オーナーとウェイター
21世紀のハレルヤ
#2
Nu Hallelujah



 怪し気な噂が立ち始めたのは今から三ヶ月前のこと。
 このフォルテ・ポルトガルの目と鼻の先にある、牧場を営む家で事件は起こった。五月のある朝、牧場の経営者が起きて外に出てみると、鶏小屋の鶏が全て不可解な死に方をしていたと言う。即ち、何か鋭利な物で刺し殺されたようで、羽を毟られるなど、乱暴に扱われた形跡が全くなかったそうだ。
 つまり、野犬などの肉食獣に襲われたのではない。小屋の金網もきれいに止めネジが外してあったと言うから、心ない人間の仕業と考えるのが妥当なようだ。その夜小屋が騒がしかったとも聞かないので、当初は鶏の扱いに慣れた同業者の仕業か?、と一般には見られていた。
 そしてそのほぼ一ヶ月後、今度は他の養鶏所で同様の事件が起こった。同様と言うより全く同じ状態だった。すると双方の事件に共通する状況から、誰が最初に言い出したのか、まことしやかに『吸血鬼』の名が語られるようになって行った。
 理由のひとつは、何故かどちらの事件も殆ど血が流れていないこと。無論動物であるからには、刺されれば出血するものだが、その量が常識的に考えて少な過ぎると言うのだ。動物の血を飲む習慣のある者、儀式に鶏の血を使う異端宗教を信じる者も稀に居て、鶏の血を盗むことが目的の可能性もなくはない。が、今現在の日本では考えられない例だと思う。
 またもうひとつの理由。それこそ柳生博士が突き止めた事実だが、鶏小屋の襲撃事件はいつも満月の夜に起こっていた。彼女は六月の時点ではまだそれを公表していなかったが、予想通り、七月の満月の日にも同様の事件は起こった。
 直ちに、事件と満月との関連性を地元警察に伝えると、博士の名と吸血鬼説は瞬く間に県内に広まって行った。満月を警戒するように、各地への呼び掛けが行われたからだった。
 以上がこれまでに起こった、不可思議な事件の表面的な流れである。当麻には既にメールで伝えられていたが、征士と伸はここで初めて知らされた話だった。そんな彼等の見解は、まあ、吸血鬼かどうかは置いておくとして、家畜荒らしにしては妙な犯行だと、ふたりとも認めるに至っていた。
 ただ流石にそれだけでは、専門の研究者が吸血鬼と言い出す理由にはならない。先程見せられた薬瓶にしても、それらの事件とどんな関わりがあるのか、当麻も含めまだ知らされていないからだ。
 そして、博士はそれらを繋ぐ重要な事実と目される、極秘の事情を彼等に聞かせてくれた。
 七月の事件が起こった後、この研究所に、同じ町に住むとある住人が相談を持ちかけて来た。その内容は、友人が満月の夜になると妙な発作を起こして、何処かへ出掛けていると言うものだった。
 相談者の話では、鶏小屋に行ったような形跡は見られないと言う。性格的にも至って真面目な人間で、闇雲な暴行や悪戯をするとは思えない、とのことだった。早速博士はその人に会いに行ってみたが、その際、相手の人物像より気になる物に出会ってしまった。つまり、訪ねた家の庭先で例の薬瓶を拾ったのだ。
 満月に発作を起こすと言う人物。その人の住む家で見付かった「血」に関する薬品。それらが、今この地方で起こっている事件の特徴と、重なって見えるのはおかしいだろうか?。
 否おかしくはない。キーワードは確かに重複しているのだから。
 と、そんな経緯を経て、今は彼女も本腰を入れて事件の調査をしているそうだ。新たな情報の部分を聞き終えると、自ら赴いた当麻だけはもう充分に、博士の目的と状況の面白さを理解していた。万が一吸血鬼ではなかったとしても、ここには人ならぬ者が暮らしている可能性がある。確かにそうならば、彼自身の専門分野にも少なからず影響があるからだ。
 人類は長く進化を止めているが、その傍で人と似た別の生物が進化しているかも知れない。もしそんな発見があれば世界の学説が覆る…!。
 増して生き生きとし始めた当麻の横で、着いて来たふたりの方は相変わらず、そこまでの興味を示していなかったけれど。



 その日の夕方、四時半になろうと言う頃だった。
「このお店で働いている人よ」
 博士が三人の借りて来たレンタカーを運転して、彼女の注目する場所へと運んでくれた。そう、博士の家で初めて耳にした、満月に発作を起こす人物の仕事場兼住居だ。外観は特に怪し気でも何でもない、よく見られるタイプの中華料理店だった。
 そのドアを開けると、最初に現れた女性の顔を見て、
「ああ、博士」
 テーブルを拭いていた従業員の男がそう声を掛ける。既に何度も訪れたのか、顔見知りとなっている様子が窺えた。
「こんにちは」
 と、博士は軽く会釈をすると、勝手知ったる様子でどんどん店の中へと入って行く。そして、手に布巾を持ったまま立っていた男を捕まえて、
「こちらのウェイターの方、真田遼さんと言います。それで、今日は他の研究者にも集まってもらったの。これまでのことを話してあげてくれないかしら」
「構いませんよ」
 紹介と同時に、この場で確認作業を行うことの了解を取っていた。今、店の従業員の他には人の姿は無く、夕食時が始まる前の休業時間のようだ。恐らく五時には再び開店するだろうから、今日は挨拶ついでと言うところだった。するとその時、
「誰だい?」
 厨房の奥から、姿は見えないが男の呼ぶ声がした。遼が振り返って、
「柳生博士だ。また話を聞きに来たって」
 声を張り上げて言うと、奥のドアからチラリと顔を覗かせた、小柄で愛嬌のある男が威勢良く返した。
「ああ!こんちは。今仕込み中だから何にも出来ねぇけど、お茶ぐらい出してやれよ遼」
「彼は秀麗黄さん。このお店のオーナーでコックさん。相談を持ちかけて来た人よ」
 そして博士は三人にそう紹介してくれた。同じ年くらいの店のふたりは、単に店主と従業員と言う以上に親しそうだと、彼等の目には映っていた。
「あ、皆さんどうぞ、適当に座ってて下さい」
 遼が中国茶のセットを用意しに、一時その場を離れてしまったので、やって来た四人は取り敢えず席に着きながら、思い思いのことを話している。
「相談者の話も一緒に聞きたいな、客観的な事件の流れは聞いたし、長話にはならないんだが」
 と、滞在時間の短さを思って当麻が言うと、博士は落ち着く間もなくすぐに席を立って言った。
「頼んでみましょうか?」
 彼女はそのまま足早に店の奥へと行ってしまった。この柳生ナスティ博士、行動力とバイタリティがあるのは確かである。自分の方が四歳年下だと言うのに、当麻は多少面目ない気持にさせられていた。それだけに、せめてここに居る間はしっかりと、彼女のサポートをしなければならないと思う。
 厨房の奥で下拵えを続けていた秀に、博士が何か熱心に話し掛けている様子が見える。如何なる研究も熱意と機動力が重要だ、と当麻が改めて感心していると、その横では、
「僕は海鮮おこげと北京ダックが食べたいよ」
 伸が店のメニューを広げて、呑気にそんな話をしていた。
「何を話してるんだ!」
 思わず声を荒げてしまった当麻。今、研究者の理想的在り方について、至極真面目な気持で事に当たろうと意を決めたところだ。何故こんな大事な場面に、気の抜ける話題を持ち出す奴が同席してるんだ?、と、彼は巡り合わせの妙に怒っているらしい。
 けれど、伸は問われたことに対して、
「夕食の話さ」
 何食わぬ顔で返すばかりだった。続けてその向かいに座った征士も、
「面倒だからここで食べて行けば良いと」
 言いながら、腕時計の文字盤を確認する仕種を見せる。当麻の予約した宿泊プランには、朝食以外の食事は付かないと聞いていたので、征士も当たり前のように伸の提案を受け入れていた。聞いてみれば意外に合理的な打ち合わせしていた、ふたりの普通の態度を見ると、
「ああ…、それもそうだな。時間的にも丁度良いか」
 当麻はひとり空回りしている現状を我に返っていた。まあそれもこれも、事件に対する関心度の差だから仕方がない。だが、この旧友達ももう少し、目の前の状況に関心を寄せてやっても良さそうな…。
 当麻の落胆する気持など何処吹く風で、
「関アジ関サバは明日以降ね?♪」
 メニューを閉じた伸は楽しそうに笑っていた。そして、
「観光以外頭にないのかよ?、だから連れて来たくなかったんだ」
「君だって半分は旅行、半分は趣味の研究だろ?。遊んでるだけじゃないか」
 余計なことを言ったばかりに、当麻は更に余計な意地悪をされてしまう。口は災いの元である。反論できずに涙目になっている彼の所へ、漸く博士が戻って来て、
「オーナー今日は忙しいらしいの、明日のこの時間ならいいそうよ」
 と伝えると、既にポットと茶碗を運んで来た遼が席に着き、
「ああ、じゃあ彼からは明日改めて」
 当麻は頭を切り替えて、まず当事者らしき人物から話を聞くことにした。

「この博士から話は大体聞いてるんだ。だから俺の質問に答えてくれるだけでいいからな」
「ああ、はい」
 当麻からそう聞かされると、多少畏まったように姿勢を正した遼、と呼ばれる青年。
 確かに見た目からは、話の通り不快な悪戯や事件を起こす人物には思えなかった。少しばかり緊張しているものの、落ち着きがないとか、目の焦点がおかしいとか、異常に感じられる仕種は全く見られない。
 まあただ、満月の晩になると豹変するかも知れないので、元の人物像はあまり関係がなかった。そしてそうであった方が、研究者達には手を叩いて喜ぶ結果なのだろう。
 当麻はまず始めに、彼の一日の行動を尋ねてみた。
「今年の五月と六月に、その発作的なものが起こったんだな?。その日君は何をしていたんだ?」
 すると、ほんの少しの間を置く程度で遼は答えた。
「いや、いつも通り昼から夕食のシフトが終わるまで、ここで働いてただけですが」
 思い出すのにそう苦労しないのは、ほぼ毎日同じサイクルで生活しているからだろう。そこで柳生博士が、
「彼はここの二階に住み込んでいるのよ」
 と追加情報を付けると、遼の人ととなりの判り易さが窺えると言うものだった。住み込みなら毎日、他の従業員に見られて生活しているだろう。それだけで異常な犯罪は起こし難い筈だ。
「そうか、じゃあ仕事が終わってからは?」
 と当麻が続けると、今度は間を置かずすぐに答えていた。
「特に何も。仕事が終わると店のみんなで賄い飯を食べて、食べるといつもすぐ眠くなって来るんで、風呂に入って寝るのが習慣なんです。いつも十二時前には」
「十二時前に寝て、朝は何時に起きるんだ?」
「六時です。朝起きて十一時までは自由時間で、二時まで働いた後片付けと食事で、一時間休憩が入った後四時からまた店に入ります」
 聞けば聞くほど、何故こんな人物が妙な事件に関係するのか?、と疑いたくもなる単純明解な生活状況。しかし遼についての重要な疑問は、この後に続く話の方だった。
「そうか。普段の君にはこれと言って何もないようだが、ただ、五月も六月も満月の夜に事件が起きている。君の発作的行動もそれに合っているらしい。ならば、それ以前の満月の日には、何もなかったのか?」
 ここに来て当麻が慎重に、これまでの情報をまとめてそう質問すると、今度は暫く考え込む様子を見せて遼は返す。
「…すいません、憶えてないです。秀なら何か知ってるかも知れない」
 するとその返事を聞いて、
「そうね。オーナーの実験中のことも憶えてないんだものね」
 柳生博士が気遣うようにそう答えた。
「実験とは?」
「さっき詳しく話さなかったけど、七月の満月の夜に、彼が外へ出ないようにして観察したんですって。彼は確かに変な状態になったと言うけど、その時のことを彼は憶えていないのよ。意識はあるのに呼び掛けても反応しなかったらしいわ」
 そう、博士が次の事件を予測していた七月の深夜、この店では秀が遼の異変を心配して観察していた、と言うのだ。しかもその時のことを本人は憶えていないと言う。どんな状況だったのかは、秀に聞かなければ詳細は判らないが、ただひとつ言えることは、
「トランス状態だな」
「ええ。その時は人格が何処かに行っちゃってるみたいなのよ」
 満月の夜になると、彼は彼でなくなる時がある。それは事実のようだった。
「うーん…何なんだろうな」
 だからと言って、この町の事件が彼の仕業と言えるだろうか?。まだ調査結果が揃わない今は何とも言えないが、と、当麻が推理を進めていると、
「でもそれと吸血鬼と何の関係があんの?、狼男みたいじゃないか」
 と突然伸が口を開いた。言われてみれば当然の疑問かも知れない。
「今は黙ってろ」
「へーい」
 大真面目に怒られてしまったので、伸はそれ以上続けなかったけれど。現代に数々残る猟奇的な説話が、市民の間でもここでも、ごっちゃになっている印象は否めなかった。
 それはともかく、本筋と言える会話はまだ続いていた。
「じゃあその実験の前は何処まで記憶があったんだ?。正気に戻ったのはいつだ?」
 当麻はまず遼に起こる現象を解明してみよう、と言う方向に話を進めようとしていた。
「実験の前は、この奥の階段に手を縛られた頃だ。そこまでは憶えてるが、眠かったからすぐウトウトして。その後気が付いたのは…、部屋が明るくなった時、かな。鳥の声が聞こえたり、いや、よく分からない」
「暗い時間なのは確かなようだな」
 と当麻は返したが、ただ眠って起きたとしても同じ答になるだろうと、少し期待外れに感じる。変化が起こる時に眠気のピークを迎えている、或いは完全に眠っているせいで、本人がおかしいと知覚できないことは判ったが。
 ただ、聞く側にはそれだけの現象でも、本人には酷い不安を与える類の事だろう。知らない内に出歩いて何かをしている、それを他人から心配されている、などと言う経験は、事前に酒を飲んだ等の記憶があっても、自己への自信を失わせるものだ。
「俺は何かヘンな病気にかかってるんだろうか?。それとも、何かに取り憑かれてるとか…?」
 遼はそこで初めて、自身の不安を口にしたけれど、
「それはまだ。実際どうなるのか見てみないことにはな」
「だから今月は、わざと彼を放っておいて観察しましょう、って話になってるのよ」
「ああ、それはいい案だと思う」
 遼の前に座るふたりの研究者は、その時客観的に見た事実が解決してくれるだろう、と彼には伝えるのだった。確かにそれは理論的な解決法だけれども。
「あ、ねぇ君。心配しなくていいんだよ、僕ら警察じゃないんだし」
 そこで再び伸が会話に紛れていた。見た目にはそう変わらないが、異質さを打ち明けねばならない遼の心情を考え、敢えて話に参加することにしたようだ。
「あ、ああ、ありがとう」
 すると思った通り、遼がホッとしたような顔を見せたので、続けて調子良く伸は言った。
「それに、僕には事件と君は関係なく感じるよ」
 当然その内容には、横から素早く抗議の声が上がる。
「黙ってろと言っただろ。何が根拠だ?」
 勿論伸は、当麻にそう言われることは判っていた筈だ。けれど何らかの確信を得ているのか、伸はそれなりの自信を込めてこう続ける。
「簡単だよ、吸血鬼が何で鶏小屋を襲わなきゃなんないの?。鶏の血を吸うのか?」
 今更だが確かに。人間を含め他の動物が襲われた事件はひとつも起きていなかった。だが当麻も簡単には引き下がらない。
「吸うかも知れないだろ」
「ええー?、そんな話聞いたことないよ。今どき鶏インフルエンザが怖いことはみんな知ってるだろ?」
「そんな病気にかかるのか?」
「かかるんじゃないの?、血を吸うだけで一応人間みたいだし」
 実在するかどうかも曖昧なものを、想像で議論すると言うのは難しい。研究者の集まる学会でも、しばしばこんな状態にはなるが、少なくとも土台に確固としたものありきの議論なら、収拾が付かなくなることはあまりない。対して今は予想対予想、伸と当麻の水掛け論がいつまで続くか、と言う様相だったので、
「そうでなくとも、七月は彼は家から出ていないのだろう?。七月の事件だけは関係ない筈だ」
 征士が割り込むように、これまで避けていたらしき話題を口にしていた。否、避けていた理由は大したことじゃない。取り敢えず今の段階では話が混乱するからだ。
「それは…今は置いておくとしてだな、」
 案の定、当麻はそう言い訳をしたが、その言葉に乱れがない様子を知れば、悪意がないことも明白なようだった。まあ彼の専門から言えば、事件自体より不思議な人間の方に興味が行くことは、征士にも普通に理解できていた。
 そして当麻は、その場が落ち着きを取り戻したのを見て、遼の印象や彼自身の供述、これまでに知った情報を纏めて考えたことを、集まる者に話して聞かせた。
「ひとつ仮説を思い付いたんだ。もし、己が何者かを知らない人間がいたら、何かを切っ掛けに発作的な行動が始まることはあるだろう。それが吸血鬼だったとして、過去の記憶が失われている以上、常識通りの行動をしないことも考えられる。ただ何らかの衝動に突き動かされる、今の彼はそんな状態なのかも知れない」
 成程、と、深く頷いたのは無論柳生博士だけだ。否、それなりに筋の通る仮説ではあるけれど、明ら様に納得しかねる態度を見せた者がひとり。
「そんなことあるのかねぇ?」
 伸はまた、何処か自信ありげな口調で文句を付けていた。
「あるんじゃないか?、親が早死にして素性を知らないとか」
「確かに、彼のご両親は早くに亡くなっているわ。彼は両親のことをあまり知らないのよ」
「吸血鬼って不老不死じゃなかったっけ?」
「伝説通りの存在かは判らん。いちいちケチを付けるなよ」
 今度は博士も交えての水掛け論に発展しそうだったが、そこで征士が再び、
「まあ、何も分からないのは確かだな」
 と、途端に褪めるような言葉を挟むと、
「おまえが結論するな」
 当麻には怒られたが、無闇な議論は再び終息するのだった。思えば当麻と伸が言い争う度に、間に入って止めるのはいつも征士だった。そんな慣例がこの場では大いに役立ったようだ。
 するといつの間にか厨房に入っていた秀が、
「そろそろ開店するんだが…」
 多少気を遣いながら、盛り上がるテーブルに声を掛けていた。店の時計は今正に五時丁度を差している。店の前で待ち構える客は居ないにしても、五時に終業を迎える人々が続々とやって来る、夕食時の営業を邪魔してはいけなかった。
「ああ!、済まない。今日はこれで切り上げよう」
 当麻は言って、快く受け入れてくれた遼と秀には、自然に愛想を振り撒いていた。そんな人なつこい面もあるから憎めないと、伸と征士は昔から変わらぬ当麻を内心笑っていた。
 果たして彼に取って、今日得られた思考材料は答を導く助けになっただろうか?。遊びなのか本気なのか、馬鹿馬鹿しい事にも喜んで首を突っ込む当麻だが…。
 しかし、そんなことを窺う間もなく、
「それじゃ、何にします?」
 遼がポケットから伝票を取り出していた。伸の関心はあっさりメニューの方に移って行った。



「ごちそうさまでした、本当に良かったのかしら?」
 酒を交えてゆっくり食事を楽しんだ頃、時刻は午後七時になろうとしていた。
「今日はウェルカムサービスってことで!」
 との秀の計らいは、基本コースのメニューである中華五目旨煮、海老のチリソース炒め、豚と中国セロリのオイスターソース炒め、炒飯、スープ、杏仁豆腐の六品をサービスすると言う大判振る舞いだった。なので支払った代金は、伸のリクエストだったおこげと北京ダック、博士のリクエストの点心二品、あとは飲物代だけで済んでしまった。
 但し、タダより高い買物はないとも言う。思わぬ大サービスを受けた代わりに、しっかり働かねばと気合を入れた当麻。
「炒飯がむちゃむちゃ旨かった」
「そりゃこの店の売りだからな!」
「そうか。これから度々顔を出すと思うが、迷惑に思わんでくれ」
 恐らくホテルのレストランなどで食べるより、安上がりで量も多いこの店に、当麻は通う気満々の様子でそう話した。するとそんな相手の態度を覚ったのか、
「分かってるって」
 秀は厨房から気の良い返事で返す。同時に背後に居た遼も丁寧に頭を下げて言った。
「こっちこそ宜しくお願いします、博士」
「あ、ああ。任せてくれ」
 当麻が一瞬怯んだのは、滅多に『博士』と呼ばれることがないからだった。権威がない訳ではないが、残念ながら当麻の所属する研究所は、同業者ばかりであまり敬称を使わないのだ。柳生博士のように地域住民と親しい訳でもない。
 なので珍しくそう呼ばれると、途端に気が引き締まる思いをしていた。真面目に穏やかに働いているこの一青年に、必ず真実を見付け出してやろうと。
 また、希望が叶って充分満足した伸も、すっかりにこやかになって声を掛けていた。
「また明日も来るよ♪」
「おう、宜しく」
 今日は夕食だったから、明日は昼に来てみよう。ランチコースがあるかも知れない、と彼は既にそこまで考えていた。
 四人が店の外に出ると、夏とは言えもう空の大半が藍色の夜空に変わっていた。まだ淡い星の瞬きも疎らに見え初めている、明日もきっと良い天気だろうと、誰もが暫し立ち止まって空を眺めていた。
 東京の空とは微妙に趣が違う、遮る物の無い自然の天蓋には何故だか感動さえ覚える。
「皆さんは今晩はどちらへ?」
 そんな中、柳生博士が先んじて口を開くと、
「あ、このテーマパーク内のホテルを四日間予約してますんで」
 当麻が有りの侭の状況を答えた。その時は、ただの確認だと感じた会話だったけれど。少し間を置いて、博士は空を見上げながら言った。
「そう、丁度良いわ。明後日が満月なのよ」
 今はまだぼんやり白んだ月が、九重山の陰影を飾るに丁度良い具合で浮かんでいる。確かにもう少しで完全に満ちるだろう、事件のことを知った後では、怪しい祭の前の無気味な静けさにも感じた。
「満月か…」
 意欲的に呟いた当麻はしかし、同時に別のことも考えていた。
『確かに伸の言うことも一理ある。どっちかと言うと狼男なんだよな』
 彼は人の意見を聞かない人間ではないので、思い付きにしろ何にしろ、これと思った話には常に迷わされる面があった。殊に自身と同様、理論的に攻めて来る伸の物言いには、頭に来ることはあれど、鼻から軽んじることはなかった。
 だから、確かに吸血鬼とは決められないと感じている。あの薬瓶さえ無ければ、他の可能性の方を強く推したかも知れない、と思っている。
「じゃあまた明日ね」
 当麻の悩むところに全く気付かない様子の博士は、終始にこやかなまま自宅に帰って行った。できることなら彼女のように、迷いなく結果を待ち望みたいものだ。
 けれど、当麻の悩みなどよりずっと深刻な問題を抱えた伸が、次の言葉を発した後には、一時の不安な気持も何処かへ吹き飛んでしまった。
「予約してますって?。どうせ僕の部屋はないんだろ?」
 そう、伸はまだ泊まる場所を決めていなかった。今朝東京駅で、駆け込みのように電車の切符を買ったくらいだ、宿泊先を押さえている筈もない。
「当たり前だろ。予告もなく着いて来たんだから」
 と口では言いつつ、流石に突き放す気持にはなれない当麻だった。夏期の家族旅行シーズンとも言えるこの時期、予約無しで希望のホテルに泊れるかどうかは運次第だ。ここに着いて、すぐに博士の家に向かったのがまずかった。先にチェックインしていれば、今頃になって余計な心配はせずに済んだのに、と思う。
 また伸は、自ら勝手に着いて来た手前上、自分の用事を優先しろとは言えなかったのだろう。何かと口煩い存在ではあるが、そんな面では寧ろ控え目過ぎるくらいの奴だと、知っているからこそ申し訳ない状態だった。
「空いてる部屋あるかなぁ?」
 まあ最悪でも、ふたりが泊まる部屋にセカンドベッドを入れてもらおう、くらいのことは最初から考えていたようだが…。

 中華料理店からは、車で一分もかからない町の中心地に、周囲の景観に配慮したホテルの低めの建物はあった。その落ち着いたロビーを、先頭を切って足早に横切ると、伸はかぶりつくようにフロントに立っていた。
 そして幸いなことに、
「スタンダードスイートなら御用意できます」
 との返事が帰って来た。彼がしばしば口にするように、日頃の行いが良かったからかも知れない。
「そう、それでいいです。ダイナース使えるよね?」
 多少値段は張るものの、まともな部屋を確保することができたせいか、伸は渋る様子もなくクレジットカードを差し出していた。まあ彼は遊びに来ただけなので、宿泊もそれなりに特徴のある部屋を選んだ方が、気分が盛り上がって良かったかも知れない。
 すると、その遣り取りを見ていた征士が、
「私もそっちの部屋がいい。広そうだ」
 と言い出す。他意はなさそうだったが、意外に子供のようなことを言うものだと伸は笑って返した。
「いいんじゃない?、どっちの部屋もツインだろ?」
「好きにしろよ。どっちにしても三十路を越えたヤモメばかりだ」
「嫌だなぁ?、そう言う言い方」
 身も蓋もない当麻の言い様には、顔を顰めて見せた伸だったけれど。チェックインの作業が全て終わり、安心して部屋へと向かう頃には態度を戻して、
「じゃまた明日。連絡事項は朝までに言ってよ」
 と、伸は今朝から変わらない、何かに付け楽し気な雰囲気を漂わせたまま言った。彼等の泊まる部屋は四階と五階に別れてしまった為、エレベーターを降りる前におやすみの挨拶、と言う訳だった。
 そこで、
「おまえを連れて来た覚えはない」
 当麻は既に何度も繰り返した言葉を向けたが、
「と言いたいところだが、意外と役に立ったな。あんな物を見せられるとは思わなかった」
 続けてそう付け加えていた。直接関係があるかどうかは疑問だが、出発当初は知らなかった奇妙な遺留品。関係なかったとしても、怪し気な町には思えないテーマパークの一角に、謎めいた薬品と繋がる人物が生活している。と言う事実はかなり面白いと当麻は思っているようだ。
 そんな時に偶然、薬の専門家が着いて来たのは寧ろ幸運だった。今となっては、伸の存在について肯定的に見るより他にない。
「そうそう、自費で来たんだから文句言うなよ?、頭脳は多い方が結果に有利だよ」
「ああ…。明日また意見を聞かせてくれ」
「了解」
 こうして、道中ずっと邪魔者扱いが続くと思えた、伸の立場はぐっと引き上げられたけれど。
「それから、日本文化史が専門のおまえの見解は?」
 当麻が続けて征士にそう話を振ると、まさかとは思ったが、
「特にない」
 これと言った感慨もない様子で彼は答えた。
「あのなぁ!、連れて来た俺の立場を考えて答えてくれよ」
「しかし現存する日本史資料には、事実であれ想像であれ、いわゆる吸血人種が登場したことはないのだ。ここに来て全く新しいことを見聞きしいてる状態だ」
 征士の言い分は尤もだった。ホストを喜ばせることを言わないからと言って、彼に非がある訳ではない。完全に人選ミスだった。
「しまったな…。民俗学か世界文学の専門家を連れて来るべきだった」
 当麻は頭を抱えて見せたが、まず最初から予算の都合で、タダで友人を連れて来る以外に選択肢がなかったのだ。征士の専門分野からはかなりズレがあることは、今更な話題と言って良かった。
 そんな訳で、突然同行者が増えたこと、その同行者に思わぬ立場の逆転があった他は、ほぼ予定通りトラブルなく一日を終えた一行。予想外の出来事は旅行には付き物だが、まあそれも、目的の妨げにならないなら問題にはしない、と、当麻は今朝からこれまでを振り返っている。
 この時、時刻はまだ七時半を過ぎた頃だったので、これからもうひと遊びできる、と考えていた者もいただろう。だがやっぱり、この研究旅行は思う通りにならないのだった。



 高さはないが床面積は広い、白熱灯の明かりのような卵色に統一されたホテルの内装。お洒落なレストランでしばしば見掛ける、下方に石を張ったヨーロッパの町並み風の壁面が、南北に続く長い廊下を飾っていた。フロント前のロビーの調度品も、豪華過ぎず親しみが沸く雰囲気で良かったが、このホテルは町のコンセプトに合うように設計されているな、と言う感じがそこかしこから伝わって来た。
 新たな時代の国の在り方を考える上で、大切なのは融和と調和である。過去の侵略時代のように、尊厳を見せ付けるより親しみ易いアプローチが必要だ。異文化を自然に受け入れられる状態を作り出せている、その点はとても印象が良い。
 廊下の左右に並ぶ部屋の各ドアには、特注品なのか、ルームナンバーの入ったアズレージョが貼られている。夜なので判らなかったが、恐らくホテルの外観もこんな風に、ポルトガル風のアクセントで装飾された建物なんだろう、と伸は楽しく想像しながら廊下を歩いていた。
 五階の最も奥まった端、の部屋が彼の押さえたスタンダードスイートだ。伸はその鍵を開けると、
「どうぞお先に」
 後ろから着いて来た征士を先に入るように促した。別段意味のある行動ではなかったが、折角色々な想像をしながらやって来たので、すぐ答を見てしまっては勿体無い気でもしたのだろう。
 すると、短い廊下からメインルームに出た所で、
「思った通り広々としていて良いな、この部屋は」
 と征士が感想を口にしていた。まあスイートだから広いのは当たり前である。
 言葉足らずな彼の弁に付け加えると、廊下の壁面よりトーンの落ちた、イエローベージュの落ち着いた壁紙に統一された部屋、黒とマホガニーを組み合わせたモダンな家具が並ぶメインルーム、アーチ型の欄間で区切られたベッドルーム、洗面所と繋がった広い控え室と、部屋の隅には水道の付いたバーカウンターもあった。奥行きのあるテラスが見えるせいでより広く感じられる部屋だった。
 と、伸はそのひとつひとつを確かめるように、暫く部屋の中をうろうろしていたが、征士の方は早速荷物を所定の場所に収めると、習慣なのか、すぐに洗面所に向かって手を洗っていた。伸ほど神経質な訳ではない、彼が早々とそうしたのは、恐らく一分でも早く何処かに落ち着きたい、と言う意志の現れだった。
 今日は朝から移動に次ぐ移動で、初見の場所を回っては妙な話を聞かされ、体はともかく気疲れしてしまった。何にも関心がなさそうで、実は真面目にふたりの博士の話を聞いていた征士。なので暫くは静かに、何も考えずに居たいと彼は感じて、手を拭うこともそこそこに洗面所を出ていた。
 その時、
「ところで征士」
 メインルームの入口に、そこを通すまいと言った様子で伸が立っていた。
「何だ?」
 と答えながら征士が止まると、伸はそれを待ち構えていたように、確と顔を正面に向けて笑う。
「ちょっと聞きたいことがあるんだ。こっちの部屋に来てくれて丁度良かった」
 今日、朝から見せていた陽気さとは明らかに違う、含みのある彼の表情に征士は俄な緊張感を覚えた。顔は笑っているのだが、全く別の思考をしているような無気味な態度。彼は嘗てこんな顔を見せたことがあっただろうか?、と、征士は過去の記憶を改めている。
 しかし、その不思議について何も思い出せぬ内に、伸は次の言葉を発していた。
「最初にさ、柳生博士の家に行った時、研究室で薬の瓶を見せてもらったよね?」
 それだけのことを何故だか、慎重にゆっくりとした口調で伸は話す。征士にしても特に、それが何なのか思い付けないでいたが、続けて伸はこう言った。
「その時さ、驚いてなかった?、君。何か一瞬硬くなったよね?」
 一瞬の静寂。
 事実か否か、伸から見てそう見えただけなのか、実際に征士は驚いていたのか?。過ぎてしまったことは、客観的な確認が最早できないけれど、では、征士はあの違法薬物を知っているのだろうか?。
「…いや、そんなことはない」
 彼はそう答えたが、妙な間が空いたのは伸に付け込まれるところだった。
「嘘ぉ、見たことあるって感じだったよ?。いや、君はあれが何なのか知ってるんじゃないか?」
「知らないな」
「そう?。僕はすぐ横で見てたんだけどな?。何かおかしかったような?」
 恐らくこうなると、「うん」と言わない限り征士は疑われ続けるだろう。勘違いだと繰り返したところで、伸は己の見方に絶対的な自信を持っていそうな、強気の態度を見せているからだ。気の優しい彼にしては珍しい、だからこそ見慣れない表情をしている。
 それにしても、この町の事件を研究しに来た当麻ならともかく、部外者の伸に興味本位の関心を持たれるのは、あまり居心地の良くない状態だった。当麻の話を思い切り笑い飛ばしていた彼が、今頃何を嬉しそうに追及する必要がある?。馬鹿馬鹿しくて付き合っていられない、と思うと、途端に落ち着かなくなった征士は、
「やっぱり、向こうに泊まろう」
 と突然踵を返して、一旦クロークに収めた荷物を再び取り出していた。
「あれ、逃げるんだ?。君らしくないぞ??」
 伸がそう言う目の前で、征士はそそくさと出て行ってしまった。それを追い掛けて、伸はドアの外まで出て行ったが、一目散と言った様子で離れて行く征士の、後ろ姿を見送るだけに終わっていた。
「まあいいけど。僕は何も喋らないつもりだから」
 誰に聞かせるでもなく呟いた伸。
 それは、真実がどうであれ友達を売ったりはしない、との意味なのだろう。研究熱心な当麻には悪いが、暴かれては困る理屈と言うのも、この世には存在するかも知れない。殊に大事な秘密は秘密のままで良いのではないか。それが、生物学に携わる伸の考えのようだった。
 ただ、征士には今のところ伝わっていなかった。
『何を探っているんだ、伸は…?』
 との混沌とした思いを抱えながら、征士は再びエレベーターに乗り込んでいた。

「おまえ何やってんだ?」
 ノックの音にドアを開けると、流石に呆れた様子の当麻の顔。
「一身上の都合に拠り」
「フ?ン??」
 自ら向こうが良いと言っておいて、何が起こったのかと当然勘繰りを入れたくもなる。
「こんな短い間に喧嘩とも思えんが、自殺した霊でも出たか?」
 まあ当麻も本気でそんなことを言っている訳ではない。事情がありそうな雰囲気を察すると、すぐに征士を奥へと通してくれた。征士は先程したのと同じように、手早く荷物をクロークに収めると、今はもう平常の状態に戻って、ひとつ安堵の息を吐いていた。
 当麻の予約していたツインの部屋は、こちらも予想通り、ごく一般的な広さと設備の単純な部屋だった。但し設えられた家具や部屋の色合いは、スイートに劣らず落ち着いて馴染み易い、柔らかな印象のする良い部屋だ。味気ないビジネスホテルなどは、簡素過ぎて逆に落ち着かないこともままあるが、そこは流石にレベルの違いである。
 ところが、今度は部屋の状態とは別に、無心に休もうとする気持を削ぐ物が目に入って来た。当麻が向かう机の上には、渡された資料か何かの束が既に数冊広げてあり、彼はそれを食い入るように見ている。まだチェックインして間もないと言うのに、全く熱心なことだと征士も呆れていた。
 違った意味で落ち着かない。
 まあただ、当麻は自分には関心がないだろうから、自ら関わろうとしなければ問題ないと征士は思う。そして窓際に置かれた肘掛け椅子に凭れると、彼は眠りに入るように静かに目を閉じた。
 とにかく、今暫くは何も考えず静かにしていたかった。しかしそんな時に限って、隣人は余計な気を回してくれたりするのだ。
 当麻は不意に振り返って言った。
「だが、本当にいいのか?。むしろおまえ達には、同室の方が都合が良かったんじゃないのか?」
 資料に気を取られているかと思えば、突然意味不明な言葉を掛けられ、征士ははたと目を開く。
「何のことだ?」
「大学にいた頃のことさ」
 と、ひとつヒントを貰えたものの、征士は結局、当麻の示す何事かの記憶を思い出せなかった。
 大学にいた頃、何か重大な事件でも起こっただろうか?。自分と当麻、伸はサークルの先輩後輩と共に、講議や実習のない時間はよくよく顔を会わせていた。ブリッジサークルと言う名目を掲げてはいたが、実態は知的傾向の強い学生の社交場で、向学心のある者同士が知り合える格好の場だった。自分達もその中で、ほぼ同時期に知り合い友人となった…。
 そのように、征士が学生時代の記憶を辿っていると、
「とは言え、意外と本人達は気付かないのかもな」
 またしても、当麻は意味深長な言葉を征士に聞かせていた。
「私達が…?。何に気付かないんだ?」
 判らないことが徐々に、気持悪く感じて来た征士はそう返したが、当麻は万一、本人に取って嫌な記憶を蒸し返すことになるのかも、と配慮してしつこくは問わなかった。
「いや、忘れてるんならいい。どうもしてないから今があるんだろうしな」
 当麻はそう答えると、征士が思い付かない以上話題が進まないと踏んで、未読の資料を読む作業に戻ってしまった。謎めいた言葉ばかり投げ掛ける、思い出せないと知れば途端に興味を失う。そんな相手の態度を見れば、征士は増々穏やかで居られなくなって行く。
 私達三人は、それぞれ違う地方から東京に出て来た者同士で、それぞれ専攻も違ったが、当時は最も親しい友人だった。サークルには様々な学部の様々な年代の学生が居たが、他の者はサークル以外での付き合いはあまりなく、逆に私達は遊び、買物、旅行など何でも一緒に居ることが多かった。映画館、喫茶店、居酒屋…。
卒業してからも、仕事の合間を縫って年に二、三度は会っていたけれど…。
 征士は再度記憶の糸を手繰り寄せてみたが、これと思う過去の出来事にはなかなか行き着かない。
「遠回しな言い方をせずに、言いたいことがあるなら言えば良いだろう?」
 と、仕舞いには音を上げるように言ったが、
「それは俺に言うことじゃない。おまえは伸に何か言いたかったんじゃないのか?、って話だよ」
 当麻はさらりと返すばかりだった。
「何を…?」
「十五年も経ってるんだ、昔話で済むことだろうに」
 昔話で済む、そう言われても何のことだか見当が付かない征士は、思いもしないタイミングで新たに頭を悩ませていた。一難去ってまた一難。何処へ行っても心の安息を得られない征士。
 しかしもう他の部屋は無いので逃げ出すこともできなかった。
『何を言ってるんだ、当麻は…』
 今夜は諦めて、身に降り掛かった謎と共に眠るしかなかった。



つづく





コメント)容量的に超ギリギリですっ。何とかここまでを1pに収めたくて、所々端折ったのも痛いけど、もうコメントも書けないので次へ進んで下さいっ。



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