ナスティの疑問
則天去私
#2
We throw forward



 研究室の机を取り囲む五人とナスティ。
 勿論小さなパソコン画面に映るものを、大人数で同時に見られる時代ではない。最も情報処理に向いた当麻と、意欲的な遼のふたりがナスティの左右に、他の三人はその傍で適当に様子を見ていた。
 まず最初にナスティが開いたのは、かなり詳細なものではあるが、一般的に知られる歴史年表のデータだった。その記述を注意深く確認しながら、当麻が画面をスクロールして行ったが、どうも、幾ら読んでも違和感を感じない。
「何も変わっていないようだが…?」
 と彼が途中で呟くと、大発見をした様子のナスティは、何故かそれを否定するように返した。
「そう、ざっと見た感じ、夢じゃなくて新たな過去かも知れない、と言いう説ね、これだと根拠は証明できないわ」
 確かに幾ら文字を追って行けども、学校等で学習した過去の出来事、事件と異なる記述は見付からない。各所の詳しい解説を一言一句、細かく精査すれば微妙なニュアンスの違い程度は、発見できるのかも知れないが、それを一時間に満たない間に、ナスティが見付けられたとも思えなかった。
 そもそも当麻はこのデータが、元はどんな記述だったかを知らない。比較で考えるのは鼻から不可能だが、そう悩む前に、夢の内容について伸はこんな指摘をする。
「んー、それは当然かも?」
「どうして?」
「僕ら名も無い市民のことがほとんどだったし、歴史を変えるようなことはしてないから」
 キョトンとするナスティに向け、征士もそれに同意しこう続けた。
「確かに。寧ろ歴史に付き合わされていたような」
「え?、そうなの…?、え?、どういうこと?」
 どうも彼女は、新たな過去とされる夢が、五人に壮大なスケールの事象を見せたような、最上級の想像をしていたらしい。遼の夢ならその通りかも知れないが、そう言えば彼女は秀の夢の一部、伸の夢の一部を聞いただけだと、
「あ…ナスティ、他はまだ話してなかったっけ…?」
 申し訳なさそうに遼は尋ね、当麻もそれに合わせて軽い溜息を見せる。
「そう言えばそうだ」
 ふたりは取り敢えず、五つの物語を大まかに要約して話すことになった。

 柳生邸にて夢の話をするのは何度目だろう?
 夢を見た翌朝、当麻が大体の予想をした通り、新たな夢は地球上の何処かの過去に当たる。その時最も栄えていたか、最も進んだ文明、文化を持つ集団に必ず五人存在している。約千年前のヨーロッパ、約二千年前のローマ帝国、約三千年前のエジプト、恐らく一万年は昔に思える最初の象形文字時代、そして少し意趣の違う過去として、五十億以上前の太陽系第三惑星の成立。
 五人の、各々の夢と言えるものは恐らく、以前迦雄須が見せた夢と同様に、各々のテーマが含まれているように思えた。だがそれぞれ物語が長く多面的で、複雑な政治背景等を含有する為、正確な全貌を話すことはできそうもなかった。その前にまだ誰もが、自身の夢すら消化し切れていないのだ。
 遼と当麻がナスティに概要を話す傍、正によく解らない様子の秀が、先程の伸の発言に首を傾げながら言った。
「うーん??、でもエジプトの場合はどうなんだ?」
 確かに彼の言うように、唯一『名も無い市民』には当たらない征士の夢。遼の場合も『市民』ではなさそうだが、何故そうなのかはともかく、当時は世界の中心に座していた国の、最高権力者となっていたからには、史実に何らかの変化があっても良さそうだ、と、秀には単純に感じるらしい。
 だがそこは、もう少し歴史を理解する征士がこう話す。
「記述として残る出来事は同じだろう。名はどうにでも解釈できる」
「へ?」
「正式名以外の名を持つ人は、日本の歴史にもよく見る。さすがに三千年前の世界の事は、記録の無い部分も多いだろう」
 その通り、石や粘土に刻まれ残された、過去の偉人の伝説などは、後世に伝えたい事のみを書くものだ。現代のような戸籍がある訳でもなく、筆者が全てを正確に把握していたとも思えない。またさして重要でない、雑多な文書を書き記すこともほぼ無い。文字を書く技術と識字率の関係で、まだ読むことが娯楽ではなかったからだ。
 エジプトはそれでもパピルスのお陰で、非常に文字文化が発達し、文字を習った役人クラスの人物なら、職業的な記録、個人の日記や手紙類が現存している。しかし彼等は王宮の内部など知る筈もなく、王族は常に謎めいていたことだろう。謎めいていたからこそ価値がある時代、とも言えた。
 それについて伸が、
「そうだよ秀、特に正室以外の女の家系なんて、全然記録されないもんだよ、日本でも」
 と、我が国を例に挙げると、唸りながらも秀には何かが見えたようだった。
「あー…、誰々の娘って?」
「あれっ、意外に何のことか判ってるんだ?」
 全く意外そうな顔をして見せる伸に、「柄じゃない」と秀は気恥ずかしく思うのか、普段の快活な口調を押さえるように笑う。
「ハハハ意外だろ?、俺だって中国の史記ならちょっとくらい知ってるぜ」
 まあ話す相手が当麻だった場合、浅い知識を突っ込まれ兼ねないと思うのだろう。否、誰もが秀に深い見識など求めはしない。当麻の場合は単に意地悪なだけで、伸と征士ならそこまで追及しようとしない。ただしばしば厄介なのは、
「日本の制度の元は大陸の発想だ。秀の方が詳しいかも知れんな?」
「いやそこまでは…」
 そうしてプレッシャーを向けられることだった。特に征士の発言は悪戯なのか本気なのか判らない。秀はだから控え目に返したのだろう。
 けれど彼の中で、征士の話した歴史と記録の関係は、特に引っ掛かり無く飲み込めていた。何故なら現在も多くの人が関心を寄せる、古代エジプトの墳墓や人物について、ほぼ明らかなのは男系の繋がりであり、女系の先祖は辿れない者が大半なのだ。有名な王妃ネフェルティティすら、何処の誰の娘か判明していない。考古学には少しばかり関心のある秀に、それは理解し易い話だったようだ。
 思えば夢での自分は本家の人物ではなく、正妻でもなく、征士もファラオではなかった。自分の名前が碑文などに記されることはまず無いと、秀は自然に納得できた。実はそうでなくとも、征士の見た時代は王朝の衰退期である為、広く知らせたい功績も無かったのだが。
 すると、会話を全て聞いていたのかどうか、
「その通り、名前としては何も出ていないようだ。何も変わっていないと言える」
 そこで当麻が離れた三人に口を出した。丁度ナスティ達三人も、エジプト史を確認している所だったようだ。変化があるとすれば、そこが最も判り易く記述に現れる筈だった。
 しかし、食い入るようにパソコン画面を覗く遼が、
「ファラオの名前は前からこのままなのか?」
 と、不思議そうに尋ねたように、以前と何ら変わった所は無いと言う。
「ああ、変わっていない。詳しい資料には恐らく、当時の神官や一部の大臣も、名は残されているだろうが、それが日常的な呼び名だったかは何とも言えないさ。ローマにしても同じだろう」
「そうか…」
 当麻の説明に、遼も素直に頷く他なかった。確かに古代世界は現代のように、正確性を求める意識は低かったかも知れない。彼が血を引く真田幸村にしても、随分後世でありながら変名の由来は不明のままだ。後に誰がどう見るか一定ではない以上、事実に拘るより、その後の流れを決める記録の方が重要、とするのは理解できると彼は考えていた。
 何故なら文字は人の心を縛る。鎧戦士にも与えられたように、太古から文字の力は知られていたことを、確かに不思議に感じる話だ。そしてナスティが、
「そう聞くと、巧妙に歴史の裏に入り込んでるイメージね」
 多少困ったように聞こえる口振りで言うと、
「綿密な時間に一見判らない、新しい糸を一本織り込めたら正に神業だ」
 続れられた当麻の言葉に、彼女は更に頷いて見せた。
「そう、そうなのよ…!」
 その、酷く熱の篭った声に多少の驚きを持って、
「何なんだ?、ナスティ?」
 と遼は、至って真面目な顔を彼女の方に向ける。すると割り込むようにパソコンの前に戻り、彼女は速やかにキーボードを叩きながら話した。
「それでね、ざっと見ると何も証明できないと言ったけど、こっちの、私の持つ伝奇学のファイルを見て」
 彼女と、彼女の祖父が熱心に集めて来た、公の歴史には登場しない人物や文献の記録。それらは五人もこれまでに幾度か、目にして来たデータだったが、
「これ、迦雄須一族について調べた記述だけど…」
 そう言って、久し振りに五人の目に晒された文書には、確かに彼女が興奮するであろう、意外な文言を新たに見ることができた。いち早くそれを見付けた当麻は、
「何っ…!?」
「…どうしたよ?」
 珍しく目を見張ったまま、動作の固まる様子を秀に尋ねられるも、思考活動に意識が集中しており、見向きどころか返事も無かった。代わりにナスティを挟み、反対側から画面を見ていた遼は、彼に遅れ漸く問題の部分を見付けると、ナスティや当麻とは違い、驚きを思わず口に出して読み上げた。
「迦雄須一族とは、紀元前に大陸から渡来した、伝導の民??」
 声にしながら、まるで思考の上を滑って行くような内容に、遼は目を点にしたままだ。勿論それを耳にした仲間達も同様だった。
「そんなことが書いてあるのか?」
 征士がそう尋ねながら、もう少しパソコンの置かれた机に近付くと、新たな情報が一気に頭を駆け抜け、今は少し落ち着いた当麻と、彼等の考えが纏まるのを待つナスティが続けて答えた。
「これまで聞いたこともないが…」
「ええ、これまでは飛鳥時代頃までしか辿れなかったのよ。それ以前の記録は無かった」
 驚く筈だ。そのデータの記述は恐らく、彼女自身が調べ、データ化した部分もあるだろうに、それが勝手に変わっているとしたら。
「新しく増えたのか…??」
「へぇ!、どれどれ?」
 目に見える変化に感嘆する遼を見ると、秀も単純に好奇心を働かせ、彼のすぐ横に寄って行った。ただ、今現在の記述を見たからと言って、彼に何が判る訳でもないが。
 代わりに想像できる者には、明らかにこれまでとは違う意味を与えられた、と感じる変化だった。日本とは元々、他所からの渡来人の集合地であり、大陸をルーツにする人の存在に疑問は無いが、
「秦の時代だろうか…」
 と、当麻がもう少し考察を進めると、ナスティもそれに同意する意見を口にした。
「そうね、少なくとも大陸の社会がある程度定まって、日本も倭の国として知られた頃でしょうね」
 ふたりの考えは大体このような事である。
 日本は縄文時代が非常に長く続いたが、その理由のひとつは、隣の大陸が長く安定しなかった点にある。秦の始皇帝が中国統一をするまで、長く戦乱の続いた大陸と半島は、その間統一的文化も無く、技術や知識を輸出する余裕も無かっただろう。所謂春秋時代に、名も無く土地の存在感も無い、離れ小島の日本を意識することは無い、と思えるのだ。
 故に安定した後でなければ、ある程度の大型船を出すことも無い。既に交易のあった地域ならともかく、未知の原始的な島国になど。
「弥生時代か?」
 と、征士が「倭の国」と聞いて呟くと、日本人なら必ず連想する言葉を秀が続けた。
「おお!、稲作の伝来!」
「そうだ、ほぼそれと一緒に来たことになる」
 ここでは当麻もあえて意地悪な突っ込みはしなかった。重要な話の腰を折るべきじゃない、と考えていたのだろう。迦雄須一族が大陸からの渡来人とされたのは、その時から脈々と、飛躍した知識が日本に続いて来た意味となる。確かに遣随使より前に、日本には密教的知識を持つ人物が存在し、賀茂役君小角の伝説などは有名だが、その知識を日本に伝えたのは誰かと言う、史実に関わって来るからだ。
 またそれが奈良時代、阿羅醐のような突出した存在を生み出した、土台になっているとも考えられる。何故なら超能力者とは、意外なことに文明化された場所にしか現れない。ジャングルで数万年生きる動植物が、世界を震撼させる力を持たないのは、頭脳や感情の働きが必要だからだと判る。
 つまり脳の優れた使い方を知らねばならない。使い方を会得するには膨大な経験が必要だ。既に文明化された土地からやって来た一族なら、その知識があったとしても不思議はない。と、当麻は推察しているのだが。
 彼とほぼ同様に考えるナスティは、寧ろその結果が驚異的だと震えた。
「それが凄いのよね、無理の無い流れにちゃんとなってるのよ」
 五人が夢を見たと話したのは、現在の地球では僅か二週間前だった。ナスティには特に、つい先日と言える頃、新たな過去がすんなり組み込まれた事実は、ある種の恐ろしさを感じさせている。
 けれど当事者と言える五人は、研究者の見地とは違う感覚から、そこまで動揺する様子でもなかった。渡来人について征士が、
「弥生人は半島から来たらしいが、それしか渡来人が無かった訳ではないだろうな」
 と話すと、当麻は的確にそれに対応した。
「無論、伝導師は宗教的な文化思想や、秘儀的思考操作を伝えに来るものだ。当時は何処の誰だろうと表舞台には出て来ない。王朝政治の始まる前は、神道すら全国には知られていなかった」
 するとそれを聞いて、不意に閃いた伸も軽やかに言った。
「じゃああれだね、邪馬台国なんかは、どっかの渡来人が伝えた独特の価値観の国だったのかも」
「充分あり得ることだ」
 そんな遣り取りをする彼等を少し、予想外に感じながらナスティは見ている。それだけ今の五人の触れている世界、経験から得た知識が、現在の地球上の法則を越えていることを、如実に現しているようだった。一見以前の彼等と変わりなく見えても。

 その時、当麻の反対側で遼の声が揚がり、彼は誘導するように秀の頭に手を掛けた。
「見ろ、秀!」
「んん?」
「書いてある、『アマカミ』ってそうだろ?」
 それは迦雄須一族に関連のありそうな、その他の参考文献に書かれていたことだが、既に当麻の大体読み終えた部分に、漸く遼も到達したようだった。
「つ、が抜けてるが、それっぽい名前だな?」
 その名称を見ると何故か、笑顔の遼に合わせ秀もニッコリ笑う。最早彼等に取って、夢が事実化したことを確認できる方が、幸いであり安心感があるのかも知れない。当然彼等はこの先のことを見ているからだろう。ただ、鎧戦士達にはそれで良いが、普通の日本人にはやや困った新事実でもあると、指摘することも当麻は忘れなかった。
「何とも微妙な名前だよ、日本に於いては」
「え、何が?」
 当麻の言に顔を上げた遼の、まるで考えの及ばない態度を見ると、思わずナスティの口からは、不平のような言葉が連ねられていた。
「そうなのよねぇ。日本神話の天照大神は知ってるでしょ?。今も神社によっては『アマテル』と呼ぶことがあって、何か混ざったような感じよね」
 何故それが彼女に不満を与えるかは、知る人も居るだろうが、「太陽の女神」の存在は中国で想像された、「山海教」の影響とする説が強いからだ。確かにその不思議な神々の世界には、羲和(ぎわ)と言う水の畔に住む女神が、太陽の子供を育てており、その夫は日本人の祖先とされている。丁度紀元に切り替わる頃の思想で、その後伝え聞いたらしいと考えられている。
 しかし日本に於いて、天照大神は単なる太陽神ではなく、国の全てを掌握する力と権威を持っていた。そう変えられたのは、国政上の都合など様々な要因があるが、その前から既に、他の由来も抱えていたのではないかと、考え直す必要があるからだ。
 即ち、天駆ける女神にはより古いイメージがあると、研究者泣かせのちゃぶ台返しをされた訳だ。勿論研究者でなくとも、現在の皇室や各神宮の崇める神が、独特に進化したものではないと言われては、かなり残念な気持にもなってしまう。
「何?、天照大神と天つ神は同じなのか?」
 考えもしなかった説に、征士が目を見開き尋ねると、当麻は穏やかな理解を促すようこう答えた。
「同じではないだろうが、似たような名や性質だったことで習合されたか、或いはもっと昔に、それをヒントに天照大神がデザインされた可能性はある」
 まあ、彼には以前から山海教の知識があり、自分等に取っては、白炎は開明獣かも知れないと、平素に考えられていた経過がある。日本と言う国は、全世界から見れば成立時期も遅く、それ故既存の何かの影響を受け、発展したと考えるのが自然だった。殊に大陸の文化には多大な影響を受けている。
 今更、日本は独特の個性を持つ国ではなかった、などと気付くようでは浅はかだと、彼は他の四人に、この期に至り初めて話す機会に恵まれる。鎧戦士も迦雄須一族も、元より日本のみを支える存在ではなく、皆がそれを素直に受け入れられれば良いと、彼なりに思うところがあったのだろう。
 天つ神にはまだ疑いの余地はあるとしても、世界の流れの一部を担うのは確かかも知れないと。
 ところが、真面目に説明した当麻に対し、変わらず伸は無責任に笑っている。
「あはは、面白いじゃないか!」
 どうも、彼の意識が最も謎に感じていたナスティは、
「面白いかしら…。日本人のアイデンティティを覆すわよ、これは」
 正直な自身の気持を伸に伝えてみる。彼女は半分は日本人ではないが、心は正に典型的日本人のそれに馴染んでいるようだ。けれど伸の続けた言葉に、却って深い理解を得ることになった。
「それでいいんだと思うよ、はっきりした由来があると縛られるからさ」
 当麻に話し方に比べ、伸は言う事は全体的に緩く曖昧な面がある。だがこの場に於いてはそれが、何よりしっくり来る考え方だとナスティも開眼した。
「…そうだわ…」
 伸の言う通り、地球とは違う環境の、或いは違う次元世界の、新たな行動に臨む為には、自身が嘗て何だったかなど、強く意識しない方が良いだろう。拘るものが存在する程に思考は偏りを生む。地球人対異星人などと言う単純構造のSFでもない。広く地球世界の文化や歴史、全ての調和と平和を守る為に、伸は何が大切かを既に理解していると、ナスティは酷く感心することとなった。
 またその緩く自由な意識を、
「いい事を言う」
 と征士が誉めると、伸は当たり前の顔をしてまた笑っていた。
「だって、僕らは色んな時代に居たことになったんだし、今も色んな所に行くだろ?」
「そうだな、時の旅団と言うところか。いや遊民でもいいか」
 途端に楽しげな会話となった、ふたりの遣り取りは誰の気持も明るくする。「旅団」「遊民」などと言う言葉の選択は、実に前向きな征士らしいとも言えた。その通り、五人は地球が存在する以前から、新石器時代、古王国時代、帝国時代、中世、そして現代と渡り歩いて来たようなものだ。そして常に世の真理を運んで来たのたかも知れない…
「ん?待てよ、天つ神の教えは…」
 ところが当麻は古王国時代、つまりエジプト以降にその教えは、継承されていないことに気付く。有史時代の始まりに憶えた村の巫女の記憶が、後に思い出されたことは無かった。それは彼等が、伝導師として選ばれた訳ではないことを示している。あくまで我々は、神の真理の為に働く駒だと悟った。
 まあ、始めから駒として選ばれた集団だ。そこに文句は無いが、これからは己に対する正しい理解も、必要になるだろうと彼は俄に感じていた。
 さてそこで、天つ神の教えについては、ナスティが予想できることを話し始めている。
「紀元前後より前の記録は不確かだけど、伝導の民は伝導を生業にした一族だから、その前はチベットの方、その前はインド、その前はペルシャって移動経路でしょうね」
 それを聞くと、話の起点は遼達にもすぐに思い付けた。
「そうだ、文明はメソポタミアから伝わったんだ」
 確信したように語気を強めた遼に、当麻はその元である思想を付け加える。
「根底にあるのはシュメル神話だな」
「聞いたことねぇな?」
 秀が首を傾げるのは致し方ないことだと、ナスティがすぐその背景を説明した。
「はっきり判らないのよ、文献が少ない時代なの。でもそれが『ギルガメシュ叙事詩』になり、『ヴェーダ讃歌』になったのは正しく思考の発達よ。日本に来る頃はもっと高度なものになった筈だわ」
 そしてその通りだと頷きながら、当麻もひとつの結論に至っていた。
「それが迦雄須一族の知性となったんだろう」
 地球の文明の源と言われるシュメル人。
 その研究については三笠宮崇仁殿下と言う、皇族の研究者がよく知られている通り、日本人にも広く関心を持たれていたが、結局現在もその人々が何処から来たのか、はっきりしたことは判っていない。メソポタミア文明の始まりを担った人々、と言うだけだ。
 ただ、その源らしき時代の夢を見た彼等は、太古の環境の厳しさと共に、自然の法則から来る穏やかな愛をも知った。宇宙的摂理とは、無情な裁きに感じる側面もあるが、何より全体の調和を優先することだと。地球や太陽や、銀河の星々が丁度良い具合に、引力や重力で釣り合っているように。
 そう、迦雄須一族が伝導していたのは、恐らく世界平和の為の知恵だったのだろう。けれどそう予想できたことに、却って伸は違和感を感じた。
「でも何で広まらなかったのかな?。大事な平和の理念なのに」
 けれども当麻には、その答は明白だと返された。
「それは現代人の感覚だ。俺の想像では敢えて広めなかったんだと思う。朝廷に取り入れば、大乗仏教のように広まっただろうが」
 するとナスティも同様の見解を続けたので、
「そうね。未熟な社会では諍いが起きたり、デメリットもあったんでしょう。進み過ぎた知識が、幾つかの集団に別れた国に伝わると、大体競ってそうなるものよ」
「成程」
 伸にもその背景はすっきり理解できたようだった。如何に優れた教えが存在しても、基本的に人は愚かなのだ。教えの厳しさを甘受できる者は少なく、優れた美点のみを取って運用する社会が、幾度も醜い結果を招いて来たのだろうと。そして、
「迦雄須一族はそれを学習したのだ」
 と征士は続けた。そうでなければ鎧戦士など必要もないと、彼の目が結果的事実を捉えると、当麻はそれを受け一連の話をこう纏めた。
「長い年月に学ぶ内に、優れた知恵はなるべく隠すべきと悟った。のだろうな」
 それは、あまり知られてはいないが、実はごく普遍的な事実だった。
 秘密結社として関心をくすぐる、フリーメースンなどは判り易い。元は建設の職業ギルドだったが、時を経て優れた計算や商売の知恵を蓄え、中世にはそれが魔法のように魅力的に見えた。同業者のギルドに他所者は入れないことで、神秘性も高まり、利益は彼等が独占することもできた。今現在のフリーメースンが単なる友愛集団なのは、世界がその知恵を越えてしまったせいだろう。
 そして日本人には身近な仏教も、土台が密教である為、数々の難解な呪文が門外不出の形で残る。何故公開しないのかは、過去のインドで薬代わりに、病を治す呪文が大流行したことがあり、僧の心得の無い者が乱用すると、社会を乱す結果になると判ったからだ。以降呪文は全て人造文字、サンスクリット語に代えられ、無闇に読まれぬようにした。その結果仏教寺院の価値も上がったのだ。
 そう、迦雄須の唱えていた呪文は、漢字に訳されていたようだが、恐らく古代密教の呪文である。仏教の流れと同じく、迦雄須一族もまた、呪文を知られてはならぬ意識があったのだろう。本当は何より有効な手段だと判っていても。
 すると秀が、正にそんな意味の例を挙げ頷いていた。
「ホントに成程だぜ!。エジプトもローマも戦争で生まれた国だしよ、昔の人間は知恵を戦争にしか使えなかったんだぜ」
 また、彼の言うことも尤もだと思いつつ、遼がひとつ問い掛けをすると、それにはナスティが回答した。
「俺達はそれ以前の、割と平和な時代も見たが、何故そのままではいられなかったんだ?」
「簡単に言うと人口が増えたからね。人類史が進む度、大国なり大集団が成立して来て、安易に魔法を使うと危険になったのよ。その後の戦争ばかりの歴史を見れば、日本に渡って来る頃には、秘密が基本になっても不思議はないわ」
 その間約八千年。彼女の見解には遼も充分納得したが、先に口を開いた秀も、関係なく横で聞いていた征士も、事情をよく理解できたようだった。
「よーく判ったぜ、ナスティ。大軍が組めるようになったからなんだな?」
「私も漸く合点が行った」
 知恵の本質とは諸刃の剣だ。特定の誰かのへの愛情であったものが、大挙して隣国を侵略する理屈にもなる。使い方次第でどうにでも変化してしまう。その運用を適切にする何かが必要だが、もうずっとあの人は不在だと当麻は呟いた。
「恐らく、指導者が居なくなったからだろうな」
 五人に取っては迦雄須がそうであったが、迦雄須一族を導く者はもう居ない。
「ああ…、天つ神はあの時点で、ごく一部の人にしか見えなくなったのか…」
 当麻の言う指導者を理解できるだけ、答えた遼を始め、彼等には充分な知識が与えられたとも言えるが。迦雄須と言う人が何故、現代にまで姿を残すことができたか、現在の五人との違いを比較すれば、得た知恵の差は歴然としている。正しい指導者に早く、長く仕えるほどに出来る事も増えて行くのだろう。そう知ると現状の未熟な己が少し、残念に感じてしまう遼だった。
 古の人々に比べ、遠く神々から離れてしまった現代人には、あまり大した事はできないかも知れない。人類の為にと選ばれたからには、最高の働きをしたいと思うのに、と。
 すると、恐らくそんな心境に至っているだろうと、先回りしてナスティは笑っていた。
「ウフフフ…、でも、」
 その酷く落ち着いた表情に、遼は些か戸惑っていたが、続けられた言葉には再び深く納得する。
「みんなには見えるんじゃないの?。勿論迦雄須一族の末裔にも」
 納得だけではない、その事実はひとつの感動でもあった。本来見る能力を持たなかった我々が、迦雄須一族、迦遊羅を通じて対面の機会を得た。そして過去の本人に出会うこともできたのだ。
 何と言う運命の幸運だろうと、思い至れば遼は力強く頷いた。
「そうだな…!」
 しかしナスティは自分達とは違い、新たな鎧について全てを知る訳でもなく、すずなぎの出現以降は共に体験した事も少ない。なのにこうして適切に励ましてくれる、本当に明晰で頼もしい存在だった。ある意味現代の指導者は、彼女であると言ってもいいと遼は思った。出来得る限り彼女との関わりも、途切れず居られたら良いと心底思思う。
 まあ、彼が今気付いた事は、既に誰かには当然だったかも知れないが、
「俺達には見える。俺達は見た。天つ神は『ウィ』と呼ばれていたんだ…」
 集団を直接率いる立場の遼に、気の明るさが戻って来たなら幸いだ。思えばいつもそう促してくれた彼女には、感謝の言葉も無いと、他の四人は合わせて穏やかに笑った。

 ただ、現代人のように話し、現代人のように行動し、触れられる存在ではない天つ神から、齎される知恵は難解なものだろうと予想できる。五人と迦遊羅、残る魔将達が、この先どうなるかを考えると、底はかとない恐ろしさもあった。その点は、今は遼には伏せておく。



「見えるってすごい事だったんだな」
 と、一頻りの議論が終わり、広間に戻って来るなり遼は言った。それは清々しい顔をして、彼に取って最も重要な何かを得たらしきことが、誰の目にも明らかだった。そこまで手放しで感動できるのは、彼の美点ではあるが、暴走せぬよう釘を刺すのも慣れた仲間ならではだ。
「その代わりに、僕らは従わなきゃならないんだよ?」
「ああ!」
 易しい言葉での伸の指摘は、遼も流れのまま受け取ったようだ。何らかの利益の為に働くのは、普通の人間の暮しと特に変わらない。例え平和の為の活動でも元手は必要になる。貴重な物を手に入れるには、身の犠牲を覚悟する必要があると言うことだ。
 しかしそこで、遼のように受け取らなかった秀が不平を漏らす。
「ちゃんと従ってるじゃねぇか?」
 どうも、彼には「これ以上何を」と思えるのだろう。確かに、夢が現実として記憶に残ったなら、秀と伸は不本意な苦労をさせられていたが、自ら過去を変えられない以上、それに続く未来もそんなものだと、楽しむくらいの意識でいた方が良い。と、伸は多少投げ遺りな持論に笑って見せた。
「ここまでは従ってるけど、あらゆる事態の為にって話しただろ?。事によっては、秀はこれから遼と結婚するかも知れない。従うってそういうことだよ♪」
 そして途端に遼の目を丸くさせた。
「…え…?」
「もう嫌だぜ俺は…」
 ただ、以前の遼なら見当も付かないだろうが、今は妙な空気を感じられている。秀の口にした不満も、伸がカラカラ笑っているのも、天地が逆さまになる程あり得ぬ事ではないと、知った上での感情なのだと。勿論今の発言は冗談だが、記憶にある経験が如何に人を変えるか、身を持って知る稀な機会となった。
「私は別に構わないぞ?」
 と被せて来た征士に、秀は酷く冴えない表情を向けたが、そんな反応をするのは判っていたので、彼は首を九十度捻るともう一言加える。
「例え当麻でも」
「無い!、それは絶対無いからな!!」
 これだけ話が進んでいても、彼にはやはりどうしても受け付けないようだった。伸が「迷える者」と称したのも、強ち間違いではなさそうだ。何故なら、
「『絶対』とかまだ言ってやんの。これに関しちゃ頭悪過ぎだぜ」
 と、秀の披露した呆れる観察もその通りだが、対する当麻の返答がまた酷かった。
「いいんだ!、人間はひとつくらい馬鹿な所があるものなんだ!」
 これが嘗て、智の鎧に信頼を集めた人物の言うことかと、既に笑っていた伸の声が爆笑に変わる。
「アッハハハ!、ハッハハハ…!」
「こういう時に開き直る奴とは知らなかった」
 人のことをあまり言えない征士の立場では、笑いはしなかったが、誰にも平等に困難な課題があるものだと、今に至った経過を面白く見ていた。そして、更にもうひとつ先へと進む為、各々に課せられた課題を消化しなければならない。他の四人が遼の気持に応えられるかどうか、彼は些か不安に思うところだった。この我侭にして青臭い精神では、と、再度情けなくもなっていた。

 否、それで普通なのだ。
 変化を恐れぬ人間は存在しない。生物だけでなく物質さえも安定に寄ろうとするものだ。
 但しその変化が、全ての人を幸福にするとなればどうだろう?
「さあ、早速カユラに伝えに行こうよ!」
「えっ?、こんな話を??」
「僕らも魔将達も、何かあれば簡単に変われるってことをさ!」
 伸はそれをどう思っているのか。納得して受け入れたのか、諦めて屈したのか、最早考えようともしていないのか。とにかく彼は酷く楽しげに、雲上の人々との再会を待っているようだった。

 天の法則は必ず伝わると信じている。









コメント)予想しなくもなかったけど、やっぱりこの話では終わらなかった;。テーマが多少変わるし、無理にこの後を続けられなかった…
と言う訳で、頑張って書いたけど、まだ「偉大なる哲学」には繋がってません!。この後妖邪界へ行って終わりになるけど、うーん、今年中に書けるか書けないか、来年になってしまうかも知れない。またもや間が空いてすみませんm(_ _)m
しかしこの時点で、性別に関して随分混沌として来たけど、それはみんな一旦胸の内に収め、これまで通りの五人に戻るので御安心を。あくまで心の持ちようの話ですんで。



BACK TO 先頭