何だこれは!
高校生日記
突然の贈り物
Secret Gift



 それは、五月の連休に集合した時のことだった。

「みんなの高校受験も無事に終わったことだし、今年もやりましょうか?」
 賑やかな輪の中でナスティが言った。
「勿論だぜ!、集まって騒ぐのサイコー!」
「そうだなっ」
 今はもう崖っ淵の苦しみも忘れ、即座に賛成した秀と、それに合わせて相槌を打った遼。ナスティが切り出したのは、毎年恒例の誕生日パーティの話だったが、秀に取って御馳走が並ぶ場面は、全て自分の為のようなものだった。
「どうせ食い物が目当てだろうが」
 そしてどうしても、一言言わないと気が済まないらしい当麻。しかし勿論反対などしていなかった。
 ただ、残念なことにその当事者の返事は、
「…用事が入るかも知れん…」
 誕生日を迎える本人が欠席ではどうしようもない。

 今年の連休は良い天気に恵まれた。目に眩しい五月の日射しが、柳生邸の赤い屋根を鮮やかに照らしていた。窓から差し込む日光の反射だけで、この古く重厚な屋敷の居間も、充分な明るさを取り込めていた。そこにいつもの陽気な仲間達が集まっている。こんなに明るい一日なのに、征士の発言はどうも不穏な成行きに感じなくない。そんな午後だった。
「でも、まだ決定じゃないんだろ?」
 言葉から推察して伸がそう尋ねると、征士はやや躊躇いがちにこう答えた。
「そうだが…、六月八日、九日が土日だから、そのどちらかに用事が入ると言うことだ」
 彼の態度は、自分の予定に他の仲間達が、無理して合わせるのを嫌っているようだ。けれどもう、どれだけの時間をこの仲間達と過ごして来たのか。最早そんなことを厄介に思う神経の持ち主は、この中には居ないと言って良い。
「じゃあこうすればいい。征士を除いた全員は八日に集まり、二日間ここに滞在する。パーティは八日か九日のどっちかにやる。直前になるまでどちらにするか変更可能だ」
 当麻がそう提案すると、誰もがそれに納得した様子で笑った。
「そうそう、そうしようっ!」
 と、少々現金な様子ながら、秀は征士に確認を取るように、凭れていたソファの背から彼を振り返る。無論皆がそれで賛成なら、征士は全く構わないと思っていた。この場合多少苦労するのは、食料の調達や支度を引き受けるナスティだが、話を振った彼女が小言を言いはしないだろう。
「わかった。まあ、多分東京に来ることになると思う。ここからは行き来し易いだろう」
 征士はそう返すと、仲間達の気持を削がずに済んで、安心したように息を吐いていた。
 否、その件には確かに安心したようだが、まだ他にも何かがあると臭わすように、彼の表情は何処となく冴えない。征士の様子はいつものそれとは違うようだと、この場に居る数名は既に感じ取っていた。すると遼が、
「東京に来るって?、何の用なんだ?」
 何の気なしに尋ねていた。当麻と伸はそれに注意深く耳を傾ける。正にそれが問題なのでは?、と思うからだ。
「あ、ああ、いや、大した用事ではないのだ」
 案の定、まともに返答できていなかった。もし言葉通り大した事でないなら、まずパーティの方を優先する筈だろう。と、秀でさえ妙だと感じ始めていた。
「何なんだよ?」
 悪い印象はしないが、秀は珍しく踏ん切りの悪い征士に、答を催促するように問い掛ける。他の者は何も言わないけれど、ほぼ同じような心境で征士を見ていた。
「言いにくいことなの?」
 気を遣ってナスティがそう続けるが、気遣いされれば逆に、些末な事情まで心配をさせるようで辛かった。征士は渋々ながら、不本意な今年の誕生日の予定を話すことになった。
「…親が勝手に決めたことだが、実は…、見合いをすることになった」
 そして誰もが一瞬動作を止める。静まり返った空気が彼等の間を流れている。
「うっそだろー…?」
 その沈黙を破って秀が言うと、
「随分…急いだものね…」
 ナスティも、征士が躊躇った理由は充分に理解できたようだ。言いにくいと言うより普通ではないと思う。そもそも征士が普通でないのだから、その家には理解に苦しむ考え方があるに違いない。
「考えられないな。なあ、だって、俺達まだ結婚できない年だろ?」
 遼が誰ともなく問うように言うと、当麻がそれに答えていた。
「法律上では十八才からだ。だから今すぐ結婚って話じゃないんだろう」
「当たり前だ」
 征士は既に肝を据えた様子で答えていた。まあ一度口に出してしまえば、それ以上何を話しても同じだろう。そして、
「加えて言えば、私は断ると決めている」
 更にそう言って、征士は部屋の中空に何かを見据えていた。それが何なのかは全く判らなかった。
「じゃあ何で予定に入れてんだよ?、まるで無駄じゃねーか」
「だから、親が勝手に決めたと言った。私は承諾などしていないが、家で決められた事には逆らえないのだ。だが、最後に決定するのは私だから、形だけ会ってやることにしたのだ」
 秀の疑問は恐らく、家庭環境の違いから来るものだろう。秀の家とて華僑の名家のひとつではあるが、封建時代とは違い、家の存続を中心とした結婚観は廃れているのが現状だ。拠って秀には、何故断れないのかが理解できなかった。無論西洋流の家庭に育ったナスティにも、何やら腑に落ちない説明だったようだ。
「どうして本人であるあなたの意見を、一番に聞いてくれないのかしら?。政略結婚でもないでしょう?」
 俄に悩み始めたふたりに対し、暫く黙って様子を見ていた伸は軽く答えていた。
「征士の家は跡継ぎをほしがってるんだろ」
「だろうな」
 当麻もまた一言でそれに便乗していた。
 伸と当麻のふたりは、征士の家の事情をかなり理解している風だった。言わずもがな、当麻は同じ部屋に寝泊まりする間に、風変わりな同居人の背景に関心を持ち、色々話を聞き出していた。伸はそこまで詳しく聞いていないが、自分の家と多少似た環境だった為に、起こりうる問題は大体予想がつくようだ。
 征士には他に男の兄弟が居ない。伝統的な日本の家では、家督は男子が継ぐものとされているが、既に彼の母親はそのしきたりから外れていた。二代続けてそうはなりたくはないと、恐らく必死に先行きを考えているのだろう。
 つまり征士が戦士として選ばれ、他の四人と共に特殊な生活をしていることは、名誉にこそ思え、家では常に気が気でない事情なのかも知れない。だからこうして、異常な程先を急いでいるのだろうか。
 だからと言って。
「親の気持が解らない訳ではないが、こんな事まで勝手に決めてほしくはない。だから誰が来ようと断る」
 そう言った征士の考えは、決して間違いではないと誰もが思った。
「大変なんだな」
 遼は素直にそう返して、煩わしそうな様子の征士を窺っていた。すると秀はそれとは逆に、
「え〜っ?、そんなこと言ってよぉ!、もしすっげーいい女だったらどうすんの?。美人でムチムチで金持ちでよ〜♪」
 などと脳天気な調子でそう続けた。恐らく故意にだ。
「誰だろうと断ると言うに」
「ひゃっはは、勿体ねぇなぁ!」
 ふざけた発言のようで確かに、それなりに選び抜かれた女性が来る可能性はある。仮にも家の為を願う母親が決めた相手だろう。しかしそれでも征士は、
「知るか」
 と一言言って、秀に合わせるように笑うのだった。
 場に流れていた妙な空気が、また元の明るさを取り戻していた。秀が振った話題が功を奏したようだった。取り敢えず、彼等の内の数人がまだ納得できていないが、本人が返事を決めているなら、仰天する結果にはならないだろうと思えた。だから会話はこれで終わったけれど。
 しかし、これまでに聞いた様々な話から、かなり強引そうに思える征士の両親の行動は、正直計り知れないところがあった。もしかすると予想しない事が起こりそうだと、当麻はひとり黙々と考え続けていた。まだその日までにはひと月程余裕がある…。

 実際何が起こるかは、その日になってみなければ判らない。ただ征士の気持の上では、相手が誰だろうと大した価値はなかった。何故なら彼は、まだ存在しない少女の姿を追っている最中だ。たった半年前の、その面影が目の前にちらつく限り、心は如何ともし難いものだった。



 そして、問題の六月八日は訪れた。
「…なあ、俺達ヤバくないか?、こんな所でウロウロしてて…」
 遼の意見は尤もだったが、当麻は更に尤もらしく説明をしてみせた。
「不可抗力の場合を考え、俺達が手を打たねばならん時もある。これも征士の為だ」
「そうかなぁ…」
 仲間の為だと言われると反論できない遼。だが、要らぬ世話ではないかと、後ろの方から付いて歩く伸は呆れ気味だった。どちらかと言うと、自分達には縁遠い状況を面白がっているようなのだ。否、勿論当麻の行動の原点は、征士が拒否している事実にあるのだが。
 場所は、都内港区の有名な祭事場である。梅雨入り間近のよく晴れた日の、その敷地内の緑の庭園と周囲を囲む白壁、付近の閑静な高級住宅街も、目に涼し気な雰囲気を感じる都会の一角だった。普段土日と言えば、ここは結婚式、披露宴の予約で一杯になるが、この日は仏滅だった為に、主に法事の団体等に貸し出されている様子だった。
 つまりこの場所は、六月八日以外は半年前でないと、予約も取れなかったことになる。征士の予定は最初からこの日だった、のかも知れない。
「あっ、あれ、あれ、征士じゃねーか?」
 秀が遠目に指を指しながら言うと、他の三人もその方向に一斉に目を向ける。
 彼等はつまり、そこの建物の出入口付近まで入り、ガラスの自動ドアから中の様子を見ているのだ。とは言え、まず手前に広がるロビーの向こうに、稀に行き来する人を眺める程度しかできない。しかも全く普段着と言っていい彼等は、凡そ場に似つかわしくない集団だった。しばしば通り掛かる人に愛想を振り撒きながら、何とか注意されずに済んではいたけれど。
「確かに…そのようだ」
 当麻は秀に答えたが、心配している割には、何故か言葉尻が笑っていた。それは見付かった征士があまりにも、「借りて来たなんとか」の様子だったので。
 普段から比較的きちんとした出で立ちの征士だが、スーツを着る姿を見たのは初めてだった。着慣れないと言う風ではないが、ぎこちなく機械的な動作をする様は、本人のやる気のなさを物語っているようだ。その横に、まるで監視官のように貼り付いた母親は、道場の師範代と言うだけあって、艶やかな着物姿の割には快活な動作で、その小集団を先導して歩いていた。
 また、すぐ後ろを大人しく歩いているのは父親だろう。遠目でも背格好が征士によく似ている印象だ。そしてその後ろに三人、スーツに白髪混じりの頭の男と、黒留袖を着た小太りの女、そして赤い振袖を着た黒髪の若い女性。遠くて詳細な様子までは見えなかったが、何処となく上品な家族であることが窺えた。恐らくそれなりに家柄の良い一家なのだろう。
 午後十二時半。これから征士達は共に昼食を摂って、暫く話し合いなどをした後、夕方五時頃には解散すると聞いている。
「うーん…、意外とまとまりが良い感じだな」
 当麻がそんなことを呟くと、
「まとまっちゃ困るんだろ!?」
 感心している場合かと、遼は顔を顰めてそう訴えた。勿論当麻はただ感心して見ていた訳ではない。この先の展開を、誰にも迷惑を掛けずにぶち壊すにはどうしたものか、と考え続けているのだ。そう、「迷惑をかけずに」の点が一番の問題だった。
 最も手っ取り早い方法なら、武装して場を壊すなり何なりすれば良いような気がする。しかしここには全く関係のない人々が居る。昼間の行動で顔を憶えられたりしたら、損害賠償を請求される羽目にもなるだろう。そもそもこんな用事で鎧の力を使うのはどうかと思う。
 或いは、不良学生の振りをして征士の友達面をすれば、相手側の心象は悪くなる筈だが、それは家の体面を気にする彼の家族に対して、取り返しの付かない悪事とされ兼ねない。二度と征士に近寄るなと言われたら、単純に困ったことになるだろう。
『どうしたものか…』
 当麻が考えていると、少し先に建つ小学校の、昼のチャイムの音がふと耳に聞こえて来た。
 土曜日は何処の学校も昼までで授業が終わる。振り返ってみれば、祭事場の敷地の入口を左から右へ、黄色い帽子にランドセルを背負った少女が、慌てた様子で走り去って行った。
 何処にでもいそうなおかっぱ頭の少女。そう言えば征士は幼い頃、少女の格好をさせられて育ったことを、ある時誰もが知ってしまった。今の姿からはあまり想像できないが…。
 その時だった。天才と呼ばれる(こともある)当麻の頭に、ある素晴らしい名案が閃いていた。
「そうだ、女装だ」
「はあ?」
 突然耳にした嫌な言葉に、遼は即座に拒絶反応を示す。そう、憶えておいでだろうか。過去にやはり当麻の提案で、一度とても痛い目に遭った遼だった。その時の可笑しさと言ったら、遼以外は、今でも笑いが込み上げる程の思い出となっている。
 しかし当麻は続けて言った。
「やるのはおまえじゃない」
 そして、自分の後ろに立っていた筈の人物が、そろそろとその場を離れて行こうとするのを見て、
「おい、何処へ行く」
 と無情に言い放った。伸は既に逃げの一手の態勢だった。
「おまえがやらずしてどうするんだ」
「嫌だよ!」
 例え友達の為とは言え、嫌だと言うのは普通の反応だと思うが、
「今更何を言うんだ。一時はノリノリでやってたくせに」
 と容赦なく当麻が返すと、伸はそれを否定できなかった。
 確かに面白いと感じていた時があった。遊びの内なら、どんな事でも楽しみとして受け入れられる彼なのだ。ただ、今と以前とでは事情が変わっている。もうさよならは言った筈だった。
「そういう訳にいかないんだよ!」
 もう過去に戻ってはいけない、それはお互いに良いことではないから、と、伸は暗に訴えたつもりだった。それに反応するように、
「なぁ当麻…」
 彼を止めようとしたのは秀だった。秀はこの中で唯一伸についての、詳しい事情を知っていたからだ。今年のホワイトデーは恥ずかしい思いをした為、ある意味その原因となった伸に、後から大方の経過を話させていたのだ。遣り場のない腹いせに過ぎなかったが。
 ただそれだけに、伸が懸念している征士の、実体のない未来に憧れる状況を、共に心配に感じることもできた。そう、秀だけには理解されたが、現場に於いて話の輪郭さえ知らない当麻に、同じように考えろと言うのは無理な話だった。そして彼が続けた言葉は、
「ならどういう訳だと言うんだ。考えてもみろ、俺か秀か遼の内の、誰かがやればいいと思うのか?。それで向こうを納得させられるか?」
 そんな例えで話されては、秀も下手に刃向かうことができなくなった。自分にその役が降り掛かって来たらどうしよう、と思わずにいられない。
「そんなこと言ったって」
「いいか、この場合『オカマ』に見えたらアウトだ。真面目な席で冗談めかした演出をしても、下手したら効果がなくなってしまう。現実にありそうな状況を作らねばならない」
 無論理屈はよく解る。伸の頭の中でも、自分の他の三名が見苦しいものになろうことは、あまりにも容易に想像できた。過去に「デート作戦」を実行した頃とは違い、遼も秀も目に見えて逞しくなり、当麻は征士より背が伸びている。女装した彼等が目の前に現れても、誰の目にも「悪い冗談」としか映らないだろう。
 説得力のあり過ぎる現実を前に、伸の意思は徐々に曲げられて行くようだった。
「そんなこと言ったって、何にも用意がないじゃないか」
 ひとつ反論できるとすればそこだ。いくら慣れている伸でも、入念な準備をしてこその『サヨコ』だったのだ。丁度良いサイズの服を用意し、髪を整え、然るべき化粧をして完成する女性像を、ここで今すぐ再現しろと言っても無理な話。柳生邸を往復する時間も最早ない。
 しかし当麻には考えがあった。
「…多分、新宿に出れば何とかなるだろう。幸いここから新宿は近い」
 それはもしかして、新宿の、有名な某界隈のことを言っているのだろうか?。確かに女装バーなどはあるだろうが、未成年を受け付けてくれるとは思えない。
「タクシーなら十五分くらいで着くんじゃねぇか?」
 秀は当たり障りなく付け加えたが、例え近かろうが何だろうが、その道の人が通うような場所には、全く近寄りたくはない伸だった。
「僕は無用だと思うよ!。征士が断るって言ってるんだから、何もそこまでしなくたって…、ま、待てよ」
 しかし反論している途中で、伸は引き摺られるように祭事場の出口へと向かわされる。
「だから万が一の為の備えだ。使わなくて良ければそれに越したことはない。行くぞ、早くしろ」
 当麻はやはり、何処か楽しんでいるような小気味良い調子で、軍師らしくびしっと方針を打ち立ててみせた。その様子を溜息の内に見ながら、
「へーい…」
 と平坦に答えて歩き出した秀は、下手に新宿に詳しいのも考えものだと感じていた。それと、下手な天才も迷惑ものだと。
「新宿に何があるんだ?」
 ひとり遼だけは首を傾げていた。恐らく彼はトルーパーに於ける最後の良心だった。



 もうすぐ午後五時になろうと言う頃。
 再び港区の祭事場に戻った四人は、赤味掛かって来た空の下を帰って行く、法事の団体を通り抜けるようにしてそこに着いた。彼等はそして、事前に打ち合わせで決めた場所、敷地の出入り口横の白壁に張り付いて、中からは見えないように隠れ待っていた。
 そこから征士の様子を窺い、何でもなさそうなら「迎えに来てやったぜ?」、とでも言いながら出て行くつもりだ。もし困った状況になっているようなら、伸だけが出て行って、三人は征士以外の人には姿を見せずに帰る。疑われない為にはそのくらいの注意は必要だろう。
「出番がないことを祈るよ…」
 嗅ぎ慣れない香水に噎せそうになりながら伸は呟いていた。
「まあな。いいか、俺が合図したら出るんだぞ?」
「わかってるよ」
 当麻は自分の作戦に余程自信があるようだ。まあ、誰もが妥当な計画とは感じていたが、その結果を左右する伸が、目の覚めるような変身をしていたので、これは必ず成功すると確信を深めていた。
 噂に名高い、新宿二丁目を目指して出掛けた彼等だが、そこで出会った人が…誰かは後で説明するとして、運良く服からメイクから全てを世話してもらえたのだ。そして無事に支度を終えた時、鏡に映る自分の姿を見た伸は、「これは誰なんだ」と自ら恐ろしくなった。これまでのサヨコのイメージとも違う、自分とも違う、それは全くの別人と言って良かった。
 少女路線の服装ではない。袖の無い黒のワンピースに黒のジャケット、落ち着いた金のアクセサリー。髪の色に合わせたアップスタイルのウィグ、白い花のレースの手袋…。そして過去と決定的に違うのは、下地からきっちり施された化粧だ。
 真っ赤な口紅など付けたことはなかったが、こうして顔全体を統一的に整えてもらうと、意外と何でも馴染むものだと思った。更に皮のハンドバッグを持ち、やはり輸入品の皮のパンプスを履いて完成したそのスタイルは、どう見ても二十代くらいの女性を思わせた。
 しかし考えてみれば、少女は少年よりも早く大人になって行く。学校の自分のクラスにもひとりやふたり、妙に大人びた女子のいるグループがあったりする。だから化けようと思えば、この程度になって当たり前なのかも知れない。伸はそんなことを思いつつ、胸や腰に触るパッドの妙な感覚に耐えていた。
 ただ、こんなに別人になってしまったら、果たして征士は判るだろうか?。否、もしこれを見て過去のサヨコは居ないと知ったら、それはそれで良い結果だと伸には思えた。少し会わない内に、急に相手が大人になったと言う話はよくあるだろう。特に女の子は、急激に見た目が変わることもしばしばだから。
 だからこれでいいのかも知れない。
 と、伸が心に様々な考えを秘めていることなど、秀を除くふたりは気付きようもなかった。それもあり、催事場へ戻る際には秀がエスコートして来たが、今回は誰の目にも、殆ど原型を感じさせない出来だったので、かなり得意な様子で歩いていた秀。今の伸は端から見れば、完璧にちょっときれいなお姉さんだ。ふたりの様子を何となく羨ましいような、妙な気持で見ていた当麻と遼だった。
 全く人の気も知らないで。

 腕時計の針が五時十分を回った時、建物の自動ドアの奥に、見覚えのある集団を確認する。
「来たぜ…!」
 遼が咄嗟に、外壁の境に頭を引っ込めながら言った。当麻は周到に用意した手鏡を使い、庭園内の様子を具に窺っている。エントランスを出たその一団は、ポーチの階段をひとつずつ降りて来た所で、ふと止まって立ち話を始めていた。
「おー!、やっぱり美人じゃんか…」
 初めて秀の目に捉えられたお相手の女性は、日本的と言うよりはエギソティックな印象の、目許のはっきりした顔立ちで、遠目からもその特徴は際立っていた。年は自分達と同じくらいだろうか、やはりあらゆる仕種がとても上品で、行儀の良い感じが伝わって来る人物だった。確かに、征士の母親が見付けて来るに相応しいような、家に取っての理想的な女性像なのだろう。
 それでも征士は断ると言った。
 しかし、集団の様子はどうもその雰囲気ではなかった。征士以外の人々の明るい表情と、軽やかな会話の調子から想像されるのは、上手く纏まりそうだと言う展望だろう。その一番の原因は相手の女性にあるようだ。印象的な目をした和服の娘の、淑やかながらも喜々として嬉しそうな態度。これは征士の方が気に入られてしまったらしいと、傍目からでも窺える光景だ。
 まあ、征士にはよくあることとも言えるが、こんな場合征士が取る行動はふたつあった。相手の質を見抜いた上であっさり切り捨てるか、やんわり気を遣い続けるかのどちらかだ。元来彼は情に厚い人間とは言えないが、誠実な人の好意は必ず無碍にはしない。その良心による葛藤は、『礼』の文字を持つ彼の宿命的問題なのだと思う。
 だから、恐らく本人は困っているのだ。思いの外性質の良いお嬢様で、断り難さを感じている風に見えた。大人しく集団に合わせている征士の様子から、彼の心情がよくよく掴めていたのは当麻。
『出ろ!』
『…ちくしょー…』
 やはり準備をして正解だったと、したり顔の当麻を横目に、伸は理性を振り切るようにつかつかと歩き出した。今の自分は毛利伸でも誰でもないと思えば、伸のことだ、自然とやる気も出て来るだろう。開き直りが何より彼の武器なのだから、きっと上手く行くと他の三人は信じていた。
 途端、伸の目の前に広がった景色。
 きれいに手入れされた緑の庭を背景に、祭事場の建物へと続く短い道の上に、目指す集団は和やかな様子で佇んでいる。それを台無しにするのは気が引けることだが、征士の望みでない限り、悪魔を演じても罪にはならないと思う。伸は確と足跡を刻むような、ゆっくりとした歩調で歩き出した。
 翳り始めた夕陽が彼の背中から差していた。すると彼の足元から伸びた影が、本人よりも先にその集団に触れた。一歩一歩近付くにつれ重なって行く影。帰ろうと言う時間に、逆に入って来る人の気配を感じ、征士はふと出口の方を振り向いた。
「・・・・・・・・」
 そして、征士がこちらを向いたので、伸は一団から五メートル程手前で立ち止まった。
 さて征士は彼が判っただろうか?。
 無論判っただろう、目を見開いて驚く征士の表情には、些か普段の彼らしさが戻っているようだった。即ちその目に、決して曲げたくない意思の輝きが見える。だから伸も安心して、他の者によく聞こえるように話を始めた。
「どう言うことなの、これは」
 突然切り出された不明な内容に、若干の戸惑いを見せていた征士だが、彼ならその程度で済み、周囲の人間にまで気取られることはないだろう。
『演技だ!、演技しろ征士!!』
 伸は気迫でそれを伝えようと必死だったが、その様子は逆に功を奏し、他の者には怒りに震える雰囲気に感じられたようだ。にこやかだった周囲の誰もが、時を止めたような顔で伸を見ている。塀の影では対照的に、当麻が満足そうに笑っていたが、突然静まり返ったその場所で、やはり征士も何とか話を繋げようと必死だった。
「…いや、」
「あなたの友達に聞いて来たのよ、何にも言ってくれないなんてひどいわ…!」
 けれど覆い被せるように伸は言い、肩を竦めて嘘泣きを始めると、もうそれ程難しい演技は必要なくなっていた。征士が黙っていても話が進むようにと、それもこれも当麻の考えた筋書きだったが、周囲に対し、事情が判り易いドラマであることが肝要だった。そして征士の母親を始め、その場の人々は見事に騙されているようだった。正直母親の顔が酷く恐い。そもそも彼女を欺く為の芝居だからそうなる。
 けれど。
 会いたいと思っていた人に会えたのに、人の反応を気にする征士ではなかった。否、自分をこの場から救出しに来てくれた、理解してくれる人の気持に応えることが、何に於いても優先されるのは当然だった。だから征士は自然に傍に寄り、ありもしない状況通りに返事をしていた。
「騙すつもりはなかった、始めから断るつもりだったのだ。親の顔を立てなければならず、他にどうしようもなかった」
 まあ、そこまでは大体本当のことだったが、
「済まなかった、私を信じてくれ」
「・・・・・・・・」
 如何にもドラマのようだと、笑い出しそうな口許を何とか結んで、伸は小さく頷いていた。
 本当に、何と滑稽で愉快なことだろう。
 征士は伸のその様子を見て、今新たに感じた気持が、頭の中を占領して行くのを感じていた。こんなふたりで居られる今は、恐らく人生の中で最も無邪気でいられる時だ。年を重ねる内に変わってしまうかも知れないが、少なくとも現実は、紹介された良人より、素直に進化したサヨコの方が好きだと言えた。まだ遠い未来を意識していないからこそ、自分には今の思いの方が大切だった。只管に楽しいと感じられる今が。
 だから、例え誰かを裏切ることになっても、その為の犠牲なら仕方ないと征士は判断している。誰もそれを責めることはできない。いつか突然彼等の命が、断ち切られる可能性も充分にあるからだ。今を最も大切にすることが何故いけない?。
 また、大人とは呼べない年令であっても、ある世界に於いては既に、彼は独立した一個の人間だ。そもそも征士が鎧戦士として選ばれた時点で、家族は将来への期待の大部分を捨てなければならなかった。何をしようと、裏切られようと、今は無駄な足掻きと諦められることの筈なのだ。
 それが本当の理解ではないか。
「…母上、申し訳ありませんが、この話は始めから受けられなかったのです」
 征士は静かに体を返すと、唖然としている集団に向かって丁重に、しかしきっぱりと断った。けれどこの状況を見て呆れたかのように、母親も力の抜けたような声色で、
「ああ、そう…」
 とだけ返していた。こんな幕切れでは、後々伸のことをしつこく聞かれるのは必至だが、まあそれは些細な罰とも受け止められた。征士は既にすっかり気分を切り替えて、
「では、彼女を送って来るので、これで失礼します、皆様も」
 と言って深々と頭を下げ、引き続き顔を手で覆ったままの伸の、肩に手を掛けてゆっくり歩き出していた。そんな征士の振舞いも振舞いだが、伸などは殆ど元の人格を感じられない、別人としての演技が板に付いていた。いやなかなか、遠目で見るとお似合いのように見えるではないか。
『よしよし』
 秀が破顔しながら呟くと、
『うまくいったな!』
 首尾良く事が進んだ様子には、遼も素直に喜んでいた。今は家族のような仲間達が誰もかも、普段は平穏で居てくれる状態が好ましかった。でなければ、戦いに向かう意識が歪められ兼ねないからだ。遼はそう考えたので、この結果も素直に喜べたようだ。
 征士と伸がその、白い塀の境まで歩いて来ると、
「!」
 壁にへばり付いた三人が無言でピースサインを出している。
「ククク…」
 塀の外に出てから小声で笑うと、征士は仲間達の労を称えるように言った。
「素晴らしいプレゼントをありがとう」
 丁度、祭事場に面した道路の奥から、目黒駅行の都バスが走って来るのが見えた。計画が成功した以上、最早この辺りをうろうろしない方が良いと、彼等は逃げるようにそのバスに乗り込んだ。今はまだ内輪の中での絶対の秘密だ。誰にでもひとつやふたつ、おいそれとは話せない悪戯をした憶えがあるように、十年は隠されている筈の出来事が、今五人の共通の思い出となった。
 まあ、いつかは話せる時が来るかも知れない。
 虚構に恋する誰かの気持も含めて。



「まあー!、それでうまくいったのぉー?」
 新宿と渋谷の境に存在する、彼のギャラリーに一歩足を踏み入れると、途端に甲高いおネエ言葉で迎えられた。小柄で全身黒ずくめの服を纏い、対照的な極彩色の帽子を被った奇妙な男。因みにこの男性はオカマではなく、アパレル関係のアーティストだ。ファッションに関わる業界の男は、しばしばこういうタイプの人を見かけるものだ。
「世話の焼けること…、でもまあ良かったよ」
 祭事場からの道中、征士と仲良く寄り添わされて戻った伸は、やや疲れた様子でそう口走っていた。
「先生のお陰っすよ」
 逆に当麻は至って調子良く彼に声を掛ける。今日は何を取っても愉快な一日だった彼だ。すると、
「ホッホッホ、そりゃあねぇ、本職のスタイリストなんだから。これだけ完璧に化けてったんですもの、見破られないのには自信があったわよ!」
 先生と呼ばれた男は、プロの仕事の完璧さを改めて、彼等に印象付けるようにそんな返事をした。この人に会えたのは本当に幸運だった。
 実は彼等が新宿に降り立った時、伸は町中である男性に声を掛けられた。それはこともあろうか、以前ディズニーランドに行った際に、雑誌の写真を撮ってくれたカメラマンだった。彼は伸の顔をよく憶えていた為に、伸が本当は男だったことにかなり驚いていた。
 まあそれについては平に謝ったのだが、そこで当麻が思い付き、カメラマンなら誰か、変装を手伝ってくれる人を知らないかと聞いたところ、このアーティストの所に連れて来てくれたのだった。完成後の写真を数枚撮る程度で、馬鹿な依頼を引き受けてくれると言う、人の巡り合わせとは解らないものだ。
「はい、じゃあお祝いに乾杯しましょう」
 そしてとても気の良い彼は、事情を聞いて、成功後のささやかなお祝いまで用意していた。彼等の目の前で高級なシャンパンの栓を開けると、自分のグラスにだけそれを注ぎ、高校生だと聞いている五人には、ジンジャーエールの瓶を開けて注いでくれた。言葉遣いは何だが、彼は立派な心掛けの人物のようだ。
 しかし征士は一言。
「酒の方が良かった」
「アッハッハ!、言うじゃないのよ!。じゃあ君のお祝いってことで少しね」
 すると特別に征士だけ、グラスの半分程のシャンパンが与えられることになった。まだそうそうアルコールを口にしない年の者には、特別な価値を感じないシャンパンだが、中にはそれを羨ましく眺める者も居たりする。
「あーっ!、いいよな〜…」
 秀がぶつぶつ呟いている間に、合図と共に挙げられたグラスの中身を、征士は一気に飲んでしまうと、
「ごちそうさま」
 と、至って満足そうな顔を秀に向けた。
「くそぉ、俺のお祝いの時にゃドンペリ持って来いよな!」
 秀も征士も、今からそんなことでいいのかと思うが、意外にもふたりに共通する家の習わしなのだ。秀は伸よりも、征士から見て共通点が少ないように見えて、実はそうでもない面があった。若い頃から酒を飲む訓練をすると言う類似した慣習、そして既に彼等はかなり飲めるようになっている。また根が単純な性格なのも共通項だった。
 そんな訳で、今はすっかり御機嫌な様子の征士は、単純だからこそ憎めない存在だった。ひとりひとりをよく観察すれば、皆何処かしら似通っていて、相手を見ながら自分を見ている感覚を持つこともある。だからこそ誰もが仲間の為に奔走できるのだ。
「まったくもう…」
 伸はそんなふたりのやり取りを見ると、結果から言えば馬鹿馬鹿しい騒動だったと振り返る。まあ、お祝いされる本人が幸せなら、それで良いだろうとは思えたけれど。
 一度「もうやらない」と決めた事を翻すのは、意思が弱いと見られるだろうか?。否、今日は誰もそんなことは言わない筈だ。伸はそれだけで、後はもうどうでもいいと感じていた。いつも、誰に対しても、それくらいの余裕を持っていたいものだと。

「それにしても当麻は頭が働くな!。こんな作戦を思い付けるなんて」
 ところで遼が、そのように当麻の偉業を誉めちぎると、征士は「解せない」という顔をして言った。
「ナスティを呼ぶ方が早かっただろう?」
「・・・・・・・・」
 無情にも当麻のプライドは打ち砕かれた。けれど征士には、彼の間抜けさ加減が結果的に、自分に最も良い状況を作ってくれたのを知っている。
『私は嬉しかったが』
 とは敢えて言わなかった。

 一日早い十六才のお誕生日おめでとう。明日は本当のお祭り騒ぎだ。



つづく





コメント)予告していた「高校生日記」シリーズですが、まずはこんな始まり方でございます。話の数は少ないですけど、もう少し彼等の行く末に付き合ってやって下さい。
このシリーズにはギャグが似合うわ〜、と言うことで、やっぱり当麻がオチに来るのはパターンですね(笑)。その内また、番外の当秀バージョンも書くので、当秀ファンの方もお楽しみに。
ちなみにこのタイトルは大貫妙子さんの古い曲なんですが、昔の恋人から突然何かが届いて、一瞬昔を懐かしんだけど、でももうお互い別の道に進んでるから、と思い直す歌詞でした。いい曲です、こんな小説にはもったいないくらい(笑)。




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