弁明の時
恋は永遠の輝き
#3
The Something Glitter



 見渡す町の景色がオレンジ色に暮れて行く。
 小高い丘の上の伯爵邸から、臨める町の様子は普段と何ら変わらないけれど、変わらぬように見えながら、人々は日々変化の中に生きている。
 この窓から、代々の伯爵達もそれら小さな変化を見守って来たのだろう。ここはそうした家柄なのだ。そして今は、箱庭のような町に住むひとりの住人について、然るべき処遇をと頭を悩ませていた。
「ではあれらは、個人的な偽物のコレクションだったのだな?」
 事態のあらましを大方聞いた後、セイジがそう問い掛けると、暗くなり始めた部屋で淡く西日を浴びながら、椅子に座るシンは落ち着いた様子で答えた。
「はい。あんな値段を付けておけば誰も買いませんから、害はないだろうと考えていました」
 リョウは壁のランプに火を入れる支度をしながら、
『そうか、やっぱり高過ぎるよな』
 などど考えている。また突然連れて来られた割には、酷く怯える様子もなく、屋敷内の厳めしさに畏縮することもなく、シンが大人しく行儀の良い態度を見せているので、リョウは改めて好感の持てる人物だと思った。
 まあだからこそセイジのお眼鏡に適ったのだろうが。
「それを偶然私が買ってしまった訳だ」
『セイジ様の目的は別の所にあったからなぁ…』
「そこまで気に入って下さるお客様がいるとは思わず、考えが浅はかでした。本当に申し訳ございませんでした」
 そしてシンは、この部屋に通されて何度目になるかわからないが、謝罪の言葉と共に深々と頭を下げる。そんな反省し切りの様子を見ていると、
『そうかなぁ…』
 リョウはその度反意を唱えたくなった。
「商品に偽物を混ぜて陳列するのは、例えお買い上げ戴かなくとも騙すことになると、この度は痛切に感じております。反省の上改善致しますので、平に御容赦下さい…」
『う〜ん、何か可哀想だなぁ。こっちだって故意に偽物を持ってたんだし…』
 そうなのだ。こちらに何の意図も落ち度もなかったなら、シンが謝るのは当然かも知れないが、果たしてこの状況は正しいのだろうか?、との疑問が沸き起こって来る。そもそも偽物の宝石を持ち込んだ結果、こんな事件になるとは予想しなかった筈だ。ただ店主の関心を惹いて親しくなろうとか、気に入ればプレゼントしようと思っていたに違いない。それが…
 セイジは何を考えているのだろう?。
 いまひとつ主人の言動に信用の置けないリョウは、ハラハラしながら聞耳を立てている。とその時、ふと思い付いて彼は言った。
「あ、ひとつ聞いていいですか?」
「何だ?」
「今日持って行った石は、何故偽物と判ったんだろうか?」
 まず見破られないだろうと、錬金術師は自信満々で渡してくれたが、敢えなく一人目で撃沈するとはどう言うことか。シンが余程の目利きなのか、それとも錬金術師が詐欺なのか。それについてはリョウだけでなく、セイジも是非知りたいところだった。すると、
「ああそれは…、内部の状態が良過ぎますから。あれ程大きな石で、内包物やクラックが見えないのは相当珍しいことです。それに、」
 シンはそこまで尤もらしい言葉を連ね、一呼吸置いた。
「それに?」
「僕の偽物とよく似ているんです」
 続けられた言葉は、リョウとセイジにはまだ、何を意味しているのか掴めなかった。シンの持つ偽物と言えば、まず買ってしまったアレキサンドライトだが、同じ石だけに似ていることがすぐ判ったのだろうか。
 シンはそして、
「失礼を承知でお尋ねしますが、あの石はどちらで入手されたものでしょうか?」
 と、妙に下手に出て尋ねる。彼はそれを知りたがっているようだ。
「何処で入手したかは聞いておらん。私の持ち物ではないのだ」
「そうですか…」
 こんな時、明らかな嘘を語ることに、セイジも罪悪感がないではないが、元はと言えばセイジが行動を起こしたことが原因だ、と思うリョウの、罪の意識はその比ではなかった。
『胸が痛い…』
 相手が真摯に訴える程、理不尽を受け入れる態度を見せる程、隠し事のある身の辛さは増して行くだろう。だが、セイジも気にせずいるようで、リョウに比べると相手の変化をよく見ていた。恐らくセイジの方は自分とシンの為に、状況を好転させようと考え続けている。
「心当りでもあるのか?」
 とセイジが返すと、
「ええ、恐らく…、私の知り合いの作った物のように思えます。あそこまで本物に近付けられるのは、恐らく彼しかおりません」
 シンは包み隠さずそう答えた。既に何となく嫌な予感があり、セイジとリョウの間に些かの緊張感が生まれる。
「それはどんな人物なんだ?、調べる必要がありそうだな」
 と更に尋ねると、正に予想通りの返事が帰って来た。
「知り合いとはいわゆる錬金術士です。天才的な才能の持ち主ですが、自ら宝石を売り込んで歩く訳ではありません。ですからあの青いアレキサンドライトは、何処かの商人が注文して作らせたんだと思います」
 シンのあまりに的確な推論に、
『鋭いな』
『偶然の一致とは恐ろしい』
 聞いていたふたりは場違いにも感心してしまう。否、同じ手による物と判ったからこそ、人物を特定して言えるのかも知れない。ともかく本物と精巧な偽物を見分ける、シンの目が確かなことは間違いないようだ。またそれで、
「そうか。では家族に話して詳細を探るとしようか…」
 セイジは難しい顔で言いながら、結果的に物で騙せる程度の安い相手じゃないと知り、それはそれで喜ばしく感じているようだった。今のところ彼の恋路の上で、目覚ましい進展があった訳ではないが、簡単に落ちないものほど落とす価値があるのは、何にしても同じだろう。それに気付けばセイジは増々意欲を燃やし、増々強かな行動をするのみだった。
 彼は続けてこんな話をした。
「それは別にして、そもそも君は何故偽物を収集しようと考えたのだ?。宝石商なら本物を見る機会は多くあるだろうに」
 確かにそれも疑問と言えば疑問だった。本物の素晴らしさを知る者が、何故わざわざ偽物を手元に置こうと思うのか。無論優れたイミテーションであることは、これまでの話の過程で想像できたが、普通の感覚ならあくまで似せただけの宝石など、見下す意識で扱うと思う。仮にも宝石商なのだから。
 するとそれについてシンは、
「え、それは。まだ店を開いて間もないですから、趣味に掛けるお金はなかなか作れませんし」
 と、まあまあ納得できることを話していた。
「見るだけでなく手元に置きたいと言うことか?」
「前にお話ししましたが、私は珍しい石を収集しております。実は、店の開店資金を作る為に、コレクションの大部分を手放してしまったのです」
「コレクションを取り戻すまでの代わりと言うことか」
「ええ。ゆくゆくは本物を店頭に並べたいですが、今は難しいので」
 セイジは思い出している。記憶は既に朧げになっているが、タイピンと同じショーケースに並べられた、その他十点ほどの宝飾品は確かに、一般によく見る石を使ったものではなかった。憶えているのはカフスに加工された、鮮やかな遊色のブルームーンストーン、強い赤味を帯びたファイアオパール、美しい模様が出たルチルクォーツなどと、名前は判らないが蛍光色のような黄緑の石、他に青い石が幾つかあったと思う。
 高価な物もそうでない物も交じっていただろう。単に高級思考の人間なら、歯牙にも掛けない種類の石もあると思う。だがそれらはシンに選ばれた個性であり、元々所有していたものを名残り惜しむ気持は、それなりに解る気がした。そう、高級であれば良いなら、代わりの商品は幾らでも存在するが、自然が生み出す個性は皆唯一無二なのだ。人の個性と同じように。
 そして、君と言う個性もとても魅力的だ、と、余計なことを考えるセイジの横で、
「でも偽物だってそれなりにするんじゃないのか?」
 リョウは再び疑問に口を開いていた。本物は買えないとしても、あの錬金術師は本物と大差ない代価を請求して来そうだ。実際自分達がそんな目に遭っている為、誰にもそうだとリョウには思えてしまうが、
「いえ、件の錬金術師は付き合いのよしみで、最低クラスの石として作ってくれますから」
 人によって違うと、事実を聞かされれば余計に腹立たしかった。
『あいつ〜〜〜』
 否、本当ならそれでも高いくらいだ。材料費はタダ同然の物が多いので、友人ならおもちゃのような値段でもいい筈だが、寧ろ高く買ってあげることが付き合いのよしみだった。リョウは気付かないが、シンは協力的な周囲の人間を大事にしていると、それとなく解る話だった。
「そんな物の割にとてもよく出来ているし、自然界には存在しない合成もできるので、今はそれで満足しておこうと思ったんです」
 シンが話し終えると、セイジは充分納得したと言う振りを見せて、
「成程…」
 と頷いた。実際のところまだ不明に思う点は幾らかある。例え大事なコレクションだったとしても、そこまで執着するのは何故だろう?。そもそも同じくらいの年令にしては、渋い趣味だと思うが、彼はいつそれらを入手したのだろう?。などなど。
 だが目の前の問題に関係のないことまで、一遍に聞き出す必要はない。
「で、どうなさるんですか?、セイジ様」
 リョウが裁定を促すように、今は必要なことだけを話し、その他のことは追々話題にして行けば良かった。時間は充分にある。何故なら、
「…うん。ではこうしよう。これから私はこの石を誰が売り付けたのか調べる」
『えっ??』
 セイジは青いアレキサンドライトを手に取り、リョウには思い掛けないことを口走る。売り付けられた事実などないと言うのに、しかもシンに何の関係があるのかと、俄に考え込んでしまう出だしの内容だ。けれど続きを聞いてみれば、いかにも計算ずくのセイジの考えが見えて来た。
「君の言うことが真実かどうか確かめねばならん。その間はこの屋敷に留まってくれたまえ。部屋を用意するので当面そこで過ごしてもらおう」
『え〜〜〜?、何だって!?』
 つまり適当な理由を得て、特に横暴でもなく相手を軟禁しようと言うのだ。
 勿論シンならば、己の罪状が少しでも軽くなるなら、いきなり法廷に立たされるより幸いと思うだろうし、トーマに関する話は間違いないのだから、それで信用を作れれば尚良いと考える筈だった。またセイジの口調からも、暴力的な扱いをされるような恐怖感は、終始感じられなかった。だからこそ気持良く成立する提案だった訳だ。
「良いか?」
 セイジが確認するように言うと、シンはそれ程考えることなく答えた。
「わかりました…」
 今、彼に取っての唯一の気掛りは、店にひとり残っているシュウのことだけだった。



 その頃、目抜き通りの端にある宝飾店では、
「う〜っす。…おや?、留守なのか?」
 店の裏口を開け、勝手知ったる様子で中を見回すひとりの男がいた。小振りの革袋を携え、黒のケープを身に纏ったその姿は、そう、森に住む錬金術師のトーマだ。彼が後ろ手に店のドアを閉めると、ドアベルの音を聞き付け、シュウがバタバタと階段を駆け上がって来た。
「誰だ!、何だ!、何の用だ!、…っておまえかよ!、こんな時に」
 そして来客の顔を見るなり、がっかりした態度を露にして見せる。シュウの発した言葉から察するに、彼等の間柄はそれなりに親密なもののようだった。つまりズケズケと言いたいことを言える親しさだ。
 するとトーマは、
「おまえかよってさ…。どうしたんだ、慌ただしいな」
 シュウの苛ついた態度から、自分が何か不興を買っていることが判ったらしく、相手を懐柔するように大人しい口調で問い掛ける。無論その程度でシュウの気持は収まらなかった。
「おまえの偽物のせいで大変なことになってんだよ!!」
「どういうことだ?」
「偽物を買わされた客が、シンをどっかに連れてっちまったんだ!!」
 それを聞けば、トーマも確かに一大事だと認識できる。自分が作り出したイミテーションが、事に関わっていることは疑いようがない。ただ、
「売った…?。何で売ったんだ?」
 トーマにはその経緯が全く解らなかった。シンに売るつもりがなかったことは、これまでの付き合いの中でよくよく判っていたのだ。店に並べてはいたが、誰があんな法外な値段で買うものかと、トーマ本人ですら笑っていられた状況。客の目を引くディスプレイとしては、いいアイディアだと感心していたが。
 しかし、尋ねたところでシュウにも説明はできなかった。
「知らねーよ!、どっかのお貴族様がアレキサンドライトのタイピンをえらく気に入って、値段も気にせず買ってったんだ!」
「…馬鹿な…」
 その物が、アレキサンドライトのタイピンと知って、トーマは思わず息を飲んだ。言われてみればあのデザインは見たことがある気がした。まさかあれが、あの伯爵家の御曹子が着けていたタイピンが、自分の作品を加工した物だったとは…。
 と、偽物を買った人物、乃至偽物を注文した人物を知った彼は、何故こんなことに?との思いを強くしている。否、青いアレキサンドライトを作ると言い出したのは、客として現れた男のタイに、アレキサンドライトを見付けたのが理由だが、そのとんでもなく高い宝飾品を確かめもせず買った人物が、何故偽物を作ろうと考えたのだろうか?。トーマはそれがどうにも解せないようだ。
 まあ、同一人物から作成依頼を請けた偶然を抜かせば、セイジの思惑は至極単純なものだったが、今の時点でトーマ達が知ることだけでは、なかなか想像できない現実もある。
「売るつもりねぇ物を買われちまって、シンも俺もどうにかしようって話してたんだ!。なのによ…」
 続けてシュウがそんな事情を話すと、
「どうにかするって何をするつもりだ」
「本物と摺り替えるんだよ!、適当な理由をつけて店に持って来させて!。…でももうそんなこと考えても駄目だ。とにかくシンはメモを残して消えちまった、向こうは相当怒ってんだろ」
 既に諦めムードで意気消沈するシュウは、そのメモを前掛けのポケットから、トーマの目の前に差し出していた。
 慌てた様子がありありと見て取れる走り書き。内容は、怪しまれているから正直に話したら、詳しく話を聞かせろと言われ、自分はしばらく店を空けると書いてあった。それを読むとトーマは、
「いつのことだ?」
 と、早速疑問の解決に意欲を見せる。僅かながらシンが、現状に繋がる手掛かりを残しているのだし、何かできるかも知れないと彼は考えたようだ。と言うのは、メモを残す猶予を与えられるくらいなら、相手はそこまで強硬ではないと読み取れたからだ。
 ところが、
「昨日の夕方だ。閉店間近で、俺が晩メシの買物に行ってる間だった」
 シュウの返答にトーマは考え込んでしまう。彼に取っては予想外の話だったらしい。
「う〜ん…、わからないな…」
「何が?」
「それで何故あれを偽物だと疑ったんだ?。俺は簡単に偽物と判る石は作らない。特にこの店に置いてあるのは、中でもシンが選りすぐったものばかりだ」
「ん…?、そう言やそうだな?」
 トーマの言う通り、誰もセイジにタイピンが怪しいとは伝えなかった。青いアレキサンドライトは偽物として作ったが、だからと言って既に持っている物を疑う理由にはならない。そして時間的条件だ。
「昨日…二番街で偽物騒ぎがあったんだ。それで怪しく思ったんかな?。心配になって調べてもらったんじゃねぇか?」
「一日足らずで正確な鑑定ができる訳ない」
「だな…??」
 その点がトーマを最も悩ませていると、今になってシュウも状況の妙が理解できたようだった。宝石の鑑定とは、伝統的にルーペを使って行うと前に説明したが、それで判るのはあくまで石の状態だけだ。その石が何であるか不明な場合は、幾ら眺めても判るものじゃない。石の種類を判別するには、一部を研摩して成分を調べる必要がある。この時代ではそれしか方法がないのだ。
 そしてそれは、一晩で結果が出る行程でもなかった。現代のように便利な試薬が多数ある訳でもない。含まれる鉱物に反応する何らかの物を調達し、ひとつひとつ調べなければならない。専門の研究所なども存在しないので、個人では骨の折れる作業と言えるだろう。
 つまり昨日の今日で店に乗り込むのは無理、とトーマは考えている。
「じゃあ、買った後すぐに鑑定を始めたンかなぁ…?」
「・・・・・・・・」
 しかしそれも、直接依頼を受けたトーマには納得できなかった。もし買った商品が偽物だと気付き、それをとっちめるつもりで偽物を注文したなら、精巧な偽物を作れる自分にもお咎めがある筈だ。折しも偽物騒ぎが増加傾向にある昨今、注文通りの物を仕上げたその場で、何らかのアクションがあって然りだと思う。けれど何もなかったことを考えると、セイジにはそんな気はなかったと想像できる。
 あの時点では、特別何かを勘繰っているようではなかったのだ。と、トーマは増々首を傾げることになっていた。
 そんな風に、残された者はああでもないこうでもないと、真剣にシンを取り巻く状況を考えているのだが、見ようによっては、皆セイジの掌の上で踊っているだけ、と言うのが何とも痛々しい。
「まあいい。それより先にシンを探して連絡をつけよう」
 今のところ答は出ないと踏んだトーマが、頭を切り替えてそう言い出すまで、実に無駄な時間を過ごしたふたりだった。けれどそれでも、
「あ、ああ!。そうだ、とにかく見付けようぜ!」
 他にできることがあると気付いた、シュウの声に些か明るさが戻って来る。ひとりでは店を放っておくことになる上、捜索範囲も限られてしまう為、なかなかそれを思い付けなかったシュウだ。ここでトーマがそう言ってくれたのは渡りに船だった。例え面倒事の発端だとしても、やはり持つべき者は友人。
「何処にいるか見当はつかないのか?、シンは。売った相手の屋敷とか?」
「わかんねぇ…」
 するとそんな時、ふたりの背後の壁に下がったドアベルが、やや控え目な音を立てて鳴った。トーマやシンなら、鍵を持っているので呼び鈴は鳴らさない。正に不意の来客のようだ。
「あい、どちら様?」
 話の途中だがシュウはドアの前へと移動し、外に向かってそう声を掛ける。そして返って来た言葉を耳に、慌てて鍵を開けることとなった。
「ダンティーン伯爵家の使いの者です。こちらにシュウ・レイファン殿と仰る方はおられますか?」
 シュウがドアを開けると、そこには言葉遣いからは想像できない、小さな少年が居て出て来た人物を見上げていた。
「俺がシュウだ」
 と、相手の年令に多少驚きながら伝えると、彼はシュウに書簡を手渡しながら、
「シン・モーリ殿からの御伝言です。確かにお渡ししました」
 マニュアル的にそう話す。子供ながらに訓練の行き届いた様子、それなりに身なりも整った少年は恐らく、伯爵家で働く誰かの息子だろう。正式な客人でもない人物の使いなので、子供にその役を任せたに違いない。無論それでも、連絡を取らせてくれるのは寛大な計らいだった。
「すまねぇな!、ありがとう!」
 と、シュウが喜色満面の様子で言うと、少年は役目を終えてホッとしたのか、ニコっと笑ってその場を後にしようとした。それを、
「あ、ちょっと待て!」
 シュウは呼び止めて待たせると、引き出しを探って銀貨を取り出し彼の手に握らせた。
「ありがとう、お兄さん」
 チップの習慣は、この地方ではごく普通に存在するが、少年は使役に慣れていないせいか、何事もなく帰ろうとしていた。なので思わぬ収穫に、シュウと同様の笑顔になって答えていた。そして、こんな気持の良い遣り取りができる相手なら、見通しは明るいかも知れないとシュウは感じる。
 途端に気分が良くなったシュウが、元通りドアを閉め鍵を下ろすと、
「早く開けろ」
 トーマの方は待ち構えたように言って、シュウに早く書簡を読むよう促した。
 包装の油紙を外し、畳まれた上質な紙を広げると、そこには確かにシンの文字が綴られていた。そして書かれていた内容は、例のアレキサンドライトの件で、不明な点が明らかになるまで伯爵家に軟禁されること、自分の話が正しいと判れば許してくれそうなこと、その為にトーマを探していることが書いてあった。また自分は不当な扱いは受けておらず、心配しないようにともあった。
 尚、シュウは青いアレキサンドライトの存在は知らない。もしこの手紙に、シンがそれを臭わすことを書いていたら、今この場でのふたりの会話が、もっとややこしくなったことだろう。シンはただ簡潔にまとめた話を書いたに過ぎないが、トーマはその点でも胸を撫で下ろす気分だった。現時点で、実は双方に関わっているなどと言えば、シュウの自分に対する心象が増々悪くなる。やりにくい状況だけは回避できたようだった。
 さて、シンの伝言を読んだシュウは、
「こんな手紙が届いたってことは、とりあえず身の危険はなさそうだな?」
 今はほぼ落ち着いてそう話した。対してトーマも、
「詐欺容疑でいきなり拷問はしないだろう。黙秘してるならともかく」
 常識的な人間ならそこまでしないと返す。どうやらシンは、大人しく向こうに従う態度に出たようなので、それが全体の印象を良くしているのかも知れない、と考えられた。でなければ「許してくれそうだ」とは感じないだろうし、それを伝言することもない筈だ。
 但しそれには条件がある。
「じゃ、おまえが行って事実を話して来りゃ、最悪の事態にはならねぇで済むかもな?。あとは金を返して謝れば」
 と、シュウがこの後の行動を考えて言う通り、トーマが精巧な偽物を作れることさえ明かせば、事は穏やかに収まるようなのだが。肝心のトーマは何処か腑に落ちない顔のままだった。
「そうだな…」
 と答えつつ、彼は彼だけが持つ疑問を幾度もおさらいしていた。
『どう言うことなんだ?。全て洗いざらい話したら、どっちも俺の作った物だと判る筈だ。それ以上に何が不明なんだ?。そもそも青いアレキサンドライトは店を介していない。知っていて何を調べてるんだ?。何かおかしい…』
 ともすれば、自分を陥れる罠かも知れないと警戒する、トーマの心情など知らずにシュウは追い打ちを掛ける。
「頼んだぜトーマ?。元はと言えばおまえの作品が原因なんだからな?。シンはお人好しだから、おまえの研究費作りを兼ねて偽物を買ってたんだぜ?」
「わかってる…」
 そう、その意味で恩義のある相手を助けたいのは山々だが、身の危険を感じる場所に、正面切って出掛けるのも些か勇気が必要だった。何しろトーマは社会から外れた存在なのだ。税金も払わなければ、買った訳でもない土地に勝手に住んでいる。非道徳的な商売もする。故に、決して表に出て来てはいけない立場だ。
 それを思うと、彼が伯爵家にどうアクセスするか、慎重に考えなければならなかった。
「ふーう。しっかしこんな時に、別の偽物騒ぎが起こるんだから紛らわしいぜ!。ここんとこ生きた心地がしなかった」
 と言う、今はかなり気楽になったシュウを横目に、今度はトーマが嫌な雲行きを案ずる番だった。事件の元を辿れば彼なのだから、それで適正な状態と言えるかも知れないが。
「一日も早く必要なことを済まして、謝罪して終わらせてーよ!」
「ああ…」
 偽の宝石をめぐり、思わぬ事態に陥った者達の状況は様々だったが、事は偽物騒ぎ以上に展開することをふたりは、否、セイジ以外の誰もまだ知らなかった。



 その庭は幾つかの外灯に照らされ、幻想的な夜の景色を作り出していた。
 日暮れまでは窓から一望できた、回遊式庭園の花壇を埋め尽くす草木が今、年に一度の花盛りの季節を迎えている。夜は夜で、外灯の淡い光を受けながら、物言わぬ美しさを充分に楽しめた。
 その上に浮かぶように見える、町の明かりの煌めく帯雲。本来は自分もその中に居る筈だが、こうして外から眺めると、喧噪と猥雑に満ちた町も何と光り輝いているのだろう。まるで宝石箱を散らしたようだ、と、シンは今不思議な視覚を感じているところだ。
 この世には富める者と貧しき者、優れる者と愚かな者が混在する。ひとつの世界をこのように、高みから見下ろせるのは間違いなく前者だが、後者にも生きる喜びや楽しみは用意されている。町中の暮し、誰もが自力で生計を立てる生活、同様に生きている仲間達の繋がり、それは確かに世界の活力に繋がっていると思う。
 だからこそ輝いている。町は輝いている。けれど本当の意味で世界を左右するのは、見下ろしている側の人間だと言う矛盾。
 否、その一見矛盾に感じることの理由をシンは、しかし道理だと理解もしていた。言ってみればそれは、心の内で情熱と理性が葛藤するようなものだ。体はひとつ、だが光あらば影もある。華やぎあらば憂いもある。双方を同等に見ることにこそ価値があると、遠い昔に聞いた話を思い出していた。
 そしてシンは、窓の外から視線を外すと、
『こんな贅沢な部屋で過ごすのは久し振りだな』
 与えられた部屋を今一度見回して思った。疑いを掛けられた商人を留め置くにしては、あまりにも厚遇過ぎないか?。これでは普通の客人扱いだ、と、シンはここに通されてからずっと落ち着かない。
 部屋自体はさほど広くはないが、立派なベッドとバスタブがあり、別珍貼りのカウチやテーブルセット、書き物机などは如何にも高級家具だ。その他、乳白ガラスのランプシェードや陶器のフラワーベースなど、普通に調度品も備えられている。そして何より、窓からの眺めがとても良い部屋だった。
 ここしか空きがないとも思えない。普通なら使用人の部屋でも宛てがうものだろう。何かがおかしいとシンもまた、トーマ同様状況の妙を考えている。もしかしたら偽物の件の釈明以外に、何かをさせるつもりがあるのではないか?。この好待遇は何かの代償ではないのか…?。
 などと考え始めた時、誰かがドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
 とシンは、もう夕食は済んだのに今度は何だと、多少面倒臭そうに返した。そう、つい先程部屋に運ばれて来た食事も、家人と全く同じとは思えないが、明らかに使用人の食事ではない物が出て来た。仔羊のソテーに魚貝のテリーヌ、ミモザサラダとパンとスープ、デザートのブラマンジェもあった。小振りだったり形が不揃いな所から、伯爵御一家には出せない物を集めたのだろう。それでも豪華過ぎると目を見張ったばかりだ。
 今度は寝酒でも持って来たのかと、シンは浮かない顔でドアを見詰めている。すると、
「失礼致します。何か不足なことはございませんか?」
 現れた使用人の男は、特に何も持たず頭を下げていた。
「いえ、こんな気遣いをしていただいて申し訳ないくらいです」
「そうですか。私はアヌビスと申します。身の回りのお世話をするよう遣わされましたので、ご用の際はお呼び下さい」
「え…?。いやそんなことまでしてもらっては」
 何も持って来なかったのは拍子抜けだが、更に御丁寧な扱いを受けてシンは戸惑う。
「見張りも兼ねておりますから」
「はあ、でも…」
 反論したくなって当然、例え見張りが付くにせよ、どう考えても一介の商人の扱いじゃないとシンは思う。シュウに事情を伝えたいと言って、書くものと連絡係を用意してくれた時から、えらく寛容だとは感じていたのだ。これでは却って先の不安を感じるじゃないか…。
 すると、
「ところで今、シン殿にお呼びがかかっているのですが」
 シンの心境など知る筈もなく、アヌビスと言う使用人は思い掛けないことを話した。
「え、だ、誰です?」
 思わず言葉に詰まりながら返すシンは、何が起ころうとしているのか戦々恐々だ。恐らく商売の話じゃないだろう。それなら呼び出すのはあの御曹子か、側近らしき青年のどちらかだと思う。あえて言わないところを見ると、恐らく自分には未知の人物なのだ。何を言われるか考えるととても恐ろしい…。
 しかしシンの思いとは裏腹に、アヌビスは至極穏やかな様子で言った。
「伯爵夫人とセイジ様の妹君です。是非連れて来てくれと仰られまして」
 それは正に意外な御招待だった。
「何でしょう…?。失礼でなければ参りますが」
 流石に、相手が女性達と判り緊張も弛んだが、一体何を以って「是非連れて来てくれ」となったのか、シンには凡そ理解できなかった。自分はこの家に取って、害を為した人物以外の何者でもないが、このアヌビスの態度を見るに、そんな意味でのお招きではないらしい。何がどうなっているのかまるで判らない。
 否、考えられることはひとつあった。こんな好待遇で扱われることも含め、セイジは自分のことを、彼の都合の良いように紹介したのかも知れない。何が都合が良いのか知らないが、そう考えるとしっくり来る気がした。本当に、何が都合が良いのか知らないが。
 何も知らなそうなアヌビスは、シンの返事を聞くとすぐにドアの外へ後退し、
「では御案内します」
 と、呼ばれている部屋のある方へ促した。とりあえずシンはそれに従い、彼の後を着いて行くしかない。例え大事に扱われていても、偽物事件が解決した訳ではなかった。シンはここに居る間、できる限り心象を良くしておかねばならなかった。
 所々に明かりの灯る、長い廊下や階段をふたりは只管進んで行く。王の居城とも思えるような複雑さ、古く重厚な石造りの屋敷は大変に広く、一度案内されたくらいではとても憶えられない。と、そんな感覚にシンは何処か懐かしさを感じていた。子供の頃に、打ち捨てられた古城を走り回って遊んだ記憶があった。城は古ければ古い程、無骨で頑強な造りになっていると、誰かが教えてくれたことも思い出した。
 この伯爵邸は全くそんな印象だ。長くこの土地の名士として栄えた家だから、当然と言えば当然かも知れない。
 そんなことを考えている内に、彼等は漸く目的の部屋へと辿り着く。その一角は他に比べ、壁やドアの装飾が一際豪華で、恐らく人の集まる場所なのだろうと想像できた。
 アヌビスが再びドアをノックする。今度はドアを開ける前に、
「奥方様、シン・モーリ殿をお連れしました」
 と、部屋の中へ声を掛けていた。無論家の主人に対する礼儀だ。そして、
「入って頂戴」
 それなりに年季の入った女性の声がして、同じく使用人の女性が静かにドアを開く。シンの目の前に金銀の装飾家具、ペルシャ絨毯やゴブランの花模様など、見目に華やかな空間が開けて行くと、その中央に集まって座る女性達の中から、
「さあこちらへどうぞ?、我侭を言って申し訳ないわね」
 シンに向けてそんな言葉が掛けられた。
「いえとんでもない。お初にお目にかかります、シン・モーリと申します。しばらくお世話になりますので、私にできることは何でもお申し付け下さい」
 声を掛けたのは恐らく伯爵夫人、と見た目から確認できた為、シンは殊更丁寧な返事とお辞儀をして返す。ところが、再び顔を上げてよく見ると、夫人と妹君以外にも複数の女性がいるではないか。
 白髪で最も年輩の女性と、もうひとり地味な風貌の若い女性は黒のメイド姿で、明らかに侍女、使用人と判るのだが、もうひとり一際目を引く艶やかな、何処となくセイジに似た大柄な女性が居る。そして彼女は暫くシンの顔を凝視すると、開口一番にこんなことを言った。
「若いわ!、妹と同じくらいじゃないの?。とても宝石商には見えないわ」
 すると彼女の言葉を耳に、妹らしき女性も興味津々の様子で同意していた。
「そうかも」
 尚、最初に言葉を発したのはセイジの姉のマルシャ、それに答えたのは妹のメアだ。この地方で三月と五月を表す名前だが、実はセイジも六と言う数字に因んだ名前である。まあそれらのことは、シンには後に伝えられるとして、姉の方は後からこの場に参加した割に、どんどん前に出て来る性格のようだった。
「いや見掛けだけで、恐らく若君と同じくらいの年だと思いますよ、お嬢様方」
 と、シンは当たり障りなく続けるが、彼女は納得が行かない様子で、思い付くことを次々捲し立てていた。
「そうだとしたら尚更、商人臭さがしないのは不思議ね?。彼等の立ち振るまいは何て言うか、みんな合理的でそつがないでしょう?。あなたは仕種が無駄に優雅だわ。年が若いせいかと思ったけど何故かしら?」
 確かに、自分にはそれが染み付いていないことは、シンにも自覚があった。前途の通り彼は商家の出ではない為、商人らしい振る舞いと言うものが解らない節がある。ただ宝石商と言う商売柄、普通の商人より上品なことがメリットとなる為、これまでそれなりに上手くやって来られたのだ。
 ただ、元手や信用の必要なこの手の業種を一代で、しかもこんなに若くして商えると言うのは、実際非常に稀なことだと思う。不思議がられても致し方ないところだった。すると、
「まあまあおよしなさい、そんなことを言われては畏縮されてしまうでしょう?」
 娘達の様子を見ていた夫人がシンに助け船を出す。と言うか、何らかの用事で呼び出したのだから、これでは話が進まないと思ったのだろう。
 それを受けてシンが、
「いえ、貫禄がないのは重々承知です、そのようなことは耳慣れておりますから。あ、ところで何かご用でしょうか?」
 と返すと、夫人は早速と言うように、キャビネットに置かれた箱を持って来るよう、侍女を促しながら言った。
「ええ、それなんですけどね…」
 そしてまた、詳しい話は姉のマルシャが説明していた。
「あなたは優れた鑑定士だと聞いたところなの。だから是非この家の財産を見てほしいのよ。最近町では偽物が出回ってるようだし、一度全部見てもらおうと思っていたけど、丁度いい機会だから」
 疑われてここに連れて来られたのに、変な雲行きだとシンは改めて思う。セイジが自分を都合良く紹介したことは、これで確認できたようなものだが。
 しかし、事実この家からあの、青いアレキサンドリアが出て来ている(とシンは思っている)ので、この場は誠心誠意依頼を引き受けようと、シンは前向き且つ真摯に考えられていた。それが罪滅ぼしになるなら尚のことだった。
「ああ、それならお任せ下さい」
 それまでは、ただ緊張の中に立ち竦んでいたシンだが、肩の力を抜いて笑顔を作ると、快く受け入れようと言う態度を示して見せた。そして早速、肌身離さず持ち歩いているルーペを懐から取り出す。それを見て、
「頼もしいわ。まず最初にこれを…、この伯爵家に代々伝わる物ですから、摺り変わったりしていなければ間違いない物だと思います」
 夫人もまた笑顔になりながら、運ばれて来た大きな革箱の中の、最も大きな木箱に納められたこの家の紋章、その中央に光り輝く石を指し示して話した。
「エメラルドですね」
 それは80カラット程もあろうか、非常に大粒で発色の良いエメラルドであり、また、石の組織の関係で、通常は四角いステップカットに加工される筈が、珍しいことにこれはマーキーズと言う、ブリリアントカットが施されている。本来はエメラルドの場合、ステップカットが最も美しく見える切り方だが、極めて大きな石だからこそそうしたのだろう。
 成程、名家の持ち物としては相応しい宝物だと、シンはその後も感心しながら鑑定を続けた。



つづく





コメント)随分遅れちゃってすみませんm(_ _)m。
今年の花粉症がキツくて生活困難だった上に、大きな災害も起こって、計画停電はあるし、お店から物が無くなるしで、落ち着かなくてなかなか進みませんでした。やっと普通に書けるようになったところです。
この後はしばらくオフ活動をしなきゃならないので、続きは五月下旬か六月になってしまいますが、どうお待ち下さい。案の定予定よりちょっと長くなってます(^ ^;。


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