三者会談
メタモルフォセス
#1
Metamorphoses



 雲海の細波に見ゆ、散りける珠は玉石混淆に妖しかれども
 宿無き光陰はみな清らにして、生くる命の罪を知らしむもの也
 吾が眼に映るをかしみよ



 鎧世界は今日も静穏な様子だ。否、目的を見出せぬ静穏はあまり有難くない。
 一度ここから地上へ落とされたが、柳生邸に立ち寄りまた戻ることができた。そして現状のキーとなる人物、人物と言って良いかは不明だが、迦遊羅の話では迦雄須一族の神だと言う、「天つ神」に再会することもできた。
 迦雄須亡き後、未知を埋める存在の無い身には、何らかを縋ることになる神の使いである。再びまみえる時には、新たな扉が開く期待を抱いて当然だった。すずなぎとの約束の縛りを一部解いたらしいのは、この天つ神の意思なのだから。
 しかし、現状は特に何も進展していない。
 神の言葉とはそうしたものなのか、或いは天つ神がそんな性質なのか、判断しようもないが、五人には鎧世界の理屈のみを伝え、どうしろとも何も語らず去ってしまった。何と不親切なことだろう、せめて出入りの方法くらい伝えて欲しかった、と誰もが思う再会だった。
 ただ、新たな鎧を得て戦いを続けると、選択したのは彼等自身だ。迦雄須の祈願に拠るものではない、新たな活動と結果は、彼等が自ら得て行くのが筋かも知れない。その上で、仮に鎧世界と呼んでいる雲上界の、構造を明かしてくれたのは重要なことだった。それ自体がひとつの飛躍的進歩だ。
 ここは地球上とは違う世界。
 重力のように思える力は重力でなく、生物の意識のエネルギーなのだと言う。故に常に揺れ動き、その時々で方角も変化する。方角の範囲も歪む。同じ雲上界のひとつである妖邪界が、ここまで不安定でないのは、創造主が地上の人間だったからだろう。無論阿羅醐のことだが、彼は彼の望む地球状の世界をそこに構築した。対して鎧世界は、そのような意識で造られた場所ではない、と明確になった。
 さて肉体を持つ人間が、そうでない生命の意識を想像できるだろうか?。無理難題ではあるが、地上の理論で考えようとしなければ、ここはより自由な世界だと言う。不安定であるが故に、鎧世界は常に亜空間に重複している。亜空間には物理的距離が存在しない為、ここは各時空の通過点に利用でき、何処からも入れて何処にも出られる場所らしい。
 思えば輝煌帝の件で、烈火と光輪がアフリカへ連れて行かれたが、ムカラがそうした訳ではなかった。後に伸が自ら水滸を連れて行った為、人の意思を受け、鎧自体が亜空間移動したと考えられる。つまり嘗ての鎧も不安定な存在だったと示す話であり、そう整理すると理解し易い。
 安定にも不安定にも利点がある。地上の人間は安定を好む傾向があるが、安定状態から生み出される物は少ない。代わりに不安定には、爆発的な展開を生む可能性があると、当麻などにはすぐ思い付けたことだろう。 放射性物質に然り、世界戦争の時代に然りだ。
 と、言うようなことを天つ神は伝えてくれた。と思う。
 思うと言うのは、発した言葉が観念的で難解であったことと、それが事実なのか確認しようがないからだ。何処にも出られると聞いたところで、具体的にどうすれば出られるのか判らない。ともすれば迦雄須も過去、このような過程で悟りを開いたのかも知れないが、当麻を中心に五人はまだ、その答の断片すら見出せていなかった。
 この六日程の間…



「おい、起きろよ?、どうしたんだよ?」
 声を掛けられ、突然意識を取り戻した遼は、確かに酷く疲れたような顔をしていた。
 交代で誰かひとりが休憩する間、誰かひとりはその番をすると決めた。つい先程までここには征士が居たが、秀と入れ替わり、この後は秀が休んで遼がしばらく番をする。
「…あ…?」
 しかしそんな遼に、直ちに見張り番などこなせそうもない。彼はなかなか己を取り戻せずにいるようだ。何が起こったか、単に眠りが深かっただけとは思えない。この温暖な環境で変に汗をかいている様が、起こした秀の目には確と見て取れた。彼はその前に、既に寝顔がまるで起きているかのように、険しく歯を食いしばっていたのを見た。苦痛に堪える風ではなく、何処か緊張感のある表情をしていた。
 この鎧世界には、突然高速で近付いて来る標的も存在する。警戒の意識が強いだけなら構わないが、秀が思わず声を掛けたのは、遼が眠りながら何かを手繰るような、妙な仕種をしたからだった。寝惚けている訳でもなく、何かに操られているようにも見えた。
 だが秀の心配はひとまず杞憂に落ち居く。五分ばかり辺りをボーっと眺めていた遼は、その内徐々に普段の彼に戻って行った。
「…済まない…、何でもない」
「なーんだよ!、驚かせんなって!。寝起きの悪ィ遼なんて珍しいな?」
「ん…、うん…」
 今は特に何も見えない、雲上界の空の一点に集中する彼の瞳は、ごく正常な様子に戻っているけれど、何故かそこから話が続かなかった。御存知の通りこのふたりは、五人の出会いの早い段階から馬が合い、恐らく最も気安い相手の筈だ。大体柳生邸が賑やかな時は、このふたりが中心に居るものだった。
 それが今はとても静かだ。
「ホントに、どうかしたのか遼?。寝不足って感じでもないが?」
 声のトーンを落とし、秀はこうしてしばしば気遣い屋の一面も見せる。豪快で粗暴に振舞う表面とは違い、彼の本質はそうしたものだと今は誰もが知っている。すると遼はその心情を察し、自ら空気の流れを変えるように言った。
「寝不足なんてことはない、さすがにこの環境には慣れたよ。そうじゃなくて今…、起きがけに変な夢を見てたんだ。何かの物語みたいな、長い…」
 ただ、そのキーワードを耳にすると、今度は秀の方が硬い表情を見せて止まる。ピクリと眉が反応したかと思うと、彼は冴えない声で呟いた。
「夢か…」
「・・・・・・・・」
 秀が固まっているので、遼も再び黙ってしまった。
 長い長い夢。ここに居る仲間達が必ず居る夢。必ず何らかの事で苦悩を味わう夢。そんな夢には秀も心当たりがあった。体は決して寝不足を訴えていないが、何故か眠る毎にそんな夢を見ている気がする。自身にその気分の悪さがあった為、秀は今一度遼に尋ねた。
「何か、気になることでもあんのか遼?」
 けれど前途のように、時を刻むほど遼の状態は健全に戻っていた。秀がそこまで気に掛ける必要もなさそうだった。
「別に何もない。ただの夢だろ。ああ、交代だな秀」
「お、おう!。じゃ俺休むわ」
 こんな時、不安な感情に流されないリーダーは頼もしい。ただ秀は安心したものの、遼の態度には些か疑問が残った。当麻ならともかく、遼はどちらかと言えば感情的な性格だと思う。例え夢でも気が動転することはあるだろうに、変に捌けた言葉を繰り出すのが奇妙だった。
 何かが変化している。一体何が?。
「次は誰と交代だ?、当麻だっけ?」
「それまで頼んだぜ。あいつのことだから来るの遅ぇと思うが」
「ハハハ」
 けれど何も感じないようで、やはり遼にも思う事があるようだった。ぼんやり明るいままの空間で寝る為に、秀はアイピロー代わりのバンダナを、いつも目の上に巻き付けている。その視界が完全に塞がれる直前、
「秀、」
「ん?、何だ?」
 遼は一度彼に何かを話そうとした。無論話したい事があったのだろう。しかし、
「…いや、後にしよう」
「ああ…」
 今現在の仲間の状態を万全に保つのも、与えられた使役の為に必要な事だと、彼は思い直して話を止めた。秀が充分休んだ後に話せばいいことだ、と覚った。
 見ていた夢の話など…



 休息するひとりとその番をするひとり、その他の三人は、以前から継続して鎧世界を解明すべく、計測や議論を重ねる時間が続いていた。現在は当麻がこちらに居る為、活発な議論が進む時だった。
 まあ想像に易いと思うが、当麻や伸が抜けてしまうと、科学的、或いは数学的見地での議論が成り立たず、ほぼ感覚的な会話になってしまう。当麻はその時間の無駄が気になるようで、毎度なかなか眠ろうとしないのだ。特に今は、征士が見張りの交代から戻って居らず、伸のみが残っているので、最も彼の思考が進展し易い状態だった。
 不思議なもので、征士の方が伸より遥かに理性的であり、当麻の感覚に近い筈だが、彼の理論構築の助けになるのは伸の方なのだ。否、それがつまり安定のデメリットだろう。不安定こそがエネルギーを生み出す元である。
「つまりこの羽は東西南北でも、常に均等に方位がある訳じゃないんだ」
 伸は例の、白炎が運んで来た羅針盤のような器具を眺め、四枚の羽が妙に偏ることをそう話した。磁石ではないかと、始めから察しはついていたものの、天つ神の言葉を聞かなければ、この世界の方位をそう語ることはできなかった。
 当然地上の方位は九十度ずつ、均等な四分割で表されるもので、磁力にはそうした性質があると学校でも習う。そうした性質だとの意識があれば、この磁石は壊れているとしか言い様がない。だが重力が重力でないなら、磁力も磁力ではないと考えるべきだろう。だから鎧世界の方位は一定ではない、と言えた。
「まあ、人間から見るとそうなんだろう」
 但し当麻は、地球人の感覚からでは測れない、五次元、六次元的な視野も考えそう返す。
「人間の使う道具じゃないの?」
「無論そうだが、世界は人間の為に在る訳じゃない。その他の存在から見れば、何らかの絶対的方位は変わってないのさ」
 それはとても広い、宇宙的感覚での見方で当麻らしいとは思う。ただそう言われても、地球人である限り得られぬ法則など、この際不要と伸は考える。いつか解明することがあるとしても、今は人間としての運用法を得るのが先決だ。
「うーん…、生命のエネルギーで歪んでるのは、人間からの見え方だけってこと?」
 と伸は、尤もらしい当麻の説は流して話を戻す。まずそれを理解しなければ、方位が存在しても思う方向に動けないだろう。これまでと同じく、何処とも判らず彷徨うことになる。その伸の質問には、当麻は明確な答を見付けられていたようで、
「見え方じゃない、この鎧世界に地上の生物が居る場合だ」
「ああ…そうだね、僕らの体は地上向きにできてるんだ」
「だから鎧世界の不安定さは、道具を使わなければ俺達には測れない」
 つまり本来は、三次元的肉体を持つ生物の世界ではない為、方位もまた人間の考えるそれとは違うと、この説明には伸も納得していた。何故ならここには死後の魂しか存在しないと、これまで嫌と言うほど見て来たからだ。
 或いは鎧もその一種なのかも知れない。故に鎧を持つ彼等はこの世界に存在できる。否、正しくはすずなぎに送り込まれたので、自ら得たい世界観ではなかったが。
 しかしながら、知り得ない筈の見聞を広められたことは、幸運と捉えることもできるだろう。
「まあひとつはっきりして良かったんじゃない?」
「う〜〜〜ん…」
 伸は天つ神に与えられた、矢鱈に難しいヒントを素直に喜んでいる。対して当麻は、未だ何も分析できていない現状を、喜ぶ気分にはなれないようだ。ふたりの性格の違いは、この通り以前と変わらないが、そもそも以前の当麻は、天つ神が何者かを疑ってもいた。今はそれなりに信用できているようで、お告げに沿った謎の解明に熱中している。そんな様子を見ると伸はまた、良い変化だと更に喜べるようだった。
 天つ神は必ず僕らを助けてくれる。伸は当麻が鎧世界の背景を確信するのと同等に、その部分に確信を持てるようになっていた。何故そうなったかは、今は敢えて話さないけれど。
「何でこの羽が完全に下に落ちてるんだか」
「ずっとそうじゃないか。ここに戻って来た日だけは浮いてたけど」
 さて、仮に羅針盤と呼んでいる計器の、方位を示す羽にはもうひとつ謎があった。四枚の羽は輪投げの輪のように、中心の柱に引っ掛けられているだけの構造だが、それが台座の上で動く時と、少し浮いて動く時があるのを見た。今のところ何を表すのかは判らない。恐らくもっと高く浮く時もあるようだが…
 と、ふたりが考える所で、秀と交代して戻った征士が遠目に見えた。
「向こうは問題なかったー?」
 伸はやや声を張り上げて言ったが、征士はもう少し近くに来てから淡々と話した。
「ここずっと敵らしきものは見ない。遼が着いているから大丈夫だろう」
 そんな噛み合わない様子からは、どうも征士は少し上の空のようだと知れる。しばしばそのような時があるので、伸と当麻は特に気にしなかったが。
 実は、征士は見張りをしながら、遼の眠る様子を酷く気に掛けていた。先程秀もその不安な感覚を得たところだが、四時間ほど遼の横に居た征士は、その何倍も悩むことになっていたのだ。即ち、何故か全ての者の睡眠状態がおかしいと。
「だったらいいけど。僕も特に気配は感じないし」
 交代の報告を聞いた伸は、普段と変わりない調子でそう返すが、それさえ不自然に征士には感じられた。何故ならこの五日ほどの間に、伸は二度、眠りながら泣いていたのを知っている。またその向こうで、しげしげと計器に見入る当麻も、ある日酷く眉間に皺を寄せ、苦悩の表情で寝ていたと遼から聞いた。
 誰もが悪夢を見ている。間違いなくそう言えるのは、彼自身もまた心を掻き乱されるような、重い内容の夢ばかり見るからだった。そもそも寝ている間に見る夢は、短く支離滅裂な内容であることが殆どなので、整然と長い夢を見ること自体奇妙だ。
 また、受けた心の衝撃を誰も話そうとしない。当然「夢を話しても」と考えるからだが、始めはそうでもここまで続くと、そろそろ状況を確認した方が良いかも知れない、と、考え始めるタイミングだった。恐らく征士だけでなく、誰もが薄々気付いている筈なのだ。以前起こったことのない事態が、何かを境に始まったようだと…
 しかし、彼がそんな推考をする内にも、当麻と伸は何も無いような顔で話し続ける。
「伸がそう言うなら、今は本当に何も存在しないのかもな」
「何も存在しないってことあるかな?」
「さあ?。だがここに戻った日、天つ神が去った後にはすぐ感知できただろう?。俺にも見えたし、伸はもっと遠い敵を感じ取っていた。それを一掃してからこの状態だからな」
「確かに、力は強くなってるらしいけど、あれから何も捉えられないんだよね」
 新たな鎧の具体的な能力は、未だ殆ど解明されていない。伸が感覚的に敵を察知する力は、確かに広範囲に及ぶようにはなった。逆に当麻の超視覚的能力は、ある程度の範囲に限られたままだ。代わりにその構造まで透けて見えるようになった。征士は変わらず力の増幅しか見出せていないが、遼の攻撃力を増幅する他、秀には防御力を増幅することが判った。僅かその程度の分析状況だった。
 多彩な戦いを求められる機会があれば、それらは一気に進展する可能性がある。但しこれまでのところ、鎧世界の単調な作業を繰り返すのみで、ごく僅かな部分しか育たずにいる。もどかしいような、その方が平和なような、どちらにも寄れない彼等の心境は複雑だ。
 その上で、夢は彼等に何を伝えようとするのか。
「位置によって相当バラつきがあるのか」
 当麻が現在地からの観察を話すと、そこでようやく征士も会話に加わった。
「それは前から、たまに密集地帯に出会すことがあっただろう」
 地球上でも同じだが、物質や人が地表に均等に存在するだろうか?。落ち着き易い条件の場所に偏るのが自然だと、当麻にしては今更な発言を否定する。だがそれには続きがあり、
「或いは、個体数が多い時と少ない時があるのか」
「そう言われれば、妖邪界に送られる前後から、ずっと閑散期と言う感じだな」
 その方が征士には納得できたようだ。死者の魂に質量があるかは不明だが、我々の目を避け、ごく狭い一点に全て収まっているとは、あまり考えられなかった。肉体を持たぬ不利点を想像しても、危機感を固定し、一ケ所に留まるようなことは不得手な筈だと。
 また敵と言える亡霊は皆、今を生きる人々へ何らかの影響をしたがっている。その中には五人の鎧戦士も含まれる。だから向こうから現れることが多く、こちらから敵を探しに歩いたことはない。それでも適当に遭遇するものだったが、明らかに当初の様子とは違っている。すると伸も、
「そうかも知れない、閑散期と繁忙期があるんじゃないの?」
 そう言って笑った。ふと、商学科の講議を思い出したようだった。まあそれも世界の動きのひとつ、消化した食物がまた育つには、ある程度の時間が必要である。その意見を受け当麻も、ほぼその通りの仮説を口にしていた。
「俺達がここに来て、もうそれなりの数の敵を浄化したからな。また数が増すには時の経過と、何らかの出来事も必要かも知れない」
 出来事と言う言葉を置き換えれば養分だ。一定期間に必要な養分を与えられ、育つ植物のイメージは大層明るいものだが、
「戦の怨念など増えてほしくもないが」
 と、征士の呟くように、誰も歓迎しない状態である。地球上には常に争いが満ちている。無惨に虐げられる魂を生産し続ける。無論その呪いのような苦痛から、人心を救ってほしいとすずなぎは来たのだけれど。
 ただ、そこで伸がまた、彼に取って常に疑問を抱く話を続けた。「また」と言うのは、これまで幾度も似たような議論を持ち掛けていた。
「不思議だね。死んだら自我なんて、無くなった方が穏やかになれるのに、そう望む人は多くないんだよ」
 そう、すずなぎにしても、深い傷を負った心を永らえさせるより、何処の誰などと言う記憶を手放す方が、遥かに楽だった筈なのだ。勿論彼女にも幸福な時代はあっただろう。優しい記憶が存在するからこそ、自我に捕われる理屈も理解できる。けれど過ぎた時間は戻らないと、古の人々も判っていた筈なのだ。家族や恋人との思い出は思い出のまま、繰り返されることは決して無い。
 判っていながら何故足掻くのか。己の存在を維持したがるのか、伸はもうずっと考え続けている。そのひとつの可能性として、当麻はありがちなパターンをこう話した。
「それが最も人間らしいエゴなんだろ。死んでも極楽浄土で幸福に生きたいと」
「そりゃ戦乱や飢餓の時代なら、天国で幸せになれるなら頑張ろうと思うけどさ」
「今だって、個々の魂は救われてないんじゃないか?」
 伸の言う意味は判り易かった。人類は死に易い時代を乗り越える過程で、死への恐れを強く深層意識に残した。理由は何であれ死にたくないと、誰もが漠然と思うのはその所為だ。だがそれだけでは彼の疑問は解決しない。当麻の言も問題にはならない。肉体を失った後の魂も、苦痛のまま存在するのが嫌ならば、自ら消滅することもできる筈なのだ。だがそう選択しないのは何故なのか?。
 何故誰かに関わろうとするのだろう。何故何かに頼ろうとするのだろう。
 何故悲しみが断ち切られるのを待っているんだろう。
 或いは人は何処かで無意識に、死後の世界の存在を望んでいるのだろうか。次に、もう一度、今度はより良い方に導かれたいと、他力本願の欲求を抱えているのだろうか。まあ太古の昔は、人も自然環境と一体の生活をしており、全て自然の力の為すがままだったと、想像はできなくないけれど。
 自然の力とは潜在的な神である。神に頼る以外に無かった時代は長い。人は全て頼る。人は全て要求する。根本的なその性質をエゴと呼ぶのか…?
 と、伸が考えていた時、同様に考えているようで、突然口に上って来た言葉を征士は吐いた。
「どれ程平穏になろうと、死んだ後では意味がない」
 これまでの会話の流れに、接続してはいる内容だが、彼が自ら話そうとした様子ではなかった。何故だかぼんやりと虚ろな目になり、僅かな身動きもせず征士は止まっている。
 そしてそれを見るふたりも同じ状態となった。
 何かが起こった。
 時が止まっているかのような三者の間で、それぞれの口から奇妙なシグナルが交錯した。
「…伸、は、メソポタミアの月の神で…」
 先程の征士のように、無意識に台詞を読み上げる調子で当麻が言うと、
「…ぼ、わ、私は月になど行けない…」
 伸もまた、普段は使わぬ一人称でそう続けた。それを聞くと征士はまた単調に、
「…不滅などあり得ぬ…」
 催眠にでもかかっているように言った。否、これは確かに集団催眠のようなものだ。何らかの共通の意識がそうさせている。
「…私は充分生きて死にました。死後の世界はありません。誰に会うこともない…」
 だが伸には判らない。おかしな事を話しているのが判らない。
「…死後の世界など無い…」
 征士にも判らない。何故伸の話すことを確認しているのかも。
「…神々の物語は…」
 だがそこで、偶然か当麻の視界に揺れる影が映り、彼の意識は突然現実に戻った。
「…まっ…、待った!、正気に戻れ!!」
 彼が焦燥した口調で怒鳴るのを聞くと、他のふたりもはたと我に返っていた。各々目の焦点が正常に戻り、何かが起こる前の状態に戻ったようだ。異常事態は、時間としてはごく短いものだったが、しかし、精神的に多大な衝撃を与えるものだった。
「何だこれは!?」
 暫しの間の後、征士は不測の事態を叫ぶように言った。恐らく彼が最も取り乱すであろうことは、当麻にも伸にも理解できていた。何故なら征士に最も辛い夢だった筈だから。
「…シンクロした?、と言うかトランス…?」
 と伸が続け、確かにそう言えることではあったが、それより重大な発見をしたと当麻は興奮気味に返す。
「いや!、いや!、そんなことよりおかしいだろ?。みんな同じ夢を見たのか?」
 実際その通りだったようだ。顔を見合わす三人がそうでなければ、このやり取りをできる筈も無い。日々眠る毎に見せられた夢は、実は五人共同じ内容だったのではと、当麻はこの時即座に思い付く。何故なら主要な登場人物が常に五人であり、他も鎧戦士に縁ある人物ばかりだったのだ。過去に見た、己と迦雄須の問答のような夢とは、明らかに性質が違うと彼は確信した。
 だがそこで、
「違う!」
 と、征士の強い反論が響く。今更何を否定するかと、意表を突かれた当麻は彼の発言に集中した。そして征士の考えも尤もだと気付くことになる。
「同じ夢ではない。おかしいと言うなら、何故伸は死んだ後のことを話している?。私は死後の伸がどうなったかなど知らん」
 そう、場面は同じでも、あくまで自身の主観でしかなかったと言うのだ。すると伸も、
「そうなんだよね。多分、これの元は征士の夢なんだ。と僕は思う」
 と素直に受けて続け、征士もまたその経過を当麻に説明した。
「最初に見たのは確かだ。柳生邸に泊まった夜、所々断片的に見た夢が後からはっきりした」
「ああそうだ、あの夜君は何だか苦悶してたよ、寝ながら」
 ふたりの事実の証明を得ると、さすがに当麻も当初からの順序を考え始める。
「そうか…、俺はここに来てから見た内容だ。最初からはっきり長い夢だった。柳生邸では別の…、そう言えば秀も朝から夢の話をしていたよな」
 そして漸く共通の事実認識が生まれると、征士も今は大分落ち着きを取り戻し、正確な現状を話せるようになった。
「憶えている。あれから私も様々な夢を見た。恐らく全員そうなんだろう」
 征士がそろそろ確認しようと考えた、眠っている間の仲間達の心配な様子を、予想外だが自然に話すことができた。恐らくそれだけで彼には満足だっただろう。自身には泣くほどの事は無かったと感じるが、より苦痛を味わう誰かは居た筈なのだ。
 人生の重荷は、それを背負える人間に与えられると言うが、征士は多くの時に傍に居た、伸の心が不安でならなかった。ともすれば己が苦痛を与えていたとも考えられるからだ。
 けれど、その本人はまるで違う所を見ていた。
「でも、夢のようで夢じゃないかも」
「え?」
 ここまで進んだ話を覆す発言に、当麻は今一度慎重に耳を傾ける。すると伸の話す事もまた、確かにそうだと納得させられるものがあった。
「だって、他人の夢なら客観的に見えるんじゃない?。みんなで映画を観るようにさ」
 つまりそれは、他人の夢のようで自身の夢でもあると言うこと。否、自身も別の立場から同じ経験をした事実だ。するとその明確な例を、征士と伸はこぞって話し聞かせた。
「…そうだ。私は当麻がローマ市民なのが何より羨ましかった」
「僕は当麻が、遼と秀を責めるのが怖かったよ、例え正論だとしても」
 ふたりはそれぞれ、秀の夢らしき話、当麻の夢らしき話をしたが、共に当麻には知り得ないことだった。場面は判るものの、各々どう感じていたかは彼には見えなかった。
「う…、ん…?。確かにそうらしいな…」
 成程、誰にも主観的な夢だったことが今は知れた。本来の夢とはそうしたものだから、個々の感情を最も憶えているのは間違いないが、同じ夢で違う立場に存在するのは、夢と言うより演劇的な状態だと感じた。恐らくそうに違いない、仲間達はそれぞれ役を振られ、夢の出来事を経験させられたのではないか、との考えに当麻は至った。
「共有したのはただの夢じゃない、現実に起きたような事だ」
「現実に起きたような事?」
「聞かれても判らん。恐らく俺達はそれぞれ違う夢を見て、それを他の誰かも見ることになった。そこには必ず俺達五人が存在し、それぞれ同じ場面を経験した記憶ができた。そう言うことだ」
 伸の質問に答えながら、当麻は意識して征士にもそれを聞かせている。すると誘導されたように征士も疑問を投げかける。
「記憶ができただけなら、現実に起きた事とは違うだろう?」
「いや、同じようなものだ。記憶は感情を左右する基盤なんだからな」
 そう言われると、思い当たる節のある征士は黙ってしまった。
 経験により心は変化する、或いはそれを成長と呼ぶこともある。例えば征士はこれまで仲間達に、弱く庇われる存在だったことがあるだろうか?。精神的な面とは別に、戦力外の立場であったことはない筈だ。
 間違いなく事実として経験した中では、純やナスティのような位置付けから、事の流れを見ている夢があった。そして彼はそのような立場の人生も、悪いものではないと知ったところだ。眼前の敵を薙ぎ払うばかりが対処ではない。逃げ隠れることも、助けを呼ぶことも、弱き者には正しい手段であり恥ではない。甘んじて状況を受け入れられるか否かが、人の幸福を左右すると彼には考えられた。
 それは何やら、普段から伸の話す理屈のような気もした。
 人は通常複数の視点は持ち得ず、複数の生死を体験することもない。だが例え記憶のみでも、鮮明で詳細なそれは事実と大差ない、と言う当麻の話に、征士も特に反論する点は無かった。ただ、
「現実に近いとして、何の利益があるのか」
 との素朴な問いに、
「知るか!」
 当麻は何故かいきり立つように反応する。その妙な態度の変化を見て、征士も伸も、その瞬間は驚いたが、すぐ後には彼の状況を察することができた。
 これまで彼自身が話したように、新たな経験は少なからず心に影響するようだ。また当然その中に、ほいほいとは飲み込めない嫌な経験も紛れている。恐らく当麻の得た何らかの経験が、まだ理論的に彼に馴染まないのではないか、と感じられた。
 でなければ、何事も意欲的に追究しようとする彼が、先に否定の意思を示すのはおかしい。似たような経験を正に今共有する仲間には、そんな現状も想像に易かっただろう。

 全て、この一週間ほどの間に見た夢であり、誰もがその内容を即座に思い出せる。
 嘗て当麻は時代の最先端を行く国の、一風変わった知識を持つ少年であり、カソリック教の説く理想的平和が、現実とは異なることに憤っていた。
 嘗て当麻は人気興行を営む家の息子であり、それなりに恵まれていたが、彼の本当の望みとは違う生業を引き継ぎ、そこに収まる人生を送った。
 嘗て当麻は大国の賢人を父に持ちながら、反発した異端の青年になり、埋もれていた歴史を発掘する内、世界の無情は繰り返されることを悟った。
 嘗て当麻は子供ばかりの集団の、最年長であり冷静なブレーンとして働いた。失った国を新たに再建する為に、どれ程頭を使い生き延びたのか知れない。
 それらは他の四人の客観的知識であり、当麻には恐らくその後の記憶も存在する筈だった。ガリアに戻った当麻少年はそれからどうしたのか。ローマの変化と共にラニスタの仕事はどうなったのか。老いて古代王朝の不条理をどう納得したのか。そして、何らかの迷える事情を抱える彼に、群の巫女はどんな課題を与えていたのか。それは当麻のみが知る重要な部分なのだと思う。
 征士と伸は、敢えてそれを話させようとはしない。彼等に取ってもあまり話したくはない、個人的な思いが含まれることを知っていた。だが当麻の激しい否定については、やや意地の悪い意識で詰め寄りたくもなる。まあ伸のみの考えで、征士は特別思い当たらないようだったが…

 恐らくそれを解決した時、何らかの新たな展望も生まれる筈だ。
 我々は次の階梯に足を踏み出し、より充実した活動の始まりとなるかも知れない。
 そう明るい期待を持てている伸には、どうしても当麻にちょっかいを出したいところがあった。何故ならどの時代に生きようと、彼は常に真の世界を見付ける存在だった。彼が変化し成長することが、今後の鎧戦士の為になるのは間違いない、と感じていたからだ。



つづく





コメント)予告通り去年11月に終えた回顧録シリーズの、顛末的話を始められました!
色々あって遅れ気味だった割に、結構すらすら書けたのは、多分回顧録がものずごく辛かったからだと;。今は私自身も夢から解放された気分であります(^ ^)
つづくとなってますが、この話はあと1ページで終わりです。ある意味ギャグみたいな展開になったりするけど、まあちょっとだけお楽しみに…!
但し、以前何処かで、「回顧録シリーズは読まなくても大丈夫」、みたいなことを書いた気がするけど、こりゃやっぱり読んでないと訳わからん話だな、と言うことになってしまった。すいませんが未読の方は、是非前の四作を読んでやって下さい。相当長いのもあるけど…(^ ^;



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