山の旅
あめつちに水の
溢るる如く
#2
Love's only guide



 その後、幾度か休みながらも、日が暮れ掛かる頃まで五人は山道を進んだ。
 思わぬ出来事に、年長の子供達の算段は崩れたが、群の巫女が想定した三日の内にはどうにか、洞窟に辿り着けそうだと目処の立つところでもあった。
 トウマが話したように山の日暮れは早い。既に茜となった空の明かりは弱く、木々の影が足元を見え難くし始めていた。そろそろ進むのを止め、良さそうな野営場所を決めようと言う時だった。
「止まれ!、何か居る」
 先頭に居たリョウが突然手を伸ばし、シュウの動きを制止した。彼等の周囲に広がる林の何処かに、何らかの生物の気配を彼は感じ取っていた。
 それは生命の危機かも知れないが、或いは貴重な食料となるものかも知れない。とにかく重要な事だとシュウもすぐに反応し、リョウと共に身動きを止め、耳を済ませ、じっと辺りの様子を窺い始めた。後からやって来たトウマも、遠目に見ただけでふたりの状況を把握し、物音を立てぬようそろそろとその場に加わった。
 日暮れに近付くに連れ風が強くなり、木々は常にサワサワと葉音を聞かせている。山に戻り始めた鳥達の、樹上の囀りも段々騒がしくなって来た。その中から異質な音を聞き取る為に、彼等は息を殺し、木陰に小さく身を縮めていたけれど、その結果三人の目は幸運を捉えることができた。
「山羊だ!、仕留めようぜ!」
 ごく小さな声だが、シュウが力強くそう言うと、ここは全員意見が一致して頷いた。そしてそれぞれ無言のまま、身に付けた狩りの道具を取り出し始める。リョウは鋭く磨かれた石の刃を握り、シュウはそれよりもう少し大振りな石斧を手にした。トウマは背中に背負っていた弓を静かに外しながら、獲物に接近するだろうふたりに言った。
「結構大物だ、バラバラに出るんじゃないぞ」
「けっ、山羊一匹くらいひとりでも何とかなるぜ」
「そうじゃないシュウ、絶対に逃がしちゃいけないってことだ」
 シュウの態度は相変わらずだが、リョウは随分と集団を考えられるようになっていた。ここまで山中で足を止める度、年長の三人はこの旅について話し合って来たが、その内トウマの持つ理論的な考えに、納得し影響される点が多かったのだろう。それがこのような場面で、的確に相手の考えを理解できるようになった、良い状態を齎したのは幸いだ。
 リョウには制御できなかったシュウの行動が、解り易い説明によりひとつの統制を得た。何より食料を心配していたシュウには、その話は当然理解できただろう。そしてトウマは林に向け矢を番えると、
「山羊から見えない後ろから回るといい」
 と伝え、ふたりは快諾して頷いた。そのままそろそろと獲物の後方に移動し始めた。
 またトウマは、漸く追い付いた小さいふたりにも、
「静かにしてろよ」
 と小声で伝えた。まあセイジの方は、大人達が狩りをする場面は幾度も見ていた為、弓を引いたまま止まっているトウマの様子は、すぐに見当がつくことだった。何も知らなそうなのはシンのみなので、セイジはそれがトウマの邪魔にならぬよう、彼からは離れてシンを座らせ、じっとしているようその身を押さえていた。極力声を出さぬ為にそうしたようだ。
 その行動を見ると、見掛けは弱々しくとも良い判断をするセイジに、後方をそこまで心配する必要はないかも知れないと、トウマは知ることもできた。シンはさすがにシュウのような、異常な行動力を見せる娘ではない。ただ珍しい物に気を取られ、足を止めることがしばしばあるだけなので、それを適切に導くことなら、セイジには充分できるだろうと思う。
 その時、林の中から力強く踏み締める音がした。
 葉陰に動く山羊の残像に目を凝らし、トウマは弓を引く手に一際力を込める。すると獲物に合わせ奥からリョウとシュウが飛び出し、それぞれの武器で守備良く山羊の足を止めることができた。
 子供ばかりだが狩りはとても上手く行っていた。最後にトウマが一矢致命傷を撃ち込もうと、その頭部に集中して弦から手を放した。
「!!」
「シュウ!!」
 ところが、矢の飛んだ先に突然シュウが飛び出し、トウマとリョウは一瞬息を詰めた。何故?とほんの僅かの瞬間に、最悪の事態が頭を巡り、ふたりの心境は途端に奈落に落ちるようだった。結果的にシュウの敏捷性が勝り、トウマの放った矢は彼女を掠めることもなかったが、予想しない行動には全くハラハラさせられる。シュウは何を思ったか、突然一本の木に飛び付き登って行ってしまった。
 山羊は後頭部を貫いた矢で完全に絶命していた。もう大丈夫だと合図すると、身を顰めていたセイジとシンもその傍に寄って来た。食べる為に殺した動物を見るのは、シンにも日常の一場面に過ぎない。リョウが早速その腹を裂き、この場では不要な内臓を取っては放り投げると、シンは普段からそうしているのか、捨てられた物を拾っては一ケ所に集めていた。
 その場所からやや奥に、少し開けた場所があるのを見付けると、トウマはそこで火を起こす準備を始める。皮を剥ぎ肉を切り分けているリョウが、作業しやすいようセイジは自ら手伝っている。そんな間、シュウはなかなか戻って来なかった。
 すると暫くして、登った木とは違う他の木の上から、
「いやっほー!、捕まえたーーー」
 と、喜ぶ声が辺りに響いた。どうやらシュウは山羊を捕まえる最中に、更に別の獲物を見付けたようだ。続けてガサガサと木の枝を渡る音が聞こえ、さて何を持って帰るか、と言うところだったが…
「わーーーっ!!」
 ドスン!、と岩だらけの地面が鈍く鳴った。
 その震動が他の四人の体にも確と感じられた。これは唯事じゃないと誰もが思い、作業の手を止めると、音のした方にそろそろと歩み寄って行った。すると掴まった木が折れたか何かして、落ちた枝と共にシュウが倒れていた。本来なら勝手な行動による自業自得、と怒られても仕方がないが、今は誰ひとり欠けてもよろしくない状況である。何よりシュウの身が心配だった。
「お、おい、シュウ…?」
 リョウが声を掛けながらその横に膝を着く。岩に頭でも打ち付ければ即死だが、近寄ってみると僅かに体が上下しており、ひとまず息があることに安堵する。但し息があるだけで、動けないのでは意味がない。
「大丈夫かよ…?」
 心配そうにリョウがその肩を掴むと、苦しく唸りながらもシュウは自力で身を起こし、
「イテ…、…いや、平気だ…、…ほれ」
 どうも、相当我慢をしているようだが、普段通りの顔をして右手を差し出した。シュウの手には大きなキジバトが二羽握られていた。
 当時の食料の中では大変美味な肉である。群でも供物や祝いの場に欠かせない鳥で、それだけにシュウの狩猟本能に火が点き、想定外の危険な行動が生まれたのだろう。無論捕まえれば皆が喜ぶ。不安な旅の中でも美味しい物を食べ、皆の気分が明るくなってくれればいいと、シュウは自分なりの配慮をしたつもりだ。
 しかしそれは今必要なことだったか?、とトウマは言う。
「無茶をするなよ、今は山羊一匹で充分だ。体力を温存することも旅には大事だ」
 それにはリョウも大いに頷き、彼はトウマに同意する意思を伝えようとしたのだが。普段の習慣からか、何故か出た言葉は文句と批判になっていた。
「そうだよ、シュウはいっつもそうだ。何でもムキになってすることないだろ、女のくせに」
 そしてやはり、それはシュウの心を酷く傷付けるものだった。これまで見せたことのない、複雑な怒りの表情をリョウに向けると、シュウは体に走る痛みを忘れて怒鳴った。
「何でなんだよ!!」
 怒鳴るだけでは収まらず、人には粗暴ではない筈のシュウが思わず手を挙げた。
「何で『女のくせに』なんだよ!。おまえだっていっつもそればっかり…!!」
「…ィテッっ…!」
 無理することを心配しているのに、思い切り殴られたリョウは当然腑に落ちない。相手が恐らく何処か傷めているだろうことは、瞬時に意識から飛び去り、リョウもまた感情のままシュウの頭に掴み掛かっていた。何が何だか判らぬ内に、元から従兄弟でよく知るふたりが喧嘩になっていた。
 何が何だか、とは年少のふたりの傍観的な感想である。トウマには少ない会話の内にも、それぞれの思う所はある程度掴めていた。シュウは性の区別とは関係なく、自身の能力を見てほしいのに、リョウはこんなシュウでも、一応女性として扱うのを止めない。それぞれ悪い感情を向けてはいないが、求める点が違うことをまだ理解できない、よくあるすれ違いだと思った。
 だがそれを悠長に眺めてもいられず、
「おい!、やめろよ、こんな時に喧嘩なんて…」
 トウマが口を挟むと、シュウは関係ない彼にも食って掛かる。否、寧ろシュウの怒鳴り声は泣いているようにも聞こえた。
「トウマは答えられんのかよ!?」
「…女は子供を産むからだろ?。俺達が飼ってる羊だってメスの方が大事だ」
 だがそれには酷い矛盾が存在することを、シュウは声を大にして話すのだった。
「大事だから『女のくせに』って言われんのか!?、『女のくせに』って何なんだよ!。だったら俺は男に生まれたかったのに…!」
 そう聞かされると、確かにトウマにもすぐ答は出せなかった。幼い感覚の意地っ張りのようで、それはシュウの表情通り複雑な事情だとトウマは知る。大事な存在の筈なのに、女達が自然と見下げられているのは何故なのだろう。群の大人達がそうであるから、そういうものだと深く考えなかったけれど…
「好きで女に生まれた訳じゃねぇのに!、俺はどうしたらいいんだよ!!」
 ただ、シュウが日々感じていた遣る瀬なさを、ここで初めて知ったリョウは、組合っていた手を解き素直に謝った。誰だろうと役立つ人間が尊重されるべきだと、彼にも思う所があったようだ。
「ごめん…」
 そう、ウィ様は誰にも見下げられることはない。特殊な能力者である巫女は、女性にしか生まれないものだと聞いていた。そこまで偉大な人物でなくとも、人にはそれぞれ個性や特技があり、それを生かし合うことが集団の力となる。目指すべき理想的な人間の国とは、恐らくそんな形でなくてはならないと、皆が考えさせられる出来事だった。
 旅の内に起きた喧嘩も、彼等の絆であり収穫となったようだ。



 夕暮れの内に食事を済ませ、暗くなれば眠りに就くしかない。松明の明かりだけで動けるほど、山の中は楽な環境ではない。五人は適当に身を隠せる岩陰や洞穴を探し、そこに寄り添って犬の子のように眠った。本来は大人が交代で寝ずの番をするところだが、体力の無い彼等には不可能なことだった。
 木々の枝間から月は見えるけれど、月の光は何をしてくれる訳でもない。ただ無防備な夜の、安全を祈ることしか子供達にはできない。しかしシンは枝葉から淡く差し込む光に、群の巫女の姿を思い出していた。巫女はしばしば夜中に群を出て、夜の深遠に浮かぶ月に祈りを捧げていた。だから月はそれだけ、群に大切なものだとシンは思っていた。
 何もしてくれない意味では、世界の全てがそうである。人が生きようとする意思を持てば、世界に在る物は全て与えられたように感じるが、事実は草も魚も己の命を生きているだけだ。けれど地上の様子に比べ、夜空の世界には乱雑な生命活動は無く、常に規則的な安定が見られる。世界の声を聞く巫女は、恐らく地にもそんな平和を望めるよう、夜は月に祈っているのだろう。
 当時は存在しない科学により、天体も決して永遠ではないと解明されるが、そんな知識は特に必要の無いものだ。それを越えて生きる生命も無ければ、人ひとりの命などごく短い。命は長ければ長いほど安定期も長くなるが、その下に生きる私達に必要な事は、ただ朝が来て夜が訪れる法則のみである。
 私達の生活はそうして成り立っている。愉しみや幸福感も天の法則に従い生じて来る。だからか群の巫女の存在を思うと、シンは安心して眠りに就くことができた。明けない夜は無い。この旅にも必ず終わりが来る。巫女はそう知っていて子供達を送り出したのだろうから。
 今は目印となる十字の星が、月と共に空に輝く季節だった。年中気候的変化は少ない土地だが、その中でも特に過ごし易い時期に、彼等は毎夜守られ眠ることができる。充分な休息を取りさえすれば、朝にはまた前に進む意欲も戻って来るだろう。朝に昇る火の玉の燃え盛るように。
 天の法則は私達の法則でもある。

 そして普段通りに夜は明け、再び世界が紫の朝日に覆われる頃、五人もまた洞窟を目指し歩き出した。二日目も大体同じような道程を経、細かなトラブルを解決しながら進む内に、彼等は昨日より更に、家族的理解や意思の疎通が得られただろう。大人達の旅も同じであるが、苦労や危機を共にした仲間は何らかの繋がりを見い出す。彼等には群の宝物などより、その方がずっと貴重な宝かも知れない。
 それもまた、天の巡りが生み出す時が連れて来るものだ。
 一日過ぎる度に地の生物は変化する。意識はしなくとも、子供達に於いては成長と言う大切な変化である。困難な指示に従うことで、五人は急速な変化をしながら目的地へ向かっている。
 また夜の闇に道は閉じたけれど、また朝には暁を見ながら歩き出した。



 群の巫女が話した三日目となると、誰もが充分に山歩きを理解できて来たようだった。陽のまだ高い内に、洞窟に辿り着けそうな目処が立ったのは、偏に個々の努力によるものだ。実は山の地形は登るより下る方が、注意深く進む必要がある。けれどこれなら下山も予定通り行けそうだと、先頭を歩くリョウの思考もやや余裕が生まれていた。何かを期待する群の人々為に、天のお告げは必ず守らなければならない。
 ただ引き続き集団には、心配な事情が存在し続けた。
「…痛そうだな」
 これまで敢えて誰も口にしなかったが、本人の為にトウマは声を掛けた。そう、初日は洋々と先頭を歩いていたシュウが、今はそうは行かなくなっているのだ。
「何でもねぇよこんなの!」
 指摘されれば、怒ったように否定して返すのだが、初日の無茶な行動で木から落ちた際、左の上腕を傷めてしまった。昨日から酷く腫れ上がっている為、骨折した可能性もあるとトウマは見ている。しかし弱味を見せたくないシュウの意気込みを買い、これまでは何も言わずにいた。
 絶対に辛くない筈はなかった。リョウもまた、一昨日怒られたことで言い出し難かったが、時折苦痛に歪む顔を見せるシュウが、気掛かりで仕方なかったのだ。トウマが口火を切ってくれたことで、リョウも続けてそれを話すことができた。
「だからそんなに意地張るなって…。誰だろうと怪我してるのは心配なんだよ」
「怪我を放っとくと死ぬこともあるんだぞ?」
 更にトウマがそう続けると、リョウは何故だか、旅に出る前に父と遠目に眺めた、群の前の亡骸の映像を思い出していた。
 死は誰もが知る身近な現象だが、無論喜んで受け入れられる概念ではない。自らの死を眺めることはないとしても、朽ち落ちて骨と化して行く経過が、我が身にも起こるとは考えたくないものだ。つまり他人の死が自身の死の不安を煽る。始めからひとりなら、いつ己が死のうとどうでも良いかも知れないが、
「やっぱり何か手当した方がいい!、少し休憩いいか?、トウマ」
 リョウはそこで意を決し、暫し足を止めることを決断した。ここまで来て余計な時間を使えば、洞窟を目前にして日が暮れてしまうかも知れない。だがそれなら、次の夜明けと共に洞窟に向かい、素早く引き返せば大した遅れにはならない筈だ。もし誰かが欠けることあらば、その方が余程問題だとリョウは荷物を下ろす。
 するとトウマは、またもうひとつの心配事について話した。
「ああ…、俺はその間ちょっと戻って来る」
「え…?」
 シュウの手当を手伝ってくれると考えていた、リョウの間抜けな返事を耳にすると、傷むシュウの方が溜息混じりに続けた。
「シンはあれじゃ、もうまともに着いて来れねぇよ」
「うん…、そろそろ限界かも知れない」
 それは注意深くシンの状態を見ていた者なら、容易に予想できることだった。リョウも最も小さな娘の体力は、常に気遣っていたが、歩き続ける為に重要なある要素を、ひとつ見落としていたようだった。
 トウマは話し終えると、まだ疲労を感じさせない足取りで来た道を下りて行った。後から来るふたりの気配は、まだ遠くに感じられてはいたが、それが随分停滞しているのは判っていた。いつかそうなるだろうと予想はしていたが、その時は意外に早くやって来たようだ。
 年少のふたりは、三人が通った獣道の途中で完全に足を止めていた。
「どうしたんだ?」
 とトウマが声を掛けると、手前に片膝を着き座っていたセイジが、くるりと振り返って言った。
「どうしたらいいんだ…?、もう歩けないって…」
 その幼いながら深刻さを伝える、セイジの蒼白な顔色を見れば、トウマは予想通りに溜息を吐いた。
「足が痛い」
 その場に座り、膝を抱えているシンは泣きながら一言、傍にやって来たトウマに訴える。否、何も言わなくとも状況は一目瞭然だった。荒々しい石や岩の道を歩いて来たシンの足は、擦り切れた多数の傷が赤々と目立ち、蹠は既に赤褐色に染まっていた。泣きたいのも解る痛々しさが、その細く白い足に刻まれていた。
 まだ靴と言う物が存在しない為、人々は何処へも裸足で出掛けている。ただ女達が群から出ることは殆どなく、せいぜい山麓の木の実を採取に出るくらいだ。山に登る女などそうそう居ない。シュウのような娘は全く特殊な存在なのだ。何故なら稀に他の集団に出会うと、女が攫われることがあるからだ。トウマが話したようにこの世界では、子供を産む性はとても大切にされている。
 そもそも女は暴力に抗う力が弱い。しかもシンはまだ六才と言う年である。その皮膚は果実のように傷み易く柔らかかった。とてもこんな山中を何日も、歩き続けられる体では元々なかった。それでも天に選ばれた一員なのだとしたら、目的地を目の前にし、選択できることはひとつだとトウマは考える。
「今日の内に何とか辿り着ける。もう少しだから俺が負ぶって行く」
 そう言って、彼は背中の弓を下ろすとシンに背を向けた。だが彼女は彼女なりに、着いて行けない絶望を感じているのだろう。トウマの配慮による促しに、すぐ飛び付ける楽観的心境ではなく、暫く身を動ごかそうとはしなかった。するとセイジもまた、
「いいよ…!、僕がやるよ」
 悲愴な顔でトウマに訴えた。彼の気持もまた充分に判る、群の巫女に頼まれたのは自分だと、その責任を全うしたい気持が、少年らしい済んだ瞳に現れていた。だがトウマはこう言わざるを得なかった。
「無理だ、おまえが倒れちまうよ」
「だって…」
 そう反抗して見せるも、セイジは自ら矛盾を感じていた筈なのだ。彼は同じ年の子供より体が小さく、シンと同様にまだ充分な力や体力は持たない。赤ん坊ならまだしも、六才児を担いで歩くことは不可能である。できるならもうとっくにそうしていた筈だ。
 望むようにできない口惜しさ、弱さをセイジは切に噛み締めている。漸くトウマの背に寄り掛かり、シンが彼に頼む意思を決めると、セイジは悔しさから途端に不機嫌になり、不満そうに眉を顰めて口を噤んだ。彼はそれから一切口をきかなくなってしまった。そんな、自身の役割や能力を認められたい意識は、後々彼が大人になる頃には、誰からも認められるものになるだろうが。
 今はまだ思うように動けぬ幼少期である。トウマはそんなセイジの、感じているだろう情けなさを受け止めながら、ふたりを上手く導いて行くしかなかった。とりあえずトウマが歩き出すと、セイジは大人しく彼の後を着いて来た。下ろされた弓矢を代わりに抱え着いて来ていた。今はそれで充分だと思える様子だった。
 そうして、シュウとリョウが止まっていた場所に、彼等三人が到着する頃、シュウは左腕にマギダリスの葉を巻かれ、もう手当は済んでいるようだった。マギダリスはあらゆる薬に用いられる植物で、骨に異常があるかどうかははっきりしないが、それでまず腫れが引いてくれれば幸いだ。
 するとシュウは、もう誰にも迷惑をかけたくない思いから、シンを背負って来たトウマにすぐ進言する。
「腕の腫れが引いたら俺が代わるよ」
 思えばこの集団の中では、シュウは二番目に年嵩の立場である。思い付くまま無茶をして人を喜ばすより、今は集団の責任を強く感じているようだった。

 五人は再び歩き始める。告げられた三日目だけに、誰もがその期日を意識し黙々と先を目指す。
 シンを待つ時間が節約されると、進むペースは多少早くなった気もしたが、少しずつ疲労して来た彼等の足は、初日のように軽く動く訳ではなかった。シン程ではないにしろ、子供達の足はそれぞれ荒れており、踏み込む度に痛みを感じる者も居ただろう。だが誰もそんなことは口にしなかった。
 ただ確実に洞窟に近付いている。その事実だけが彼等を支える力となっていた。
 そしてどのくらい経った頃だろうか。
 陽が傾いて来たと言う以外に、正確な時間は判らないけれど、まだ充分視界の効く明かりがある内に、トウマは先頭のリョウに伝えた。
「あそこだ、あの岩伝いに曲がって進むんだ」
 リョウとシュウが遠くに目を凝らすと、成程そこには人工的に幾つかの岩を積み、今で言う石垣のようなものが連なっていた。群の人々が洞窟の目印に造ったのだろう。そこから洞窟までは、大体三十分ほどだとトウマは知っているが、それを見ると途端にシュウの気が逸り、ひとりそこまで駆け出していた。まあ、終点が近いことは誰の胸にも明るい気分を運んで来る。この時のシュウの行動は判らなくなかった。
 その岩に一番に辿り着いたシュウは、そこで早速嬉しい発見をする。丸に十字の入った図形が、岩の数カ所に彫ってあるのを見付けた。まだ文字とは言えぬ記号だが、その図形は羊を表している。同時に彼等の群を示す図形でもあった。間違いなくここは群の人々の足跡なのだろう。
「間違いない…」
 それを見てリョウも感慨深く呟く。群の目印を見付ければ、洞窟はもうすぐそこと言えるだろう。もうすぐ今日と言う日は暮れてしまうが、完全な暗闇となってしまう前に、洞窟に辿り着けそうな予感が、彼等の疲労感を一気に吹き飛ばした。五人はそこから、息を吹き返したように力強く歩んで行った。達成すべき目標が目の前に存在すると知れば、誰しも奔馬の如く駆け続けるものだ。
 尚、洞窟は群の宝物の貯蔵庫である。子供達はそれが何であるかさえ知らない。
 この旅が何になるのかも知らない。
 しかし全ての事は本来、内容など適当な物で構わないのだ。何かに向け努力し前進することこそ、人間、否生物全てに必要な過程だからだ。最終的に何がどうなるかなど、見通せる者は何処にも存在しない。ともすれば群の巫女は、子供達にそんな事を伝えたかったのかも知れない。
 一見無駄や徒労に感じる物事も、皆生きる知恵として世界に蓄積されるのだと。

 山間が夕焼けの曖昧な陰影に包まれ、まだ何とか物の見分けがつく頃、彼等は予想通りそこに辿り着けていた。
「ここだ!、この洞窟だ!」
 シュウが叫ぶ目の前には、木を組んだ柵に守られる洞窟の入口が在った。その隙間から奥は、時間帯もあり酷く暗く深く感じられる。少し遅れていたトウマとセイジを待つ間、暫し外から観察していたリョウが、
「松明が無いと中を歩けそうもないな」
 そう呟くと、打てば響くようにシュウは答えながら動く。
「急いで作ろうぜ!、暗くなっちまったら何もできねぇよ!」
 そう、今は不安や感動に立ち止まっている余裕は無い。シュウは己の身の辛さを忘れ、必要な行動を即座に始めていた。それが彼女の良い所であり、動いて見せることは、言葉での説得より強いと気付かせてくれた。リョウもここは「うん」と素直に従った。
 その内追い付いたトウマとセイジ、洞窟の前で下ろされたシンも、松明作りと共に食事の為の焚火の支度をした。食料は今朝捕えた山鳥を数羽、シュウが腰にぶら下げて運んで来た。リョウはあちらこちらに自生する、ナツメヤシの実を袋に入るだけ詰めて来た。それだけあれば今宵も充分だろう。
 その時、集められた材料を、見よう見真似で松明にする作業をしていたシンに、シュウはふと思い付き話し掛けた。
「おまえ、こーゆーの足に付けらんねぇかな?。少しは楽になると思うんだ」
 それはシュウの左腕に巻かれたマギダリスの葉だが、実は手当を施して以降、少しずつ痛みが和らいでいると本人は感じていた。幾分腫れも引いているのではないか、今朝より皮膚が突っ張る感覚が薄れていた。その実感からシュウは、小さなシンの足を救えないかと考えたようだ。
 洞窟には到着したが、帰り道もまた三日歩かなければならない。
「うん…」
「僕が探して来るよ」
 一時は酷く腫れ上り、辛そうだったシュウの腕を見ていたシンは、現在の彼女の様子に光明を得たように応えた。また横で聞いていたセイジも、良い提案に思うとすぐに立ち上がろうとした。否、セイジだけでなく、シンの状態は誰にも可哀想に映っているが、もうすぐ山は日暮れを迎える為、
「明日の朝にしろ、今から探しに出たら戻れなくなるぞ」
 トウマは立ち上がり掛けたセイジの腕を引き、落ち着くように彼を諌めた。マギダリスは年中そこかしこに自生し、慌てなくとも逃げることはない。今は今の内にできる事をすべきだと、トウマは誰にも納得できる理屈を説いた。
 この五人は選ばれた。誰も欠けることがあってはならない。シンの足も心配だが、セイジが行方不明となればもっと困るのだ。

 そしてもう暗くなる寸前の頃、洞窟の前に充分な明かりを採れる薪を燃やし、洞窟探検の準備は整った。過去に訪れた者がそうしたのだろう、洞窟の前は広く切り開かれており、辺りを探すと野営に使える道具も残されていた。出掛ける前に誰も伝えなかったが、考えてみれば慣れた大人でも、最低一泊は必要な道程である。子供達も自らそれに気付き、宝物庫での作業は比較的楽に済ませられた。
 年長の三人は松明を手に、セイジとシンはしんがりのトウマに着いて、岩山に空いた洞窟の暗がりを進んで行った。それは想像していたより細く狭い洞穴で、子供でも二人以上は並んで歩けない。その上松明を手にしている関係で、自然と彼等は一列に歩くこととなった。
 誰かが家と同じようなものだと言ったが、長く細く奥に続く道は、さすがに人の住居と言う趣ではない。歩く地面も天然の岩盤の起伏があり、突然現れる段差や滑り易い石などに、五人は注意喚起しながら最奥へと向かって行く。すると、子供の足で二十分ほど進んだ辺りで、先が広く開けているのをリョウが確認した。恐らく洞窟の終点が近いと気付くと、先頭を歩く彼は自ずと足早になって行った。
 その洞窟は、恐らく途中までは自然の地形で、その先を人の手で掘ったのだろう。リョウの視界に広がって来た空間は、平たくされた床とドームのような天井の、明らかに作られた部屋だった。そしてその突き当たりの岩に、群の紋である羊の図形が描かれているのを見ると、ここが目的地であると確認することもできた。すぐ後に来たシュウも大いに喜ぶ景色だった。
 その広い部屋の入口付近に、火を焼べられる薪の台があるのを見付け、シュウは早速松明から炎を移した。トウマ達が追い付いた時には、部屋はある程度の明かりに照らされ、年少のふたりも自由に動けるようになった。そして肝心の宝物だが、くるりと見回す限りそれらしき物は見当たらない。盗掘されぬよう目立たなくしてあるのだが、そこはトウマの機転でリョウに指示をした。
 丸の中に十字を入れた図形は、羊を表す記号だと前に述べたが、それをこの部屋に置き換えると、部屋の中央で十字が交差する。既にそのような印を付ける行動は存在した為、中央と思える辺りをリョウに調べさせると、そこに一ケ所、周囲の岩とは違う色の岩が嵌め込んであった。
 カモフラージュの為か、他にもそのような岩は点在していたが、そこで間違いないとトウマは言い、今度はリョウとシュウが協力して、嵌め込まれた岩をどうにかずらしてみる。すると…
「うわぁ…!」
 現れた物を見て、三人は思わず感嘆の声を上げた。確かにそれは珍しい天然の結晶で、宝物らしく光り輝いていた。
「すげぇ!、浜辺の水みたいな石だ!」
 幾つかある内のひとつを手に取ると、シュウはそれを薪の光に透かして言った。またそれを見たセイジとシンも、その拳ほどもある大きな結晶の輝きに、口を開けて見入っていた。
 この煌めく美しい八面体は何なのだろう?。皆がそう思っていると、トウマだけは知識としてそれを知っており、
「群の人が『アダムル』と呼んでる石だろう。ほんの少ししか見付からない、俺達の先祖から伝わって来た宝物だ」
 そう他の四人に話した。子供達がそれで理解できたことは、とにかく群の貴重な宝物であることだけだが、それ以外の情報はトウマも持たない。想像できるのは、群の一族を示すひとつの象徴なのだろう、との意味合いだけだった。
 そう、後の世に金剛石と呼ばれるその石は、彼等の暮らす世界では産出されない。群から遠く西に進んで行くと、緑色の海と小さな山が在り、その先に続く広大な荒れ野で採掘される物である。つまり彼等がそこから移住して来た歴史の象徴で、大体トウマの想像通りの宝物と言えるようだ。
 ただ、金剛石は褐色から無色のものは、誰にも比較的馴染みのある物だった。異常なほど硬い為、石斧などの研摩の道具として使われていた。このアダムルが貴重なのは、シュウの言う浜辺の水のような色にこそある。現代ならファンシー・インテンス・グリーニッシュブルー、と分類されるだろう、明るく透明度の高い、若干緑が含まれる柔らかな青色の金剛石は、今も昔も滅多に見られるものではない。
 空は青い、海も青いけれど、手にできる青い物質はそう多くはないものだ。特にこうした透き通った水のような物質は、殆ど目にすることも無い為、宝物として珍重されるのは当然だった。
 こんなに珍しい物だから、確実に持ち帰らねばとシュウは意気込み、
「おまえが全部持って行けよ、ひとまとめにして袋に入れようぜ!」
 リョウにそう提案した。ぼんやり宝物を眺めていた彼は戸惑い、
「えっ、俺…」
 と、途端に目覚めたような顔をしたが、トウマも穏やかな様子でそうするよう勧めた。
「うん、リョウが持って行くといい。おまえは頑丈だし、何かあった時の判断もいいと思う」
「そう…かなあ…」
 これまでに話し合ったことも無ければ、暗黙の了解があった訳でもないが、子供達は自然とリョウを集団の長に認めていた。本人にその自覚は無いようだが、
「リョウは無責任な奴じゃねぇから。俺それだけは信用してる」
「ハハ、だけってことはないだろ」
 シュウの言い草にトウマが笑うと、リョウも己に何を期待されているかは、大方理解できたことだろう。もし万一この旅の終わりに、何らかの全滅しそうな危機に見舞われても、ひとりで群に戻れる強さを買われたのだ。そして、三日を共にした仲間達がそう言うなら、リョウはやはりシュウの言う通り、真摯にその責任を受け止めて言った。
「そうか、ひとりで全部持った方がいいなら、俺が預かるよ」
 彼が了解すると、シュウとトウマは早速、岩の下に隠されたアダムルを全て取り出し、リョウの袋にひとつひとつ移して行った。
 その折、一際大きなひとつをリョウが取り上げ、今一度薪の光に翳して見ていると、
「キラキラ、だね」
「うん…」
 薪の横に座っていたシンもアダムルの光を見上げ、セイジもそれに頷いていた。途中で幾度も出会った金鉱石とは違う、水を固めたようなその石は、シンにはとても不思議な物に見えていた。
 海や川の水は、この温暖な土地では固まることはない。水は常に世界を巡り、世界を包む柔らかいものだと思っていたが、その八面体の結晶は水のようでありながら、酷く硬質な世界を感じさせている。単に金剛石が硬いと言う意味ではない。水も人も植物も、透き通る輝きを持つ物は皆柔らかいのに、世界には絶対的に硬い美も存在するのだと、シンは感覚的に覚ったようだった。
 何よりも硬く絶対的な美。シンはひとつだけそんな物を知っている。それはウィ様が群を守ろうとする意思だった。故にシンはそれを見て、群の巫女であり母である人の面影を、心の拠り所のように思い出していた。群を守る巫女は三百年も生き続ける、強い生命力を与えられた人である。私達はその人に守られていなれれば、恐らく生き延びることができなかった。
 硬質な世界は永遠へと繋がる。だから私達は巫女の元に帰らなければならない、と思った。
 すると、シンのうっとりとした様子を、横でずっと眺めていたセイジが立ち上がり、リョウの傍に来てこう言った。
「それ、一個ほしいんだ」
「だっ、駄目だよ!?、群の大事な宝物なんだぞ?」
 突然何を言い出すのかと、リョウは慌てて拒否したが、セイジの続けた言葉にはやや冷静になれた。
「ううん、一番小さいのでいいから貸してほしいんだ」
 するとシュウが横から口を挟む。
「よく見てみたいか?、ちゃんと持って帰るならいいんじゃねぇの?」
 彼女がそう言えたのは、岩の下から出て来たアダムルは大小様々で、極大きな結晶は二、三個のみだった。その他はナツメヤシ程度の大きさから、親指の先くらいの小粒の物もあり、その細小の石ならセイジでも、負担なく持ち帰れると思ったからだった。正にその通りの、小さなアダムルを取り出して見せると、リョウも現物を見て同意する気になったようだ。
「ああ…じゃあ…、絶対に無くすなよ?」
 と言って、シュウからそのひと粒を受け取り、変わらず真直ぐに見ているセイジに手渡した。彼には彼なりの、真面目な考えがあるようだとリョウは知り、それなら信用して渡すべきだとも思った。
「ありがとう」
 するとセイジは、何故かその石を見ることなく握り締め、再び薪の傍に戻って行く。その後の彼の行動は、長く傍に居たトウマにはある程度予想できていた。セイジはその石をシンの手に持たせ、腕を取って炎に透ける様子を見せるとこう話していた。
「持って帰らなきゃ駄目だよ」
 セイジは与えられた役割をいつ何時も、一番に考えるようにしていたのだろう。シンは確かに、年長の子供達の足を引っ張る存在で、旅の役に立つ能力も何も持たない。しかしそれを無事に戻らせるのも約束の内だ。セイジは最大限に努力していると皆にも判った。
 そしてシンにも、彼の配慮は充分に伝わっている。
「うん…。ウィ様のところに帰るよ」
 足の痛みと疲れから、無表情になりつつあったシンだが、それで明るい意思を持ち直してくれれば幸いだ。セイジはその微妙な心の変化を感じ、必ず良い結果になると信じられていた。何故ならシンは光り輝く物に惹かれている。天然の何らかの輝きにいつも目を奪われている。そこに未来の幸福や希望を見ているような、シンの意識はもうよく判っていた。



 群の巫女のお告げ通り、珠と呼ばれる宝物は全て回収できた。後は全員が無事下山し、群の人々の元にそれを届けるだけだ。
 洞窟の前で一夜を過ごした五人は、ひとつ重要な仕事をこなした満足感から、そこで充分眠り、翌朝の目覚めも良かったようだ。朝一番にリョウとセイジはマギダリスを探しに行き、その葉とシュロの繊維をふたりは持ち帰った。マギダリスの葉を、今で言う靴下のようにシンの足に巻き、綯ったシュロの紐で結ぶと、薬効はすぐに現れないとしても、直接地に足が触れぬだけシンは楽になった。
 その後彼等はすぐにそこを出発し、その日はシュウがシンを背負っていたが、下山二日目の朝には、シンはもう自力で歩けると言うまでになっていた。またその頃シュウの左腕の腫れも、すっかり退いて見た目は元通りになった。太古から傷や怪我に使われる植物の効果は、間違いの無いものだったようだ。
 そしてシュウが復活してくれると、日々の狩りや難所を渡る手助けも万全に戻り、難しい下山の方が寧ろ順調に進めていた。当然これまでの過程で培われた、五人の理解や協力体制が向上した面もある。何をするにも皆機能的に動くようになった中、シュウの怪我が打身で済んだのは彼等の幸運だ。何故なら、彼等はその後最大の困難を迎えることとなった。
 それは下山三日目の昼間、もう少しで山中を抜ける所まで来た時だった。
 朝は山霧に霞み、空の明るさを鮮明に見ることはできないものだが、刻々と時は進みながら、その日は一向に晴れて来る様子が無かった。彼等の住む世界は年中温暖な上、一年を通し雨もあまり降らない。ところが偶然その旅の終わりに、雨の降り出しそうな悪天候が当ってしまった。
「…雲が…」
 歩きながらずっと、空模様を気にしていたトウマが言うと、
「まずいよな、雨が降りそうだぜ、どうするよ?」
 シュウはすぐ対策を考えようと話し始めた。この周辺地域の傾向なのか、世界の全てがそうなのか知らないが、雨は一度降り出すと、水瓶の水を一気に空にする勢いで降り続く。当然傘や合羽など持たない人々は、雨の日は家に留まりやり過ごすのが習慣だった。しかし山中ではそうはいかない。
 雨が降り出す前に、群に戻ることは恐らく不可能だと、経験的な勘から誰もが感じ取っていた。今から急いで下山しても、麓に着く頃には雨が降り出すだろうと判っていた。また麓には屋根となる森や洞穴が無い為、それなら山中で過ごす方が良いとも思う。ただ、雨に滑り易くなった山を歩くのはとても危険だ。動くなら早めに手を打たなければならなかった。
 勿論、雨上がりを待つとなれば、群の巫女が話した六日の予想を越えてしまう。遅れれば何らかの落ち度があったと、群では判断されてしまうかも知れない。お告げを達成できない悔しさも残るが、天気の変化は彼等の罪ではない。何を優先すべきかはきっと、ウィ様も理解して下さるだろうとリョウは考えた。
 選ばれた五人の子供と群の宝物。全てを持ち帰らねば恐らく意味を為さない。必ずと言ったのはその役目の方で、日数を厳しく定められた憶えはなかった。
 ならばと、彼は今初めて、集団の長らしい落ち着いた判断をした。
「何処か、雨を凌げる場所を探そう。もしかしたら一日、二日続くかも知れない」
 すると最早、暗くなる一方の山の景色に、誰もが充分納得し同意した。リョウの意識と同様、もう少しで終えられる筈の約束を、中断せざるを得ないのは誰もが痛い。けれど人は大雨にはまだ、抗える術を持たぬから仕方がなかった。



つづく





コメント)ギリッギリまで書いてしまったので、解説は入れられませんが、2ページで終わると言う私の予想も外れたのは間違いないです(´ `;。ううっ。


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