四魔将
煩悩京の虜
大花月シリーズ2
Your Prisonners



 夕空は暁にまし輝けり花も草木も向きたがらんや



 鎧を巡る戦の後、今はまだ煤けた煩悩京の一角に、ほぼ無傷で残った建物が数軒在った。元は下級兵士の詰め所であったが、城から距離が離れていた為、その一帯は被害を受けずに済んだようだ。
 今は仮の集会所、作業所として使われているそこに、命を受けて三魔将は集まり、朝方から何やら熱心に手元を眺めている。そして、
「昔は良かったな…」
 と、手元の書面を眺めながら愚痴を垂れていた。
 彼等が何をしているのかと言うと、阿羅醐統治時代からの帳簿の見直しだ。例え不可思議な力で維持されて来た世界としても、主な住人が人間である以上、食料事情も考慮せねばならないし、社会を維持する為に税の徴収も不可欠だ。王の野望の為に戦う兵力を支える、役人的な存在も多く居て、この妖邪界は成り立って来たのである。
 そして今は、過去の偏った形式を改めるべく、制度の見直しを進めているところなのだが。
「今更何を言うか」
 まともに聞いていたのかいないのか、適当に返事をした螺呪羅に対し、ぼやき続ける悪奴弥守は真面目な様子でこう続ける。
「考えてもみよ、何故我等が迦遊羅に使われなきゃならんのだ?」
 彼の言い分からすれば、三魔将にこの作業を命じたのは迦遊羅のようだ。無論彼女以外に、魔将達に命令する人物など残っていないけれど。
「本来の妖邪界の序列じゃ、我等の方が立場が上の筈ではないか」
「…そうだな」
 そして、気が無いながらも相槌を打った螺呪羅を見て、悪奴弥守はいよいよ饒舌に意見を続けていた。
「阿羅醐の支配下にあった頃はともかく、今は状況が違う。魔将として集団の統率を担うのが、本来の我等の役目ではないのか?。そうでなくとも、こんな労働は我等の得意でも何でもないぞ。迦遊羅は何を思って我等に、事務方の作業など持って来たのだ」
 けれど、
「それもそうだな…」
「貴様、真剣に考えようと思わんのかっ!?」
 相変わらず単調な返事を繰り返す螺呪羅に、案の定と言う感じではあるが、悪奴弥守は苛立って声を荒げた。対して螺呪羅は、
「あー、いやなに…」
 相手がどう出ようと変わらぬ調子だったが、いちいち悪奴弥守の戯れ事に応えつつ、実は喋るのも面倒臭く感じているようだ。作業に集中しているのは良いことだった。
 それに気付くと、横から那唖挫がこう代弁する。
「難しい問題だ。我等の地位と阿羅醐の存在は切り離せぬもの故」
 簡潔な返答だったが、それで充分に納得の行く内容だった。
 阿羅醐が頂点に立っていてこその『魔将』の立場、その他にも様々な役職が存在したが、嘗ての妖邪の支配大系をそのまま、未来に反映したいとは誰も思わぬだろう。漸く魂への呪縛が解けた世界に在り、今こうして制度改革にも手を付けている。
 また妖邪界に於いて、魔将達にそこまで人望が無いとも思えないが、担ぎ出される程の実力者であるかどうかも不明だ。無論戦乱の時代での評価と、平和な時代での評価も違うだろう。少なくとも本人達がそう感じている為、誰も自らの地位を主張できずにいる。
 つまりある意味で迦遊羅は、現在の三魔将の立場を作ろうとして、敢えてこんな仕事を任せたように思う。穏やかな世界を実現できるのは、力強い軍隊長でなく智恵ある為政者だ。名も無き民よりは世界を知っている我々が、その役目も担って行かなければならない、と迦遊羅は考えているのだろう。
 そして那唖挫も、三魔将に対する彼女の信用を理解しているようだった。
「ああ…、そうか…」
 那唖挫の弁を聞くと悪奴弥守も、一旦は納得して口を窄める。しかし、
「いや話が少し違うぞ?、阿羅醐の立場に迦遊羅が収まったから、俺等は相変わらず使われる立場なんじゃないか」
 と彼は続けた。どうやら悪奴弥守には、全体に対する魔将の立場でなく、迦遊羅の下に着いている事の方が不満らしい。だがやはり、他のふたりの反応は変わらず冷ややかだった。
「仕方無いではないか」
「仕方無いィ〜!?」
 どうでも良さそうな螺呪羅の言葉に、すぐ食い付いた悪奴弥守に、
「貴様、嘗て阿羅醐に釘を刺された事を忘れたのか?」
 と、那唖挫は半ば呆れた口調で告げる。すると、
「阿羅醐に…?」
 はたと我に返るも、思い当たる記憶を掘り起こせないでいる彼に、那唖挫は過去の一場面を語り始めた。



 それはまだ変化が起こる直前の、新宿がバブル景気に明るく湧いていた頃のこと。
 暗雲を突き刺すように聳える阿羅醐城の、天守閣の暗い広間に集められた魔将達は、阿羅醐から最後の通達を受けていた。
「…愚かな人間共は、我等が復活しようとしているなどまるで知らぬ様子だな」
 妖邪界の主は最上階に座しながら、地の底から響くような声で言葉を綴る。しかし普段の厳めしい調子とは違い、その日は何処か穏やかな声にも聞こえた。妖邪帝王と呼ばれる未曾有の存在にしても、千年を賭けた大目標を達成する目前とあらば、感慨深く感じることもあるのだろう。
 主の問い掛けには朱天が、四人を代表する形で答えていた。
「はい、阿羅醐様」
 まだ魔将達の誰もが、己の信ずる道に疑いを持たずに居られた、ある意味で幸福な一時だった。
「期は満ちた。人間共は時と共に腑抜けとなり果て、我等はその間、充分に破壊の力を蓄えて来た。…お前達には期待しているぞ」
「ははっ」
 阿羅醐の激励とも取れる言葉に、四魔将は揃って頭を下げる。但し、こうして主に対しては統一感があるものの、元々彼等は競い合って頭角を現した者同士、互いに同調しようなどと考える頭は無かった。誰しも隣の者を出し抜かんと、争う意欲に燃え滾っていた。
 そんな中に在って朱天は、勿論同様に手柄を立てようとの意欲もあるが、同時に仲の悪い魔将達の統率を任されていた訳で、他の三人に比べ、些か気苦労の多い立場だったと想像できる。
「後は阿羅醐様の予言通り、現れるであろう鎧戦士達を警戒するのみ…」
 と、落ち着いた様子で朱天が進言すると、
「フッフッ…、慎重過ぎてもいかんぞ、朱天」
 阿羅醐は彼なりに、微笑ましさを表す態度で返した。それが、朱天を小さき者と見て笑ったのか、或いはよく気が回ることを誉めたのか、今なら誰もが容易に理解できる事だが、当時の洗脳された思考では、誰も適切な判断ができなかった。
「阿羅醐様に対し無礼であろう」
 苛立つ声で悪奴弥守が横槍を入れる。すると朱天は「いつものこと」と言う風に、
「無礼とは。阿羅醐様を侮っている訳ではないぞ」
 簡潔にそう弁明した。
 己が四魔将の代表格であることを、他の魔将達が疎ましく思う気持は、流石に朱天にも理解できた。自分が彼等の立場なら当然、相手の足を引っ張る行動に出るだろう。結局四魔将は皆同じ穴の狢だ、誰もが己の力量を認められたいだけだと。だから相手の気持など考えず、言いたい事を言い合っていられる。
 そして悪奴弥守は尚食い下がっていた。
「ならば貴様は憶病者なのだ。阿羅醐様より賜った、この鎧と共に既に数百年生きた我等が、予言通りの小童戦士などに負けるとでも言うか?」
「勘違いするな、その場の勝ち負けなどではなく…」
 いつものパターン通り、続けて朱天が言い返そうとすると、
「貴様がそんな気弱なことでは士気が下がるわ」
 と、陰気な口調で那唖挫が口を挟む。また更に同意するように、
「そうだ、我々とて万全な準備をして来たのだ、それが貴様の信用に足りぬと言うか」
 螺呪羅もそんな言葉を続けていた。
 まあこれが、伸し上がりたい一心で揚げ足を取り合い、互いに不平不満をぶつけ合う彼等の日常だった。意地の張り合いこそが四魔将の生活、とも言える時期なので、強ち無駄な行動だった訳でもない。彼等は日常的に主の前で罵り合い、阿羅醐は繰り返しそんな場面を見ている。誰がその中で、最も優れているかを見ているのだから。
 なので朱天は少し頭を使って、
「阿羅醐様の御前で喚くな」
 と優位に切り返して見せた。
「何だと…?」
「言いがかりだと言っている。念には念をと申しただけで、何故こぞって文句を付けたがる」
 その答は、聞かなくとも判り切った事だった。自身を優位に導く誘導だと、気付いた那唖挫と螺呪羅は黙っていたが、
「決まっている、貴様の態度が気に食わぬからだ!」
 売り言葉に買い言葉で、悪奴弥守は素直に答えてしまっていた。そんな遣り取りから阿羅醐の評価は決まって行くと言うのに…
「ではどうしろと?」
 対称的に朱天は落ち着き払って返したが、そこで、
「静かにせい…」
 彼等の絶対的な主が再び声を発した。
 途端、互いに向き合っていた体を慌てて正面に戻し、四人は改めて頭を垂れる格好になる。すると暫しの重々しい沈黙の後、阿羅醐は珍しくひとりを取り上げて話した。
「そう、朱天童子よ、四魔将は均等に力有る存在なれど、お主の戦い振りと働きを見て我は、それを束ねる役をお主に与えた。お主は妬まれる立場であると同時に、他の者より働いて見せねばならぬ。よいな?」
 何故この時、阿羅醐が取り立ててそんな話をしたのかは、正確なところは不明だ。単純に大事な戦の前に、集団の規律を求めただけのことかも知れない。ただ、例え悪の権化として存在する彼でも、人の上に立てるだけの思慮はあったことを思わせる。出来る者にはそれだけ重荷を架せられる世の理屈を、阿羅醐はよく知っていたに違いない。
 後に裏切られるとまでは想像しなかったにしても。
「はっ。心得てございます、阿羅醐様」
 朱天はそれで、引き続き主の信用を得ていることを覚り、深々と一礼した。そして、
「皆の者、朱天が何故代表格に命ぜられたかを知り、確と己の役目を果たすよう…」
「ははっ」
 それぞれの者にそれぞれの考えはあれど、ひとつの妖邪の集団として、彼等は地上への侵略を始めることとなる。



「…それが何だ?」
 今は既に懐かしい、新宿に降り立つ直前の一場面を話に聞き、しかし悪奴弥守はその内容から、那唖挫が何を言いたいのかいまひとつ掴めなかった。すると、そんなことだろうと解っていながら、
「これだけ聞いて解らぬのか?、阿呆め」
 那唖挫は意地悪くそう返した。
「阿呆ってな!」
「阿呆だから阿呆と言ってるんだ。阿羅醐もよく人を見ていたものだ」
 そう、己を知らぬ人間は多く居るが、己以上に己を知る者が存在することもある。那唖挫が呆れて言うのは、意外にも悪奴弥守は物事を疑う意識が薄いこと、これと思う事に心酔するタイプであること、そんな己を知らないことについてだ。よくもまあそれで、狡っ辛さが武器の筈の魔将格まで昇って来たものだ、と、今も那唖挫は不思議に思う程だった。
 普通の人間でさえ、何でも疑ってかかる者は居ると言うのに。主の教えを言葉のままに受け止め、他に何も考えないでいた悪奴弥守には、結局阿羅醐が暗に示した意味も伝わらなかったようだ。
「つまり、俺等は朱天ほどマメに働く訳でもなければ、上からも下からも来る文句を、上手く捌ける質でもないって話だろ」
 螺呪羅がご親切にそう解説してやると、途端に目から鱗が落ちたような顔をして、悪奴弥守は今更ながら固まってしまった。
「…あー…、ああ…」
「お陰で魔将と言う立場を貰いながら、我々三人は気楽にやって来られたのだ。違うか?」
 気楽に、などと言う言葉は確かに、螺呪羅の在り方にはぴったり来る気がするけれど。
「…そう言う事か…、なぁ…?」
 目が開いたばかりの悪奴弥守にはまだ、それは実感できない様子だった。
 それでも何れ、誰もが過去の事実に納得する時が来るだろう。阿羅醐が見込んだ人物だからこそ、自ずと真実を知り阿羅醐を裏切ることとなる。そして今は、阿羅醐が危険視した一族の娘が、人々の信頼を最も集めていることも。
 人にはそれぞれの天分があり、それに沿って生きればこそ幸福だ。妖邪の力に翻弄され、悪意ばかりを育てて来た過去も今も、結局はそれなりに幸福な状態が続いていると、気付けば決して、己の運命を呪うことはできなかった。
 我々はここに存在するからこそ魔将なのだと。
「だが、昔の方が良かった面もあるにはある」
 と、そこで那唖挫が、話の流れにそぐわない妙な事を呟いた。
「何だ?」
 悪奴弥守に対する生返事とは違い、「おや」と言う態度を見せて螺呪羅が返すと、続けて那唖挫はこう言った。
「こんな雑用は皆、朱天に押し付けられたからな」
 彼がニヤと笑うと、自然に他のふたりも笑い出していた。
「クックックッ…」
「ハッハハハ!、そうだそうだ、そうだったな!」
 回想話の通り、朱天は他の魔将達がやりたがらない仕事も、皆引き受けざるを得ない立場だった。阿羅醐にそう命じられていたこともあり、彼ならできると信用されていた由縁でもある。正に中間管理職の辛い所だ。
「代表格はそうでなくてはな」
 笑いながら螺呪羅はそう付け加えたが、そんな憎まれ口も懐かしい、今となっては鬼魔将を宛てにし過ぎていた事実を、誰もが悔恨の内に留めるしかない情けなさを思うばかりだった。
 己等の間抜けさ加減を笑い合える平和が在るのも、ただ彼の存在と行動の結果だ。
 だから我等はここに留まるしかない。
 この小さな異空間を離れて生きることはできない。
「…随分楽しそうですね?」
 するとそこへ、様子を見にやって来た迦遊羅が顔を出した。
「え?、いや。昔話をしていてな」
 笑い合ってはいたものの、作業の手を止めていた訳ではないので、特に取り乱すことなく悪奴弥守が答える。彼の返事に偽りは無かった、場の雰囲気がいつに増して和やかだと、迦遊羅にもそれは印象良く伝わっていた。けれども、
「左様でございましたか…。談笑しながらできる作業なら、厭々でもなくやって戴けそうですね」
「えっ…」
 印象が良ければ良いで、魔将達に取って良い方に転ぶかはまた別の話。
「それなら、残りの文書は全部こちらに回させましょう。こういう作業は皆やりたがらないので助かります。宜しく、三魔将の皆様」
 迦遊羅は穏やかな口調で、しかし有無を言わせぬまま、面倒な事務を押し付けることに成功していた。してやったりだった。
「ああ…、そう…」
 後には、誰ともない気の抜けた返事が聞かれたが、今はもう悪奴弥守までも、「仕方の無い事」と理解するに至っていた。故に彼等は大人しくこの作業をこなすだろう。自らの立場を得る為に、面倒な雑務を引き受けることも必要だ。嘗て誰かがそうしたように。
 今が平和の世なら尚のこと、剣より筆の方が有用だろう。

 けれど解っていてもボヤきたくなる。
「戻って来ぬかなぁ、朱天の奴…」
 そう言った悪奴弥守は、例え幽霊であっても朱天の方が、己より効率良く仕事をするだろう、などと考えているようだ。まあ、そんな事の為に復活させられても、彼には迷惑な話だ。









コメント)もっとギャグっぽくなるかと思ったら、書いてみて意外と真面目な内容だった(^ ^;。でも明るい調子で書けて良かったです。
それより、これまで四魔将と迦遊羅は、パラレル等で何度も書いて来たけど、阿羅醐様を阿羅醐様らしく書くこと、TVシリーズのままの場面で書くことは初めてだったので、その辺がかなり嬉しい&面白かったです♪。
もっと時間があったら、「帳簿」の内容の記述も入れたかったんですが、傷めた頚椎の調子が悪くてギブですみません(> <)。後々見直す時に加筆しようかと考えております。




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