夜を想う
母なる夜
#1
THE LONG EXPECT



 閉じた世界での無限に思われる活動が、環境と同じく平坦な訳ではなかった。
 現に、真摯な気持で取組んで来た事が実を結び、敵と思われるものの数が激減しているのを感じる。
 歩けども歩けども、対象を見付けられない時間が多くなった。
 止められない歩みの中で、ふと無言になると、途端にある思いが頭を擡げて来た。

 これで良いのだろうか?。

 風が起ころうとも舞い散る塵も無し。
 目的に飢えて彷徨う、こんな苦悩を遣り過ごすのも、戦士達の約束の内だったのだろうか。



「随分淋しくなったものだ」
 常にぼんやりとした空間の広がりに、何ら目ぼしい物も見出せず、立ち止まった地点からただ、ぐるりと周囲を見回して征士は言った。
 それについて、誰も反感など持ちようが無かったが、
「風流だな。ものは言い様だ、ただ退屈なだけだと俺は思うが」
 と、当麻は皮肉っぽく答えていた。征士は別段、言葉を選んでそう表現した訳ではないが、恐らく当麻の目に映るこの世界の状況は、そんな言葉では生温く感じたのだろう。閑散とした田舎の風景などを見て、「淋しい」と表現した過去の歌人達の世界とは、程遠いものを見ていたに違いない。
 標的の数が明らかに減り、同時にここに居る目的も、自分等の存在価値も失われつつある今は、あまりにも空しく空虚だと。
「あ〜あ、有り余る時間がありながら、何にもできねぇってのがなぁ」
 征士と当麻が立ち止まった場所に、追い付いた秀が溜息を吐きながら言う。それは全く的を射た言葉だったので、
「そうだな」
 相槌を打つ様に征士は答えた。その後次々に他のふたりも追い付いて、彼等はしばらくそこで休憩することにしたようだ。
 与えられた途方も無い時間、途方も無い世界に、戦士達は今、あらゆる物を持て余している状態だった。時間に比例する仕事量、体力や気力、命の輝きも目標へと向かう情熱も、今は行き場を失くしてしまった。こんな事になると始めに判っていれば、もっとゆっくり、急がずに与えられた作業をこなして行っただろう。今となってはどうすることもできなかった。
 まして悪しき存在に数を増やせとも言えない。相手があってこそ『戦い』、戦うからこその『戦士』だと、思わぬジレンマも感じる羽目になっていた。
 この異世界が正常であることが、地球世界の安定の為になるのは確かなのだろう。でなければ戦士達が、ここに送り込まれた意味が解らなくなる。但し、今は「凪」と言った静かな状態だった。禍々しい怨念に溢れていた時とは違う。しかしそんな静寂をも見詰め続けている、何をするでも無く歩き続けている。他に何もできないから、歩き続けるしかなかった。
 そうして時間を進めて行くだけの、虚ろな旅が続けられていた。
「…疲れているか?」
 伸が最後にやって来て、仲間達の集まる場所の少し手前で座り込んでいた。征士はその様子を見て声を掛ける。
「いや…。ここに来て疲れるなんてことないだろ」
「そうか」
 伸の返事は、ここでは当たり前に感じられるものだが、しかし征士は「そうか」と答えておきながら、同時に傍へと寄って行った。無論伸の言葉に偽りは無いだろう。この世界では鎧の力を使わなければ、体が消耗することは無いのだから。それが良くも悪くも、戦士達に区切りの無い活動をさせている。草臥れることは無い、陽が沈むことも無い。恐らくここで死ぬと言うことも無いのだろう。
 それがどんな状態か、この苦悩を他の誰が知っているだろうか。
 歩くだけで消耗することは有り得なかった。けれど征士は、伸が些か蒼い顔をしているのを見逃さなかった。病気、と言う訳でもないだろうが、
「・・・・・・・・」
 伸の横に座ると、征士は何も言わず彼の頭を抱いて、暖めるようにじっとしていた。
 何が起こった訳でも無い。ただ詰み重ねが辛くなる時もあるだろう。感受性の強い伸には、死者の押し付けがましい主張に触れる度、辛い思いをして来た筈だった。己の経験や感情とは違うものが、己の心を激しく揺さぶって来る。目の前に敵が居なくとも、遠い何処かからもその波動は伝わって来る。ここはそんな環境だが、伸はこれまで何とか堪えられていた。
 ただ、ふと差し伸べられる優しさには、素直に従う気持になれた。それだけ彼が弱っている証拠かも知れない。
「君には何でも分っちゃうね。今度から僕のことは君に聞くとしよう」
 穏やかに頭を預けたまま、それでも伸は冗談のような言葉を聞かせた。
「主客転倒だな」
「うん…」
 けれど、もう強がらなくても良いと覚ったのか、その後本心らしきことを彼は話す。
「少し疲れた…。体は何ともないけど、何か、頭や心がさ」
 やはり征士の予想通り、伸は目に見えぬ部分で参っているようだった。まあ、征士だけでなく誰もが、伸の様子には注意を払っていたのだが。
 この世界に来て開花した新たな力。新しい鎧を介して、自らの素質と能力を発展させた力が、今は五人それぞれに形となっていた。それに於いても伸は、超感覚的に相手の存在を捉える能力を見せ、只管精神を疲労させていたのだ。能力が磨かれる程に、この世界に充満する、有難くも無い怨念の気を広く捉えて行くことになる。世界が変わらない限り、伸はそんな事に堪え続けなければならなかった。
「伸には仕方のない事かも知れぬ」
 征士が呟くと、
「よく眠れないのも原因かな…」
 伸はそう答えて、そのまま眠りに就こうとするように、目を閉じてしまった。
 目を閉じたとしても、世界を包んでいる淡い光が瞼に触れている。何処か、暗く静かな場所に沈みたいと願っても、水面から下に潜ることができないでいる。身を隠す場所は何処にも無い、己を忘れて眠ることができない。この世界は心を疲れさせる。日がな変わらぬ半端な明るさが恨めしい。
 明るい世界を憎々しく感じることなど、嘗てあっただろうか…
「どうしたんだ、伸は」
 すると、蹲るように止まっていた征士と伸の元に、心配そうな顔をした遼が歩いて来た。
「ああ、遼…」
 眠りに就こうとしていた伸が、彼の呼び掛けに気付くと、途端に何事も無かったような声を返す。遼に対してだけは、最大限の気丈さを努力する伸の、普段と変わらない態度だった。
 けれど、寄り掛かっていた体は起こせたものの、短い返事の後に言葉が続けられなかった。それを見て征士が、
「身体的な疲労はその内回復するが、そうは行かない事もあるようだ」
 と、伸を代弁するように遼に話す。伸は、それでほぼ間違いないと言うように、
「うん…」
 とだけ征士に返した。一度休む体勢に入ってしまった後で、上手く言葉が思い付かない、多少もどかしい様子を見せながらも。
 すると、
「そうか。…今は俺達にも、少し分かる気がするな」
 遼はそう言いながら、ふたりのすぐ傍に腰を下ろした。
「そう…、ありがとう遼」
 伸が「ありがとう」と言ったのは、自分を気遣ってくれることに対して、でもあったろうが、今の状態に理解を示してくれたことの方が、より強く意味されていたようだ。
 何故なら、五人の戦士達はそれぞれ違う資質を持ち、似たような事をする者は他に居ない。伸から見ると、強いて言えば当麻が近いと言える程度だ。彼はここで、離れた対象を分析する能力を得たが、しかしあくまで物理的な分析であり、意思や感情に関わる分野ではなかった。なので、誰もが誰にも自己の相談をできなかった。それぞれが独立した分野を持ち、共通の理屈が使える部分は少ない。己の事は己で解決するしかなかった。
 まあ、それは大人として当たり前のことかも知れないが。
 ただそんな時、己のした事を誰かが見ていたと知ると、酷く報われる気持がしたのだ。例え真の意味で理解されなくとも、個の能力を認めてくれる者は、この先ずっと共に戦って行けると感じるからだ。ずっと同列に並ぶ仲間で居られる、伸はそんな事を有難く感じているようだった。
 だからか、伸は再び征士に寄り掛かりながらも、遼に今思う事を話し始めていた。
「…人ひとりがね、体の寿命以上に魂を永らえさせても、結局良い事なんて無いね」
 それは戦に思いを遺す、この世界の住人に関する話だった。
「ああ。そうだろうな」
「ここの連中に聞かせてやりたいものだ」
 聞く耳を持つのなら、と、征士が多少呆れたような口調で挟む。そして、
「幸運の神には前髪しか無いと言うが、怨念と化した者には耳が無い」
 と続けると、久し振りに出た征士流の冗談に、大人しかった伸も笑い声を聞かせた。
「面白いことを言うね、確かに、彼等は意固地になってるから不幸なんだ。そう…、恵まれていた人が、また同じ様に暮らせる訳でもないし、生前苦しんでいた人が、ここで幸福になれる訳でもない。僕らくらいにしか存在を認めてもらえない分、結局魂だけの自我なんて苦悩ばかりだよ…」
 その時、恐らく伸の話す内容は、人の間でしばしば議論される、『死後の世界』の概念にも通ずることに遼は気付く。
「そうだな。答が分かってるなら、誰も生きることに執着したりしないだろうな」
 彼がそう返すと、
「うん…。僕らは、その答を少し知ったのかも知れない。命に執着しなきゃ、困難を生き延びることはできないけど、それでも限界を覚ったら、後に思いを残しちゃいけないんだ。言うのは易しいけど難しい、知ったら知ったで苦しむことも、切ないこともあるだろうね…」
 伸は遼の言葉を肯定するようにそう続けた。
 生と死、生命の秘密。少なくとも鎧戦士達と怨霊達は、人間として生きていた時が存在する。故に共通する思いも当然持ち合わせている。例えば誰もが、人生の充実する中で死にたいとは考えない。しかし突然その時が齎されても、抵抗してはいけない、身の回りの事を考えてもいけない。そうでなければ彷徨う魂となってしまう。それがひとつの答。
 つまり、ここに居着く荒んだ魂と、他の人間は皆紙一重の存在である。と、伸は自らの能力で知り得たことを、今漸くひとつ伝えられたのだった。
「僕らは今、彼等にはどう映ってるだろう。体があればその中で悩む、無ければ無いで悩む、何が本当に幸福なのかは分からない…」
 伸の思い、切りの無い思索の話まだ続けられていたが、
「なあ、伸。もうお喋りは止めたらどうだ」
 そこで遼が、伸の様子を案じてそう言った。自分がうんうんと相槌を打つ内は、恐らく話を止めないだろうと思えたからだ。すると、
「…ああ。うん…」
 やはり普段の伸らしからぬ素直な態度で、彼はそれきり何も言わなくなった。もう既に遼の口から、己の抱える苦悩を理解できると聞いた。だから伸は安心して身を引けたのかも知れない。この場を脱落することは許してくれるだろうと。
 否、実際は誰も咎めはしないが、それは伸の自尊心の問題なので。
 今は大人しく目を閉じて凭れている、眠っているのかどうかは判らないが、征士は極力伸に伝わらないよう、ごく静かな動作でその場に横になった。すると、その前に仰向けに寝転んでいた遼の、空の何処かを見詰める横顔が、視界のすぐ近くに在るのを征士は知った。遼は逆に、眠ろうと言う意思を微塵も見せず、己の考えに集中しているようだった。
 暫しの間の後、同様に明るい空を見上げながら、
「こんな風に年中明るい世界は、まるで我々を表しているようだ」
 と、征士は遼に向けて話し出していた。
「全くだ。休んでも休んだ気がしない、伸じゃないが気が休まらないんだ。いつまでも休み無く働け、って常に命令されてるようでな」
 そして遼の語る感覚は、比喩的な表現を使った征士に対して、正確に自分等の状況を捉えていると感じられた。閉じられた陽の空間の中で、我々は常に目覚めている。一時も眠ることができないでいるのだと。
「そうだな。ここに来てからずっと、覚醒状態を続けている感じだ」
「ああ…」
 するとその後、征士には意外に思える言葉を遼は続けた。
「夜が恋しいなんて、俺は考えたことも無かった。明るい世界を走り回れる時が、生きている中の最高の時だと思ってたよ」
 決して陰の方向に寄らないと思えていた、遼の心に今は影が差していた。不思議なことにそれは、絶え間なく辺りを照らす光の所為なのだ。
「だが、世界が明るきゃいいって訳でもないんだな。伸の話も含めて」
 遼は酷く落ち着いた口調で、穏やかにそう結論着けている。同時に多少の驚きを以って、征士には改めて思うことが生まれていた。
 人間は生来善でも悪でもあり、光だけの世界、闇だけの世界には誰も属せない。光を要素とする己も、正道を覚る遼も、体の何処かしらに闇を隠し持っている。しかしだからこそ光を見ることも、闇を見ることもできるのだ。
 只管純朴で真面目な少年だった遼が、穢れて行く感じがするのはやや複雑だが、彼はそうして大人の、真のリーダーに変わって行くのかも知れない。と思えた。それだけでも我々が、ここにやって来た意味があるのかも知れないと。
 光に晒され続け闇の意味を知る。
「夜か…」
 征士は想像できる限りの、静かな夜空に思いを馳せながら言った。
「金の昼間に生き続けるも、死の淵の暗黒に沈むも、同じ苦悩があると言うことだな」
 地球の空に於いては、輝ける車を雄々しく駆って、陽の神が人の活動を支え続けている。しかし神々も常に活動している訳ではない。必ず交代の時が存在し、人と同じく、月の女神の到来を待ちわびていたりもする。神でさえそうなのだから、人がそれに逆らえるとも思えない。
 夜とは、人に無くてはならない闇なのだ。



「遼、起きろ!。おい、お前等、」
 仮眠状態を突然揺り起こされた。目を開くと見張り役の当麻の顔があった。
「…どうした」
「近付いてるんだ、新手のターゲットだぞ」
 事態を知ると、遼は途端に跳ね起きていた。
 まだ、目で確認できる物は何も見出せない。休憩場所に選んだその場の空気に、俄な緊張感が走る。
「大丈夫か?」
「ああ、うん。問題ないよ…」
 征士はぐったりと寄り掛かっていた伸を、気遣いながら立ち上がった。そして、
「随分早いな、休む前には気配は無かったのだろう?」
 と当麻に事情を確認した。これまでの経験からすると、当麻や伸が敵の存在を捕捉してから、近付いて来るまでにはかなりの時間を要していた。こちらから近付いて行けば、早く接触することは可能だが、向こうが自然に近寄る速度は常に緩やかだった。まして、当麻が捕捉できない距離から、いきなり近くまでやって来る者など、これまでには居なかった。
 故に征士は不思議に思った訳だが、
「勿論だ。だからこれまで遭った奴等とは違う。集団ならこんな移動速度で動かないだろう。相当でかい何かだと思う」
 当麻は、そう解釈するしかない事態だと、酷く真面目な態度で説明していた。それだけ深刻な、難しい相手と見ているようだった。
「また試行錯誤だな…」
 と遼が悩まし気に呟く。これまで新たなタイプの敵に遭う度、何が有効で何が危険かをひとつひとつ、戦いながら憶えて来たのだ。怨霊達は通り一遍ではない。生きた存在なら、首や胸を狙えば息切れるが、タイプによってその弱点が異なるのが厄介だった。当麻がそれを見抜いても、手法が違えばダメージを与えられないこともあった。
 そして今、初めて遭遇する難敵と思われるものに対し、探りを入れながら戦うのは危険だと感じている。苦戦することは必須だが、もし負けることがあったら、自分達はどうなるのだろうか?、と、遼は立場上の不安をも感じていた。今の立場に於いて、戦いに負けることは許されるだろうかと。
 しかし何を考えようとも、じきに相手はやって来るのだ。
「ふぁぁぁ〜。久し振りに熟睡してたっつーのに…」
 ひとつ大欠伸をした秀が、目を擦りながらボヤいていた。確かに今さっきまでは、気に煩い敵をほぼ感じることなく居られた。誰もが珍しく休もうと言う気になっていた。けれど、
「お、伸、大丈夫かよ?」
 征士の傍に蹲っていた伸を、窺うように秀が声を掛けると、
「…来る、もうすぐ傍まで来てる!」
 突然伸は声色を鋭くさせて言った。彼の悲鳴のような声を聞くや否や、当麻もその異常な事実を覚って、慌てるように声を張り上げる。
「まずい、分散するんだ!」
 彼の考えからはまるで常識外れな、敵の動きは神が移動するかの如く速かった。この、のたりのたりと魂の揺らめく世界に在って、凡そ速さでは太刀打ちできない、正に新種の敵と言う感じだった。
 当麻の咄嗟の指示を耳に、仲間達が四方へと散って行く中、寝ぼけ眼の秀がひとり出遅れると、
「えっっ、どっどっ、どっちに」
「馬鹿野郎っ、何処でもいいから散れってんだよ!」
 当麻は怒号を以って嗜める。それは無論、前代未聞の危機を感じてのことだった。遼もそうだが、一体どうなってしまうのだろう?、と言う恐怖感を抱かせる『今』だったのだ。
 未知なる巨大な敵。これまでの理屈が通用しない敵。人の常識では量れない敵。
 ここに何をしにやって来たのかも、何も判らない。
「なっ!」
「…遼…!!」
 半径20メートル程の位置に、バラバラに立っていた彼等の元に、それが現れたのは数秒の後だった。
「遼の後ろに…」
 始めは紐のような物が、雲状の地面から現れ遼の左足を絡め取った。続けて巨大なその本体が、音も無く無機的な動作で浮上する。今遼の背後には、地球上の何とも形容できない奇妙な物体が在った。
「なっ、何だありゃ…」
 秀が気の抜けるような声を出したのは、生物とも機械とも思えない、その外見が酷く特殊だったからだ。表面はステンレスのような、滑らかな光を反射しているが、乗り物や道具のような形状ではない。むしろ生物的なのだが、しかし高等な会話のできる生物にも思えない。単細胞生物の巨大なもの、と言う感じだった。高さは立っている人間の倍くらいあった。
 そして紐状のものを放出した、口らしきものが地面すれすれの位置に閉じている。その口の中から、不思議な波動が聞こえて来るようだった。
「こいつは…、人の怨念なのか…?」
 予想外の物体に出会して、日頃冷静な当麻も些か面喰らっていた。
「そんなこと考えてる場合じゃ、」
 と、大事な時にボケる当麻に、伸は遼の安全を優先しろと声を掛ける。しかし伸の助言の前に反応した征士が、遼の捕まっている場所のすぐ傍へと飛んでいた。多くの物事は出足が早ければ、致命傷に至らずに済む。そんな事を思っての先行だった。
 ところが、
「まっ、待て征士!」
「!!」
 思わぬことに、遼本人がそれを制止させた。無論、敵の最も近くに居る遼が言うのだから、それなりの観察の結果なのだろう。止まらない訳には行かなかった。征士は鎧と共に現れた剣を下ろして、空中から真下に降りてしまった。
 続けて、その一部始終を見ていた秀が、良く響く大声で遼に尋ねる。
「どうしたんだよ!、遼?」
 すると暫しの沈黙の後、考えながらと言う風に、遼は状況の説明を皆に話して聞かせた。
「…よく判らんが、こいつを敵と看做していいのかどうか。殺気らしいものが感じられない。霊的な感じはするが、生き物の感情じゃないみたいだ」
「生き物の感情じゃない…?」
 と、その話に即座に反応したのは、今は落ち着いて正面の敵を分析する当麻だった。彼の能力で見抜いた相手の構造は、有機的な物体と見て間違いなさそうだった。しかし、生き物らしい感情が無いと言われてしまうと、単なる物質とは思えない様子が、増々解釈し難くなってしまった。
 例えばアメーバのような単細胞生物にも、ウィルスのような微細な生物にも、原始的な幾らかの感情が存在する。生き延びたいと言う欲求、増えたいと言う欲求などがそうだ。生物の定義とは、まず己の保存欲求を持つ事が前提なのだが、そうでないとしたら何なのだろうか?。
 遼は自分の考えをもう少し続けて、
「これまでと同じやり方じゃ駄目だ。迂闊に手を出さない方がいい、下手に刺激すると何が起こるか分からん」
 と言ったが、傍に立つ征士は気が気でない様子で返した。
「だがどうするのだ?、お前も迂闊に動けぬままでは」
 その通り、遼は足を取られたまま身動きできず、周囲の者も何もできないのでは…。
「どうすんだよっ?」
 埒が開かない状況の打開策を、秀はいつものように当麻に求めた。しかし彼も今のところ、これと言ったアイディアの閃きは無い。
「…困ったな。遼の足に絡んでいる、あの蔓のようなものを切ったとして、そのままじっとしててくれるだろうかなぁ」
「してねぇだろうな」
 考えを進める間の適当な話に、秀は誰でも思う事を小気味良く返す。すると、
「恐らく、動いた途端に吸い込まれて、何処かに放り出されるだろう。あの口がポイントなんだ、高速移動のからくりのようだが…」
 と、構造から来る動作については、大まかに判ったらしきことを当麻は話した。
「吸い込むって??」
 秀は突然出て来た言葉に、突拍子の無さを覚えたようだが、まず当麻の着目点は移動方法にあった為、比較的容易に分析できたようだ。手足も羽のような物も持たず、異常な高速で移動できるとしたら、ジェットエンジンに似た機能があるか、SFだがワープ能力があると言うところだった。
 つまりその前者らしいと言う話だ。掃除機で吸い込んだ空気が、後方に排気されるようなもので、それを推進力にしている物体だと。ただ、それが判っても遼をどうできる訳でもない。現状の打開の為には、もうひと捻り考えを展開させる必要があった。
 もう暫くの時間が必要だった。それまで、遼の身に何事も起こらなければ良いのだが。と、当麻が思案に耽っていると、これまでずっと黙っていた伸が、この場で感じ取れたヒントを彼に話した。
「あいつはここに居たんじゃない、何処か別の所から来たんだよ」
「何故そうだと判る?」
 伸の能力から来る考察は、自分とは別の面を見た意見として、当麻はいつも大いに歓迎していた。なので間を置かず問い返すと、伸は揺るぎのない声で、
「ここに居る奴等とは気が違う」
 と答えた。言葉としては漠然としているが、既にそんな遣り取りにも慣れた当麻である。伸が自信を持って伝える事の、意味を疑うことは最早無かった。そして、
「成程な。つまり、吸い込まれたら何処に出るか判らんってことだ。気体を吸うなんて単純なもんじゃない、重力の高低差か何かを利用してるんだ。…ブラックホールにでも放り出されたら、即死だな」
 当麻はほぼそれで間違い無いと結論したようだった。
「どうすんだよっ、即死も困るが、職場放棄もまずいだろっ」
「う〜ん…」
 秀の言い分は尤もだが、急かされて答が出るならとうに出ている、とばかりに当麻は考え込む。敵対しないのが賢明なのは確かだった。後はそれを相手にどう解ってもらうかだが…。
 当麻と同様に、暫くの間考えていた遼は、
「征士、取り敢えずだ、攻撃的じゃない鎧の力を使ってできる事、何か無いか?」
 と、漸く次の考えを話し始めていた。敵と思われないことが肝要、と言う点では当麻の考えと同じ方向だ。けれど征士は、
「何かと言われても…。そう言うのは私より、当麻や伸の方が向いているだろう」
 と辺りを見回して、仲間達の配置に溜息を吐く。不運なことに、そのふたりは遼から最も離れた所に居た。けれども、話を耳にしたふたりは、何とか近付いてみようと言う様子を見せていた。
 分野は違えど、離れた対象の様子を知覚できる当麻と伸。確かに彼等ならば、未知の物体の言葉をも探れるかも知れない。征士程の近くに居れば、よりよく相手を理解できるかも知れない。この作戦には、ある程度の期待ができそうだった。
 当麻と伸はそれぞれ、恐る恐る歩を進め始めた。元より震動を吸収する地面なので、余程の事が無い限り、相手を驚かすような事は無い筈だった。息を飲んで場を見詰めている遼と征士、そして秀。
 しかし、
「あ…!」
 震動ではなく、雲のような地面の波打つ波動が、遼の元に届いた時にはもう遅かった。
「うわっ…」
 ガレージのシャッターを思わせる、するすると開いて行く広い口から、辺りの全てを吸い込む猛烈な風が起こっていた。捉えられていた遼も、すぐ傍に居た征士も為す術なく吸い込まれて行った。
「ちょっ、おいっ!!」
 と、それを見ていた秀は慌てたが、彼もまた、何をする間も無く巻き込まれる。掴まる物も何も無くては、超人的な腕力を発揮することもできなかった。
「うわぁぁぁぁ!」
 そして、ハリケーンのように巻き込んで行く風は、増々その影響力を広くして行く。否むしろ、似たような匂いのする戦士達全てを取り込むまで、無限に範囲を広くして行く感じがした。つまり逆らっても無駄、と言うことだ。
 当麻より多少前に居た伸が、足許を掬われるように飛ばされると、いよいよ当麻も持ち堪えられない状況を覚る。
「馬鹿な…」
 けれど彼にはひとつだけ判っていた。全ての者が同じ場所に出るであろうこと。ひとつひとつを別ルートに排出するような、複雑な構造はしていなかったので。
 だから後は運を天に任せるしかなかった。次に全員の顔が揃う時、致命的な状況でなければ良いと。
 生きてさえいられれば、仲間達が居る限り、どうにかやって行けるだろうから…。



 瞼の上には闇が感じられた。
『夜だ。懐かしい夜が感じられる…』
 否応無しに割り込むような、人を疲れさせる光源は何処にも無いようだった。
『ここは何処だ?。俺は、死んだのか…?』
 暗く静かで、体を取り巻く空間はひんやりとしている。聞き慣れない、何かの鳴く声か風の音か、不思議な音が控え目に聞こえて来る。ここは天国か、地獄か。
『俺は…、みんなは…』
 遼は朧げな意識で考えながら、同時に深く眠っていた。



 聞き慣れない音が聞こえている。けれど空気は何処か懐かしい。
 懐かしい、誰かの呼ぶ声がする。
「…烈火殿」
 その呼び掛けに、混濁していた意識が戻り始めた。深い眠りから目覚めた遼が、最初に気付いたのは自分の頭が、きちんとした枕の上に在ることだった。
「ん…。どうなったんだ…」
 遼は目を開く前に、声の主へと返事をしていた。懐かしい誰か。そう、いつか共に同じ戦場に立っていた人物だ。
「…迦遊羅か…?」
「そうです、お分かりになりますか?。まさかこんな形で再会するとは思いませんでした」
 すると、漸く開かれた遼の目には、少しばかり成長した様子のその人が、殊に穏やかな態度で微笑んでいた。目を閉じている内に、随分と条件の違う場所へ移動したものだと、呆れるような笑いが遼の口許に昇って来る。記憶の上ではほんの少し前まで、無味乾燥の極みのような世界に居たと言うのに。
 なので以降の会話も、無意識に明るい口調となって行った。
「お加減はいかがです?」
「ああ、よく寝ていただけだ。…じゃあここは妖邪界なのか」
「無論そうです。他の皆様も御無事ですよ」
 まだ体を起こしていなかった遼は、同じ部屋に全員が寝かされていることを知らず、彼女の言葉にはたと我に返る仕種をした。まだ思考が完全でない所為か、仲間の事まで考えられなかったようだ。途端に「寝惚けている場合じゃない」と、それを案じて遼は身を起こそうとした。
 けれど、布団に肘を就いた遼の視界に、既に目を覚まして座っている征士が見付けられた。また彼が、
「仲良く皆巻き込まれたようだ」
 まだ眠る全ての者について、恐らく大事無いと伝えるように笑うと、
「そうか…、それならまず一安心だな」
 一時の必死な気持が退いて、遼の表情も再び朗らかなものに戻って行った。
 実に幸運だったと思う。ある意味では地球上に戻るより幸いだった。今はまだ、義務としてするべき事を終わらせて、帰還の途に就いた訳ではない。一度弾き出された空間に、再び戻る方法を探さねばならなかった。そんな身の上を相談できる者の居る場所、この妖邪界に飛ばされて来たのは、余程運に恵まれた結果だと思う他なかった。
 何処の誰の、いずこの神の思し召しかは知らないが。
 そんな事を思っていた、酷く清々しい様子の遼を見て、迦遊羅も漸くまともな話ができると喜んでいた。実は彼等は突如ここに現れたので、彼女にも聞きたい事情が多くあった。しかしここに寝かせてから丸一日(人間界では六日)、誰も目を覚まさなかったのだ。その間何も判らないまま心配させていたのは、流石に可哀想だった。
 そして迦遊羅は言った。
「ところで皆様、一体どうなさったのです?。昨日の夜中に、螺呪羅が何か異変が起こったと言って、東の端に様子を見に行ったのです。その岩場に、皆様揃って倒れていたそうですよ」
 だが、彼女の話を聞いても、具体的にどうなったと言う説明はできそうもない。
「ああ…。それが、何故こうなったのかは俺にも…」
 遼が口籠っているのを聞いて、征士が助け船を出すように続けた。
「我々は『鎧世界』と呼ばれる所に居たのだ」
「鎧世界…」
 すると、迦遊羅は何か思い当たる事があるのか、その呼び名を繰り返して暫し口を噤む。その後徐に、
「それはもしや、戦場の怨念の集まる場所ですか?」
 戦士達の知る通りの事を答えていた。
「そうだ。知っているのか?」
 と遼が尋ね返すと、迦遊羅は多少困ったような仕種を見せてこう言った。
「ええ、知識としてのみですが…。ただ、私共のように人の体を持つ者には、渡れない世界と聞いておりますが…?」
 確かに、彼女の困り様は理解できた。嘗ての鎧戦士達は、そんな場所に関わるものではなかったので。当然少年達のその後の出来事も、魔将達には知っている事と知らない事がある筈だった。地上の戦士達がいきなり鎧世界と言うのは、突然な話だったかも知れない。まずその経過の説明が必要だった。
 ただ、鎧世界へ行った経緯は話せても、今問われているのは説明し難い部分の方だ。
「そこに居たのには訳があるんだ。俺達は今、以前とは少し違う事をしてるんだが…。その話は後で詳しくする。とにかく鎧世界が判るなら幸いだ、そこから飛ばされて来たんだ」
「飛ばされて来た?、とは?」
 案の定、まるきり解らないと言う顔をされてしまっていた。
「説明し難いんだが…、何か得体の知れない物に遭って、吸い込まれてここに来たらしい」
「吸い込まれた…」
 征士もどうにか理解してもらおうと、遼に続けて口を開いていた。
「生物とも無生物ともつかない、それまで見た事の無い物が現れたのだ。見た目は金属のオブジェのようだが、生きているかのように自ら動いていた。最初に遼が掴まって、どうするか考えている内に全員それに吸い込まれ、吐き出されたのだ」
「そう言えば伸が、別の世界から来たと言っていたな」
 最後に遼が、伸の意見を付け加えたが、結局のところ話した本人達にもよく判らなかった。こんな話で正確に状況を伝えられたとは、遼も征士も全く思っていなかった。唯一の希望は、謎の物体について迦遊羅が何か知っていれば、と言うところだが…。
 すると、
「それは…。…天つ神様の言葉で、『見張り』と言われるものかも知れません」
 一縷の望みが通じたのか、迦遊羅はそれについての見解を示してくれた。
「あらゆる世界を浮遊していて、本来そこに居る筈の無いものを見付けると、相応しい場所へ転送するものだと。…違いますか?」
 更にそう続けられると、遼と征士には「成程」と、酷く腑に落ちる事情を察することができた。
 どうりで敵意を感じない訳だ。あの物体は恐らく、世界を正常に保つ為に働いているだけなのだ。例え意思を持って、鬼退治にやって来た立場だとしても、戦士達の契約は地球周辺の、極小さな世界の中で結ばれたものだ。全天に於けるルールがあるとすれば、それ以下の約束事でしかない。だから自分達は、優先されるルールの下に、機械的に排除されてしまったのだと。
 そして納得すると同時に、迦遊羅が全世界の理に通じていることを知り、
「天つ神、とは?」
 遼はその、気になる名称について尋ねた。これ以後も目指す結果を求めて、自分達は活動して行かねばならない。今回のような事は恐らく、またいずれ起こる事だと遼は考えている。自分達の未来の為に、まだ知らぬ世界の知識を得ておきたい、そんな気持だった。
 すると迦遊羅は、少しばかり誇らしそうな様子でこう答えた。
「我等、迦雄須一族が代々崇めている神です。迦雄須様も知らぬ昔には、生き神だったと伝えられております。一族に人を導く英知を授けてくれた、それは尊い御神様なのです」
 そう言えば、迦雄須は僧、迦遊羅は巫女の格好をしているイメージが強い。これまであまり深く考えなかった遼だが、彼等の優れた力とは、実は個人に由来するのではないのかも知れない、と今更ながらに気付いた。個人の能力の前に、一族の力を支えている何かが居る。それは僧として、巫女として慎ましく崇めて来た、神と呼ばれる存在だったのだ。
 そんな事も知らないでいたのか、と、遼は多少悔しい思いを噛み締めていた。自分達にしても、個の能力を高める物在っての戦士だ。人間などより広い視野を持つ者が、世界の時を進めているに決まっているではないか、と。
 けれど遼はそれだから、真剣に彼等の神に学ぼうとも思った。世界の本当の姿を知る者の英知について。
「その神の言葉が伝えられているのか」
 と、遼はここで過去の己を省みるように、改まった態度をして尋ねた。ところが、迦遊羅の返事は戦士達には意外なものだった。
「いいえ、阿羅醐の呪縛が解けてから聞いた事が殆どです」
「え…?」
 思わず、遼と征士は顔を見合わせてしまう。
「今でも話せたり、するのか?」
 馬鹿な質問と思いつつ、遼はそう聞かざるを得なかった。すると、
「ええ、特別な祈祷をすれば降りておいでになります。一族との繋りの深い神様ですから」
 全く言葉通りだと彼女は言うのだ。
 無論「昔は生き神」と言うのだから、今は肉体を持たぬ存在なのだろう。しかし幾ら妖邪界が、人間界とは違って特殊な場所だとは言え、神と対話できるとは恐れ入る事情だ。それも観念的なぼんやりした対話ではなく、具体的な世界の話をしているのだ。そんな事が有り得るのだろうか?、と、俄には信じられない遼と征士のふたり。
 否、修行僧は神との対話を目指して修行するのだから、不可能と言う訳でもないのかも知れない。ただ、それにしても…
「そんな…、それじゃあ…」
 遼が事実に戸惑いながら呟くと、征士は彼の言いたそうな事を代わりに話していた。
「その『見張り』とやらについても、我々がこの後どうすれば良いかも判るやも」
「だな」
 ふたりの間で、思う事はほぼ一致しているようだった。そして、
「そうですね。私共にも難しい事情ですから、お伺いを立ててみましょう。少し支度に時間が掛かりますから、それまでゆっくり骨休めして下さいな」
 迦遊羅もまた、そのふたりに同意してそう答えた。




つづく





コメント)うーん、全3回の予定なんですが、3回で収まるかどうかちょっと怪しい出だしです…。「トルーパー未来史」の表にある、迦遊羅に会う話がこれなんですが、大事な部分なのでしっかり書かないとな〜。
ちなみに「既成事実」の作中で、トルーパーズと身代わりの征士・伸がかち合っていた、と言う展開がありますが、そのちょっと前のトルーパー側のお話です。※書き切れなかったので、この部分はもう少し後に入ります(12/15)
タイトルは判った方もいると思うけど、カート・ヴォネガットの同タイトルの小説から(邦題)。内容は全く関係ありませんが、多少SF展開してるかな?と言うイメージですね。




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