雪の宇宙
夢 狩
Searching for Dreams



 今年も雪が降って来た。
 一月、成人式が行われる前後の頃には、ほぼ恒例のように東京にも雪が降る。
「毎年一度は雪が降るねぇ」
 マンションの窓から、ビルの屋根が並ぶ町にはらはらと落ちて来る雪を見て、伸は酷くほっとするような心境を感じていた。
 最近のニュースでは、二酸化炭素の影響から世界の気候は変わりつつあると言う。いつかこの東京に、雪が降らなくなることもあるかも知れない。当たり前に感じていた気候のサイクルが、実は絶妙なバランスで保たれて来たことを知ると、そのバランスの中で育まれて来た、日本人の文化や独自性が脅かされていると、不安に感じるのは当然かも知れない。
 特に日本の歴史に名を残す、大名家を祖に持つ家系の人間だからこそ、変わり行く世界に思うことは様々にある筈だった。例えば忠臣蔵の討ち入りの、深々と雪の降る江戸の町の様子は、ただの記録と想像に変わってしまうと言うことだ。その土地土地の特徴が生み出した、日本の原風景的な感覚が失われてしまうのは、ある意味仕方がないとしても淋しいことだ。
 二〇〇〇年。二十世紀最後の年。そして二十一世紀が終わる頃には、日本はどんな姿になっているだろうと、伸は白く被われて行く景色を見詰めている。
 けれど、
「東京の雪は風情があるものだよな」
 伸の視線の先を見て答えた征士は、彼とは全く違うことを考えていたようだ。確かに、東北の一部や北海道のようなパウダースノーではない、湿った牡丹雪がゆらゆらと落ちて来る様は、春に桜の花弁が舞い散るような愉しさが感じられる。桜と言えばやはりそれも、彼等の心を形成する重要なモチーフであるから、征士の感想が決して的外れだった訳ではない。
 だが伸は、この時の征士の言葉を不思議に思った。日々同じ空間に暮らし、同じような情報を得ている筈の征士が、あまり危機感を感じていないのは何故だろうと。
「そう…?」
 と、ソファで新聞を読んでいた征士を振り向くと、伸は言葉の調子と同様に、何処か微妙な表情を見せていた。するとそこから彼の感情の動きを覚ったのか、征士は自身の、雪に関する知識を明瞭に話し始めた。
「毎日のように降る地域は、風情だ何だと言えないからな」
「そうかな?、一面白銀の景色って気持良いじゃない?。楽しいこともあるだろ?、スキーしたり、かまくら作ったり」
「子供はそうだが、大人は除雪作業が半端なくキツい」
 するとそこまでで、流石に伸にも、これは幼少時代の経験の差だと気付くに至る。考えてみれば自分の雪の記憶は、この東京で降る雪と大差ないものしかない。雪の多い地域に遊びに行くことはあれど、そこでの暮らしを体験したことは彼にはなかった。
 自分は雪と言う現象に、季節感と呼ばれる雅びな夢ばかり見ているようだ。けれど征士の感覚では、雪とは本来そう言うものではないと言う。だから東京の雪は風情があると言ったのだ、と、伸は目が覚めたように納得して続けた。
「ああ…、除雪作業って大変なんだよね。行政でもかなりお金がかかるって聞くし」
「豪雪地帯は特にな。住人も高齢化していたり」
 そう、一度納得すると、伸の頭にはあらゆるニュース映像が駆け巡る。公道までの道を空ける為に雪を掻いても、翌日またそこに雪が積もってしまう。屋根の雪下ろしも、定期的にしなければ家が潰れてしまう。そんな作業を毎日のように続けるのは、高齢者には酷い負担となっている。それが日本のひとつの風物詩とは言え、雪には苦労する面の方が多くあるのだと。
 そう言えば東京でも稀に大雪が降ると、交通機関が麻痺して騒ぎが起きることもある。スリップ事故や転んで怪我のニュースもしばしば耳にする。一度現実的に考えれば、それらの事は幾らでも思い付くのに、自分は何故雪を見ると真っ先に、幻想的な日本古来の風景を想像してしまうんだろう、と伸は今更ながら首を捻ることになった。
 彼の想像する風景とは即ち、真っ白な山村にポツンと建つ茅葺き屋根の民家、そこに音もなく雪は降っていて、笠と蓑を着てかんじきを履いた大人と、雪の中で犬とじゃれ合う子供が居る、と言うものだ。何やら民話風のイラストなどのイメージが、そのまま固定されているようだった。
 そこで伸は敢えてこんな話をした。
「うーん、昔話とかさ、例えば『笠地蔵』とか当たり前に雪が積もってる描写があるけど、それじゃ昔のお年寄りはどうしてたんだろう?」
 今、除雪作業は大変だと話したが、便利な道具や除雪車など存在しない時代は、雪対策をどうしていたのかふと気になった。ところが征士は、その答を意外な方向から導き出す。
「あれは…、そんな年寄りでもないのでは」
「え、そうだっけ?」
「絵本ではいかにも老人のような絵のこともあるが、あの話の頃の老人はせいぜい五十代だろう。今は老人と言うと七十代以上を言う感じだが」
 そこでまたしても、伸は己の認識の甘さに気付いた。と言うよりイメージに騙されていると思った。これも自分が本当の雪を知らないからかも知れない、とも思った。
「成程。人間五十年の時代だもんね」
「織田信長の言うところによると」
 昔と今とを比較すると、日本人の栄養状態はかなり悪かった。ふたりが例に挙げた戦国武将ですら、人の寿命は五十年と言ったのだから、一般的にそのくらいで老人と呼ばれる時代だろう。無論当時は髪を染めることも珍しく、老人はほぼ皆白髪だった。現在のその年代と重ならないのは致し方ない。
 そして漸く合点の行った伸は、そこで雪にまつわる未来の展望を話すが、
「確かに五十代と七十代じゃ体力が違うよねぇ。これからの日本は大変だ…」
 深々と降り積もる雪、それに押し潰されて行く高齢化社会。未来のヴィジョンは果てしなく暗いものに思えた。するとそれについて征士も、
「今年で二十世紀が終わる。戦後は日本だけでなく世界的に、二十一世紀の輝かしい発展を夢見ていたが、現状先進国は皆、少子高齢化に悩む時代になりそうだ。思うようにはならなぬものだな」
 と、新聞から顔を上げ真面目に話し出した。
「そーだねー、楽しく鉄腕アトムの夢でも見てられたら良かったのに」
「『2001年宇宙の旅』ですら、来年そんな事は起こりそうもない。科学的な進歩は予想したほど伸びなかったようだ」
 流石にアトムはフィクションだが、征士の話した映画の方はそれなりに、科学的考証に基づいて製作されたものだった。当時の人々は二十一世紀に入る頃には、人は宇宙船に乗って惑星探査に出るくらいになっていると、多少希望も含め考えていたに違いない。思うようにならなかった事の一例だった。
 ただ、何もかも進歩しなかった訳ではないと伸が言う。
「いやでも、DNAの解析とかは結構進んでるんじゃない?。ちょっと前にヒトゲノムが何とかってテレビ観たよね?」
「ああ…。生物的な方向には進んでいるか」
 言われて征士もぼんやりその内容を思い出す。遺伝情報を全て読み明かすプロジェクトが、各国で分担されそろそろ終了しそうだ、と言う話だった。無論SF小説などでは、遥か先を行く遺伝子操作の話が多数存在するが、取り敢えずその基礎を解明する所までは辿り着けた、充分な成果を挙げた分野と言えるだろう。科学と言えどもその種類は様々ある。
 けれども、人は普遍的に目に見えぬ世界より、圧倒的なスケールの物に憧れる傾向があるものだ。その意味では、インパクトのあるニュースが少なくなったのも事実。
「ただやっぱり宇宙開発なんて話になると、七十年代頃から大して変わってないって言えるよね。人が地球の引力に逆らって何かをするって、理論的には確立されててても、実行するのは大変なことなんだよね」
 と、伸が軽い溜息と共にそう言うと、征士も畳んだ新聞を投げ捨てながら返した。
「宇宙開発には膨大な金と資源が必要だからな」
 日本の高度経済成長時代は過ぎたが、九十年代に入ってからは世界的に、不安定な経済状態が続いて来た。その理由は原油価格の高騰などで、先進国の多くの活動が圧迫され続けたことにある。そんな中では宇宙開発などに、潤沢な予算を組むことはできない。数カ国の共同で、宇宙ステーションの建設だけは進んでいるが、本当なら国単位で持ちたかった施設だろう。
 何より宇宙開発が一番と言う国があり、そこに全て集中すれば可能な事はあった筈だが、そんな夢のような国は存在しなかった。伸は最もそれに近そうな、アメリカの状況を考えて話し続ける。
「スポンサーとかいないのかな?。例えばビルゲイツとか」
「ビルゲイツも、少しは宇宙開発にも投資しているようだが、確実に利益が出るものではないしな」
「あくまで経済を中心に考えてるってこと?」
「社会的にも、それなら貧困層に寄付する方が有益だと考える」
 コンピュータ時代を代表する大富豪は、流石にそんな所も計算していると征士は笑った。数百人のNASAの人間に感謝されるより、世界中の人間がパソコンを使ってくれた方が、自身にも人々の生活向上にも良い、と言うのは明白なことだ。けれどその理屈について伸は、
「今生きてる人の利益になるのが、一番いいってのはわかるよ。元々宇宙開発は軍事利用が目的だったし、冷戦時代までとは重要度が違うけどさ。それにしても、あまりにも夢が無くなっちゃった気がしない?」
 そう反発する気持を押さえられなかった。いつの間にか世界の人々の向く方向が、小さく身近なフィールドへと移ってしまった、時代の流れに失望感を感じてしまうのだ。勿論貧しい人々を救うことは大事だし、自分が安心して暮らせることも重要だが、何となく一時より世界が狭くなった気がしてならない。過去に持てていた筈の広い視野が、失われつつあるのをひしひしと感じている。
 このそこはかとない閉塞感、挫折感の漂う時代が当分続くと思うと悲しかった。
 けれど征士はその話を、暫し頭の中で整理した後、つまりそれがどう言う状況だったのかを、彼なりの分析から答えた。
「私達は、宇宙が夢だと言う幻想を持たされていただけかも知れない」
 それを聞くと伸はまたギョッとする。自分はまた騙されていたのかも知れないと。
「えー、プロパガンダだって言うの?。それは違うよ、宇宙は未開のフロンティアなのは確かだよ」
「そう言うことではなく、手に届きそうもないものを、如何にも手が届くように誇張していたのでは、と言う話だ」
 そこで伸は自ら話したことを思い出した。宇宙開発は軍事利用が目的だったと。そして最もその技術が進んだのは七十年代、アメリカとソ連の冷戦の真只中だった頃なのだ。
 つまり両国は軍事技術を競い合い、自国の成果を世界にアピールすることに必死だった。取り分け宇宙開発に関しては、研究者、技術者、SF小説家に至るまで、優れた人材を集めた大プロジェクトを組んでいた。自国の方が優れていると宣伝する為に、あらゆる手段を利用したに違いない。故に「こうなる予定」、「こうしたい希望」の類も多く発信されていたかも知れないと、今は冷静に考えることもできた。
 要は洗脳だ。特に日本はアメリカの影響の強い国、その宣伝に飲まれていた可能性は否めない。
「そう言えば、ガンダムに出て来るスペースコロニーって、NASAが七十年代に提案したものなんだけど、僕は子供向けの科学の本でNASAのものだと知って、そう言う技術は当然実現できると思ってたな」
 自らそんなエピソードを思い出し、伸がそう話すと、征士は現実との差を思いながら続けた。
「まあ遠い未来はわからないが、実際はそんな簡単に実現できる事ではなかったのだろう、当時の情報は」
「今考えると確かにね…。本当は物凄く困難で、長い時間と労力が必要なことなのに、もうそう言う時代が目の前まで来てる、みたいな風潮ではあったね」
「技術革新が進んでいた背景もあるだろうが」
「うん、平和な時代に入って、産業が伸びて行ったから技術は進んだけど…」
 七十年代から八十年代、宇宙開発バブルと言える時代は、東西の競り合いが背景にあったものの、世界には子供の万能感のような希望があったのだろう。ソ連が犬を乗せたロケットを成功されば、アメリカは猿を乗せたロケットを成功させる。ソ連が有人宇宙船に成功すれば、アメリカは月面着陸に成功する。ソ連が月面探査機の調査に成功すれば、アメリカはスペースシャトルの開発に成功する…。
 このまま一足飛びに技術が進んで行けば、このまま世界が豊かになって行けば、人は近い内に宇宙で暮らすこともできそうだ。古代から眺め憧れて来たあの星々に、地球人は到達することができそうだと、ニュースを聞く人々が安易に考えてしまうのも、無理からぬ流れの時代だった。
 正にその中で育った僕達。持たされた壮大な夢は決して悪意ではなかったけれど。ただ、只管前進を続けて来た時代の後の、現実との落差にがっかりする気持は、誰にどう受け止めてもらえるのだろうと伸は思う。誰がこの気持への責任を取ってくれるだろう?。
 そこで伸が言葉に詰まっているのを見て、征士はその言葉尻を取って返す。
「けど?」
 恐らくその続きに、伸が本当に言いたいことがあるのだろうと、征士は最早慣れた様子で会話を促した。伸はいつもそうして、己の中の混沌とした思考を話しながら纏めて行く。故に答に辿り着くまで話すべきだと征士は思っている。
 すると、催促された伸は多少不満そうな表情でこう言った。
「いや、それなら今の人は大した利益もなく宇宙開発をしてて、空しくならないのかなと。今使える物は人工衛星と無人探査機くらいでしょ。それももう随分前の発明だ。最近目新しい事はあんまり無いし、壁にぶち当たってる中で、宇宙開発って何なんだろうと考えちゃうじゃない」
 確かに予算を注ぎ込む割に利益は少ない、現在の宇宙開発は無駄なものにも思える。それならオゾンホールを埋める研究でもした方がいいのでは、と考えてしまう面もある。だが、
「当麻なら思いっ切り反論するだろうな」
 と征士が笑うと、その理由も解っていると伸は続けた。
「宇宙の生まれた謎を解くとか、近所の惑星を探査するのはわかるよ?。それは学問だから意味があるよ。でも人が地球を離れて外に出るには、宇宙の環境って過酷過ぎるだろ?。それを知ってて宇宙開発なんて、まともに実現できるとは思えないんだ」
 宇宙の温度は絶対零度、重力もゼロ、大気も存在せず、そして人間には有害な光線が降り注ぐ。それらの悪条件を克服する為には、機密性に優れ有害光線を防ぐ大仰なスーツと酸素ボンベ、移動する為の動力と命綱が必須である。またそれを持ってしても、特殊な訓練を受けた健常な者しか、今のところ宇宙へは出られない状況だ。
 今のところ、否、結局無重力の中で活動できる筋力のない、弱い立場の人や生物は、永遠に宇宙で暮らすことは不可能と言えるだろう。映画やマンガの中では、宇宙船の中を当たり前に歩くシーンが見られるが、船の中に重力を生み出す装置など、そもそも作れるかどうか非常に疑問なのだ。
 人間と言う生物が絶滅するまでに、そこまでの技術を果たして得られるだろうか?。重力なり引力なり、星ひとつの規模から生じる巨大な力を、操れるようになる未来はあるだろうか?。このちっぽけな地球人に、そこまで大きな事ができるとはあまり信じられない。信じることが命題の自分にも、信じ難い夢だと伸は悩んでいるようだった。
 純粋な夢であり、純粋な希望であるから悩むのかも知れない。そのことを征士が、
「人類の歴史は、困難に挑戦する歴史でもある」
 と、何処かで聞いたような言葉で返すと、伸はやはり少し怒ったように口を尖らせて見せる。
「あ、そんな風に達観しちゃうんだ?」
 けれど当然、征士は伸の思いを茶化すつもりはなかった。彼はそこで丁度思い付いた例え話を、至って真面目に語り始めた。
「話は違うが、今年は夏にオリンピックがあるだろう?」
「南半球初のオリンピック?。が何なの?」
「例えば陸上の百メートル走などは、黒人ランナーの独壇場だ。他の人種には適わない身体能力が、黒人に備わっていることは皆知っている。だが、それでも他の人種の選手が居ない訳じゃない。日本の陸上選手も、十秒の壁を破ろうと必死に努力している。何事もそう言うものではないのか?」
 競う意思すら無ければ希望も見えない。征士の話した陸上競技の例は解らなくない。目の前に目標があるからこそ努力するのは、スポーツ選手も宇宙技術者も同じだろう。しかし個人の能力が上がることと、宇宙開発が進むことは同じ進歩と括れるだろうか?。伸はそれについて言い募ろうとするが、
「個人の希望なら、適わないとわかっててもやる価値はあるだろうけど、」
「国家も様々な団体も、個人の集まりであることには変わりない。今はその中の有志が、細々と夢を繋いでいる状態なのだろう」
 征士がそう続けると、伸にもふとその言葉通りの光景が思い浮かび、思わず目を見開くこととなった。
「ああ…、そっか」
 時代は変わり、宇宙開発事業はそこまで注目されなくなった。どこの国も、団体も、昔のように資金や人材を注ぎ込むことはなくなった。今はたまに、ロケット打ち上げ等のニュースが取り上げられても、すぐに話題から消え去ってしまう程だ。だがそれでも。
 例え脚光を浴びなくなろうとも、重要な分野からは外されても、宇宙へ挑む気持を燃やし続ける人は存在する。遠い未来へ向け少しずつでも進もうとしている人は、確実に存在するのだ。それが今現在も宇宙開発が続いている証。
 そう見方を変えることができると、
「そうだね…、夢が無くなったと思うのは僕達大衆の話で、今も変わらない夢が生き続けてる人は居るよね」
 伸も現状の何故については、充分納得できた気がした。
「私達に取っては安易に持たされた夢だが、今自発的にそれを望む人間は、もっとシビアな宇宙への夢を持っているんじゃないか?。最低数百年は不可能と思えることを研究するんだ」
「シビアな夢か…」
 征士の言うように、現実的で困難な活動は、広く一般の人が熱狂するには地味なものかも知れない。最も近い余所の星、月に人間が到達した時には、誰もがセンセーショナルな事件だと認識したが、次に目指すべき火星や金星など、隣の惑星にはなかなか辿り着けないでいる。それらが思うより遥かに遠いことを知るばかりで、一時の熱狂が世界から消えた経過も仕方ない。
 だが一部の人々は確かに違う。月面着陸の時代からほんの数メートル、数センチ先へ進む為の努力を惜しまない。真剣に取組む人々にこそ、小さくとも強く揺るぎない歩みが見えるのだろう。お気楽に外側を眺めているだけの、自分達には見出せない確実な夢が。
 塵も積もれば山となる、と言うが、いつか宇宙開発の分野が本当に山となり、また再び世界の夢となってくれる未来を願う。
「まあ、日本は一応国からの予算が組まれてるし、何もしないより夢があるのかな」
 伸は、大衆のひとりである自分に望めることは、このまま母国が豊かで、一見無駄に思える夢を追って行ける状態でいられること、だと結論する。そして征士もその意見に穏やかに同意した。
「そう言う国に暮らす私達は恵まれている、と言うことだな」
「例え規模は小さくてもね」
 ふたりはふと視線を合わせて笑い合う。その瞳には光る雪の照り返しの、白い星が互いに瞬き合っている。彼等の間には、現実とは違う所にある星の夢が見えている。のかも知れない。

 因みにここまでを当麻に語らせれば。
 第二次世界大戦終盤から七十年代にかけて、宇宙技術開発は最も進んだが、その頃は宇宙自体に対する研究がまだ弱く、有識者の宇宙への認識も甘かった。だから多くの人が宇宙に出て行くことに、安易な希望を抱くことができた。九十年代に入ってから宇宙の研究が飛躍的に進み、地球人が宇宙に出て行くことは容易ではないと、認識が改まって来たのが現在である。
 そのような学者レベルの見識の変化が、論文や科学雑誌から教科書、創作物などを通して社会に浸透して行くと、結果的に宇宙開発は「微かな希望」と化したが、何れ人類が惑星規模での危機に直面することも考え、技術開発を続ける意義は認められている。日本はその中でも、ロケット打ち上げ数だけで言えば、1970年から世界四位の実績がある。
 と言うコンパクトな説明で終わっただろうが。
 こうして思い付くままに、時には脱線しながら、他愛無い会話を続けることもまた無駄ではない。話題を通して常に相手の心が見えるからだ。理屈として、それを意識してはいないけれど、征士と伸の間にはそんな暗黙の了解がある。理性で見る宇宙と感情で見る宇宙は、全く違う景色だとふたりなら言うのだろう。

「僕はね、初めて雪が降ってるのを見た時、流れ星のような物だと思ったんだよ。夜だったせいもあるけど、星屑が落ちて来てるのかと思った」
 冷気の漂う窓辺を離れ、征士の横に座ると伸は再び窓の外を見た。
 突然雪の話に戻ったようで、彼の心の中での宇宙と雪の繋がりは、程良く科学に疎い征士にはよく解った。まあ子供の頃は、雨や雪が宇宙から落ちて来ると勘違いしても、何らおかしなことはない。子供の目には雪の軽やかな輝きは、ただ目を楽しませる面白い現象だ。
「何か願い事をしたか?」
 と征士が言うと、一瞬何のことか気付かなかった伸だが、
「え?、いやそんな事しなかったよ、小さい頃の話だし」
 まだ、星に願い事をすると言う伝承さえ、知らなかった頃のことだと笑った。気付けば確かに、雪の降るほどに星が落ちて来たら、世界中の人々の願い事が、それぞれひとつずつは叶えられそうだ。そんな奇跡が起きたらあまりにも面白い。恐らく宇宙開発に携わる人の困難な夢も、数々叶えられるだろうに。
 否、実際星屑が大量に降って来たら、地上は蜂の巣になって壊滅すると、やはり現実的に考えているだろうか?。
 でも僕等は夢を見る。
「これが全部流れ星なら、今は願いたい事はいっぱいあるよ!」
 伸はそう続けて、矢庭に征士の肩に寄り掛かった。その行動に伴う気持は、寄り掛かられた方にも判っているけれど、敢えて言葉として聞いてみようと征士は尋ねた。
「例えば?」
 例えばきっと、こんな穏やかな日常が続くといい。いつまでもふたりの間の距離が変わらないといい。日常的に感じ合う愛情が変わらないといい。そんな思いが胸に幾重にも織り込まれているのは、解っていることだけれど。
 すると、やはりそんなことは解っているだろうと、伸は悪戯するようにこう答えた。
「例えば、そうねえ、…かまくらを作れるくらい雪が降るといいね!」
 残念ながら色っぽい言葉は聞けなかったので、征士は少し面白くなさそうに、
「それは無理だ」
 と切り捨てる。雪だるまくらいならともかく、かまくらを作るには相当な雪の量が必要だ。流石にそこまで雪が降ったことは、過去の都心部の記録には無い。山梨に近い山間部ならともかく、この東京の町中ではとても無理だと征士は考える。だが、
「無理だとわかってても望むことが大事なんだろ?。今そう話してたばっかりだよ」
「まあ…そうだな」
 伸にそう言われると、過去にそこまでの大雪の記録が無いからと言って、絶対に降らないと断言してはいけない気もした。まあ、温暖化とは単に気温が上がるだけでなく、気候が荒々しくなる面もあると聞いたことがある。夏はより暑く、冬はより寒くなる可能性もあるのだろう。
 ならば、伸の楽しい夢が叶う時も来るかも知れない。
「ね、都会の真ん中にかまくら作って、中で熱燗を一杯って贅沢な構図だろ?」
 想像すると、確かに何とも面白そうな提案だった。なので本当のところは言わなかった伸に、不満をぶつけることなく征士はこう返した。
「なら、大雪になったらスコップを持って、西新宿のビル群にでも出掛けるか」
「いいね」
 そう答えてくれる君が好きだ。
 もし僕の夢が実現した時には、かまくらの中で、一番に本当の気持を話してあげよう、と伸は思った。



 結局、翌日の早朝に雪は止んでしまい、伸はマンションの入口に小さな、ネズミが入れるくらいのかまくらを作った。それも明日には溶けてしまいそうな、冬晴れの美しい朝だった。
 二十世紀最後の年。宇宙への夢は縮小されたけれど、東京に大雪が降る夢くらいは見続けていよう。









コメント)頭痛が治らなくて調子悪い中、軽い話を書くつもりがそうでもなかったかな。
この話を考えたのは一月で、全く雪が降る気配はなかったんだけど、二月に入ってまさか、書いてる途中で大雪になるとは思わなかったです。でもさすがに、都心でかまくらを作るのは無理だった。東京西部や千葉の方では、小さめのかまくらなら作れたけど。
尚、宇宙の話が多いのは、当麻を出さずに宇宙の話をするとどうなるか、と言う挑戦をしてみただけです(笑)。それと、忠臣蔵の討ち入り時に雪が降っているのは、映像化の際のフィクションで、それだけ雪の降る演出が日本人には、印象深く映るってことなんだそうです。



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