森の人
恋は永遠の輝き
#2
The Something Glitter



 町の西に広がる広大な森は、あまりに広くて誰も正確な地図を描けないと言う。
 それ故毎年のように行方不明者が出て、市民の間では「ハイド・アンド・シークの森」と呼ばれている。訳あって森に入る者は、万全の準備をし、神に祈りを捧げ、然るべき覚悟をして出掛けるのが一般的だった。
 だが、ここに怖れを知らない若者がふたり。
 否、正確に言えば一般市民に比べ、地形に関する知識を多く持つからこそ、無闇に怖れないと言う意味だ。この時代はまだ学校のような施設は存在せず、家庭教師を雇える身分の者だけが、学問的知識を得られる状況だからだ。
 例え馬鹿馬鹿しい目的の旅にも、貴族と言う特権が充分物を言う。
「セイジ様、あれ煙じゃないですか?」
 邸宅から一時間、森に入って三時間ほど馬を走らせた頃、後から来るお目付役のリョウが、岩山の向こうから幽かに、白い煙が昇っているのを見て言った。
 この周囲には温泉や滝壷のようなものも無ければ、今日は山火事が起こりそうな条件もない。セイジは直ちに馬を止めると、リョウの指し示した岩山辺りを暫く、双眼鏡を使って観察し始める。そして、落ち葉を焚く程度の細く薄い煙の帯が、ゆらゆら風に煽られているのを見付けると、
「確かに!」
 と、彼の声は目的地を確信するように、明るく木々に谺した。
 森の外縁と言える地帯をそろそろ過ぎ、これ以上奥に行くのは危険かも知れないと感じる頃、如何にも人間の足跡と言えるものを発見した。この四時間走り続けた疲労など忘れる気持は想像できる。無論リョウの方はどう感じたか定かでないが、ともかくこれでひと休みできる事実には、歓迎の意志のみだっただろう。
 ふたりが立ち止まった木立の一角は、苔蒸した古い大木ではなく、若々しい細めの木々が青々と茂る美しい場所だった。柔らかな下草の地面に、野生のさんざしが泡のように白い花を付け、絡まる蔦の葉も何処か芸術的に映る。それらが時折吹く風に揺られ、サワサワと心地良い音を鳴らしている。とりあえずここでお弁当を広げるのも一興。と、リョウはその旨を提案しようとした。
 ところが、そこへ静寂の世界を乱す枝葉のざわめきが。
 森の中では細心の注意を払うべきことが三つある。ひとつは常に方位を確認すること、ひとつは陽が傾く前に森を出ること、最後のひとつは森に住む動物を甘く見ないことだ。鹿や兎なら構わないが、熊などに追い掛けられたら一大事である。ふたりは耳を澄ませながら、音のした方を注意深く見詰めていた。
 するとその音は徐々に近付いて来た。時折枝葉を払いながら、のろのろとしたペースで歩いているようだ。歩いている、どうやら人間らしい。そしてカーテン状に絡まる蔦の壁を開き、ふたりの前に現れたのは、遠目には特にどうと言う特徴もない、普通の若者と言えるような人物だった。
 ただ、彼は馬に乗ったふたりを見付けると、
「何だ貴様らは?」
 平常な様子を一変させ、不躾とも取れる薮睨みの視線を向けて来た。凡そ町中では、お貴族様にこんな態度を取る者は居ない。余程の世間知らずか、そうでなければ何処の誰をも恐れぬ様子に見える。
 それはもしかしたら、優れた術士の証しかも知れないとセイジは思い、自ら前に進み出ると、至って堂々と自己紹介をした。
「私はセイジ=コリンティアン=マルメロッシュ=ド=ダンティーンだ」
 すると相手の青年は、その姓に聞き覚えがあるのかやや表情を緩める。まあ嫌な相手でないと判れば、初見の人物にそう威嚇はしないだろう。セイジが続けて、
「この森に住むと言う、優れた錬金術士を探しに来た。錬金術の名の通り、金を造り出せると言うのはおまえか?」
 と、言葉を濁すことなく尋ねると、相手は疑惑の態度を更に崩した様子で簡単に答えた。
「まあな」
 そしてその返事に、相当自信があるらしいことをセイジとリョウは受け取っていた。
 何故なら過去現在未来、いつに於いても金の合成は滅多に行わないからだ。理論的には他の金属を取り出す方法と同じだが、材料と設備のコストが高く、合成するより元々の金の方が安上がりな為、時代が進むとわざわざそんなことは行わなくなる。
 しかし昔はとにかく金に価値があった。黄金は万国共通豊かさの象徴であり、ヨーロッパではスペイン等の知られた金山が掘り尽くされると、多くの者が金を作れないかと考え始めた。その結果、錬金術なるものが流行したのだが、化学の発達を見ないこの時代に、金を合成できる者などほぼいなかった。それだけに「金を作り出せる」と言えることは、相当なアピールポイントなのだ。
 なのでセイジは、
「そうか、それなら是非頼みたいことがあるのだ。依頼を聞いてくれるだろうか」
 素直に忌憚なくそう話し掛ける。相手の気分を害するのはこちらの損だと、素早く気転を利かせていた。
「報酬次第だ」
「いいだろう」
 そうして、セイジに商談の了承が与えられると、青年は多少含みのある様子でニヤリと笑い、ふたりを促すように歩き出していた。
「俺はトーマと言う。姓はない」
 彼の行く先は十中八九、あの煙の出ている岩山の裏だ。周囲を黒々とした針葉樹に囲まれ、その奥は正に魔の森と言えるような森林が続く。人里を離れ、隠れ住む錬金術士の住処としては、何とイメージ通りの場所だろうと、セイジが感心する横で、
「いいんですか?、こんな得体の知れない人物に頼みごとなんか…」
 リョウは相手に聞こえないよう小声で言った。物語の挿絵に出て来るような、ケープを纏った仙人のような男。それだけでも充分怪し気だが、おまけに彼は姓を持たないと言った。それは法的に何処の誰だか探せない、と言う意味もあるからだ。万一詐欺にでも遭ったらどうするつもりだろう、と。

 岩山の裏に回ると、そこにはごく普通に見られるような、石造りの番小屋風の家と井戸、用途不明な幾つかの物置き小屋のようなもの、があった。やって来たばかりのふたりは知らないが、それらはトーマの作業室兼実験室だ。
 そして依頼者は家の中に通され、恐らく接客用と思われる一角の机に着く。ひと繋がりの部屋全体は、書物や道具の類が積み上がり散らかり放題、凡そ生活には必要なさそうな、訳の判らないがらくたも多々目に付く有り様だが、その一角だけはそれなりに片付いている。そして小さな明かり取りの窓から、丁度良く日射しがそこに届いていた。
 机を挟んでセイジ達に向き合い、
「それで?、何を頼みたいって?」
 トーマは席に着きながら話を始める。彼は特に楽しそうでも嫌そうでもない、普通の商売として割り切った様子なので、セイジも余計なお喋りはせず用件に入る。
「単刀直入に言うと、宝石を作ってほしいのだ。この世にふたつと無いものを」
 するとそれを聞いたリョウは、
『それで気を引こうって魂胆か』
 と、セイジが錬金術士を探した理由に漸く気付いた。確かにあの店の店主は、珍しい石が好きで集めていると言った。注文通りにふたつと無い石が出来て、贈り物としてさり気なく渡せばさぞかし喜ぶだろう。ただ、彼は宝石に関する知識が相当に高そうだった。それを騙せるほどの偽物など、作ることは可能なのだろうか?。
「そんな物作れるのか?」
 リョウは思い付くままそう尋ねるが、トーマの返事は予想外のものだった。
「作れるとも。金を作るよりまだ楽だ」
 無論リョウは、前途の化学的な金の合成法を知らない為、大量の金を作ることがどれ程大変な作業か判らない。単なる想像で、堅い石を作るより、柔らかい金属を作る方が易しく感じるだけだ。否、その考え方は間違いではないが、トーマと言う錬金術士は既に、そんな常識レベルを越えてしまっているようだ。
 彼に立ちはだかる壁は最早、材料と設備に掛かる資金の問題のみ。理論の上では何事もやってやれないことはない。恐らくそんな意識に到達しているのではないか。
 近くでよくよく見ると、自分達とさして年も変わらない若造だが、成程相手の身分を見て物怖じしない訳だと、リョウは納得せざるを得なかった。そして、
「どのくらいの精度で作ればいいんだ?。適当にそれらしく見えればいいのか?」
 リョウの観察通り本人は、何の気負いもなくそう続けていた。世の中には表に出て来ないだけで、恐ろしい人物がいるものだ。
 だがセイジの方は、恐れ入る気持など全くなしに交渉を続けている。
「いや、それでは駄目だ。鑑定士にも簡単に見破れぬくらいのものでなければ」
「それなら、ある程度の時間と、それ相当の対価が必要だが良いのか?」
 相手の要求にトーマは、少しばかり面倒臭そうな態度を見せていたが、それもまあ、充分な対価を払わせる為のポーズなのだろう。本来なら失礼にも程があるが、頭の働きが良さそうな人物のこと、セイジにはそんな心理も読み取れたので、流れのままに返事していた。
「勿論だ。条件通り引き受けてくれるなら、報酬はおまえの言い値を支払おう」
 その潔い決断は、当然リョウには恐ろしい呪文のように聞こえた。
『大丈夫なのか〜〜〜?』
 何しろつい昨日、家一軒買えるほどの無駄遣いをしたばかりだ。伯爵家にはそれなりの財力があるとは言え、当主ではないセイジが、自由に使える財産には限りがある。勿論ろくでもないことで、それらを使い切るような事態になれば、厳しいお咎めを受けて然りだ。
 そして自分の監督責任にも関わる。リョウの立場は今のところ全くいたたまれない。
 しかしそんなことは気にも留めず、金払いの良さそうな依頼人に気を良くしたトーマは、会った時からは相当表情を緩めながら、
「そうだな…」
 と思案を始めていた。この世にふたつと無い宝石、と言って、依頼人が納得するインパクトのあるものは何だろう?。やはり宝石と言えばダイヤモンド?。否、ダイヤには多くのカラーが存在するから、何色にしても驚かないだろう。ルビーやサファイアも、同じコランダムとしてはあらゆるカラーが存在するし、それ程珍しさを感じない。ひとつの石に複数のスターが見える石はどうだろうか?。ただかなり大きなものになってしまうが…。
 その時、トーマの目にふと緑の光が映った。セイジの着けているタイピンだが、馬で走り回る間にタイの裏に隠れ、これまで正面から見えなくなっていた。丁度今セイジがそれを直したところだ。
 するとトーマは再びニヤリと笑ってこう言った。
「そのアレキサンドライトは、万国共通緑から赤に変わる石だが、そこを青から黄色に変えてみせようか」
 その提案に対し、
「それは面白い」
 セイジもすぐに何か閃きを感じたようだ。今のところ例の宝飾店とは、このアレキサンドライトと言う石が唯一の縁なので、セイジの感覚は実に王道的と言えるかも知れない。またトーマの言うように緑から赤、或いはせいぜい青緑から赤オレンジに発色する石だと、セイジも一般的な知識を持っていることもある。
 完全な青から黄に変色するアレキサンドライト。例え偽物でも一度見てみたいものだ。
 そして、セイジがそう興味を示すように、リョウもまた自分なりの興味をトーマにぶつけていた。
「簡単に言うがどうするつもりだ?、まさか色を染めたりするのか?」
「俺はそんなインチキなことはしない」
「偽物を作るんだからどっちにしろインチキじゃないか」
 リョウの言い分も無論筋が通る。本物と言えない物は、判っている本人はともかく、贈り物として受け取る側を騙すことになる。当たり前だがセイジは偽物とは伝えないだろう。インチキをインチキと言って何が悪い?、と、リョウは疑わしさを拭い切れない様子だ。
 けれどトーマは、染めのような粗悪な偽物と一緒にされちゃ困る、と言う意志を強く訴えるように、その違いをとくとくと話して聞かせた。
「違う。外から切ったり貼ったりする訳じゃない。そんな物はすぐ見破られる。俺は石そのものを天然の状態に似せて作るんだ。同じ土台となる石をベースに、任意の宝石になるよう合成すると言うだけだ。だからこそ簡単に見破られない、ある意味では本物と言えるものになるんだ」
 要は未来の人造ダイヤや人造サファイアと同じで、それを彼はこの時代に実現したと言う話。勿論それは驚異的事実である為、
「頼もしい話だ。流石都まで噂が届く筈だ」
 と、セイジは小さく手を叩き、優れた錬金術士の技を称賛して見せる。
「そんな噂になっているとは…、まずいな」
 思わぬセイジの言葉に、一瞬本気で困った顔を見せたトーマだが、
「いや心配には及ばん、私の家は特別なのだ。この地方に於いて知らないことはない」
「そうですね。王家だって森の住人など把握してないでしょう」
 後のセイジとリョウの話に、状況を納得することとなる。考えてみれば彼等を受け入れたのは、知られた伯爵家の名前を聞いたからだった。この土地を最もよく知る一族は、情報に強い代わりに守秘義務があり、素性を隠す自分に取って安全なお客様だ。なにも今更心配することではなかった、とトーマは胸を撫で下ろした。
 そして、錬金術などと言う手段を使おうと考えた、好奇心旺盛な若き後継者は、
「では私から尋ねるが、どうやって石の色を変える?」
 リョウの疑問に続け、更に具体的な説明を聞きたがっていた。
 そこで再度トーマは考える。一口に青と言っても、代表的なサファイアブルーの他に、タンザナイトのような赤紫を帯びた青もあれば、セレスタイトのような空色に近い青もある。アレキサンドライトとして似合いそうな色と言えば…、
「コーディライトと言う石を知っているか?、まあ知らないと思うが」
 とトーマは思い付き、相手の様子を見ながら話し始めた。
「鉄鉱石とまでは言わないが、鉄を多く含んだ鉱物なんだ。その一部が見る角度によって色を変える、正面から見ると紫掛かった青だが、真横から見ると黄緑に見える」
「へぇ」
 今度は光の状態ではなく、ただ方向を変えるだけで色が変わる石の話に、リョウはまた素直に関心を寄せている。
「つまり青から黄色と言う変色は可能なのだ。コーディライトは鉄、マグネシウム、アルミニウムの混合で発色している。それらをアレキサンドライトの元である、クリソベリルと言う石に組み込めばいいのさ」
「それだけで、電灯の下で色が変わるようになるのか?」
「クリソベリルに微量のクロムが混じると、その性質が出て来るんだ。特定の光を吸収したり反射したりする。複雑に組合った斜方晶形の結晶が、一役買っているのかも知れない」
 トーマはこれでほぼ種明かしをした訳だが、科学的センスのない者には少々難しかった。
「わかるようなわからないような…」
 と、リョウは頭を抱えて悩み始める。シンの説明に比べ専門用語が難しく、斜方晶形と言われても全く何のことだかわからない。しかしその横でセイジは、理屈などどうでも良さそうな態度で言った。
「うん、是非それで進めてくれ。なるべく早く」
 無論セイジはリョウに比べ、多少化学の知識も持っている為、トーマの話も完全ではないにしろ、ある程度は理解できている筈だ。だが彼に取って大事なのはあくまで結果の方である。トーマが「できる」と言うなら、「頼む」と言う他にないところだ。
 そして、セイジのそんな意識を感じ取ると、
「承りました、伯爵様。五日でどうにかしてみせましょう?」
 トーマも快く依頼を引き受けてくれたようだ。
 ひとり納得が行かない者がいるとしても、ともかくセイジとトーマの間で、夢のような商談が成立したのだから、遠出して来た甲斐があったと言うものだ。結果的に幾ら支払うつもりなのか知らないが、セイジがとても満足そうなので、それで良いのだろうとリョウも最後には思った。
 話が纏まるとトーマは席を立ち、物が積み重なる部屋の奥へと下がって行った。錬金術の依頼について、どんな手順を踏むのか知らないふたりは、証文でも作成するのか?、と、トーマが戻るのを待っていた。
 ところがとんでもない。
「それではこれをどうぞ」
「え、何だ?」
 戻って来たトーマは、来客ひとりにつきひとつ、鶴嘴を渡してこう言った。
「『早く』と言うお話だ、早速クリソベリルを探しに行かなくては。何しろ原石の採掘に一番時間が掛かるもんでね」
 立っている者は親でも使え、と言う言葉があるが、この場合結果に意欲ある者を手伝わせるのが、合理的で頭の良い判断だ。無礼であるのは間違いないが、トーマに対してはもう今更と言う気がする。
 すると彼の思惑通り、
「よし、探しに行こうではないか」
 セイジは気前良く言って立ち上がった。本来ならとてもそんなことはさせられないが、本人の依頼から発生した取引の場合、どうしたら良いのかとリョウは困っている。
「いいんですか…!?」
 まあ、伯爵家の跡取りが炭鉱夫のような真似をしていると、人に知れたら問題だが、幸いこんな森の中では誰も見はしないだろう。セイジもトーマも、その辺りを解っていて話しているようだ。
 かくして三人は、クリソベリルなる石を探しに、更に森の奥へと入って行った。



 その後、町の繁華街では警察が出動する騒ぎが起こった。
 とある小さな店の入口を前に、幾重にも重なり騒然とする人集り。その中から人を掻き分け、飛び出したシュウは一目散に自分の店へと戻る。目抜き通りを一気に駆け抜け、店の裏口を入ると息を切らせながらシンを呼んだ。
「おいっ、シン!、大変だっ!」
 普段なら当然、来客中を考え大声など出さないのだが、そのシュウの切迫した様子に気付いたシンは、すぐ店の方から控え室にやって来た。幸い今は買物客は誰も居なかった。
「どうしたの?」
 と、シュウの妙な様子を見てシンは言う。彼は裏口の扉にへばり着くよう凭れ掛かり、疲れているらしいのに、血走った目を確と見開いている。まるで追われて来た泥棒みたいだ、とシンが思った時、シュウは多少それに関係しそうなことを言って、シンを酷く驚かせた。
「二番街のアラゴ宝石店に警察が来てるんだ、…偽物騒ぎだぜ!?」
「…えぇ〜〜〜…?」
 よりによってこんな時に、と言う気持になって仕方がない。
「どっかの資産家が訴えたらしいんだ。そんなに高いモンじゃなかったみたいだが、今店ン中の物みんな運び出されて、野次馬が大騒ぎしてるぜ…」
 シュウは見聞きして来た情報をまとめてそう話す。そして徐々に落ち着きを取り戻し、息も整って来ると、
「だ、大丈夫かな、俺達…」
 彼は途端に力なくそう続けた。この事件に怖れを抱く気持が、後になって込み上げて来たようだ。弁解の余地がない訴訟、警察の介入、人々の好奇の目。それらが自分達の身に降り掛かって来るかも知れない。想像したくはないが、そんな光景を現実に見てしまっただけに、シュウの受けたショックは強い。
 またタイミングも最悪だった。つい二日前に、決して売る気はなかったのだが、偽物を販売してしまったばかりだ。それ自体に落ち込んでいたところに、すかさず第二弾が撃ち込まれた状況となった。まるで自身の罪を明らかにせよと、懺悔の脅迫を受けているかのようだ。
 しかし、冷静になってみればイメージはイメージに過ぎない。
 この度の事件の発覚は、自分達に取ってはただの偶然なのだ。噂すら聞いたことがない、特に付き合いのない同業者なので、関連を疑われることもまずないだろう。今すぐ全てが終わる程の恐怖を感じる必要はない。と、シンは必死に動揺を押さえて話し出した。
「少なくとも、僕らは今のところひとりにしか売ってない」
 彼が何を言いたくてその例を挙げたかは、シュウにはまだ判らなかったが、それを聞くと途端に威勢の良い調子が戻って来た。
「そうだ、やっぱりあれをどうにかして本物と取っ替えちまおうぜ!?。な?。売った金がパーになってもしょうがねぇよ、いやここは損をしてでもさ!」
 シュウはとにかく、あのアレキサンドライトを一刻も早くどうにかしたい、その一心で訴えているようだ。勿論シンにもその気持は解るのだが、前途の通りそこには容易に行かない事情が待ち構えている。偽物と良く似た天然石など、なかなか見付かるものではない。偽物の出来が良過ぎて、天然では滅多に出ないクラスに相当するからだ。
「慌てて適当な物に替えたら余計バレるよ。やるにしても時間が掛かる」
「時間が掛かってもさ!」
 シンの慎重論に対し、その点はシュウも仕方ないと理解し、長期戦になることを覚悟したようだった。彼の居ても立っても居られない、今すぐ行動を起こしたい心情が、同等の石を粘り強く探すことに向いてくれれば、それはそれで一件落着というところだった。
「それまで見付からないでくれればいいけど…」
「ああ、それを祈ろうぜ?。俺もできる限り採掘人の交渉に出てやるからさ!」
「うん…」
 考えるだけでは何も始まらない。怯えているだけではどうしようもない。今はシュウのやる気に乗って、あくまで強気に落ち着いて切り抜けることを考えよう。何をしても過去は変えられないのだから。
 シンは漸くそんな考えに至ると、気持が少し上向きになったせいか、続けて新たに閃いた別の側面の話を始める。
「偽物と言っても、天然と同じくらいピンキリなんだ。訴えられたのがどの程度の物か知らないけど、こっちはそう簡単には判らない物を売ったんだし、」
 するとシュウもそれには乗って、
「そうだぜ!、適当な鑑定士にゃまず見破れねぇよ。時間は充分にある!」
 と、普段通りの明るい口調で返した。まあ、売った相手が相手なので、優れた鑑定士や学者等を呼ぶことも考えられ、シュウの希望通り事が進むかは判らない。シンには微妙な気持が残ったけれど、
「何とかしなきゃね」
 取り敢えず最悪ばかり考えずに行こうと、ふたりの意識は一致を見たようだった。
 そうしてどうにか心の平静を取り戻した頃、シンは店に戻ろうと体を返しながら、ふと状況の不思議を思い付いて言った。
「それにしても…。最近偽物騒ぎが増えた気がしないか?」
 言われるとシュウも、さも心当たりがありそうに眉を顰めて見せる。
「そう言やそうだな…?、今年に入って二件目か?」
「数年前までは滅多に聞かなかったのに」
 そう、彼等の言う通り、摘発が増えたのはこの二、三年のことなのだ。それ以前はせいぜい二、三年に一件あるかないかのことだった。それが今は年に四、五件と急増している。勿論その理由は、話すふたりには全く解らなかった。
 考えられるのは、実は過去から大量の偽物が存在し、今になって鑑定士や警察がそれを見抜く力を上げた、と言う経緯。それだけは納得できる想像だったが、その他の理由は考え難かった。今は宝石の投機ブームでもなければ、高価なものが飛ぶように売れるバブル景気でもない。ギャングのような組織の裏商売にしては、そのギャングの羽振りが良いとも聞かない。そんな状況下で、一体何処の誰が偽の宝石を流行らせているのだろうか?。
 そしてシンは現状を迷惑そうにこう言った。
「こんな状況じゃ商売もやり難い。偽物を掴まされることに警戒して、買い渋る人が増えると、これから信用を築いて行こうとする一般店は厳しいよ」
「だよな…」
 確かに年々雲行きは怪しくなっている。この店はまだ、珍しい石を置いていると言う売りで、一部の上流の人々に受け入れられたからいいものの、これと言った特徴のない小規模店は、事件とは関係なくこの一年で三軒店仕舞いした。物が売れない時勢ではないのに、商売を続けられない店が少しずつ出て来ているのだ。
 それについては、立ち上げにかなり無理をしても、貴族をターゲットにした店を企画して良かったと、しみじみ感じるふたりだった。
「まあ一般店と言っても、うちは一応高級店だからな?。店主の才覚のお陰でよ!」
 とシュウは、ここで改めてシンの狙いが当たったことを誉める。出会った当初のシュウはまだ経験の浅い下働きで、自分の店を持つなど夢のような話だった為、いきなり高級店を目指すと言うシンの提案は、やや受け入れ難いものだった。だが彼の持つ宝石の知識と人脈、何処かから調達して来る資金により、着々と準備は進み、いつしか充分な信用がシュウには生まれていた。今の楽しさがあるのはシンのお陰だ、と彼は思うことなく思っている。
 否、正しくはシンの持つ夢のお陰かも知れない。彼は当初からずっとひとつの目標に向けて、努力し続けているのだから。
「勿論、偽物にしても安っぽい石は置かないよ。それがポリシーだ」
「そーそ、その調子だ」
 願わくば、シンの努力が正しく報われる時が来ることを、シュウは祈るばかりだった。



 町に事件が起こった日から、更に三日が経過していた。
 もうそろそろ閉店しようと言う夕方、店のドアの呼び鈴が鳴り、シンは恐らく本日最後になるであろうお客様を、殊更丁寧なお辞儀で迎えた。
「いらっしゃいませ…」
 すると思いも拠らず、頭上からは聞き覚えのある声が。
「やあ」
「あ、ああ、早速また御来店下さいまして、ありがとうございます」
 問題のダンティーン伯の御曹子が、何があったのか、今日はとてもにこやかな顔でそこに立っていた。否、何があったかは前に語られた通りだ。
 シンが彼を見て、一瞬戦いたのも無理はない。偽物騒ぎで宝石商全体がピリピリしている中、できれば会いたくない気持と、石をすり替える為に懇意にしなければならない状況、相反する意識の整理がまだできていないのだ。高級な宝飾品を売る店に、一週間の内に二度も買物に来る客はそう居ない。例え気に入って貰えたにせよ、本来ならもう少し落ち着く期間を取れる筈が、シンは心の休まる間もなく応対しなくてはならなかった。
 またシンがそんな状態であるのに対し、何も知らないらしきセイジは至って上機嫌な様子だ。別段彼が悪い訳ではないが、その首のタイに光る緑の輝きを見ると、シンの目には相手がひどく憎々し気に映った。
 あれさえ無ければ、今こんな思いをすることはなかったのに。
 と、とにかくシンはそんな気持で一杯の状態で、セイジが何を考えやって来たかなど、想像する余裕は全くなかった。なので、
「実は今日は、是非見てもらいたい物があって来たのだ」
 セイジが買物に来たのではないことを知ると、まるで予想しなかった展開に、シンは思わず間の抜けた返事で返していた。
「は…?、え、何でしょうか?」
 高級店での会話としては、少々言葉足らずな受け答えだったと思う。しかしセイジの方はそんなことは気にせず、上着の内ポケットを探っている。
「君は鑑定士の資格を持っているか?」
「はい、勿論ですが」
 そして、金の縁取りがされた黒いビロード布に、幾重にも畳まれ包まれたそれを、慎重な様子で取り上げセイジは言った。
「ならばこの石をどう見るだろう?、いつ頃からか我が伯爵家に存在する物なのだが」
 それは一見サファイアにもアウインにも見える、大粒の青い裸石だった。無論依頼された錬金術士の作品である。故にセイジの語りを聞いて、
『そんな嘘吐いていいのかね』
 今日も付き添いにやって来たリョウは、シンに対しかなり申し訳ない気持になっていた。如何にも家にあった物らしく演出する為、家の紋の入ったビロード布をわざわざ、お母上の持ち物から拝借して来たのだ。普段は細かいことを気にする性格でもないのに、こんな時だけは矢鱈と気が回る様を見て、本当にセイジと言う人は、関心のある事だけは真面目なんだな、と、リョウは改めて理解したところだった。
 そして偽物の宝石についても、材料費は大したものじゃない、偽物だと判っているにも関わらず、馬を二頭買えるほどの対価を支払った。人によっては前言撤回、値切ろうとしてもおかしくない取引だったが、目的の為にケチや誤魔化しをしないのは、セイジの性質の良さだとも思う。
 それがこんな事でなければ尚良いけれど。
「これは…?、お借りしてもよろしいですか?」
 シンは初めて目にする、不思議な色味の石にそれなりの興味を示し、より近くで見せてほしいと申し出ていた。すると、シンのそんな反応をしめしめと思いながら、セイジはそれを手渡して言った。
「どうぞ、よく見てくれたまえ。これがアレキサンドライトだと言うのだ」
「えっ」
 想定通り、シンは驚く。
 否、色が青いと言うだけでなく、アレキサンドライトと言う名称が出たことに、今は過剰な反応をしてしまう面もあった。続けてセイジは、この石についてこんな説明を聞かせた。
「そう、先日私が買い求めた、緑から赤に変わる石こそアレキサンドライトだと思うが、この石は白熱灯の元では黄金色に変色するのだ。果たしてそんなことがあるのだろうか?」
『注文しておいてよくもまあ』
 セイジがあまりにもいけしゃあしゃあと話すので、リョウは内心突っ込み放題のようだ。ただ、その説明が功を奏したのか、相手は更に一歩踏み込んだ興味や疑問を感じたらしい。気を配りつつ石を手にしたシンは、
「そんなことが…。アレキサンドライトの元はクリソベリルと言う石ですが、原石自体がごく淡い緑色なんです。緑以外にこんな風に発色するとは…」
 と話して、窓から差す光に石を翳していた。またそれについてはリョウも、
『確かにそうだった、この店主の知識は正しい』
 と、再び感心していた。何しろあの錬金術士を訪ねた後、滅多なことで人が踏み入れないような、暗く深い峡谷へと連れて行かれ、嫌と言うほど岩盤を掘ったのだ。目的の石は氷砂糖に似た半透明の結晶で、木の葉の色を映すように淡く緑掛かっていた。辛い労働の果てに見たものだから、その色の記憶をリョウは間違わないだろう。
 それはともかく、
「私も不思議でならない。だから見てもらおうと思ったのだ」
 セイジの方は変わらずシレっとした様子で、何も知らない振りを装っている。その内シンは鑑定士らしく、服のポケットからルーペを取り出して、具にその石を観察し始めた。
「・・・・・・・・」
 通常宝石の鑑定には十倍のルーペを使用する。ダイヤも含め全ての石のクラスは、このルーペによる観察結果で決定される。つまり石の中に不純物があるか、クラックと呼ばれる組織の乱れがあるかを、目で見て判断するのである。まあ一般に、裸眼で判らない微細なクラックがある程度から、質の良い石と判断されている。天然と言う条件の中では、そうそう完璧な結晶は出て来ないものなのだ。
 ところが、そんな知識を持ってルーペを覗いていたシンが、恐ろしい事実を発見した。
『そんな…馬鹿な!』
 この石には、クラックも不純物も全く見当たらないのだ。怪しく感じる所が一切存在しない。これはもしかするととんでもなく上質で珍しい石か、或いは偽物…。
 まさか、売ったアレキサンドライトが偽物だと気付いたのか?。同じ物を突き付けて、彼等はそれを問い質しに来たのかも知れない。
 そう思うと、途端に震えそうになる手を堪え、シンは必死に平静を取り繕って話す。
「あ…確かに、アレキサンドライトに近い石ですが、目視ではそれ以上のことは。一部を研摩して成分を確かめてみませんと、」
 話しながら、気分はもう絶望の淵に追いやられているシンが、今考えることは、どう出たら浅い傷で済むだろうかと言う、身の振りについてだけだった。いきなり裁判所や警察に届けないところを見ると、多少の酌量は考えてくれるように感じる。それなら、こちらが真摯な態度を示さなければいけない…。
 そして、既に手先まで冷たくなったシンに対し、
「ほう、それなら是非確かめてほしい。多少カットが変わろうと大したことはない」
「よろしいのですか…?、こんな御大層な物を」
「いいとも。何よりこれが何であるか知りたいのだ」
 セイジは何食わぬ様子で、調子の良いことを言い続けるではないか。
 シンは確信した。普通ならこれだけ高価な宝石を気軽に、カットして調べろとは言わない。それはこの石が始めから偽物だと、知っていて持ち込んだからだ。こんな遣り取りをしながら、こちらの反応を窺っているのだとシンは気付いた。
 この絶体絶命の状況をどうすれば打開できるのか…。
「しかし、この石は何故青いのだろうな?。単なる青と言うより菫色だ」
 殊に穏やかにそう続けるセイジに、シンは取り敢えず真面目に説明をした。
「はい…、前にお話ししましたが、鉄が含まれているんでしょう。アイオライトに似ているようです」
「アイオライト?」
 前と同じく口を挟んだリョウにも、何ら変わらぬ態度で話を続けた。
「宝石とは言えませんが、装飾品に使われることも多い菫色の石で、花崗岩の中に混じって出て来ることもあります」
「へぇ?、青い火山岩か」
 リョウは気付かないが、実はそのアイオライトは、トーマが変色の例に挙げたコーディライトと言う石の、透き通った部分を取り出したものなのだ。つまり元は同じ斑な鉱物の一部、色が似ているのは当たり前である。と言うより、シンの直感が優れていることを証明したようなものだ。
 そして彼は、
「その石はともかく、通常アレキサンドライトには鉄は含まれません…」
 持ち込まれた石について、そう言及を始めたが、
「なら非常に珍しい石かも知れないのだな?、それは楽しみだ」
「はい…」
 饒舌なセイジの様子とは対照的に、シンは口数が少なくなっているようだった。何故だか表情も、段々と暗く沈んで来たように見える。恐らくセイジも気付いているだろうが、彼が算段したようには事が進んでいない。今に至ってシンは、明るい興味を全く示さなくなっている。何がまずかったのやら、さてお次はどうする?、と、思いつつリョウが声を掛ける。
「君、何か様子が変だぞ?」
「・・・・・・・・」
 既に血の気の引いた蒼白な顔をして、シンは暫く口を噤んでいた。何処か体の具合でも悪いのかと、リョウは本気で心配になり、店の奥の誰かを呼ぼうとその場を動き出す。しかしその時、彼の足を止めるようにシンは再び声を発した。
「そのアレキサンドライト、お返しいただけませんか?。…全額返金致しますから」
 セイジ達は思い掛けない言葉を耳にした。今話題にしている石ではなく、タイピンの方を返せとはどういう意味なのか?。皆目見当の付かないセイジは単純に問う。
「何故だ?」
「・・・・・・・・」
 シンはまた黙ってしまったが、それでは流石に相手も納得しないだろう。
「理由を聞けないとなると、返す訳にもいかないな」
 セイジはそう答えながら、ただ、確かに少し意地悪をしたかな?とも考えていた。特別に高い値段を付けられた、特定のケースの商品はシンのお気に入りだと、判っていながら売らせてしまった。否、そうすることで特別な関心を引きたかったのだ。
 その行動自体は、この通り成功したと言える状況だ。でもまさか、彼がこのタイピンにそこまでこだわるとは、と、セイジは己の予想の甘さを顧みていた。今の時点で計画が失敗したとは言えない。少々予定が狂っただけだ。この後どうするかで結果は大きく変動するだろう。そう思えば瞬時にセイジの頭はフル稼動を始め、新たな対策を構築し始めていた。
 果たして返さない方が良いのか、恩着せがましく返してあげる方が良いのか?。
 だがそこへ、セイジとリョウを更にギョッとさせる事実が、シンの口から語られた。
「それは偽物なんです、この石と同じ」
「ええっ!?」
 リョウは思わず頓狂な声を上げたが、セイジも瞬きを忘れ目を見開いている。それはそうだろう、タイピンの石が偽物である上、持ち込んだ石も偽物と見抜かれているのだ。この二重の衝撃を受けて、リョウの方は完全に思考がふっ飛んでいた。
 けれど、セイジは驚きながらも考えている。一部の貴族達によって評判を上げるこの店に、リスクのある偽物を陳列するのは何か訳がありそうだと。また、ある意味自分は騙されたのだが、自分も騙そうとしたのだからお相子だとも。
 そう、双方の罪状は五分と五分。但し向こうはこちらの思惑を知らない筈だ。ならば改めてフェアなやり方で、この状態を上手い方向に持って行けば良い。セイジは俄に閃くと、
「これは大変な問題だ。君は全て事情を釈明する義務がある」
 と、さも深刻そうな顔を作って言った。シンはもうとうに覚悟をしていた様子で、
「はい…、御要望の通りに致します」
 大人しくそれだけ返した。
 神妙な面持ちの彼は多分に痛々しく目に映る。今はとても可哀想な立場に立たされていると思う。五分と五分とは言えど、貴族と平民である以上シンの方が圧倒的に立場が弱い。この後店のことや、自分の人生がどうなってしまうのか、シンはただただ寛大な御容赦を祈るばかりだった。



つづく





コメント)初回upが2日遅れた分、やっぱり今回も2日遅れてしまった。挽回できなくてすみませんっ。
ところでここに出て来る、トーマの錬金術の説明について、自分で書いといて本当にそんなことができるのか疑問です(笑)。石を作るだけなら簡単だけど、クリソベリルを菫色にできたらノーベル賞ものかも知れない(^ ^;。そこはファンタジーですよ。



GO TO 「恋は永遠の輝き 3」
BACK TO 先頭