安らぎ
ナイルと緑の芦辺
#5
The River Flow



 王宮に不穏な知らせが届いてふた月ほど。
 この度のリビアの侵入に対する防衛戦は、相手がそこまで大規模な部隊ではなかったこともあり、比較的余裕を持ってエジプトの勝利に終わった。
「よくやった、素晴しい戦果だった」
 広間に集まる軍人や役人達に、ファラオは力強く労いの言葉をかける。大した損害も無いまま、ひとまず国の緊張が解けることは大いに喜ばしい。ファラオの声色からはそんな感情が溢れ、それが集まる人々にも伝播し、会堂は正に明るい喜びに満ちていた。
「リビア国境の小隊が良い働きをしたお陰で、作戦通り防衛できました」
 厳めしい軍の司令官が、そんな雰囲気の中でここぞと話を切り出した。
「国境部隊には褒美を取らせねばな」
「若者ばかりの部隊ですが、隊長のムカラと言う者はなかなか優れた兵士です。取り立ててやって下さい」
「うむ。百人隊長にして、その者を中心にリビアの監視を手厚くしよう」
 司令官が働きの良かった兵の名を挙げ、ファラオはそれに応えて身分の引き上げを決める。市民に対するそうした配慮あってこそ、エジプトは長く繁栄を続ける王朝となった。ファラオも司令官も皆、エジプトの善き伝統を守り続けられることに、何より安堵していたに違いない。
 だが、誰の目にも見えている現実がある。戦はまた必ず起こる、エジプトに限らずこの時代は何処も安全とは言えないが、王朝の力が衰える危険を日頃から感じている。何処かの国がまた侵攻して来た時の為に、誰もが気を引き締めながら喜んでいるに過ぎなかった。諸手を挙げて勝利を祝うことができぬ情勢は、国民感情として申し訳なく思うところもあった。
 王家と王朝に足を運ぶ上級役人達は、王朝を維持するだけでなく、現状を改善して行く義務があるだろう。それができていないのは皆心苦しく感じる点だ。宰相を始め役人達が一度その場を下がると、セイジも同様のことをファラオに話していた。
「今回は守備良く行って安心しました。ですが気を抜かぬように、兄上」
「判っている…。大規模な攻撃でなくとも、各地で小競り合いは頻繁に起こっている。市民を守ることができなければ、王朝の力は増々衰えてしまう」
 王朝が衰え行く原因は、ファラオ個人の能力とは別の話だ。前途のように上下に分裂したエジプトは、それだけで半分の力を削がれている上、時代と共に軍事力、技術力など、優れた物を発達させて来た他の国家が、エジプトの力を上回るようになった為である。けれどファラオはそれも、この時代を治める者として自責に感じるようだった。否、それでこそ立派なファラオだと思い、セイジは真面目に議論を続けた。
「暫しリビアは落ち着くと思いますが、どうせいつかまた攻め入って来るのは明白です。彼等のこの土地に対する野心は変わらないでしょう」
「隆盛する国がパレスチナにある内は、我が国は通り道になってしまうからな」
「それと、誰もがエジプトの豊かさを魅力的に思っていることもあります。トウマに聞いた話ですが」
「そうだな…。エジプトが常に富を生み出す以上、それを狙う者も絶えぬのだな」
 そこでファラオはエジプトの過去を振り返る。嘗ては単純に、食料や鉱物資源の多いこの国が、他を圧倒する力を持ち繁栄していた。エジプト独特の優れた文化は、豊かな富の上に成り立ったものだった。しかし時代は変化し、物量は無くとも知力で伸し上がる勢力が、世界を動かし始めている。エジプトも決して文化や学問に遅れた面は無いが、新興勢力に比べ何かが欠けていると感じられた。
 それが見出せなければ、或いはそれを得なければ王朝の存続は危ういとも思う。ファラオは市民ひとりひとりの生活から、広い世界の動きをも見詰めながら考えていた。
 そこで偶然セイジが、ファラオの思考に合わせたように、
「ラメセス二世王の頃のように、積極的に他国に進軍して行く王朝なら、楯突こうとする者も少ないでしょうが。軍事に偏れない今は難しい時です」
 過去のエジプトを例に挙げて話したので、ファラオはよりその当時との違いを意識し、信頼する弟にはこう言った。
「ああ。我々が確と目を開いていなければな、セイジ」
「はい、兄上」
 確かに軍事的な積極性はない。だがそうしたいのではなく、大司祭国への寄進による支出が、王朝の財政を圧迫しているせいなのだ。過去の栄光を笠に着たアメン・ラー神官団は、信仰の力で国を存続できると思っているようだが、最早それでは衰退の一途を辿るだろうと、王家の人間には悩ましい状況だった。
 エジプトはアメン・ラーとは切り離せない。ファラオの権力はラーの与えたものである。けれど神々が直接敵を討ってくれることもなく、現実にはアメン・ラーの威光を借りる人間が、常に的確な判断で動くだけだ。その根本的な危うさを今は理解する、ファラオは常に神でなく人を見ているのだけれど。
「あの…」
 そこで、黙ってふたりの遣り取りを見ていたラジュラが口を挟んだ。
「ですが、今宵の戦勝の宴くらいは、一時それらの心配事はお忘れになって下さい。四六時中気を張っていては、体が消耗してしまいますよ」
 彼の目にはこの二ヶ月余りの間、ファラオと周囲の人々の日常が痛々しい程、神経を擦り減らしていると映っており、その健康状態を気遣う発言も当然だった。元々エジプトとその民に誠実なファラオ故、暫し席を外し休息を取ることすら、罪悪のように受け取る様子だったので。
 ただ、そうならざるを得なかったのも事実。リビアの侵攻だけなら、その防衛に当たるだけで良かったが、大司祭国の問題は交渉を継続中であり、万一の可能性として、大司祭国がリビアに加担することも有り得た。従ってこの戦は余裕を見せ付けるように、完璧な勝利でなければならなかった。交渉相手に弱味を見せてはならなかった。
 結果的に王朝の思惑通り事を収められたが、そうする為に皆がどれ程考え、手を尽くしていたかを見たラジュラだからこそ、せめてこの一日くらいは、心身を休めて戴きたいと口に出したくなったようだ。但しファラオはそんな彼にも、寝付けぬ程の心配事があったのを知っている。
「判っている、ラジュラ。カオスも戦火には巻き込まれなかったと、先刻連絡があったようだ。お主も充分気を休めるようにな」
 そう、王朝の神官の要である司祭長が、こんな重大時に王宮から離れて居る状態が、全ての神官の不安の種であったが、もうそれも過去の事として心に収められるだろう。
「お気遣いありがとうございます、サアメン王様」
 ラジュラはそう返すと、つまりこの結果は王宮に集う者が皆、真剣に祈り努力した賜物なのだと納得した。またその為の結束を生み出す、現ファラオの意識が初めて神懸って見えた。少なくともこのお方がファラオで居られる内は、王朝は存続できるとの予感に酷く安堵もした。理想的なエジプトの未来を求め、心の内に消えぬ炎をたたえるサアメン王ならば。
 少なくともサアメン王の代ならば。けれど本人はそのような、ぼんやりとした希望を感じる暇もなく、続けられたセイジの言に深く頷きながら、次の展開を見据えるだけだった。
「カオスのことは幸いですが、この後大司祭国はどう出るか…。他国に攻め入られるのは信心が足りぬからだと、挙げ足を取ろうとするやも知れません。果たしてどんな取り引きを引き出せるか」
 セイジもまた、立つ姿勢は崩しているものの、既に先を見て考えているようだと知ると、ファラオはそれに倣うように王座に凭れて言った。
「うむ…。カオスが戻らぬことには、何とも言えぬのが歯痒いな」
 休みながらも常に考えなくてはならない。否、体を休められる期間があるだけ救いかも知れない。現世に滅びた王朝や集落は数え切れぬ程あり、その時となれば眠る間も無い戦火に見舞われる。今は、そうではなかったことだけで、ファラオの心は充分に満ち足りるようだった。何故ならそこで、久し振りにファラオは穏やかな微笑みを見せていた。



 その夜、王宮で開かれた戦勝の宴には、ほぼ全ての王族、豪族の有力者、各州の州候などが招かれ、暫く続いた重苦しい空気を掻き消すように、終始明るい賑わいを見せていた。
 政治や軍事に関わる男達もそうだが、離れて戦況を見守って来た女達も、このふた月は心労続きだった。無闇にエジプトの民を刺激してはならぬ、人前で取り乱したりせぬよう不安は心の内に隠し、常に毅然とした態度で過ごすこと。大王母の大切な教えであるが、過去に同様の経験をしている王妃やナスティも、だからと言って不安が軽減する訳ではなかった。
 横になっていても安泰な王朝ではない。それは誰しも知っていることだ。ひとつ失敗すれば更なる弱体化を招くのは、世界情勢上仕方のないことだとも判る。誰も弱い国に留まって居たくはないだろう。だからか、この勝利の宴に列席する際には、皆思い思いに着飾りとても華やかだった。ここぞとばかり、エジプトの文化が健在であることを示しながら、女達は喜びの表情を振り撒いていた。
 ところがそんな中、浮かない顔で大人しくしている者がひとりだけ居た。広間の隅に隠れながら、はした女に気遣われているその人を見付けると、
「どうされました?、シン」
 ナスティは歩み寄りそう声を掛けた。彼女が近付いて来る気配を捉えるのにも、随分時間がかかっていた。
「あ…姉上、少し気分が優れないだけです」
 そう話すシンは、確かに体の具合が悪そうだと見て取れた。気分だけならともかく、夜になり外気が冷えて来たにも関わらず、額に汗を浮かせているのは普通ではない。
「ああ…お顔の色が白いようです。長く戦の不安が続きましたからお疲れなんでしょう。私がファラオや大王母様にお伝えしますから、客室にでもお下がりなさい?」
 シンの様子を観察し、ナスティもまたそう気遣ってくれた。まだ王宮の生活に馴染み切れない妹に、彼女は度々世話を焼いてくれる有難い存在だ。子供時代には殆ど顔を合わすことが無かったが、当時の身分差を気にせず、家族として扱ってくれるのは、シンが王家に嫁いだ何よりの幸福だった。いつも生まれのせいで疎まれる立場だった、過去の悲しみが日に日に癒えて来るようだった。
「ありがとうございます…。姉上が王宮にいらして頼もしいばかりです」
「私はもう、このような状況は度々見て来ましたからね。いずれシンも慣れて行くでしょう」
「はい…」
 ただ、シンにはこの有難い姉を窮地に立たせる、悪い状況を作ってしまうかも知れないと恐れても居た。それは如何なる事かと言うと、
「シン様、大丈夫ですか?」
 そこへ、お腹一杯に御馳走を詰め込み、満足げに腹を摩りながらシュウがやって来た。彼女はナスティが気付く以前、自宅を出る前からシンの様子を気に掛けていたが、宴の席に姿を見せない訳にはいかないと、シン自ら行くと言うので、始めから警護を兼ねた食事のつもりの列席だった。シンの傍を離れたのは食べている間だけで、丁度今戻って来たところだ。すると、
「ああシュウ、シンを客室に連れて行ってあげなさい。その辺に居るはした女が案内してくれますから」
 ナスティから見ても、病人の保護には適役だと思える、逞しいシュウに彼女はそう声を掛ける。それをすぐ、下がらせてもらうお許しを得たと理解し、シュウは歯切れ良く応えていた。
「はい、そうしますナスティ様」
 家を空けていたセイジは知りようも無かったが、その間シュウが誰よりシンの心配をしていた。実は一週間程前から毎日のように、シンは体の不調を訴えていたのだ。そして、いよいよ王家にひとつの変化が訪れることをシュウは感じた。その結末がどうなるか、恐らくセイジ様も考えることになるだろうが、自分は常に姉上の味方でいなければと、改めて己の意思を確認してもいた。
 シュウはシンの足元を気にしながら、その肩を抱えるようにして広間から下がった。

 はした女に通された部屋は、流石に王宮の客室だけあり、救護室に使うには立派過ぎる趣だったが、大広間のざわめきが届かない、静かで落ち着ける場所なのはとても良かった。別段今すぐ倒れそうと言う訳でもない為、自宅に戻るまでの間、ここで休ませてもらえれば充分だった。
 その、明かりの灯された部屋の中央に並ぶ、象牙の椅子のひとつにシンを落ち着かせると、シュウは壁際の長椅子に腰掛け、今一度同じ言葉を口にする。
「…大丈夫ですか?」
 すると、多くの人の目に晒される場から離れ、シンは息を吐きながら穏やかな口調で返した。
「ええ、心配には及びません。姉上の言う通り疲れているようです」
 確かに今は言うように、言葉を発するのも苦しそうな状態ではない。血の気が引いたような顔には幾分余裕も見られ、恐らく冷たかった手指など端々にも、段々暖かみが戻って来ているのだろう。ただ、そんな状態に陥っていたのは、戦時下で気鬱になっていたからだと言う、ナスティの言葉をそのまま話すシンに、シュウは疑問を投げ掛けるしかなかった。何故シンは体調の変化を隠しているのだろうと。
「本当に気疲れだけでしょうか?」
「え…」
「私は知ってますよ、最近姉上はずっと具合がよろしくないのに、随分無理されているようだと。重いご病気だと大変ですから、医者に見てもらったらどうですか?」
 そしてシュウの疑問には、シンは明確な理由を話すことができた。聞けば成程、そんな迷いを感じる事情は納得した。
「…大事な戦の最中でしたから、不吉な事を言い出すのは気が引けて」
「それもそうですが…」
 国の存亡に比べれば、王族ひとりの病気など確かに些細な事だ。そんな事に余計な気を遣わせるのは、シンでなくとも気まずい状態だと思う。その上、夫のセイジには悪い噂が囁かれていた点もある。オシリス神の化身、関わる女性は早死にすると、興味本位で見ている市民も少なからず居るだろう。はした女などを通し情報が外に漏れると、セイジにも迷惑がかかるとシンは考えたに違いない。
 どの道この度の防衛戦は、長くとも半年以下で決着すると言われていた。そのタイミングを待つ選択をしたのは、人々に不安を与えない賢いことだった。ただ、それは医師を呼ぶ行為を誤解された時の心配だ。シュウにはシンの隠す真実が見えているようだった。
「本当は違うんでしょう?。姉上はご自分でお気付きになっているのでは?」
 気分の悪い相手に対し、普通はしないような笑顔を作って見せると、そんなシュウの態度にシンも思わず笑みを零し、
「シュウは、何でも判ってしまうのですね」
 今も悩んでいる筈なのに、気持が明るくなって行くのをシンは感じた。既に気付いていたなら、もっと早くシュウにだけは話せば良かった。ひとり我慢していた間の苦悩は、全く無駄だったのかも知れないと思うと、シンの口からは滑らかにその悩みが語られた。
「セイジ様がいらっしゃればすぐ伝えましたが…。お淋しい王妃様や姉上のことを考えると、なかなか切り出しにくいものです。私の立場は常に微妙な所ですから」
 つまり、王妃や侍女のナスティに先立ち、ファラオの後継者となれる者を産んでしまうと、周囲の人々の見方も変わり、王妃達の立場が悪くなるとシンは危惧している。自分に良くしてくれる王家の女性達が、態度を変えてしまうかも知れないと恐れているのだ。勿論まだ、男子か女子かも判らないが、できれば女子であってほしいと願う程だった。
 けれどシュウは、歪な境遇から生まれたシンの自信の無さを、耳に悲しく感じるばかりだった。
「今更、そんな事を気にされてはいけません」
「そうでしょうか…」
「思うに姉上は、王家に取って大事なお子を授かる星をお持ちなんですよ。そうなったのは誰のせいでもないんですから」
 誰のせいでもない。子供が産まれるのも、産まれぬのも自然の成り行きである。シュウ自身が自然体で生きていることもあるのか、彼女の口からはそんな、無理のない励ましの言葉が続けられた。野の獣が知らぬ間に増えたり、姿を見なくなったりするように、それが自然なのだから悩む必要はないと伝えた。また、
「兄は早く旅立たれたが、我が家系を繋ぐ男子を残された。或いはその子は、次のファラオとなるかも知れない。そうでなくとも王朝を支える一員となるでしょう。姉上は既に王家にとても大事な存在ですよ」
 シンの持つオソルコン王の血、前ファラオの直系の血筋が何より、大事にされる決め手になっていることもシュウは念を押した。シン自身はともかく産まれる子供は、大王母が手厚く面倒を見るよう指示するだろう。連れ子であるジュンさえ正式な王子と認め、特別な住まいと良い教育係を付けている。それに不平を唱える者は誰も居ないのだから、今後も心配する必要はない筈だった。
 ただ時が経つ頃、もしシンが王母として権力を持つことになると、少なからず状況は変化するだろう。その時周囲の人々はどうなるか、そんな不安を含め、
「私はこれから、どう振る舞えばいいのでしょうね…?」
 シンが尋ねると、さすがに先を考え過ぎだと呆れたように、シュウは一笑してこう返した。
「とにかく今はお大事にされなければ!。王母様をはじめ王宮の皆様には、私が出向いて直接お話しします。お任せ下さい」
 明るいシュウの言葉を聞いていると、確かにそうだ、今心配すべきは自身の健康状態だと、納得させられるから不思議だった。未来に対する不安は多々存在するが、まず無事に出産できなければ意味の無い思案だと、気付いたシンはより気分が楽になっていた。
 あれこれ考えてしまう性格は仕方ない。けれど誰かが強く、そうではないと言ってくれるなら、シンは常に穏やかで居られるのかも知れない。いつもそんな存在が彼女には必要なのだろう。

「どうしたのだ…?、大事はないか?」
 まだ宴の途中であったが、話を聞くとセイジは大急ぎで客室にやって来た。本来は主賓が退席するべきではないが、まだ結婚したばかりの上、暫く家を離れていた状況を加味され、一時抜けることを許されたようだ。
 今は大分落ち着いた様子の、妻の顔を正面でまじまじと眺め、それ程心配な状態ではなさそうだと知ると、セイジは誰にも聞こえる大きな溜息を吐いた。国の一大事とは言え、ふた月も妻の顔を見られなかったのは、彼に取っても酷く不安な状態だったのだろう。理不尽な事で孤独を味わって来た後に、漸く迎えられた仲睦まじい相手とあらば尚更だ。
 するとシンは、そんなセイジの心の機微を捉え、己と同様に傷付いている夫を労りながら言った。
「そんなに心配させてしまって済みませんでした。私は大丈夫です、きっと何かの知らせですわ」
「知らせ…?」
 頬を撫でるシンの細い指からは、確かに恐ろしい病魔の気配などは感じられない。シンの言う意味は理解できなかったが、とりあえずセイジは安心して宴に戻ることとなった。ただそれが、良き知らせなのか悪しき知らせなのかと、彼の頭の隅に困惑が残されたけれど。
 ともあれ、翌日の昼頃までにはすっかり、王家の誰にも周知の事実となる事だった。



 王宮から少し離れたセイジの自宅は、戦時中から一転、朝から喜ばしい話題に盛り上がり、使用人など働く者達が慌ただしく動き回っていた。寝室には切り無く人が出入りし、シンの様子を窺ったり、必要な物を揃える準備などで賑わっていた。まだ具合の良くないシンに対し、今は少し静かにしていてほしい時ではあるが、王族全体に関わる慶事とあっては、仕方ないと諦めるしかなかった。
 何しろ現ファラオには子供が生まれない。無駄な後継者争いを避ける為にも、直系の子孫が生まれてくれた方が、王族達には安心なのだ。
 拠ってこの後も、各方面からの来客が度々訪れるだろうが、まあ、いつまでもこんな騒ぎが続くこともないだろう。あまり大騒ぎになると、大王母が引き締めに掛かるのは目に見えている。セイジが穏やかに傍に寄り添って居られる日は、そう遠くない内に巡って来る筈だ。なので、女達の騒々しさに寝室を追い出されたが、今は割り切って執務室にセイジは落ち着いていた。
 とにかくまだ産まれてもいない内から、先走って喜び過ぎだと感じた。この異様な状況は、王家そのものの悩みが原因だと判ってはいるが、せめて身近な人間は、己の気持を察し静かにしていてほしいのだ。
 しかし思いも拠らず、否、予想できない事ではなかったが、セイジは執務室でも煩わしさに直面していた。
「何と目出たき事でしょう!。大王母様のお執りなしに従い、シン様をお迎えになったのは正解でした。アメン・ラーは我々を見捨てずにいて下さいましたな!」
「うむ…」
 側近の神官アヌビスが、ずっとこの調子で洋々と捲し立てているのだ。常に側近として仕えて来た彼には、その意味での信用はあるものの、今の時代に対し、やや王家の伝統にこだわり過ぎる嫌いがあった。殊にアメン・ラー信仰については、彼なりの絶対的価値観が存在し、それに沿ってこそエジプトは成り立つと、固く考えているようだった。例え時代を逆行してもだ。
 それだけに彼は、現在最も直系の血の濃い子供の誕生に、異常な興奮を見せているのだろうが。
「これよりしばらくはこの家も、王宮も希望的な空気に包まれることでしょう。ラーに歓迎される待望のお世継ぎが、遂にお誕生になるかも知れませぬ故!」
 あまりそんな事を繰り返されると、さすがにセイジも苛立ちを覚え、心の中では些細な反論を続ける羽目になった。無事産まれるかどうかはまだ判らぬ、姉上が流産しているのを忘れたのかと。
「ああ…」
 そうして段々に気の無い返事になって行くと、それをアヌビスはどう受け取ったのか、
「あまりお考えになりますな。順序の後先などエジプトの存亡に於いては些細な事。王家の子孫が増えることは、ファラオに取っても喜ばしいことですぞ」
 と、まあ的外れでもない言葉を続けた。確かにセイジが静かにしていてほしいと思うのは、王宮のファラオ夫妻への気持が大きかった。
「そうだが…」
 ただそれは、シンが抱くような感情的な恐れではない。産まれて来るのは直系の子供に違いないが、現ファラオから見れば弟と妹の子供である。今はファラオの権勢が揺るぎなくなっているが、いつかその交代が行われる時、周囲の権力者がどう動くか判らない。自分に子供ができることにより、現王妃が立場を無くすことになれば痛恨の極みだと、手放しで現状を喜べずにいるのだ。
 王家の中心には常に、そのような格付けの変化への悩みもある。こんな時ばかりは王家と言えど、端の方の血筋であれば良かったと考えざるを得ない。それなら随分気楽に暮らせていただろうと、セイジはふと、ここに来る前のシンの生活を思い描いていた。
 王朝からの干渉が無い訳ではないが、誰が何人子を産もうと、基本的に王家の中心とは関係ないことだ。ファラオは常により近い家系から選ばれるので、遠い家系は事情が無い限り、子供が呼び寄せられるような事も無い。故に大した気苦労を持たぬ平穏の中、シンは幸福に暮らしていた筈だった。特に注目されないことも幸福の内だと、セイジには身に染みて解っていた。
 しかし残念ながら今に至り、彼女の血筋は見直されてしまった。
 その時、執務室に続く廊下から何やら、ちまちまとした不思議な遣り取りが聞こえて来た。始めははっきり言葉を聞き取れず、遠くに誰かが居ると判るだけだったが、セイジ達が暫く耳を傾けていると、
「これこれ、いたずらはおやめなさい王子」
 そんな言葉と共に、老人が近付いて来ることを確認できた。そう、今し方セイジが想像していた、シンの平和な生活の中で生まれた息子。特例的に王子として連れて来られたジュンを、何故かこのタイミングで面会に連れて来たようだ。何故か、と言うのは、まだ王家の全てに伝達されていない筈なので、知らせを聞くといの一番に、セイジの所へ来たことになるからだ。
 教育係の老神官、バダモン司祭の行動は出来過ぎていると思えた。恐らく浮かれているであろうこの家に出向き、水を差すように王子の存在を主張しに来た。無論彼は長年の経験から、王家が常に冷静であるよう考えたのだろう。間違いなくアヌビスにはいい薬だった。
 執務室の入口に、子供を抱えた老司祭の姿が現れると、
「セイジ様、お祝いに上がりました」
 彼は至極穏やかな態度でそう挨拶した。彼の王家に対する心情がよく解る様子だったので、セイジも安心して老司祭に対応した。
「やあ、久しいなバダモン。妻への見舞いにいらしたか?」
 セイジに取っても彼は、幼き頃の養育係だった神官であり、その誠実さが今も変わらぬ印象なのは、こんな場面では妙に嬉しかった。単に血筋だけで、或いは利権を狙い、特定の誰かを担ごうとする者は絶えないが、せめて子供の内はそうした、色眼鏡で見てほしくはないものだ。その意味で老司祭の保護下にあるのは、王子に最も良い状態だとセイジは思った。
 そして、まだ幼い王子に弟妹ができることの、意味をもよく教えてくれるだろうと思った。するとその通りのことを老司祭は続けて話した。
「お見舞いはこの後に。何よりセイジ様とシン様にお子が生まれるのは、王家に取って重要な事でありましょう。ジュン王子にもこの出来事を、自ら感じていただこうと思いましてな」
 王子はまだ二才、半年後に漸く三才になる年だが、ごく幼い頃に見聞きした記憶も、その後の様々な理解への助けになるのだと思う。バダモン司祭は熟練した教育者であり、彼の判断には信用が置けた。
「そうか、王子に変わりはないか?」
「ええ、とても健康な御様子ですよ。もうおひとりで歩けるようになって参りましたし、少しずつ言葉もわかるようになっています」
「それは頼もしいことだ。次代の王朝を支える人間として、まず必要な資質は健やかであることだ。このまま順調に育ってくれれば良いのだが」
「はい、セイジ様の仰る通りです」
 そう話しながらセイジは、老司祭に抱き抱えられた王子の顔を覗き込み、成程言う通り血色も良く、大人しくしていられる資質も持っているようだと、確認して司祭にはこう続けた。
「私もそうであるが、王族は皆ファラオの為に働かねばならぬ。優れた機知は持たなくとも、落ち着いて判断できる子なら立派に働ける。これからも充分に手を掛けてあげてほしい」
「はい。私はこんな老い耄れですが、何が王家に必要かは解っているつもりです。必ず立派な教育をしてみせますぞ。そしてこれから生まれる子供達にも、アメン・ラーの御加護がありますように」
 例え自分の子供ではなくとも、前ファラオの血を受けたシンの息子である。セイジは今となって、大切な妻の産んだ子供がより一層、大事な存在に見えて来たところだった。バダモンは老司祭と呼ばれてはいるが、まだ六十二才と言う年令なので、ラメセス二世王が九十才まで生きたことを思えば、充分ジュン王子を任せられると安心することもできた。
 その時、思い掛けず小さな王子がセイジの顔を見詰め、
「ちちうえ?」
 と、初めてセイジをそう呼んだ。離れて暮らしている分、まだ家族の全ては把握できていない筈だが、こうして対面している間に、そう呼ぶ存在だと判ったようだった。知能が遅れている訳でもなく、まともに育っているのを直に感じると、セイジは王子の頭を撫でて言った。
「うん、そうだ。立派な王家の一員になるのだぞ?」
 結果的に老司祭の訪問は、セイジに取ってとても有難いものになった。例え子供に恵まれても、優れた人物になるかなど判らない。過度な期待で騒々しくされることが、己とシンの重圧になるのが何より嫌だった。もしかすると嘗ての師だったバダモンが、それを案じてくれたのかも知れなかった。そう思うと、己は善き人々に出会って来たものだと、セイジは心の平穏を取り戻すことができた。

 しかし、考え悩む事が解消された訳ではなかった。
「…ただ元気な王子かと思えば、ジュン様は意外に見込まれているようで」
 バダモンと王子が執務室を下がり、寝室のシンの元へ面会に行ってしまうと、先程までとは声のトーンが変わったアヌビスが、妙に淡々とセイジに語り始めた。
「健常で素直に育つならそれで充分だ。私はともかく兄上は昔からそんなお人柄だった。ファラオの後継者となっても、充分な器だと私は考える」
 セイジは先程見たジュンの様子から、既にそんな判断を導き出しているようだ。兄ほどのカリスマ性は無いかも知れない、また父のナアザのような、探求的な頭脳を持つかどうかも判らない。だが誠実にエジプトとその民を考えられる、良識的なファラオには教育次第でなれるだろう。セイジはそんな印象を希望的に捉えたのだが、アヌビスには同じようには考えられなかった。
「ならば、なるべく早く答をお出しになりませんとな」
 と彼は言った。その落ち着き払った様子が、逆に嫌な予感をセイジに感じさせた。あの大喜びだった様子は嘘ではない。彼の中の熱狂は今も続いている筈なのだが。
「…何だ?」
 やや間を置いてセイジが返すと、アヌビスはいつだかに話した事を、もう一度畏まった口調で繰り返した。
「私は申しました。王家の混乱を招く火種となる要素は、排除した方が先の為です。より血統の良い後継者がひとり居れば充分なのです」
「・・・・・・・・」
 そう言えば婚礼の前に、シンを妻とすることの不安を話し合ったとセイジは思い出す。後にとても幸福な生活へと変わり、ジュンの存在も寧ろ、王朝の空気を落ち着かせたと感じられた為、当時の不安はまるで忘れてしまっていた。しかし、
「セイジ様に無事お子様が誕生されたら、ジュン様は亡き者とすることです」
 アヌビスは最初からそう言っていたことも思い出した。短絡的だとは思うが、それも平和の為のひとつの方策であることは、王朝の伝統として知っている。けれどセイジもまた最初から、そう事務的には考えられぬと意思表示していた。彼がそんな気持になるのは、恐らく彼の立場とも微妙に重なるからだろう。もしアヌビスの言う事が全てなら、ファラオの弟など全て要らない存在となってしまう。
 だが現実はそうではない。己も、父のオソルコン王の弟も、王朝を支える人員として皆に認められて来た。不和の元だからと、簡単に切り捨てるのが伝統と言う話ではない。そう考えるとセイジは、
「それは…アヌビス、誰もジュンをファラオにしたい訳ではないのだぞ?」
 喧嘩にならぬよう、強い語調を避けてそう返す。事実、他家から来た王子を積極的に推す者は居らず、あくまで他に候補が居なかった場合の保険、と誰もが見ているのは明らかだった。けれどそれでもアヌビスは、現状から考えられる不安を排除したいと訴えた。
「今はそうでも、あの様子ではいずれジュン王子を担ぎ出す者が出て来ます。そうなっては遅いのです」
 健康なシンの良い質を受け、ジュンは同じく健康に育ちそうではある。だがそれを脅威とするには早計ではないかと、セイジは相手を言い含めるように返す。
「遅いか早いかで言えば、まだ産まれる子供が男か女かも知れぬ。もし女だったらむしろ、ファラオの妃にするのが一番良いではないか」
 ところが、その後にアヌビスは思いも拠らぬ事を言い出した。
「いいえ、女ならより血を濃くする絶好の機会ですよ」
「…どう言うことか」
「充分に成長したら、セイジ様はその娘にまた子供を産ませなさいませ。そうして王家の血を集約して行くのが、エジプトの伝統と言うものです」
「…やめてくれないか…」
 己の娘を妻にする例は、確かに過去の記録に散見される事実だ。前途のようにファラオ周辺の女児は、滅多に顔を合わさず育つ為、実の娘と言えども、家族としての反発を感じ難い背景がある。そうして同族結婚を繰り返して来た歴史が、エジプト王家の歴史だとするのは、反論する点ではないけれど。
 さすがにその意見には頭を抱えたセイジ。確かに彼は、王家の神性が失われつつある理由として、その血が薄くなったからではないかと、考えていた面もある。恐らくアヌビスはそんな彼の意識を受け、ここに来てそれを強く言うようになったのだろう。だが現実に直面してみると、血を濃くする作業と言うのは、あまりにも情け容赦ない事だった。何故なら確実に、愛する妻を傷付ける事だと感じたからだ。
 また、過去のエジプトの王朝理論が正しいかどうかも、今は疑問に思うことが多かった。エジプトだけを考えていれば良かった、古い時代だからこそ通用した理屈は、現代にはそぐわないとトウマも話す通りだ。かのソロモン王の才覚を見ても、血族結婚が優れているとは限らないことを、証明しているようなものだった。
 アメン・ラーと王家に帰依する、アヌビスの復興への真面目な気持は解る。だが過ぎ去った時代を、そのまま引き戻すのは無理があるとセイジは思った。そこまでしなければ、我々はエジプトの魂を守れないのだろうかと、悩んだ。



「セイジ様、お仕事はもうよろしいのですか?」
 窓が黄色い日暮れの空に変わり始めた頃、セイジが寝室に立ち寄ると、その頃には人の出入りが途絶え、窓辺に腰掛けていたシンも穏やかな顔をしていた。まだ数日は来客の多い日が続くだろうが、妻が特に疲労した様子ではないのを知ると、明日以降も大丈夫そうだとセイジは胸を撫で下ろす。
 まあ幾ら何でも、王家に喜びを運んで来たシンに対し、無理な外交など疲れる事はさせない筈だ。忙しく動き回っていたシュウや、使用人達の良識に安心しながらセイジは返した。
「ああ、別に今日は何があった訳でもない、騒々しいから退散していただけで」
 そしてシンのすぐ傍へと歩み寄って行った。セイジと入れ代わりに、世話をするはした女も部屋の外に出てくれたので、朝目覚めた時の静寂が漸く戻って来た。ジュンを連れた老司祭もとうに自宅に戻り、シュウはシンの実母を訪ねに出て行った切りだ。出産までシンに着いてもらうことにしたと聞き、配慮が行き届いていることにもセイジは安心した。
 安心し、今はとても静かだ。そう実感すると途端に、頭の中の混乱した情報が重くなり、セイジは思わず両膝を着いて、シンの膝の上に顔を投げ出していた。身重の妻を前にし、できることなら何も考えずに居たいと脱力した、セイジは相当疲れているようだった。
「どうなされたのですか…?」
「色々と、考える事が多くてな…」
 初めて見る夫の態度に、シンの顔色も俄な変化を見せたが、しかし、この事態に於ける考え事が何であるかは、シンにも容易に察しがついた。そして自分も同様に考え続けていると示すように、シンはその肩を優しく撫でながら、セイジの疲れた心を慰めた。私達は夫婦であり同胞でもある。共に悩み考えながら生きて行きましょう、とのシンの気持が、セイジに伝わっていれば幸いだ。
 今日の始まりから初めて安息を得られた、セイジの静かな夕刻の一時。
 ところが、そこに意外な人物が現れ、
「おや、セイジ様はお妃様に甘えることがあるのですな」
「な…、え?」
 親密な静寂から一変、間の悪い所を見られてしまったと、セイジは慌てて立ち上がることになった。寝室の入口には、王宮付きの神官ラジュラが立っており、何故彼が?と、セイジもシンも目を丸くした。ただ、
「いいえ、ラジュラ様。セイジ様は今朝から、様々な方の意見をお耳にされお疲れなのです。この程度の事しか私も助けになれない状態なので」
 シンはすぐに笑顔を向けてそう返し、セイジの面目が立つよう計らっていた。そんな気転を利かせるシンを見て、セイジだけでなくラジュラも、心温まる夫婦愛を感じたようだった。
「ファラオから、様子を見て来るよう命じられましたが、ご心配は無さそうで何よりです」
 ラジュラもまた穏やかに笑うと、ふたりの前に来て深く膝を折って見せた。彼は元々煩く話す人物ではない上、特別誰かを贔屓にもしないので、セイジも「こんな時に」と不機嫌になることはなかった。
 だが何故神官の彼が、仮にも司祭長の代行を任されている彼が、シンの様子など見に来たのかは謎だった。通常ははした女や下人を遣わせるものだが、或いは、我々に子供が産まれることで、周囲に妙な動きが起こっていないか探りに来たのやも、とセイジは考える。それなら納得の行く命令だと思えた。
 ファラオも政治的な影響を気にされているようだ。ともすれば己よりも、周囲の声に悩んでおられるかも知れない。誰より跡継ぎを望まれているのはファラオ自身なのだ。と、セイジは兄の心境を想像し、また同時に己はどう振舞うべきかを考える。その時ふと、穏やかにシンと向き合うラジュラの表情が目に入り、
「ひとつ、意見を聞かせてくれぬか」
 大局的な話のできる相手がここに来ている、良い機会を利用しようとセイジは思い付いた。ラジュラはカオスにもトウマにも近い立場であり、あらゆる事に公平な意見を聞くには、打ってつけの人物だと言えよう。彼がアヌビスのような回帰論を語ることは、まず絶対にないと判っていた。
「子々孫々に渡り王朝の伝統を守ることで、過去の栄光が取り戻せるとお主は思うか?」
 セイジが問い掛けると、ラジュラの回答は予想以上に砕けたものだった。
「私の個人的な意見でよろしければ、全くそうは思いませぬ。エジプト国内だけを見ても、あらゆる技術や文化が進歩しているように、王朝の治世も進歩しなければ、周囲の国々にいずれ接収されてしまうと私には思えます。アメン・ラーのご威光も今はまだ、確かな求心力を発揮しておりますが、エジプトは過去に、既に崩壊し掛けた時代もございます。永遠にその力が続くと盲信すべきではない、と考えておりますが」
 神官でも司祭の位を持つ男が、アメン・ラー信仰についても思う所があると言う。忌憚ない意見を耳にすると、セイジは自身の中でバランスを崩していた何かが、元に戻って行くのを感じた。神をも恐れぬ時代の発想と、長く重くのしかかる伝統が中和され、ある意味とても気が楽になった。極端にどちらかに寄らずに居ることが、最も平和だと思えたからだ。
 無論ラジュラも公にそんな発言はしないだろうが、内々に、前進しない国は滅びると語っていることは確かだろう。今はそんな状況も許される時代なのだ。そして、セイジは少しばかり頭が整理されたことを、仕掛人であるファラオに感謝した。



つづく





コメント)予定が遅れてるけど再開しました。
「King Vermilion」でも似たことを書いたけど、一部、古い地名で書くとわかりにくいので、現代で通る名前にしました。メソポタミアやパレスチナと言う呼び方は、後の時代のものですが、当時は統一された呼び方がないので、今の名前の方がわかりやすいですよね。



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