地球へ行こう
メタモルフォセス
#2
Metamorphoses



 何の意味があるのか、是非当麻の考えを聞かせてほしいのに、彼は突き放す態度を見せたので、伸は仕方なく別の発見の話を始めた。
「この夢って新しい鎧の見せたものかな。それとも天つ神の力か…」
 会話に夢の話題が出る前に、当麻が何故天つ神を信用する気になれたか、伸が密かに喜んだ理由である。
「ウィ、って言ったね」
 それが何だったのか、誰を指す言葉か、他のふたりも既によく理解していた。あまり気乗りがしないようではあるが、当麻もその存在に対する議論には乗って来た。
「天つ神の名が、本当にそうだとしたら意味があるだろうな」
 何故なら迦遊羅が話したように、天つ神とは過去は生き神であり、人々を導いていたとする言い伝えの、一例を得ることになったからだ。そう、当時は少し変わった存在と言うだけだった者が、後に神格化された話は数多にある。釈迦にしてもキリストにしても、肉体が生存する間は神ではなかった。カソリックの聖人なども、生前からその位を与えられることはない。
 それを思えば、古来から続く宗教の神々は、皆実在した何かであり、何らかの超能力的な力を持っていた為に、後世神と語られるようになった、とも考えられた。一部の考古学等で語られるように、太古の人々は比率的に特殊能力者が多く、道具や社会の未発達な世界でも、超越した能力を発揮することがあったそうだ。
 現代人からほぼ失われてしまった力が、過去には当たり前に存在した。
 天つ神が古の時代に生きた人間なら、そんな力を持つ可能性は当然あるだろう。
 そして、このような形で我々に関与して来たことの、意味を再び征士は問い掛ける。
「では天つ神が夢を通し、何かを伝えて来たと言うことか」
 けれど当麻は、「夢じゃないかも」と伸が感覚的に捉えたことを、忘れてはいなかった。寝ている間に起きる現象なので、便宜上「夢」と話しているものの、既に通常の夢ではないと結論が出ている。ではそれは何なのか、を、推論ではあるが当麻はこう話した。
「もしくは、天つ神が創造した新たな過去、新たなひとつの歴史かも知れない」
 輪廻転生を信ずるなら、五人の過去を見せたと彼は話したかも知れない。否、そうでなくとも、夢の内容はヒンズー教の輪廻論とは、かなり違ったものだと彼は気付いていた。
 何故なら生まれ変わる度、身分も姿も呼び名も変わらなくては、宗教上転生する意味を失ってしまう。だが五人は常に五人であり、姿も呼び名も現在と大差が無かった。五人だけでなく他の登場人物も、まるで自ら配役したように、知った顔と名前が常に居た。つまり酷く不自然な事例なのだ。
 あまりに突飛な話なので、
「過去を作るなんてことができると思う?。昔に遡って?」
 目を丸くして伸が続けると、当麻は前にも話したように、
「俺は知らないと言っている、条件から考えられる可能性だ」
 真贋を見極められる段階ではない、と言うばかりだった。過去、地球上の活動に於いては、しばしば彼の知識が煩く感じる時もあったが、今現在の彼には、とてもそんな面影を見ることはできない。
「少なくとも、俺の頭はまだ人間の域を越えちゃいない。人間以外の存在が、世界や時間にどう関れるかは不明だ。ただ結果的にそんな格好になっているらしい、と考えただけだ」
 不確かな事を不確かだと言う、当麻の公正さは変わらないと感じるものの、それでは「智」の文字を持つ存在として、少しばかり淋しく感じる。またそれと同時に、どうも答をはぐらかされているようで、征士は敢えて愚直な質問を繰り返した。
「過去を作ったとして何になるのか」
 その意味は何だと、彼は幾度も尋ねているが、何故か当麻はその可能性を論じようとしない。結局今も、誰でも思い付きそうな事を話すだけだった。
「まあ、より強い結束が生まれるとか、人の愚かな歴史を生で知れるとか、そんな事だろう」
 現時点では妥当な返事でもあるが、注意深く耳を傾けるふたりには、それでは納得できなかったようだ。困難に直面する度、様々な考えを巡らせ雄弁になる彼が、そんな単純な想像に落ち着く訳がないと。
「そうかなぁ?」
 と、早速伸は異義を唱える。その声には当麻の言より遥かに力があった。そして、
「何だよ、何が可笑しいんだ?」
 音にはしなくとも、伸がクスクス笑っているのが当麻には判った。さて、それは長い付き合いのせいなのか、鎧のせいなのか、或いは笑われる理由を自ら意識するせいかも知れない。
「どうでもいいけど、何でさっきから怒ってんの?、君」
「怒ってなんかいない…!」
「僕はその理由がちょっとわかるんだよなぁ♪」
 伸の口調から、途端に何やら楽しげな流れになった。その明るさには、恐らく理由を知れば、何故当麻は答えたがらないのか、易く理解できる筈だと征士も光明を見る。伸の話すことは、常に彼なりの理屈で実証できない面もあるが、目に見えぬ物に鋭い性質なのは御存知の通りだ。それを信用し、
「理由とは何なのだ?」
 流れのまま征士は伸に尋ねる。けれど、伸は内心大いに笑っていながら、返事には些か時間を使い、言葉を選んでいる風だった。恐れ戦いている当麻の心境が、鎧世界の空気を震わせ伝わって来るからだ。
 だがいつかは誰もが知る事、と言うより、誰もが経験したが思い出せていない事だ。新たに増えた過去の記憶、らしきものは、個々に感じ方も違えば、全員が把握できていない内容もまだあるのだろう。無論誰に何が印象深く残ったかは、通常の記憶同様に見えるものではない。その中に、なるべくなら周知の事実にしたくない出来事があり、当麻はそれを避けているのだけれど。
 それなら、真面目な顔で指摘するより、笑い飛ばした方が彼の為かも知れない。上から物を言うような、過去の彼の不遜な態度が今も見られたら、伸も意地悪心を出したに違いないが、今の彼は明らかに違った。これまで中心に通っていた曲がらない筋が、今は揺れていると伸には見えていた。
 だから、全く冗談のように伸は話した。
「ははは、最終的に当麻は子供を産んだからじゃないの」
 そして案の定、彼は蒼白となって反応した。
「止めてくれ…!」
 だが当麻が如何なる反応をしようと、前途の通り誰もが持っている筈の記憶だ。征士は伸の返事を耳にすると、その記憶が徐々に引き出されたようで、
「…ああ…、そう言えばそうだな」
 特に感慨も無く淡々と返すだけだった。特別彼に印象を残さなかったのは、恐らくそれが自然な成り行きだったからだ。
 自然な成り行きとはつまりこんな話だ。
「村が無くなって、誰も居なくなった土地で僕らは、一族の人数を増やさなきゃならなかったんだよ。もう僕と秀はね、立場を割り切ってるからいいんだけど?、当麻は性別がはっきりしない少年で、ウィ様もそれを気に掛けていたよね?」
 伸がそう話すと、更にもう少し思い出したように征士も続けた。
「切実な状況から女を選択したような…」
 当然五人から人数を増やすには、一対四で男をひとりにするのが、最も効率の良い形である。けれど、野生動物に比べ人は弱い生物であり、食料を調達する、外敵から身を守る、家を建てるなどの労働力も必要で、恐らく二名が男性固定になったと思われる。ただそれなら当麻も、最初から女で登場すれば良かったのだ。それならもう少し割り切れていたかも知れない。彼はこの期に及んで悲鳴を上げた。
「選択したんじゃない!!、状況に合わせて変化させられたんだ!!」
 彼はあくまで己の意思ではない、と訴えたいようだった。
 まあ、伸から見れば実に馬鹿馬鹿しい抵抗だった。伸なら現世の経験上、女のように扱われることなどどうでも良かった。その結果自身が、何ら悪い変化をしたとも思わないからだ。秀の思うところは、聞いてみなければ判らないが、彼なら何でも広く受け止めそうな気はした。それが与えられた役割と理解すれば、彼は最大限に頑張るだろう。
 それだけの事だった。単に自身を理解するかしないかだけで、
「別にどっちでもいいんじゃない?。君にはそういう要素もあるってことだ」
 伸は問題の核心にさらりと触れたが、当麻はまだまだ耳を塞ぎたい心境のようだった。
「もう話すな!!、止めろ!、思い出したくもない!」
 そんな珍しい様子を見ている征士が、思い付くまま当麻に尋ねると、
「そんなに嫌な事だったのか?」
「貴様にわかるものか!!」
 激しく憎悪を向けられているような、怖い顔をされたので、以降当麻には話を振らなくなった。別段征士には悪い事をした憶えも無く、何故怒りをぶつけられるのか丸きり判らなかった。
 ただ、現世の記憶と、恐らく二番目に古い夢までは、当麻には性別変化の兆候は見られなかった。そのせいで自らの揺るぎない視界に、自信が持てていた面もあるのだろう。ところがそれは足枷でもあり、偏った思考を生むと伸は今に至り理解する。
「お幸せなことだよ当麻。僕も秀も望んだ訳じゃないけど、そういう立場だと受け入れるしかないのにさ」
「止めろ止めろ止めろー!」
「腹立つなぁ…」
 一応まだ伸は笑っていたが、当麻の頑な過ぎる態度を見ると、やはり何処かで不愉快に感じてもいた。
 彼も敢えて話そうとはしないが、実は同じ太古の記憶の中で、伸は十三才で流産していた。無論まだ体が未熟なせいで、これに関しては明らかに征士が悪い。だが子供ばかりの集団の状況を思えば、誰を責めることもできないと思う。それもひとつの経験だと、伸だけでなく征士も判っているようだ。
 秀が意を決して引っ張り出した、形になりかけた嬰児の赤黒い映像が、彼等には強烈な記憶として残っている。それは恐怖でもあったが、結果伸が死なずに済んだことの方が、我々には重要だったと回想もできる。実際にその時代を生きた経験では無い筈だが、彼等はその記憶を忘れないだろう。
 また、あれだけ男勝りで元気だった秀も、身重になると行動を控えた。誰しも変化する状況に合わせ、何が最優先か考えを変える必要がある。対応できない者には未来は無い。それは嘗て天つ神が聞いていた、自然界や宇宙の法則に従うことであり、全ての生物が経験することでもある。
 大局的な流れに抵抗するのは愚かだと、当麻も頭では判っているだろうに。何故ならそれでは、この鎧世界に漂う戦の亡霊と同じだからだ。
 そんな、記憶と思考の断片を纏めて征士はこんな話をした。
「思うに、天つ神の出て来た夢が最も古いだろう。それが原初の私達の姿と言えるかも知れんな」
 だが未だ得心し兼ねる当麻は、妙に落ち着いた征士に食って掛かっていた。
「おまえら面白がっているだろう!?」
「はははは」
 確かに征士の意識はやや呑気なものだった。それは彼が別の視点を持ち得ない、弱点でもあるのだが、まだ当麻はそれを馬鹿にする心境には至れない。しかし伸がそこで、
「僕は全然面白がってなんかない」
 おふざけのような態度を翻し、そこからは真面目な様子で話し出した。当麻がまだ答えられない過去の経験の意味に、彼は充分な予測を得られていたようなのだ。
「こんな記憶を与えられたってことは、こんな事態が先にあるかも知れないってことだよ」
 すると、征士はそれにはっと息を飲んだ。何故我々は、時代に翻弄される苦悩ばかり見せられたのか、それなりの意味があるとは考えたが、歴史は繰り返すと言う、伸の話は納得できると感じた。
 苦悩は繰り返す。だから千年前の、迦雄須や阿羅醐の時代以降も、戦に関わる遺恨や執念は絶えることがなかった。そして恐らくこれからも、例え形は変化しても、同様の人の嘆きは生まれ続けるのだろう。我々は常にそれを受け止める役目なのだと。
「その為の、保険となる記憶だろうか?」
 解り易い例えで征士がそう続けると、
「そう言う面もあるんじゃない?、何があっても対応できるようにさ。他の意味があっても、僕に神の意思なんてわかる訳ないし」
「それはそうだが」
 伸の柔軟な姿勢はそんな答を導き出した。そしてふたりの会話を耳にする当麻は、生まれて初めて自身に足りない物は何かを、明確に意識したようだった。
「・・・・・・・・」
 鎧戦士は元より、地球の重力下で戦うだけの存在ではない。そして今は更に、地球を基準に計測できる距離や時、常識と思われていた法則の壁を越えようとしている、のだと思う。それに縛られては見出せない事が、広い宇宙と無限の時空には必ずあると、無論始めから考えなくはなかった。だがそれがこんな事だったとは、と、今は目覚めに驚いているだけだ。
 夢、のような形で贈られた天つ神のメッセージ。今すぐではなく、少しずつ確実に意識を変革する為の、準備運動のようなものかも知れないと、当麻もまた、少しずつ落ち着いて考えられて来た。
 嫌々変化させられるくらいなら、意思を持って変化する方を選びたい。
 後に蝶となれる可能性があるなら、一度蛹に変態する利益はあるものだ。
 次の段階への進化がその内に、形となって見えて来るだろうから。

 そうして暫く考え込んでいた当麻だが、その表情が幾分穏やかになったのを見計らい、伸は更に話したいことを伝えた。
「それと、もうひとついい事があったよ」
「何だ?」
「僕らは天つ神の、ウィ様の家族になれたんだよ。迦雄須一族の神ってだけじゃない、僕らの神だ」
 そう当たり前のように伸が語るのを、征士も不思議と当たり前のように聞いている。当麻にはまだ何処か違和感があり、そんなふたりは奇妙な様子に思えた。
「それは…何とも…」
 と、彼が飲み込めないのは、例え新たな記憶が増えようと、現在までの己の記憶も失われていないと、明瞭な意識があるからだ。一度聞いたことは忘れない、天つ神とは死神だと誰かが話していた。実際その通りの光景をこの目で見た。果たしてそれが迦雄須達の信じた通り、人類を何らかの理想へ導く存在なのか、未だ判断できないと頭が訴えるのだ。
 宗教の始まりは「奇跡」であると言う。奇跡的な力に圧倒されるからこそ、人はそれに神を見い出し、恐れ崇めるようになると言う。だがそれは単純に、地球内部のマグマの活動かも知れないし、昔は知られていない現象だったかも知れない。新たに起こる出来事に、流され過ぎるのもどうかと彼は考える。
 故に奇妙だった。始めから天つ神に好意的な伸はともかく、征士は何処でその悟りを開いたのか、当麻には想像できないようだった。単に話を合わせているだけ、とは思えない征士の腑に落ちた態度は、夢の話が出た瞬間とはまるで違っている。
 するとその理由らしきことが、征士の口から自ずと語られて行った。
「だから私達の一族は、後に世界に蔓延ることになったのかもな」
「そう、僕らの系譜は今も脈々と残ってるんだよ。そう言う過去を作ったとしたら、まあもっと地球人に愛着が湧くよね?」
「多くは私達の子孫だと」
 そこから思い出すのは、伸がふたつの過去で女性であり、共に子供を持っていたことだ。思えばどちらにも征士の子供が居り、ふたりがそこに違和感を感じないのは、当麻にも理解できなくなかった。だがもっとよく思い出してみよ。
『恐ろしい。伸には他に遼の子供、俺の子供も産まれた。秀にも他の三人の子供が産まれた。そして俺は、同時に遼と征士の子供を産んだ…』
 こんな見境なく混沌とした始まりが、現社会の源であるとしたら恐ろしい。まるで本能のみの動物の群のような状態を、幸福そうに感じる意識が理解できない。そもそも、天つ神の登場する最も古い夢は、伸の得たものだろうと察しが付く。だからこれ程無節操でありながら、本人はケロリとしているのだと思う。
 本当にそれでいいのか?。何に納得できたのか?。当麻は再び青い顔をして呟いた。
「気味の悪い話は止せ…」
 勿論人が動物から進化する過程に、前途のような状況が多々あったことは、容易に考えられると彼も判っているのだ。また魚類や昆虫類には、現在でも性別を変える種が存在する為、過去に遡る程、性の確定しない生物は多かったと予測もできる。それが自然であると言われれば頷ける。
 だがそのように外側から見た事実とは、酷く残酷なものだと当麻は思い知った。その当事者としての感情は複雑過ぎて、自身の思考に追い付いて来なかった。魚や昆虫ならば何も感じないだろうが、彼は彼自身の記憶を理解できなかった。
 何故、智の鎧を持つ彼がそうであるのか。
 実はそこには、まだ各々の記憶を補完できていない現状がある。主観のみでは事実が見えないことは、今現在の人間社会も同じである。
「だから今更何言ってんだか。君だって、」
 と伸が、当麻にも子孫は居るだろうと話した時、更にまた新たな記憶が甦る。
「ああ、そう言えばその後さ…」
 子供達が成長し、大人の集団となった後のことだが、伸の物思いする素振りを見ると、征士にもその記憶は鮮明に戻って来た。そして深く考えることなくこう言った。
「当麻は情報が少ないのかも知れん」
 あまりにあっさり言うので、恐らく当麻以外の四人には、それで納得できる事なのだろう。ここに来て何やら、自分には欠けた記憶があるらしいと知ると、当麻は不安ながらも尋ねるしかなかった。
「…何故だ?…」
 そして彼の質問には、伸が明るく難解に答えた。
「君はすごく早く、ウィ様に取り上げられちゃったからさ」
「取り上げられた…?」
「死んだ訳じゃないんだよ。どう言う事かは知らないけど、この世から居なくなったのは確かだ」
「・・・・・・・・」
 直感は当たると言うが、当麻は不安に感じた通りの話を聞き、以前にも増して言葉を失った。
 否、神がその眼鏡に適う人間を取り上げる話は、各地の神話などに散見される。有名な所でギリシャ神話のガニメデスや、聖書の人物エノクなど。ただどちらにしても、ある時代以前の記述は創作されたものだと、現在は広く認識されている。聖書の「創世記」は明らかに、メソポタミアの伝説を引いているだろう。
 しかし、現在広く認識されている事が正しい、とも言えないのが当麻には悩ましかった。知られた学説も数十年程度で覆ることがある。それをよく知る彼は、結局幾ら考えようと答を出せない問題を、天つ神に与えられたようなものだった。
 その状況を伸は、今度は簡単にこう言った。
「これ、大事なことかも知れないよ?」
 彼のヒントに当麻が気付いているかどうか。神に取り上げられる理由は、その使いとして働ける人間だと、認められたことに他ならないのだ。これまでも彼は、五人の内の重要なブレーンだったが、それは太古も未来も変わらないのだろう、と伸は感じ取っている。
「う〜〜〜ん…」
「一気に結論を出さなくていいんじゃないの?、どうせ過ぎた事だよ」
「科学を無視することは俺にはできないんだよ!」
 まあ、今はそう言うしかない彼も、徐々に完成型へと変化して行くに違いない。今はまだ理解不能な記憶を掌握した時、彼がどうなっているか、伸には楽しみにも感じるようだった。
 そして征士は、最後に慰めのような、気休めのような言葉を当麻に伝えた。
「それでも、いつも考えることが人の正しさを導いた、と私は思う」
 何故だか芦原の広がる水辺を思い出した。
 人は考える葦である、と言うパスカルの有名な言葉があるが、逆に言えば考えない葦はただの葦で終わる。それで良いとする生き方もあり、それでは駄目だと感じる者も居る。どちらも同じ尊い命ではあるが、後者が居なければ前者も進歩することはない。人は環境の為すがまま、生まれて死ぬだけではないと信じたい。己は後者であるべきだと当麻は強く念じた。
 その苦悩に沈む夕暮れの芦原は、征士にも伸にも絶望しか残さなかったのだから。

 それが即ち、新たな記憶の齎す新たな意識なのだろう。



 当麻が休憩に入る為に場を離れたのは、それから体感として六時間ほど経過した頃だった。
 その間、征士と伸の間で、恐らく当麻の知らない部分をこう纏めていた。
 当麻は当初男性として、秀にも伸にも子供を産ませたが、それだけでは何か不必要を感じ、女性に切り替え遼と征士の子供を一人ずつ残した。そしてその時点で天つ神に取られてしまった。それは彼に課された何かを成し遂げたと、天つ神が判断した出来事だろう。
 またどうも、彼等の寿命はかなり長かったようだ。時の進みが緩いのか早いのか、最後まで長として残った遼は二百年以上生きたと、二番目に長く生きていた征士は言う。また伸は百才を過ぎても子供をもうけた。まるで聖書に残される、「そんな馬鹿な」と言う話に似ている。流石に969年生きたメトシェラほどではないが、神の御加護のある一族にはそんな、異常な時間の余裕が与えられるのかも知れない。
 果たして、全ては神と呼ばれる何かの計算通りだろうか。我々は認められた人間だろうか。未来への基礎が磐石となるまで、天つ神は死しても我々を守った。無論、後の人間が全て救われる為の布石だと、鎧戦士達には容易に判ることだが。



 見張りを秀と交代した遼が、話し合う征士と伸の元に戻って来た。けれど充分な休息を取った筈の彼は、酷く難しい顔で歩いているのが判る。
「どうかしたの?、遼?」
 伸から問い掛けたが、ともすれば白々しい言葉かも知れないと、話しながら彼は考えていた。あれ程の動揺を見せた当麻だから、既に遼と秀に事態を話していてもおかしくない。五人、と言う集団に於いて、最も揺るぎない存在でなければならぬ、遼が何を感じたかは多少気掛かりだった。
 君は当麻のように穢れを否定するだろうか?。それとも僕のように全て恭順するだろうか?。そのどちらでもあって欲しくない、と伸は思うのだけれど。
 すると、遼の返事はそんな杞憂以前のことだと、事実を知って思わず笑うことになる。
「いや、それは俺が聞きたい。当麻の様子が何か変だったが…」
「あはは…!、そうかい、往生際の悪い奴だよ」
「え??」
 この遣り取りだけで、まだ遼は知らされていないと征士にも読めた。
 彼にしても一連の夢、否、新たに作られた過去だとする説を、遼にはどう切り出すか迷うところだった。つい最近まで、凡そ恋愛の愉しみなど縁の無かった遼が、異常な結婚だの、異常な出産だの理解できるだろうかと。或いは過去の感情に入れ込み過ぎ、自分や伸を弟妹だとか、言い出さないか非常に心配に思えた。
 遼は現段階では未知数なのだ。
 何故なら遼の得た記憶だけは、他の四人にまだ伝わって来ない。朧げに、何も無い宇宙を見ている夢だと、以前話していた憶えはあるが、その映像は他の誰にも見えなかった。ただ、これまで話し合ったように、全て主観的な記憶であるなら、「何も無い」時点で、他の四人は介入できないことになる。と、休憩に入る前に当麻は分析していた。
 恐らく遼には、迂闊に触れられぬ何らかの真理が与えられた。自身がそれを理解しようとしまいと、遼はそう言う存在だと当麻は話した。
 征士にはそれが酷く恐ろしかった。真理に触れればつまり、己もまた何もかも暴かれてしまうだろう。もう既に複数の過去から、己の最も本質的な部分が見えている筈だ。常に一歩離れ、何事も振り返らぬ潔い姿勢を取ってはいるが、実はこれと言う物に誰より拘っている。こうでなければ嫌だと、我侭を通し続けているのが自分でも判る。まるで子供のようだと。
 それは恐らくウィ様、天つ神も知るところであり、だから許されているのではないかと征士は思う。各々のそんな、どうしようも無い面を把握しながら、集団を率いる遼には申し訳なくもあった。
 けれども、社会とは巧く出来ている、自己の反省より他者を気遣う人が居るものだ。
「あ、そうだ、」
 と伸は、前の流れを全く忘れたように言った。
「迦遊羅に教えてあげたいよ。その前にナスティに調べてもらう方がいいかな?」
「ああ…、過去の文献に残っている可能性は、確かにあるかも知れんな」
 意味の取れた征士はそう返したが、当然遼には何の事やら判らない。そうして尋ねて来るよう誘導した結果、
「何のことだ?」
「天つ神の名前だよ」
「…ああ!!…」
 彼は目を見開き、恐れるでも喜ぶでもく、ただ全てが繋がった爽快を感じているようだった。
「そう、そうだ…!。俺は夢の中でウィ様と呼んでいた…」
 四人には遼の夢は見えなくとも、遼には四人の夢が見えていた。そして彼はその中でも常に、公正な配慮を持ち続ける人物だった。ならば今、現実にその話をしても恐らく大丈夫だ、と思う。
「やはり全員同じ夢を見たらしい」
「全員…?、そうだったのか?」
 征士の言葉に目を見張ってはいるものの、遼は取り乱すことは無かった。もしかしたら既に、この夢ともお告げとも取れない何かについて、胸の内に考えていたのかも知れない。眠る度、知らぬ時代の知らぬ土地に生まれ、何故か仲間達との再会を繰り返していた。何の意味も無いただの夢だとは、さすがに彼にも片付けられなかったのだろう。
 そこには恐らく何か、誰かの意図が存在する筈だと。
「当麻は夢じゃなくて、創造された過去だって言うんだけど、でも天つ神は実在した可能性があるだろ?。迦遊羅が教えてくれた迦雄須一族の神と、僕らが見た人に繋がりがあるかどうか、一応調べた方が良い気がするんだよ」
 伸がそう説明するのを、一言一句意識に刻むように聞き取った遼は、不思議と何かに目覚めた明るさを持って返した。
「ああ…そうだな!」
 それはまるで仏僧が、仏の御心に目覚めた風でもあった。そうであるなら、そんな彼の意思に従うのが、今は間違い無いともふたりは感じた。
「一度地上に戻ってみるか?」
 征士が尋ねると、間を置かず遼は即答していた。
「そうしよう、もう一度ナスティに話を聞いてもらいたい。このところ混乱する事が多いんだ。少し落ち着く時間がほしいな」
 それもまた、恐らく五人全員の感ずることであり、伸も穏やかに賛同した。
「うん、それがいいね」
 仲間達の共通の望みが窺える、共通の感情が確と受け取れている。そのような時こそ遼は最も強い。その強い意思がこの先も、道を切り開く原動力となる筈だった。
「よし!、そうとなれば、この後すぐ柳生邸へ戻ろう!」
 その言葉には、新たな希望の力が吹き込まれていた。彼も恐らく何らかの変化をしているのだろう。

 突然、鎧世界の淡い風景が見えなくなった。

 僅か一秒、二秒程度の経過に感じたが、その三人が次に見たのは、何故か見慣れた赤い屋根の洋館だった。
「…ええーーー?…」
 思わず伸が頓狂な声を漏らす。どうしたことか、遼が心を決めた途端に、彼等は柳生邸の前に移動したようだ。雲上界との行き来にあれ程悩んでいた筈が、特に何もせぬまま移動したのは驚きだった。
 何が原因だったんだろう?
 まだとてもその理屈は解明できそうにない。ただ、三人から離れた草むらに、予期せず叩き起こされた当麻が、愚痴るようにこう呟いていた。
「だから俺は…、科学を無視したくないと言っている…」
 眠りを断たれただけでなく、睡眠中だった彼は身構えることができず、草場の石に背中を刺されていた。直後の単純な心境として、不愉快に傾くのはまあ仕方がない。もうあと数十分もすれば、彼の頭は事態を解明しようと動き出す筈で、誰にも何も心配は無かった。
 ただ、相も変わらず訳の判らぬ事ばかりだ。ひとつだけ判ったのは、
「へぇ〜!、こんな簡単なことだったんじゃねぇか!」
 当麻の横で喜んで手を叩く秀の、素直な気持こそ、力強い羽撃きに感じられることだった。

 始まりは獣の血の、汚らわしく本能的な意識が望んだ、底の浅い理想として人間が居るとしても。生命は漏れなく純粋な善と悪とを持たされ、その結果を神に見られているのだから、今更愚かを恥じる必要は無い。
 何がどう変わろうと、ただ進まなくては。









コメント)後半はギャグみたいな展開、と書いた通りの面もあるけど…。それ以上に気持悪い話だったかも知れない(> <)、すみません;
ただ、単純に能力が進化する話なんて、ジャンプのマンガにも大量にあるし、トルーパーの主題はそういう話じゃないですよね。恐らく一番大事なのは「心」だとして、それなら心の起源を分解する話にしなければ、と構想した結果なんです。
その時やっぱり、当麻が一番理解してないと困るので(^ ^;、文中にある、ひとりで複数の視点を持つ不可能を、少し可能にする為に、性別変化と言う手段に出ました!w
まあコロコロ変わる話を書く訳じゃないのでご安心を。単に当麻の理解度が上がると言うだけです。と、真面目に理由を書かないと、自分でも「気持悪ィなぁ」と感じる面があるんですが、人の心の根底にある意識とは、だから簡単に見えないよう塞がれてるんだろう、なんてことも考えました。
とりあえず次はもう少し爽やかにしよう(苦笑)



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