秋の昼寝
醒 睡 笑
Awaking and Sleeping



 1989年の秋の柳生邸。
 夏が過ぎ、不快な暑さが感じられなくなる頃は、勉強に、レジャーに、趣味にと実り多き時だが、休日にただ、気の置けない仲間と集まり談笑するだけでも、彼等には価値ある秋のひと時だった。彼等とは即ち、鎧の力を持って過去の因縁と戦うサムライトルーパー…。
 普段はそれぞれ離れた地域で暮らす五人だけに、各地での学校生活の他愛無い話題から、国内の空気の流れなど気になる話題まで、会えばいつも様々な事を話したがった。無論それ以外に仲間達と過ごす、個人的なメリットを持つ者も居ただろうが、こうして祭日等にしばしば集まることは、五人の楽しみであり責任でもあった。
 まだ彼等の背負った何らかの任務は完了していない。まだ何らかの確たる結果は見ていない。一生鎧戦士として戦えるのかどうか、この戦いには終わりがあるのか…。まだ誰も何も見出せていないこの日は、五人の最後のひとりが十六才の誕生日を迎えたところだった。

 麗らかな秋の午後。柳生邸の大きな格子窓に注ぐ陽光は、絶えず心地良い温度で仲間達を包んでいる。昼食を終え、今は各々自由に寛いでいる静かな午後だ。ひとり賑やかなメンバーが買物に出て行った為、残る四人は些か気の抜けたようにもなり、嬉しいやら悲しいやら、突然訪れた穏やかな時間を過ごしていた。
 傍に居ると心強く落ち着ける仲間達。静かな秋の世界を映す窓の、暖かく少年達を迎えてくれる優しいいざない。柳生邸から見える四季はいつも美しい…。

「おいっ、当麻、何寝てんだよ!!」
 と、突然どつかれるように起こされた。気持の良い秋の空気に漂う内、いつの間にか睡魔の誘惑に乗ってしまったようだ。
「…え?…」
 まだ多少寝惚けている。だがそんなに時間は経っていないと思う。窓の日の傾きはそれ以前の記憶と特に変わりはない。当麻は状況を確認しながら、買物に出ていた秀が知らぬ間に戻り、何故こんな剣幕で起こされたのか考えようとした。
 だが考えようと頭が切り替わる前に、続く秀の怒声が彼に降り掛かっていた。
「こんな大変な時に寝入ってんじゃねぇぞ!」
「何が大変だって…?」
 居間のソファに横になっていた当麻は、その視界に誰も居ないのを見ると、先刻まで居た他の三人は何処へ行ったんだろう?、とは思ったが、この部屋も柳生邸の他の場所からも、異様な騒音は聞こえて来ないので、大変な事と言われてもまるでピンと来なかった。
 けれど、少し考えてみればおかしな話だった。他の三人と、秀と共に戻って来たナスティと純、それだけの人数が居ながら話し声ひとつ聞こえない。ふと部屋を見回し、居間には他に誰も居ないと確認すると、当麻は自ら部屋を出て、隣のダイニングの大広間へと向かう。そしてその光景を見るや…
「…!!!!!」
 正に言葉を失った。秀が怒鳴る訳だと瞬時に納得する事態になっていた。
 大広間の入口ドアは開け放たれ、そこに幾つもの買物袋が置きっ放しになっている。恐らく秀も純もナスティも、買物などに構って居られないほど驚いたのだろう。ドア口に当麻の姿を見付けると、それまで唖然として声も出せずに居たナスティが、突然爆発したようにがなり立てた。
「ちょっと!、どうなってるのよもう!、どうにかして当麻!」
 彼等の目の前には、見覚えのあるような三人の子供が居た。否、見覚えがあるのではなく、それは先刻まで当麻と共に居た三人だ。と思う…
「どうにかって…、いや俺にもどうしていいかわからない…」
「ねぇ何が起こったの!?、お兄ちゃん達、僕より小さくなっちゃったよ!」
 純もまた当麻に答を頼っているようだが、その前に、
「わからないですって!?、本当に何もわからないの!?」
 何が彼女の神経に触れたのか、ナスティは最早ヒステリックに叫んでいた。いつも冷静に状況を分析して来た女性が、珍しい態度に出ることもあるものだ。ただこれではまともな会話はできそうにない。当麻がそんな現場の様子に怯んでいると、
「あーあー、泣いちゃったよ、ナスティがデカい声出すからだ!」
「そんなこと言ったって…!」
 当麻の背後に居た秀が、べそをかき始めた恐らく伸?の元に駆け寄り、その前に跪くと、慣れた様子で頭を撫でたり頬を撫でたり、正に泣く子供をあやして落ち着かせていた。小さい兄弟を持つ彼ならでは、こんな時には秀の存在は有難い。
「このままじゃマズいのはわかるでしょ!、またいつ妖邪が現れるかも知れないのに…」
 ナスティはまだ、一度昂った感情を押さえ切れないようだが、純の方はすぐ秀の行動に気が向いたようで、
「大丈夫だよ?、怒ってるんじゃないよ?」
 小さな伸の前へと歩み寄ると、如何にも年少の子供を安心させるよう話し掛けていた。純の性根の優しさが窺える光景だった。
 そう、純でも判る明らかな子供三人。誰が誰だかは判別し易かった。元気にそこらを駆け回っていそうな、子供ながら野性的な雰囲気の遼は、目を見開いたまま棒立ちになっている。べそべそ泣き出した伸は、現在の姿からすると少し太っているような、プクプクした体型だが、ゆるいうねりのある茶の髪は変わらない。逆に征士は青白く痩せ細っており、そう言えば昔は体が弱かったんだと、本人の話を思い出すそのままの姿で、あまり事態に動じていないのも彼らしかった。
 それぞれ、体の大きさから見て大体三、四才だ。ただ、姿だけが子供になったならまだ良かった。何が起こったのか話を聞けるからだ。しかしナスティの声に泣き出す様子を見ると、恐らく中身も三、四才なんだろうと考えるしかない。どうせ大した事は言わないと思うと、積極的に話し掛ける意欲も薄れる。
 乗り気でない当麻が漸く重い足を動かし、
「おい、おい、おまえ遼だよな?」
 と尋ねると、呆然としていながらも彼は一応、話し掛けられた事には答えた。
「…うん」
「今、ここで何が起こったか憶えてないか?。俺達この隣の部屋に四人で居た筈なんだが」
「…???…」
 だが当麻が想像した通り、遼はポカンとしたまま何も話さなかった。説明できる言葉を持たないのか、本当に何も判らないのか、それすら確認できない対話だった。仕方なく次に、泣いている伸は飛ばして、その向こうに膝を抱えて座る征士の方を向き、
「征士、は何か憶えてるか?」
 と、当麻なりに考えた子供向けの口調で問い掛ける。しかし結果は同じだった。
「…わからない」
「そうか…」
 どの道こんな小さな子供の証言を聞いても、埒が開かないだろうとは思っていた。だがそれでも当麻の口からは溜息が漏れる。果たしてこの状態は何なんだろう?、すぐに解決できるだろうか?と、自分にそれを期待されている空気が、重くのし掛かり始めていたからだ。
 するとそこで、
「その前に、お前はどうだったんだよ?。寝る前の状況は?」
 伸をあやしている秀が、この場では至極当然の質問をした。彼とナスティ、純には外出中の出来事だったのだから、当麻に成り行きを聞くしかなかった。けれど当麻もある意味外出中だった。寝ていたのだから。
「どうだったって…、別に何も変わった事はなかったぞ。俺は居間のソファで本を読んでいた。遼と伸は向かいのソファに居て何か…、テレビがどうとか話しながら笑ってたな。征士は一人用の席で何かをしていた。それだけだ」
 眠りに入る前の景色はそんなものだった。それは間違いないとそれなりに自信を持って当麻は話せた。その中で秀は何故か、
「何かをしてたって?」
 と、征士の様子に注目して尋ねる。征士のせいでこうなったとは思っていないだろうが、気になる点は潰しておきたいのだろうか。
「本を読んでたからよく見てなかったが、何か手の中で小さい物をいじってたんだ。何をしていたかははっきりわからない」
 と当麻が話すと、その後には純がこう応えていた。
「それで、当麻兄ちゃんが寝ちゃってから、こんな風になったんだ?」
「そうらしい」
 結局当麻にも何ら確かな記憶は無い。眠っていたのは恐らく十分から二十分程度の筈だが、その短い時間の欠落が何とも悔やまれる。それを、
「お前が憶えてねぇのはとんだ失態だな、智の鎧を操る智将にしては」
 秀もそう冷やかすので、当麻は増々バツの悪い思いだった。ほんの僅かの転寝、短い昼寝など日頃から珍しくない行為だが、何故こんな時にとタイミングの悪さに眉を寄せるばかり。そんな時にナスティが、
「…怪しいわ」
 突然静かな口調で話し出したので、彼は思わず、一歩飛び退くように身を震わせて言った。
「なっ!?、俺を疑ってんのか!?」
 否、普段の彼ならそれまでの話の流れとは、別の展開をしようとしているのはわかった筈だが、こんな時は被害妄想的になるのも仕方ない。だが勿論ナスティは、そこまで当麻犯人説を押している訳ではなかった。
「その可能性も多少あるけど…、あなたを眠るように仕向けて、誰かが何かをしたのかも知れないわ」
 と、彼女が尤もらしい話を始めると、早速純がそこに乗って来た。
「誰かって誰?。家に来る人だったら郵便屋さんとか?」
「さあ…、誰が何の目的でこんな事をしたのか、ちょっと考え難い状況ね」
 そして、多少可能性はあると言われた当麻も、ホッと胸を撫で下ろしながら続けた。
「いやその前に、どうしたらこんな事ができるんだ?。教えてほしいくらいだ」
「そうよねぇ、地球上の技術じゃないわよね」
 地球上の技術じゃない。そんな言葉を聞くと真っ先に思い付く人々が、彼等の身内には存在するのだが…
「じゃあ魔将達とか?」
 素直にそう口にした純に、しかしナスティは安直過ぎると考え込んでいた。
「例え彼等でも、こんな意味の無い事はしないんじゃないかしら」
 すると意外にも意見が一致した当麻は、尚落ち着いてこう話すこともできた。
「そうなんだよな。あいつらの仕業にしては人選が妙だ」
 確かにこれまで、魔将達は度々地上の鎧戦士達にちょっかいを出し、酷い迷惑を被ることがあった。五人の中に何故か妙に気に入られた人間が居て、魔将達にはしばしば恋しい時があるのだろう。ただその場合、直接ちょっかいを出されるのは秀と征士だけだ。何故遼と伸が巻き込まれのか判らない。
 また魔将達は以前、阿羅醐の元で戦っていた間は四人組に見えたが、本来は大隊長クラスの集まりであり、四人で団体行動することはあまりない。現在もそれぞれ勝手にやって来るのを考えると、三人一遍に悪戯するのは妙だと考えざるを得なかった。
 では誰がこんな事を?。
「んじゃあアイツらじゃなくて、妖邪界の他の奴とかよ」
 そこで、自分のことを言われていると気付いた秀が、思い当たるままそう話したが、ナスティは難しい顔でそれも否定した。
「そうだとしても、あなたと当麻を残す意味は全然わからないわ。無力化するなら全員やらなきゃ」
 仮にも最後までしつこく狙われた天空と、一人で数人分の力を発揮する金剛では、守備のみに徹すれば何でも乗り切れてしまうだろう。成程、長く行動を共にして来たナスティの考察は正しい。そして当麻もここに来て、ひとつの奇妙な結論に辿り着いた。
「戦闘目的じゃない。魔将達の行動でもない。誘拐されるでもないし、その他の何かだ」
 否、結論と言うより単なる消去法で、結局何も判らないと言うことだが。
 その時秀が、漸く落ち着いた様子の伸に向かい、
「もう大丈夫だぞ?、誰もいじめねぇから、な?」
 と、彼の小さな顔を覗き込みながら元気付けていた。まだかぶれたように赤い目をして、涙と共に鼻水を垂らしていたが、そこでも秀は自然な動作で手際良くちり紙を取ると、まるで母親がするように伸の顔を拭いていた。こんな事態の中での、何とも言えぬ心温まる風景だった。
 途端に場の空気も優しくなった。特に女性であるナスティは、その様子から完全に意識が切り替わったようで、伸の前に進み出ると、自ら目線の合う姿勢になって、今は穏やかな口調で話し掛けていた。
「さっきはごめんね、伸。私達びっくりしただけなのよ。急にみんな小さくなっちゃったから、どうしていいかわからなかったの」
 彼女はまずそう語り、次に、
「ねえ何か、こうなった訳を憶えてないかしら?」
 この状況について尋ねたが、まだ黙っている伸の表情を見ると、これでは質問の仕方が難しいかと考え、
「ああそうじゃないわ、私達がここに入って来るまでどうしてたの?」
 そう言い直した。純ぐらいの小学生ならともかく、保育園・幼稚園に通うような年の子供には、なかなか適切に接するのが難しい。だがナスティの言葉の選択が良かったのか、伸はそこで初めて口を開き、新たな情報と思しき事を言い出した。
「…ずっとここに居た。…征士が何かしてたよ」
「え?」
 間近で聞いたナスティだけでなく、当麻、秀とも一瞬目を見開いた。先刻当麻から、事前の征士の不明な行動について聞いたばかりだ。
「おまえさっき何か持ってなかったか?」
 と当麻は、椅子に座って何かをしていた筈の征士に尋ねる。しかし征士は一言、
「持ってない」
 と答えた。何かを隠している風でもなかったが、この状態では、皆の前で確認して見せるしかない。当麻は相手の機嫌を損ねぬよう、ナスティ同様に配慮した言葉で話し掛け、
「ちょっと見せてみろ、一応確かめなきゃならないんだ」
 征士の手の中、着ている服のポケット等をひとつひとつ確かめた。傍に純も寄って来て、その持ち物調査の様子を具に見ていたが、
「何も持ってないみたいだね?、征士兄ちゃんは嘘吐かないよ」
 結果は純の言う通りだった。正確に言えばズボンのポケットにハンカチがあったが、それは関係ない物だと純にも判断できたようだった。そして、
「うーん…」
  結果を受けた当麻はまた悩み出す。実はそれ以前に彼には大きな疑問があった。三人の姿が変わる前と後に、連続的な関連が感じられない点だ。もし急に体が小さくなったなら、着ていた服は大きいままの方が自然である。生物を小さくする方法が何かしらあるとしても、衣服まで子供用にするのは無理がある。そもそも今目の前に居る三人は、ナスティ達が出掛ける前とは違う服を着ている。
 つまり彼等は、別の次元から来て入れ替わったと考えるのが、妥当な気がしてならなかった。またそれなら、事前の柳生邸の様子など知らない筈だが、伸は征士が何かをしていたと話す。それは子供の彼等が別の次元で、何かをしていたと言うことになるのだが…
 と、当麻が考え倦ねていると、珍しく秀がそこで、
「大体征士が何かしたとして、何で自分まで子供になってんだよ?」
 当麻の考えを裏付けるまともな発言をしたので、そこでひとつの疑問が整理された。ややすっきりした様子で顔を上げ、
「それもそうだ」
 と当麻は頷く。事に関係があるのは、同じ部屋に居た同年の三人ではなく、今存在する子供達の方だとはっきりして来た。するとそのやり取りから、同じ理屈を覚ったナスティが、今一度伸から話を聞こうとした。
「征士は何をしてたの?」
「…わかんない」
 伸は暫し考えていたが、最後には首を傾げてそう言った。隣に立つ遼もまた、ナスティが顔を向けるとすぐに、
「俺も知らない」
 と首を振った。そして問題の征士だが、ナスティ他メンバー全ての注目を集める中、子供ながらに渋い顔を見せ、何やら言いたくなさそうな様子でもあったが、暫しの間の後、腹を決めたようにはっきり答えた。
「おまじないだ」
 何だそれ、と、思いも寄らぬ意外な名称に、一同キョトンとしてしまったが、もしそれが世界崩壊の呪文など、危険なものだった場合何が起こるか判らない。すぐに頭を切り替えナスティは尋ねたが、
「おまじない?、何の?」
 やはりそんな普通の問い掛けでは答えてくれなかった。どうにか、煽てるか宥めすかして聞き出さないと、と思い当麻も続ける。
「悪い事じゃなければいいんだ、怒らないから正直に言ってみろ」
 出来得る限り、純を相手にするより更に保護者的な優しさで、作った態度が功を奏したかどうか、周囲の要求を切に受け取った征士は、かなりボリュームを落とした声で言った。
「伸が私を好きになってくれるように」
「…え?」
 ナスティは首を傾げ天井を見た。当麻と秀は苦笑い。純はよくわからない様子だったが、まあ友達になりたいような感情の一種として、ぼんやり理解したようだ。別段人が人を好きになることは悪意ではない。それが判れば取り巻く不安感も薄れて行った。
「そうか、そんな事だったか、わかったよ」
 確かに言いたくない事だっただろうと、征士の気持を想像しつつ、当麻は思い切って話してくれた彼の頭を撫でる。好きな感情だけならまだしも、その為にまじないをしていると知られれば、伸には無気味な人間に思われてしまうだろう。少し可哀想な事をしたと、何故だか当麻にも感傷の気分が込み上げて来た。
 もしこれがいつもの征士に対してなら、絶対にそんな同調はしないと言い切れる。何故なら征士は自分より遥かに図太い精神の持ち主だ。それなのに、ただ相手が童形になったと言うだけで、考え方は変わるものだと当麻は変に感心していた。
 姿とは何と不思議なファクターだろう。否、今はそんなことを考えている場合ではない。その横で秀は何も進展しない状況に不満を漏らしていた。
「わかったよじゃねぇよ、何もわかんねぇままだろうが」
 確かにそうだ、何故こんな事に感情を揺さぶられているんだと、当麻がフラフラしている前で、ナスティは根気良く同じような質問を繰り返している。正に研究者の鑑のような様子だった。児童心理学等の専門家ではないのに、彼女は熱心に事を解決しようと図っている。それを見ると自分は人間的にまだまだだと、当麻にも漸く意欲が沸いて来た。
 世の全ての事は勉強である。少し閃くのが遅かったのは、出だしが寝惚けていたせいだろうか。
「他に誰かが居たとか、お部屋がピカっと光ったとか、何かなかったの?」
 ナスティがそう三人に尋ねるが、
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・なかった」
 伸が気を遣って一言発しなければ、その場は沈黙のまま過ぎるだけだった。さてこれをどう解釈しようか。
「これ以上聞いても無駄なようだな。誰も変わった出来事は記憶に無いらしい。確かに俺としたことが面目ない状況だ」
 当麻が観察の上そう言うと、秀は冗談半分、本気半分の体で彼をからかった。
「そうだぞ?、こんな時はお前の頭だけが頼りなのによ!」
 すると純もそれに乗って面白そうに笑う。
「ホント、当麻兄ちゃんて時々抜けてるんだよね〜」
 まあ、既に皆思っていることだろうし、純を相手にムキになることもないが、どうしても、如何なる時も理論的な釈明をしたい当麻だった。
「しょうがないだろ、人間は眠らなければ生きて行けないんだ」
「昼寝するなとは言わないけど…」
 そんな当麻を軽く笑って見ていられる、ナスティはやはり年上だけのことはある。秀にしても純にしても、彼の能力を認めるからこそ軽口を繰り出している。しかしこの場には、とても笑えない目で見ている者が存在した。
「…当麻が悪い」
 と、突然征士が自ら口を開いた。
「何っ!?」
 あまりに唐突な展開なので、当麻本人が思わず声を上げて振り返る。その不穏な事態の始まりに、すかさずナスティが言葉を掛けた。
「どういうことなの?、征士。話してくれない?」
 すると征士は、口籠りがちな先程までの態度を翻すように、明瞭にスラスラと話し始めた。
「当麻が口を開けてだらしなく寝るから、口にスイッチを付けた」
 何だ?、どう言う事だ?。途端に誰の思考もパニックを起こした。
「ななな!?、何だって?、スイッチ??」
「本当なの?、当麻兄ちゃん?」
 秀と純は言葉通り受け取ったようで、子供の飛躍した発想と言う視点が抜け落ちている。と、まだ落ち着いて考えられた当麻は、
「馬鹿な…、例え話だろ?」
 妙なことを言われながらも、征士の前に歩み寄り話した。
「口にスイッチって何なんだ?、確かに俺は寝ていたが…」
 けれどそう言葉を連ねた時、当麻は自身の誤りにも気付いた。子供になった三人は別次元から来たのに、何故俺が寝ていたことを知っているのかと。それを考察する間もなく、征士は尋ねられた件をすぐ回答した。
「無意識に顎が下がると爆発する」
「ええっ!!」
 ナスティと秀の口から、悲鳴とも言えないとんでもない声が聞こえる。またその時征士の表情には、邪悪にも取れる奇妙な微笑みがあった。子供の表情とも思えない、何とも判らない憎悪がその小さな体から、大広間の隅々まで広がって行くような…
 どうもおかしい。と当麻は既に判って来ていたが。
 確かに自分と征士は、何かにつけ意見が衝突することもあるが、同じくらい気の合う所もあり、総合的にとても有意義な友人だと思っている。例えそう思っているのが自分だけだとしても、酷く恨まれるようなことはないと思う。そもそも皆が皆命を支え合い、共に戦って来た仲間だ。否、子供の征士はそれを知っているのかどうか、とにかくこんな悪意を放つ様子は異常だった。
 俺が何をした?。当麻の瞳にやや迷いの色が見えた時、逆に征士の目には獣のような鋭い輝きが見えた。そして、それまで大人しく座っていた彼が、ゆらりと立ち上がったその姿は、目の前の敵を攻撃しようとする気力に満ちていた。
 何だこれは…
「…貴様、征士ではないな?、一体何者だ!」
 当麻が声を張ると、弱々しく立っている征士の背後から、よく知っている誰かの声が響いた。
「…俺だ…!」
 誰かが俺を陥れようとしている。仲間達を身動きできない窮地に追い込んでいる。
 誰だ?。誰が何をしようとしている?。何をすれば元の状態に戻れるんだ…!
 ・・・・・・・・



「俺だ!!。寝言言ってんじゃねぇよ、いい加減起きろ!」
「…え…??」
 まだ多少寝惚けているようだ。いつもの秀の悪戯っぽい表情が、何故だか遠い記憶のように懐かしかった。けれど長い時が経ったようで、実はごく短い転寝だったようだ。窓の日の傾きはそれ以前と特に変わりないと、当麻は辺りを見て状況を確認した。共に居間に居た筈の他の三人は、知らぬ間に何処かに移動したようだが、そこは何の変わりも無い普段の柳生邸。
 そして、喉に閊えるような夢の余韻を漂う当麻に、秀はもう一撃、軽く頭を叩いて言った。
「いつまでもアホ面してんなよ?」
 否、アホ面にもなる。今の妙にリアルな夢は何だったんだろうと、当麻は暫し考えた。リアルと感じるからには、リアルと感じさせる何かがあるからだと。
 そして彼は、そのリアルな要素を次々解明して行った。
 小さい子供が出て来たのは、昼飯を食う前に観ていたニュースで、五つ子ちゃんの映像が流れたからだ。もし俺達が五つ子だったらナスティは大変だな、なんて事をふと思ったせいだろう。
 そのナスティがヒステリックだったのは、少し前に神戸で母に会った時、仕事上のトラブルを抱えカッカしていた姿が、彼女に被ったんだろう。例え仕事でも女はこんな風に怒るのが定番だな、と、うんざりしたことが原因だと思う。
 逆に秀が母親みたいに見えたのは、いつだったか秀が作ったギョーザがすごく旨くて、その時エプロン姿で得意げにしていたのが、変に記憶に残っているからだろう。
 鼻水を拭く行為は、手に何か隠し持っていることと繋がっている。今年の春に電車で、手に何か隠している男がいて、マスクにサングラスと如何にも怪しかったから、暫く見ていたらアレルギーか何かで、握っていたのは鼻をかんだティッシュだった、と言う笑い話がある。
 まじないなんてワードが出て来たのも、少し前に阿部晴明に関する本を読み、修験道の呪文に興味を持ったからかも知れない。また征士が伸に関心を持っていることに、俺と秀は最近ひょんな事から気付いた。だが征士は全く表に出さないから、裏で何考えてるんだろうとしばしば思っていた。そんな意識が征士とまじないを結び付けたような気がする。
 口を開けて寝るな、と言うのはその征士に何度も言われて来た文句だ。同室で過ごすようになってから、何度言われたか判らないが、一向に直せないのを自分で気にしているのだろうか。雑菌が繁殖するから風邪を引き易いのと、歯にも悪いと言われたからだ。
 スイッチで爆発に似た経験は、ついこの前したばかりだ。自作したラジコン飛行機を外で飛ばそうと、リモコンのスイッチを入れたらショートして火が出た。服に引火せずに心底ホッとしたのが記憶に新しい。
 そして、痩せ細った獣がゆらりと立ち上がる様子は、少し前にテレビで観たチーターの姿だろう。何日も獲物を捕れず飢えた肉食獣の目は、普段より一層鋭く輝くと知った…。
 …と、当麻は夢に出て来た要素を多く解析し、何やら口許に笑みが零れていた。寝ている時に見る夢は実に不思議だ、リアルな実体験や記憶を全て混ぜこぜにして、勝手に再構成する機能が人の脳にはある。否、犬も夢を見ると言うから、ある程度の知能を持つ生物は皆、この不思議な体験をしているのだ。しかも恐らく何の為でもない。何にもならない活動を生理的にしている、生物の複雑さに改めて感嘆する身近な現象。
 現実には存在しない場面を、人は夢としてそれぞれ自ら作り出している。
 殆ど意味の無い事にも、脳のエネルギーは使われている。
 それが実感できた今が酷く面白かった。
 目覚めてみればそんな気分で機嫌良く、当麻は楽に肩を落として呟いた。
「何だ…、良かった」
 危機的な状況が夢であって本当に良かった。
 けれども、そんな彼に思いも寄らぬ大声が浴びせられていた。
「良かったぁ!?、ったく、こんな大変な時に寝入ってんじゃねぇぞ!」
 そう言えば秀は、ナスティと純と共に買物に出ていた筈だが、知らぬ間に戻って来たようだと今更当麻は気付く。そして何故、こんな剣幕で怒鳴られるのか考えようとした。
「何が…」
 と、秀に尋ねようとした時だった。居間のドアの向こうからバタバタと、慌てたような足音が近付いて来る。するとバンと音を立ててドアが開き、開口一番にナスティが言った。
「何がじゃないわよ!、どうなってるのもう!!。どうにかして当麻!」
 当麻の目に飛び込んで来た奇妙な光景。珍しく苛立ちを隠さないナスティの、周囲を何か鮮やかな物が飛び回っている。それを見上げる純は逆に楽しそうに、
「あはは!、何か可愛いよねぇ、お兄ちゃん達」
 と笑っていた。
 否、笑い事じゃない。正に大変な事が起こっていた。
 だがよく目を凝らして見ると判別はついた。小さい水色のセキセイインコは伸だ、ひと周り大きい緑のコザクラインコは征士。そしてナスティの肩に落ち着いた、ひと際大きい赤のコンゴウインコは遼だった。彼は今器用に片足を上げて頭を掻いている…。
 そしてナスティが少し身動きすると、
「イヤッ!、そんなにしがみ着いたら痛いって言ってるでしょ遼!!」
 と、どうもそれがナスティのストレスになっているらしい。確かにこれでは、小さな子供になるより始末が悪い。鳥の気持など知らないし、最早言葉も通じなくなったのだから。
 秀が彼女を気遣い、
「おい、こっち来いよ!。でかい鳥の爪は痛ぇんだよ、わかる?」
 そう言って手を差し伸べるも、遼はナスティの肩が気に入ったようで移動してくれない。その内伸が飛び疲れて純の頭に不時着し、征士は悠々と純の服の背に停まった。二匹が自分に集まって来たのを嬉しそうにしている、純は終始笑顔で喜んでいる様子だった。
「お兄ちゃん達、言葉を話せないのかなぁ?」
 前の夢とは一転し、見ている分には平和な雰囲気だけれども。しかし、こんな事態を元に戻せるんだろうかと、当麻の頭は不安のノイズに忽ち埋め尽くされて行く。
「…そんな馬鹿な…」
 と、溜息混じりに彼が口走ると、インコと化した三人は口々に真似して言った。
「そんな馬鹿な!」
「そんな馬鹿な!」
「そんな馬鹿な!」

 鳥類は知能が高いと知られているが、人間の子供に比べればほんの僅かの脳しか持たない。このままでは絶対に鎧を呼ぶことは不可能だ。どうにかして、この状況を解決しなければならなかった。
 当麻は再び思案の渦へと落ちて行った。

 果たしてこの悪夢に終わりはあるのだろうか…









コメント)笑い話のつもりがホラーになってるような(^ ^;。ちなみに征士と伸の関係は、中学生日記シリーズをベースにしたので、征伸としては爽やかなもんです♪
当麻の誕生日だし、久し振りに当麻中心の話を書こうと思ったら、すぐ頭がコメディ方向に向いてしまい、何か私はこういう当麻いじり好きだな〜と、改めて思いましたこの秋。折角だからタイトルも当麻に掛けて、安楽庵築伝と言う、豊臣秀吉の寵愛を受けた方の笑い話本の題名を拝借しましたぞ。



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