな事実はないので、
「いや…」
 伸が一言そう返しただけで、後はそれぞれの表情を見れば判る、と言う状態になった。秀も征士も妙なタイミングの出来事に些か驚いていた。
 まあ以前から神出鬼没な所はあったが、白炎のことだから、大した用もなく顔を見せに来るとは考え難い。寧ろ何らかの用事があるに違いなかった。我々の知らぬ間に何か起こっただろうか?、と不穏な想像をしたくもなる突然の来訪…。
 玄関から、靴紐さえ侭ならない状態で走り出た遼は、辺りの暗さをものともせず、木の下に佇む白炎を見付けるとすぐ声を掛けた。
「白炎!、どうしたんだ!?」
 遼が呼び掛けると、彼は遠吠えのような懐かしい声を聞かせて応える。傍に寄って、穏やかな目で見上げる彼の頭を撫でると、それは間違いなく遼の知っている白炎だと判った。
 当麻の思い付きが杞憂に終わると、後には酷く嬉しい再会だけが残される。
「久し振りだな!、白炎」
 遼は喜ぶ気持そのままに彼の首を掻き抱いた。小さな子供の頃に比べ、のし掛かる体重も力も違うだろうが、白炎はいつも悠然とそれを受け止めている。獣の表情は人間には判り難いものだが、何処となく彼も喜んでいるように見えた。
 本当は今も傍に居てほしいが、敢えて離れることにしたもうひとりの仲間。
 ところがそんな感動の場面の中、白炎は何かを気にする仕種を遼に見せる。彼が腕の力を緩めると、足元の暗がりに置かれたある物を白炎は拾い上げた。
「…?、何を銜えてるんだ?」
 夕闇と同化して見え難いこともあるが、遼には全く見覚えのない不思議な物体。
 するとそこへ、安心した様子でのろのろ歩いて来た当麻が到着する。静かに再会を喜び合うふたりを遠目に見て、
「俺達が地上に戻ってることが判るんだな、白炎は」
 と、それなりの感想を口にすると、途端遼が振り返ってその名を呼んだ。
「当麻…」
 ただ感動的な、喜ばしい場面がそこに在ると思えば、殊に当麻に取っては予想外の展開が待っていた。
「ん?。…俺にか?」
 白炎は口に銜えていた物を、後からやって来た者に向けて差し出した。それが何であるかは、受け取った本人もまるで見当がつかなかった。

「何なんだこれ?、随分古そうだなァ?」
 広間のテーブルの真ん中に置かれた、奇妙な贈り物を今は全員が囲んでいる。電灯の明かりの下で暫くその外観を眺め、秀が最初にそう口を開くと、
「見た目の特徴から言って、何かを計る道具だと思う」
 彼の横に居た征士はそう続けた。そして伸も、
「そうだね、方位みたいな線と目盛があるもんね」
 と同意した。誰もそれには反論しなかった。
 ただ、この物体は現代日本に存在する何に近い、似ていると言えるだろうか。形だけなら「鍋蓋」型と言う感じで、一見日時計のようにも見え、土地の測量に使う水平計のようでもあった。
 石のような材質の八角形の板に、回転する四枚の羽がプロペラのように付いている。その軸となる中心には棒が立っていて、先端には中の透けた球が付いている。その球の中にもビー玉のような石ころが入っている。嘗て見たことのないその道具らしき物を前に、一応専門家であるナスティも、
「台は古代中国の羅針盤に似てるけど、その他は謎ね。線の入り方も全然違うわ」
 としか言えないようだった。それ程珍しいと言うか、恐らく存在例がないタイプの物体なのだろう。そこで秀が、
「ああ、中国の羅針盤って言や、レンゲみてぇのが回る奴だろ?」
 と、羅針盤についての知識を思い出していた。
 そう、スプーン型の指し棒を置いて、方位板の上で運動させる中国の羅針盤は、三大発明で知られる通り方位磁石の基礎だ。今は電子機器の発達や、町中なら案内板等が充実している為、アナログの磁石を使う機会はあまりなくなったが、方位を知るのに磁力が有効だと気付いた、先人の智恵の結晶とも言える。
 その例で言えば恐らく、白炎が持って来たこの道具も、現代の技術ならもっと単純化できているだろう。先人の智恵レベルのアナログ計器だからこそ、使用法が想像しづらいと当麻は言った。
「うーん、確かに空間的な計測道具に見えるが、何処で何を計るのか全然判らないな」
 今一度それを持ち上げて眺める彼に、ナスティもややお手上げの様子で続ける。
「印はあるけど文字は何も無いものね。こうしていても特に反応はないみたいだし、他の場所に持って行ったら変化があるかしら?」
「当たり前だが、傾けると球の中の小石も動く。確かに場所によって変化があるかも知れないな。この羽は自由に動かせるようだが、何かに合わせるのか、勝手に動くのかも、このままで判りようがない」
 すると、意見交換の中で珍しく当麻が、「判らない」を連発しているのを見て、
「ハハ!、説明書ぐらいくれってか?」
 秀がそう茶々を入れる。彼にしてみたら、いつも冷静な分析で物事を解いてしまう相手に、ちょっとは苦労してもらおうと言う意地悪だった。が、実際はあまり笑える状況ではなかった。
「また不親切なことだ」
 と言って、当麻は多少疲れたように溜息を吐いて見せる。本当に珍しいことだが、最近になって当麻は明らかに悩んでいた。
 悩みとは彼の言葉通り、あらゆる物事が不親切な状態でやって来る中、自身の分析が追い付かない現状のことだ。数字の計算と同じで、公式を知ってしまえば一気に問題が解けることもある。つまりその公式を見付けるまでは、自身の能力を充分に発揮できないとも言えた。またそこに至るまでに時間が掛かりそうなことも、見当が着いているからストレスになった。
 他の仲間達のように、すぐ実戦に使える力が見出せたなら、或いは元々戦闘能力や身体能力が高いなら、それなりの余裕を持って構えていられただろう。それとも伸のように、理屈を飛ばして感覚的世界に触れられるなら、また違った態度で居られた筈だ。
 今はどうにも使えない己の立場に頭を抱えるばかり。
 その時、そんな当麻の様子を知ってか知らずか、
「それだけ当麻の能力を買ってるってことじゃないのか?」
 と突然遼が言った。彼は床に寝そべる白炎の傍に居て、テーブルを囲む面々とは少し離れていた為、それまで会話には参加していなかったのだが。そして、
「なぁ?白炎」
 と、何故か人ではない存在に同意を求めていた。否、もしかしたらそうするのが正解かも知れない。議論の的となっている道具は、そもそも白炎が当麻に渡した物なのだから。
 話し掛けられた彼は、まあ仕方がないことだが、猫のようにゴロゴロ喉を鳴らしただけだった。それを正しく翻訳することも無意味だと思う。何故なら答はもう誰にも判っていた。
「そうだよねぇ、使えるだろうって信用の証みたいなもんだ。その内何かの役に立つ物なんだよ」
 と、伸が遼の発言に合わせた形で話すと、そのややお茶らけた口調を察して征士も、
「良かったな当麻」
 慰めになるようなならないような言葉を掛ける。この期に及んでからかっている訳ではない。このような話を真面目に語ってしまうと、今は逆にプレッシャーに感じるかも知れない、と言う配慮だった。何だかんだ言いながらも彼等は、常に仲間の内の変化を気に掛けていた。
 そして、だから当麻も、
「あのな…。俺を乗せようったって無駄だぞ」
 冗談に付き合うように返し、
「いいや?、認められてるんだよ君は。誰からの贈り物だと思ってるんだい?」
 また気持良く伸に否定されていた。端から見ればあまり意味のない茶番劇かも知れない。既に答は出ているのに、いつまでも無駄な議論を続けている。けれど、日常会話の楽しみとは大方そんなものだ。
「それもそうだわね。元々当麻はそれで一番に狙われてたんだから」
「古い話を…」
「ハハハハ!、懐かしいな!」
 その通り、恐らく集団に取って切り札となる、何らかのことを解明してくれるのは彼だろう。誰も彼の能力を疑ってはいない。ただ、眠れる獅子は目覚めが遅いとも言うので、誰も本人ほど焦燥感を持っていないだけだ。そんなことが、使命とは関係のない他愛無い会話から、いつも彼に伝わると良いのだが。
 その意味でも、五人に取って何気ない日常は宝物だった。
「白炎が持って来たんだから迦雄須かな?」
 と、今は秀が、伸の言葉を受けて首を捻っている。贈り主は誰なのか、それ自体はあまり重要ではないだろうが、遼は彼に向けてこう返した。
「そうかも知れないし、そうじゃないことも考えられるよな。今は」
「う〜ん?」
 判らないことは判らないまま付き合う、そんな了見の広さも必要かも知れない。遼の態度を見ているとそれはまるで、白炎との遣り取りそのままだった。言葉としては何も伝えない、そもそも何処で生まれたどんな生物なのかも、誰からも教えられてはいない。それでも遼は白炎に心から信頼を置いているだろう。
 酷く落ち着いた今の遼の様子を見て、
「使えるようになる日は来るんだろうけどな」
 当麻は改めて不明の道具に向かうと、やや行き詰まった気持の整理をしようと考えていた。本来なら、謎が深く複雑であるほど、彼には魅力的で意欲を掻き立てられる筈だった。今は世界の大きさに、迷子になりかけているのかも知れないが、何れ彼も本来の場所に戻れると皆信じている。
 贈り物は、その為の道具かも知れなかった。



 懐かしい再会が重なったその日の夜、
「ちょっと、話がある」
 屋敷の一階の主な照明が落ち、誰もが就寝の途に着こうとしていた頃、階段から二階の廊下に出た伸に、当麻は手招きをしながら呼んでいた。
 特に妙な様子も感じないので、
「聞かれたくない話?」
 近付きながら伸はそう返す。何故なら当麻は廊下の窓を開けて、外のテラスに立っていたからだ。まあ彼のことだから、いつ見納めになるか判らない、柳生邸からの星空を見ていただけかも知れない。伸がすぐ傍まで歩いて来ると、
「そう言う訳でもないんだが」
 と言いながら、当麻はテラスの手摺の方へと行ってしまった。夕食後の一件もあり、彼が何かを訴えたがっているのは判る。何故自分がその相手に選ばれたかは不明だが、仕方なく伸は、テラスの端に寄せてあったサンダルを引き寄せ、多少肌寒く感じる外へと出て行った。
 既に桜の季節は終わっていた。昼間は青々と茂る木の葉も、夜中は暗く鬱蒼とした影を落としている。誰かの誕生日がある、雨がちな初夏にはまだ届いていない、日本で最も気候が良いと言える頃。当麻は星空の更に向こうを見据えるような、無心な様子でやって来た伸に尋ねた。
「何だっておまえは『天つ神』の肩を持つ?。その根拠を俺は知りたい」
 彼が不満に感じていそうなことは、大体予想がついていた伸だ。取り掛かりは売り言葉に買い言葉の調子で、伸は迷いのない返事をする。
「肩を持っちゃいけないかい?、ナスティだって拠り所はそこしかないって言ったじゃないか」
 勿論それで当麻が引き下がるとは思わなかったが、今はそれより、当麻が何かを知りたがっているように、伸も当麻の考えを知りたいと言う気持だった。何故そこまで確認作業をしなければ、当麻は信じることができないのかと。
 否、信じるか信じないかよりも、今の自分達を守っているものは何なのか、当麻流の結論を聞かせてくれるなら幸いだ、と伸は思っている。
 すると当麻の方は、
「結果の話じゃないんだ、状況的には納得してる。だが伸はそう言う順序で考えないだろ、何かがあってそう考えるようになったとしか思えない」
 伸の予想とはやや違う方向に話を進めていた。
「何か…。妖邪界で見聞きしたことかな」
「どんな?」
「別にみんな知ってることだよ。迦遊羅が神様と通じてたり、悪奴弥守がそれを嫌ってたり、妖邪界に与えられた課題があるとかさ。見えない誰かが本当に存在するって感じだった。みんな人間同士を見るように『天つ神』を見てるんだなって」
 伸の中では確かにそれが答だった。今は人も社会も穏やかな妖邪界の様子を見て、その新しい在り方を支えているのが『天つ神』だと知った。だから伸はその正しさや威光を疑わない。人間らしさを取り戻した魔将達の、それぞれの意識が健全なものに思えたからこそ疑わなかった。
 そして一般に語られる神々よりも、ずっと身近な存在に思えた『天つ神』を伸は、嘗ての迦雄須のような存在になってくれるといい、と考えた訳だ。
 その経過の何処に疑問が浮かぶのかと、伸が理解に苦しむのは仕方がないだろう。しかし、
「それで?」
「それでって?」
 当麻はそれだけ聞いても、尚何かを追究しようと質問を続けた。
「迦遊羅が名前を呼ばない理由は?」
「…知らないよ、聞いてないのに判るわけないだろ」
「それでよく意地を張れるもんだな」
 流石にその点は文句を言われても、伸には反論しようがない。前提に『天つ神』への好意があるかないかで、予想される状況も食い違う筈だ。ただ、
「当麻こそこだわってるじゃないか、そんな些細なことに」
 伸に取っては、それは大した問題じゃないとのことだった。助けを求める一族の末裔に、神が応えることがあっても何ら不思議はない。例え手順的な面に不足があろうと、奇特な呪詛ではないのだから、そこまで正確性を求められるとも思えない。神の奇跡は奉納品の優劣で決まる訳ではないのだ。
 だから大したことではない、と伸は思うのだが当麻の考えは違っていた。
「些細じゃない、あれが本当に迦雄須一族の神なのかどうか、誰も知らないってことなんだぞ?」
 有りの侭の現状からの推理。確かに彼の指摘する可能性は否定できなかった。呼ばなくともやって来た妖邪達のように、力有る者の傍には常に、災いとなるものも蠢いているけれど。
「俺達や魔将達に干渉するものが、必ず良心的に見てくれると何故判る?」
「じゃあどうやって確かめるって言うんだよ!」
 当麻が最も疑問視する懸案に触れると、議論する口調も次第に荒々しくなって行った。当麻の意識が何処に向いているのかは解る、今は孤立状態の五人の行く末を心配しているからだと、勿論伸には解っているのだが…。
「物々しいな、珍しく」
 その時、声を荒げた所為か、或いは長く姿の見えないふたりを探していたのか、鍵を開けたままの窓を引いて征士が声を掛けた。彼はそのまま、話が中断したのをいいことに、勝手にその場に加わろうとテラスに出て来る。
「おまえが来ると話がややこしくなるんだが…」
「そうか?」
 当麻の呟きを聞き流しながら、伸と同様にテラスの端からサンダルを引き寄せ、征士は遠慮なくスタスタと歩いて来た。まあ恐らく、この調子で言い合いが続くと伸は負けると考え、加勢するつもりで出て来たのだろう。
 実際遼や秀なら始めから、当麻とは突き詰める議論をしない。何が正しくとも理屈で言い負かされてしまうからだ。伸の場合はその心配はないが、相手に何らかの共感や同情を見い出すと、意志とは違う方に流されて行くことがある。それが今の大事な議題の上で起これば、当麻にも良くないと征士は考えたようだ。
 人の世は常に、信じたい場所に真実があるとも言う。だからなかなか宇宙的真理には触れられない、のかも知れない。名も無き一市民ならそれで全く構わないだろうが、外へ出て行こうとする戦士がそれでは駄目だ、と征士は殊に真面目に状況を見ている。
 が、彼の一声は真剣さからは程遠いものだった。
「私には、当麻が伸ほど見えないことに苛立っている、としか判らないが?」
 場の転換を図ってのことだろうが、征士が半ばからかうようにそう言うと、伸もそれに乗って、故意に怒ったような振りをして続けた。
「そーだそーだ、嫉妬なんて見苦しいぞ」
「だから、ややこしくなると言ってるだろ」
 予定外の一段落。
 だが、前の話はそこで壁に突き当たってもいた。「確認方法」を今すぐ提案できないなら、何れ他の話題に切り替わっていただろう。当麻はそう考えると、少なくとも征士なら場を壊しはしないので、人数の変化を気にすることは止められた。そして、直接の続きではないが伸にこう話した。
「別に嫉妬してるんじゃない、俺と伸のやり方が違うことは重々承知だ。ただ伸の言うことは観念的過ぎる。抽象画みたいなもんで、分かる奴にしか分からない理屈で話すのが困る。もっと客観的な説明はできないのか?、と聞いてるだけだ」
 つまり当麻は理解しようと努めているのに、と言う訴えだった。
「…そう言われてもね…」
 途端、伸は目に見えて困り始める。それが何より、未知の道具を使いこなすことより解決し難い問題だからだ。何故なら当麻と伸の思考の方向性は、永遠に平行線だと言えた。それを最も良く知るのが征士だった。征士自身が全く当麻寄りな性質だけに、言葉の羅列で理解を深めるのは不可能だと、身を以って知っているからだ。
 尤も、当麻も自分のように伸に近付け、などと勧める筈もない。この場はせめて、伸の意図することを通訳できればいいのだが、と、征士は考えながらふたりの様子を見ている。
「迦遊羅と迦雄須と、『天つ神』の関係だと思う」
 暫く考えた伸は、当麻の疑問に対する根幹的な筋道を探して、何とか言葉を絞り出していた。
「だからそれは何だ?」
 当然それだけでは、当麻は何を言われたのか判らないだろう。すると程なくして、苦肉の策なのか、伸は酷く妙な例え話を持ち出していた。
「例えば…、アデノウィルスなんかはさ、時代と共にどんどん形が変わったけど、生物としては変わらない。何度変化を繰り返しても同じウィルスのままだ。多分、種類を越えることは発達した生物には不可能なんだ。人間も同じだから、いつまでも人間を見分けることはできると思う。…そんな感じ」
 まさか、迦雄須一族を風邪のウィルスに例えるとは、いくら何でも普通の発想ではなかった。だからこそ苦肉の策だった。
「訳が分からんな」
 と、征士は言葉通り解らなかったようだ。通訳どころではない。
 ところが、伸の考えに考えた末の説明は、その対象となる人には見事に通じていた。
「いや…。今の話の方が俺には掴み易かったようだ」
 と当麻が言うと、征士は怖いものでも見たような顔をして返す。
「そうか??」
「だからややこしいと言ったんだ」
「なら今の話を説明してくれ」
 逆に当麻に通訳を求めることになっていた。否、当麻向けの話として語ったのだから、征士に通じなくても不思議はない。また征士は、ふたりの会話を始めから全て聞いていた訳ではない。何を何に例えているのか、想像が及ばないのも仕方ないことだった。
 だが、それに気を遣う必然性も義理もないので、当麻は至極簡潔に纏めて答える。
「ま、進化の予想と言うところかな」
「はぁ?。それと『天つ神』と何の関係があるのだ」
 今度は征士が理解できずに苦しむ番だった。けれど彼には、この場に絶対的な味方が居るので。
「流れだよ、征士」
 と、すぐに伸の口から補足的な話が続けられた。
「僕らは結局流れに乗って生きてる。自分で考えて選択してるつもりでも、いや実際そうしてるけど、元々進める道は限られてると思う。その意味ではウィルスも人も大差ないんじゃないかな?」
 当麻への回答を考え続けた所為か、今は伸の理屈も大分整理されて来たようだった。元々感覚的に捉えたことを正確に、既存の言葉で伝える作業は無理もあるが、誰もが征士のようにそれで許してくれる訳ではない。こんな機会もしばしばある方が、伸にも良いことかも知れなかった。
「広く見れば誰も選択していると言うほどではない、と言うことか?」
 続けられた話について、征士が自分の解釈をもって尋ねると、何故だか伸に先駆けて当麻が答えた。
「動物の一種から人間になるまでは、その決まった道の中で済んでるだろう。だがその先に進めた人間も、天が地になるほどの変化はしないと言いたいんだろ?」
 答えると同時に問い掛けもしていた。しかし今は伸も、充分に言いたいことを言える流れに沿って、穏やかに心の内を明かすことができた。
「人間らしさがあるから人間だ。僕らだって鎧戦士と言う人間だ。普通の人間とは違うけど、人間の特徴は失ってないよ」
 仲間達を惑わすかも知れないと、ずっと口にしなかった言葉が伸にはある。
「だから何となく、僕らが行ける限界かも知れないと感じたんだ、『天つ神』は」
 迦遊羅が母のように慕う、人間の世界に取っても母のような存在だと言う。少なくともそう感じさせる、人間的な何かを多く持つからこそ、『天つ神』は近しい神に感じるのだと思う。
 見た目は人型と言うだけで、常識的な人間の姿ではなくなっている。死体のように動かず、声を発することもない。と思えば突然、何処ともない中空から降りて来ることもある。だがそれでも、端々に人間臭い意志が感じられるのは何故か。そして、それ故迦遊羅も、一族が崇めて来た存在であることは解るだろうと、伸はもうずっとそんな風に考えていた。
 地球上の知識では、人間のその先の進化を正しく論じられない。多くの人々が普遍的に経験する例でなければ、データとしての信憑性がないからだ。けれど現実にはごく僅かの者が、人間以外の何かに触れ進化することを示している。迦雄須に然り、阿羅醐に然り。それは伸の言うアデノウィルスと同じで、進化の意志があろうとなかろうと、外的要因がそうさせた結果なのだ。
 嘗て迦雄須が越えて行ったであろう境界を、何れ自分達も越えて行くことになるだろう。それでも人間は人間以外のものにはなれない。せいぜい、『神』と呼ばれる人間になるだけだ。
 それが判ったことが、『天つ神』への親しみの始まりだと伸は話していた。
「成程」
 始めは首を傾げていた征士も、今は伸の考えの概要をほぼ掴めたようだった。だが、
「何が成程だか」
 本当に解ったのか解っていないのか、当麻は疑いの眼差しを向けている。彼もまた、征士の思考は自分とよく似ていることを思い、まだまだ言葉足らずな伸の説明を正しく、意図通り受け止めているか疑問に感じるのだろう。
 けれど意外に征士は解っているのだ。
「先駆者だと思うから安心すると言っているのだろう?、伸は」
 こんな時こそ、彼は伸の予想以上の解釈をして、他の人間をも納得させる。本来は反対のベクトルで生きる人間同士でも、長く相手を理解しようと努めて過ごした、時間の賜物と言える。そして、
「迦雄須も我々に取っては先駆者だが、彼にもまた目指す先があったのかも知れない」
 征士は今は当麻にそれを伝える。仲間達はそうして疎通を深めて行く。
 それは何れ、『天つ神』に対してもそうなれるだろう、と言うことに他ならなかった。
「そう言うことかも知れないな」
 最後には、当麻も抵抗なく頷けていた。自分達が、敵と戦う為だけに生を受けた訳ではないように、迦雄須もまた阿羅醐の為だけに、時を永らえていた訳ではないのだろう。先には先がある。聡い人間には自ずと目指す場所が見出せる。それ故の進化が存在することは、今ここで話す三人の共通理解になった。
 また当麻はその時、ふと用途不明な道具のことを思い出し、
「流れか…」
 聞こえない程度の声で呟いていた。
 現状何もできない状態の自分に、無理難題ばかり押し付けられている気もしたが、寧ろ自分をより高い所に押し上げる為に、その下地となる労働を求められているのかも知れない。甘んじてそう受け取ればいいんだ、と彼は考えを改め始めていた。都合の良い解釈かも知れないが、誰に迷惑がかかる訳でもない。少し、必要や義務感から離れ、子供の頃のように謎を楽しんでいても。
 何を選択をしても、心でどう思おうとも、大きな流れの中ではそう変わらないと意識すれば、未来を案じ過ぎることもない。
 生物として生まれたものは皆、緩やかな理の流れに乗って行くだけなのだ。



 訪ねて来た者、招き入れた者、後を追って来た者、同じ屋根の下に集う全ての者が寝静まった夜。空の向こうから、否、心の深淵から奇妙な誘ないが降りて来た。
 五人はそれぞれの夢を見る。
 列を成し目新しい都市を遊山しながら歩く、少年達の中に当麻がいる。
 石畳の庭でひたすら武器の鍛練を続ける秀がいる。
 衰えた一族の存亡の危機と戦う征士がいる。
 太古の国の無惨な儀式を眺めている伸がいる。
 そして、畳み掛ける自然現象と荒廃した景色の中に遼がいる。そこは遠い過去かも知れないし、遠い未来かも知れない。
 だが人間の歴史はみな一本の線で繋がっている。
 またその発端にも先端にも、同じ姿の人物が立っているのが見えた。何処か懐かしい、そして何処か恐ろしい…。

 昭和の終わり、平成の始めの日本にも彼等は存在した。
 それもまた一本の線で繋がる世界の摂理なのだ。



「ナスティ、ちょっと懐かしいこと言っていいか?」
「えっ、なぁに?。そんな改まって言うこと?」
 朝、既にダイニングテーブルに着いて、誰かが来るのを待っていた様子の秀。洗面所から戻って来たナスティを掴まえるや否や、
「俺、昨日の晩夢を見てたんだ。多分他の奴らも見たんじゃねぇかな」
 と話し出した。
「…それは…」
 すぐに思い付いた八年前の記憶。あの時も早く起きていた秀が、珍しく話をしたそうにここで待っていた。あの時は純も一緒に居た、と、大事なお告げであり、彼等の転機となった日のことをナスティが忘れる筈もない。
 しかし同様の現象が再び起こるとは思わなかった。彼等がこの家に集まったからなのか、或いは今再び転機が訪れているのかも知れない。とにかく、これは大事なことだと彼女の態度も変わる。
「でもよ?、今度のは誰が見せたって感じじゃねぇんだ。何の意味があんのかさっぱり分かんねぇし」
「詳しく聞かせてくれる?」
 まだ朝食の準備には充分時間がある。ナスティは自ら秀の向かいの席に着くと、鎧戦士の新たな夢の世界に想像力を馳せた。
「何処だか知らねぇが、えらく活気のある石造りの町なんだ。
 そこにだだっ広い訓練場があって、色んな奴がみんな戦闘訓練をしてるんだ、若い奴もおっさんも。そして俺もその中のひとりなんだが、状況は正に殺るか殺られるかって世界だった。今訓練に付き合ってる相手も、戦いの場で敵とさられたら殺さなきゃ俺が死ぬ。だから戦うことに悩む気持なんか一切ねぇんだ。誰もそんなこと言ってられねぇってくらい必死で、必死で生き抜こうとしてるんだ…。
 それを、外を通る町の人間や、監視員は他人事みてぇな顔して見ていた。中には面白がってる奴もいた。俺達は金持ちの奴らの見せ物みたいなもんなのさ。たまんねぇよ」
 秀はそこまでの内容を徐々に、語調を強くしながら聞かせた。夢とは言っても苦しいばかりの舞台設定。彼の心が怒りの感情に翻弄されたとしても、不思議はない抑圧された状況の夢だ。以前見た夢のように、明瞭な意味を導く映像とは違い、断片的な場面でありながら酷く感情を揺さぶられる、その内容に自ら苦しめられたことだろう。
 無論それが今度の目的かも知れない、とナスティは考える。
「まるで反対の夢ね…」
「そうだ、前は確か『戦おうとするな』って夢だったよな。何で今頃こんな夢見るんだ?」
 ただ、寝覚めが悪かったことを予想できる割に、秀の態度は比較的落ち着いて見えた。昔の彼ならきっと、遠慮もなく不快な表情をして見せただろう。その点だけ見ても、彼が人間的に随分成長していると感じられ、ナスティは逆に安心感を募らせて行った。
 暗示的な暗いイメージも、今の五人なら前向きに受け止める力があると信じられる。
 するとその時、いつぞやのように二階の廊下から声が聞こえる。
「馬鹿だなぁ、秀は。何も変わっちゃいない」
「何だよ!」
 階下の様子を見ていたらしい伸が、懐かしいと感じる意地悪な調子で言うと、秀は振り向きざまに答えた。何だよ、と言った後にまだ続けるつもりだったが、その前に横に居た征士が、
「早速行ってみようと思ってないか?」
 と口を挟む。まあ、以前の記憶が健在なら、鎧の縁の地へ出掛けようとすることもあり得る。が、流石に秀もそこまで間抜けではなかった。
「あのなぁ。行こうにも何処行きゃいいのか分かんねぇだろ!?」
 そう、今纏っているのは地球由来の鎧ではないと、既に五人の内で結論が出ている。今や大雪山は、個人的にはパワースポットと言えても、鎧には特に関係のない場所となった。それを理解した上で秀の見た夢の場面は、彼には識別できない未知の世界だったのだ。
 恐らく外国、恐らくアジアじゃない、恐らく色んな人種がいる。
 と、秀のイメージはそんなところだったが、そこで階段から降りて来た当麻が言った。
「俺は判ったぞ?。だが行くのは不可能な場所だった」
「え…??」
 どうやら、判らないのは単なる知識不足だったようだ。地球上の何処かであることは間違いないので、あとは如何に各地の特徴を知っているかだが。
「どんな場所だったの?」
 ナスティが当麻の言に関心を持って尋ねると、彼は秀を茶化すでもなく真面目に答えた。
「千年くらい過去だと思う」
 恐らく真面目な態度で話さなければ、冗談のように聞こえてしまうと思ったのだろう。確かに、秀の言葉ではないが、今更過去を見せられて何になるのか、誰一人説明できる者は居ない。だが、
「じゃあ迦雄須や阿羅醐が居た時代ね?」
 続けてナスティがそう問い掛けると、
「まあそうだが、日本じゃないんだナスティ。秀の話と俺の見た夢から察するに、恐らくその時々で最も栄えた集団の中にいる。そんな感じに思えるな」
 当麻は自分なりの考察を話すことはできた。それを聞いて征士も、
「成程、そうかも知れん」
 と納得していた。
 千年前、二千年前、三千年前と辿れば、人の歴史は五百万年前まで遡ることができるだろう。それを感じることが何の意味を齎すのか、今は不安と期待を抱えながら、起こり行く現実を待っているしかない。ただそれによって彼等は、現代から未来ではなく、過去のある時点から未来までの長い時を身を以って、知ることができるようになるのではないか。
 そしてそれは恐らく、先人達の時代から望まれ続ける、人類の未来の為なのだ。
「そう…、新しい鎧が日本の歴史を正常化するだけに留まらないなら、それで正しいのかも知れないわ。実際すずなぎの出現以降、不思議な現象の話題が各国で出て来てるのよ」
 当麻の話を聞くとナスティは、最も素直に考えられる状況をそう話した。昭和の終わりの日本に起きた出来事も、もしかしたら他の国では、既に過去に見られた現象かも知れないと思う。隆盛を極めた場所には必ず、それに成り代わろうとする何かが現れるのかも知れないと。
「ああ、その為の、何らかのサインなんだろうけどな」
 と当麻が返すと、それまで蚊屋の外にされていた秀も漸く、見た夢の意味について、自身の思考を進められるようになっていた。
「ある意味いいサインなのか…」
 するとそこへ、白炎と共に遼が姿を見せて、
「楽しそうに話せていいよな、みんな」
 俄に考え込む秀に言った。
「楽しそうかァ?」
「残念だが俺が見たのは、何処の場所とか集団なんて夢じゃなかった。同じように語れないのはつまらないな」
 確かに遼だけは、生物、植物さえまともに出て来ない、特殊な場の夢を見せられていたけれど。否、それも 地球のひとつの環境に違いない。
「でも、それも多分みんな繋がってると思うよ」
 伸がすぐそう続けたように、それについて悩むことは何もなかった。偶然か必然か、伸は昨夜自ら話したことで全て説明がつくと、今は酷く気楽な様子で笑っている。またそんな明るい気持を受けて、遼も力強く答えた。
「俺もそうだと思う!」
 新たな過去も新たな未来も、皆ひとつの流れの上に存在している。
「おお〜!、そうか!、全部が繋がってひとつの歴史になってンだな!」
 最後に、やっと全員の理解に追い付いた秀が、いつもの騒がしい調子で話題を纏めると、既に充分に納得していたナスティは言った。
「何だか、すごく素敵な話ね」
 人に取って、単純な意味での歴史探訪はロマンかも知れない。対して鎧戦士に与えられる課題は、楽しみなど感じられないものかも知れない。夢の内容から言っても、意欲より怖れが先に立ちそうな、苦悩のイメージしか見出せない現実があるけれど。
 ただ、そう言ってくれる人がいれば、そう考えることもできる。
 戦士達の未来に、常に希望を持ってくれている人が、確と居てくれることもまた歴史だ。
 そう感じられることが、何より心を安らかにしてくれると知った朝だった。

「そんなこと聞いたら、白炎もみんなと一緒に行きたがっちゃうわねぇ?」
 そう言って彼の頭を撫でたナスティは、恐らく同じ立場の同志に連帯感を見ているのだろう。見守ることしかできない存在と言うのも、それはそれで辛いポジションだと思う。
「残念だけど私と一緒にお留守番よ?」
 だから、再び離れ行く大切な者達が、いつも我々以上に幸福であるように。
 いつも紛うことなき真理の流れがあるように、と五人は思った。









コメント)この話で一段落、にするつもりだったんですが、短いエピソードをもう1編書くことにしました。あまりにも議論中心で当麻中心になっちゃったので、もう少し明るくて軽いものを。ちょっとだけ待ってて下さい。
それにしても辛かったです…花粉が(- -;。
ところでタイトルは、「Dream of Reason Produced Monsters」と言う、昔のミュージシャンのアルバム名を一部変えたんですが、未だこの元タイトルの真意が判りません(笑)。難解すぎます。



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