淡い光
THE DEATH
#1
One Solution to All



 一面に広がる靄の大地は、何ら変わらぬ様子でそこに在った。
「相変わらずだな…」
 暫く歩き続けていた秀が、歩けども変わらぬ景色を一望してそう言った。
 同様の平行空間である妖邪界にも、地球世界の面白さにはかなわないが、地形や景観のバラエティが存在する。生物が居ないと言うだけで、こうも有り様が違うことに、今更驚かされる気持だった。この鎧世界と呼ばれる場所は…。
「相変わらずと言うより、今は明らかに過疎状態だ」
 秀の呟きに対して征士がそう答えた。
 確かに、見た目の短調さを際立たせているのは、自らの心だと誰もが知っていた。
「あ〜、来たばっかりの頃は活気があったよなぁ?。俺らにも緊張感があって…」
 秀の言うように、この鎧世界に於いての仕事を始めた頃は、標的は時を追う毎に増加して行った。また初めは手探りで使っていた新たな能力も、使う機会が増えるに連れ洗練されて行った。行く手の途中、大集団に出会すことがあれば、鎧の力が酷く疲弊させられる場面もあった。休憩には必ず誰かが寝ずの番をし、常に周囲を警戒しながら過ごしていた。そんな密度の濃い時間帯も今は昔。
 敵が目に見えて数を減らしてしまうと、こちらも合わせるように、目的を見失ってしまいそうだった。
 五人は地球でのある時、再び鎧戦士として生きることを選んだ。だから畳み掛けるような戦闘の日々は、体は疲労しても、心の負担にはならなかった。そう、寧ろ戦えない、何も出来ない時にこそ溜息が出る。そんな現在の状況。
「何でこんな風になっちまうかなぁ…」
「ぼやいても何にも変わらないよ?」
 秀の詰まらなそうな声を耳に、後方から伸が比較的明るい調子で続けた。
「大体秀は、ここに戻る気満々だったじゃないか?。『職場放棄はまずい』とか言っちゃってさ」
 そう伸が指摘すると、征士も頷くようにこう話す。
「そうだ。予想できた事に文句を垂れるとは、道理になっていない」
「まぁそうなんだけどよぉ…」
 答えた秀はしかし、前の自分の発言も含めて、複雑な心境を抱えている様子だった。
 妖邪界にて目覚めた時、彼がここに戻ることを第一に考えたのは、無論与えられた使命に対する責任感からだった。作業はこれにて終了、と言う宣告を受けた訳でもなく、外へ飛ばされたのも偶発的な出来事で、そのまま家に帰ろうとは到底思えなかった。如何に今の鎧世界が退屈極まりない状態であっても、何の結果も見ぬまま立ち去れはしなかった。
 勿論他の四人も、口には出さなかったにせよ、ほぼ同様の事を考えていただろう。それぞれが納得してここに戻って来たのだ。
 けれど、今になって考えてしまう事情もあった。久し振りに他の世界に触れて、戻って来たことから生まれた疑問。即ち「結果」とは何かと言う話だった。
「…戻ってみたら、前に当麻が計った地点が何処なのかも、さっぱり分かんなくなっちまったし。何かよぉ、俺ら何やってんだ?って感じじゃねぇか」
 秀が続けた内容は、今の時点で正に最大の落胆事項だった。ここに降り立って以来、地道に続けて来た計測活動が、一気に価値を失ってしまった。目印となる特徴的な物も無く、光の方向も一定な場所である為に、再度降り立った場所の特定ができなかったのだ。その場その場の情報なら、各自の記憶に既に刷り込まれているが、地図的な場の繋がりについては、また一から調べるしかなくなっていた。
 殊に真面目な気持で、取組んで来たここでのひとつの活動が、そのような「結果」を得たと言うこと。これで良いのか、何らかの進歩に繋がっているのかと、疑問を抱いてしまうのは仕方がない。
 それについて、
「まあ、無駄足を踏んでいる気はするが、広い意味では全ての物事には無駄が無い、とも言うからな」
 と征士は淡々と返したが、
「呑気なこった」
 秀はやや感情を込めて、呆れ混じりにそう言った。
「呑気にせざるを得ない。ここで時計を見詰めていても意味が無かろう」
「そーなんだけどな…」
 そしてまた、征士の尤もな意見に、自ら呆れる気持をも肯定する秀だった。
 恐らく彼はただ、こんな事はやり切れないと感じているのだ。と、征士にも気付くことができた場面。努力が一瞬で無に還されることの空しさを、秀はまだ切々と訴えて続けている。
「また『見張り』が来るかも知んねぇし、そしたらまた一からやり直しだぜ?。俺らは本来ここに居る存在じゃねぇって、一度吹っ飛ばされたんだ、またやられる可能性は大だぜ」
「それはそうだが」
「そのたんびに、この何にもねぇ場所を計ったり、何度も同じような作業をしたり。結果俺らの何になるのかと思うじゃんか…」
 けれど、
「私達の為ではないだろう、そもそも」
 間違えていそうな部分を征士が取り上げると、
「判ってるよ、判ってるんだ」
 人にも自分にも言い聞かせるように、秀は念を押して言った。
「俺が言いてぇのは、これを続けて最終的に、本当に世界が平和ンなったり、みんなが幸せになれたりすんのかって事だ」
 無論、それは誰の胸の内にもある思いだ。改めて言われなくとも、聞いていた征士と伸は既に納得していた。理想の結果を導こうと、今はまだ努力を始めた段階で、思うような未来に辿り着けるかどうかは判らない。依頼主も、ひとつの方法を見い出しただけで、必ずそうできると言った訳ではない。だがそれでも、前に進めて行かねばならない物事がある。それだけなのだと。
 だから征士は一言で答えた。
「私に分かる筈もない」
「その返事はねぇだろ!」
 と、多少声を荒げて返す秀には、伸がフォローを入れることにしたようだ。秀が普段話し慣れている当麻と、征士の話し方は似ているようで違う。秀には理解し難いだろうと踏んだからだった。
「まあまあ秀、君の言いたい事は判るけどさ…」
「おうよ?」
 後ろを歩いている伸を振り返り、秀は判り易く「聞こう」と言う態度をして見せる。そして、
「僕らは約束しただろ。今の地球に遠い過去の悲しみが、これ以上影響することがないように、歴史の暗闇に葬られた人々の心を、救う戦いを続けて行くと」
「ああ」
 伸の話の始まりは、この鎧世界に来る切っ掛けとなった、すずなぎとの交流についてだった。秀と、横で聞いている征士もふと、あの時の夜空の色を思い出していた。
 それから、伸は自分なりに確信できた事実を、秀に話した。
「約束したのは可哀想な人々に対して、僕らの心からの気持だった。けど、残念ながらその過程には、僕らへの保障は含まれてなかったんだ」
 つまり、それはどう言う事なのかと言うと、
「保障、ってのは?」
 と言葉を問う秀に、伸は自ら注意深くしてこう言った。
「極論を言えば、僕らがどうなろうと知ったこっちゃない、ってこと。僕らは新しい鎧を与えられて、世界の為に働くことになった。僕らにはそれだけで終わってる事なんだ。だからその後の、ひとつひとつの行動の結果には、そんなに大した価値は無いんだと思う」
 但し、決してすずなぎが悪い訳じゃない。
 そこを誤解されぬように、伸は慎重に言葉を選びながらそう語った。彼女は迦雄須のような力を持つ者ではなく、逆に運命に虐げられた人なのだ。元々戦士達を助ける存在ではない、助けてくれる誰かを探していただけだ。だから、鎧戦士の未来に確実な何かを用意することなど、できなくて当たり前だった。戦士達は初めから、選んだ道を自ら切り開いて行くしかなかった。
 その事を、秀は理解できていただろうか?と、伸は先行するふたりの背中を見て思う。すると、
「鎧を渡されただけで、我々からは何も言わなかったしな」
 征士が先にそう言って、
「…そう言やそれだけだったな、あン時…」
 秀も、原点であるあの場面に立ち戻れたようだった。
 言うなれば、『無償の愛』と言うやつだったと。明確な未来のヴィジョンなど無くとも、やってやろうと言う気持だけは有った…。
「鎧に関わった者として、その歴史の収拾を付けるのは義務かも知れない。その結果、世界に真の平和が訪れたら、当然自分にも間接的な恩恵がある。みんな純粋にそう感じたから、それ以外何も考えなかったね」
 すずなぎの願いを聞き入れた時の、皆の様子を伸がそう代弁すると、
「そうだなぁ、見返りをくれなんて頭は無かったなぁ」
 秀も最早、そこから繋がる現在の事情は解った、と感じさせる言葉を続けていた。ただ征士が、
「見返りではない、身の保障だ」
 と訂正を入れると、
「あ、ああ!、身の保障か」
 一単語の指す意味については、そこで漸く合点が行った風だった。御褒美を期待するのではなく、現状以下に後退しないかどうかだと。まあ、レベルが違うだけで些細な間違いではあるけれど。
 それより、伸の話した内容、その前に征士が返した返事、それら全てに納得できた秀は、ここに来て流れに沿った冗談まで、言えるようになっていた。その事の方がずっと大切だった。
「はぁ〜、成程なぁ。良心のみで引き受けたはいいが、こんなに苦労してても、誰も何とも言ってくんねぇしな。辛いところだぜ」
「ハハ、そうだな」
 戻って来た秀らしい口調を耳にすると、征士は極自然に相槌を打った。
「多分、誰かが何処かで見ててくれるよ…」
 すると伸もまた、慰めになるかどうかは判らないが、優しい言葉を掛けていた。迷える者には愛情を以って応える。何故なら自分も、誰も皆迷っているからだ。
 ここに居て、僕等が得られる「結果」とは何だろうと。
「しかし相変わらずだなぁ…」
 三人はまだずっと、ある方向を向いて歩いている。元より方位も定まらない世界を、何処へ向かって、と表現するのは難しいが、五人が時空の架け橋から降りた地点から、まあ適当に気が向いた方向に進んでいた。そして代わり映えのしない景色、何も起こりそうもない空気に、秀がまたぼやき始める。
「堂々巡りになるぞ」
 と、先程聞いたような台詞に対して、征士は笑いながら嗜めていた。また「ぼやいても何も変わらない」と、誰かが言い出しそうな雰囲気になっていた。
 ところが、その時ふと秀が伸を振り返った。着いて来る足音が聞こえなくなった気がしたので。
「ん、どうした伸?」
 そして征士も振り返ると、確かに伸はそこで足を止めて、遠くの何かを見出そうとしているような、集中した様子で佇んでいた。彼の見ている方向を、振り向いたふたりもすぐに確認し始める。が、特に何も捉えられなかった。
「何か居るのか?」
 と、征士が問いかけると、伸は変わらず一点を見詰めたまま、自身の集中を切らさないように、ぽつりぽつりとその答えを聞かせた。
「変なんだ…、何か居るみたいだけど、いつもの怨念の類とは、違うな」
 そうと知ると秀は、
「『見張り』か?、新手のやつか!?」
 思い付く可能性を言い並べ、それまで弛緩していた態度を翻して、俄に身構えて見せる。だが、
「いや…、何の気も発してない…、早くもない、妙な感じだ」
 次に続けられた言葉に、やや勢いを削がれてしまった秀だった。尚、伸の感知できる範疇では、ここに居る敵はまず、人間臭い歪んだ思念のようなものを、周囲に放っていると言う。そしてユラユラと波に流されるように動くそうだ。また一度出会った『見張り』は、酷く直線的に動いて素早いので、ここでは明らかに異質な物だったそうだ。
 さて、今伸の意識に、肌に捉えられているのは何だろうか?。
「はっきり見えないんだ…。あ、でも、僕らの知ってる物かも…知れない」
 そして意外なコメントを聞けば、
「知ってるって何だよ?」
「敵ではないのだな?」
 秀と征士が同時に口を開いたので、伸は答えずに自分の考えを話していた。
「悪い感じじゃないけど…、もしかしたら、陽炎か蜃気楼みたいなもの…、かも。そこに無い物が、錯覚で見えるみたいな…」
「そんなんあるのか?」
「これまでには無かった現象だが…」
 伸とは会話にはならなかったが、秀と征士は顔を見合わせていた。ここは大気の様子も陽光も、地球とは違う状態だと言うのに、そんな自然現象が起こるのかと思う。伸の見立てを疑うつもりはないが、彼が何を見付けたかは見当が着かないふたりだった。
 しかし、
「いや、人だ、人が見える。…はっきり誰とは言えないけど、誰かの映像、かな」
 と、伸が些か語調を強めて言う事は、間違いの無い事実だと思えた。
「当麻達じゃねぇのか!?」
 続けられた秀の指摘も、確かにあり得る話だった。単なる蜃気楼ならその可能性もあったけれど、それなら伸はそうだと判るだろう。彼が判断し倦ねているのは、そんな明確な存在ではないからだった。
 その内、
「あ…!」
 伸は詰まらせるような声を上げた。揺らめく鈍い光の中に遊ぶ、その人の姿を感知した瞬間に伸は困惑していた。その意味が、まるで判らなかった。

『何故…?』



「どうした、当麻?」
 ペンを持つ手を止めて、手帳の紙面を睨んだまま止まっている、当麻の様子を見て遼が言った。すると本人は、
「少し、考えてるんだ」
 と、殆ど体がぶれることもなく、口だけを動かしてそう答えていた。考えている、と彼は言ったが、遼の目には寧ろ逆のように映った。思考を止めて、周囲の静けさに身を預けている様は、物言わぬ静物の在り方を真似ているようにも見えた。
 当麻の視線の先には、既にボロボロに傷んだ手帳の、とあるページが開かれている。罫の外の余白にまで、びっしりと文字や記号で埋められたページは、正に新しい戦士達の歩みの記録だった。時間の経過と共にひとつひとつ、積み上げられて来た情報と記録。そこから考えられる可能性、等々、認(したた)められて来た内容は全て、新たな道程に於ける財産だった。
 思い返せば、計測などは地味で根気のいる作業だった。有り余る時間を意識してこそ、何とか続けることができた。否、言い換えれば精神安定剤のようなものだった。何かをし続けていなければ堪えられない、と、理性の裏で発露する感情が、単調な作業に没頭させていたのかも知れない。そんな戦士達の苦悩の日々が、当麻の手帳には詰め込まれているのだ。
 彼はその上に、まだ何かを書き込もうとしていたのか、手にペンを持ったまま動かないでいた。
 そして遼は、当麻の普段とは違う様子にこう言った。
「ハハハ。それを口に出して言うのは珍しいな」
 そう、思考中にそのまま「考えている」とは、滅多に言わない当麻だ。大概は適当な事を話しながら、頭は別に回転させている。深刻な問題に突き当たっていれば、話し掛けられても答えず黙っている。今はそのどちらでもないようだった。
 意外に人を見ている、と言うより、長く共に居るが故の遼の観察を受けて、当麻も、現状をはぐらかさず答える気になったようだ。彼は手許から顔を上げてこう返した。
「どうにも、無益な事をしている気がしてならないが、続けることに意味があるかも知れんし、その狭間で迷っているところだ」
 そして溜息と共に、遣る瀬ない微笑を見せる当麻に、
「ああ…、そうだな」
 と、遼は穏やかな様子で答えていた。当麻が何を遣り切れなく思っているかは、明白過ぎる程だった。この鎧世界、更にはそれを含む多層構造の世界の、捕らえ所の無い複雑怪奇なルールは、一人間の精一杯を嘲り笑うかのようなので。
 無論地球と言う惑星が、宇宙全体から言えば辺境の、片田舎の星であることを当麻は知っている。そんな場所で進化した生命体は、中央と言える場所の文明、文化にはとても及ばない思考しかできない、と言う予想も間違いのないことだろう。だが、歴史とは試行錯誤と愚鈍な活動の蓄積、と言う側面も持っている。それが後々重要な意味を齎すことも、地球人は経験的に知っていだろう。
 だから、先へと急ぎたがる頭を、諌める言葉を今は繰り返しているしかない。当麻の現在の心境とは、恐らくそんなところだった。
 遼は当麻の立つ場所の横に来て、彼の向く同じ方向を向いてしゃがみ込むと言った。
「経過や結果がはっきり見えないのは辛い」
「ああ」
 五人の現在への思いは、正にその遼の言葉に凝縮されていた。更に続けて、
「敵の数が減って、俺達はかなり退屈している。それで、何がどうなったやら」
 と遼が話すと、当麻は彼なりの見解をこう説明した。
「当分この閑散期は続くだろう。禿山が元の緑に戻る程かもな」
「気の遠くなる例えだな…」
 想像してもみよ。日々僅かずつ丈を伸ばして行く新木の、成長を眺め続けるような時間が、これからずっと続くのかと思うと、遼でなくとも呆れる予想だった。まして、人が世代交代していくより、育つスピードの遅い大型植物も存在する。失われた生命の再生、魂の再生には確かに時が必要だ、と判るけれども…。
 ただ、ここに於いて誰が苦悩しようと、世界の運行には何ら影響は無いのだろう。そう思うと、法則の中に閉じ込められている己等が、多少悔しくも感じた。希望のみを携えてやって来た新世界が、絶望へと変貌してしまいそうなのだ。このまま何もしないで居ては。
 そして、そんな感情からか、当麻はこうも言った。
「考えたくはないが、時空的な袋小路に居るのかも知れない、俺達は」
「そうだろうか?」
 流石にそこまでは、と返す遼に、当麻はその根拠となる考えを少しずつ、話し始めていた。
「俺達の現状は、自ら選択できる事が殆ど無い。成し遂げるべき命題を受け取った時に、以前とは変わって来る状況の説明も、明確な達成目標も、何も示されなかったからだ。いや、すずなぎ自身も知らなかったのかも知れない、新たな世界の仕組み、何が可能で何が不可能かということは。だが、それでも引き受けねばならない状況だった。俺達が馬鹿だった訳じゃない」
 そこまでを、真摯な態度で聞いていた遼は、
「無論そうだ。無責任じゃ居られない事情だったからだ」
 と、当麻の結びに概ね同意する。新たな局面を迎えた鎧戦士の活動は、直接己に結果が反映されるものではないと、最初から覚悟していたことを遼は思い返していた。また遼が思い出す前に、当麻もそのことは解っている筈だった。
 そして、
「だから今更、置かれた条件に不満を唱えるのはナンセンスだ。と、頭の半分は納得してるんだがな…。こうして大した事もせず、ただ居るだけの現状まで、重要な義務だとは考え難くてな」
 と当麻が、自身の抱えるジレンマについて続けると、
「難しい問題だな」
 遼はそこで何故だかフッと笑みを零した。彼が笑った理由は、その後に続けられた仰天告白に拠って知らされる。
「俺も少しは迷った。妖邪界から地上に降りることもできたしな」
「え…?」
 常に、与えられた使命に真面目に、それ以外の抜け道には目もくれない風であった遼が、現状からの脱出を考えていたと…?。
 否、彼の名誉の為に弁護するが、それは契約違反ではなかったからだ。前途の通り鎧世界での行動は、悪影響を齎す存在を鎮める事以外に、何の取り決めもされていなかった。つまり、妖邪界へと飛ばされた時点で、敵を殲滅させた確信があったなら、迷わず地上に降りる選択をしていたのだが。
 それをできなかった。鎧戦士達の敵は時と共に増減するが、世に争いが存在する限り絶えることはない。と予測がつくと、鎧世界の甘くない在り方にも感服して、遼は笑ったのかも知れない。勿論、己が逃げ出したい気持になるなんて、と言う意味もあったろうが。
 遼でさえ、今置かれている状況に心底納得してはいない。
 その事実は少しばかり、当麻の気鬱な心情を楽にしたようだった。暫しの間、意外な発言を耳に思考を止めていた当麻だが、
「あ、いや…、それもどうなっていたか」
 と、多少調子を乱されながらも、更に話を展開させようと言う意欲が、彼に再び戻って来たようだった。
「どう言う事だ?」
 問い返す遼に、当麻はここで最悪のケースを持ち出していた。彼が考え得る最も嫌な展開、即ち結果以前に前進もできない可能性についてだ。
「『見張り』のような存在が知られているとしたら、俺達が妖邪界、或いは地上に運ばれるのは判り切った事だ。ならばそのイレギュラーも含めて、俺達がここに常駐できるように、飛ばされても戻る仕組みになっているかも知れない。そんな可能性もあると言うことさ」
 そして、それなりに理論的に思える当麻の説を聞くと、
「随分、がんじがらめなんだな、俺達は」
 と遼は、やや翳りのある声色に変えてそう返した。
 恐らく遼にはその話が、『エッシャーの騙し絵』のような世界観に思えて、そんな感想に至ったに違いない。歩けども歩けども終わらない階段は、進む内に元の場所に戻り、永遠に同じ通路を回ることとなる。その閉塞性が己の進化を阻むのではないかと、当麻と同様の不安を感じたようだった。
 架せられた使命を果たせるかどうかは、未来に至ってみなければ判らない。だが、最大限に良い結果を導く為の、自己の向上を望めないとしたら、最初から無駄な事をしているとしか言えない。ただただ平和を期待する人の心が、そんな状況を作ってしまうことがあるだろうか…?。
「あくまで可能性のひとつだが、有り得ないとも言えない。大目標である人類の平和が、鎧世界に俺達を置く事で成り立つなら、その安定状態が保たれるようにする筈だ。争いから悲しみは生まれ、苦悶する魂も生まれ続ける。俺達はその番人として選ばれただけかも知れない。そうでなかったとしても、俺達は地球以外のルールは殆ど知らないままだ。考えられる筋書きは幾らでもある」
 当麻はそう続けて、一連の話を終えることになったが。
 その頃にはもう、遼はそこまで入れ込んで聞くことを止めていた。不愉快な事実を闇雲に拒絶するような、子供染みた反応では決してないのだが。
 ただ遼は、己に未来の希望を託してくれた人が、戦士達を出口の無い迷宮へ投げ込むとは、どうしても思えなかっただけだ。理論の前に存在する心が、そう訴えていたからだ。
「俺は信じたくはない…」
「ああ…。そうならないことを願ってるさ」
 そして遼の考えが解った当麻も、それ以上話を掘り下げはせず、彼の気持を汲んでそう返した。
 考えれば考える程に、現状の不自由さを辛く感じてしまうなら、考えない方が良いかも知れない。大それた夢など持たず、植物のように生き続けるだけでも、数百年も経れば状況は変わって行くだろう。そんな在り方もあるだろうと…。
 しかし、そう悲観的になることもなかったのだ。何故なら絵本の騙し絵も、紙テープで作ったメビウスリングも、宇宙規模の広さを持てば意味が変わるからだ。でなければ、退屈な回転運動を繰り返す星の上で、進化を遂げた生命を否定することになる。そして彼等の星は、宇宙全体から言えば塵に等しい規模であることも、忘れてはいけない。
 故に進化の観点に於いて、立ち戻る事は恐れなくて良かったのだ。否、寧ろ原点を見失うことの方が、種として愚かかも知れない。
 人はあらゆる事を信じられる生物だと。
「まあ、念が強ければ未来は変わるとも言う…」
 胸に溜め込んでいた、重苦しい未来予想をほぼ口に出して、当麻はある程度気持の整理ができた様子だった。そして遼の横に座ろうとして、ふと遠くの地平に目を遣る。彼が自ら進化させた解析視力が、何かのシグナルをその視神経に伝達していた。
「何…だ…?」
 妙な様子で一点を見詰めている当麻に気付くと、
「何か現れたか?」
 と、遼も俯き加減だった姿勢を正して尋ねる。途端に表情が引き締まり、戦士としての感覚を急速に戻して行くようだった。いつ何時、何が起ころうと対処できるようにとの、遼の真摯な心構えだ。
「初めて見る、ぼんやりした光源だ」
 その時当麻の視線の先には、そんな物が見えていた。遼にはまだ捉えられない距離だったので、
「中心に何かあるらしいが…、よく分からんな、ゆっくり右に動いている」
 と、当麻は更に言葉で説明した。ただ彼の言葉遣い、観察態度を見ると、急な危険を感じている風ではなかった。なので遼が、
「敵じゃなさそうなんだな…?」
 そう話し掛けると、当麻は確かめられた事実を以ってそれを肯定した。
「ああ、いつもの敵じゃないのは間違いない。…ここからじゃ正確な判断は無理だが、邪悪な物の特徴も無いように思う」
 そうしてふたり、暫く靄の地平線を眺めている内に、遼の目にもその穏やかな光の点が捉えられるようになった。ほんの僅かずつだが、時折跳ねるようなリズムを刻みながら、光は確かに右の方向へと進んでいた。
 不思議とその、妙な動きを見せる光に惹き付けられていた。危険に対する警戒心とは違う。ただ、通常の視力で確認できる位置とは、相手からもこちらを見付けられる位置だ。それが何なのかは判らないが、戦士達に取って危険領域に入って来た、と言い換えることもできた。
 なので遼は決断した。
「あとの三人が気付いていればいいが、取り敢えず近くへ行ってみるか」
 すると、先程までの物憂い態度など忘れたかのように、当麻は即答していた。
「そうしよう」
 それ程に、目を離したくないと思わせる存在だったのだ。



『何故君がここに居るんだい?』

 伸の問い掛けに返事は無かった。だからそれは映像だけなのだと思った。
 彼の感覚のみを頼りに、現れた何かを追って歩いていた三人だが、
「確かに陽炎のようなものが見えるな。動き方は少し違うが」
 今はそう話す征士と、秀の目にも、揺らめく淡い炎のような光が見えていた。そして少しずつ移動している様は判った。ただ、征士が見えた状態をそのまま話すのに対し、
「人って言わなかったか?」
 秀は伸の話を確認したがっている。
「そうだよ、人の姿が映ってるんだ」
 問い掛けに答えて、伸は何ら口籠ることなく、穏やかな様子でそう伝えた。彼が感じ取った事に間違いが無いことを、素直に現す態度だった。すると、
「ちっ、俺らにはよく見えねぇらしいぜ」
 と、秀はそれを見出せないことに、酷く悔しがる様子を見せていた。
 何故なら伸がとても落ち着いて、朗らかな様子でそれを見ているのを知ると、光は自分達に取って有難い何かだ、と秀は想像できたからだった。見付けられない己が悔しい。個々の能力はそれぞれの特徴に合っているとは言え、伸や当麻が本来見えないものを見、誰より先に幸運を見付けているようだと、秀には思えているようだった。
 まあ、今に限ればそうと言えるかも知れないが、当然ふたりには、同時に見たくない物も見えてしまうから、秀の考え通りに幸運な能力ではない。何れ時が経てば、秀にも充分理解されることだろうが。
 そして伸は、明ら様に膨れっ面をして見せる秀を励ますように、又、彼にヒントを与えるようにこう続けていた。
「いや、よーく見ていてご覧よ、君も知ってる人だ。…もしかしたら、僕らが会いたがってるから見えるのかもね」
「へっ?、誰よ?」
「僕らの謎を握ってる人」
 それだけ聞いても、秀はまだキョトンとしている状態だった。しかし、その時彼の背後で征士が、
「そうかも知れぬ…。我々がここに呼んだのか…?」
 と、目標物に目を細めながら言った。途端に、秀も慌てて前方に目を凝らす。
「えっ?、お前誰だか分かったんか?。…えっ??」

「光の中に何か居る。どうも…俺には人間に見えるが」
 様子を窺いながら先を歩く当麻は、やはり淡い光の中に、人らしき映像が見えることを確認していた。伸の感覚的な捉え方とは違い、当麻の能力では形有る物しか見えないが、それだけに見えている物は確実な存在だった。
 けれど、彼の観察内容を聞くやいなや、
「人間?、まさか」
 遼は直感のまま、信じられないとの言葉を口にしていた。この世界は基本的に、死者以外の存在は認められない場所だ。死者の怨念もまた、元の人間の姿を殆ど留めていない。自分達以外に人間らしい形をした物は、ここでは見たことがなかったのだ。考えられないのも当然だった。
 それについては当麻も、百も承知で話している様子で、
「ああ。人に見えるだけかも知れんが」
 と、補足的にそう付け加えていた。まあ、大型の昆虫や海星が踊っていたら、遠目では人に見えるかも知れない。無論そんなものがここに居るとも思えないが、それに似た未確認物体、と言う可能性も無くはない。ここは慎重に観察するべきところだが…。
 しかし、大いに疑いたい意思とは裏腹に、当麻の目にははっきりとその特徴が見えて来る。何故だか楽しそうに、早足になったり立ち止まったりしている、光源の中心に居る人物のこと。当麻は結局、それが人間であることを認めざるを得なかった。
「…小さい…、子供のようだ…」
 と彼は言った。
「子供…?」
 すると徐々に遼の目にも、確かに人のようだと確信が得られる程度に、その姿形が見え始めていた。そして「成程」と思った。生身の人間が居る筈はないが、人と言っても怨念達のように、存在の不安定さを感じさせながら動いている。もしかしたらここに居るのではなく、他の場所の何かが見えているのでは?、と想像できる様子だった。それなら納得できる現状だと。
 そして、当麻の超観察は確かな力だと、改めて思ったようだった。
「あれは…」
 と、当麻は目を見開く。無邪気な様子で移動している子供が、見覚えのある者だったので。否、つい先程まで彼女の話をしていたばかりだ。

『僕等は揃って君のことを考えていた。だからだろうか…?』

 黒のマントを着て、赤毛を束ねた少女が手に鞠を持って、ひとり遊びしながら雲の大地を横切って行く。彼女を包むぼんやりとした光は、今は鬼火のような、現世と冥界の境を現すもののように見えた。既にもう遠い過去の映像。彼女が幸福だった頃の記憶が、何故今ここに現れたのかは誰も判らない。
 ただ、戦士達は目を離すことができなかった。
「おっ!、あっち側に遼と当麻が居るぜ!」
「向こうも気付いていたようだな」
 光を追い掛けて来た三人が、同じくそこに近寄って来たふたりを見付ける。それは当然の成り行きだったのだろう。
「な、全員気付いたってことはよ、伸の言う通りかも知んねぇな?」
 と秀も、皆が求めたからこの結果があることを、自ずと納得しているようだった。
 だが、何の為に?。
「うん…」
 答えた伸は、あまり嬉しそうな様子ではなかった。



 どれ程進んでも敵に出会うことが無い。進む度に相手は、戦士達から離れて行ってしまうかのようだった。鎧世界は今や、そこまで活気の失われた空間と化している。それもひとつの時代であると言うように。
 そして、何も見当たらない世界に突如現れた幻を見て、戦士達は自然と、その後を追って歩くことになった。彼女の行く先に至上の幸福があるとも、外への出口があるとも思えないが、自然とそうなっていた。
 合流した五人は暫く何も話さないでいたが、
「なぁ、俺達…」
 歩きながら秀が呟いた。
「何で着いて歩いてんだろうな?」
 何故と言われても、明確な答えは誰も持っていない。しかし、
「『結果』を知りたいからだ。起こった事の」
 と当麻が、暫しの沈黙の後に言った。確かにそうかも知れない、我々は結果に飢えているのかも知れない、とそれぞれが感じる。少なくともそれはひとつの理由であろうと。
 けれど当麻はもう少し考えて、ややニュアンスの違う言葉に訂正する。
「いや、答を聞きたいからだ」
 考える人である彼には既に、戦士達の抱える悩みの本質が、確と、言葉として掴めているようだった。無論それを尋ねたとして、答えてもらえるかどうかは判らないが。



つづく





コメント)「母なる夜」から分離した話、と言う割には話が長くなってます(^ ^;。1話で終わると思ってたけど、ちょっと入り切らなかったです。後半はかなり短いんじゃないかと予想していますが。
 それと、予告していたタイトルを変更しました。大意は変わってないんですが、本来の話の進行と少しズレたことで、元のタイトルが合わなくなってしまった。すみませんっ。
 ああ、それにしてもこういう時の当麻の思考は暗いな…。書いてて自分が苦しいです。




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