王様近影
嘆きの翼
#2
My Little Kingdom



「何故黙っている」
 ここに来てまだ何をした訳でもない。しかし剣を向けられている以上、理不尽に殺される可能性もなくはなかった。注意深くこの場の最善を考え、なかなか口を開けなかった当麻だが、結局ここは、下手に出て様子を見ることにしたようだ。
「実は、俺達にも分からないんです…」
 なるべく丁寧な口調で、そして力無い一市民を装えば完璧だと思った。もしこれで無碍な扱いを受けるなら、相手の属する権力には従わない方が良い、と当麻は考えている。幸いここには彼しか兵隊は居ない、三対一なら、危険を感じた時には逃げ出すことも可能だろう。
「分からないとは?」
 黒い髪の兵士は不信げに説明を求めて来る。
「話せば長くなりますが、潜水艇で海に潜っていたら…」
 すると、当麻は予想した通りの驚き顔を目にして、ほんの僅かだが安堵が感じられた。相手は少なくとも、同じ感覚を共有できる人間らしいと。
「潜水艇!?」
「はい、水中に潜る乗り物で。俺達はその途中、海で事故に遭った筈なんですが、気付いたらここに居た訳で…」
 俄には信じられないと言う眼差しをする、兵士の態度も当然の反応だった。もし相手が自分ならまずこんな話は信用しない、と当麻にさえも思えていた。潜水実験なら過去から幾度か行われていたが、有人の潜水探査艇は正に人類初の試みだ。世界広しと言えども、挑戦すること自体滅多に聞かない話だった。そしてこれが最初の成功例、になる筈だったのだが。
「・・・・・・・・」
 難しい顔をしたまま、黙って考え込んでいる兵士の様子を窺い続けた。
『駄目かなぁ』
 当麻が様々な可能性を頭に巡らせ始めると、
「変わった服を着ているな」
 と、話題は突然そんな質問に変えられた。
「え?、ああ、これは旅行用と言うか…、普段着とそう変わらないものですが?」
 防寒を兼ねたウールの外套、当たり前の白い開衿シャツにスウェードのズボン、毛の裏打ちがしてある皮のブーツ。彼等には極一般的な外出の服装だと思われる。勿論他のふたりも大差ない格好をしていた。目立って変わったアクセサリーも付けていない。それが何だと言うのだろう?。
 だがその兵士に取ってはひとつひとつ、服装についても、彼等が使う言葉についても、特異な印象ばかりを受取っているらしいのだ。
 そしてこう続けた。
「旅行とはまた…。おまえ達、一体何処から来たんだ?。いや何処に居たんだ?」
『やっと来たか』
 実は、始めにそう聞かれれば素性を伝え易かったのに、と当麻はずっとその質問を待っていたようだ。不審者と疑われている状況で、先に自から素性を話すのはリスクが高いと考えた。相手が自分に関心を示しているなら、対応の仕方は何かしらあるだろう。そうでなければ有無を言わさず斬殺、ともなり兼ねない。取り敢えず「奇妙な連中」と思われているだけなら、まだ間に合う。
 当麻は真摯な態度で判り易いよう大陸名から、
「ゴンドワナの…」
 と言いかけたが、その当麻の声に被さるように、背後に居た征士が突然声を発していた。
「地上だ」
 たった一言だが。
 余りに唐突な彼の出方に、振り返れば横に居る秀も唖然としている。けれど征士の、一兵士を見上げる眼光が何かを訴えている。何か重要な事態を察しているかのようだ。首の向きを戻した当麻はまたそこで、黒い前髪の下の瞳が威嚇の念を忘れているのに気付いた。どうやらその『地上』と言う一言で、確かな何かを理解したらしいのだ。
「地上、アスールか!?」
 大きな黒い目を見開いて兵士は尋ねた。アスールと言えば、彼等三人の住む世界を指す言葉だが…
「そうだ。私達は伝説に伝わるモンハラードを探す為に、潜水艇で海底探査をするつもりだったが、事故に遭い、何故かここに飛ばされて来たのだ」
 征士は一切を隠すことなく、まこと正直に現状を話してしまった。場合に拠っては不利な駆け引きになると言うのに。しかし、却ってそれが良かったような、途端に緊迫した場の雰囲気が解けて行った。『地上』、『アスール』、『伝説のモンハラード』、それらは一体何の呪文だろう。何故それで向こうが納得した風情なのか、今の当麻と秀には理解し兼ねることだ。
「…そんなことがあるとは…」
 兵隊は翳していた剣を引いて鞘に納めると、前より幾分柔らかい調子に変えて話す。
「ならばまず、おまえ達に王への謁見を許そう。付いて来てくれ」
 そして戸惑う三人に配慮しながら、早くもない足取りで歩き出していた。
 まさか、王に謁見などと言う事態は予想しなかった。その場合、そう恐れる必要はなさそうな雲行きだったが、彼等は変化した状況に顔を見合わせながら、渋々と兵士の後を着いて行くことになる。何故なら三人は共和制を布く国の出身者であり、経験上『王』などと言う存在に触れる機会はなかった。だからどうして良いか判らない、と言うのが気の進まない理由だ。
『どうなってんだよ?』
 渋々歩きながら、そう当麻に耳打ちした秀だったが、
『さあ…』
 当麻にしてもまだ何も得られてはいなかった。ただひとり征士だけが、彼等とは違う何かを見ているような、そんな様子で白々した空を見上げていた。
『おかしい…』
 風は懐かしい香りを運んで来るのに、余りに食い違い過ぎている私の知識。
 見覚えがある、ここは王宮の庭。けれど談笑する優しい人々の声が聞こえない。人の行き来する足音さえしない。見たことのある同じ景色を見ながら、受ける印象がまるで違うことに驚いている。
 これが夢にまで見たモンハラードなのか?、それとも変わってしまったのだろうか?。ここはこんなに寒い町ではなかった筈だ、こんな風に草木が枯れ寂れる筈は。
 そして飛竜など何処にも飛んでいない…。

 両側に柱の並ぶ回廊を歩いている。
 先を歩く兵士には気にならないらしいが、後に着いて歩く面々には、大いに気になった建物の内部の様子。外観のイメージから恐らくこれが王宮だと思われたが、威厳や品位は感じても、豊かさだけは全く感じられなかった。
 暗い灰色に煤けた天井や壁面は、フレスコ画等の装飾も全く見えず、まるで監獄の塀を思わせる陰気さだ。その上傷だらけのような、又は風化の亀裂なのか、酷く荒れた様子を露にしているのが判る。床や柱も同様に、素材は目の美しい石材だが荒れたまま、修繕もろくにされずに放置されている。無論のこと絵画や彫像、生花等が立ち並ぶ筈の、大回廊には華やぎのひとつも見当たらない。
 途中、ドアの外れた一室の内部を覗けたが、漆喰が剥がれ、石積みの壁がむき出しになった無惨な様子の上、家財道具のひとつも無い空虚さだった。
『おいおい…、崩れ落ちそうだぜ、ここ』
 秀が兵には聞こえないように呟くと、
『広さはあるようだが、誰も居ないようだな』
 当麻も自分なりの見解を少しだけ返した。勿論彼は、この様子から推し量れるものを皆感じ取っている。そこまで古くはない建物の筈だが、ここまで荒れているのは何故だろう、と。
 大回廊の正面には一際大きな扉があった。木彫に金箔を貼った豪華な大扉だが、これも所々が剥げかけたままの状態だった。先を歩く兵士がその前で足を止めると、よく通る声で、
「陛下、よろしいでしょうか。今地上から来たと言う、珍しい客人が参っているのです」
 と言って、ひとりその扉の中へ入って行った。さてその場に残された三人はどうするか。
 勿論この扉の中には、王の許しが出なければ入れないだろう。先程の兵士から何かあるまでここで待つのが正解だ。高貴な人に対するしきたりなど知らないが、大体手順とはそんなものだと予想できた。今は幸運を待つことしかできない三人。ただ、威圧を掛けて来る兵隊の目が無くなった今、逃げるなら最大の好機かも知れなかった。
『ばっくれるか?』
 しかしそう考えたのはまたも秀のみだった。それもほんの一瞬のことだった。何故なら彼等は、一国の王の住まいとしては異様なこの状態に、恐怖よりも興味を持ち始めていたのだ。ただでさえ王族等に関する知識は乏しい、その上イメージしていたものとは違う陰鬱とした様子。それに関心を持つなと言う方が無理だった、特に当麻などは。
「君達、入ってくれ」
 再び扉が開かれると、先程の、黒い髪の兵士が穏やかな様子で声を掛けた。幸いなことに快いお許しが出たらしい、彼の態度からはそんな成り行きの良さが見て取れた。そして促されるまま、多少気を遣いながら三人は金の扉を潜る。
 すると突然視界が明るくなり、招き入れられたその広間は、天井こそ他と同様に荒れているが、壁は見られる程度に修理されていて、窓からよく陽の差し込む白い部屋だった。掃除の行き届いた石床の上、中央に古びた赤い絨毯が長く敷かれ、その辿り着く先の壇上には、黒い王座に腰掛けた白衣の人物が居る。
「あのお方がモンハラードの国王、シン陛下だ」
 兵士は言うと、先導するように王座へ向かって歩き始めた。
『ここがモンハラードなのか!?』
 驚くなかれ。
 続いて足を踏み出しながらも、話に聞いたイメージとの違いに動揺を隠せない秀。教えてくれた本人はどう思ってるんだ、と、征士の方を見ると、彼は驚くと言うより、何故だか傷付いたような悲哀を漂わせていた。更に奇妙なことは続いた。
「まだ正式な国王じゃないんだ、嘘はいけないよリョウ」
「でも近い内に即位される」
 徐々に近付く内に、陛下と呼ばれた人の姿がはっきり捉えられて来た。それは『王』と言うイメージからは想像しないような、ほっそりしていて若過ぎる、些か幼い印象さえする顔立ちの、同じ年頃の青年だった。そして発せられた声色も軽やかだった。
「ようこそ、地上からのお客様に会うのは初めてだよ。この国の通路が水没してからと言うもの」
 王よりは王子の方が似合う、などと言えば不興を買うだろうが、そんな印象の彼は気さくな様子で挨拶をすると、人懐こそうな、少女のような微笑みを三人に向ける。但し気さくとは言え、その落ち着いた物腰は確かに一般市民と違う、上品で奥床しいものを内に秘めているようだった。
 又初めてそんな存在を目の前にして、その人が好感を以って接してくれるのを、勿論誰も悪印象には思わない。ただ征士にだけは、何故か悲しみのような感情が込み上げていた。彼はぼんやりと、この王を憶えているような気がした。大きな緑の瞳をした気の優しい少年だった。それを思い出しただけで、何故悲しいのかは解らないけれど。
 否、王家が崩壊しかけている様子に関係がある。それは征士にも判ることだった。
「通路が水没していたとはね…」
 当麻はその言葉を繰り返し、歴史書の曖昧さに思いを馳せている。恐らくまだ記録する技術、記述の為の道具さえ満足に無かったような、そんな昔の話なのだろうと思える。
『だから寂れてんのかなぁ』
 秀もまたそんなことを思い、アスール同様、時間の経過しない場所はないことを思い知ったような、落胆の溜息を漏らしていた。地中に残る古代の遺跡を探すように、ここには輝くような古の宝物があると思っていたのに…。
 ところが、彼等が『伝説のモンハラード』と言うように、この国の住人に取っては、アスールこそが『伝説』だったようだ。遠い昔に分かたれてしまった世界には、双方共に確かな伝承が失われていた。シンは一寸身を乗り出すようにして、前に立つ三人にこう話し掛けた。
「ねえ、地上とはどんな世界なんだろう。僕には何の知識もないけど、君達はとても興味深い話をすると、今彼から聞いたところなんだ。良かったら君達の世界のことを、色々話して聞かせてくれないだろうか。僕は始終退屈な身なんだ、ここには好きなだけ滞在してくれていい。そう言えば、君達はどうしてモンハラードを探していたんだい?」
 興味深い話、とは無論潜水艇に関することだろう。この王宮の様子を見れば一目瞭然、三人の住む世界より技術的発達は遅れているようだ。遅れていると言うより、時代が古いと言う方が正しいだろう。封建時代の忘れ物、と称された時点から殆ど変わらないのではないか?、とも想像できた。しかしそれならここに来た目的には期待できる筈。
「私達は飛竜を見に来たのだ」
 征士がそう答えた。それまでと何ら変わらない態度で話したつもりだった。けれど何故かその途端、横に立つリョウが恐ろしい形相で睨んで来るのだ。一体どうしたことか、失礼と思えることは何もない筈だが…
「…いや、地上の飛竜は絶滅してしまったので…」
 思わずしなくてもいい説明まで付けてしまった。それ程にリョウの向ける視線は息詰まるものだったのだ。何が気に触ったのか、或いは何をそんなに必死になっているのか?。その答は、俯くシンの口から静かに語られた。
「雨竜はもう、十年来ていないんだ」
「…ん?、雨竜って?」
 聞き慣れない名称を問い掛けた秀だったが、誰かがそれに答える前に、当麻が閃きのまま言葉を発していた。
「成程、合点が行きました」
「?、…何だ?」
 その妙な台詞に、リョウは鋭い視線を当麻に移して次の言葉を待つ。そして待たれている様子を知れば、ひとつ頭の回るところを披露せねばなるまい、と当麻は雄弁に話し出した。
「王の前で失礼かも知れませんが、建物の様子を見て疑問に感じたことが解った、と言う意味です。本来この土地に必要なものが今は失くなり、こうして王宮は衰えてしまった、と言う訳ですね」
「と、当麻」
 確かにそれはそうだろうが、「失礼かも」ではなく「失礼」だと征士は青褪めている。
「貴様ーっ!」
 案の定リョウは怒りを露に、腰に付けた剣の柄をもう一度引き抜こうとしていた。
「やめるんだ、事実を怒っても仕方がないよ」
 穏やかに制止を加えたシンに、勿論家臣であるリョウは従うしかないが、
「だが!、それを陛下の所為と思われるのは、我慢ならん!」
 何処からそんな話になったのか、意味を取り兼ねる勢いで怒っているのだ。王宮が抱える事情は、当麻の予想以外にも何かしらあると言うことだろう。
 当麻はただ、この国には雨が降らないと予想しただけだった。だから庭の植物も成熟を前に立ち枯れ、或いは刺を持つように変化していた。そして水が大量に使えなければ、温水暖房設備も使えないのだろう。この建物のそこかしこに、威厳のある佇まいとは不似合いな、錆び付いた鉄のパイプが通してあるのを見付けていた。恐らく石炭等を焚いて温水にするのだろうが、こんな高山気候の土地でそれが使えないのは厳しい。
 けれどそれが王の所為とは。
 この国を不憫にこそ思え、誰が悪いとは全く頭になかった当麻だが。
「すいませんっ、そんなつもりはなかったんです、思ったことを話しただけで…。もし構わなければ、詳しい話を聞かせてくれませんか?、何か役に立てる事があるかも知れない」
 彼は慌てて頭を下げると、進言した目的を交えながら話した。そう、折角見知らぬ土地にやって来て、快く滞在を許してもらえたのだから、宿代替わりに何かをしたかっただけなのだ。彼はどうも、技術だの理論だのには冴えているが、他の部分では抜けているところがあるようだ。
 だが、そんな当麻の必死に見せた誠意は伝わったようだ。聞き終えるとリョウはきちんと姿勢を直して、けれど怒り覚めやらぬ調子で言った。
「いいとも、教えてやろう。この王宮は代々の王家が住んでいるが、十年前に国内の諍いから火を放たれて、国王一家は焼死してしまったんだ!。モンハラードの王家は代々飛竜と親しくしていたが、その事件を境に一度も現れなくなってしまった。雨竜と言う呼び名の通り、飛竜は雨雲を連れて来るんだ。だから飛竜が来なければ、この国には一滴も雨が降らないと言う訳さ!」
 飛竜の性質については、当麻が予想した通りのものだったけれど。
 そんな事件があったと、聞かされれば尚納得の行くことばかりだった。煤けて荒れた壁面は炎の残した跡なのだ。元はもっと黒々としていたものを何かで、擦るか削るかした為に傷だらけになって、想像できる美しい壁画や装飾タイル、塗られていた色さえも失われたのだろう。
 リョウは更に続けた。
「火事の中から一人だけ救い出された陛下は、その時子供だったと言うだけで、治世の実権を剥奪されてしまった。かと思えば、代わりに権力を握った大臣達が、民衆の前で飛竜を呼ぶ祈祷をしろだの、できもしないことを陛下にやらせては、王家には力がないと言って公に侮辱する始末だ。始めは王宮寄りだった有力者や、親類までもが次々に離れて行った。…これがモンハラード王家の現状なんだ、お客人」
 そうして大体の説明を終える頃には、怒りに任せた口調は悲哀の節へと変わっていた。今はリョウの抱える怒りも悲しみも、三人には充分過ぎる程に理解が進んでいた。
 ただ、
「近い内に即位すると言わなかったか?」
 当麻は会話の前に聞いた話を思い出している。
「それも、本当なら十四で即位できる筈なのに、言い掛かりを付けて延び延びにされてるんだ。…あいつらはただ陛下が邪魔なだけだ。適当な理由さえあれば、今すぐ葬り去ろうと考えてるに違いない」
 リョウはいたたまれない様子をしながらも、以降は淀みなく事情を話してくれた。
『王家の転覆だけなら中世期にはよくある話だが…』
 そして当麻がそう考えたように、最大の問題はやはり飛竜のようだ。
「後ろ盾もなくなり、飛竜も来ないと分かると、忠実だった家臣達も、単なる使用人まで残らず居なくなった。今は俺ひとりがここを守ってる、近衛兼世話役だ」
 リョウはそう話を結ぶと共に、自己紹介を加えて情けなそうに笑っていた。シンも自ら加えて彼の紹介をしてくれた。
「リョウは元々遠縁の者なんだ。王宮の火事の後に、僕の親類は謎の死を遂げた人が多いけど、それで彼も家族が居なくなってしまってね」
『そりゃ大臣とやらの差し金だろうなぁ。家臣達も身の危険を感じて去ってったんじゃないか?』
 まあ、当麻の推理は的を得ていたが。
 それより彼に取って重要だったのは、事実を知っていて敢えて敵を悪く言わない、この国王陛下の人格には信頼が置けると知ったことだ。異邦人である今の立場では頼もしかった。その頭に頂く筈の冠を失い、民人からの信頼も失い、力のない王は謀略に国を牛耳られているとしても、少なくともここで聞くことは真実だと解れば、今後安心して滞在できると言うものだった。
 ここに来てより一時間程の間、様々な方向に考えを巡らせて来た当麻だが、漸くこれでその他の可能性を破棄して、ただこの王家のことを考えられるようになる筈だ。
「あーあ、こっちでも飛竜は絶滅したか…」
 秀はぽつりとそんな言葉を漏らした。だが、「来なくなった」とは絶えた意味なのだろうか?。
「何だって?、それは違うぞ。飛竜の住処には常に何万と言う飛竜が暮らしている。彼等には習性があって、ひとつの地域にやって来るのは、必ず決まった家系の飛竜なんだ。親から子へと世代を代えながら、その土地の生物を潤し、守ってくれるんだ」
 やはりただ「来なくなった」だけのようだと、リョウの説明から秀もすぐに理解した。同時に飛竜とは己の勝手でやって来るもので、例え親しかろうと、呼べば来るような飼い鳥とは違うらしいことも。
 ならば何故自分の縄張りに来なくなったのか?。
「そんじゃあ、飛竜は昔の事件に怒ってんだな、きっと」
 些か子供じみた言葉だったが、秀の素直な感想に誰も異を唱えなかった。
「その住処から連れて来ることはできないのか?」
 そして、それまで黙っていた征士が再び口を開いた。ただそう聞いておきながら、可能性は薄いのだろうと予測もしている。何故ならここには他に、何万と言う数が生息していると知っていて、手立てを施したとは話していないのだ。
 リョウは予想通りこう答えていた。
「それは無理だ、この切り立つ山脈を降りられたとしても、飛竜の谷に続く道は存在しない。そして山脈同士を隔てる泉には、気性の荒い水竜も多く棲んでいる。…この世界は途方もなく広い。その殆どが竜達の生活場所で、人間は極僅かな集団が、点々と散らばって暮らしているだけだ。ここでは人間よりも竜の方が優先される。世界の法律は竜そのものなんだ」
 人間こそが王だとする世界もあれば、竜が全てを裁く世界も存在すると言う。
『自然界の使者…』
 当麻はそんな言葉を思い出していた。人間も自然の一部だとする考え方もあるが、己が住んでいた地上世界では最早、人間は自然の法則からはみ出しつつある異端児、と表現しても良さそうな存在だ。又そんな進化が進んで行くのは、人間の欲が持つ業なのか、それとも竜達が数を減らした所為なのか、と思う。
 自然であることが良いのか、そこから脱することが良いのかは誰にも判らないけれど。
「懐かしいね、昔は親子連れの雨竜が来ていたのに」
 シンは消え去った過去を見ているように言った。
 微笑んではいるが、長く深い悲しみを持つ彼の為に、ここに飛竜を呼ぶことができれば良い。
 雨が降れば人々の信頼は回復するだろう、モンハラードは嘗ての平穏な姿を取り戻し、正統な王が即位できるようになるだろう。そしてここに来た目的も同時に果たせる。と征士は思った。
 空を渡る雨竜の悠然と広がる翼の陰に、私は留まりたい。



 モンハラードの正統な王、乃至王の家臣から大体の事情を聞いた後、三人は折角ここに来たのだから、町の様子を見に行きたいと話した。例え王家の荒み様に愕然としても、ここは異世界、アスールの人間には『伝説の王国』に違いない。元の世界に戻れた時の土産話にもなる。又今さっき感じた心苦しさへの慰めにもなるだろう、と考えた。
 しかし、
「うーん、君達には悪いが、他国の者を国に入れてはいけないと決まってるんだ。ここから出なければ外に知られないと思うが」
 と渋い顔をしてリョウは答えた。勿論そうですか、と素直に受け入れたくはない返答。征士を除いたふたりは旅行気分と言って差し支えない、物見高な心境でここに立っているのだ。ここから一歩も出られないのは、何とも堪え難い君命だった。
「え〜〜〜、俺達この世界のモンじゃねぇのに〜」
「だとしても、この町では見かけない顔だ」
 一応秀は王に気を遣い、怒鳴るでなくいじけるように不平を零すが、リョウの返事も尤もだと当麻には理解できた。その上で、
「何故そんな法律が?」
 彼は続けてそう質問する。リョウは誰にも解り易く説明してくれた。
「法律って訳じゃないんだが、この世界では言った通り、人間の集団同士は酷く危険な地域に阻まれて、まず行き来はできないんだ。それを越えてもやって来るのは悪魔か盗賊、余所者が侵入すると災いが起こる、と昔から言われてるんでね」
 成程、だから近辺に人が居ない地域でも、町は立派な城壁で守られているのだろう。そして先に聞いた通り、竜族のユートピアであるこの世界を渡るのは、人には余程困難なこととも窺えた。
 人は身近に存在する者ほど理解が進むだろう。この世界のように、離れて点々と暮らしている集団が、お互いを理解し手を取り合うことは、実際の距離を縮めるのと同じく困難なのだろう。下手をすれば平和思想どころか、互いに疑心暗鬼になっている可能性もある。当麻は中世の、横の繋がりを持たない国々の様子を思い、考えている。
「ちぇ〜〜〜」
 まあ、何を考えられたとしても、面白くない状況には変わらなかった。ただ、秀の呟きを耳にしたリョウが、
「町の現状も見てもらいたいのは山々なんだが」
 と答えたことには、おや、と思った当麻と征士のふたり。不本意だとでも言いたそうなリョウの言葉は、否、冷静にこれまでの出来事を考えてみれば、当然かも知れないと思い直すことになった。明らかに余所者である三人、しかも勝手に王の庭に侵入し現実離れしたことを話す。それを大した尋問もせず王に謁見させるなど、紛れもない特別扱いだろう。
 それは何故か?。恐らく彼等はこの三人の来訪者に、何かを期待しているのではないだろうか。潜水艇を作ったと言うからには、アスールにはそれだけの知恵や技術があると知れた筈。この国と王宮の現状を知らせて、何らかの助力を仰ぎたい意識があるのでは。
 それ程に王家は危機を感じているのではないか?。
 そして姑くの間を置いた後、
「…僕が案内しよう」
 と、シンは自ら町に出掛ける意志を、王座から立ち上がることで確かに示していた。王自ら町の観光案内をすると言う。そこまで彼の苦悩は深いのだろうか。
「えっ!、なっ、何言ってんですか」
 無論リョウには仰天するような発言だったが、
「次の王である僕が直々に案内するなら、大事な客人だと民にも認めてもらえると思う」
「でも!…」
 追い縋る声を聞かない振りで躱し、シンは自らマントの袷を止めながら言った。
「じゃあ行こうか、モンハラードの町はそこまで広くない、日が暮れるまでに充分観て回れるだろう」
 陽はまだ高く、大気は冷たいが晴れ渡っている。例え外出許可が今日だけだとしても、見物に歩くには丁度良さそうな天気だと思える。唯一の忠臣の様子が少々痛ましくも思えたが、ここはどうしても王に動いてもらわねば、と三人は一致した思いで喜んでいる。
「やったぜ!、王様ありがとうっ!」
 既に一歩、二歩と歩き出しているシンには、不安そうな表情は殆ど見られなかった。むしろ新しくできた友人にするように、気遣いを以って優しい笑顔を向けてくれる。それなら、三人が事を心配する必要はないのかも知れない。
「あっ、ちょっと、待って下さい!。だったら俺も行きます!」
 慌ててリョウもシンの後を追って歩き出した。

 切り立つ山の頂、モンハラードは城壁に囲まれた中世の町。
 確かにその伝承は間違いではなかった。古びた城壁に繋がる、入り組んだ迷路のような建物と水道橋。但し水道には水が流れていないようだ。連なる赤い壁と明るい茶色の石畳、その暖色に彩られた街路は本来、出店や大道芸人等で賑わっている筈だった。今は満足に商売もできない程、民衆の生活に陰を落としている飛竜の不在。
 町自体には特別な変化がなくとも、人々の暮し振りは大きく変わってしまった。広場に集まる子供達の声さえ、何処となく憂いを感じさせている。土には小さな花のひとつも見えない。
「ここは中央広場。この国の丁度中心にあって、四節気の行事やお祭りが行われるんだ。この五叉路から始まる道はみんな、モンハラードで最も賑やかな商店街、なんだけど、今は殆ど閉っちゃってるね」
 シンは極普通の様子で話していたが、広場の子供達は、何の前触れもなく王が外出している様を見て、皆少なからず驚いた顔をしている。慌ててそこから走り去る者も居た。三人には解らないことだが、それが普通の反応と言うものだろうか。
「…なあ、雨が降らないんじゃ、水はどうしてるんだ?」
 干涸びた噴水を眺めて秀が言うと、すぐに当麻は、
「川があるだろうに、ここは山なんだからな」
 と予想できる内容を横から挟む。しかし現実はそううまくできていないようだ。
「いや…、ここはほぼ山頂だからね、川はもっと下に降りないとないんだよ。そこへ水を汲みにも行ってるけど、川に棲む竜も居るから危険なんだ。…ほら、あそこに灌漑設備があるだろう?」
 シンが指差した先には、渋く変色した銅製の、一見小型の焼却炉のように見える物体があった。その煙突の様なパイプの先には、何やら大きな漏斗の様なものが付いている。アスールでは見かけない不思議な灌漑設備だった。
「成程、井戸にしては妙だな」
 と征士が簡単な印象を話すと、
「昼間は乾燥してるけど、朝夕は霧や雲が発生し易い土地だから、それを集めて水に変えてるんだよ。蓄えている意味では井戸と言ってもいいけど、この岩盤の山は硬くて、井戸を掘ることは不可能なんだ。掘ったところで地下水があるかどうかも分からないしね」
 シンはそう説明した。そして確かにこの地形は、人間には住み難い場所だと想像できる。三人は思い出す、この世界では人間より竜が優先されると言うこと。住み良い環境は皆竜達の縄張りであり、人はそれに遠慮をしながら、厳しい土地で大人しく暮らしている。この世界の現実。モンハラードの希望は全て飛竜に委ねられている現実。
 再び歩き始めたシンの後を歩きながら、秀は一言、
「大変なんだな」
 と心配気な様子で話した。そして自分達が思うと同様に、彼もこの国の窮状を痛んでくれているとリョウは知った。引き続きシンの後方を守るように歩きながら、
「まあな、生活用水さえ充分じゃない状況さ。命に関わるとまでは言わないけどな…」
 と秀に応じて話した。が、その途中矢庭に振り返り、後に着いて来ないふたりに気付く。
「おい、何してるんだ?」
「ああ済まない、灌漑の仕組みに関心があるらしいんだ」
 リョウの呼び掛けに返事をしたのは征士だったが、一団に着いて来ない本人は当麻のようだ。高等学舎一とも言われる勉強家の彼は、珍しい機器を見付けるとすぐに関心を持って、その方へ気が行ってしまう癖があった。
「分かってる、すぐ追い付くから先に行ってくれて構わない」
 本人は悪気もなくそう言うが、言葉を耳にすると、シンはややペースを落として歩いて行った。そして一団と当麻の間に立っていた征士も、取り敢えずその場を動かないでいた。
 立ち止まっている征士の視界には当麻が、例の霧や雲を集めて水にすると言う、漏斗のような部分を興味深く眺めたり、触れたりしている様が見て取れる。見た目はただ銅の筒を組み合わせたような、単純な釜にも見える公共設備。
『それだけで済むなら良いが…』
 と征士が暗に思っている背景には、彼が当麻の『分解癖』を知っているからに過ぎない。だから目を放せないのだ。
 当麻が人類初の機械学者を希望する、今へのプロセスは正に、あらゆる物の内部構造への関心から始まっている。導き出される結果に対して、何故そうなるのかを知ることの方が、彼にはずっと重要で魅力的に感じられるようだ。そして彼の原点は常に、己の目でそれを確かめることだった。確かにそれが最良の勉強と言えるだろう。拠って彼が、未知の構造体を調べたい気持は充分理解できる。
 だが、国民の非難も恐れず案内に徒してくれる王と、この水源を守る人々に失礼があってはいけないだろう。自分の時計を壊された時には、ただ呆れるばかりで済んだことだが、と征士は考えている。
 するとその矢先、征士の耳にはギシギシと金属の擦れ合うような、不安を誘う嫌な音が聞こえて来た。しかし、「もしや」と慌てて近寄ろうとした征士の、挙動を遮るように当麻はそこから離れてしまった。そして皆の方へと歩き出してこう言うのだ。
「意外と単純な構造だったなぁ、あれに温度調節があればもっと効率が良い筈だ」
 その内容はつまり、空気中に浮遊する水分をより多く結露させるには、外気との温度差を作るのが有効との意味だろう。
 人の心配を余所に、とは言え、当麻は当麻なりの気遣いをしていたことが判る。何より目に見える結果を出すことが、この国の為になると考えたに違いない。それもまた、結果に至る原因を正しく理解できる、そう言う彼ならではの発想だった。
「王宮に戻ったら早速考えてみよう」
 揚々として追い付いて来た当麻に、征士も余計な文句は言わなかったけれど。

「ここは『雨竜の泊(とまり)』と呼んでる所だよ。ここで休んでいる姿がよく見られたから、そう呼ばれるようになったんだ」
 前もって言われた通り、そう広くない町中の様子は日が暮れる前に、大方見物を済ませることができた。その後に、彼等は城壁から出てすぐ目に飛び込んで来る、この山の真の山頂を見せてもらうことになった。そこがこの国に重要な場所だと言うので。
「祈りの度に民はここに来る、熱心な者は毎日ね」
「野外神殿と言ったところか…」
 シンの説明に、当麻はそう返しながら目を見張っていた。太陽信仰のある国など、天井を持たない神殿はアスールでもしばしば見られるが、それら人間の建造物とは比べようもない、偉大な自然の造型は見事としか言えなかった。
 何と言う風景だろう、傾く陽が茜色に空を山を染めて、取り巻く広大な湖を全て黄金に満たしていた。過去は噴火口だったらしい、クレーターのような擂り鉢はまるで玉座のように、神聖な白色に凍り付いて、神の出現を待つ場所として申し分なく映えていた。竜達の支配するこの広い世界の、美しさと調和の豊かさを一望できる山頂。
「すっげぇ眺めだなー!」
 又その手前には、祈りに捧げられたらしき花や供物が積まれて、既に大半が牧草と化している様。その意味するところは、そうなるまでの長い年月、ここに座すべき者が現れていないと言うことだろう。祈りを捧げた年月に比例する恵みもなく、民人の苦悩は続いていることを思う。
「僕も毎朝ここに来るけど、この十年、他の雨竜の渡りさえ見なくなったよ。…僕らは余程嫌われちゃったらしいね」
 シンは最早悲しみさえ凍り付いたように、穏やかな口調でそう話し、遠い空の何処か一点を見詰めていた。
「だが、償いならもう充分だと俺は思う…」
 そしてリョウも本音らしき言葉を静かに続けている。
 何故彼等の思いは届かない。
 国民の全てに非があった訳ではなかろうに。少なくとも残された王家の、年若いふたりには何の罪もありはしない。それとも人間などは、神から見れば全てひと絡げの存在だろうか。誰が善くとも悪くとも、全てがその咎を負わされるのだろうか。
 何故飛竜は未だ戻らない。
『どうにかしたい』
 王とその家臣が思うより先に、征士の頭にはその言葉が渦巻いていた。
 何故だか解らないけれど、否、最初からこの国には特別な思い入れがあったけれど、征士には切に願う、それこそ祈りのような気持が常に存在した。この小さな国を守りたい、この国の優しい王を守りたい、常にモンハラードが平和で豊かであるように。
『私に何かできないか?』
 未来永劫この国の歴史が続くように。
『私に飛竜を呼び戻すことはできないだろうか?』
 幾ら目を凝らそうとも、美しい夕映えの空に飛竜のシルエットは見出せなかった。美しいばかりで満たされない無限の天界は、征士の意志を尚濃く炙り出して行くようだった。

 竜達を神とするなら、彼等は全てを見ていてくれる筈なのだが。



つづく





コメント)さて、一応説明しなきゃならないんですが、三人が居た「アスール」と「モンハラード」の時代設定について。モンハラードの方は文中の通り中世、16世紀頃として書いてますが、アスールの方も近代化が始まったばかりの18世紀頃です。既に理解していた方はどうもありがとう!(笑)。まあ、その辺りを作中で詳しく説明するとなると、余分な話(アスールの三人の話)が異様に長くなるので書かなかったんです。プロとしてご飯を食べる為に書くならともかく、あくまでこれは征伸の小説…。
いや、文章の他に絵で表現するって手もあるけど、本なら大きな挿し絵が入れられるのに〜と、ちょっと残念なところもあります。
それにしても伸と遼は可哀想な役回りであります。話を考えながら涙したくらいです、わたくし。



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