宇宙を想う
母なる夜
#2
THE LONG EXPECT



 煩悩京の伽藍のひとつを改め、会席用の座敷の広間に造り変えられた部屋。その窓から、やや色が霞んで来た夜空を見て遼は言った。
「もうすぐ夜明けのようだな」
 長く眠る間に聞こえていた奇妙な音は、妖邪界に生息する夜鳴き鳥の声だと、後になって当麻から聞いた。けれど今はもうその声が止んでいる。そろそろこの世界の長い夜が明ける合図だろう、と遼は思った。如何に長く深い夜だとしても、必ず夜明けはやって来るものだ。そしてまた夜が来る。そうした基本的な約束が守られている世界は、何と優しいのだろうと考えていた。
 地球と言う星は、奇跡的な条件の中で人類を生み出したと言うが、確かに、宇宙の星々を見れば圧倒的に、地球より厳しい環境が想像されるものばかりだ。恒星に近過ぎれば生物は生まれない、遠過ぎれば光など滅多に拝めない。永遠の昼も永遠の夜も、生物に向いた環境ではない。だから心が草臥れて来るのだと、今の遼には考えられていた。
 ここに来ることができて、一時深く休息することができて良かったと。
「そろそろ迦遊羅の支度とやらも終わるだろう」
 遼と征士の後に、次々と他の仲間達も目を覚ましたが、最後に当麻が目覚めてから、既にある程度の時間が経過していた。眠り過ぎて多少鈍っていた各自の頭も、既に通常の状態に戻っている。そして、
「それにしても、迦雄須一族の神とは何者なんだろうな。迦雄須が居なくなる前に聞いておくべきだった」
 と当麻は早速、新たに得た情報を推理し始めていた。
 日本に古来から存在する、古事記に含まれる神々とは恐らく違うだろう。迦雄須の装束は仏教的なものに近い。無論奈良時代の人物ならば、それ以前に朝廷が広めた宗教に触れている筈だ。だがそれは現代の仏教より、インドやチベットに伝わる密教の色が強かった。その場合、現代日本で知られている仏ではなく、インドやチベットの土着神である可能性もある…。
 それが迦雄須にどんな影響を与え、何故その後も彼の一族に結び付いたのか。当麻は今、思索の愉しみにどっぷり浸っているところだった。が、
「ふぁ〜、待ちくたびれたぜ」
 その横で秀は、部屋に運ばれて来た食事をすっかり平らげ、退屈そうに欠伸をしていた。否、極めて幸福な退屈だっただろうが。
 それからもうひとり、
「皆無事に命拾いをしたと言うのに…」
 と征士が話し掛けると、途端に自我を戻したように気付く、やや様子のおかしい伸もまた、時間を持て余した風に膝を抱えていた。
 このような状況に於いて、全く彼らしくない態度だと思う。先程まで布団を片付けたり、お膳を下げる手伝い等はしていたが、一時でも普通の生活に近い場に来られたと言う、喜びや安堵が全く感じられない。使命を途中放棄している状態に、そこまで呵責を感じているようでもないのだが。
 理由は聞いてみなければ判らなかった。
「何を考えている?」
 征士が続けて尋ねると、伸は少し間を置いてこう答える。
「何かさ…、出来過ぎてるかなって。運良く妖邪界に出て来るなんてさ」
「ああ…」
 彼が今何を思っているかは、それだけでほぼ理解することができた。同じ課程で飛ばされて来た仲間なら、誰でも多少は考える事情だったので。
 つまり迦遊羅の話した通りなら、彼等は妖邪界でなく、地球に送り返される可能性もあったのだ。『見張り』は機械的な仕事をするだけで、吸い込まれた者の事情など考慮しない。彼等を地球人と見るなら、むしろ地球に戻される方が自然だった。
 だが五人は妖邪界へと飛ばされて来た。もし彼等が、嘗ての鎧戦士のままだったなら、深く考える問題ではなかったけれど。今は阿羅醐の鎧を離れ、別の存在意義を持つものになっているのだ。それでも転送先は妖邪界が相応しいと、判断されたのは多少納得し難い話だった。理屈が解らないことより、最も条件の良い場所に出たことに困惑を覚えた。
 何故なら、戦士達は地球には戻りたくなかった。再び鎧世界へ行くのが難儀になるからだ。そしてここには空間を扱える神が居る、と言う話だった。妙に都合が良いと感じても仕方がなかった。
「…そうかも知れんな。だが全て悲観的に考えなくとも良いだろう」
 伸の考えは解るけれど。征士は伸が発する不安気な空気を、掻き消す様に歯切れ良く答えていた。この後どう転んだとしても、今最良の状況に救われ生きている、そこを重要視すべきだと征士は思っている。
「悲観してるって程じゃないけど、何か、何か運命みたいなものに押されて、来るべくしてここに来たって感じがするんだ。誰かが外側から操作してるんじゃないか、とかさ」
「どうだろうな」
 すると、極静かに交されていたふたりの会話に、突然当麻が口を挟んでいた。
「理由がありそうだって話だろ、要するに」
 普段ならこのふたりには絡もうとしない彼が、何故そんな行動に出たのかを、征士は薄々気付いているようだった。
「おまえが解釈しなくて良い」
「解ってなさそうだから説明したまでだ」
「あのな…」
 鎧世界に滞在する間、徐々に掘り起こされ、開発されて行った個々の能力。それは各自の特徴をより際立たせるものだった。力が身に着いて行く課程に於いて、過去と特に違うのは、表面的な強い素質を磨いて来たのに対し、内に眠る要素を引き出して来た点だ。すずなぎの鎧が単に戦う為のものでなく、円滑に目的行動を行い、何かを伝えようとする存在であることが、戦士達には確と感じたられていた。
 と同時に、性格と言っても良い個々の要素が、外側のものも内側のものも、鎧の能力として引き出されたことで、五人の間に以前と違った見方が生まれていた。即ち、それまで見えにくかった内なる性格を見て、より多くの理解と、より強い結束が育まれていたのだ。
 それを無論征士も判っている。性質の似た能力を使う当麻と伸が、根底の何処かに共通する意識を持つことは、数学の公式ほどに理論的だった。ただ、
「先を案じ過ぎるのだ、おまえ達は。そうした感覚が鋭い所為だとは思うが」
 彼等の能力が、意識を絶望や限界の方向に向け易いことを、征士は懸念してそう言った。人の枠を越えた知覚を得ることは、大体そんな悲劇に結び付き易いものだ。まあ今の状況は、深刻に窮する場面ではないけれど。
 すると当麻もまた、一瞬彼らしからぬ、鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を見せ、そして顔を下げてしまった。そんな風に、思わぬ図星を指されるようになったのも、彼等の能力が使える域まで極められて来た結果だった。
「…俺は伸ほどは見えんさ」
「ならば考え過ぎるのだ」
 当麻が返すと、征士は間を置かず次の言葉を続けていた。プライドの高い当麻の、言い訳しそうな事も征士には判っていたからだ。これからは、優れた能力の負の側面も己の個性であることを、否定せず自ら受け入れて行かねばならない。だからこそ鎧世界は、心情的に辛い場所なのかも知れないけれど。
「フフ、ハハハ…」
 だがそれまで大人しすぎた伸の口許に、楽し気な笑い声が戻っていた。例えそれぞれが少しずつ、違う形へと変化しているとしても、征士と当麻の遣り取りは以前と変わらなかったので。それは恐らく、完璧を繕おうとする当麻と、欠点が見えたままの征士、ふたりの在り方の違いから来る面白さだと、今頃になって気付く機会だった。
 だからやはり、征士の説に一理あると伸は納得した。全員が揃って生きているなら、例え絶望的状況に在ろうと、ふとした状況に笑うこともできるのだろう。と。
 その時、部屋の障子が引かれる音がして、
「久しいなお主等、些か妙な再会だが」
 と、酷く懐かしい声が戦士達の耳に触れた。那唖挫に続いて、五人が倒れているのを発見したと言う螺呪羅が、
「まったく奇妙なことがあるものだ。次に会う時は、滅多な時ではないと思っていたが」
 と呟きながら、至って平素な様子で中へと入って来た。過去ならば敵である鎧戦士達に、そんな友好的な態度を取る筈も無かったが、今は何故だか自然なことのように感じられた。時の流れとは良いものだと。
「よう、そうだな!、俺もそう思ってたけどよ」
 退屈していた秀が、彼等の態度を素直に受けて最初に声を発する。しかし遼は、
「いや、もしかしたら今がその『滅多な時』かも知れないな」
 と、もう少し慎重な様子で魔将達に返した。
「そうかも知れぬ」
「あ、そっか。そうとも言えるか」
 那唖挫がそれを肯定すると、続けて秀も、遼の落ち着いた見方に感心しながら呟いた。ここぞと言う大事な時、或いは転機となる時がいつ訪れるかを、誰も予め知ることはできない。それなら常に、あらゆる可能性を思って行動するべきだった。特に難しい立場を与えられた戦士達は。
「それよりあんた達は、特に変わり無いようで何よりだ」
 そして遼がリーダーらしく挨拶を締めくくると、この場はより柔和な雰囲気へと変わって行った。
 いつの間に遼は、そうした快い挨拶行動ができるようになったのだろう。と、横で秀は感服するばかりだった。目には見えないけれど、誰もが様々な部分を進化させている現実。それも無論、時の流れの良い点のひとつだった。例えゆっくりゆっくりと、揺蕩たふような流れに身を置いていても。
 しかし必ずしも、時間の経過が幸福に繋がる訳ではない。
「ま、今のこの妖邪界では、大した事は起こりようもないな」
 遼の気遣いに対し、螺呪羅はそう返事をした。
「何故だ?」
 ある程度の想像はできなくなかったが、遼が子細を問うのは当然の流れだった。すると、
「元より妖邪界は、気候や土壌の変化の無い安定した土地だ。更に今は『国』に当たるものも無いしな」
「国の区別が無いのか?」
「そうだ。過去は阿羅醐が国を定めていたが、元々国同士を争わせる為の仕組みだった故。面倒なので崩壊したままにしている。大体人間が少な過ぎてどうにもならん」
 螺呪羅は大まかな妖邪界の現状をそう話し、最後に那唖挫が一言付け加えた。
「この煩悩京だけは、今も都と言うことになってはいるがな」
 彼等の言うことはつまり、鎧に関わる戦に破れた後の妖邪界は、阿羅醐の持っていた絶大な妖気が失われ、それに支えられていた存在も皆失われ、今は全体の活力が失われていると言う意味だった。
 勿論戦う事が全てで、さしたる文化的発展も見られなかった土地だ。活気があった時代も、血生臭い出来事が只管に続く歴史しか持たない。それを未来に復元させたいとは、残る者達も考えていなかった。ただ、人で賑わっていた記憶が存在する限り、誰もがそれを懐かしむだろう。例え戦乱ばかり繰り返していた世界でも、ここを郷として暮らす者の心情は、それなりに想像できるものだった。
「そうか…。妖邪界のその後のことは、俺達は知りようがなかったが…」
 遼は聞かされた現状を思って、やや淋し気な返事を聞かせていた。鎧戦士の活動が悪い訳ではないけれど、過去の戦いがあり、その結果妖邪界は斜陽の世界と化した。阿羅醐の悪しき呪縛は解けても、後に残る世界までは救えなかった。そんなやり切れなさを覚えて。
 途端に歯切れの悪くなった遼に代わり、会話は当麻が続けることになったが、
「あんた等も大変だな。まあ、下手に集団を区別しない方が良い面もあるだろうが」
 と話すと今度は、
「あン?、何が大変なんだよ?」
 秀が余計な茶々を入れて、思うように話が進まなかった。当麻としては、遼が引き出した話題を受けて、ここで是非妖邪界そのものについての、見聞を深めたいところだったのだが。
 しかしそこでタイミング良く伸が、
「馬鹿だなぁ、今の彼等は言ってみれば、妖邪界の政府なんだよ。元々魔将達は、兵隊の中で一番地位が高かっただろ」
 と、秀の考え無しの様子を嗜めたので、大きく流れを乱されずには済んだ。
 そう、伸の言う通り今の魔将達は、この世界の管理責任者の立場なのだ。嘗てはただの軍人のようなもの、だったけれど、実権を握っていた祭司達が消え失せた後、彼等が代わって行っているのは正しく行政だった。と言っても、現代の地上ほど複雑な世界ではない上、管理すべき物事も少ない為、世界を忙しく飛び回る様子は無いが。
 また迦遊羅と言う最高責任者も存在する。彼女から神託の内容を受け、それに沿って行動すれば良いので、難しい問題に直面することもあまり無かった。政府を構成する一員と聞くと、大層な努力をしているように聞こえるが、魔将達は意外にお気楽な待遇かも知れなかった。
「あー…そうなのか」
「クックッ…、相変わらずだな金剛」
 伸に思考力の欠如を指摘され、続けて螺呪羅には、懐かしくも感じる嘲笑を浴びせられる秀。そんな彼について更に当麻が、
「お恥ずかしい限りだ」
 と呆れて話すと、那唖挫を皮切りに、部屋に居た誰もが笑い出していた。
「ハッハッハ…」
「何だよ!、突然出て来た言葉だから聞いたんだぜ!?」
 そして笑い合うことにより、更に場が和やかムードになった中、秀はひとり破れかぶれの様子で怒鳴っていた。
「会話とは、言葉を聞けば良いと言うもんじゃない」
 などと冷静に切り返す当麻には、結局焼け石に水の抵抗だった。
「ああそうかよっ」
 ただ、そう答えて不貞て見せてはいるものの、秀はこの場が明るくなったことに満足もしていた。故意の馬鹿発言ではなかったが、一時道化役になる程度で変わる事情があるなら、「お安いご用」と言うところだっただろう。
 そしてそんな秀の思惑通り、それまでの身に詰まされる会話を離れ、那唖挫は先に目を向けた話題へと切り替えていた。
「ところで迦遊羅から聞いたが、『見張り』に掴まったんだそうだな」
「ああ…」
 それまで暫し黙っていた遼が、その名称に反応して顔を上げる。
「あんたは知っているのか?、あれが何なのか」
 まだ地球以外の世界の理屈は、殆ど知らないと言って良い現状は、今回の出来事で些か心細さを感じさせていた。鎧世界に降り立った時には、新天地へと船出する開拓者の気分で居られたが、その後新しく何かを知る度に、世界はより広く、遠ざかって行くもののように遼には思えた。知らない事があまりに多過ぎると、肌身を通して知った。これが世界であり宇宙なのだと。
 自分達は、ひとつの地球人の命題を課せられ、こうして活動しているけれど、世界規模で大きな事を為す為には、人間と言う存在はあまりにもちっぽけだと感じた。手に取れる物も、頭に蓄えられる事もほんの僅かなのだ。それで本当に、自ら望む結果を出せるのだろうか?、約束を果たせるのだろうか?、と、あってはならない疑問さえ頭を過る。
 昔はただ人の誠と言う概念を信じられたが、今は迷う事ばかりだった。『見張り』についても、鎧世界についても、突然複雑過ぎる世界構造を突き付けられ、理解できずに時が経つばかりだった。
 だから遼は、多少焦りのようなものを感じていて、知らない事例については何でも聞きたがるのだが、
「いや、迦遊羅から聞いた話だけだ。遭遇どころか、誰も目にしたことはない」
 残念ながら魔将達も、それに答えられる知識は持ち合わせないようだった。どころか逆に、螺呪羅に同じ質問で返されてしまう。
「我等が聞きたいくらいだ、一体どんな物なのだ?」
 迦遊羅に説明するのも一苦労だったが、遼は再び考え込む羽目になった。
「…う〜ん、何と言ったらいいのか…」
 すると、
「俺達の目に見えた姿が、真の姿とは言えない気がする」
 当麻は自分にも説明し難い、と言う内容の助け船を出していた。
「俺達はここに来る直前まで、人の世界じゃない場所で過ごしていたが、そこで感じたことは、人の知り得ない理屈が世界には存在する、と言う事実だった。だから今の己の見方にあまり自信が持てないんだ。何とも言えない。それが答だ」
 当麻がそう言うなら、魔将達はそれが極めて難しい問いであると、容易に理解できる筈だった。また誰も内容に異を唱えないところを見ると、当麻の見方に皆賛同している様も窺えた。
 それは明らかに、少年時代の彼等とは違う様子だった。消化できない疑問を抱えながらも、客観的な現実を見出だしているようだと。魔将達はまだこの時点では、五人がどんな経験をして来たのか知らない。けれど、彼等が確実に何処かへ向かって、進歩していることが確と判った場面だった。
 ほんの少し、微笑ましくも感じられた。そう受け取った上で那唖挫は、
「珍しい、余程の事があったと見える。天空自ら『自信が無い』とは」
 多少からかうような口調でそう返す。ある意味では誉めていたのかも知れない。そして、
「勘弁してくれ、全能の神じゃあるまいし」
 と言う当麻には、むしろ余裕さえ感じられた。経験と知識の膨大な詰み重ねが、何れ戦士達をより高い場所へと連れて行くだろう、そんな予想を那唖挫に与える程に。
 古く幼い時代の様式を今も、この後も続けて行くであろう妖邪界。そこから離れられない魔将達には、些か切ない話だったけれど。
「おお!、お主等、何事も無かったようだな」
 と、落ち着いた会話の中に突然、遅れてやって来た人物の声が割り込んで来た。
「で?、何が勘弁なのだ?」
「貴様入って来ていきなり何だ」
 無論その人物は、残るもうひとりの魔将だが、場の様子をまるで気にせず入って来たのを見て、螺呪羅は一言文句を付けた。続けて那唖挫が、
「『見張り』の話を聞いていたのだ。どうにも説明の難しいもののようだが」
 と話したが、悪奴弥守は変わらず軽い調子で答えるばかりだった。まあそれだけで、那唖挫も螺呪羅も特に気に留めてはいなかった。
「へぇ〜?、そうかい」
 振られる話を適当に受けながら、部屋の奥へと歩いて来た彼を見て、伸と秀は口々に呟く。
「関心無さそ」
「だなぁ」
 すると何故かそれに対しては、まともに返事をするのだった。
「まあな、俺は思索するのは好かん。害を為すものでもなくば、考えるだけ無駄だ。…なぁ?」
 そして話しながらその場に座ると、偶然なのか故意なのか、横に居た征士に同意を求めた。否、幾ら悪奴弥守とて、征士が「はい」と言うとは思わなかった筈だ。正にその通り、
「あんたらしいな」
 と一言で征士が片付けると、
「そうであろう、何を考えようとまた陽は昇るものだ。運の良い時も悪い時もある、死ぬ時は死ぬ」
 などと、悪奴弥守は意外に満足そうに答えていた。自然の中に生きることを好む彼の、独特な物の見方だろうか。また五人から見た悪奴弥守のそんな様子は、那唖挫と螺呪羅に対し、ひとり浮き上がっているようにも感じられた。
「これだからな、奴とは話にならん」
 続けて螺呪羅が呆れるようにそう話すと、遼はそこに至って、
「ハハ、結構楽しそうにやってるんだな」
 と、自然に笑えたのだった。
 まるで誰かと誰かの遣り取りを見ているようだった。残る魔将達の関係も、自分達と何ら変わらないことを知って、安心したのかも知れない。思考したがる者も居れば、道化役を買って出る者も居る、離れて静観したがる者も居る、そんな具合にバラバラな性質を持ち、且つ纏まっているのだと。
 遼はこれまでずっと、この妖邪界へ辿り着いた意味を考えていたが、それが如何なる理由だったとしても、もう、どうでも良いことのように感じつつあった。過去に残して来た心配事のひとつに、改めて触れる機会が設けられ、嘗ての戦場も今は平穏であると伝え聞くことができた。それだけでも充分じゃないか、と思えた。確かに悪奴弥守の言う通りかも知れない、考えて解る事ばかりじゃないと。
 そうして、清々しい態度に変わった遼の前には、もうひとつ珍しい場面が展開されて行った。前の話に続けて、螺呪羅は事の次第を伝え始めていた。
「それでな悪奴弥守。我等には『見張り』のような真似はできぬし、『天つ神』を呼ぶことにしたんだと」
 すると、話を適当に聞き流していた筈の悪奴弥守が、
「え…天つ…」
 途端に動作を硬直させ、眉間には深く皺を寄せ、顔色を土気色に変化させて行った。有難い神の名を耳にしたにしては、相当に奇妙な反応だった。
「まことか…?」
「今迦遊羅が支度をしている」
 と螺呪羅が返すと、那唖挫はもう少し詳しく事情を説明する。
「こ奴等を元の場所に送り返すには、それしか方法が思い当たらぬと言うのだ。支度が出来次第、ここに呼びに来ると言っていたが?」
 来客である五人には、それだけの話にしか思えないが、固まって黙り込んでいる悪奴弥守の様子は、尋常で無い事態をありありと示していた。
「・・・・・・・・」
 一体この状態は何なのだろう?。と、征士の次に近くに居た伸が、やや覗き込むような姿勢で悪奴弥守に尋ねる。
「…どうかしたの?」
「あ…、いや、何でもない」
 彼は酷く深刻そうな顔をしていたが、話し掛けられた途端にそれを改めようとした。だが、
「何でもないって感じじゃねぇんだけど?」
 秀にもそう突っ込まれてしまった。ここはまともな理由を答えないと、如何にも怪しいと映ってしまう場面だった。どうにかして場を繕いたいとの、意思だけは彼から伝わっていたのだが…
 結局、
「そん…。…あ、そうだ、俺は用を思い出した。悪いが退散させてもらう」
 口下手な性格が災いして、来たと思ったらすぐまた帰る羽目になっていた。まあ、悪奴弥守にはやむにやまれぬ事情があったようだ。
「何なんだ、おい」
 と、秀は目をバチクリさせて、障子の向こうへと急ぐ悪奴弥守を見ていた。彼の姿が部屋から消えてしまうと、途端に那唖挫と螺呪羅が笑い出す。
「ハッハッハッハッ…」
「どうしたんだ…?」
 笑い出したふたりを見て当惑する遼も、不思議そうな顔をしてそう尋ねる。すると那唖挫はさも可笑しそうに、座している膝を打ちながら言った。
「クックッ…、悪奴弥守は天つ神が苦手なのだ。叱られるから」
「叱られる?」
 その答は、遼には些か不可解な話だった。否、誰にしても神と呼ばれる存在が、直接叱ったり誉めたりするとは考えないだろう。それについては、那唖挫の言を聞いていた当麻も、大いに疑問を抱いていた。
「随分と人間臭いんだな?、迦雄須一族の神は」
 と、彼は追随して那唖挫に尋ねた。勿論古代の神話に登場する神々なら、手の届かない存在と言う感じではない。天照大神にしてもゼウスにしても、人間と交わるエピソードが多く存在する。が、それ以前に神話の登場人物が、実在したと言う保証も無い。もし彼等の言う天つ神が、そうした人間に近いタイプの神なら、今は貴重な機会だと当麻には考えられた。
 即ちここ数千年の期間は、地球史に於いて、喜怒哀楽を持った人間臭い神は現れていないのだ。極めて霊的で、万能で厳格な神のイメージは、比較的近代に成立したものだと言う。今と言う時は、もしかすれば極古い時代の神に触れられる、二度と無い好機かも知れない。と当麻の期待は尽きないようだった。
 しかし那唖挫は、
「いや…、それは奴が悪いのだ。天つ神は我等にひとつの課題を示したが、奴は考えることを放棄しているからな」
 と、当麻の期待とは多少違う方へ話を進めていた。遼に取っては寧ろその方が、関心を引く内容だったけれど。
「課題とは何だ?」
 趣くまま遼が再び質問をすると、那唖挫はそれについてこう説明した。
「そうだな、お主等には解ると思うが。ここに残された悪しき遺物を、未来永劫外へ出さず、誰の目にも触れさせぬまま、この妖邪界ごと消滅させるにはどうすれば良いか。そんなところだ」
 神が伝える内容とは恐らく、教師が解説するような明瞭なものではない。故に魔将達もその解釈を、明瞭な言葉にはし難いようだった。
 けれど、確かにその意味は充分に理解できた。同じ鎧と言う存在に関わって来た者同志、思い測れる事は数多くあった。まだ残されている筈の四つの鎧のこと、そしてこの、古のまま留まる不毛な世界のこと。それらの未来を考えるのは、確かに関わった者達の責任かも知れない。天つ神の話を通して、魔将達の覚悟のようなものが窺い知れた遼だった。
 ただその手法について、当麻は少し腑に落ちないでいた。
「どうやってひとつの空間を消滅させるつもりだ?」
 そう言って魔将達の、課題に対する考えを探ろうともしていた。考えようによっては、妖邪界の消滅と共に自らの命も断て、と言われたようなものではないか…?。
 けれど、
「判らんさ、我等には何も」
 と、那唖挫は変わらぬ調子で答えた。そして螺呪羅は、
「だがそれを考えるのが課題なのだ。まあ暇潰しでもあるかな、フフ…」
 そう続けながら笑っていた。難しい問題を突き付けられ、解けないと言って笑う魔将達の奇妙な様子。終わり行くばかりの世界に対し、彼等は何を思っているのやら。
「何だそりゃ?」
「解らぬであろう?、金剛。俺にも解らぬ」
 秀が派手に首を捻るのを見ると、螺呪羅は余計に楽しそうな声で返した。更にそれを見ていた征士が、ここまでに聞き知った話から、
「なかなか手強い相手のようだな」
 と天つ神の性質を想像して言うと、伸は、
「そうかな…?」
 ごく柔らかい口調だったが、珍しく迷いの無い様子で否定していた。
「違うのか?」
「…いや、何でもない」
 神と言うのだから当然、厳しい面を持っているのは解るけれど。愚かな人間を成長させる為に、神が謎掛けをするような話は、多く現代にも残されているけれど。
 伸は敢えて、自分の解釈を魔将達の前で話すのは止めた。彼等の気の遠くなる人生を思えば、軽々しく語るべきではないと思った。天つ神は恐らく、魔将達に生きる目的を示したのだと。
 これ以降の発展も豊穣も望めない、この荒廃した小さな世界に閉じ込められ、長過ぎる生を全うしなければならない人々が居る。そんな人々に取って、神の与えた難解な課題は、ひとつの慈悲と捉えることもできるのだ。だから螺呪羅は、笑いながら「暇潰し」だと話した。一見無駄な事のように見えても、何が彼等に必要かを神ならば知っているだろう。
 そうして、迦雄須一族の神は鎧に関わる全ての者を、見守ってくれているのだと伸は感じていた。するとその時遼も、
「難題も与えられるが、同時にここを見守ってくれていると言う訳か」
 伸と殆ど同じ言葉で返していた。思わぬ同期に多少驚きはしたけれど、もう少し考えを進めれば、誰もがそう理解できる筈だと伸は思った。違う筋道を辿っても、遼のように理解できるならそれで良かった。天つ神とは人間に愛情の深い神なのだと。
 那唖挫は遼に答えて、
「まあ、迦遊羅がえらく懐いているからな、我等もそのおこぼれに与れるのだ」
 と続けていた。
「懐くって…」
「迦遊羅が言うには、天つ神とは渡り鳥のようなものだそうだが」
 こうして次から次へと、天つ神についての情報は語られたけれど、結局遼には確固たるイメージが浮かばぬまま、語らいの時は過ぎて行くのだった。



 社殿の北側には様々な祭具が設えられていた。
 菰(こも)の敷かれた庭に案と言う祭壇を作り、その上に依代(よりしろ)として、立てられた錫杖は御幣で飾られていた。その周囲には雛飾りのような三方や高杯。それぞれに神への供物として、白米の飯の器、二種類の酒の徳利と盃、鮮魚、菓子類、乾物等が乗せられていた。
 迦遊羅は単の下に袿(うちき)袴と言う、神職に仕える女性の装束を身に着け、手には榊の玉串を携えていた。
「…確かに那唖挫にはそう話しましたが、正しくは現世に存在する動物には例えられませぬ。可愛らしい小鳥でも想像されましたか?」
 遼は神を呼ぶ儀式の前に、那唖挫が話した「渡り鳥説」を尋ねたが、それも表現のひとつだと迦遊羅は言った。そして未だ遼には、神と言うもののイメージが浮かばないでいた。
「いや…、人間に似た感じかと思ったんだ。なぁ?」
 彼はそう言って、すぐ後ろにいる秀を振り向くと、意外にも彼は、
「へ?、そうか?」
 と、簡単に遼の想像を覆していた。
「あれ、違うのか?」
「だってよ、色々あるじゃんか?、猿の神とか象の神とか」
 秀の言う通り、大陸文化に於いては、動物の神は割合ポピュラーなものだ。他に白牛や蛇なども知られているだろう。否それ以前に、「アヌビス」と言う名がエジプトの犬の神だ。世界中に多くの動物型の神は存在する。そして付け加えるように当麻が、
「日本では狐だ」
 と言った。
 確かに落ち着いて考えれば、日本中の稲荷は全て、正一位の御狐様を祀っていると思い出せる筈だった。日本では赤い鳥居のある風景は、あまりにも有り触れているだろうに。
「そう言えばそうか。俺あんまりものを知らないな…」
 遼はこれまで関わりの無かった分野に対し、知識が浅いことを恥ずかしく感じたようだった。けれど、彼の「人間型」と言う思い込みは、寧ろ話をよく聞いていた証拠だった。
「ホホホ。でも人の姿でもあるのですよ。いえ、既に常識的な人の姿とは言えませぬが…」
 と、迦遊羅はもう少し詳しい話を彼等に聞かせた。そう、迦遊羅は最初に話した筈だった。迦雄須も知らぬ昔、天つ神は生き神だったのだと。だから彼は、「人間型」と思い込んだに違いなかった。
 ただ、真摯な態度で話を聞いた事実はともかく、多くの事を一度に聞かされた所為か、遼の混乱はやはり収まらないままだ。
「え…?。訳が分からないな」
 しかしそんな遼の様子を咎める者も居なかった。
「私にも、何が真実かは判りませぬ」
 遼の言葉を受けて、迦遊羅もそう答えていた。人智を超えるものに対しては、憶測は可能だが、現実にそれを証明することができない。人間の能力には限界があり、憶測を重ねても真実に成り代わることはない。彼女はそんなことを言いたいのだろう、と感じられた。
 するとそれらを簡潔な言葉に纏めて、
「人に神のことなど解らぬ」
 と征士が言うと、
「仰る通りです。ただ一族の神ですから、私には残された家族のような存在です。一族のただひとりの偉大な母…」
 迦遊羅は最後にそう話した。
「母…?」
 遼は思い出す、迦遊羅が懐いていると那唖挫が話していたこと。けれど親として慕うには、相手が随分不明瞭な存在だと感じる。そしてふと、自分にはまともに残る母の記憶が無いことも、遼は思い出していた。
 判らない。
 母親とは、神とは何なのだろうか。
「それでは始めましょうか。皆様は私の立つ位置の後ろに、そうですね、二列におなりになって、膝をお着き下さいませ」
 一頻りの会話が終わると、迦遊羅は場を切り替えるようにそう言って、戦士達を祭具の前に二列に並ばせる。前の列に遼、秀、伸。後ろに征士と当麻。全員が片膝を着いた格好で、頭を下げ、目を閉じるか地面の一点を見るようにさせる。
「どうぞそのままに、私の祈祷が終わりますまで、口を開かずにお願い致します。天つ神様がお出でになりましたら、お顔を上げて結構です。では…」
 そして迦遊羅は、幾度か深々と礼をし、玉串の枝を錫杖の前に捧げ、依代に神が降りる特別な祝詞(のりと)を唱え始めた。
「トーホーカーミーエーミーターメー…」
 神事に使われる祝詞は、皆大和詞(やまとことば)と言う古代語の文句だが、迦遊羅や魔将達が本来居た時代からは、そう遠い昔ではないのかも知れない。迦遊羅の口からは殊に滑らかな調子で、善き言霊が生まれていると感じられた。
 ただ、当麻が想像していた仏教系の祈祷ではなく、日本古来の神道形式であることに、跪く数人は疑問を持ったようだ。何故一族の長である迦雄須と、迦遊羅の宗教が別物なのだろう?。それで道理として通じるとは、とても思えないのだが…。
 そして暫く、理解しにくい詞の羅列が続いた後、
「天渡る神、迦雄須一族の神よ、我が元におはしませー!」
 迦遊羅が両手を上に向けてそう言うと、戦士達の下げていた頭の上に、ふわりとした風が起こっていた。そして殆ど聞こえないくらいの、幽かな羽音と共に、奇妙な光が降りて来たのが感じられた。光、と言って良いのだろうか、辺りは照らされて薄い灰色に染まって行く。光なのに薄暗い。不思議だな、と、遼が頭で考えた時、天つ神は錫杖の上に静かに降り立っていた。
 各自が恐る恐る、下げていた頭を持ち上げた。
「…!」
 あまりにも衝撃的な出来事だった。
 思わず口を開きそうになって、慌てて自ら口を押さえた秀。
『バ、バケモンだ…!』
 その様子を横で心配しながら、伸も怖れを為すように目を見開いていた。
『神って言うより…』
 そう、人型ではあるものの、見た目は神と言うより鬼と呼ぶ方が相応しい。初対面の神は、酷く恐ろし気な姿をしていたのだ。
 即ち獅子舞の鬘のような白髪の下に、獣のような金の瞳、歌舞伎役者とはタイプの違う隈取りをした、青白い顔が見下ろしていた。人間らしく見えるのはそれだけで、首から下は何故か、重厚な金属の鎧に包まれて、ほぼ身動き不可能な様子に思われた。またその背中から、冴えない墨色の対の羽が下がっていた。天狗ですらもう少し見栄えのする羽を持っている筈だが。
 そして見詰めている内に、容姿などより余程恐ろしい物が、翼の下に隠れていることを知る。
『これが…天つ神なのか…?』
 遼は、迦雄須一族を支えて来たと言う、三日月鎌を背負ったこの神を見て、暫し言葉を失っていた。けれど迦遊羅の、偏に喜ばしさを表した表情を見ると、この神の本質は見た目とは違うのかも知れない、と考えることもできた。
「天つ神様、よくぞお出で下さいました…!」
 そして迦遊羅は確かに、知った顔を見付けて駆け寄る時のように、喜々として、近付けるだけ近付こうとする仕種を見せていた。彼女がそれだけの親しみと敬愛を持って、神と接していることは誰の目にも明らかだった。けれど、
『普通これは死神と解釈されるよな…』
 当麻がしげしげと、興味深く観察している横で征士は、
『不思議と何処かで見たような気がする』
 と、ぼんやりした記憶の中を泳いでいた。戦士達の師、迦雄須が崇めていた灰色の神は、果たして如何なる存在なのか…。

 その場はただ、時折髪を揺らす程度の風が感じられるばかりで、音も無く、奇妙な光に包まれていた。
 光の中心に、錫杖の先端に乗った状態の天つ神、と呼ばれる神が真直ぐに前を見据えている。否、その表情は現れた時から変わらなかった。動かない瞳、開かない唇、凍り付いたような表情と青白い顔はまるで、よくできた死人の面のようだった。
 そんな生気の無い顔が、重厚な鉄の板を幾重にも組んだ、禍々しさ漂う鎧の上に鎮座している。無論顔の表情と同様に、だらりと左右に垂れた両手の、指の一本も動かすことはなかった。微動だにしない。そして黙っている。人と言うより、金属の像がそこに置かれたような冷ややかな様子。
 勿論神なのだから、目に見える姿が屍のようでも、全く構わないことなのだろうが。
 ただ、無音の内に切に呼び掛けている、迦遊羅の見詰める視線に応えることも、全く無いのが切なく映った。何の反応も見せない相手を慕い、崇める気持は、その光景を端で見ている戦士達には、理解し難いものだった。
 迦遊羅の唱えた祝詞は、確と相手に通じているのだろうか?。この神は、彼女の願いに耳を傾けているだろうか?。と、俄な疑問が五人の胸に昇って来る。
 けれど、暫く経つと、
「…天つ神様、今この妖邪界にて、私共には如何ともし難い事態が起こりましてございます。私共、そしてここに集う者達に、どうか天つ神様のお導きをお願いしたく存じます…」
 迦遊羅は確かに、誰かと会話するようにそう話した。見えている現実とは別に、天つ神は確とここに存在し、彼女に話し掛けているようだと、戦士達は新たに思うこととなる。
 目にも耳にも捉えられなくとも、空気の動きや気配が感じられなくとも、確かに迦遊羅と交流している迦雄須一族の神…。
 そしてまた声が消えると、何も聞こえぬ状態を、
『迦遊羅にしか聞き取れない声なのか。或いは迦雄須一族の言葉とか』
 当麻はそんな風に憶測していた。普通の人間の耳には聞こえない音域があるが、しばしばそれが聞こえる者も居る。迦遊羅がそうであるかどうか、尋ねたことはなかったが、可能性はあるかも知れない…。
 しかし、色々に考えてみても、結局この場に起こった現象については、全て憶測でしか理解できないままだった。そもそも神を呼ぶなどと言う行為は、科学では説明できない事だ。オカルティズム、シャーマニズム、古代魔術等の知識も、多少当麻は持ち得ていたが、その多くは精神の昂りが見せる幻覚としか、解釈できないものだった。
 だが今は違う。最も疑いを向けている自分の目にも、確かに神と呼ばれる者の姿が見え、また見えていない次元で、別の形の今が進行しているようだった。少なくとも当麻にはそう感じられていた。
 難しい。ただ理解するだけのことが難しい現状だ。
 そしてまた一頻りの静寂が過ぎると、迦遊羅は祭壇の前に畏まって、
「ありがとうございます。仰せのままに」
 とお礼の言葉を告げていた。
 再度手にした玉串の枝を、迦遊羅は舞うように優雅な動きで振り始めた。耳に聞こえぬ音楽の調べが、神への帰依と感謝を示しているようだった。その両手を徐々に高く、水平から空へと向けて行くと、彼女の振りに合わせるように天つ神は、錫杖の上を離れて行った。
 やがて、やって来た空へと昇って行く毎に、その姿は煩悩京の景色と同化して、見えなくなって行く。同時に取り巻いていた光も霞んで、跡に小さなつむじ風を残すばかりとなった。
 殊に静かに、神は現れ退散して行った。
 迦遊羅は身動きを止めたまま、暫しじっと祭壇の前に跪いていた。



つづく





コメント)半分以上は魔将達との会話でしたが、こういう場面は考えるのが面白くて好きです。悪奴弥守が殆ど出られなくてすみません(^ ^;。続きでまた魔将達は出て来ると思います。
 ところで、神道関係の難しい言葉が出て来ますが、それぞれの意味等は気にしないで構いません。大体漢字の意味の通りで、「依代」は神が降りて来て宿る物のこと、だそうです。
 また「天つ神」ですが、特にモデルにしたものがある訳じゃないので、多少イメージが掴み難いかも知れません。これからの話の中で少しずつ出て来るので、まあ読者の皆様も、トルーパーズと同じ目線で読んで下さいませ(^ ^)。



GO TO 「母なる夜 3」
BACK TO 先頭