人魚のような
シシリエンヌ
Sicilienne



 美しい夜。恋人達の交わす甘い言葉が、銀河の星の瞬きを増しているような夜空。

 上がる息、滴る汗、熱に浮かされた体も今は心地良い。猛る気持を与えるだけ与え、受け止めるだけ受け止める愛の行為。その嵐が過ぎ去った後の開放感は、普段通りのベッドの肌触りさえ、至上の気持良さを感じさせるものだった。
 満ち足りて横たわる伸の、滑らかな曲線を描く頬や肩が、部屋の薄明かりの中で艶めいて見える。その姿はまるで水から上がった人魚のようだと、征士はしばしば思うことがあった。そんな倒錯的な感動に出会えるのも、恋人と言う特別な関係であるからこそだ。
 ただ、征士はこの紛れもない幸福の中で、ひとつだけ伸に注文を付ける。
「もっと素直な表情をすればいいのに」
 そう言われると、伸ははにかむように顔を被った。
 もう幾度もこんな場面には出会っているのに、未だ心はぎこちない。素の自分を曝け出すのが怖い。官能的な、或いは動物的な快楽に悦ぶ己を見られるのが、理性の何処かで拒否している。今更相手に、肉欲に乱れた人間と思われることはないだろうが、プライドか、美意識のようなものが最後の砦として、己の中に確と存在することを伸は意識していた。
 体の熱がまともな思考を溶かす。上がる息が知的な言葉を奪う。だが自分は決して、天から堕落することはないのだと。
 なので彼は、事後のしどけない空気を変えるように、
「…って言うか」
 敢えて目を開くと、すぐ傍にある征士の顔をじっと見詰め、この場にはあまり関係ない話をし始めた。
「こうして見ると、君の顔の造型って美しいね」
「は…?」
 征士が一瞬ポカンとするのも当然だった。例え普段からそう思っていたとしても、何故今このタイミングでと思う筈だ。これまで何年も、何度も、あらゆるシチュエーションの顔を見ている中で、今がそんなに感動的だったとは思えない。ごく普通の日常の中での、どちらかと言うと弛んだ顔だと征士は感じている。
 それに、彼としては今は、伸がどんな魅惑的な表情を見せているか、反応を楽しんでいたところなので、何とも意表を突かれたような流れだ。
「こんな時に言うことか」
 と征士は返したが、伸は少し落ち着いた様子で、それなりに納得できる理由を話した。
「こんな時だから言うんだよ。普段そんなにじっと見てないしさ」
「まあ、そうかも知れないが」
 生活の中の一瞬一瞬、戦いの中の一瞬一瞬、強く憶えている映像もそうでない映像もあるけれど、確かにその時は長く感じても、実際はほんの一、二秒のことだったかも知れない。こんな風に互いの情熱をぶつけ合った後、安らかに呼吸を整える時間の、長く幸福な視界は後になって得られたものだ。伸は暗にそんな、現状の幸福を言いたかったのかも知れない。
 だが、彼はその気持については語らず、
「君は美の基準を知ってる?。黄金比ってものがあるんだよ」
 と、そんな方向に話を進めていた。
「何のことだか知らぬが、言葉だけは耳にするな」
 黄金比。美術の世界では黄金分割が知られているが、近年デザインの世界ではその応用が進み、人が美しいと感じる形、構図等の開発が日々続けられている。それを取り入れた商品が多数出て来たことから、言葉自体も知られるようになった。
「モナリザの絵なんかも当て嵌まるらしいけど、美の基準はその黄金比って言うものから測れるんだって」
 と伸が続けたように、その黄金比が理論として知られていなかった時代の作品も、近世になって理論通りであることが確認された。否、正しくは順序が逆で、過去の名作が何故名作なのか、何故美しいと感じるのかを研究し始めると、優れた作品にはある一定の基準があると判ったのだ。それが現代では芸術よりも、工業デザインなどで重宝されるようになった。
 無論商業だけでなく、様々な造型に関する分野にも広まっている。最近は大学や美容整形等で行っている、顔の研究の話もしばしば耳にするところだ。それを踏まえて伸は、
「君はきっと、丁度そんな型に当て嵌まってるんだろうな」
 と、茶化すでもなく穏やかに言った。彼としては純粋な気持で評価したつもりだった。が、
「そんなこと誉められてもあまり嬉しくない」
「…そうかい?」
 征士は返した言葉通り、素直に喜べないと言う風だった。別段容姿を誉められることが嫌な訳ではない。特に自身が好きな人間には、愛着を持ってくれる方が良いに決まっている。ただ「美の基準」と言う話については、征士には引っ掛かる点があったようだ。何故なら、
「それはある意味での平均的な顔と言うことだ。その理屈では究極の美顔とは、あまり特徴の無い顔と言うことになる」
 と彼が返したように、確かにそうとも言える理論の裏を伸に気付かせた。
「ああ…」
 成程、目は大きい方が良いと言っても、あまり大き過ぎればギョロ目と言われる。鼻は高い方が良いと言っても、幅も広いと鼻ばかり目立つ顔になる。顎は細い方が良いと言っても、細過ぎるととんがった印象になってしまう。美の基準とは確かに、特徴が突出することではない。全てがバランス良く纏まっていることを言う。
 顔のパーツが全て、大き過ぎず小さ過ぎずの範囲に収まっていることが、美観の最低条件となるなら、それは確かに平均値と言えるものかもかも知れない。
 けれど伸はもう少し考え、
「そう言えばそうだけど、マイナスの意味での平均顔よりずっといいじゃん」
 至って当たり前のことを言った。流石にそう言われれば征士も、
「それは誰でもそうだろう」
 と返すしかない。誰でも、額が目立つでこっぱち、離れ過ぎた目、魔女鼻、出っ歯、割れた顎、鰓の張った四角い輪郭などを、合わせ持つ顔にはなりたくない筈だ。その内ひとつあるだけでも悩みそうなものなのに。
「まあね。世の中には悪人顔って言われる人もいるしね」
 伸は自ら言ったことにもう一度納得し、あまり印象の良くない顔を持つ人や、基準から言って不細工と言える顔を持つ人の、人生の苦労などをぼんやり考えていた。ただ、悪人顔の場合はそれを生かし、役者として成功するような人も居るが。
 そう、結局顔の造型は本人の受け取り方により、武器にも弱点にも、或いはどうでもいいものにもなる。征士に取っては、他人にどう思われようとどうでもいいだろうし、もうひとつ言えば、
「誰が何と言おうと、私は伸の顔が一番好きだけどな」
 彼が美を感じるのは伸だと言うので、個人の好みと理論的な美の基準は、あまり重ならないものかも知れないと伸は笑った。
「ククク…」
 まあ、日本人などは特にそうだが、あまりに美しい人を前にすると腰が引ける、近寄り難い、と言う感覚を持つこともある。また「美人は三日で飽きる」との言葉もある通り、完璧過ぎる顔とは表情が見え難いものかも知れない。評価される美しさには良し悪しもあると、考えてみれば面白い話だった。

 ビルや外灯の明かりが、カーテンの隙間からチラチラと部屋を照らしている。都会の夜は天然の星の輝きはあまり見えないが、人工的な光のゆらめきも、それはそれで綺麗だと感じるものだ。確かに人が美しさと言う概念を、それぞれどう捉えているかは判らない。整然とした控え目な夜景を好む人も居れば、中国の大都市のように派手派手しい電飾を好む人も居る。
 そう思うと、美とは存外不安定なものなのではないかと、ふと伸は疑問に感じて言った。
「でも時々考えることがあるんだ」
「何のことだ」
 前の話の続きから、伸が造型の美しさについて考えているのは判ったが、暫しの間の後に敢えて言い出すからには、何か普段から腑に落ちないことがあるようだ、と、征士は穏やかに聞いている。すると正にそれらしい疑問を伸は口にした。
「今言われてる美の基準って、西洋的な美だよね。もし日本って言うか、東洋が先に世界を支配する歴史だったら、東洋的な顔が美の基準だったのかな、ってさ」
「…うーん…」
 そしてそれには、征士もすぐには答えられなかった。あまり考えることのない話題なので、自分なりの意見もあまり浮かんで来ない。ただ歴史の考察としては興味深い話だった。
「顔の凹凸はあまり無くて、切れ長の細い目に小さい口、黒い髪に黒い目で、体付きは全体的に小さくて細い、みたいな」
 と伸が続けると、征士は何となく中国の王朝時代が思い浮かんで来た。
 千年ほど前には既に、ヨーロッパでも存在が知られていた中国王朝。シルクロードの交易により、文化の多様さは当時の日本とは比べ物にならなかっただろう。当然西洋的、正しくはギリシャ的美的感覚も、特権的な中国人には伝わっていた筈だと思う。
 ただ、中国の人々はそれを目指そうとしただろうか?。否、あまりそうは思えないと征士は考える。無論地図上ではヨーロッパの前に、アラブ系、スラブ系の国々がある為、その影響の方が強かったのは確かだろう。つまり今現在のように、西洋人的外見を美しいとは感じなかった。そんな時代もあったのだと、征士は美に於ける時代の流れを面白く考える。
 情報量が少なく移動手段も限られた中、本物の西洋人を目にする機会はほぼ無かった。だから東洋人は独自の美意識を持っていられたと言える。また夜郎自大と言う言葉がある通り、広い世界を知らないからこそ、自国の文化に自信を持っていられたとも言える。恐らくその点については、西洋の国々の意識も同じなので、成程伸の言うように、東洋が先に世界を制圧していたら、現代の美観の変化はあったかも知れない。
 黒髪に黒い目、控え目な顔立ちの、細くて小さい人種こそ美しいと。
 そんなパラレルワールドを想像してみるのは面白い。中国が世界の文化の中心となり、その美観が世界を踏襲した世界は、今現在とはかなり見た目が変わっていることだろう。だがそれでも、そんな想像をしてみても、全てが東洋的に統一されることはなかっただろうと、征士は次の歴史を鑑みて答えた。
「どうだろうな、女ならともかく」
 次の歴史、つまり世界的戦争の時代のことだが、力こそ正義と言う流れの中では、どうしても体格的に劣る東洋人は理想的ではない。戦う必要のない女性は別の見方ができるが、との意味を込め、征士の答えたことには伸も納得した。
「ああ…、可愛い要素はあるからね」
 女は可愛らしさも魅力のひとつだが、男は見た目が可愛くてもあまり意味がない。少年の間の話ならともかく、いい大人に対し、小さくて細くて可愛いとは褒め言葉にならないだろう。それは古来からの中国でも日本でも、元々持っていた感覚だ。何処の国も、厳しい古代の環境を乗り越えて来たからこそ、男は強く大きい方が評価される。
 しかし、平和な現代になってからは性的価値観は多様になった。単純な力より頭脳の方が必要になったこともあり、それによって人の見た目の美醜も、多少評価基準が変わって来た感じはある。つまり東洋的美観が広まるのはこれから、なのかも知れないと伸がぼんやり考えていると、征士はそこで、ふと思い出した情報を話して聞かせた。
「ただ、今言われる『平安美人』のような顔は、当時のスタンダードだった訳ではないようだぞ?」
「平安美人って言うと、下膨れでおちょぼ口のお多福顔?」
 そこで伸は教科書の図柄や、百人一首の札に描かれる、十二単のお姫様の姿を思い浮かべたが、正にそのことだと征士は続ける。
「ああ。髪が美しく色白であることは、今も変わらぬ美の基準だが、いわゆるお多福顔は絵巻などに、簡単に人物を表現しただけのものだと聞いた。今で言うマンガだな」
 一般には長く、その絵巻物などに描かれた女性の顔立ちが、当時の美人像だと信じられて来たが、実際はそうではなかったと言うのだ。恐らく昔は何処の国も、豊かな者の象徴としてふくよかさが評価されていたので、絵的にもその意味が反映されたのだろう。
「ふーん…。本当はもっと色んな美人がいたってことね」
「そう言うことだろう。当時の美的感覚も、必ずしも型に嵌まったものではなかったと、最近判って来たらしいのだ」
 それを聞くと、近年の研究は確かに納得させるものだと、伸はぱっと目を開いて言った。
「なるほど、日本だけを考えると本当にそう思う。縄文系と弥生系とかよく言うし、日本には割と色んな顔の人がいるよね」
 そもそも絵に残る通り、判で押したような同じ顔が大勢いるのもおかしいし、例えそれが美人と言われる顔であっても、人に好みがある限り、皆が揃って同じような顔の妻を持つとも考え難い。これまで日本の歴史のイメージとして、モヤモヤしていた部分がすっきりして行くのを感じる。
「そのどちらにも美しい顔はある」
 と征士が返すと、過去の美観も現代とそこまでの差はないことに、伸は改めて考え込むこととなった。
 弥生系と言われる、涼し気な切れ長の目の小造りな顔も美しい。縄文系と言われる、目鼻立ちのはっきりした顔も美しい。仲間達で言えば前者は当麻、後者は遼と言うところたが、全体のバランスが取れていれば、ひとつひとつの顔のパーツはそこまで重要ではなく、地黒も癖毛も魅力に変わることがある。
 バランスこそ重要なのだ。ただそれは即ち黄金比と言う話になりそうだ。やはりこの世には絶対的な、不変の美が存在すると言えるように思う。
「うん…、それは納得したけど」
 そこまでを考え、自分なりに話を整頓すると、伸は改めて征士の顔を見ながら言った。
「じゃあ本題。東洋的な弥生系の顔や姿が、世界の美の基準になった可能性は?」
「さて…」
 再び向けられたその問いに対し、今度は征士も何らかの答を出せそうだった。こうしてお互いを見詰めながら、何故自分はこの人が好きなのだろう、何故魅力的に感じるのだろうと、話し合う内に己の気持も見えて来る。人は見た目の美しさばかりに惹かれる訳ではない。美点、美徳と言うように、良い面を美として捉える文化も日本にはある。つまり秀でていることは皆美しいのだと。
 己から見て、憧れる面があるから美しいのだと見えて来た。
「夜空の月を美しいと感じるのは万国共通だと思う。西洋か東洋かでなく、普遍的に美しいと感じる物は存在するな」
 征士がそんな例え話で答えると、それはとても判り易く、強くスマートに伸の心にも届いた。
「ああ、いいイメージだね。アフリカだって月は綺麗だと思ってるんじゃない?。中東はアイコンにするくらい月が好きだよね」
 夜空に浮かぶ最大の星。地球上に光を放つ最大のもの。眩く輝く円型の美しさは完全な美のひとつかも知れない。世界の人が認める美の基準は確かにあると、抵抗なく飲み込める自然の偉大さを感じる。人の発明、想像は全て模倣から始まったと言うが、月の美しさを知っているからこそ、美の基準が生まれたと言えるかも知れない。
 何もかも自然の作り出す美しさから、比較して人は美を語っているのだろう。自然の美しさは世界中の何処にも存在する。だから普遍的な美は存在すると言えるのだ。
「と言うことは、東西関係なく、やっぱり黄金比って正しいのかな」
「まあ、東洋が世界を支配したら、流行などは変わるかも知れんが、基本的な美の基準は変わらないかも知れないな」
 ふたりはそうして、心の中の鮮やかな月に照らされながら、穏やかに美と言う概念を受け入れられたようだった。自らが自然の一部に寄り添うこともまた、きっとひとつの美しさだろうと思った。
 ただ、
「そっかー…、何となく東洋人は負け組だな」
 伸が続けたように多少複雑な気持も残る。自然と言うなら、日本は古来から折々の景色を愛でる文化がある。近年になって少しずつ、その繊細であり大胆でもある日本的美観が、一般レベルでも知られて来てはいるが、美に於けるレベルの高さを、容姿では表現できないのが悔しいと思うからだ。
 否、無論日本人ならではの細やかさを否定すれば、日本の美意識の高さも存在しなくなってしまう。日本人の遺伝子でしか得られない美は存在する。その上で長きに渡り、欧米人の方が美しいと感じてしまうのは、飽くなき美への欲求から生まれる人種的ジレンマ、と言えるだろうか。
 私達は、小さく大人しい顔をした日本人である。
「フフフフ」
「何だよ?」
 しかしそこで征士はさも可笑しそうに笑い、少し不満げな顔になった伸の髪に手を掛ける。何故笑ったのかはこの通りだ。
「そうは言え、伸はあまり東洋的な美観の顔ではない」
 日本人の悔しさを語りながら、その標準的外見からは外れている伸。加えて、目の前で笑う人物もまた、日本人らしいとは言えない容姿だ。確かにこんな滑稽な場面はないかも知れない。
「あはは、そうなんだけどね」
 伸もそう言って笑うが、そんな時にこそふと、普遍的な美と言うものが理解できた気がした。人種が何だろうと、黄金比からは外れようと、魅力的な人間は魅力的だ。働く職人の嗄れた手が美しく見えるように。屈託のない子供の笑顔が皆眩しく見えるように。
 人には心があるから、誰も皆素材以上に美しい瞬間がある筈だ。
「理論として語られる美は、結局個人の好みには関係がないのだろう。私には本当にどうでもいいことだ」
「ククク…、それもそうか」
 今、顔を寄せて見詰めている征士は、自分の持ち得る本当の美を知っているだろうか?。固く隠していてもきっと、彼なら見付けられるだろうと伸は思った。



 幸福な眠りの後には、殊に爽やかな朝が訪れた。
 考えてみれば朝と言うだけで、いつもの風景が美しく見えるのも不思議なことだ。新しい一日の始まりが、輝くままにその先へと続くように、希望を持って眺めるだけで世界の姿は変わる。伸は簡単な朝食の支度をしながら、窓ガラスに溢れる朝日の透明な光に、何か啓示のようなものが降りて来た気がした。
 僕達は一生、この美しい世界に生きていられるだろう、と。
 そこへ、いつものように朝の素振りを終え、身支度を整えた征士がやって来て、テーブルに食事が並ぶまで新聞を読もうとする。だがその前に、
「そう言えば、ローマ神話にヴィーナスっているよね。ギリシャ神話のアフロディーテ」
 と伸は話は出した。
「朝から何だ?、美の女神がどうした?」
「ヨーロッパではさ、彫刻から絵画から音楽、あらゆるものに登場する美の象徴だけど、東洋ではあんまりそう言うの見ないよね」
 朝の景色の美しさに触発されたのか、伸はまた昨夜の、黄金比と東洋の関係を考えたくなったようだ。まあ彼が今思い付いた疑問は、確かに東洋と西洋の違いを感じさせる例である。過去から残る芸術作品を比較すると、西洋には美への強い信仰があったのに対し、東洋では神や仏に、そこまで美しさを頼る傾向はなかった。その違いは何だろうと思うこともあるだろう。
 征士はそこで仏教的な知識から、
「インドの美の女神、ラクシュミーはよく知られているが、中国や日本ではあまり重要視されなかったようだ」
 と、概念の輸入の歴史を話した。日本に仏教が伝来したのは、教科書で習う通り飛鳥時代の頃だが、その時既に、中国で広まった仏教は美の神を重んじなかった。吉祥天がそれに当たるが、美の神と言うより幸運の神として扱われた。五穀豊穣、国の安泰、それらが何より優先的な事だったのだろう。そして日本でもそのまま、仏教は治世的概念として定着して行った。
 だがそれは、東洋以外の国でも同じではないかと伸は思う。平民以下の者は誰しも、美しさなどより食べることの方が重要だ。何故インド以西はそうではなかったのかと、伸は改めて首を捻って見せる。
「何でかな?」
「何故かは知らんが、言えるのは、インドから西の世界は容姿の美しさが重要だったのだろう。男尊女卑や身分差別の中で、女は美醜でしか価値を見てもらえなかったとか」
「うーん…?」
 征士の考えには、伸はまだ納得し兼ねていた。言われたような状況も確かにあっただろうが、幾ら男尊女卑とは言え、創世神話にはガイアや天照大神のような、世界の母親的女神への崇拝もある。女性が居なくては人は滅ぶのだ。それを判っていてそこまで、低い価値観を押し付けていただろうかと思う。
 そもそもインドの女神、ラクシュミーは最高神ヴィシュヌの妻だ。圧倒的な美しさと言う武器を持つからこそ、女性として最高の地位に居るのではないか?。
 そうだ、美しさとは武器にもなるんだと、閃いたところで伸はこう続けた。
「ちょっと違うかも。東洋は美しさの力に気付くのが遅かったんだよ」
「そうか?」
「敵を骨抜きにする美女の話とかあるじゃない、『サムソンとデリラ』とか、昔からそう言う策略もあったんだ。ヒトラーだって、ナチスがカッコ良く見えるように、制服とかのデザインにもこだわってたって言うし」
 思わぬ伸の考察に、征士もはっと目が覚めたような顔をする。
 サムソンとデリラは聖書の時代の話、その他にもエジプト王国を存続させたクレオパトラなど、敵を懐柔する美女の話は古代から多数存在する。思えば封建時代の縁組みなどは、美しい娘が居ることは大いに有利だった。日本にもその考えはあったくらいで、美の女神に縋りたい意識が生まれるのは当然かも知れない。
 敵対する者の意識を変える程の美しさ。それは立派な戦略的武器となる。そんな価値観がインド以西には当たり前に、昔から続く文化だったのだと征士は納得する。戦が絶えなかったからこそ、或いは、階級社会の地位争いが絶えなかったからこそ、美しさは価値ある力と認められていたのだと。
「…そうかも知れない」
「だろ?。日本ではそこまで大っぴらな、美的戦略とかなかったしね」
 結局伸は自ら答を出していた。日本の美観が穏やかなものなのは、西側の国に比べ穏やかな歴史だった、と言えるのだろう。日本的な美を思うと、儚気で優し気なイメージが浮かび易いが、それだけ日本は平和だったとも言える。故に美の本質は歴史を変える程の力だと、日本人はなかなか認識できなかった。今でこそ数々の過去の事例と、芸能や商業デザインなどの分野から誰でも感じ取れるが。
 そしてその強い力に自分も征服されているひとりだと、征士は楽し気に言った。
「ならば、伸は美の女神に愛されているな?」
「ん?、君は骨抜きになってるの?」
 対して伸も、そんな平穏無事な征服なら誰も困らないと、征士に合わせて小悪魔的に笑う。そんな日常の笑顔からも強力な美が放たれていると、感動的な気持で確認すると、征士は以前から考え続けていた、不思議な符号の話を初めて伸に語った。
「そうだな、アフロディーテは海の泡から生まれたと言うから」
 美には何故か水の要素が付きものだ。だから君はとても魅力的なのだろうと、征士はもうずっと前からその力を知っていた。

 君が海であり、私が光であれば、私達の日本の美はとても強い。









コメント)征伸は見た目の綺麗なカプだけど、この話のネタ元は文中にある通り、海の泡から生まれた美の女神、と言う所にあって、海の要素を持つ伸は昔から何となく、「貝殻の上のヴィーナス」のイメージなんです、私には。単純な見た目は征士の方が整ってるかも知れないけど、伸さんは感覚的に美しいよな…と言うことを書いてみた。
ちなみにシシリエンヌとは、そのヴィーナス(アフロディーテ)のことで、シチリアの海で生まれたからそう呼ばれるそうだけど、名前がふたつもみっつもあってややこしいよね。



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