戸惑いの館
恋は永遠の輝き
#4
The Something Glitter



 家族の集まる広間、シンによる宝石鑑定は夜遅くまで続けられ、明けて翌日も場所を移し続いていた。
 合わせて八時間にもなろうか、それ程長い時間鑑定をし続けるとなると、大変な重労働にも感じるが実際はそうでもない。財宝にまつわる逸話や思い出話、様々な話題の間に和やかな談笑を交え、常に穏やかに進められていた。
 また始まって一時間もする頃には、鑑定と言うより「伯爵家のお宝拝見」の趣になり、シン自身が楽しんでいたことも、苦労を感じずにいられた理由だろう。希少なファンシーブルーダイヤの指輪は、カラーもクラスも最高級のものだった。綺麗な青紫のタンザナイトは、硬度が低い故に傷付き易い石だが、大粒でありながら無傷に近い状態を保っていた。三代前の伯爵がアフリカに出掛けた際、時計と交換して持ち帰った物だと言う。
 そしてシンが最も驚いたのは、これも希少なチェンジカラースピネルを所有していたことだ。そう、アレキサンドライトと同じ変色特性を持つスピネルで、通常はタンザナイトに似た青紫だが、白熱灯で照らすと赤に近い赤紫に変化する。この性質を持つ石は、変色が際立つ物ほど価値が高くなるが、その面でも最高クラス、石自体の質も最高クラスと言える、滅多に見られない逸品だった。
 無論、問題のアレキサンドライトを思わせる石だったことも、驚いた理由の内ではあるが。
 それはともかく、長い歴史をかけこの伯爵家に集まった、上質な輝きを見せる宝石達を次々見て行く。そんな作業を依頼された偶然は、シンに取っては光栄至極とも思えていたようだ。
 そして、翌日はセイジの姉マルシャの部屋に呼ばれ、姉妹の私物を中心に鑑定することになった。
「…一応これで最後。これは大した石じゃないけど、亡くなった方の形見の品で、」
「マラカイトですね」
 マルシャは小さな木箱に納められた、ややくすみのある金の帽子ピンを取り出す。形見の品と言う話だが、箱の古めかしさやデザインの感じから、相当に古く由緒のある物であることが感じられた。
 確かに話す通り、マラカイトは宝石とは言わない石だ。御存知の方も多いだろう緑の地石に、更に深い緑の縞模様があるのが一般的で、その模様が孔雀の羽に見えたことから孔雀石とも呼ばれる。
 しかしシンは、高価な物だろうとそうでなかろうと、全て真摯にルーペを向けている。罪状に見合わぬ好待遇を受ける身としては、そうせざるを得ない面もあっただろう。そして、
「これも間違いなく本物ですよ。模様の出方もいいし、傷もないので結構いい物です」
 と見立てを話すと、
「そう、良かったわ」
 今やすっかり打ち解けた姉君の笑顔の横で、妹のメアも安心したように言った。
「じゃあ結局、大事な物に偽物はなかったと言うことね」
「ええ。見せていただいた物はみんな間違いのない物でした」
 本来なら、何れ家を出て行く立場の姉妹達には、家の財産などあって無きが如しかも知れない。だがそれでも伯爵家の威厳を守ること、安定して後世へ続くことを願う意識が、言葉の端々から感じられるのは大したことだ、とシンは思う。
 それでこそ貴族だ、とも思った。
 しかしこの高貴な気風に、感心してばかりもいられなかった。テーブルに散乱したアクセサリー、宝石箱を片付け始めると、手伝うシンにマルシャが話し掛けた。
「昨日から長い時間、ご苦労様でした」
「いいえ、滞在中お役に立てることがあって、こちらこそ幸いでした」
「それにしても災難に遭われたねぇ?。セイジに聞いたけど、突然住いを追い出されるなんて。そう言うトラブルは誰かに解決依頼できないのかしら?」
 シンは内心ギョっとする。そんな設定になっているとは、自分は聞かされていないからだ。しばしばそうした場面に出会うので、シンは迂闊なことを口にできない。
「はあ…、どうでしょう」
 この場はそう相槌を打つ以外になかった。
 セイジが、家族に事実を打ち明ける気があるのかないのか、今のところ本人にしか判らない。なので周囲の者はシンも、リョウもそれとなく話を合わせておくしかない。本当なら良くしてくれる人々に、後ろめたい状態を続けたくはないのだが、シンの真実はトーマが連れて来られるまで、誤魔化し続けるしかないところだ。すると、それを察した訳ではないだろうが、
「でもそのお陰でこの家に来て貰えたから、私達には良かったけど」
 マルシャは話の方向を変え、シンは胸を撫で下ろすこととなる。
 ところで、この時点でシンが気付いていたかどうか、姉妹は既にシンに対し、何らかの親しみや信頼を感じているようだった。それは勿論、彼の真面目な働き振りを見てのことでもあるが、それ以上に彼女らの気を惹いたのは、シンの知識と教養を感じさせる話し方にあった。
「マラカイトに関する話はないの?」
 ふと、先程見た姉の持ち物を思い出し、今度はメアが話し掛ける。彼女は昨晩から、シンの話を酷く熱心に聞いていた。
「そうですね…、この石は緑色の絵具の原料なんですけど、エジプトのクレオパトラもお化粧に使っていたそうですよ」
「ああ、アイシャドウとか?」
 彼女が答えた通り、壁画等に残るエジプト女性の顔を彩る青緑は、マラカイトを砕いた粉を塗っている。その壁画自体もマラカイトの緑で彩色されており、古代エジプトの代表的な色のひとつだ。但し、とシンは続ける。
「そう、ですがマラカイトは銅山などにできる鉱物で、銅を多く含んでいます。体に有害なことが判ってからは、人体に影響するものには使わなくなりました」
 すると横からマルシャが、
「聞いたことあるわ、お菓子の着色に使う緑色が、脳に異常を起こすって騒ぎになったのよね?」
 と、過去の場面を思い出し興奮気味に言った。恐らく体に悪いと言って、お菓子を食べさせてもらえなかった記憶があるのだろう。そんな様子を見て、
「まあ、お姉様は知ってるの?。それじゃ最近のことね?」
「そうです、かなり最近まで使われていたんですよ?」
 シンはその時代を知らないメアに、殊に丁寧に答えていた。
 そんな調子だからこそ、話好きの姉妹に気に入られる訳だ。そもそも世の男性は、多くが取り留めないお喋りと言うものを嫌う。この家に於いては、セイジはまだマシな方のようだ。その父も伯爵も寡黙な人物で、女性達の話などには凡そ加わろうとしない。
 その点シンは人当たりも良く、誰とでも会話を楽しめる性質を持つ為、こんな環境には打ってつけの人物かも知れなかった。否、勿論商売としての話術も心得のある立場だが。
 その後話題は、よくあることだが、石自体からその背景へと変わって行った。
「銅中毒か…。クレオパトラは自殺したって言うけど」
 と、遠い時代に思いを馳せるようにメアが言うと、
「あれは蛇よ、毒蛇に噛ませたんじゃなかった?」
 マルシャは一般に知られた、クレオパトラの物語を思い出しながら返す。勿論それは、読書好きなメアの知らないことではなかったが、書物の記述が正しいかどうかは誰にも判らない。
「だから謎なんじゃないの、そんな特殊な方法じゃなくても死ねるわ?。エジプト王家は暗殺された人が多いし、毒は他にも色々あるのよ」
 メアがそう返すと、確かに、と言う面持ちでマルシャは首を傾げた。
「そうねぇ…?」
 その遣り取りを面白く聞いていたシンもまた、
「睡眠薬を飲んで、部屋に毒蛇を放ったと言われてますが、僕は作り話だと思います」
 メアに同意するように話を続ける。
「やっぱりそう思う?」
「蛇は人間を食べる訳じゃないし、身の危険を感じなければ噛むことはないです。人が眠っている部屋に毒蛇を放しても、普通噛もうとはしないでしょう」
 シンがそこまで話すと、過去の逸話とはかなり演出が加わったものだと、流石に誰もが気付く筈だった。
「それもそうね?。普通は人を怖がって逃げるわ」
「誰かが掴まえておいて噛ませるとか」
「それは可能ですね。記録として残っている話じゃないので、様々な想像ができると思います。毒蛇を選んだのも、死体が綺麗なまま残るかららしいですが、他の毒でもそう醜くはならないですよね」
 そして、これは意外に似た例かも知れないと、話しながらシンは思った。
 学問の観点から言えば、伝えられているクレオパトラの最期は虚構かも知れない。しかし虚構と知って、想像を楽しむ分には何ら悪いことはない。自分も同じ、偽物と判っているコレクションを自分が楽しむ限りは、何も問題は起こらなかった。自分の問題はやはり、偽物であることを公開しなかったことだと、改めて己の非に気付かされていた。
 人には誰しも秘密が存在するけれど、秘密は時として人を裏切る。そうして僕は、いつまで裏切り続けなければならないんだろう…。
 すると、これまでの話を受けて、
「歴史の話もお好き?」
 メアが爛々と目を輝かせて言った。どうやら彼女は宝石などより、古の時代に関心があるようだ。その彼女の瞳が正に、宝石のように輝いているのは面白いことだった。
「ええ、昔色々読みましたから。アーサー王やトロイヤ戦争、ローマ帝国の話も好きでした」
 シンがそう答えると、彼女は待ってましたとばかりに立ち上がって言う。
「私も歴史の勉強をするのが大好きなの!。もしお暇があるなら、今度は是非歴史のお話をしたいわ!」
「え、ええ、いいですよ?」
 けれど、その勢いに多少戸惑うシンの様子を見て、
「でも、その前に休憩しましょう?。疲れさせてしまったら申し訳ないわ」
 マルシャがそう口を挟んだ。
「そうね、お茶の時間に丁度いいわ」
「ああ…、お気遣いありがとうございます」
 そして増々シンは、申し訳ないことをしている気持になって行った。
 こうして普通に接してくれているだけでも、本当ならあり得ない状況なのに、この姉妹は自分にとても良くしてくれている。否、ふたりだけでなくこの家の人々が、例え御曹子の命にせよ、充分な配慮をしてくれることに胸が痛む。高価な調度品に重厚な家具、美しい花や壁紙に囲まれた明るい部屋で、宝石の話、歴史の話、向学心をそそる楽しい会話に身を委ねていられる。今が楽しければ楽しい程、これからどうすれば良いのか判らなくなってしまう。
『とんでもない事件の渦中にいるのに、穏やかな時代が戻って来たみたいだ…』
 軽々しく貴族の文化に触れることなかれ。身分違いの生活に惹かれるのは不幸の始まりだ。シンには、事件そのものよりここに連れて来られたことが、今は悩みに感じられるようだった。
「一階のサロンにいらして?。今日は美味しいタルトレットとドラジェがあるわ」
 休憩を勧めたマルシャが先に席を立ち、部屋のドアへと向かうと侍女がそのドアを開く。すると、
「あらセイジ、暇ならあなたもサロンにいらっしゃい?。これからお茶にするところよ」
 丁度廊下を通り掛かったセイジとリョウがいて、彼女はそう声を掛けていた。
「はい、ああ…」
 そして、姉妹の後ろに立つシンを見付けると、彼が廊下へ出て来るのを待って言った。
「それで?、鑑定の結果何か問題は?」
 セイジの質問には、これと言って他意があるようには感じなかった。家族の依頼で昨晩からずっと、伯爵家の持ち物を鑑定していたのは知っている筈。但し、前途の通りセイジは、色々と作り話を吹聴しているようなので、シンは当たり障りのない返事をする。
「一通り見せて戴きましたが、偽物らしき物はありませんでした」
「そうか、それは良かった」
 セイジもまた、この場では言葉通り安心した態度を見せたので、シンもホッと息を漏らした。ただひとりリョウだけが、
『白々しい…』
 と、納得の行かない顔をしていたが。



 屋敷の一階にあるサロンからは、手入れの行き届いた広大な庭園が見渡せる。四季折々の木や草花が楽しめる、サロンは伯爵家の人々の憩いの場だ。今はノバラやサンザシの花が見られる他、一際目立つ菩提樹の木にも小さな黄色の花が付いている。
 庭園は街とは反対側に広がっており、屋敷の門や玄関口は街側に存在する。つまりこの庭を見られるのは、屋敷の中に入った者だけだ。それだけにプライベートで寛げる場所なのだろう。サロンには基本的に、使用人も同席しないことが原則となっていた。
 セイジと姉妹達、そしてシンが午後のお茶を楽しんでいるその頃、同様に休憩時間を取れたリョウは、門前の庭のベンチでひと息吐いていた。庭園側に比べ街の見える側は、花壇と低木の庭を囲むように厩舎、倉庫、各種設備の小屋などがあり、ここで働く庭師以外の者には馴染み易い場所だった。つまりリョウもまた、自分に取って寛げる庭を眺めていたことになる。
 今はあれこれ考えるのを止め、周囲を囲むリラの並木をリョウはぼんやり見ていた。既に花は落ち、今は青々とした若葉が茂り、晴れた空に何とも気持の良い景色となっている。別段生活や仕事に疲れた訳でもないが、天然の命の美しさを見ることは、心の活力に繋がるから大切だ、と彼は日頃から思っているようだ。今日もそうしてリョウは、多少首を傾げる所のある主人の世話をしつつ、庭のお気に入りの一角で休憩する…。
 とその時、
「誰だ!。そこに誰かいるだろう!?」
 ベンチを立ち上がり、リョウは一本の木の根元辺りを注視していた。確かに人の気配が感じられたようだ。そして使用人や正式な来客なら隠れる筈もない。そのままリョウは落ち着いて歩を進め、木と柵の間に潜む何者かに近付いて行った。
 泥棒か?、刺客か?、或いは単なる覗き見か?。リョウが間近まで寄って行くと、相手はもう観念している風で、大人しく、逃げようとする素振りは見せなかった。そして、
「貴様何をしている!。…って、え?、おまえは…」
 リョウが相手の服を掴むと、
「ああ、あんたか…。丁度良かった」
 それは森の錬金術師トーマだった。シュウに事態を頼まれたこともあり、彼は自らこの屋敷に出向いて来たのだ。
 ただ、身の上の怪しい立場である彼は、堂々と家の門を叩くことができなかった。怪し気な者と関わっていると知れれば、セイジにも迷惑が及ぶ可能性がある。それ故こうして、こそこそと内部に入り込んでいたのだが、まあリョウが見付けてくれたのは幸いだった。
「丁度良かった?。セイジ様に取次いでほしい用でもあるのか?」
 と、リョウは問い返したがそれは無論のこと。危ない橋を渡って来たからには、それ相当の理由があるに決まっている。トーマは早速、
「話が広まるとマズいだろ?、あんたが聞いてくれればいい。今この屋敷で何が起こってるのか教えてくれないか」
 そう言って、事の進行状況を尋ねていた。
「何が起こってるって?」
「だから、今ここにシン・モーリと言う奴がいるだろう?」
「…何故それを知ってる?」
 それも、最早今更な返事だとトーマも思っただろう。偽物騒ぎの経緯を知らなければ、自分がここに来る理由は存在しない。そして情報源はシュウ以外にないのだから。
「彼は友人だ、店に使いの子供が手紙を持って来た。間違いないよな?」
 トーマは正直にそう伝え、正直に話すのだから情報を出せと言わんばかりだ。方やリョウの方はシンの話を思い出し、「知り合いの錬金術師」は彼であると確認したところで、
「そうか…、そうだよな…」
 途端に渋い顔になっていた。何故なら彼には何も説明できそうにないからだ。今のところ事態は全てセイジの手の内で、あれこれ転がされている状態である。
 しかし、相手の態度に違和感を持ちながらもトーマは続けた。
「それで俺は疑問に思ったんだが、御曹子は何を調べてるんだ?。どっちのアレキサンドライトも俺が作ったものだって、もう判ってるんじゃないのか?」
「あー…、うーん、それはそうなんだが…」
「シンの手紙には、俺を呼んで釈明すれば解決するようなことが書いてあったが、あんたらは既に経緯を知ってる。それ以上何を釈明させるつもりだ」
「それは…、セイジ様が何をなさるつもりなのかは俺にも…」
 事実、リョウには何も知らされていなかった。実はセイジは昨夜遅くから、屋敷の地下にある資料室にひとりで篭り、熱心に何かを調べていた。今日も朝食を終えると、セイジはその足で資料室に向かった為、リョウはその外にずっと待機と言う、退屈極まりない時間を過ごしていたのだ。
 なので、友人を心配する彼には心苦しくもあるが、答えられない現実はどうしようもなかった。
 ところがトーマの方は、それとはまた違った危機感を持って訴える。
「俺を陥れようって言うんじゃないだろうな?」
 リョウには全く思い掛けない話だっただろう。否、相手が疑心暗鬼になるのは、こちらが曖昧な態度でいるからだとリョウにも判る。この場合自分が悪い訳ではないが、主人の面子を守るのも仕事の内なので、それについてだけは誤解のないように話した。
「いや、それはないと思う。違法な商売を取り締まるつもりなら、高額の注文などされないだろう。セイジ様は筋の通らないことはなさらない。あれでも伯爵家の気風は身に着いてる方なんだ」
「ならいいが…」
 そして、判り易く溜息を吐いたトーマを見ると、リョウは親切心からもう一言現状を聞かせた。
「それに、君の住処を知っていながら、呼び出そうともしないしな」
「は?。何で…」
「さあ。昨晩から何かの古い記録を調べておいでだ。偽物騒ぎとは関係ないことで、気になることがおありなんだろう」
 流石にその話は、トーマの理論的な思考を混乱させる。シンの手紙やシュウの話からは、相当な危機感を感じ取った筈なのだが。その偽物取引の事実関係を調べる前に、意味不明な過去の記録を調べるとは、改めて何を考えているのか解らなくなる。
 確かに、ちょっと面白そうな人物だとは思ったが、この伯爵家の御曹子は常識では測れない面があるらしい。と、トーマは今に至って、作成依頼を受けたことを後悔し始めた。無認可の職業を摘発されるより、更に不可解な事が起こりそうな予感が彼の頭を過る。
 シンは本当に大丈夫なんだろうか…?。
「それじゃあ、何故シンは軟禁されてるんだ?。詐欺に憤慨してるんじゃないなら」
 話が問題の人物に及ぶと、リョウは増々伏せておくのが苦しくなった。セイジが私情でシンを捕まえようとしていることは、今ここで明かすことはできない。例え馬鹿馬鹿しい理由だとしても、仕える者が主人を裏切ることは決してできない。
 ただ、このまま彼を家に置くのも無理があるので、セイジも何か方法を考えている筈だとリョウは思う。
「だから俺にも判らないんだって。勿論このままなんてことはないが…」
 と、困りながら返すと、トーマもここに至ってリョウの立場を心得た様子で、それ以上は質問をしなかった。質問しない代わりに彼は最後にこう言った。
「つまり、俺が出て来ても大して意味がないってことだな…?」

 その頃屋敷の中では、サロンを抜け出したセイジが、無理矢理連れて来たシンを伴い廊下を歩いていた。
「気にするな」
「でも、」
 無理矢理と言うのは勿論、姉妹がそれを嫌がったからだが、シンもまた後ろ髪を引かれる思いだったらしい。歩きながら幾度も後ろを振り返り、今も申し訳なさそうに足を進めている。けれど、
「話など後でいくらでもできる。君はただの客人ではないのだ」
 そう言われてしまうと、シンとしては何も反論できなくなる。親切にしてくれる姉妹達には尚心苦しいが、その前に自分の問題を片付ける義務があることは、言われなくとも解っているだろう。
「そうですが…」
 ただ、セイジはセイジで、そんなシンの様子に別の関心を向けているようだと、後に続けられた話からシンは理解する。和やかなティータイムの最中、姉妹達とシンの間で盛り上がる会話に、セイジはさして興味を示さなかったが、その場を注意深く見ていたことが窺えた。
「しかし、君は随分と話題が豊富に見える。姉上は美術だの芸術だの、他に政治的話題にも関心があるが、妹は文学や歴史を好む読書家だ。双方に話を合わせるにはそれなりの知識が必要だと思う」
 とセイジは言った。それに対してシンが答えられることは、
「はい、まあ、過去に勉強した程度のことですが」
 それだけだったが、たったそれだけの返事でも、些か不思議な事実が含まれることをセイジは気付いているようだ。
「それはどんな経緯で?」
「と申しますと?」
「世間知らずと見くびってもらっては困る。職業に関係のないことを学ぶ機会は、普通の庶民には滅多にない筈だ。それなりの家なら教師を雇えるだろうが」
 つまりそう言うことなのだ。長きに渡る中世の時代、万人が広く一般常識を学ぶシステムは存在しなかった。階級社会の、決められた枠組で生活する分には、それ以外の知識は必要がなかったからだ。故に商人でありながら、文学や歴史を学んだ経験があるのは珍しい。書店ならまだしも宝石商の経歴ではない、と言う推理が可能だった。
 そう、前途の通りシンは商家の出身ではない。しかしそれが、今度の事件に何の関係があるのかと、シンには首を捻ってしまう話題でもある。
「ええ…、家に来ていた教師から学んだのですが、何故そんなことを?」
「つまり君は元々、それなりに裕福な家で育った」
「まあそうです」
 そしてシンは答えながら、この御曹子は意外に社会をよく知っている、と多少恐ろし気な空気を感じ取っていた。本人が「世間知らずではない」と話す通り、セイジは上流社会の垣根に守られ、甘んじて暮らす若者像とは違うようだ。それは勿論、この伯爵家の体質から来ることでもあるだろう。
 それに加えシンの知らない事情もある。まあ、リョウと言う監督役を付けらている点から、想像できることとは思う。セイジはこれと思う人物を見付ければ、王族だろうと奴隷だろうと、積極的に関わろうと出て行ってしまうからだ。名門である伯爵家に取っては頭の痛い事情、一種の病気とも思われる困った性癖。しかし、セイジ本人が豊かな知識を得ることに於いては、意外に有益な問題行動かも知れない。
 今もまた、その虚心坦懐と言える行動原理のお陰で、セイジは求める結果をうまく導き出そうとしている。
「それが何故突然、宝石商になろうと考えたのか」
 事件とは関係ない会話だと言うのに、シンは既に追い詰められている気分だった。何か、決定的な事実を暴く為に、徐々に外堀を埋められて行くような不安感。
「それは、石に関する知識がありましたから、それを仕事にしただけですが」
「私の予想では、それこそが偽物に関係すると思うんだが」
 しかし何を言われても、セイジの思惑が読めない内は、相手のペースに翻弄されるしかなかった。そしてシンには遂に、答に詰まる質問がやって来た。
「偽物に関係するとは…?」
「コレクションの宝石はどれも手放した物だと聞いた。だが、その代わりに偽物を大事に持つと言うのは、普通の行動ではない気がする。何か特別な理由があるのではないか?」
「・・・・・・・・」
 確かに、シンにはその理由が存在した。けれど滅多なことで口外できない事情も、同時に存在した。そんな場合ここに留め置かれている理由、偽物の売買に関係のないことなら、わざわざ話す必要もなかった。セイジにもそれを聞き出す権利はない。
 ただ、相手がひとつの秘密に辿り着いたことで、シンはいよいよ落ち着かなくなって来た。ただでさえ商売の継続を危ぶんでいるのに、加えて身の上の危機を感じなくてはならない。
 一体僕はどうなってしまうんだ…?。
 と、シンが心理的に追い込まれていたその時、ふたりの目の前で交差した廊下を横切ろうと、使用人の男性、そして、一際身なりの立派な老人が現れた。
「御機嫌麗しゅう、伯爵」
 ほぼ反射的にセイジが挨拶する。その後に続けてシンも深く頭を下げた。言わずもがな、この屋敷の主と言える現ダンティーン伯だ。彼はその場で足を止めると、暫しふたりの顔を眺めて言った。
「セイジ、そちらはどなたかな?」
「私がしばしば出掛ける宝石店で、鑑定士をしている者です。事情があって昨日からここに滞在しています」
 ここでもセイジは、他の家族にしたのと同じようにシンを紹介した。今の時点ではまだ公表しないつもりか、或いは他の家族には内密にするつもりか。ともかく居づらい状況にだけはせずにいてくれる、その点だけは感謝しつつシンは自己紹介する。
「初めてお目にかかります、伯爵。シン・モーリと申します」
 すると、伯爵は何を思ったのか一歩前へ踏み出し、具に観察するようにシンを見る。自己紹介がおかしかったか?、何か気になる動作をしただろうか?。途端に不安を感じ始めたシンに、伯爵は思い掛けない言葉を掛けていた。
「うん…、お主は何処かで見たことがある気がするな…?」
 全く予想しない内容に、シンは一時の不安を忘れ瞬きを止める。事実この老人に会った記憶はなかった。店を開いてからのことは確実に憶えているし、それ以前も、伯爵と言う立場の人に会う機会はほぼなかった。
「え?、いいえ。お会いしたことはない筈ですが」
「そうだろうか?。耄碌したとは言え、儂は一度見た者の顔は忘れんぞ?」
 誰か、似ている人物と勘違いしているとしか思えない。そう思い、シンは失礼でない言葉を選んで返す。
「そう仰られても…、申し訳ございません、本当に初めてです」
 自信ありげに話す伯爵に対し、場合に拠っては適当に合わせるのが礼儀かも知れないが、シンは現状以上に周囲を騙したくない思いから、正直に有りの侭を話していた。するとセイジが、
「見たと言っても、いつ頃の記憶なんです?」
 シンに取っては気の軽くなる質問を続けた。
「いつだったかな。最近ではないな」
「彼はこの通り二十を少し越えたくらいの年です。十年前ならまだ子供でしょう」
 成程セイジの指摘は、伯爵自身の誤りを納得させるものだったようだ。一本取られた、と言う愛嬌のある表情を作り、
「それもそうだな…?」
 老伯爵は笑って見せた。シンもまたそれに合わせるように、漸く緊張を緩め笑顔を作ることができたのだが。
 セイジだけはひとり様子が違っていた。何か名案を思い付いたような、嬉々とした息遣いがシンにまで伝わっていた。今、それ程興味深い話をしていただろうか?、と考えると、セイジの思うことは増々解らなくなるシンだった。
 人違いに喜ぶ彼の態度は、偽物を大事にする自分と大差ないような…。



「失礼致します」
 再びサロンの入口に立ち、シンは深々と頭を下げる。
「あら、セイジはどうしたの?」
「いやそれが、急な用事があると仰って、取り敢えず私だけ戻って参りました」
「良かったわ!。折角盛り上がっていたのに、強引に連れて行ってしまうんだもの」
 先に気付いたマルシャが声を掛けると、続けてメアが嬉しそうに続け、シンにもう一度席に着くように促した。セイジの勝手とは言え、心象の良くない退出だったのではと考える、シンの心配は杞憂に済んだようだった。
 しかし今の状態は、誰に取っても些かサプライズだ。
「何なのかしら?、気紛れねぇ」
 と、マルシャの言う通り、用件も言わず連れ出したかと思えば、急用だと言って放り出すセイジの行動は、家族の目から見ても特異な事態に映っている。現在伯爵家に火急の問題がある訳でもなく、そもそもセイジはそれほど落ち着きのない性格ではない。この慌ただしさは一体何なのかと、不思議がられて当然の場面だ。
 そしてシンが、
「廊下で伯爵様にお会いしました。それで何か思い付かれたようですよ」
 つい先程の出来事をそう話すと、やや頭が整理されたような、穏やかな調子に戻してマルシャは言った。
「そう。この家に於いて伯爵の命令は絶対だから、頼まれ事でも思い出したのかしらね?」
 伯爵の命令は絶対。
 その言葉を耳にすると、老伯爵の面影は確かに威厳が感じられたと、シンは思い出しながら頷く。姉君の口からも自然にそう語られるように、この家の規律は伯爵そのものなのだろう。誰もが伯爵を中心に家を守って来たのだろう。それこそ伝統的な一族の在り方であり、それを肌に感じられることがシンには心地良かった。
 何故なら、貴族と呼ばれる家は数々あれど、押し並べて全てが模範的な存在とは言えない。商売柄数々の人や家に接したシンは、特権を持つ立場でありながら、背徳的な生業や横暴を行う貴族達を見るにつけ、憤る思いを禁じ得ないでいた。その怒りは、貴族の近くに居るからこそ感じるものだ。遠い存在ならば、貴族など名ばかりでろくでもないと、吐き捨てるだけで良いのだから。
 故に思う。この伯爵家は素晴しい一族だ。連れて来られた理由はともかく、こんな家も存在すると知ってシンの気持は安らいだ。
「お祖父様と何かお話された?」
 メアもまた、伯爵に敬意を示しながら尋ねている。とても良い態度だと思う。ので、シンも快く前の話題を聞かせた。
「ええ。一度見た顔は忘れないと仰って」
 すると割り込むようにマルシャが、
「そうなのよ、伯爵の特技なの。だからこの町の人は全て知ってると言っても、過言じゃないのよ」
 捲し立てるようにそう言った。恐らくその特技は間違いないものだと言う、驚異的事実を表現しているのだろう。けれど、
「流石土地に根付いた一門の主です、優れたお方なのですね」
「そうねぇ?、まあねぇ?。紳士とは言えないのがなんだけど、実直さでは優れた人でしょうね?」
「クックッ…、御身内の方は厳しいなぁ」
 特技以外については、殊に女性にはあまり受けないタイプのようだ。セイジの秀麗さを思うと、やや不思議な感じもするところだった。そしてやはり、若い姉妹は伯爵の人物像などより、興味を惹かれる対象へと話題を変えて行く。
「あなたの方がよっぽど紳士だと思うわ」
「そうでしょうか?」
 マルシャのそんな評価には、シンは何と答えて良いか判らなかった。続けて彼女が、
「あなたは本当に、商人としては珍しい特徴をお持ちだもの。物腰が穏やかで教養があって。ああ、店先に立っているより、それなりの家で何かを経営してる印象ね」
 そんな話をすると、メアが思い付いたようにある家の名前を出した。
「はいはい、シャロス家みたいな?」
 憶えておいでだろうか、黒髪の美しいカユラ嬢が社交界で人気だと言う。その家もまた、この土地に代々根付く伝統の一族だった。
「そう、シャロス子爵は農場王と言われているわ。広大な農地に小作人を大勢抱えて、この地方一帯の作物の流通を仕切っているの。あなたもそういう立場の方が似合いそうよ?」
 広大な土地に住む信用ある当主、国の糧を掌握する活気ある活動。と言う、素晴しいイメージをマルシャに振られるが、まあ流石に「はい」とは図々しくて言えない。
「そんな勿体無い例え、恐悦です」
 セオリー通りにシンが言うと、何故か彼女はシンを鼓舞するように明るく続けた。
「例えじゃないわ、爵位なんて買えるもの。あなたがこれから大事業に着手して、名を持つ人になるかも知れないじゃない?」
「はあ…」
 続けてメアもこんな提案を聞かせた。
「宝石の知識が豊富なんですから、鉱山主はどうかしら?。人を雇って大規模な採掘をするの!」
 と、姉妹はまるで、シンの未来を待望するスポンサーのようだった。勿論そんな約束を交わした訳ではないが、自然にそんな会話になるのは、それだけふたりがシンを気に入った証なのだろう。
 身分の違いと言うものがある為、今のところ恋愛的な展開にはなっていない。当然その辺りには弁えのある姉妹だ。ただ彼女達から見て、シンは付き合い易い隣人のように思えるらしい。だからこそ是非、自分達の階級に近付いて来てほしいと、様々な提案を始めたのだろう。彼が本当に隣人と呼べる人になればいいと。
 さてシンの方は、そんな姉妹の思いを知る由もなく、
「それもそうですね…?」
 と、今度は笑いながら答えてみる。既に存在する農場王のイメージは重過ぎるが、自分の今後の展開として、鉱山主と言うアイディアは現実的で面白かった。マルシャもそれに乗り、
「大手になれば市場を牛耳ることができるのよ。その後はお店も各地に出店して、広いマーケットを持たなくちゃね?」
 と続ける。話を大きくし過ぎだとは感じるが、そんな夢を持つことは悪くないと思う。寧ろ明るいビジョンを示してくれる姉妹に、シンもまた純粋な好意を感じて話す。
「ハハ、そうできたら素晴しい人生になるでしょうね」
「何事も目指してみるべきよ?」
 けれど、この場でメアが最後に聞かせた言葉は、ふとシンを我に返らせた。
「フフ、男の方にはそう言う楽しみがあっていいわよね?」
『楽しみ…。そうだ、僕はそれを目指して今の仕事を始めた』
 心の内に思う、現在の目標と最終的な目的。それらは確かに自身の幸福、人生の楽しみに繋がるものだと考えて来た。
『でも、僕に取っての本当の楽しみは、そんなことじゃないかも知れない』
 仕事で身を立て、何れ名を得る身分にもなって、広く世界に知られる一大事業を展開する。それも勿論素敵な夢だとは思うけれど。
『僕はむしろ今の方が楽しい』
 シンは、今感じる素直な気持に迷い出していた。果たして仕事が己を救ってくれるのだろうか?、と。

 またその頃、
「これだ…、間違いない」
 と、セイジが地下の一室で呟いていた。彼は昨夜から他の用事をそっちのけで、屋敷の地下の資料室に入り浸っている。そしてその情熱が遂に報われたと表すように、力強く拳を握り締めていた。
 すると、その様子をドアの隙間から窺っていたリョウが、
「何が間違いないんですって?」
 このタイミングで声を掛けた。殊に真摯な様子で文書を紐解くセイジの、集中を途切らせるのは流石に気が引けた。なので今やっとコンタクトを取れたところだ。
「何だリョウ、何か用か?」
 振り返るとセイジは、達成感からか何なのか、とても満足そうな笑顔を見せている。そんな時にケチを付ける話題は申し訳なかったが、リョウはつい先程の出来事を伝えた。
「今さっき、庭先に例の錬金術師が来てました。セイジ様が何を考えていらっしゃるのかと、かなり疑ってるようでしたよ?」
「ああ…」
 どうやらセイジはそれについて、今は全く考えていなかったようだ。言われて思い出した感をありありと漂わせながら、けれど報告は真面目に受け取り、俄に何かを考え始めている。なのでリョウは続けて、
「こんな調子で長い間うやむやにしておきますと、」
 と、己の危惧する状況を詳しく話そうとしたのだが。突然、セイジは席を立ち上がり言った。
「その心配は不要だ。今夜の内に丸く収めて見せよう」
「えっ…?。突然何なんです…?」
 目を丸くするリョウの目の前で、セイジは手に一冊の書物を抱えていた。それが何なのか、カバーに書かれた文字からは判らなかったが、恐らくそれがセイジの言う、丸く収めることへの裏付けとなっているのだろう。判らないながらもリョウは、無意識にその書物を凝視していた。
 伯爵家の資料室は単なる図書室ではない。この土地の歴史、住民の推移、事件、天候、あらゆる記録が保存されている、この家の心臓部とも言える場所だった。故に、その時々に書かれた一枚紙を綴じただけの、バインダーのようなものが多いのだが、その中からセイジは、珍しい書籍型の一冊を手にしていた。無論印刷機など存在しないこの時代、中身は誰かの肉筆によるものだろうが…。
 そんなことを考えながら固まっているリョウに、
「今夜、晩餐の後に全員広間に集まるように伝えてくれ。使用人以外全員だ」
 セイジは念を押すようにそう続けた。ふと、家族全員が集まる図を想像したリョウは、恐る恐ると言う口調で内容を確認する。
「あの…、私的に裁判のようなことをなさるおつもりですか…?」
 ひとりを囲んで弾劾裁判を行う。そのイメージは酷く胸の痛むものだった。何故ならそんな場面は貴族達の間でしばしば見られ、リョウも過去に一度嫌な思いをしたことがあった。大概は裁判沙汰にしたくない、家庭内の問題や思想争いを収める為に行われるが、何れの場合も始めから、誰が悪いと決めた上で行うものなのだ。つまりシンを、糾弾する為の場を作ると言うのは、あまりに可哀想な気がしてならなかった。
 まさかそんなことを考えてはいますまい、と、リョウは縋るような目でセイジの顔を見た。
 ところが、
「裁判…?。ああ…、宝石の話などどうでもいいから」
 セイジは最早、それすらも忘れかけていたようだった。
「は…??」
 不穏な事態への心配は無用に終わったが、リョウは気の抜けたような返事をするばかりだ。本当に、セイジは何をするつもりなのだろうと。



つづく





コメント)5回で終わる筈が6回になっちゃいまして。4と5を同時upするつもりだったのに、今回は単独upになりました(´ `;。もうそろそろ終わる予感があるのに、なかなか話が進まなくてすみませんっ。
あ、ちなみにセイジの姉妹の名前は、元々の弥生と皐(3月と5月)をフランス語にして、人名っぽくアレンジした名前です。わかった方いるかな?。一応この話は全体的にフランス風の名称で統一してるので…。




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