内緒話をもちかける
天地創造
CREATIONS FOR CREATURES



 ここは暑くも寒くもない。風も無ければ雨も降らない。
 ユダヤ・キリスト教の聖書で言えば、まだ極初期の創造を終えたばかり、と言ったイメージだった。戦士達はこれまで、何の過不足も感じずに動いているけれど、それが酷く不思議に感じる場所でもあった。
 とにかく生気を感じる物が無い。生物はおろか色彩すら無いのだ。言ってみれば真っ白な紙の箱に閉じ込められたようなもの。地面を作る雲のような物質は白く、空も常に白くぼんやりと輝いている。その他の彩りと言えば、光が作り出す陰影の淡い鼠色のみ。思い思いの服を着て、それぞれ違う色の髪や皮膚をした戦士達が、圧倒的に異質で浮いたものに見えていた。
 無論異質なことには違いない。一定の速度を持って流れる地面の他は、ほぼ何も動かないと言って良い世界で、目標を掲げて歩き回っている五人だ。取り巻く世界はまるで、滑稽な闖入者を楽しむように閉じていた。そして、何も無かった場所に密かなさざめきを起こす、意ある者達の動きをゆったりと受け止めている。
 いずれその微弱な波が、眠る子を起こす日を待っているのかも知れない。

 その日、と言っても時間の区切りが在るかどうかも定かでないが、戦士達は引き続き世界の全体像を把握しようと、方々へ散って歩いていた。最初に見付けた地面の穴のようなものから、地球上で使われる方角を仮に当て嵌め、当麻が中心になって計測を続けていた。辺りを照らしているのが、太陽のように動く光源でないのは幸いだった。影のでき方が一定であれば、基準を設定するのは容易だった。
 そしてその認識が全員に渡ると、以前のように五人で一団となって移動する必要はなくなった。否、不測の事態に備えて、最低ふたりで行動することにはしていたが。
「…どのくらい経ってるのかな」
 歩きながら伸は呟いた。
「ここに来てからのことか?」
 征士はそう返して、暫しの間考えてから続ける。
「本来なら判らない筈はないのだが…」
 恐らく最初の日と思える時に、伸がここで最初の発見をした。それから同様のポイントは既に八つ見付かっていた。これまでに凡そ千キロ圏を散策し、それだけのポイントを見付けて来たが、今のところこの世界の縁だとか、見たことの無い地形等には出会っていない。行動の基準にしているその小さな穴も、何なのかは全く判っていなかった。
 また凡その距離は歩測で行っている。伊能忠敬の日本地図で知られている通り、意外に正確な距離を測れるものだと、これもまた当麻の提案だった。
 ところで、歩測の正確性に疑いは持たないが、時間はどうすれば測れるのだろうか?。征士の返答に対して伸は、当然のようにその疑問を口にする。
「本来は判るって?」
「体のサイクルから大体のことは判るだろう。海外に行くと時差を感じるように、普段の習慣が体に残っているものだが」
 征士は一定の生活サイクルを、極力崩さぬように生活して来た為、地球上なら何処でも大体の時間を把握できたようだ。しかし今はそれもできなくなっていた。
「そうだね、言われてみれば全然そんな感覚も無い」
 話を聞くと伸も、体内時計のようなものが働いていない事実は、自分にも判ると返していた。
「昼夜の区切りが無いからか、それとも…」
 そして征士はその理由を、この世界の特殊性なのか、或いは自身がおかしいのか、と考え始める。地面が流れるように動いている様を見れば、時間経過の無い世界ではないと感じられる。時間に支配される対象が存在しないだけ、とは言えるかも知れない。地面の流れには全く変化が見られない、空は常に一定の光量で全天を照らしている。ここに在るものは全てが不変だ。
 唯一我々との遭遇を待っている、穏やかな魂へと還元されねばならない、過去の亡霊のようなものが現れ消えることを覗けば…。
「気になるのか?」
 けれど征士はそこまで考えながら、あえて思索を止めて伸に尋ねた。彼には最早、地球時間に対する自分達の立場よりも、今ここに居る仲間達が確と居ることの方が、数段大事だと感じられていた。他に誰かが居ると知ってこそ、黙って受け入れられた運命でもある。だから事実確認などよりも、伸の気持の方が余程気掛かりだった。
 実のところ征士は、計測や確認作業には今ひとつ熱中できていなかった。当麻などにそれが知れたら不興を買うだろうが、つまり前途の理由で、場所がどうだろうと仲間達が変わらないことが大切、と結論してしまっているからだ。
 そんな征士の考えを知ってか知らずか、伸は特に淀みの無い調子で答えた。
「いや地上じゃなくて、結構長く居るのにあんまり収穫が無い感じだからさ」
 感覚だけで言えば、恐らく一週間近く経過していると考える彼は、時間に対する成果が少ないと気にしているようだ。それならば征士も穏やかに同意するところだった。
「そうだな。歩く程度では眠くもならんし、余計にそう感じるようだ」
 これまでに、敵と思えるものには一度しか遭遇していない。その時に判ったことも、まだ全体の内の僅かな面のみと言えた。例えばここで『敵』と呼ぶ者は実体を持たず、地球で言うところの亡霊、怨霊と言ったものに近いと言うこと。拠って相手は武器は使わないが、何らかの地球的な要素を以って攻撃する。或いは思念波のようなものを使うことは判った。
 また彼等は過去に地球に存在した某であり、生存期間は決まった年代ではないこと。恐らく国籍も関係ないと思われる。過去の何らかの戦、戦争、力に拠る支配に荒廃した魂が、ここに寄り集まっているらしきこと。今のところ火に拠って昇華させるのが、最も理に適った処理法であること。敵については以上の知識は得られていた。
 ただ、これ程広大な場所に在って、未だたった一度の遭遇だ。敵の個体数は僅か二体だった。それで正しい考察ができたかどうかは、サンプルが少な過ぎて判断しようもないが。
「まだ当麻が言うような、『大きな波』には当ってないみたいだから、こうして呑気にしてられるのかも知れないけどね」
 すると伸は、最初に敵に遭遇した後の、当麻の予言的な推測を考えながら続けた。当麻が言うには、地球上の生物が皆そうであるように、地球から生まれた魂ならば当然、群れている場所と疎らな場所が存在する。徐々に個体が増えて行く方へと進めば、いずれ大軍に出会うこともあるだろう、と言うことだった。
 それについては征士も同意して答えるのみだった。
「大軍に遭った時には、並大抵のことでは済まないだろうな。経験してみなければ何とも言えないが、全てが鎮まるまで、昼も夜も無く戦い続けることになるだろう」
「うん、そうだろうね」
 そこまでは、ほぼ同じ感覚を共有していると知って、伸は深く頷いて見せたけれど。
「でもそうしたらどうなるのかな?。休む程度で回復するんだろうか、体力もだけど鎧自体は…」
 彼は更に生じた疑問を口にしていた。
 敵については前途の通りだが、鎧戦士の側での発見は、まず鎧を身に着け、その能力を使うと多少疲労感が生じること、逆に言えば鎧の力を使わない限り、この世界では疲労しないらしいと判った。
 しかし、疲労が極限まで進んだらどうなるのか。地球上と同じで、その後休息すれば体力は回復するようだが、休息できない状況に陥ったらどうなるのか。鎧自体が疲弊する、或いは能力が弱まることはないのか。そうなった場合どうすれば良いのか。と、伸の疑問は尽きなかった。無論誰よりも仲間達の安全を考えている、彼だからこその思案だろう。
 だがそうして口に出したところで、征士に答が存在する筈もない。何故なら、
「さて、必要な時にしか現れぬようだし、検証できないのが困ったところだ」
「ホントだね…」
 彼等の言う通り、自らの意思で出現させることができないからだった。
 然るべき標的が現れると同時に鎧も出現する。相手の存在が消えると鎧も消える。どういった仕組みなのかは判らないが、少なくとも彼等が為すべき事に於いて、必要な時以外は姿を見ることもできないらしい。ある意味では合理的な鎧とも言えた。恐らく鎧自体が、敵と看做すものに反応して出現するのだろうが、この世界での法則なのか、元々の仕様なのかは知る由も無かった。
 その他には、アンダーギアのような中間装備は無い、或いは鎧と一体になっているらしいこと、以前と同じ要素を継承する鎧であることは判った。またこの場所に限っての事かも知れないが、武器の能力も力より要素の方が重要らしい。但し単純な力に比べると多少不安定なようだ。防御力については以前とほぼ変わらない、との推察はできていた。
 無論それだけでも、充分今後の役には立つのだが、
「鎧も敵も煙のように現れて消えて行く。それがこの世界の所為なのか、新しい鎧の性質なのかも今は判らん」
 征士はそう締め括りながら、いずれも長い時間をかけて理解して行く事だろうと、暗に伝えているようだった。まだたった一度、新しい鎧戦士としてすべき事に出会っただけだ。この後どれ程の時間が存在するのか、どれ程の敵が存在するのか知らないが、今の時点で全てが判ってしまうなら、それこそ退屈な命題は無いとも言えた。
 だから今は謎のままでも良い、と征士は思っているようだ。
「新しい鎧は色々難しいね」
 征士ほど割り切れていないにせよ、伸も今は深く考えるのを止めて答えていた。どれ程未来の出来事を案じても、来るべき時は来るだろうと、多少遣る瀬ない思いを持ちながら。
 ところが、
「さあどうだか」
「え?、何でさ?。そう思わないの?」
 伸は意外な返事に慌てるように、目を見開いて征士の方を見る。今「判らない」と話し合っていたばかりの筈だが…。すると、征士は冗談半分と言った口調で、
「伸ほど難しくはないかも知れん」
 と返していた。成程、それは如何にも彼らしい思考かも知れない。対して伸は、
「ハハハ…、ホントにそんなこと思ってんの?」
 そうはっきり言葉にされると、少しばかり恥ずかしい気持にもなった。痛い欠点を指摘された訳でも、咎められた訳でもないのだが。
 結局何と返せば良いか困って、伸は憤慨するような態度を作って見せる。まあそれでいつものパターンだった。否、結果的にそうなったのではなく、もしかしたら征士は、そうしたいつも通りの反応が見たかったのかも知れない。
 この白いばかりの世界で過ごす時間が、これまでの日常とはあまりにも掛け離れて、酷く味気なく感じることもしばしばだったので。
「…それにしても、不思議なもんだね。毎日面倒臭くてしょうがなかった、生活の作業が恋しく感じるよ」
 暫しの間を置いて、伸もまた征士の心情と似たようた話を始める。
「面倒と思っていたのか?」
「そりゃあね」
 伸はこれまで、家事や生活の上での雑事を「面倒」などと、人に話したことはなかった筈だが。と、征士はここに来て俄に考え込んでしまった。無論詰まらない仕事や、人の嫌がる事を進んでする者こそ尊いと、一般によく言われることだが、だからと言って、誰も好きでそれらをやっている訳ではない。その点は解っていたつもりだったが…。
 しかし、ふと伸の方に目を向けると、彼は特に厭味な態度を見せるでもなく、むしろ大した意味の無い人間の生活の中の、小さな物事を懐かしく温めるような目をして、笑っているのが見えた。それなので、征士も適当な返事をすることができた。
「面倒な方が良い事もあるしな」
 恐らく伸が言いたい事はそれだろうと。すると、
「そう言うこと。人間はね、馬鹿みたいに面倒な事をしながら、それを愛しく思ってたりするんだよ。多分」
 正に読み通り、と言う内容の言葉が伸の口から聞こえた。
 まあ、家事や生活の雑事のみを考えると、楽な方が良いと言う意見もありそうだが、例えば恋愛のプロセスが簡略化されたら、世の中全く面白くないと思う。或いは鎧戦士達が、時間を掛けて積み上げて来たものが、僅かな時間で労せず得られるとしたら、世界の平和など無価値になってしまうだろう。利便性や合理化を極限まで進めると、人は全て何もしない石ころのようになって、その辺りに転がっていればいい、と言うことになってしまう。
 そうではなくて、煩わしい小さな物事の繰り返しこそ、人間の幸福の原点だと伸は言っているようだった。そんな彼が戦士のひとりに選ばれていることも、無論意味があるのだと征士は思う。
 そして、生きている己を愛せているかどうかが、意外にそんな所から判るような気がした。
「哲学的だな」
 と征士が返すと、
「だから不思議だって言っただろ?、ここに居るとそんな考えばっかり浮かんで来るんだ」
 伸はそう説明して、やはり現状の物足りなさを訴えるのだった。結局はふたり共、何かをしている満足感を求めているのだろう。日がな戦慄を感じる訳でもなく、慌ただしさや身の苦痛も無く、暮らすことの楽しささえも無く、時間ばかりが過ぎて行く世界に在って。
「我々の他に生物が居ないのだ、それも仕方あるまい」
 征士は伸の訴えにそう答えたが、すると、突然何かを思い立ったように、伸は横を歩く征士に近寄って耳打ちする。
「あのさ、ちょっと考えたんだけど…」
「?」
 小声で話をするのは、当然他の仲間達に聞こえないようにだが、そうする必要のある相談事とは一体何だろうか。一通り話を聞き終えた征士は、立ち止まって考えるような仕種をしていたけれど。
 願わくば、彼等の不満を解消する名案であれば良い。



「これで九ケ所目だな。何か判ったか?」
 遼は靄の中の一点を注意深く見詰めながら言った。
 緩い流れを持つ地表に、疎らに空いている小さな空洞は今のところ、何の為のものなのか、地面の構造に関係があるのかも全く判っていない。ただこれまでに、決まった位置で固定していると確認したので、最初に見付けたものを基準にして、そこからの距離や方角を測って来た。
 遼に尋ねられた当麻は、何処から出したのやら、手帳のページに鉛筆でポイントを書き入れながら、ああでもないこうでもないと言う風に、頭の中をフル回転させていた。
「ああ…、う〜ん…。基準になる方角が定まらないから、あくまで推測だが、この配置は放射状に連なってるんじゃ…。いや違うか、円のようにも見えるが、少し纏まりに欠けるのがなぁ…」
 因みに彼が手帳を持っていたのは偶然ではない。常に思い付きをメモする習慣がある所為で、衣服と手帳はセット、と当麻自身が考えていたからだった。恐らく誰もがそんな風に、手放せない物は持っていたりするのだろう。秀のデニムのポケットには、クールミントガムが入っていたようだが。
 ところで、当麻の煮え切らない分析を聞いた遼は、それでも当麻が示す方向性を感じ取っていた。
「何処かに中心がありそうだってことか?」
 そう、円だの放射だのと言えば、中心点があることくらいは遼にも判る。すると、
「ああ。紙の上の図形のように、はっきりした中心じゃないかも知れんが、この世界を支えている力を供給するポイントが、何処かに必ずある筈だと思っている」
 当麻は自らの予想をそう説明してくれた。
 つまり彼は、この地面に空いている穴は何かしら、世界全体のエネルギーに関わると考えている。確かにここで動いているものは、地面を形成する雲のような物質のみなので、その流れが即ちエネルギーの流れ、電子やイオン、重力等の物理的な流れと捉えられて然りだ。エネルギーは不動では有り得ない。そんな知識を持つ当麻だからこそ、そう推測したのだろう。
 しかし遼は、そうした構造的理論ではなく、当麻の確信めいた言い方に関心を寄せていた。
「力を生み出すポイントか。だが『必ず』あるって言うのは?」
 すると当麻は少し表情を緩めて、嫌でも納得するであろう例を挙げる。
「俺達が飲まず食わずで生きていられる理由さ」
「ああ…、成程な…」
 学校の勉強は得意でなかったが、流石に遼もその理屈には頷けたようだ。
 こうしてただ歩き回るだけなら、幽霊のような状態と言っても構わなかった。しかし一度敵に遭遇した時、戦えばある程度の消耗があると知ったからだ。また武器や鎧から発する力は、例えば自分の体の一部を消費しているとか、己=鎧と言う風でもなさそうだった。つまり己の能力も鎧も、何処かから何かを吸い上げ、戦う力として消費しているように思えるのだ。
 何処かから何かを、とはあまりにも漠然としたイメージだが、遼の考える事はしかし、当麻にも全く同様の疑問でしかなかった。
「動力となるエネルギーが、何処にあるのか今のところまるで判らない。敵らしきものに遭った時も、相手の行動も含め、何故ここで様々な要素が発動できたのか。ここは地球上とは違う、火が燃える為には、最低でも酸素と燃料が必要なんだぞ…」
 過去の阿羅醐の鎧ならば、人々の持つ負の感情と阿羅醐自身の怨念、と呼ばれた一種の生体エネルギーが基礎にあっただろう。地球に根付く生物に由来するものは、地球環境から力を引き出すことができた。地核のマグマや大気の流れ、原子や電子の運動エネルギーに至るまで。もし地球が単一な岩の塊であったら、多様な能力は生まれなかった筈なのだ。
 そして新しい鎧も、すずなぎを始め人々の祈りのような意思の力で出来ている。存在理念は違うが、恐らく同様の仕組みであることは間違いない。つまりエネルギーを引き出す源の無い世界では、能力を発動できないと言うことだ。多様性も何も無い。ここには人間五人の他に生命体が存在しない。それでは何を吸収しているのだろうか?。鎧も鎧戦士も、思念波のような力を使う敵にしても。
「言われてみりゃ…、富士山に行くと力が回復したのも、元々地球にある物が源だからなんだ。前の鎧は確かに、関係ある要素から力を引き出していた」
 当麻の話を聞くと、遼も過去の例を思い出してそう話した。
「星とはエネルギーの集合体なのさ。中で燃え盛ってるからこそ、その上の物質や生物も生きている。だが、ここは妖邪界のように地球の恩恵を受けた世界じゃない。まあ、生きた者が居ないから必要無いのかも知れんが…」
 続けて当麻は遼の理解が進むように、そんな話も付け加えた。似たような平行世界と思えば、妖邪界とこことは全く違っていると。妖邪界はある意味で懐かしさを感じさせるような、酷く人間臭い異世界だった。無論そこでなら、地球産の人間が力を発揮しても不思議はなかった。
 ただ、
「でも炎は出たんだよな…」
 遼の呟きの通り、何も見えないこの世界でも特定の現象は起こった。幾ら話し合っても、考えても、それだけでは解明できない目下の最大の謎。
「そうなんだ。烈火が炎を使うのは変わらないが、何処からその力が発生するんだかな」
 だからこそ当麻は、腰を据えて調査や測量に勤しんでいるのだが。
「…それと、」
「何だ?」
 見出せない難題にひとつ溜息を吐いた後、当麻はふと首を捻って遼に向いた。
「烈火の炎は今のところ唯一の切り札と考える。前の戦闘で思ったが、敵には『浄化』が必要なんだ。炎自体じゃなく、その意味の方を強く求められている気がする」
 理屈は判らなくとも、大事な事が何かは判っている。それが現在の最低限の収穫だと当麻は話した。今のところと言うのは、いずれ烈火以外の鎧の能力でも、同様の事ができるかも知れないと言う予測だが、元来の炎の意味を考えれば、烈火が最も強力であろうと判断できた。
 まだ大軍にも巨大な敵にも遭遇しないが、その時には必ず烈火が物を言う筈だ、と、当麻は念を押しているようだった。
「そう思う。実際『倒した』って感じじゃなかったんだ。それが重要なんだろうな」
 無論言葉にして言われなくとも、遼は感覚的に判っていた。恐らく今の鎧戦士の戦いは、死霊を弔う僧侶のような立場なのだと。元は単なる一兵士に過ぎなかった自分が、大した立場になったものだと、遼は内心笑っていたけれど。
「秀辺りには、つまらんと言われ兼ねないが…」
 そこで漸く他の者の名前を出して、考え込んでいた重い雰囲気を切り替えた当麻だったが、
「そう言や秀は何処行ったんだ?」
「…随分先行していたようだが…」
 肝心な時に、先方隊として出ていた秀の姿は無かった。場を明るくする要素としては、最大の能力を発揮する人物なのだが…。



「お・ま・え・らぁ〜〜〜!!」
 数キロ先から、その場の異常な様子を見付けてやって来た秀は、それが何であるか確認次第大声を上げた。その声は更に数キロ先まで届いたことだろう。
 けれど慌てたような、怒ったような声の主に対して伸は、全く平素な態度で返事していた。
「早いじゃないか、もうこっちに来るなんてさ」
「なっ、なっ、こんな所で何だ…っ!、じゃねぇ、どうなってんだこれ!?」
 近付くに連れ、秀の声は単純な驚きの色に変わって行った。尚、今回の測量ルートは遼と当麻の組、征士と伸の組が、最終的に同じ地点に着くよう考え、秀はそれぞれの目印となる役目をしていた。ただ作業も半ばを過ぎて、飽きが来たので秀は少しばかりルートを外れ、好きに走り回っていたのだが。
 そしてその先で、考えられない光景を見てしまった。
「僕らが作ったんだよ。君もどうだい?」
「えぇぇぇぇ!?」
 楽し気に水音を響かせている伸の横には、リラックスした様子で動かない征士が居た。
 何に驚いたって。これまで形にならない煙のようなものと思われていた、靄の地面が降り注ぐ雨の受け皿となって窪んでいた。直系十五メートル程の池の端にふたりが浸かっている。そして反対側の端には、何処かから千切り取ったような小さな雨雲が、極々局地的な雨を振らせているのだ。
「良い出来だろう?、随分小さくなってしまったが」
 秀がすぐ傍までやって来たと知ると、征士は頭だけを動かして彼に言った。そう、伸の言った通り、何らかの方法で雨雲を創造したのは、確かなようだと秀にも伝わっていた。水溜まりが大きく深くなるに連れ、雨雲自体は小さくなったようだと。
 無論秀には、このふたりの要素から雲を作り出せそうなことは、理屈はともかく想像がついた。簡単に言えば電気が水の分子を集めた結果だ。しかし、そうした個々の鎧の要素を使う為には、まず敵が現れなくてはならない筈だ。敵に反応して鎧は出現するようだと、前の戦闘で確認したばかりだった。そんな気配は無かった…と考え込んでしまう状況である。
「ちょっと待てよ、鎧無しでだろ?。それでこんなことができるのか?」
 すると困惑顔の秀に対して、征士は特に興奮した様子もなく話す。
「姿は見えなくとも、鎧の要素は使えるらしいことが判ったのだ。まあこの程度の事はいいが、完全にコントロールできるかはまだ分からん」
 つまり新しい鎧は、戦闘に於ける防御力として形を現す以外でも、彼等の身に着いている状態らしいのだ。気付いてみれば確かに、強制的に着せられた筈の鎧がここに来て、突然好きな服装に変わっていたのは、そうしたからくりの所為だと考えることもできた。
 秀は目を見張ったままその答を聞くと、征士とは対称的に意気踊る様子を見せた。何しろ彼には退屈の連続に耐えるばかりの日々なので、面白そうな現実は率直に嬉しかったのだ。
「へぇーっ!、そりゃすげー発見だぜ!。色んなことができんじゃねぇか、おいっ」
 そして自分以上に喜んでいる秀を見ると、伸も合わせて明るい声を発した。
「あはは、そうだろ?。この世界も新しい鎧のこともよく分かんないし、とにかく思い付いた事をやってみようって、それだけだったんだけどさ!」
 人間らしい事がしたい。
 伸が征士に持ちかけたのは、ここで地球上と同じような事ができるかどうか、試してみようと言う相談だった。そう言えば彼は生活感から離れ過ぎて、多少淋し気な様子を見せていた。当たり前に存在して居た環境がここには無い、覚悟はあったけれど、決して気持が負けていた訳ではないけれど、何か、生きている己を確認する作業がしたかったのだ。
 何故ならここは死者の世界だ。何も持たず、肉体すらとうに朽ち果て、手放せない思いのみで存在している魂達。そんな者の寄り集まる世界に在って、彼等と同等に暮らすと言うのはどうだろう。生きている僕らが死んだ者と同じ意識で、ここに存在できるんだろうか?。と伸は考えていた。
 当麻や遼には悪いが、彼等があまりに真面目に取組む様子を見て、却って心配になっていた程だ。亡霊達と同じように、ひとつの事に集中し過ぎていないかと。それが僕等に求められる使役だろうかと。もっと余裕を持ってもいいんじゃないか、幾らでも時間があるなら、休み休みやれば良いんじゃないかと思えていた。
 でなければすぐに心が疲れてしまうだろう。
 こんな場所では、気持が折れてしまう事が一番恐いと思うから。
 伸のそんな気持は、言葉に出しはしなかったが、征士がそれを汲んでくれた形になったと言う訳だ。そして更に、
「いんや、もしかしたらすげぇ重要な事かも知れねぇぞ!」
 秀も今は目を輝かせていた。感情の動きを知って自由に考えられれば、窮屈な思いをしていた心は解放される。こんな場所だから尚更そうでなくては、人間らしい感情を大事にしなくては、とも伸は考えていた。人は人以外のものにはなれないから、人の心に従ってやれば良いのではないか。
「重要かどうかは用途に拠るだろう」
 秀の発言に対して、征士はあくまで実用を考えている様子だったが、
「ま、ここでは汗もかかないし砂埃も無いけど、色々すっきりしたから成功だね」
 伸はともかく、思い付いた通りに雨を降らせることができた、その事実で充分じゃないかと言った。自分達には最も簡単そうな、たったこれだけの実験でも、己の安らげる環境を作り出せたのだから。
 これまでは何も無かったのだから。
「よっし、俺も入れてもーらおっ!」
 ここは特に暑くも寒くもない場所だが、気持の良さそうな自然な水辺を見れば、秀は早速そう言って仲間に加えてもらうことにした。本当に、気が前向きに明るくなるだけのことでも、この世界には充分有用な事ではないか、と言う感じだ。
「言っておくが水だぞ」
 と征士が敢えて言ったのは、一見温泉にでも浸かっている風情に見えるからだ。あまり勢い良く飛び込むと、夏場のプールと同様、筋肉の痙攣や腓返りを起こし兼ねない。秀の様子はそれ程に慌ただしかった。
「遼が居たら完璧だったのになぁ?」
「そう都合良く行くものか」
 まあ、水溜まりを沸かすことが可能かどうかは疑問だ。風呂桶ならともかく。
「ハハハハ」
 伸は困り果てる遼の姿を想像して笑っていた。

 無ければ作れば良いと、最初に思い付いた人間は何と偉大なのだろう。
 お湯を沸かすなどと言う些末な事でなく、恐らくこれから仲間達の手に拠って、あらゆる重要な創造が見られるのではないかと思う。今のところこの能力が、直接何の役に立つのかは知れないが、いつか意味を為すこともあろうと、今は希望を胸にするばかりだった。
 地上を離れ、新たな使命と力を得、正に普通の人間とは異なる存在になろうとしているが、人間である己を愛しむ気持は、いつも忘れたくはない。即ちそれが全ての人々への愛情だと、伸は信じているので。

 いずれ烈火は炎を、金剛は地表を、天空は大気を操るものになるだろう。その能力が完成する頃には、この世界の秘密も大方解けて来る筈だった。









コメント)前作の続きなので、新たにコメントしたい事は特にないですが、引き続き舞台の世界観と、新しいトルーパーの仕様に関するお話でした。タイトルが当秀っぽいですが、それを期待して読んだ方にはすみません(笑)。次作の方がそれっぽいかな。
 尚今回は征士と伸の側の発想を書いたけど、当麻のしている事が間違いな訳じゃありません。あしからず。




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