見つかったふたり
Paradise Lost
#1
大花月シリーズ7
パラダイス・ロスト



 これと言って季節の移り変わりも、風の薫りの変化もないこの土地だが、今は何処となく春のあけぼのの趣きを感じさせている。
 千年の昔から戦に明け暮れた、荒れ果てた古都にも何れ光差す。

「ひっさし振りだなぁ〜」
 秀はその都大路に降り立ち、嘗て眺めた荒廃した町並みを懐かしく回想していた。
「だがこんな町だったか?。記憶があやふやになっちまったなぁ」
 そして、新たな町の印象に多少驚かされてもいた。
 迦遊羅と魔将達が指揮を取り、着実に整備されつつある煩悩京。勿論戦闘の緊張状態の中で、秀が正確に景色を記憶していたとは思えない。が、過去とは違い、今は少なくとも「町らしい」と感じられていた。阿羅醐の存命中は、全てが鎧戦士を生け捕る為の、巨大なからくりのように見えたものだ。
 それが今は寧ろ、地上のビル街よりも人間の住処らしく思える。日本人の古き良き時代を思わせる、穏やかな生活感がここには生まれていた。それについて遼も、
「随分様子が変わったな」
 と言って秀に調子を合わせた。嘗ては人の生活行動はおろか、民人らしき者の姿すら見なかった。特殊な力に支えられた国とは言えど、肉体を持つ者達には食料が必要だろうし、鎧以外の衣服や道具も、誰かが作らなければ存在しないだろう。そうした下支えをしていた人々が、今この城下町に暮らしているのだろうか。また当時は何処でどうしていたのか、と、遼は常々不思議に感じていた。
 無論男達は、大軍で押し寄せる妖邪兵の一員だっただろうが。
 すると当麻はそこで、前のふたりとはやや違う視点の話をする。
「いや、町自体はあまり変わっていない。方角から言っても道は前のままだ、建物は少し違うが…」
 恐らく彼は、鎧の特性から来る視野の広さ、遼と共に最も長く町に潜伏していた経緯から、この市街の様子をよく記憶に留めているのだろう。歴史の学習で習う奈良の平城京に、よく似た碁盤の目状の路地の配置、それらは位置的には以前と変わっていない、と言うことだった。
 だが今の話の流れは、地形的な差異を論じていた訳ではない。
「だとしても前より全然明るく見えるだろ!」
 秀が語調を強めてそう続けると、
「確かに」
 意外に今日の当麻は、余計な説明を続けず頷いていた。それだけ彼にも、煩悩京の新しい変化が興味深く映っているのだろう。そして遼は再び、仲間達に相槌を打つように言った。
「うん、俺もそう思ったんだ」
 さて、彼等が何故妖邪界へやって来たかと言うと、煩悩京の正面奥、以前は阿羅醐城が建っていた敷地の中心に、この土地の平安を願う大本堂が完成し、その祝いの宴に招待されたからだ。夕刻以降には、町を上げてのお祭りもあるが、それまでに内々に開かれる宴席だった。
 御承知の通り妖邪界は、時の進みが地上の六倍遅い為、現在から夕刻までは、地球時間でまだ一日近く残されている。つまり丸一日に相当する時間を割き、魔将達は特別な席を設けたと言えるだろう。招かれた客人は正に、妖邪界に取っての国賓のようなもの、かも知れない。
 双方の世界を救った鎧戦士なのだから、そんな扱いもあって然りだ。
「こんな風に招待を受けるなんて、前には考えられなかったね」
 伸が楽し気な口調で言うと、
「ああ。時が経つと、思い掛けない嬉しい事もあるな」
 遼は脳裏に焼き付いた、数々の戦いの記憶を遠目に探すように、今は明るい空を見上げながら返した。一時は憎み合い、罵り合うばかりだった魔将達も、いつしか懐かしく頼もしい仲間へと変貌を遂げた。必死に対峙して来たからこそ、刀を交えた者同士が酬われたのだ。純粋に「良かった」と遼は現実を喜んでいる。
 しかしそんな遼の横で、
「嬉しい事なら構わんが…」
 何故か征士は不粋な呟きを聞かせていた。尚、征士と伸のふたりは一年少々前に、やむにやまれず煩悩京を訪れているので、今回そこまで目新しい印象は受けていなかった。なので征士の口から、感動を表現する言葉が出ないのは致し方ない。それを、
「何だよ?、何でそんなに疑ってんだよ?」
 不思議そうな顔の秀が問い質すと、寧ろ警戒心を感じない者の方がどうかしている、と当麻が横槍を入れていた。
「おまえな…、少し前に、不愉快な思いをして怒ってただろ?。もう忘れたのか?」
「そうだっけ…?」
 良く言えば大らか、悪く言えばいい加減な秀のこと、不快な記憶など早く忘れた方が良いと、日頃から考えているに違いない。そして今はもう、宴会に並ぶ料理のことで頭が一杯だった。
 けれど、当麻の発言に触発された伸が、
「そう言えば、螺呪羅が来て何かしてたみたいだけど、何だったんだろうね、あれ」
 思い出しながらそう言うと、流石に秀にもその映像が思い出されていた。
「あっっ!、そう言や…」
 姿を隠して一日中着け回されていたらしきこと。本来なら、余程の理由がなければ許されない行為だが、その時は何故か、訳を聞く気になれず帰してしまった。秀は大雑把な所はあるが、人の気持が解らぬ人間ではない。その時螺呪羅の態度から、問い詰めてはいけない雰囲気を覚ったからだった。
 だが、それからもう半年近くが経過している。その時は秘密だった事も、今は話せるようになっているかも知れない。秀はここで思い立って、必ずその話を聞き出そうと意欲を燃やし始めた。
 一方で、明るい煩悩京の様子を見つつ、ただ只管に状況の変化を喜んでいた遼は、そうして仲間達の意識が、疑念の方向に向かっているのを何処となく、憂えるように眺めている。
「じゃあ、当麻は、また何かありそうだと思うのか?」
 そう遼が尋ねると、
「う〜ん、今回は宴の招待だからな。何かを企んでるとは思わんが、場所と面子を考えるとな…。企まなくとも何か起こりそうな気がしないでもない…」
「だねぇ」
 深刻には聞こえない調子で当麻が語った後、伸は呆れ笑いしながら頷いていた。まあ、遼が心配する程、酷い不信感を持つ者は居ないようだ。秀もまた笑い話のように続けた。
「あいつらが来っと必ず何か起こるからな〜」
 それが事実なので、誰が心配しようと仕方のないことだった。
「そのお詫び、と言う意味ではないのか?」
 そこで征士が、今日の招待についての疑問を口にする。宴の名目は前途の通りだが、無論五人は煩悩京の再興に関わる訳ではない。落成された祈祷用の本堂も、鎧やそれにまつわることとは何ら関係がない。ならば、何故このタイミングで呼ばれたかを考え、征士は予想を立てていた。
 つまりこれまでの、主に柳生邸で起こった事件に対する謝罪と、まだ明かされていない部分を説明する為に、それらしい席を設けたのではないかと。
 すると当麻は、
「尋ねるまでもない」
 と即答していた。またそれが解っているから、必要以上に疑うこともない。当麻の様子は終始そんな風に、穏やかに考えていることが見て取れた。なので遼も少し肩の力を抜いて、
「そうか。なら、あんまり構え過ぎない方がいいな」
 と、一時の杞憂を忘れることができた。仲間達を少しばかり見下げていたような気がして、遼は己を恥じるように頭に手を遣る。何もかも、一から十まで全てを信じることは難しいと、未熟な己を反省し掛けていたその矢先、
「そう言やよぅ…、遼は、俺に何か隠してなかったっけ?」
 秀が口を尖らせ、彼の耳元で思わぬ話を始めていた。現時点では遼の「泣き所」と言えるその話題…。
「だからもういいんだっ。多分その訳もみんな説明してくれるだろ」
 突然慌てふためいて、遼は飛び退きながらそう返していた。確かにそんな正直過ぎる点は、本人の評価通り未熟者だった。遭った被害すら忘れていた秀が、それを気にしていたとは普通は考えない。そんなに申し訳なさそうにしなくともいいのに、と、当麻は傍で見て苦笑していた。そして、
「だな。遼がここまで口を閉ざしているのは、恐らく真面目な事情があるんだろうし」
 助け船のようにそう言うと、
「おお、そうだぜ、その事情とやらを聞いて来なきゃな!」
 秀は釣られるように話の矛先を変えていた。扱い易さは今も昔も変わらない秀だった。
 ただ、
「真面目な事情か…」
 実のところ遼には、それに確たる自信を持てていなかった。他言しないと言う、約束自体は真面目なものだったが、螺呪羅はあまり詳しいことは話さなかった。今妖邪界で何かが問題になっていて、それに対する抗議的な行動をしている、としか遼は理解していない。もし螺呪羅の行動がそれに当たらなかったり、問題自体が許容の限りを超える場合はどうする…?。
 あまり考えたくなかったことが、この場に於いて俄な不安を誘う。
「…!」
 そんな時だった。
「うわぁぁぁ!?」
 突然背後に現れた妙な気配に、秀が突拍子もない声を上げた。見ると何もない空間に、小さな陽炎のような気の揺らぎが現れ、その周囲には身の毛の弥立つような、えも言われぬ感覚が取り巻いていた。そして、
『皆の者、久し振りだな…』
 空を裂いて現れたのは、今は酷く懐かしい鬼魔将だった。
 否、懐かしいと思えたのは、彼が現れて十数分も経った後だ。出会い頭の鎧戦士達は、とにかくその現れ方の気味の悪さに、目を剥いて冷や汗を流すばかりだった。そしてその姿も、人間だった頃とは掛け離れている。映像のような透けた体が、電波障害でも受けているように、時折一部見えなくなったりする。また体の周囲が微妙に発光していて、しばしば点滅しているようにも見えた。
 日本の伝統的な幽霊話と比べると、随分派手な装飾を身に纏っていると思う。無論彼は一度鎧に関わった者だから、今も単なる幽霊ではないのだろうが。
 暫しの後、やや落ち着きを取り戻した遼が、
「あ…、朱天童子。確か前にも、こんな風に出て来たな」
 と話し掛けた。すると横から、
「前とは…?」
 と、若干引き気味の様子で当麻が尋ねる。否、当麻はまだ落ち着けていた方だ。彼以外の者は一様に唖然として、誰も言葉を発しようとしなかった。
「ああ、みんなは知らない時なんだ。俺と白炎と、後から偽水滸が来て…」
 そう、遼の他には誰も居なかった柳生邸の庭で、彼等は阿羅醐時代以来初めて再会したのだが。その時は感動云々の前に驚きが勝り、逃げてしまったことを遼は思い出していた。大事な何かを伝えに来たかも知れないのに、と、彼は後で随分後悔していた。それがまたこうして出会えたことで、今度は気を動転させることなく、話し合えるだろう予感に喜んでいた。
 無論彼以外の四人はまだ、そんな感情を持てないでいたが、しかし例外の者も居た。
「偽水滸ォ…?」
 その名称を耳にした途端、伸は眉間に皺を寄せて呟く。彼が忌み嫌う存在が引金になり、正気に戻ったと言うのは些か皮肉なことだった。
 そして、場が落ち着いた様子を見ると朱天は語り始めた。姿は何とも言えない不安定さだが、話し声は特に不快なものではなかった。
『その通りだ。私はあの時初めて幽界から呼び出された。以来このような半端な姿だが、妖邪界の一員として数えられている。今日は皆支度に忙しいので、私がお主らの案内役を任された次第だ』
「そうだったのか…」
 まず整然と現状説明をしてくれた朱天は、以前と何ら変わらない、誠実そうな表情を遼に向けていた。だから答えた遼も、その遣り取りを見ていた他の四人も、漸くこの時点で平常心に切り替えることができた。場合に因っては、得体の知れないものが朱天の姿を見せているだけ、と言うこともあり得る。ここは地球ではなく妖邪界なのだ。
 だが、そうして警戒する気持も急速に薄れて行く。一度は味方として戦った鬼魔将だから、本物であるかどうかを見分けることも、彼等には難しくないのだろう。
 すると早速、普段の調子に戻した秀が話し始めていた。
「はぁー、死んだとばっかり思ってたけどよ?、戻って来ることもできんのか」
『ああ、いや、自ら戻った訳ではないぞ。私を呼び寄せる力のある者が居たのだ』
「へぇ、すげぇな!。迦雄須みてぇな奴か?」
 そして『力のある者』と聞けば、偉大な彼等の師を思い出して然り。だがその迦雄須でさえ、真の死後には呼び掛ける声のみでしか、この世に存在したことはない。自ら戻ることはできないと言う、確かな前例だった。
「じゃあ迦遊羅とか?」
 と続けて、伸が関連のある名前を挙げるが、
『いや…』
 どうも迦雄須一族とは関係しない者らしい。と気付いたところで遼が言った。
「まさかと思うが、偽水滸…?」
『そうなんだ、烈火。全く奇妙なことだが』
 偽水滸とは言えど、今は単なる偽者ではない。
 何故遼がそう言えたかは、勿論この前に朱天が現れた時の状況を考えていたからだ。その時遼は多分に不貞腐れていた。偽水滸と白炎が、自分には不可能な「会話」をしていたのだ。それを思うと、彼が単純なコピーでないことは自ずと判った。
「へぇ〜!?、意外な力を持ってんだな」
 秀が増々声のトーンを上げると、今度は興味津々の様子で当麻が口を開いた。
「正に意外だ。偽者の筈なのに本体にない能力があるとは」
 如何にも彼が食い付きそうな話題だった。しかしその横では、
「ハハハッ!、不愉快そ」
「当たり前だ!」
 顔を強張らせている伸を、秀がからかって笑っていた。伸にはもう関わりたくもない、己の人物的信用を脅かす迷惑な存在。それを今頃になって当麻がほじくり返そうとしている。不穏な成り行きに、伸は戦々恐々とした気持を煽られている。だがそんなことには微塵も気付かない当麻だった。
「なぁそれは、何処から生まれた能力なんだ?。鎧を作ったのは那唖挫だと聞いているが、元々の鎧にあった能力なのか?」
 と、やや早口になって疑問を捲し立てていた。まあ確かに当麻だけでなく、それは誰もが感じる基本的疑問だったけれど。
『ああ、それはなぁ…』
 朱天は一度何かを話し出そうとして、止めた。
『取り敢えず仮新殿へ移動しないか?。私はそれについては詳しく知らぬのだ』
 続けてそろそろ、立ち話でなくきちんとした席へ、と促していた。五人がこの都大路に降り立って、かれこれ三十分になろうとしている。来客の気配を感じてより、迦遊羅達は待ち草臥れているかも知れなかった。無論秀の楽しみである御馳走も、時間と共に気が抜けてしまうだろう。
「そーそ、後にしろよ当麻!」
 そんな訳で、秀はころりと気が変わったように言った。また朱天の提案に頷いた遼も、
「那唖挫に聞いた方が早いんじゃないか?」
 と、尤もな意見を聞かせていた。
「そうだな。何やら突然楽しみが増えた」
『ハッハッハッ、相変わらず探究好きだな、天空は』
 妙に意欲的な様子になった当麻を、朱天は正に懐かしいと感じる声色で笑った。
 それを耳にすると、今ここにどんな問題があり、多少厄介な事に巻き込まれようとも、「来て良かった」と、確と思える面が存在することを五人は感じた。憎しみや恨みが存在しない今だからこそ、全ての鎧の仲間達にそう思うことができる。それどころか不思議な運を持って、死んだ筈の者が戻って来ていた。それはとても幸せな状況だと。
「理屈はともかく、懐かしい顔がみんな揃ったのは良かったね」
 と、伸もひとまず偽水滸のことは忘れて微笑んだ。
 そうして元鎧戦士達と朱天は、町の中心地への道を歩き出したのだが、その中でひとり征士だけが、その場を名残惜しそうに止まっていた。
「・・・・・・・・」
 そう言えばいつからか、彼は全く会話に参加していない。
「どうしたの?」
 二歩ほど進んだ伸が、歩き出そうとしない彼を振り返って言うと、
「…いや…」
 別段具合が悪そうだとか、気が進まなそうな様子には見えないが、征士は何故だか聞こえ難い声で返した。そして何処となく、道の後方の景色を気にしているようだった。何か気掛かりな物を見付けたのか、或いは当麻のような好奇心をそそられているのか。今に始まった征士の不可解な行動は、伸には殆ど何も判らなかった。



 煩悩京の四角く整然とした町は、面積自体はさほど広くはない。
 今現在で言えば平安神宮に似た様式の、朱と翡翠に彩られた町並みが、四方四キロ程度で城壁に突き当たっている。そして前途の通り、道は方眼を刻むように整っている。朱天が案内すると言っても、宴の開かれる仮新殿へは中央の大通りを、真直ぐ歩くだけで到着した。
 そもそも阿羅醐城のあった場所なら、都のほぼ中心と皆知っているので、現在の町の見通しの良い状態なら、誰も迷うことはなかっただろう。勿論過去にあったような鼠取りの罠が、町の随所に残っていると言うなら話は別だ。
 しかし朱天からはそんな注意喚起もなく、客人達は普通に観光気分で歩いて、もうひとつ新造されたばかりの三門を潜っていた。尚、朱天の仕事はここからがメインで、嘗て城の在った広大な敷地の中には、まだ岩や瓦礫の積まれている一角、新たに基礎工事を始めた一角、過去の地下層を改造する一角などが点在している。それらを避けて最短で歩く道を彼は案内した。
 正面にすぐに見えて来るのが、この度の祝いの対象である大本堂だ。しかしここは祈祷の場である為、宴会等には使われない。また内部は、まだがらん洞と言って差し支えないほど、大した物は配置されていない状態だった。朱天一行は見学序でにその中を通過し、乾の方角に建つ仮新殿へと向かっていた。
 ところが、順調に宴の場へと誘導して来た朱天が、
『おや、何かあったか?』
 と、目的地を前にして言った。誰かしら座して待っている筈だったが、表玄関には人の気配がまるでない。すると仮新殿の奥から、如何にも慌てた様子の迦遊羅が走り出て、
「ああっ、皆様よくいらっしゃいました…」
 追っ付け合わせるように挨拶した。確かに、何かあったと臭わせる様子である。
「だいじょぶか??」
「どうしたんだ、随分慌ただしい様子だな」
 駆け込んで来た彼女を見て、秀と遼は口々に言った。すると、
「いえ、もう、皆様をお招きする宴の準備は整っているのですが。直前になってこちらの参加者が揃わず、今急いで連れ戻しに出ているのです。本当に申し訳ございません」
 案の定、予定外の事が起きていると迦遊羅は話す。まあ鎧戦士達にしてみれば、最近の魔将達はトラブルメーカーだと思う節があるので、遅刻程度の事なら特に気にならなかった。が、
『まったくだらしがないな…!』
 彼等の背後では、怒りに震える恐ろしげな声が響いていた。
『人を招いておいて道理になっていない!。誰が居ないと?、今すぐ引き摺って参る!』
 嘗ての鬼魔将さながらの様子で、朱天は恥ずべき身内を怒鳴り付けていた。しかし聞いていた迦遊羅は少々困り顔…。
「いえそれが…」
 深々と下げていた頭を上げると、何やら言い難そうな仕種を朱天に示していた。
『あ…、まさか…』
 すると朱天の方も、一度沸き上がった怒りをすぐに引っ込める。この場で話題にするのはまずい問題だと、迦遊羅の言わんとしていることを覚ったようだ。
「?、な、何だ??。誰だって?」
 無言で意思疎通をするふたりに対し、話の見えない秀はその双方を見比べながら言った。勿論秀以外の誰にも、迦遊羅と朱天が何に困っているのか、明確に予想できる者は居なかった。ただ、その問題の人物を連れて来ると言うのだから、今慌てて聞き出さなくとも良いかも知れない。
 そう考えられた当麻は、
「いや、それで丁度いいかも知れん」
 と迦遊羅に向けて話していた。
「は?」
「偶然俺達も全員揃ってないからな」
 一瞬、何のことやらと言う空気が漂ったけれど、言われてみれば頭数が足りないようだ。
「ん?、あれっ?」
 途端に秀が、隠れんぼでも始めたように周囲を見回し始める。遼ははっとした様子を見せた後、すぐに足を大本堂の方へと向けていた。伸が遅れて歩いていたのを知っていた彼は、今やって来たルートを戻って行ったのだ。すると、
「何してるんだ、あんな所で」
 大本堂の、開け放たれている木戸から真直ぐ先に在る三門。更にその向こうの市街の道に、伸がまだ立ち止まっている姿が見えた。何をしている風でもないが、南東の方を向いて立っている彼は、その視線を動かそうともしない。もうひとり姿の見えない者が、そこに居ると言うことだろうか?。
 その内遼の元に皆集まって来て、
「あまりよく聞いてなかったが、征士が気になるものを見たと言って、途中で道を逸れたんだ。伸は戻る時の目印に立ってるんだろ」
 と当麻が話した。成程、今の伸の様子はそれで合点が行く感じだ。ただ、
「何やってんだか」
「うーん…、征士にしちゃ珍しい行動だな」
 秀と遼がそう続けたように、些か納得できない事態でもあった。戦闘中の個人行動は別にして、普段の生活の中では、それ程集団の和を乱すことのない征士だ。殊に真面目な招待を受け、案内人と共に歩く最中に勝手をするとは、本来なら考え難い出来事だった。更に言えば、何故伸は大人しく待っているのだろう。彼の性格から言えば咎めて当然なのに…。
「不可解だが、余程の事があったとしか考えられんな。慣れない土地で迷子にならなきゃいいが」
 考え得る結論を当麻はそう纏めたけれど。その推察から朱天は、
『もしや…』
 と思わず呟いていた。そして迦遊羅も慌てて口を開く。
「あっ、あの!」
 その強い調子に皆が振り返ると、彼女は遼達が納得してくれるよう、こんな説明を話して聞かせた。
「それはもしかしたら、私共が今探している者を見たのです。光輪殿でなくとも、皆様のどなたでも驚かれる筈ですから、恐らくそうだと思います。遠くへは行っていないことが判っておりますし、三魔将方が連れ戻るまで、どうか仮新殿の庭でお待ち下さい」
 聞けば聞いたで、驚く程の人物とは誰なのか気になるが。
「ああ…」
 取り敢えず遼は、迦遊羅の意向を組んでそれに従うことにしたようだ。うやむやにしようと言うのではない。ともかく謎の人物はその内ここにやって来る。今の段階で混乱するのを避けたい迦遊羅の気持が、遼にはきちんと汲み取れていた。そして朱天も、
『そうしよう。誰か!、茶を持って参れ』
 場の流れを切り替えるように、仮新殿の奥へと声を掛けていた。そうして現状を理解できた者は、あっさりその場を移動し始めたが、
「誰を探してるって??」
 秀はこんな時ばかりこだわりを見せて、そこから頭が離れないようだった。無論それだけ面白そうな話である。会えば必ず驚くと言う不明の人物。例えば朱天のように、亡き者となった誰かが復活しているとしたら、例えば迦雄須?、いや阿羅醐とか…。
「それは後ほど充分に説明致しますので…」
 迦遊羅が困り果てながら返すと、
「わっかんねぇなぁ」
 と、一度不満そうに吐き捨てた秀が、すぐに何かに気付いて続けた。
「あぁ!、前に螺呪羅が来たことに関係あんのか?。そうだろ?」
 そう、他の者達は双方の関連に既に気付いている。だから大人しく待つことを承諾したのだ。捜索中の謎の人物こそが、妖邪界で起きている問題の中心だ。秀も今、漸く自力でそれに気付けたところだった。
「ええ、その通りです金剛殿」
 今度の問い掛けには、比較的穏やかな態度で返せた迦遊羅。本当なら招いておいて、妙な隠し事などしたくはないだろう。そんな様子を見つつ、当麻はもうこの話が拡大しないように言った。
「それなら仕方ない。俺達はその話を聞きに来た面もあるし、全員揃うまで待つとしよう」
「そうだな」
 そしてまたしても、上手く釣られてくれたように秀は同意して歩き出していた。否その前に、
「あれ…?、伸もどっか行こうとしてるぞ」
 一度振り返った秀の視界の先で、ずっと止まっていた伸も歩き出していた。この大本堂に向かってではなく、東へ曲がる道の方に入って行ってしまった。

 現在の煩悩京の町並みは、城のあった敷地以外は全て、一般の民衆に解放した市街となっている。故に市民生活に必要な物資を売る店等が、今は町のあちらこちらに存在している。だが、店が軒を連ねていると言う風ではない。まだ元の臣下屋敷の形を留めている為、見た目には白い土塀が只管続いていた。だから迷い易い面も確かにある。
 しかし同時に、道の交差の仕方が規則的な為、適当に歩いていても見当が尽き易い。今、伸が見ていた道の曲り角に現れた征士は、正にそんな感じで歩いて来たところだ。そして伸の姿を見付けると、何故か立ち止まって暫し考え、次には見えるように大きく手招きをした。
 漸く戻って来たと思えば、呑気に何をしているのか。と、多分に苛立っていた伸は、
「何だよっ!、みんな待ってるのに…!」
 聞こえるように愚痴りながら歩いて行った。けれど、彼のそんな態度は長く続かなかった。遠目では判らなかった、相手の様子が徐々に見えて来る内に、伸の気持は苛立ちから不安へと変わっていた。魂の抜けたような目をして、放心している征士と言うのは滅多に見られない。
「…何かあったの?」
 と伸が尋ねると、暫くは言葉も出ない様子だったが、やがてぼそぼそと呟くように彼は話した。
「己の目が信じられん…。こんな事は初めてだ…」
 言葉を綴る唇が震えていた。些か顔色も良くないように見える。
「どうしたんだよ?、何のこと言ってるのか分からないよ」
 何とか状況を知ろうと話し掛ける伸だが、征士はそれ以上言葉にすることができなかった。それ程衝撃的な何かを見てしまったらしい。
 征士が「気になるものを見た」と言った時には、そこまで恐ろしい想像はできなかった。そんな態度ではなかった筈だ、と伸は前の場面を思い返している。そもそもそんな危険が潜んでいるとは、朱天からも聞かされていない。さてどうするか、このままみんなの待つ場所へ連れて行くか?。それとも緊急事態だと向こうに連絡するか…?。
 と、伸が次の行動を迷っていると、
「…確認してほしい」
 もう何も喋らないと思えた征士が言って、疲れた様子ながらも再び歩き出していた。無論大本堂の方ではなく、南へ向かう道へと。
「えっ、ちょっと待ってよ、何処に行くつもりさ!」
「遠くない。すぐ戻れるから着いて来てくれ」
 そうして、征士の心配な状態を見てしまうと、無碍に断ることもできない。しかし親善の為の招待を受けながら、相手を待たすのは失礼過ぎる。選択不可能な状態の前で、伸はにっちもさっちも行かなくなってしまった。
「そんな、どうしよう、ああもう…」
 結局目の前から、どんどん離れて行ってしまう征士に慌てて、伸はその後を追って行く羽目になっていた。果たしてふたりの向かう先には何があるのだろうか?。



 煩悩京の南東の外れは、前の戦で壊された城壁がそのままになっている。
 そこだけでなく、まだ補修工事の儘ならない箇所は幾つもあり、生き残った民人達が少しずつ改築している最中だ。まず彼等に必要なもの、町に集う全ての者の当面の住居、水路や橋、そして食料や道具を供給する場所と、彼等の心の拠り所となる宗教的建造物、それらから始めた。今は漸くその基本的な部分が完成した、と言う段階だった。
 そしてまだ手を付けられない部分の中で、特に町の南東の一角は、城壁と共に崩れた家屋が多くあり、今はまだ誰も住み着けない状態だった。故に夜間は見張りが立って、野の獣等が入り込まぬよう警戒される場所でもあった。
 砕けた漆喰と散乱する瓦の破片、石垣から転がり出た大きな岩、既に錆び付いた矢尻や武具等が、町の南東の角から外へ向かって雪崩れ出ている。緑の草原が広がるその辺りは、例えて言えば、松尾芭蕉の「夏草や」の趣きそのものだった。戦に駆り出された者ならば、何とも物悲しく映る夢の屍の地。事実住民の中には、近付きたがらない者さえ居るくらいだ。
 しかしここには、そんな風情を気にも留めない者も居た。
「…何の為に存在しているのか、私はずっと考えていたが、」
 征士が心地良くしなだれた様子で言うと、
「うん?」
 草むらに消え入りそうな、密かな声で伸は答えた。
 本日の煩悩京は風もない。一貫して暑くも寒くもない土地だが、真昼の陽光はいつも麗らかで爽やかだった。そんな中、ふたりは草原に寝そべり、軽く抱き合うように、見詰めあうようにして、特に意味があるとも思えない会話をしていた。
 征士の手は、草の上に流れ落ちる伸の前髪を撫でている。伸の頬は某かの行為の後に、上気して赤く染まっている。彼等の身に着ける衣類は、したい放題の様子で乱れていた。
「こうしている、時の為に私は存在するのかも知れない」
 そして、とても幸せそうに征士が笑うと、伸は閉じていた瞼を開けて、
「そうだねぇ」
 と笑い返していた。まともに聞いていたのかいないのか、どちらとも言えないような返事だが、それでもふたりの意識は通じているようだった。人として生きる中で、全てを分かち合える者に出会えたこと。またその相手に触れ、体の内にある最も動物的な愛情を知ったこと。それらは確かにふたりを幸福にした。互いにそう信じられるから、余計な言葉はいらなかった。
「もう考えなくとも良いな、そんなことは」
 そう、何を話そうと考えるのも、今は馬鹿馬鹿しいと征士も認めている。なので言葉の代わりに、伸の耳をくすぐって遊んでいた。
「フフフフ、ハハハハ…」
 何でもない、彼等に取って特別な事は何もない日だが、今は他のどの時より幸福な時間に感じられた。否、詰まるところふたりで居られれば、それで最上級に幸せなのだろう。誰もが求める理想ながら、滅多に実現できないものを手に入れたふたり…。
 けれど、永遠に続くかのように見えた愛の遊戯は突然、轟くような声によって寸断された。
「おまえら…、公式行事を優先せぬか…」
 いつの間に現れたのか、彼等の頭上に立っていた那唖挫が、酷く憎々しげにその場を見下ろしていた。それを見て、特に恐れる様子は見せなかったが、
「公式行事…とは?」
 半身を起こした征士が、だるそうな口調でそう尋ねていた。彼は何を言われているのか判らないらしい。すると事情を知る伸が横から、
「ああ、ごめん、忘れた訳じゃないんだけどさ…」
 と、こちらもだるそうに着物を直しながら言った。
「でも何だか急に、そんな気分になっちゃったんだよね」
「それで済むなら誰も苦労せんわ!」
 那唖挫が怒鳴るのも無理はなかった。まだ社会に適応できていない征士もどき、つまり偽光輪の面倒を見ている偽水滸なので、監督失格を咎められるのは当たり前だった。事もあろうに、地上の大事なお客様を呼んでいる席で、しかも彼等について説明する場だと言うのに、この無責任さは余りにも酷いと思う。
 すると那唖挫の凄まじい剣幕を見て、
「スイスイを責めないでくれ。私が至らぬから悪いのだ」
 と偽光輪は真面目に訴える。だがそれも焼け石に水となってしまっていた。
「当然だ。貴様が一番問題だと思うから、俺はこの上ない程責任を感じているのだ!」
 言わずもがな、この偽光輪を作ったのも那唖挫である。否、正確に言えば鎧を作ったのであって、そこから発生した生物に関与する訳ではない。また、那唖挫自ら作りたくて作った訳でもない。だからこそ結果の惨状に自責の念を強く感じている、と言う現在だった。
 始めに偽水滸が現れた時は、特に深刻に感じられる問題はなかった。今にして思えば、その時は彼ひとりだったからだ。異質な者がひとり、大勢の普通の人間に紛れていたところで、特別何かが起こる訳でもない。殊に元である水滸の性質を考えれば、凶悪な方向に向かうとは想像できない。
 故に、似たような存在がふたりになった時、それが原因で厄介事が起こるとは予想できなかった。まあ勿論それでも、本当の意味で悪事を働く訳ではないのだが。
 ただ奔放過ぎる。元である本人達に対してモラルがなさ過ぎる。いつの間にかそうなってしまったことが、現在の妖邪界の抱える問題であり、魔将達の悩みの種だった。一体どう謝罪を述べて良いものか、この半年程の間討議に討議を重ねて、今日に辿り着いたのだ。
 けれど相変わらず、そんな背景などに関心を示さない偽水滸は、
「あーあ、どうしてそうなっちゃうんだろうね?。那唖挫が気に病むことなんかない、僕には那唖挫は神様に見えるよ」
 と笑いながら話していた。少なくとも彼は、親と言える那唖挫には敬意を示している。また本意ではないにせよ、仲間を作ってくれたことに対して、多大な感謝の念を伝えようともしている。それらの感情面だけを取って言えば、至って正常な人間の思考に思えるが、
「おまえの理屈が通用するか」
「アハハハ」
 那唖挫が取り合わないのは、人の社会に馴染んで暮らすことができない、それが難しい存在だと知った為だった。言葉を持たぬ獣とも、死後の世界とも繋がれる彼等の力。そんなものがあれば、特に取り柄のない人間が寄り集まって生きる社会に、特別な関心を持てないのも解る。だから彼等は常に単独行動の無法者だった。行事をすっぽかす理論的理由など、彼等にある筈もなかった。
 人を元にして生まれ、人とは違う新しい存在。自らの手で作り出した人形ながら、魔将達はおろか、恐らく阿羅醐にも何とは言えない存在。扱いが難し過ぎて今は持て余している。
「早くしろ!、とにかく仮新殿に来い!」
 那唖挫はもう、あまり会話も続けたくない様子でそれだけ言い放つと、ひとり踵を返して歩き出していた。
「分かってるよ、ねえ?」
 と、偽光輪に同意を求めた偽水滸は、それでも尚のろのろと着物を直していた。一事が万事この調子なので、呆れられても仕方ない。
 するとその時、ふたりの許を離れて行った那唖挫が、
「おわぁぁぁ!!」
「えっ、何、今の奇声?」
 深刻な叫び声を上げていた。足許から猪が飛び出したとか、そんなハプニング的な声ではない。それを耳にすると、流石に偽者達も急いで駆け寄って来た。
 那唖挫は大小の岩が転がる草地に、身構えるようなおかしな格好をして立っていた。傍目など気にしない、形振り構わぬ様子はそれだけ驚いた証だろう。そして彼はひとつの岩に視線を固定したまま、心底怖れを為した声色で言った。
「お主等いつからここに居た…?」
 そこに居たのは無論、恐ろしいものを見付けてしまった征士と伸だった。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
 聞かれたところで言葉は出なかった。けれど、
「だ、誰なのだおまえは…」
 那唖挫を追ってやって来た偽光輪を見るなり、征士は掠れた声で問い掛けた。答は大方予想できていたが、一言言わずにはいられなかった。



つづく





コメント)今回は予告通り征伸…、って偽水滸かよ!と怒った方がいたらスミマセン(笑)。まだ話の途中なので、書き終わった時にはちゃんと征伸になってる筈…。ただ、一気に全部書き切るつもりが、思ったより長くなって今回は1ページ分だけになってしまいました。それについてはホントにすみません。
ところで妖邪界(煩悩京)の地理について、私のどの作品も一応同じ設定で書いているのですが、今回の話は再建途中の煩悩京にした為、時間と建物が若干違うところがあります。ご了承下さいませ。




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