天のお告げ
あめつちに水の
溢るる如く
#1
Love's only guide



 名も無き土地の名も無き国の、私達は弱く石ころ程の価値も無く
 間違いを繰り返すばかりのヒトであったことを
 終古なるあめつちのみが今も記憶している



 群(むら)のすぐ外にいつからか死体が転がっていた。
 それは同じ群に暮らすアラゴ老だと言う。

 死体が現れてからこの四日間、群の巫女がその前で毎日何かをしていた。巫女はこの群を導く天のお告げを聞く存在だが、死を悼む祈りを捧げていたとしても、死体は日に日に朽ちて行き、何れ虫や獣の餌となりそうな様子だった。
 海辺を歩く親子が、それを遠目に見ながら過ぎて行こうとしていた。
「…あれは何をしてるんだ?」
 息子のリョウが尋ねると、獲物の魚と銛を抱えた父はこう話した。
「ああして世界の声を聞いているんだ。私達にも動物にも声があるように、草にも海にも星にも、私達には聞こえない声があるんだよ。巫女と呼ばれる人はそれを聞くことができる。そして私達がどう生きればいいか教えてくれる」
「ふぅん…」
 まだ幼い彼には、言葉として理解することはできないけれど、聞くまでもなく感覚的に解る部分もあった。空と大地、水や草花、身の周りの全てのものが私達を生かしてくれている。全てのものに命が宿っている。だから私達はそれを食べ、或いは使うことで、その命を己の命に加えることができる。
 世界は私達の命であり、命の為に私達は世界を敬う。私達と世界は大きなひとつの命である、と言う世界観を人々は皆共有していた。

 人々と言えどほんの数百人の集落だが、この辺りでは最大の集団だった。否、彼等の他の人間を見ることは殆ど無く、ここはほぼ彼等だけの世界と言える。

 群から海へと向かう小さな川があり、川はその先の切り立った山から流れて来る。この土地には滅多に雨は降らないが、山の上には雨が降るのだろうか。或いは巨大な水瓶となる泉があるのだろうか。群の人々は誰もその真実を知らないけれど、ここは飲み水に困らず、海の恵みも手に入れることができ、年中温暖で住み良い土地であるとは知っている。
 故にひとつの国らしき集団が住み着き、石を重ねたり岩を削った住処を持ち、円形に石を配置した集会の場などを造っていた。大人達はその日も集会の場に集っては、食料の収穫や巫女の言葉について、思い思いに話し合っていた。
 実はその日、群の大人達にはある重要なお告げが齎されていた。



 家々が影を伸ばす夕暮れの群は、奇妙な陰影による模様を成し、幻想的で不思議に満ちたこの世界を端的に見せてくれる。何故煌々と輝く火の玉のようなものが、日々天を巡っているのだろうか。何故草木は火の玉を目指し育つのだろうか。何故夜が来るのだろうか。そういうものだと先人に教えられれば、そういうものだと理解する他に無い。世界の理由など知らなくとも人は生きられる。
 ただひとり、恐らくその理由に触れることのできる群の巫女。その人は誰が名付けたか、「ウィ」と言う名で呼ばれていた。
 そのウィを中心に、五組の親子が集会の場に集まっていた。石の円の中心にそろそろ薪が灯される、その直前の頃だった。
「お揃いになりました」
 巫女の手伝いと身の回りの世話をする、カオスがそう話し呼び出した者達を促す。シュテンは息子の両肩に手を添え、少し前に出すようにして紹介した。
「私の息子リョウです、十一才になります」
 本人は滅多に対面することのない、群の巫女の前で些か緊張しているが、仲の良い顔が隣にあり、努めて動揺を見せないようにしていた。次にはその、リョウの親しい子供が紹介された。
「俺の姉の娘シュウです。この子らは従兄弟で、シュウはひとつ年上の十二才です」
 育ての親であるラジュラは娘と言ったが、その風貌は凡そ少女には見えない。リョウと大差ない野生児らしきシュウは、六年前に母親を亡くしていた。父親は始めから誰だかよく判らない。
 無論ここには医療と言える技術も無ければ、遺伝の理屈を知る学問も存在しない。戸籍や結婚のような制度も無い。拠って野生動物並の親子関係しか認識できず、父親が不明なことは特に変わった事情ではない。寧ろリョウのように、父親が明確な方が珍しいくらいだった。
 人はこの世界に於いて、とても弱くデリケートな生物である。野の獣は毎年のように多数の子供を産むが、人は基本的に一度にひとりだ。それを生かす為の努力も、その親が生きる為の努力も当然しているが、彼等にはまだ、何が命を奪う原因となるのか、そこまで詳細に掴めていない。理由なく死亡する人は毎年多数存在する。早くから親の無い子供も全く珍しくない。
 次にナスティと呼ばれる女が、彼女の世話する多数の子供の内のひとりを紹介した。
「私が育てているトウマです、縁者は既におりません。十三才になりました」
 彼は正に親の無い子供だった。母親は彼を産んだ際に亡くなり、その兄弟姉妹も存在しなかった為、始めから他人の手で育てられた。しかし前途の通り、特別変わった事情ではない為、彼の立場は憐れまれる対象でもない。却ってこのナスティと言う女は、子供の世話に長けた者である為、彼は彼なりに幸福に暮らして来ただろう。
 集められた子供の中では、体格はひょろっとして弱々しい印象だが、最も年長であるせいかとても落ち着いていた。またその横に、かなり身長の差のある少年が居り、幼いながら物静かで不思議な子供に見えた。
「俺の弟のセイジです、今九才です」
 弟と言っても腹違いの弟、と現代なら書くところだが、その区別は無い為、親代わりのアヌビスはそう言った。アヌビスは現在二十八才である為、彼の母親がかなり長生きだったのは間違いない。ただセイジが生まれた後に数年で死亡した。同時に、高齢出産であったせいか少年は、生まれて間もなく栄養不良で死にそうだった。何とか生き延びられたものの、お陰で同年の子供よりひと回り小さかった。
 そして最後に、紹介される子供の姿が巫女からは見えなかったが、
「妹の娘のシンです、六才です…」
 親代わりのナアザはそう言うと、自身の後ろに隠れている小さな娘を促し、
「ちゃんとウィ様にごあいさつしなさい」
 と、その子供を前に出そうとした。しかし少女は彼のギリム(腰巻き)の後ろから、ちらと顔を覗かせただけだった。引っ込み思案な子供ではない筈だが、何故だか前に出ようとしなかった。
 ナアザの妹は一昨年病で亡くなったばかりだ。彼には多少の薬草の知識と、外科的施術の経験があるが、現代から見れば言葉通り多少のものである。何処からか悪霊の飛ぶ如くやって来る奇病の、大半は治せぬものと基本的に考えている。解毒や消毒、栄養の補給をしても、甲斐なく死んでしまう者は仕方がない。そうしてシンの母親もこの世を去ってしまったけれど。
 この世界では、死は忌み嫌われる事ではない。個々の悲しみはあれど身近な概念である。何故なら私達は生きる為に羊を殺す。命は必要な者の為に消費されるのだと、群の巫女が常に説いていたからだ。
 人の命もまた、大地に必要とされ還元される時期が、誰にも必ず来るのだと。

 親子が全て自己紹介を終えると、
「ウィ様、何故私達をここにお集めになったのですか?」
 シュテンが一歩前に出てそう問い掛けた。集まる五人の養い親の内では、このシュテンと、トウマを育てるナスティが、巫女に関わる行事に参加する機会が多く、群の集会などの中心的なメンバーだった。つまり巫女に対する理解の深いふたりと言えるのだが、そんな彼等にしても、その日の話には酷く驚かされた。
「天よりのお告げです。この子供達はこれから、自らの力で旅をしなくてはなりません。それが私達に与えられたお言葉です」
「…え…!?」
 誰からともなく声が挙がった。否、子供達は黙って聞いていたけれど、最も小さな娘を連れて来たナアザは、さすがにこう言わざるを得なかった。
「まだみんな子供です、とても旅などには…」
 しかしそう口にしつつも、巫女のお告げは絶対であると誰もが知っている。思わぬ話に一度心は揺れたが、そこでシュテンが、
「しかし我々は、ウィ様が天より給わるお告げに従って来ました。それが私達の為になることだと、よく判っております」
 そのように続けて話すと、巫女の側に仕えるカオスが彼を称えた。
「シュテン、その通りです。この天が、地が、世界の全てがウィ様のお耳に囁く。私達を守護して下さる大事なお告げです」
 そして、改めてそう聞くと全ての者が、これは群の命運を左右する一大事なのだと、嫌でも感じ取ることができた。無論、何処かに旅するだけで良いなら、わざわざ年端も行かぬ子供を選ぶ必要はない。この世界が求める何らかの物が、集められた子供達に託されたのだと理解する。
 すると巫女は、座していた石から立ち上がり、集まる者達に旅先とその目的を話した。
「子供達よ、あなた方は協力して、あの山の洞窟にある珠を取って来るのです。そう、あなた方の足では洞窟まで三日はかかるでしょう。山には野の獣もいれば、他の群の賊に出会うかも知れません。けれどあなた方は行かねばならない。自らの力で歩かねばならない。私達みんなの為にです」
 話しながら山を指し示す手の先に、今正に地平線を溶かす夕陽が燃えていた。群の巫女は大変な長寿で、伝えられるところに拠ると、既に三百年近く群を守っているのだと言う。その神々しい白髪に陽が差すと、身に纏う白い衣と共に全てが金色に輝いて見えた。元より巫女のとび色の瞳は、光の具合から金色に見えることがある。今は尚それが象徴的な印象となっていた。
 輝く物には導く力が存在する。花が皆火の玉を向いて咲くように。星が巡り来る季節を知らせてくれるように。そして子供達は、近付いて来る輝く巫女の姿をじっと見詰めていた。
 群の巫女はまずトウマの前に止まり、ごく穏やかな声で話し掛けた。
「わかりましたか?」
「はい…。洞窟までの道は知っています、多分迷うことはありません」
 十三になる彼は、既に目上の人への言葉も弁えているようだ。とても頭の良い子だとナスティは常に話しており、群の巫女にも、他の誰にもそんな様子は頼もしく映った。次に隣の元気そうな少女に向け、
「言われた通りできますね?」
 と話し掛けると、シュウはぱっと笑顔を作って応えた。
「俺も、山にはしょっ中行くから大丈夫です!」
 怖いもの知らずで無鉄砲な所はあるが、体格も良く頑丈そうなシュウは、未知の旅の上では最も力になる存在だろう。そう育てた訳ではないのだが、良い遺伝を受けた子供だと誰もが見ていた。
 そしてその隣、リョウの前に来ると巫女は彼に真直ぐ向いて言った。
「頼みましたよ、必ずお告げの通りにするように」
「はい。…あ、あの、ウィ様、」
 すると、彼は子供ながら率直な疑問を口にした。
「珠とは何ですか?。宝物のことですか?」
「そうです。私達の宝物である貴重な石で、一目見ればすぐそれと判ります。旅の間はあなた方に預けますから、必ず全て持って来るように」
「はい、わかりました」
 そうして見たこともない物の概要を確認する、責任感の強そうな態度を、群の中心メンバーのシュテンの息子らしいと、大人達は感心して見ていた。そして群の巫女は次に、トウマの向こう側に居る大人しい少年の前に来て、膝を折り、目線の合う高さで話し掛ける。
「あなたはまだ小さいけれど、もっと小さい子がいます。ちゃんと面倒を見てあげなさい」
「…はい」
 静かではあるけれど、活舌ははっきりしており、また彼の目は確と相手を見ている。周囲の人々の注目や辺りの雑音に、気の散る子供ではないのがよく判る。アヌビスはその幼い弟の態度を見ると、すっと彼の頭を撫でた。
 最後に、未だナアザの後ろに隠れる娘には、巫女が自ら歩み寄り、その両手を取るとこう言った。
「今から私はあなた方の母となります。私達の心はいつもあなた方のそばに居ます。決して淋しいことはありません」
「・・・・・・・・」
 シンは何も応えなかったが、その時は怯えるような素振りは見せなかった。どころか自ら群の巫女の傍に寄り、その御身に凭れ掛かると、巫女はその肩を抱いてしばらくそうしていた。何も話さないがシンの意識は、巫女と呼ばれる人には確と判ったのだろう。子供達は全て母親が居ないが、前途のようにシンの親は比較的最近まで存命していた。まだその悲しみが癒えていないのだと。
 群の巫女が彼等の母になると話したので、シンは言葉通りの行動をした。それで巫女は子供達の持つ、無意識の情緒的欠落を覚り、まだ理想には程遠い人の世の情けなさをも覚る。果たしてこの大地に、世界の望む人の社会は完成するのだろうかと。
 それはとても遠く淡い展望だが、人として生まれた以上目指すべき道でもある。いつか、あめつちに人の人たらん分別が生まれるように。

 今はまだ、野の獣の群れと大差ない私達である。
 けれど人の心は獣のような純白ではない。
 天を巡る星、地に満ちる全ての物質、その摂理のまま命を費やすだけなら、単純に生きる以上のことを考える頭は要らない。
 私達は如何なる存在かを求め、久遠の旅を続けなくてはならぬ。それがヒトである。

 群の巫女はそうした考えのもと、子供達に未来を託し旅立たせた。



 北東に聳える山脈にその洞窟は在る。群の巫女が天のお告げを伝えると、五人の子供達はその二日後の朝、人々に見送られながら群を出て行った。散歩のようなものだと考えていたシュウが、目を見張ったその光景は、どの子供にも印象深いものとなった。
 何故なら巫女を中心に群の全ての人が、五人の旅立ちを見送りに集まっていたからだ。大人達、同じ年頃の子供達、それより小さな子供達。カオスが連れているカユラはまだ三才の娘だ。ナスティが抱えているジュンは、今年ひとつになったばかりの赤ん坊だ。そんな者までひとり残らず見送りに来た、意味を考えるとそうお気楽な事ではないと、五人は複雑な心境にもなった。
 ただ洞窟へ行き、宝物を取って来るだけではないのか?。その道程に何か試みを与えられると、想定された旅なのだろうか?。群の巫女は穏やかに微笑んでおり、希望的なその様子に嘘は無いだろうが、言葉にも映像にもできない、ぼんやりとした不安を携え五人は出掛けることとなる。

 紫掛かった朝日が白色に変わり、荒野を覆う空は徐々に澄み切って行く。その日は好天に恵まれ、山脈までは雲ひとつ見えぬ青空が広がっていた。
 空には何も無い、地には道と言える物も無い。あまりに空っぽな彼等の世界は、物質的に貧しくとも清々しい。そんな晴れやかな景色をどう感じていたか、五人はしばらく無言で歩き続けた。正確な時間の概念はまだ誰も持ち得ないが、明け方頻りに鳴いていた鳥達は、既に塒を離れ何処かへ飛んで行った。常に足元を着いて来る影が、少しずつ濃くなって行くのは子供にも判る。
 それが黒々と、体の真下に見えるようになった頃、五人は目指す山の麓に到着していた。
「ほーら!、もう裾野に入ったぜ!。楽勝楽勝〜!」
 群の誰かが目印に置いた岩を見付けると、先頭を歩いていたシュウが漸く振り返って言った。すぐ後に居たリョウもまた、
「山ったって頂上に登る訳じゃないし、洞窟までなら大したことないよな」
 特に疲れた様子も見せず、シュウの明るい様子に頷いた。
 その山脈は四千メートル級の山が連なり、彼等の世界の壁となっている。群の者はまだ誰もその頂を見たことはないが、壁の向こうには別の集団が暮らしているとは知っていた。大回りして海岸沿いを歩くと、山の向こうの世界と続いている為、ごく稀に見知らぬ人が現れることはあった。
 但し、この切り立った山に住む人間は居ない。何か不足があろうと頼れる者は誰も居ない。それをシュウは端的にこう表した。
「でも大丈夫かなぁ??」
「おまえ、自分で大丈夫だって言ったじゃないか」
「違ぇよ、これっぽっちしか食い物ねぇんだぜ?、充分獲物が捕れるか心配してるんだ」
 そう、彼等が持ち出せた荷物はそれぞれ、身の丈に合った袋ひとつのみだった。食料を長く保存する技術も無いので、口に入れる物は真水と、僅かな菜種の類以外は持たなかった。
「そうだな…、行って帰って六日かかるのに」
 と、今更荷物の少なさをリョウは不安に思う。大人が同行する場合は考えないことなのだ。すると、立ち止まっていたふたりに追い付いたトウマが、冷静にその状況を説明してくれた。
「荷物が重いと疲れるし、動きにくいと山は危険だからだろ。それに、帰りは持ち帰らなきゃならない物もあるんだ」
 聞けば、宝物は石だと巫女が伝えたことを思い出す。また、全て持って来ると言うからには、珠と呼ばれる宝物は複数あるのだろう。そう考えると肩に掛けた袋の他に、狩りの道具を持つ自分らが、天の声の通り目的を果たせるかも判らない。リョウはそう考え付くと、改めて気を引き締めるように顔を上げた。
 シュウもその話は理解できたようで、すぐに皆を安心させる方に転じていた。
「別に狩りは得意だからいーんだけどよ」
 その心配は主に、まだ到着していないふたりを思ってのことだ。小さなふたりはまだ満足に狩りができない。何故この旅に選ばれたのか知らないが、着いて来るだけでやっとだろうとシュウは踏んでいる。年長の子供はその分を補わなくてはならなかった。
「ウィ様は、天の声は何で俺達を山に行かせるんだろうな」
「知るかよ。でも宝物を持って来るのは、何か大事なことなんじゃねぇの?」
 リョウの根本的な疑問には、無論誰も答えられなかったが、シュウの解釈はひとつの正解でもあると、耳にしたふたりは些か感心する。単純で乱暴な考え方であれ、今は目的を完遂することだけ考えるべきかも知れない。彼、否、彼女の中では素朴にそう納得できているようで、雑な言葉の後にはすぐ、
「おっ!、イチジク発見!」
 幸先の良い声を挙げると、その木に登ろうと勢い良く駆け出していた。
「おい、シュウ!、…まったく、あれで女なんて…」
「豹みたいな奴だな」
 リョウの呆れ顔を見るとトウマは笑った。従兄弟である彼がよく知るシュウは、まあ常にこんな感じの娘なんだろうと想像に易い。けれど事実はその想像を更に越えていた。暫くして戻ったシュウは、幾つかの実を持ち帰ったのではない。沢山の実を付けた枝ごと担いで帰ったのだ。
「よくあんな枝をへし折れたもんだ…」
「だろ?、あいつおかしいよ…」
 ふたりがやや唖然として見ている中、本人は至って上機嫌に笑うばかりだった。
「これで一日以上凌げるだろ!!」
 シュウは食料を心配しているようだが、リョウとトウマには、シュウが居れば食料には困らなそうだと思えた。それは大変な安心材料だった。
 そんな事で時が経過する内、のろのろと着いて来た年下のふたりが漸く合流した。それを見るとシュウは勢いのまま、
「よしっ、行こうぜ!」
 と、殊に元気な掛け声と共に手を振り上げる。ひと働きした後だと言うのに、この逞しさは何なんだろうと思いつつ、リョウもトウマも、それぞれ状況を考えシュウに頷いた。
「うん、陽が暮れる前にできるだけ進もう」
「山は早く暗くなる、歩ける時はなるべく足を止めないようにしないとな」
 シュウの行動には驚いたが、決して目的から外れた事ではなかった。幸い誰かが酷い勝手をすることなく、五人は道を違えずに居られるようだった。現状を見てそれが一番の安心だとトウマは思う。リョウの話したように最低六日の全行程を、子供のみで乗り切るには、食料も大事だが何より協力が必要と考えていた。それだけ山の環境は厳しいと彼は知っていたからだ。

 しかし、トウマの感じた安心はほんの僅かの内に崩れ去る。
 荒野の平坦な景色とは違い、鬱蒼と茂る木々は見通しを悪くしている。木陰に湿った山独特の苔類は足にへばり着き、石や岩の上では滑り易くもなる。当然整備された山道など無いので、とにかく山の中は歩き難い。群の巫女はそれを見越して三日かかると言ったのだが…
「おい、待て」
 その時彼は一度振り返り、前を行くシュウとリョウに言った。
「後ろが着いて来ない」
 トウマは常に遅れて来るふたりを確認する為、リョウ達からある程度距離を空けて歩いていたが、その彼にも後方の存在が感じられなくなっていた。案の定、それはシュウの危惧する事でもあったので、
「何やってんだよ!、もう!」
 と憤慨して見せたが、それは元より難しいと判っていた条件だ。
「仕方ないだろ、あの一番小さい子は、こんな早さじゃ着いて来れないぞ」
 トウマが続けたことは、言わなくとも年長の三人の責任だと誰もが感じている。天のお告げは五人で行けと言うものだから、二人を何処かに残し、三人だけで洞窟へ行くのは理に適わぬことだ。もしその行動が天の怒りを買えば、群にどんな災いが齎されるとも知れない。とてもじゃないが、誰もそんな恐ろしい反抗はできなかった。
「しばらくここで待ってるか…」
 暫し考えるとリョウは言った。ところが、事態に最も憤慨している筈のシュウが、
「うんにゃ、戻った方がいい!。どっかで逸れてたらどうすんだよ!」
 意外に親身な意見をすると、誰の同意も得ずに来た道を引き返してしまった。それだけ余力があるのは結構だが、ひとつ問題が起こるとこちらでも、早速纏まりの無い状態が露呈していた。
「おい!、シュウ!、あーあもう…」
「思い立つとじっとしてられないんだな」
 志が真直ぐなのは良いと思うが、シュウの行動は今のところ集団を振り回している。それをリョウはトウマにこう話した。
「あいつはあれでいいけど、付き合ってると疲れるんだよ、いっつもこれだ」
 それは、彼ではシュウの行動を制御できない、との意味だろうとトウマは理解する。シュウの方がひとつ年上なので、少しばかり遠慮もあるのだろう。そしてそれなら、この中で最も年長の自分が、シュウを含め全体を調整するべきだと、己の立場を新たに確認もした。その上で彼が出した結論は、
「まあ今は戻った方がいいと思う」
 初めて突き当たる事件だけに、シュウの意見を取ることをリョウに勧めた。実はトウマはここまで、後方のふたりの姿はあまり見ていなかった。木の枝や岩が邪魔をし、離れた人間は見え難いので仕方がない。代わりに着いて来る足音を確認していたのだが、それが途絶えたことを前のふたりに伝えた訳だ。
 完全に逸れてしまったか、怪我で動けないなどの可能性がある。
 後々の困難を避ける為にも、一度戻るのが良いと話すトウマの意思は、取り敢えずリョウには伝わったようだった。彼が頷いたその時、シュウが指笛を鳴らし仲間に合図するのが聞こえ、もう随分先まで進んでいるのが耳で判る。結局ふたりも急いで来た道を戻ることになった。

 まだ生活力の無いふたりが、危険な山に取り残されたら一大事だ。もし大怪我など負っていたら、この先の道程をどうすればいいのだろう。ここまではそれ程危険な場所は通っていない筈だが、逸れて崖から転落でもしていたら、助け出すにも大変な労力が要るかも知れない。探す三人はそれぞれ危機感を持ちながら、視界の悪い山中に神経を張り巡らせていた。
 しかしなかなか探し人は見付からなかった。動く物の音が全くしない為、ふたりが何処に居るのか見当が付かなかった。呼んでも応答が無いと言うことは、万が一最悪の事態もあり得ると、先頭を行くシュウにも最早楽観はできなくなっていた。
 目的ばかり見ていた怠慢が死を招く。そんな結果は絶対に許されないだろう。
 ところがその頃、三人の必死な思いなど露にも知らぬ、年少のふたりは実に穏やかに過ごしていた。彼等は単に途中で足を止め、山の珍しい光景に談笑していただけなのだ。
「見て、キラキラ」
 シンはふたりの目の前に聳える、巨大な白色の岩に触れながらそう言った。そこは周囲を覆う物が無く、岩は陽の光を直に浴びていた。その岩肌の所々に、光を反射する何かが鏤められているようだった。ふたりは初めて見る天然の輝きに、何らかの神秘性を感じたようにうっとりしていた。
「…そうだな…」
 実はこの岩は所謂金鉱石であり、採掘する為に周囲を切り開いた場所だった。女児であるシンは無論、九才のセイジもまだ山の景色を殆ど知らない。初めて見る眺めに圧倒されるばかりだった。
 ただ、大事な物や偉い人の持ち物に、そう言えばこんな色の物を見たことがあると、ふたりは同時に気付いたようだった。
「捧げ物の鼎もキラキラだね。ウィ様の目の色みたい」
「じゃあ、これが宝物なのかな?」
 群の巫女のとび色の瞳は、彼等が金鉱に感じる神秘性を多くの人々に、一様に感じさせて来たのは間違いない。後の時代には単なる遺伝要素と知れるが、輝く物は何故だか皆このような色をしていると、今は誰もが単純に認識している。空を渡る火の玉も、夜闇を照らす月も、煮炊きをする焚火も皆そんな色だからだ。
 確かにセイジの考え通り、黄金は群の宝物のひとつである。但しそれは岩から取り出された粒であり、岩そのものではない。
「こんな大きな石を持って帰るの…?」
 セイジの答にシンが目を丸くすると、さすがにそれは無理だと思う、セイジは自ら言い出しながら黙ってしまった。まあ子供らしいやり取りだった。
 そこへ、来た道を辿って来たシュウが現れ、その長閑な様子を目にすると思わず怒鳴っいてた。
「何座り込んでんだよ!!、道草食ってんじゃねぇぞ!」
 誰にしてもこれでは、馬鹿を見た気分になるのは当然だ。これまでの苦労や罪の意識は何だったのかと思うだろう。しかしシュウの怒声にシンは怯んでも、セイジは穏やかにこう返すだけだった。
「疲れたって言うんだ」
 すると、セイジの態度のせいなのか、シュウは途端に怒りを引っ込め肩を落とす。そうだ、セイジは群の巫女に言われた通り、より小さい子供の面倒を見ているだけだ。そして疲れたことに怒っても仕方ないと思う。シュウはひとまずそう飲み込むと、最悪でも何でも無かった事に安堵するだけだった。
 ふたりが見付かったことで、先程までとは違う調子の指笛を吹き、他の二人をここへと誘導する。恐らく今後はシンの体力に気を付けていれば、事故は起こらなそうだとシュウは考えていた。
 けれどそれだけではまだ、この場での問題は終わらなかったのだ。リョウ達が近付いて来る足音の聞こえる中、シュウが小さい娘に、
「この程度で疲れたなんて言ってちゃ、洞窟まで辿り着けねぇぞ?」
 一応お告げに対する心構えを話したが、シンの返事は思わぬ言葉だった。
「もう歩きたくない…」
「そんなわがまま言うなよ?」
 まさかの思いで困っているシュウと、些か口を尖らせ嫌がるシンの、向かい合う所にリョウとトウマは到着し、彼等もまたシンの幼い言を聞くことになった。
「だって、洞窟なんて行きたくないもん!。何でウィ様はこんなこと言うの?」
 まだ六才のシンには、天のお告げとはどう言うものか、理解できていないのだと年長組は感じた。群の巫女がその身に受けるお告げは、群が存続する為の重要な助言である。そのお陰で群は三百年の時を重ねられたが、シンはまだその理屈を得ていなかった。
 さて、そんな幼い子供には、どう言えば納得してもらえるだろうか。トウマは考えながらこう話す。
「ウィ様は正しいことしか言わないからだよ。俺達がどうしたらいいか教えてくれる、天と地の全ての声を聞いて、俺達に伝えてくれるんだ」
 かなり噛み砕いた説明は、小さなふたりにも、真の意味はともかく理解できるものだった。けれどシンは受け入れたくないようなのだ。
「でも、怖いもん…」
 確かに子供は、初めて出会う物を怖がる傾向がある。勿論そうでなければ、この世界の生物として生き延びられない。危険に対し敏感で臆病な個体ほど、野の獣も生き延びる確率が高いと言う。恐らくシンはそんな子供なのだろうが、それに合わせ立ち止まっている訳にも行かない。
「怖くなんかねぇよ、俺らが住んでる家と大して変わんねぇよ」
「そうだよ、もっと奥が深いけど、松明を持ってれば大丈夫だ。そんなに怖がることないんだぞ」
 シュウとリョウが口々にそう言って、何とか懐柔しようと試みる。言葉では何を言おうと、伝わらない事があるのは仕方がない。結局それでシンの心が落ち着いたとは、あまり思えないのだが、ただ本人には、周囲の面々が困っているのは判ったようだ。
 已然気の進まない様子ではあるが、シンが頷いたのを見ると、
「行こうぜ、もう少しゆっくり歩くから、ちゃんと着いて来いよ?」
 もう充分休憩はできたと見て、シュウはそう促し歩き始めた。言葉通りこれまでよりは、大分ゆったりしたペースで再び山を登って行った。
 けれど、本当に洞窟が怖いのだろうか?。シュウの言うように、彼等の住む「家」と呼ばれるものは、自然の洞穴や石と粘土を組んだ穴蔵のようなものだ。山の洞窟と聞いて、そこまで印象の違う物ではなかった。セイジはそれを不思議に思い、
「何が怖いの?」
 歩き出しながらシンにそう問い掛ける。すると、その理由は彼女にも明確ではないようで、
「…わかんないけど、何か嫌」
 と曖昧に返した。聞く人によれば、単なる我侭に聞こえるかも知れない。しかしセイジはここまでのシンの様子から、どうもそうではないようだと感じ取っている。シンは何か、この先にある恐怖を嫌がっている気がする。何が起こるのかは本人にも判らない。
 ただ、それを解決するには、結果的にその恐怖を見なければならないだろう。天が定めた出来事は変えようのないことだと、セイジは暗に理解しており、
「ずっと着いてるから大丈夫だよ」
 変わらず不満そうに歩くシンの手を取ると、まだ遠い洞窟を臨む、折れてはいけない気持を彼女に伝えた。群の人々が生き延びる為に、必要な事を私達はしているに過ぎないのだと。

 山の道は必ず何処かに続いている筈だ。確かなことはそれが、巫女が受けた天の助言であることだ。天も地も私達の知らぬ全てを知っている。それに従い、険しい山道を歩き通した後には必ず、一族の未来が約束される筈だった。



つづく





コメント)はい、いつものように予定より少し長くなっております(苦笑)、伸の見た夢の話です。無理矢理今年中に書き切ろうとしたので、字の間違い等はどうか御容赦を。後から直します…
さて征士編の最後のコメントに、伸の夢は5000年くらい大跳躍すると書いたけど、実は6500年から7000年飛んでます。新石器時代の終わり頃のつもりです。
何故そうなったかと言えば、征士編から1000年前も2000年前も、やっぱりエジプトの話になるのね(^ ^;。4000年か5000年前にすると、メソポタミアの話を書くことになるけど、文献が乏しい時代なので、結局エジプト同様の王国や信仰の話になってしまう…。
メソポタミアのことは、征士編で随分触れてもいるし、同じ事の繰り返しになるので、もう大文明の無い時代まで遡るしかなかった、と言うことなんですわ。
結果的に全く書いたことのない、無史の時代を描くのは面白いな〜と思ってるけど、時代的にしばしばどぎつい記述が出て来てすみません(´`;



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