不思議な征士を気遣う
嘆きの翼
#3
My Little Kingdom



 山を囲む湖水の向こうに陽が沈む頃、王宮に戻った三人は、唯一今もそこに通って来る料理人による、質素ながらも心温かい夕食会に招かれた。王と共にディナーの席に着き、王宮の客室に泊まることになった。
 火事で燃えなかった棟の幾つかの客室には、過去の雰囲気そのままの高級家具が揃っていて、見物ではあるが、平民階級の三人には今一つ寛げない雰囲気だった。しかしそれ以上に今日は、あまりにも目紛しく大事が次々と起こり、横になっても誰もがなかなか寝付けなかったようだ。
 漸く完成した潜水艇の出港式、潜水の成功、海中での事故、そして偶然モンハラードに到着、王への謁見、この国の現状を耳にしての驚き、戻らない飛竜のこと…。
 何もかもが夢のようで、悪夢より重く伸し掛かる現実の中に今は居る。ここに来てしまったからにはもう、対岸の火事とは言えなくなったモンハラードの変貌。三人はいずれ元の世界に戻るにしろ、長く留まるにしろ、今この国を変えなければ何も叶わないと知ったのだ。
 もし帰るとして、今ここで乗り物を自作するのは難しい。材料も満足に売られていなければ、町を自由に歩くことすらできない。留まるにしても王の加護がなければ、余所者と言うだけで立場は極めて悪い。拠って今すべきことも自ずと決まった。公正であると思える王の側に、彼等は既に付いたと言って良かった。ならば何としても、シンに現王の権威を取り戻さなければならない。何かをしなければ。
 だが、政治的介入だけはどうしてもできないだろう。この国の国民であるどころか、この世界の人間でもない三人には。或いは武力闘争が起こっているなら、剣を取り軍隊に加わっても構わなかった。しかしそんな事実もここにはない。
 王の為にできそうな事は何があるだろう。
 飛竜を呼び戻すことは可能なのだろうか?。

 そして興奮のままに迎えた翌朝のことだった。
 昨晩同様に朝食の席に着いた面々、本来王は自室に運ばれる食事を済ませた後、皆の前に現れるものだが、まだ正式に王となった訳でもなく、食事を運ぶ人間も居ない為に、全員が揃ってテーブルに着いていた。否、リョウだけは先に食事を済ませて、食堂の出入口に警備として立った。
 普段は静かなばかりの食卓も、その日は明るいさざめきが聞こえていた。
「もう山頂へ?」
 既に上座に着き、寝起きとは思えないすっきりした様子を見せるシンに、やや遅れてやって来た当麻がそう声を掛ける。その意味は、彼の想像では貴族だの大富豪だの、豊かな者ほど朝は遅いものだ、とされていたからだった。しかし、
「勿論。毎朝きちんと出掛けなければ、雨竜も願いを聞いてくれないだろうし、民への示しもつかないしね」
 シンはにこやかにそう話し、先に席に着いていた秀も一言付け加えた。
「おまえじゃねぇんだから」
「今日は起きてるぞ」
 そう、揃っての朝食に遅刻しなかっただけ、当麻には早い起床だと言えるだろう。普段の彼は昼近くまで寝過ごすことも多いが、幾ら何でもここでは無礼と考えられたらしい、例え昨夜遅くまで、灌漑設備のアイディアを纏めていた事実があっても、だ。そしてふたりのやりとりを面白そうに眺めながら、シンはその向かいに座る征士の様子をも窺った。
「こうして大勢で食事するのはいいね、君はよく眠れたかな?」
 ところが、そんな和やかな会話で始まった場の中で、シンの予想に反して彼だけは、何かが奥歯に引っ掛かるような返事をした。
「はい、まあ…」
「?、何か困ったことがあるなら言ってくれていいんだよ?」
 見た目の様子からすれば、単純に疲れているのかも知れない。単に眠れなかったのかも知れない。或いは体調の変化など、不快を感じることが何かしらあるのかも知れない。けれどそうだとしても。
 征士ならば、一国王の前で自身の不調を表に晒すなど、まず無礼な行動だと覚るだろう。養子とは言えアスールでは良家に育った彼が、その程度に頭が回らない筈もなかった。ならば何故?。
「いや、そうではなくて、色々考えることがありまして」
 征士が次にそう答えた裏には、決して平穏とは言えないこの国の状況、今己が身を置くこの王宮に関して、何かを言及したい意識があるように見えた。昨日から今日へと時間が経過する間、客の彼等は特に事件もなく気楽に過ごしたけれど、それに拠って無理をして、常に付き纏う苦悩を隠して接してくれるシンが、征士には辛く感じられているようだった。
 この朝の様子を見ても、本来の王家の習わし通りにできない人員不足と貧困が伺える。家臣はおろか、単なる保護者としての後見人さえ存在しない。言わば子供だけの世帯に成り果てた王家に、王となるべき者に必要な知識や教養を指導する者も無い。王宮内に幽閉されたようなここのふたりが、どんな不安を抱きながら過ごしていたかは、想像を絶するものがあると考えられた。
 無論この王子が何をした訳ではない、けれど手足をもがれるように人の数は減り、じわじわと、成るべきものから遠ざけられて行った近年の過程。つまりそんな異常事態を竜達は、この世界の支配者である竜達は何も感じずに、何もせずに放置していたことになるだろう。それが征士には理解できなかった、この国には当然の罰だと考えた飛竜の心が。
 何故この国の飛竜は戻って来ない。
 竜とはそんな酷薄な存在だと思いたくない意識があった。
 征士はだから、一時この場を繕うことよりも、長い苦しみに置かれた王家の悲しみを見てしまう。飛竜はモンハラードの象徴だった筈だと。正統な権利を所有しながら何の力も行使できず、飛竜にさえ助力を戴けないシンは、この世界の法則からも捨てられたように哀れだと。思考がそこから離れられなかった。だから楽し気な表情も作れないでいた。
 そして、
「…こんな状況のモンハラードに辿り着くなんて、君達も不運だったね。もっと豊かで賑やかな時もあったんだけど」
 シンは征士に対する返事としてそう言った。
 今は遠いアスールの、彼等が探していた伝説の国の現在は、恐らく期待外れなものだったに違いない。或いは不穏な状況に巻き込んだかも知れない、と巡り合わせの妙をシンが残念に思わない訳はない。誰にしても歓迎する来客には、国の良いところを見てほしいと考えるだろう。それが叶わない今は、シンに取っても最も辛い時だと言える。
 努力してもどうにもならないこともある。
「でもこの首長竜の卵のオムレツは旨い!」
 と、途端に表情を曇らせたシンを窺って、秀は目の前に運ばれて来たメニューを指して言った。昨晩の夕食でも出されたそれを、確かに秀は人の分まで食べ尽くし、又その光景は誰の頭にも記憶に残る場面だった。そしてその唐突な一言で、
「あはは、ありがとう」
 シンが再び笑顔に戻って答えるのを、秀は満足げに確かめて笑い返す。秀でさえそんな風に、彼の心情を細かく察している朝のひと時に、しかし征士は更に妙な言葉を続けていた。
「…昔はこんなではなかった」
「おいっ、征士…?」
 折角俺が気を遣ってんのに!、との思いで声を掛けた秀だったが。
 それで口を噤んでしまった様子から、すぐにその言葉の不思議さに気付いたようだ。まるで昔のモンハラードを知っているような彼の口振り。どれ程知識を得ても実体験にはなり得ないと、知りながらそんな語り方をするなど、これまでに見ない征士の様子に驚いている秀。
「君は…、過去のモンハラードを知っているのか?」
 なのでシンも、注意深く彼の様子を見ながら問い掛けた。征士は特に態度を変えはしなかった。
「…町は温かく温室の様に植物が育ち、王宮には明るい声がいつも聞こえていた。楽師や踊子、見せ物師等が毎日のように訪れていた。中央テラスの柵の外に幾重にも集まる民人は、それを自由に見聞きして思い思いに楽しんでいた。寛容な王家だったからこそ民衆に愛されていた。飛竜も…」
 それが征士の頭の中に長く保たれて来た史実。
 書物から知った知識も無論あるだろう。又これまでの、王や家信の話から想像できる部分もあっただろう。けれどそれだけでは説明の付かないことが、確かに含まれている彼の知識。案内していない王宮のオープンテラスが、町の一角から見えるように設計されていること、その周囲に集っていた人々の様子、王宮の有り様、それらを何故知っているのかは、本人を含め誰にも解らないことだった。
「な、何でそんなことを知ってるんだ、おまえ。アスールの人間なんだろ…?」
 テーブルから離れていたリョウまでが、思わずそう声を上げてしまった。そして征士は、
「そう。いや…、これまで私は、書物から得た知識による空想だろうと思っていたが、そうではないのかも知れないと思えて…」
 やはりそんな風に答えることしかできなかった。己の中にもそれに対する答は無く、ただ失われた幸福な過去を思い、今は不安だけが存在すると伝えるばかりだ。
 けれど、不可解に戦く者達を後目に、シンは引き続き穏やかな口調で話していた。
「空想じゃないよ。確かにそうだったんだよ。そんな風だったのはこの二百年くらいの間ずっと、火事が起こるまでのことさ。不思議だね、君はアスールに居ながらこの国が見えたのかな。それとも、ここに居たことがあるんだろうか?」
 シンはその、征士の記憶らしきものがいずれ何らかの意味を為すと、期待を含めて信じられたのかも知れない。こんな最悪とも言える時期に、不思議な経緯を辿って訪れたアスールからの来訪者。モンハラードとは違う技術や文化を携えて、彼等は新しい風を運んでくれると感じていた。その彼等が王宮に理解を示してくれただけでも、現状を変える力には成ると思えたけれど。
 現実はそれ以上のことかも知れない、とシンは考えた。もし彼等の来訪が始めから、運命的な繋がりでこの国に関わっていたとすれば、間違いなく征士は鍵となる人物なのだ。何故なら何万年の歴史の中で、アスールとモンハラード、双方の記憶を有する者は居た試しがないのだから。
 征士、と呼ばれる彼は何者なのだろう?。
「まさか、残念ながら、ここに暮らした記憶はありません」
 けれど何を期待されているとしても、征士には依然何も解らないままだった。
「ただ、」
「ただ?」
「ずっとこの国を探していた。自分の知っているモンハラードが、すっかり変わってしまったことが悲しい。元の様子に戻せるなら戻したい」
 征士は感情を表現することで精一杯だと告げた。そして対話しているシンにも、その悲しみが偽りのない彼の心だと、確かなものを感じ取り黙ってしまった。
「・・・・・・・・」
 暫し、身に詰まされるような狂おしい静寂が訪れる。
『もしかすると征士は、ここからアスールに迷い込んだ人間の可能性もある。元々迷い子だったんだ、子供だったから記憶にないとか、ショックで記憶がなくなったとか…』
 当麻は言葉にせずにそう考えていた。征士の生立ちについて謎の期間があるのは確かだ。拾われたと言う五、六才の時、彼は己の素性を何も知らずに、森の中を彷徨い歩いていたそうだ。その年令ならば普通は、自分の名前と親、兄弟の名前くらいは知っている筈だが、彼はそれらしき記憶を一切持たなかったと言う。又探し人等の話も、結局昨日の昼まで出ては来なかった。
 恐らく何か衝撃的な事が起こって、アスールに放り込まれた時には記憶も失った。そんな可能性は考えても良い線だ、と当麻は思った。何しろ高等学舎で初めて出会った頃には、彼は立派な『飛竜マニア』だった。何故それに執着していたかを考えても、不自然な筋とは言わないだろうと。
 そして当麻の考えに同意する意見が続いた。
「そーだなぁ、居たことがねぇとしても、何か関係があるって感じだな?」
 秀も何とはなしに、征士の在り方には疑問を感じる節があった。決して悪意めいた意味ではないが、常に違う何かを見ている人、と言う印象を周囲に与えていた事実もある。
「俺も気になる。おまえ達がここに来たことには、多分訳があるんだと思う」
 そしてリョウも、当麻と秀に同意すると言うより、シンの代弁をするようにそう話した。
 こうして食堂に集う者達の意見は、ほぼ一致したところに向かい始めていた。けれどもし事実がそうだとしても、
「訳があるとしても、今のところ私には大したことはできない。ただこの現状を見て、どうしたら王家が復活できるかを考えているだけで…」
 今この国の為に自分に何ができるのか、征士にはそれしか思い付かなかった。自己について不確定な要素は確かにあるが、不確定な未来を期待して待つのはナンセンスだ。それよりは、今確かだと思えることに尽力する方が良い、それが内なる己の意志だと判るからだ。
 征士はつまり、王宮の為に働きたいと言っているのだ。すると、
「俺もやるぜ!」
「隣に同じ」
 思い掛けず秀と当麻も一言ずつ続いた。
 背景に存在する理由は恐らく違うのだろう。それでも人として斜陽のモンハラードを憂える思いが、共通の何かを彼等に与えていたようだ。嘗ては兄弟のように親しかった片方の世界が、永遠に失われるかも知れない危機に瀕する現在。この長閑な飛竜の国が消えるか残るかを比べれば、残る方が遥かに、以降の安静な心を保つに良い筈だった。
「ありがとうっ!、アスールの客人!」
 そしてリョウは彼等の潔い態度を見て、心から嬉しそうに頭を下げて見せた。これまで長く、たった一人の家臣としてここを守って来た彼だ。例え一定期間だけのこととしても、味方が増えるのは相当に嬉しい申し出だったようだ。
 又そんな風にリョウの喜ぶ様を見ると、シンはもうひとつ、踏み込んだ事情を話さねばなるまいと思った。この国を思ってくれる者達の為に、隠し続ける訳にはいかない過去の事実。彼等が正しく考えられるようにと、シンの良心から来る配慮だった。
「…昨日リョウが話したね、王宮の火事のこと。雨竜がここに来なくなったのには、実はもうひとつ理由があるんだ」
 この国を絶望に沈ませた理由とは、つまりこんな話だった。
「僕が生まれたばかりの頃、この国に来ていた雨竜が、やはり生まれたばかりの子供の竜を連れて、窓越しに見せに来たそうなんだ。僕の両親、前の王と王妃はね、この子は水に恵まれていると言ってとても喜んだんだって。その後僕はずっと、雨竜の子供とは仲良しだった。連れて来てくれる度に一緒に遊んだ、友達だったんだ。でもその火事の時にね…、僕を庇って死んでしまったんだ」
「…ホントに…?」
 疑いたくはなかったが、秀の口からは思わずそんな言葉が出てしまった。
 否、昨日までに聞いた話からは、人間の行いが飛竜の不興を買い、ここに現れなくなったと言う話だった。それで納得できない話とも思わなかった。
 しかしそれだけなら、国王以下の臣民は進んで行いを正そうとしただろう。再び国の状態が良くなれば、飛竜も戻って来ると信じられただろう。何故そうならずに、愛された王家を廃棄する方向に向かったのか、話を聞いてみれば辻褄の合うことばかりだった。
「両親とは離れた所に居たから、僕は何とか建物からは脱出できたんだ。でも外に出てみたら、僕に覆い被さっていた雨竜の子供は、背中に大火傷を負って倒れてしまった。それを知った親の雨竜は怒り狂ったように、町中を焼き尽くして自分も死んだんだよ…」
 けれどそう話しながらも、シン自身にはまだ、飛竜の親子が死んだ事実を受け入れられないような、揺れ動く表情を浮かべているのだ。それは仕方がないかも知れない、彼もまだ小さな子供だったのだ。後に気付いた時には、もうその亡骸もすっかり片付けられた後だった。今となってはその時の状況を誰も、語らなくなってしまっている。
『来ない訳だ、家系が絶えたんじゃな…』
 納得せざるを得ない、と当麻は独りごちていた。やはり今は飛竜の再来を期待するより先に、他の方法で国を変えて行くのが先決だと思えた。そうでなければ、他の飛竜を待つ内にこの国はもっと衰退してしまうだろう。行く行くは僅かに残るものを奪い合うような、内紛さえ生み出し兼ねない困窮に陥るだろう。
 勿論、いずれそうなる未来を思う意味では、当麻もシンも変わらない思考を持ってはいたが。
「だからなんだ。どんなに祈っても雨竜は来ない。水の恵みを受けている筈の僕が、竜を呼べないんじゃ民の信用も失われるさ」
 シンは己の立場を呪うように続けた。それが正統な統治者の苦悩なのかも知れない。
「雨竜は愚かなこの国を見放したのかも知れない」
 確かに、その可能性は無いとは言えないけれど。
『そんなことがあってはならない』
 征士はひとり、強くそれに反発する心を感じていた。何処からやって来るのか解らない、己の内側から訴え掛ける感情が、ここに来てから尚強く征士を支配し始めていた。
 彼等は決して無慈悲な生物ではない。穏やかに害をせずに存在する者が僅かでも残る限り、飛竜がその土地を忘れることはない。一羽が死んでも必ず他の飛竜が現れる筈だと。

 竜を神と例えるなら、彼等は全てを見ている筈なのだ。

 その時、食堂のドアの向こうから幾人かの足音が聞こえた。滅多に来客も無い王宮には珍しい音の響き。加えてまだ人々の活動も始まらない時間と言うのに。
「何だ?、挨拶もなしに」
 リョウがそれを確認しにドアの外へ出ると、
「隠れた方がいいか?、俺達」
 当麻は予想できる状況を察して、小声になってシンにそう声を掛けた。けれど彼は答えなかった。答えないままそのドアをじっと見詰めていた。まるで「来るものが来た」とでも言うように、息を殺して何かを待っている。
「・・・・・・・・」
 そして再びドアが開かれた。そこには戻って来たリョウではなく、役人風の見慣れぬ男が数人姿を現した。無愛想に決め込んで、如何にも王宮寄りでない態度を示す者達。これが「来るもの」なのか?、と当麻が考えている内に、
「待てっ!、食事中だぞ!!」
 その後方から、リョウの怒鳴る声が漸く追い着いて来た。
「お取り込み中失礼」
 時間帯、風貌、やって来た人数、何を取っても明らかに不穏な訪問者だと感じる。その用向きまでは、三人に推し量ることはできなかったが、しかし男達は流石に、王宮の中で無礼な振舞いはしなかった。きちんと片足を折って頭を下げるところを見れば、暴徒が乱入した風情でもないのは判った。ただ不穏な成り行きだけは変わりようがない。
 男達は全部で六人。全てが大柄で聳える壁の様に並び、役人風の服装が今一つ似合わぬような、軍人上がりの集団とも見て取れた。その先頭に立つ髭を蓄えた男は、神経質そうにその顎髭を暫く弄りながら、場の刺々しい雰囲気が落ち着く頃合いを計っている。
 それから、淡々と用件を話し始めた。
「成程、珍しいお客人がみえておりますな。客人の前で申し訳ありませぬが、昨晩の議会でシン殿下を更迭することが決定致しました。拠ってどうか、今すぐ私達と共においで下さい」
 無論誰にしても突然の話だった。
「待て!、そんな急な決定など知らない、何を勝手な…!」
 リョウの抗議も当然のことだった。しかし、
「勝手ではございません、議会の満場一致で決定されたことです。私共は命令された通り、殿下を一時お預かりする場所へお連れするよう、こうしてお迎えに上がったのでございます。何卒御容赦を」
 髭の男は大臣達に余程通じているのか、或いはこの急な変化に納得しているのか、顔色も変えず、言葉に詰まることなくそう返して来る。勿論それでリョウが引き下がる筈もない。
「ならば理由は何だ!、訳もなく罪人のように扱うなど許されない、貴様らには天罰が下るぞ!」
 本来王家に隠れて物事を進めるなど、国に対する謀反以外の何でもないと彼は言う。確かにそうだろう。しかし、リョウの発した言葉は結果的に利用され、男は冷静にこう言った。
「天罰ですか。天罰が下るとすれば、それは殿下に理由があるのではございませぬか?」
「どう言うことだ!?」
 そして、待ってましたと言わんばかりの台詞が、男の口から語られていた。
「昨日、町の住人から報告があったそうですが、殿下はこの見慣れぬ外国人達と共に、町中を散策されていたそうですね。…その後間もなく、中央広場に設置された灌漑設備が壊れたそうです」
 流れる僅かのしじまに、誰もが耳を疑っている。
「何だって?…、壊れたってどんな…」
「詳しくは知りませぬ。とにかく今朝になって突然、水が溜まらなくなったそうです。生活に困る付近の住人達は怒っていると聞きます」
 対応するリョウも戸惑っていたが、この時最も動揺していたのは無論当麻だった。
『馬鹿な…』
 しかし誰が何を考えようと、何を言い募ろうと、男達は命令に従って動くだけなのだろう。リョウの制止を振り切って食堂に押し寄せた、彼等は始めから意見を聞く態度ではなかったのだから。黙ってしまったリョウの前を離れ、髭の男はシンに向き直って言った。
「…掟を破ったのはあなたです、殿下。余所者を国内に入れてはいけない、前王の御子息であられる殿下が、知らなかったとは最早申しますまい。そして言い伝え通り災いは起こったのです。これを天罰と言わずして何となさいます」
 尤もらしい、出来過ぎた言い草だった。そうしてシンからは僅かな逃げ場も奪ったのだ。言い訳をすれば、「王家の者の責任をお忘れか」とでも来るに決まっている。下手に出ては更に攻撃材料を与えるようなものだった。
 王家には既に尊い精神も何も無く、腐っていると。勿論事実はそうでないとしても。
「・・・・・・・・」
 そして、それが判るからこそ黙っているシンに、
「お分かりならば、大人しく従われるように」
 男はそう言ってもう一度頭を下げると、他の五人に合図をして、シンの周囲を取り囲むように配置させる。そのまま、彼がそろそろと歩き出すのに合わせ、その壁となる一団も歩き始めた。
 大柄な彼等のお陰で、シンの表情は殆ど窺えなくなってしまった。けれど彼なら決して歯向かう態度を露にせず、周囲に任せているのだろうと思う。策略を以って出て来る者に抵抗しても、利益はないと良識的に考えられるだけ不憫だった。何故彼はこんな目に遭っているのだろう。
 これではまるで政治犯を送るようではないか。
「まっ、待てっ!。貴様らろくに確かめもせずにっ!」
 部屋を出て行こうとする集団を、リョウは必死に食い下がって止めようとしていたが、それは最早シンの望むことでもなくなっていた。むしろリョウ自身が傷付くだけだと、他の誰もが王の心情に気付いていた。

 つい先程まで親睦を進めていた食堂から、お迎えの者達と王宮の者達、モンハラードの人間が全て消えてしまうと、秀は耐え兼ねたように怒鳴っていた。
「おいっ、当麻っ!」
 それは無論灌漑設備に関する話だろう。何故王の責任を問われるような事をするんだ、と秀は言いたかったに違いない。元々手癖の悪い所があると思っていたが、こんな時に取り返しの付かない事を起こしやがって…、と秀は続けようとした。が、
「違う!」
 当麻は敢えて厳しい表情を露にしていた。傍に立つふたりは少なからず驚いている、普段の飄々とした彼の態度とは違う、その強い感情が秀を即座に黙らせている。
「何がだ?」
 様子を察して征士が簡潔に問い掛けると、当麻はそれに落ち着きながらも、怒り震盪する口調で言葉を綴った。
「濡れ衣だ、俺達は嵌められたんだ!。これは、王子を更迭する為の策略だぞ!」
 そして彼の口からそう聞けば、大方予想していた征士は溜息を吐きながら続ける。
「…私達は恰好の餌だったのか」
「どっどーゆうことだっ!?」
 この場合、ひとり話の見えない秀に対してだけ、事態のあらましを説明すれば良かったが、当麻は誰にも聞かせるように話し始めた。それ程この王宮に対して、身の潔白を証明したかったのかも知れない。
「俺は何も壊してなんかいない。あんな単純な器材を壊すとすれば、パイプをへし折るか、足で蹴り倒すか、目に見えた形で破壊する以外にない。あんなのは機械とも言えない古典的な装置さ。…ただ、関心を持ってそれに触ったことは確かだ。恐らくそれを見ていた誰かの報告を、俺達が災いを起こしたようにでっち上げたんだろうな」
 何も、大したことはしなかった筈なのに、この結果だ。
 先を歩く秀からは見えなかったが、立ち止まっていた征士には、確かにそんな破壊が行われたようには見えなかった。又征士は自身の知識から言っても、当麻の言う「古典的な装置」説には頷けるものがあった。銅版と銅のパイプを組んだだけのような、単純な装置があれで壊れたとされるなら、明らかに陰謀めいた話だと疑えた。
 征士はすぐに同意を示して、
「そうだと思う、当麻。議会は王家を葬り去る理由が欲しいのだ」
 と話した。そしてそれを引き継ぐように当麻も、
「でなければ、俺達が連行されないのはおかしい」
 と、秀の方を向き直して結んだ。秀はそれに対して何も答えなかったが、勿論理解に苦しむ話ではなかっただろう。要は体よく陥れられた、それだけのことだ。
 これで三人に共通の情報が行き渡った。否、情報だけでなく悔しいばかりの感情もまた。何故ならシンが責めを負う立場になったのは、自分達が王宮の外に出たがったからなのだ。国内の事情を熟慮せず、リョウの意見も真面目に受取らなかった。それに拠って善良な王が拘束されたのでは、恩を仇で返したようなものだった。遣り切れない。
 遣り切れないのはシンも同じだった。恐らく余所者を連れて堂々と町を歩くなど、大臣達に付け入る隙を与えるだけの行為だった筈。けれどアスールから流れ込む新しい風、二度と訪れぬ客人に何らかの命運を託して、己は自ら首を差し出す決心をしたのだ。ただそれがこんなに急な展開になろうとは、予想できなかっただろう。もっと長い時間が必要なことだった筈だ。
 もっと共に居る時間が必要だったのに。
「…ちくしょーーーっ!」
 怒鳴ったかと思うと、突然秀は駆け出していた。
「何処に行くんだ!」
「こんな所でじっとしてられっかよーっ!!」
 そして昨日一度だけ辿った、正面玄関へと通ずる扉を次々と潜って行った。憤る感情のままひた走る秀に、何かしらの考えがあるとすれば、誰も居なくなったのなら、何処へ行ったかを探せば良いと言うことだけだ。明日、明後日、どうなるかを考え焦れているだけなら、早く動いた方が良いと思っただけだ。
 しかし、そんな感情に任せたような行動でも、決して無益でないこともある。
「あ、おいっ、大丈夫かっ!?」
 街路に出る手前の広いアルコーヴに、ぴくりとも動かず伏せているリョウを見付けて、秀は駆け寄るとすぐに彼を起こした。すると途端に、握られていた剣の柄が手から外れ、石の地面にガランと音を立てて落ちる。見た目に流血はしていないようだが、顔の片面には既に痣のように変色した腫れがあった。何かで殴られたのか、一時脳震盪を起こしていた様子が窺えた。
「う…、くそぉ…」
 意識を取り戻した、囈言のようなリョウの声を聞きながら、
「王様はどうした」
 秀は急かさずに問い掛ける。すると震える手を何とか彼の肩に伸ばし、自力で体を起こしながらリョウは話した。
「連れて行かれちまった…。俺ひとりじゃどうにもならない…、多勢に無勢だ」
 その何とも心細い声色は。彼がもう、大方諦めているのを示しているようだった。この様な日がいずれやって来ることをずっと、予想しながら日々を過ごしていたのだろう。それ程リョウに取っては、王宮を取り巻く状況が絶望的に感じられたのかも知れない。
 たったひとりではそれも仕方がなかっただろう。けれど今はひとりではなかった。
「連れて行かれたって、何処へ?」
 秀の後を追って来た当麻が、その背後からリョウを覗き込んで言った。
「分からん…、いずれかの大臣宅か、悪くすれば監獄だ」
 そして、リョウの返事を聞いたのか聞いていないのか、王宮の周辺の様子を見回した征士は、リョウの口調などまるで気にせず、
「とにかく居場所を探すのだ、遅かれ早かれ処刑されるのは間違いない!」
 と力強く声を掛けた。否、もしかしたら弱っている者への配慮かも知れない。
「あ、ああ…」
 そんな征士の様子に、些か面喰らった面持ちで返したリョウだが、
「俺達は言った通り王宮の味方だ。俺はこの国の為にならないことはしていないつもりだ。が、俺達は向こうの策にうまく嵌められたらしい。どうにかしなきゃならない、このままではこっちの気が済まない」
 そう続けられた当麻の言葉には、確かに信用できる何かが感じられた。
 己を励まし、奮い立たせようとする彼等の思いと、己の思いは同じだと言うことを。今はただ哀れな王子を救い出したかった。
「まだあれから殆ど経ってねぇ、まだ何かできる時間はあるだろ、なっ!」
 立ち上がろうとするリョウに、肩を貸しながら秀はそう話し掛けていた。
「うん、そうだな、ありがとう…!」
 すると今度は瀕死の戯れ事などではなく、これまで通りの様子に戻って、リョウは答えられていた。これまでと違うものはただ、もう孤独な戦いを続ける必要がなくなった、その心の軽さだけだった。信用の置ける同志が居る安心感を切なくも、リョウは長い間忘れていたようだ。
 もう、後はどれだけやれるかだけだった。
 揺るぎない意志と知恵を以って謀略に臨む、彼等を神は見ていてくれるだろうか。



 もうすぐ、昨日見た夕暮れの景色を再び見られるだろう。
 征士はその時雨竜の泊にて暫し、刻々と変化して行く景観を静かに眺めていた。
 今朝の騒動の後、残された四人で町中を探し歩いた結果、シンはある大臣邸の一室に収容されていることが判った。監獄等でないのは幸いだったが、逆に言えば、長期間そこには置かれないだろうと言う心配もある。無論アスールの三人はおろか、リョウでさえ面会は叶わなかった。無事で居ることだけは話として伝わって来たが。
 更に、昼から始まったと言う緊急議会が、午後五時半頃には何らかの決定を下すとも聞いた。それはつまり、更迭されている王の処分が決まる意味だった。
 もうすぐその時がやって来る。
 素直に考えようと、深読みしようと、投獄以上の温情ある結果は望めないだろう。どうしようもなく議会から出される決定に対して、何をしたら良いのかを四人は考えていた。否、とにかくまず王の身柄を確保しなければ始まらない。彼が移動する時を狙って助け出し、安全そうな逃走ルートと、王宮以外の隠れ家を準備しなければならない。ただこんな小さな国の中では、逃亡するにも限界があるだろうが。
 匿ってくれそうな者が居るとも考えられない。
 けれど希望は捨てず、計画の下見の為に四人は一度解散した。決議の出される午後五時半に中央広場に集合、と決めてあった。
 今征士は夕暮れに染まり行く景色を見ている。一通り、目立たず通過できそうな路地を確かめて来たものの、それで結局、逃亡後の王の立場が良くなるのだろうか?、と思うと途端に半端な行動に感じられてならなかった。逃亡などして、一度国を出た王が後々歓迎されて戻れるだろうか?。しかし今大臣達の手から逃れなければ、シンには屈辱的な沙汰が下されるに違いない。
 何をしても先行きは暗い。最終的な場面で最悪に陥るようなら、その場凌ぎの小細工はしない方がシンの為だ。しかし、どうしたら良い。何をすれば良い。その堂々巡りだった。誰もが良い結果を想像できていない、泥の中で算術をするように、塞がれた可能性を必死に探り回るばかり。
 だから征士はここに来たのだ。
 シンの救出、このモンハラードの為に何かをすること、それらを諦めた訳ではない。だが八方塞がりな現状を思えば、どう藻掻いても今与えられる結果は同じ、と思わざるを得なかったのだ。正しい意味で結果を与えるのは神だ、この世界を支配する神、ここに棲む竜達、彼等の力なくしては何も変わらない現実。そう、飛竜がここに来なくなったことが、今と言う結果を作り出している。
『私に飛竜を呼ぶことはできないだろうか?』
 恐らく、ただそれだけで解決することばかりなのだ。何故十年もの間飛竜は来ないのだろうか、酷く不自然にも思えて来る。
『それとも本当に見捨ててしまったのか?』
 愚かなこの国を、とシンは言ったけれど、この様な事件はアスールの歴史にも多くあった筈。アスールではお目溢しされ、モンハラードでは見捨てられる、そんなことがあって良いのだろうか?。否、誰が支配者になるかに因って違うことかも知れないが。
『ここから飛竜の姿を見ることさえできないのか?』
 すると、
 空に横たわる朱の大河から、翼を羽搏かせる小さな何かの影が征士の目に映る。飛竜か?、と思ったが、近付くに連れてそれは、獣型翼竜と言う別の種類の生物だと判った。彼等は体に対して比較的小さな、虫のような形の羽を持っていて、高速では飛べないが空中を浮遊して暮らしている。アスールでは見ない竜の一種だった。
 そう都合良く現れる訳はないか。と溜息を吐きつつも、征士はその翼竜が隣の山までやって来て、その上をゆるゆると旋回する様を眺めていた。
 空を飛ぶ竜達の特徴。それが小高い山の上を旋回する行動だ。そうして自分の縄張りを主張しているのだ。そして飛竜の場合はその後雨雲が現れ雨が降る。飛竜は雨雲の動きを知っている、その皮膚から湿気を帯びた風を感じ取ると、電気を起こして雲を引き寄せて来る。だから彼等の縄張りは常に潤い、一般の生物には住み良い土地となって行く。
 飛竜自身もまた、縄張りが豊かであるように望んでいるからだ。
 人間が飛竜を愛するように、飛竜も人間達を愛している。それで成り立って来たのではなかったか?、古のモンハラードは。
 と、征士は獣型翼竜を眺めながら、何故かまた不思議なことを思い出していた。誰かから聞いた話だったろうか?、否、彼にそんな記憶はなかった。書物にあった知識だろうか?。まさか、この世界独特の生物環境など、アスールの書物にある訳がないだろう。
 征士は考えていた。
 それでは、私自身が思い出しているのだろうか?。モンハラードの空に棲む飛竜のことを…?。

 その頃、約束の五時半にはまだ大分間があったが、中央広場では町の役人が慌ただしく行き交い、警備兵を使って何かの準備を進めている様子だった。大きな丸太と燃料用の薪、その他、縄などが広場の隅に運び込まれ、遠巻きにそれを囲む住人達には騒ぎが起こっていた。
 そこを通り掛かったリョウが、人々に紛れている秀を発見して駆け寄る。
「何の騒ぎだ?」
 と背後から一言問い掛けると、秀は必死の形相で振り向いて言った。
「冗談じゃねぇよっ!、まだ会議も終わってねぇのに、公開処刑するってんだよ!」
「なっ、…馬鹿な!」
 つまり、王を処刑することは始めから決まっていて、単に段取りとして議会を召集した程度のことだろう。それならこの準備の早さも納得できると言うもの、大臣達はゆるりと午後のお茶でも楽しみながら、その時間が来るのを待っているだけのようだ。恐らくそんなことなのだ。
 無論、王宮に不利な議決が下ることは判っていたが。
「こんな馬鹿げたことは許されない!、ただの囚人にも陳情の権利はあるんだぞ!!」
 思わず声を張り上げたリョウを見て、現場の指揮をする役人が他の者に、「捕らえろ」と言うような身振りを見せた。途端幾人かの兵隊が武器を持ち、バタバタとこちらに向かってやって来る。しかしリョウも近衛兵のひとり、そんな様子には怯むことはなかった。
「貴様らは国の正義を踏みにじる気か!!」
 堂々として張りのある声が、彼に戻ったのは幸いだ。
 だがここで掴まっては何も叶わなくなると覚り、秀は全力を振り絞って、リョウを広場の外へと引き摺り出してしまう。
「今は駄目だ!、もうすぐ王様が外に出て来る、その時を狙うんだ!」
 そして秀は走り出しながら言って、何とかリョウをその場で説得すると、悔しいだろうが、黙って相槌を打ちながら彼も走り去って行った。既にシンだけでなく、処刑に反対する者は全て捕らえられる状況になった。その上リョウは敵と看做されてしまっている。こうなっては確かに秀の言うそれが、残されたチャンスらしいチャンスかも知れなかった。もうその時を逃す訳には行かない。
 敵の行動は早い、こちらには時間がない、綿密な計画を立てる暇など全くない。けれどやらなければならない時がある…。



つづく





コメント)シンを無事救出してモンハラードを復活させるには、どうすれば良いでしょうか?。ピッ、ピッ、ピッ、ポーン。答は三十秒後。



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