謝肉祭
あめつちに水の
溢るる如く
#3
Love's only guide



 雨にはあまり縁の無い大地に、久し振りの大雨が降りそうだった。
 雨が通り過ぎ、抜かるんだ地面が落ち着くまで、避難できる場所を探さなくてはならない。すぐに辺りを調べようとシュウは歩き出したが、その前に、昨日から頑張って歩いて来たシンに、
「俺らが何とかするから頑張れよ?」
 その小さな背中をポンと叩き、励ましながら離れて行った。天候の変化は誰にも同等の不安を与えるが、年長の子供より知識の乏しいシンには、より不安に感じるだろうと考えたようだ。行動は荒々しく勝手な面もあるが、既に年少のふたりには、シュウはただ頼もしい保護者に見えていた。意外に面倒見の良い気質だとトウマにも理解されていた。
 するとそのシュウが、十歩ほど歩いた所で大声を上げる。
「あっそうだ!、向こうに少し登ると広い洞窟があるんだ。そこならそんなに無駄足になんねぇし、みんな充分雨宿りできるぜ?」
 振り返ってリョウとトウマを見ると、リョウはその朗報を信じすぐに決定した。
「うん、そこを目指そう」
 トウマの方は頷く前に、もうセイジの手を引いて行こうと動き出していた。空の様子からは、あまり移動の時間も残されていないと感じられる。ここは山に来慣れているシュウの記憶を、信用して前進するしかなかった。五人は纏まった意思の上で、シュウの行く先に着いて行った。
 下って来た山道を再び登るのは、肉体的にも精神的にも苦痛に感じる面がある。予め切り替えるつもりで居た訳ではない。まして疲労が蓄積されて来た各々の足は、始めの三日のようには動かなかった。しかもシュウの話した洞窟は、これまで歩いたルートより傾斜のある斜面を登る。ある程度の所でシュウは指示をし、リョウを先に行かせると、往生するトウマ達を助ける方へ回った。
 実際トウマは最年長ながら、体力的には前方のふたりに及ばない。何とか自力で着いて来られるセイジは助けられても、セイジが更に助けようとするシンまで、一緒に連れて行くのは困難を極めた。シュウはその、セイジが握っていたシンの手を代わりに取ると、支えると言うより半ば抱えて斜面を登り始める。その時はさすがにセイジも反抗しなかった。何故ならトウマが、
「厚い雲が完全に覆って来た。嵐になるかも知れない」
 とシュウに声を掛けると、シュウは至って真剣な瞳を上に向け、
「急ごうぜ!、あの上だからもう少しだ!」
 力強くふたりに返した。その視線の方に目を向けると、迫り出す崖の端が崩れており、土砂の流れた跡のような土の斜面が見える。リョウがもうそこに到達しそうだと知ると、確かに遠くはないとセイジにも判った。緊急時は特に集団の足を引っ張るべきではない。どうせまた合流するのだからと、セイジは場合により意思を曲げることを覚えたようだった。
 またトウマも、崖の上なら洞窟が水没することはないだろうと、避難場所の選択に安心を抱き、そこからは只管登ることに集中できた。ただ、漸く身軽になったと思えば、直後に彼の額は微かな滴りを受け止める。
「…もう降り始めてるな…」
 登る途中で大雨となれば最悪だ、それ以上進めなくなるかも知れない。彼等は俄然必死になり、その最悪を免れようと言葉少なになった。どうあってもその前にこの身を運ばなければ、これまでの努力が水泡に帰することとなる…

 先に崖の上に着いたリョウが、シンを抱えているシュウの腕を引き上げ、一刻も早くと上に登らせる。その頃にはもう木の葉を掠める雨が、ざわざわと疎らな音を立てていた。子供達の髪や服、荷物の袋が明らかに水を含んでいた。
「早く洞窟に入るんだ!!」
 リョウは特に小さいシンが体を冷やさぬよう、強い声でそう促し、目の前に口を開けている洞窟へは、シュウが抱えて来たまま連れて行った。その後少し遅れてトウマとセイジも辿り着き、トウマは先にセイジをリョウに預けた。リョウは彼を引き上げると、シンの時と同様に早く洞窟へ行くよう示し、セイジは素直にそこへ駆けて行った。
 最後にリョウがトウマを引き上げると、土砂降りになる前に何とか、全員の避難は成功したようだった。その後は皆洞窟の中で時を待つのみだ。どれ程待てば雨が止むかは知れないけれど。
 その時、崖の上に立ったトウマは、眼下に広がる景色を見て足を止めていた。低木の広がる山麓を離れた向こうに、六日前出発した彼等の群が見えた。群の上も、その側の川も、彼等の世界は全て分厚い暗雲に覆われている。これから大雨が降り出すことは当然、群の人々も判っているだろう。
 ただ…
「どうしたんだ!?」
 洞窟に入ろうとしたリョウが、何故か止まって雨に打たれている彼を呼んだ。雨足は確実に強くなり、何処からか強い風も吹き始めた。トウマの言った通り嵐になりそうな状況で、何をしているのかとリョウとシュウは顔を見合わせ、けれど知識の深いトウマの意見を聞きに、ふたりは再び雨の中へ飛び出して行った。恐らく彼は何かを見付けたに違いないと。
 そのふたりが傍に来るのを感じると、トウマは群の上空を見詰めたまま呟いた。
「様子がおかしい…」
 彼が見ていたのは、まるで夜のように暗く閉じて行く群の空、だったのだが…
「きゃあ!」
 突然目の眩むような稲妻が走り、誰の視界も一瞬真っ白に飛んでいた。洞窟からシンの奇声が聞こえた、と思いきやそれだけでなく、
「わっ!!!」
 群の異様な様子を、リョウとシュウが落ち着いて見る前に、三人は突風に煽られ体勢を崩した。崖の上は雨の影響は受け難いが、強風に晒される面では危険な場所である。まだ体の軽いそれぞれの身に、俄に吹き飛ばされる恐怖も生まれて来る。
「ど、洞窟に入った方がいい…」
 思わず膝を着いたリョウは言ったが、完全に横に倒されたトウマが、まだ何かを気にして崖の縁へ行こうとしていた。そのあまりに危ない様子に、シュウも遠吠えのように叫んでいた。
「おーいっ!?、どうしたんだトウマー!」
 しかし彼の目には、既に信じ難い光景が捉えられていた。
「…そんな…馬鹿な」
 その一言を耳にすると、行かざるを得ないと覚ったふたりも、恐る恐るトウマの傍へと寄って行った。なるべく姿勢を低くし、一帯の景色を見下ろせる場所まで来ると、先にその異変を見たリョウが声を荒げた。
「なっ!、群に火が…!!」
「何だって!?」
 シュウもまたすぐ目を見開くと、その通りの様子に唖然とした。
 山には激しい光が駆け抜けたが、群にはその光が落ちたのだろうか。石や岩ばかりのこの世界は、多少の事では大火事になることはない。それ相当の衝撃を受けなければ、群中に蓄えられた食料や燃料が、一斉に燃え出すことはあり得ないのだ。
 けれど群は煙を上げて燃えている。降り出した雨などものともせず、遠目でも赤々と炎が上がっているのが判る。
「・・・・・・・・」
 山の洞窟の宝物を群に持ち帰る。との天からのお告げを守る為、最大の努力をして来たつもりだったが、何故こんな結果となったのだろう?。自分らは何か間違いを冒しただろうか…?
 するとシュウが身を反転させたのを見て、
「何処に行くつもりだ!」
「何処って決まってんだろ!!」
 リョウは最早鬼の形相で止めにかかっていた。シュウは絶対に群へ行こうとすると、誰にも明白な様子だったからだ。トウマもまた落ち着いていながら、語調を強めシュウに言い聞かせた。
「行ってどうするつもりなんだ!、俺達に何ができる?」
 勿論、子供ひとりの力など高が知れているし、ここから群までは半日以上の距離がある。トウマの言う通りなのだが、じっとして居られないシュウの心情も、誰もが理解できるところだった。彼等が戻るべき群が無くなってしまえば、後はどうすれば良いのか見えなくもなる。けれどリョウは、火事に焼かれたからと言って、全てが消滅する訳じゃないと必死に訴えた。
「みんな逃げ出して来るだろ!、逆に突っ込んでってどうするんだよ!」
「何もしないで見てろって言うのかよ!!」
 どうにもできない感情をぶつけ合う、そんな揉み合いになっている内に、
「うわっ!!」
 今度は突風に体を浮かされた上、頭から水を被るような激しい雨となった。後ろにひっくり返ったシュウもさすがに、これでは山を下りること自体難しいと、悔しくも理解せざるを得なかった。
「そんなこと、言ってられそうもないぞ!」
 地に這い蹲りながらトウマが、雨の音に負けぬ声を聞かせて後退して行く。変化に始めに気付いた彼も、もう群を見守ることを諦めたと覚り、リョウは集団を守ることだけに集中した。
「とにかく洞窟に入るんだ!、シュウ!」
 今は肌に痛い程の雨が降るこの世界。本来は乾燥の激しい大地を、知恵と意思とで豊かに潤わせていた世界だ。群を拓いた偉大な巫女は無事だろうか、群の人々が苦痛に喘いでいないだろうか。嘗ての平和を思えば、繰り返し群の人々の笑顔が頭に浮かび来る。当たり前に存在した日常が失われぬよう、微力でも働きたいと願う意識は消えない。
 けれど、そんな後ろ髪を引かれる気持は共通である。その上で自ら命を落とせば、結局自身の存在する世界は失われてしまう。それでは今感じている群への思い、これまで歩き続けた使役への努力も、全く甲斐の無いものとなってしまう。果たしてそれで良いのだろうか?
 それで良いと群の人々は、ウィ様は言ってくれるだろうか?
 天からのお告げは絶対である。ならば全てを天に任せ祈るしかない。シュウは最後に漸くそう呑み込むと、肩を落としながらも洞窟へ引き返した。ずぶ濡れで沈んでいるシュウを迎えると、年少のふたりは稚拙な動作ながら、彼女の髪や体を拭い労っていた。
 間も無く言葉通りの嵐がこの世界に訪れていた。



 誰が想像できただろうか。或いは群の巫女は知っていたのだろうか。
 嵐はそれから七日続き、辺りは海のように水に満たされた。
 漸く雨の止んだ七日目、しかしとても山の外には出られぬ様子だった。
 五人は世界から水が引くまで、更に七日山で過ごすこととなった。



 七日目、嵐の日からは十四日が経過すると、漸く山も大地もほぼ乾き、子供達が下山できる状態となっていた。
 しかし誰も皆、山を下りることにあまり乗り気ではなかった。何故なら彼等の世界は、何もかも風雨に流され一変してしまった。元より短い草と石ころばかりの土地だが、嵐の前には確認できた群や、人々が植樹した低木など、記憶にある景色は一切消え失せていた。
 代わりに、恐らく群のあった場所だろうが、幾本も丸太を組み、更に長くした竿のような物が立っている。雨が降り出してからは視界が悪く、そんな物がいつ建てられたのか判らない。無論何の為かも知らないが、五人は取り敢えずその、見覚えの無い印を目指して行くことにした。
 彼等の足取りは酷く重かった。心情的な理由ばかりでなく、湿気を多く含んだ地面は実際歩き難かった。表面は乾いているものの、踏み込むと沼のように沈む場所が、まだそこかしこに点在している。五人はあまり話もしなくなっていたが、それぞれの安全には注意を払いながら山を下り、麓からも静かな行進を続けていた。嘗て群の在った場所に、誰かが残っているとも何とも考えられぬままだった。
 否、考える前に絶望していた。
 何もかも雨の洪水に流され、人どころか恐らく家さえ残って居ないだろう。
 それでも子供達の拠り所は群しか無かった。まだ育て親に庇護される年の彼等に、そこへ行く以外の何ができただろう。まずその小さな目で、世界の現実を見ないことには何も始まらなかった。以前の名残りがあるなら名残りを確かめに。皆消えてしまったなら消えた事実を得る為に。

 ところがそこには、想像を絶する物がひとつだけ残されていた。

 群の存在した場所に、もう僅かで辿り着く頃になると、丸太を組んだ竿の様子はより鮮明に見えて来た。嵐を見越してのことか、大岩を埋め込み足場を頑丈に固定した竿は、恐らく誰かの思惑通り、洪水に堪えてそのまま残されていた。
 竿の先には何かが括り付けてあるようだ。またそれを石槍で斜めに刺しているのも判る。過去に幾度か似たような絵を見たトウマは、それが生贄であることにいち早く気付く。群では過去から貴重な家畜である牛を捧げ、天に何かを祈願することがしばしばあった。つまりそれは群の人々の祈願の跡ではないか、と思った。
 ただ、僅かな痕跡で群と判る所へ来ても、祈願が成就した様子は何も無い。天然の岩を削り出した家屋は、皆その足元が少しばかり残る程度で、炎に焼かれた煤が黒く染み付いていた。石を組んだ家は跡形も無くなっていた。飼われていた家畜も人々も、命ある存在の気配は全く感じられない。五人の家族も、女達も小さな子供達も、群を守る巫女の姿も全て消え去っていた。
「・・・・・・・・」
 リョウはその惨状を暫し眺めると、がくりと膝を着いてしまった。
「何も無くなったな…」
 トウマは群より手前で既に足を止め、恨めしくも変わらぬ夕陽の染める、僅かな陰影をぼうっと眺めていた。
「…おい…」
 シュウもまた呆然と立ち尽くしていたが、焦燥した様子で何かを探し歩くシンと、青褪めながらもそれに着いて歩くセイジを気にしている。
 もし、本当に群と人々が消えてしまったなら、これからは五人のみで生きて行かねばならない。たった五人なのだから、もう誰ひとり欠くことはできないとシュウは思う。既に疲れ切った足で、崩された岩の残骸を歩き回るシンは、どうにも危なっかしい様子に見えた。大人しくしていろと、声を張り上げる気にもならなかったので、シュウは黙って小さなふたりの後を着いて歩いた。
 やがてシンは、例の丸太の竿の前に辿り着いた。
 それは不思議なことに、雷による火災にも堪え、表面は炭に覆われていても確と立っている。その先に括られた何らかの物も、黒焦げになり原型を留めていなかったが、そこまで水は届かずに済んだのか、乾いた灰が風にホロホロと舞っていた。
 その周囲は白い灰が常に漂っている。それを、始めに妙と感じたのはセイジだった。牛を捧げたなら、そのような白い灰が飛ぶことはない。牛の皮膚は大概硬く焼けるものだ。羊ならその毛が灰になることもあるが、大事な時の捧げ物に羊を選ぶことはない。どういう事だろうと、セイジはまともに考えられぬ頭で、その違和感を必死に解こうとしていたのだが…
 その時シンが、焼け残った丸太に縋り着いて泣き出した。
「ウィ様!、ウィ様…!」
 その黒焦げの物体が、何故群の巫女だと判ったのだろうか。
 恐らく生贄の家畜だと、セイジはよく観察しようとしなかったが、そこでシンの見上げる竿の先を改めて凝視した。するとその亡骸の上に何かが光っている。それはいつも、巫女の首に掛けられていた首飾りの、編み込まれたアダムルの輝きだったのだ。
 俄に、その事実を目に捉えると、セイジもまた愕然として喉を詰まらせる。またシンの様子から事態を知ったシュウも、丸太の手前で力無く座り込むと、
「…何なんだこれ…。何で俺ら山になんか行ってたんだよ…!」
 驚きと怒りに任せ、幾度も拳で地面を叩き付けた。その黒焦げの亡骸には、遠目で見たままに石槍が突き刺さっている。何らかの決定により、子供達の母となってくれる筈だった、群の巫女を誰かが刺したのだろう。例え喜んでそうした訳でなくとも、それは彼等には堪え難い結末だった。
 群に災いが起こると、恐らく群の巫女は知っていたのだろう。
 群の人々はいつそれを知らされたのか。何故自分達には教えてくれなかったのか。
 もしそれを躱す為に旅を命じられたなら、間に合わなかった自分達が悪いのだろうか。
 シンの泣き声を耳に、寄り集まって来たリョウとトウマも、残された遺物の正体をを知ると、シュウ同様に混沌とした成り行きを悩んだ。
 世界には、何故と問えども判らない事が多過ぎる。

 すると、ぼんやり竿の先を眺めていたリョウが、
「あ…!」
 と声を出した。その、群の巫女の身に着けたアダムルが、突然自ら光り出したようだった。否、事実その光は光量を増す一方で、気付いたセイジも、泣いているシンの肩を掴み目を開かせた。
「キラキラだよ、シン」
 そのシンが瞼を開ける頃には、浜辺の色とシュウの例えた薄青い光が、炭の柱を中心に辺り一帯を照らしていた。夕刻近くの赤らんだ空は、その色が重なり奇妙な紫に見える。まるで皆水の中に居るようだった。そんな異様な感覚を覚えた五人は、無論これが何らかの結果だと知っただろう。
 そして焼け焦げた亡骸から、ゆるりと透明な何かが流れ落ちて来る。粘り気のある液体のようなそれは、ゆっくりと落ちながら徐々に形を成し、やがて五人の見覚えのある姿となっていた。枯葉色の蛹から美しい蝶が孵化するように、群の巫女は彼等の前で再生した。地面よりやや浮いた状態で止まっている巫女は、正に蝶のようだと誰もが思った。
 三百年に渡り群を守り続けた巫女は、しかしこの惨事を見ても微笑んでいる。それはほんの少し子供達に安堵を与えたが、結局何もかも判らないとリョウは話し掛けた。
「ウィ様…!、教えて下さい、何があったんですか?」
 果たして、透ける体となった薄い存在の巫女に、声が届くのかどうかトウマは疑問に感じたが、問い掛けには単なる声以上の声で、各々の心に直接応えてくれた。
『この群は天の怒りに触れたので、全て滅ぼされたのです』
「…怒りとは何ですか…?」
 誰ともなく更に尋ねると、それは意外な、否、目にしていながら見過ごしていた、ある事実が理由だと巫女は伝えた。
『誰かが誰かを殺したからです。怒りや憎しみを一族の中に向ける者は、存在してはいけないのです』
 それが何の事か、年少のふたりは知らなかったが、リョウにはひとつ思い付ける映像があった。群の外にいつからか死体が転がっていた。同じ群に暮らすアラゴ老だと言う。群の巫女はそこへ毎日通い、朽ちて行く骸を前に天のお告げを待っていた。
 そう、確かに父はそう言った。巫女は死んだアラゴ老を弔っていたのではない。だとすれば、凶事の起きた群はこの先どうすれば良いか、天に、世界に尋ねていたに違い無い。そして齎された答はこうだった。
『ですから私は祈りました。人はまだ本当の世界を知らぬ、未熟な存在なのです。正しく世界を見られる種となるには、幾重にも長く命を繋がなくてはなりません。長い時をかけ知恵を蓄えねばなりません。その為に巫女である私の命を捧げ、群の幾人かは生き延びられるようにしました』
 話を聞くとリョウは思った。群の外に放置されたままの死体を、父はどう考えていたのだろう。大人達は誰もが子供には親身になってくれるが、大人同士の諍いは度々見られる事だった。決してひとりひとりが悪い人間とは思えない。けれど個々は純粋であっても、意見を違える場面はどうしても起こるものだ。丁度山に入った頃の自分とシュウのように。
 何故、最後まで大人達は解り合えなかったのだろう。
 気付かなかった群の人々の愚かさを知り、リョウの気持は悲しみに打ち拉がれる。私達はまだ何も知らず、間違いを繰り返すばかりの未熟な種であり、そんなものとして生き続けなくてはならないのかと。またその意味を自発的に理解したトウマが、
「俺達は正しく世界を見る為に逃がされた。のですね」
 と巫女に話し掛けると、頭の良い彼にはこう助言を与えてくれた。
『あなた方は選ばれた私の子供達。世界は広く遠く続きますが、あなた方が進む限り希望は失われません。その川を辿って進みなさい』
 その川とは、群の西側に新たに現れたものだった。洪水で以前の地形が変化し、嘗て存在した物の大半は消え失せたが、代わりにまだ名も無い大河がそこに横たわっていた。今はまだ流れも早く、水量も多い為、あまり近付くのは危険かも知れない。しかし季節がふたつも過ぎる頃には落ち着くだろう。本来は滅多に雨の降らない、温暖で乾燥した土地なので、暮らして行く為に必要不可欠な川となるだろう。
 五人はその傍に新たな群を拓くだろう。そこからもう一度やり直す為に。

 群の巫女は、未だ泣きべそをかいているシンに近付いて言った。
『泣いてばかりいてはいけません、私はいつもあなたの傍に居ます』
 そしてその横に、言われた通り着いているセイジにも言った。
『あなたもいつか立派な大人になります、何事も焦ってはいせません』
 また、山を歩く内に子供達が決めたことを、リョウには自然な流れだと巫女は諭した。
『これよりあなたは一族の長です、常に最善を考え、常に前を向いていなさい』
 そうリョウを推した本人であるシュウには、そのまま素直に考えるよう伝えた。
『あなたは強い娘です、弱き者にいつも気を配りなさい』
 最後に、巫女はトウマの傍に来て、他の子供は知らぬ彼の悩みも含め、人がこの先目指すべき場所を示した。
『あなたは始めから迷える身ですが、応変であればこそ人は知恵を得るものです。その時々に働きなさい』
 すると、全てを知っていると判る偉大な巫女に、トウマは納得し穏やかに応えた。
「はい…、俺はいつも考えます」
 それぞれの命に、それぞれの希望となる言葉を残すと、巫女は彼等から身を引いて祈り始めた。
『あめつちに人の人たらん分別が生まれるように。いつか人が完全な命となれるように…』
 祈りながら、巫女の透き通る体は地表から少しずつ離れて行く。天の声を聞く者は天に還るのだろうか。行ってしまうと決定的に感じられた時、
「ウィ様!、ウィ様ーーー!」
 シンは空に手を伸ばし、触れようにも触れられない母をいつまでも呼んだ。傍に居るとは言ったが、肉体を失った人からはもう、手の温もりや優しい眼差しを感じることはない。まだ身の回りの世話さえ必要な、幼いシンにはあまりにも辛いことだろう。その悲痛な様子を見ると、他の四人は自ずと手を差し伸べようとしたけれど。

 ただ、感情のまま涙を流しながらも、シンには判っていたことがある。山の夜の月を見て、群の巫女の姿を思い出したように、直接は何もしてくれない愛情もあるのだと。
 水のような光は巫女と共に天高く昇り、星の一点と化すと、その内目に捉えられぬ遠くへ消えてしまった。もうすぐ地平線に燃え盛る火の玉が落ちる。いつの間にか朱に染められた空に、競うような薄暗い空が迫って来ると、そこにはいつも優しい月が昇って来る。
 天の法則は私達の法則でもある。
 私達は群の巫女が伝えた、天の繰り出す愛を知る一族である。
 そう言葉としてはまだ考えられなかったが、シンはその夜も月を見ると、穏やかに安心して眠ることができた。それはこの世界の形を、誰よりよく理解しているとも言えることだった。悲しみは深くとも悲しみで死ぬことはない。愛は望む通り与えられるとは限らない。それでも天の巡るまま、それぞれの命は愛され守られているのだと。



 嘗ての群の跡で一夜を過ごした五人は、翌朝、まるで山へと出発した日のように、まだ紫掛かる明け方からその地を離れた。
 彼等の意識は、未だ湿った土から湧く蒸気に紛れ、ぼんやりと霞んだままでいるが、今は無心で前へと進まなければ、望む物も望まれる物も得られないと、誰もが目的だけは鮮明に歩き出していた。失った物が戻って来ることは無い。食べた羊が生き返ることは無いのと同じだ。ならば新たに見い出すしかない。これまで彼等が見ていた、一見平和な群より更に、天の法則に適う平和な生活を得る為に。
 彼等の向かう先は無論、群の巫女が示した新たな川の傍である。否、群も巫女ももうこの地に存在しないので、これからは天の巫女と呼ぶべきだろうか。そんなことを考える内に、大河の支流のひとつが五人の視界に現れて来た。それは未だ激しい濁流であり、流域の乾いた土もろとも海へと運んでいた。辺り一帯には薙ぎ倒された木や岩などが、その力を見せ付けるように散乱していた。
「こんな川ができるなんて…」
 その荒々しさに思わずリョウが呟くと、シュウも半ば呆れたように返した。
「とんでもねぇ景色になっちまったなぁ…」
 周囲の乾燥した土地に対し、不釣合いなほど豊かな水が今は溢れている。それをどう捉えるか、どう関わって行くかは人の選択次第である。彼等は何らかの新たな価値観を、その大河の流れに見付けなくてはならなかった。まず、川とは刻々と姿を変えて行くものだと。
 そして多くの恵みも運ばれて来る。散らばる大量の倒木は道具に使える。岩や石はまた住居の材料にできる筈だ。もう少し落ち着けば魚も捕れるようになるだろう。と、辺りを見回したその時、
「待て!、何か居る!」
 トウマが、重なる倒木の下で何かが動くの見た。そのすぐ傍に居たリョウが慌てて退くと、
「え…、うわわっ!!」
 濡れた木々を押し退けるように現れたのは、最も警戒しなければならぬ肉食獣だった。見るなりシュウが大声で叫んだ。
「虎だ!!、早く逃げろ!!」
 ところが、シュウの騒ぎようとは裏腹に、その白い虎は瓦礫に囲まれたまま、大人しく子供達を眺めるばかりだった。その不思議な穏やかさをを知ると、
「お、おいよせよリョウ!、食い殺されちまうぞ!」
 自ら近付いて行ったリョウに、シュウは冷や汗を流しながら呼び掛ける。しかしリョウもまた落ち着いてその前に膝を着き、何故だか心の通じるような、その眼をじっと見詰めてこう言った。
「いや…、…すごく静かな目をしてるんだ」
 すると、シュウほど飛び上がらなかったトウマも、
「そうだな、アダムルのような目をしている」
 と、彼等にはやや親近感を覚える単語を口にした。私達の起源を伝える群の宝物。それは通じ合う仲間の割り符のようにも感じられ、また豊かな水に潤う未来を暗示するようでもあった。後にはそのような、落ち着いて暮らせる幸福が流れて来るのかも知れない。
 すると、意外に怖がらないシンが、
「ウィ様かな?」
 酷く大人しい虎を眺めて言った。セイジは答えなかったが、何故だかシンが嬉しそうにそう言うのを見ると、彼の気分もつられて救われるようだった。
 成程、そうかも知れないとリョウは思う。
 群の巫女本人ではなくとも、こんな時に天に巡り会わされた命なのだ。
「行こうか…」
 リョウがそう言って川下へと歩き出すと、言葉が判るとも思えないが、白い虎は彼を慕うように着いて来た。そして皆その川に沿って歩き始めた。



 天は巡り続け、川は流れ続ける。
 何れ、五人は十人になり、十人は百人となり、百人は千にも万にも増えて行く。選ばれた五人は巫女の教えを旨に、示された大河の傍で充分な一生を過ごした。乾燥した貧しいその地は、川の出現から豊かな土地へと変貌し、彼等はそこに確実な生活を築いて行った。
 更に後、人と言う種の世代は代わり続け、何十万もの子孫が川沿いに満ちて行った。その頃には、群の巫女の伝説など曖昧なものとなり、その名を語れる者は誰も居なくなっていた。それでも人は世界に増々蔓延る程に、愛され続けているのだから、五人の子供達の努力は報われたと言えるのだろう。



 また、遠く遥々と伝えられた東方の地では、その人は『天つ神』と呼ばれるようになった。









コメント)何とか書き切った…。どうしても今年ここまで書かなくてはと、疲労を溜めつつ少し無理したけど、夢シリーズ四作が終わって本当にホッとしてます!。これでやっと先に進める…。

あ、さて、ここで予告していた種明かしを。
まず「何故伸と秀が女なのか?」の件だけど、この話で大体判ったと思う。まだ人の少ない時代、地域の話だから、五人から人数を増やすには、誰かを女にしないとどうしようもないのw。でも急にこの話だけだと不自然なので、遡るごとに本質に戻るとして、エジプトでも既に女になってるんですわ。
「解放シリーズ」にある「既成事実」で、伸が「子供なんていっぱいいるし」と言ったのは、これらの夢のせいなんですが、やっとそこに繋げられて一入の思いです(^ ^)
で、どうしてこのふたりなのかは、このサイトの「キャラ紹介」にもあるけど、占星術上の性格として、女性型に分類されるふたりを、そのまま女にしただけです。宇宙的活動を柱にした話でもあるし、ええそう、ここからメソポタミアに続くつもりで書きました。
それとこの話の年齢差も同じ理由。12星座の並び順は春夏秋冬、つまり人生の年令に対応してまして、10月生まれの当麻で40才くらい、秀が30代後半、遼が30代前半くらいの気質と言える。で、6月生まれの征士が20代前半の若い気質なのは、すごくわかりやすいけど、問題は伸で、実は魚座の人は「既に死んでいる、或いは産まれる前の魂」だと言うんです(^ ^;
それをこの話で最年長にしたら…、正直集団が纏まりそうにないので(苦笑)、一応主役なのに足を引っ張る子供にしました。まあそんな特殊な視点の夢なのは何故か、と言う点は後の話に書きます。

そう、まだ完全に説明されてない部分があるんですよ。読んでて「ん?」となった筈だけど、「当麻の悩みって何なの?」とか。
まあこの四作は、五人の個々のテーマみたいなものなんだけど、詳細は次の話である程度はっきりするので、どうか来年までお待ち下さいm(_ _)m。乗りを忘れない内に一月から書き始めるつもりなので!



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