確かめる征士
流 浪
Now I'm lost in life



 目の前に広がる景色に、必死で何かを見い出そうとしても、ここに在るのはただ空のみ。或いはしばしば、陽炎のように現れる過去の幻のみ。古の時代から今日に至るまで、憎悪を抱え、歪んだ魂の安住の地だ。
 燻る過去の為に創造された空間。
 健康な命を持って生きるものは何も無い。
 そんな世界を、もうどれだけ歩き回っただろう。昼も夜も無く、飢えを知らず眠りもせず、時を数えることすら忘れた。期待される事の為に働き、敵と看做して消滅させたものの数さえ、正確な記憶は失われつつある。とにかく長い、飽きる程長い旅をしている…。

「気持悪りぃ風だな。何で風があんだよ?」
 額に掛かる髪を煩く揺らす、生温い風のやって来る方向を向いて、秀は何かを見付けようと目を凝らしている。けれど肉眼で捉えられる物は何も無かった。
 彼の言葉を聞いて、その場に座っていた当麻は答える。
「風上に何かが居るんだろう。風を起こす力のあるものが…」
 そしてじっと耳を澄ますような仕種を見せると、
「まだかなり遠そうだがな」
 と付け加えた。
 当麻は今、あらゆる現象から距離や方位、目標の大きさ等を適格に測れるようになっていた。これまでの地道な計測活動の賜物か、新しい鎧が引き出した能力か、或いはその両方かも知れない。そして、信用の於ける能力を身に付けた者が言うからには、
「そうか。そこまで何も無ければいいが」
 遼も何ら疑うことなく言葉を返した。
 最初に出た秀の疑問通り、本来この世界には風さえ吹かない。長く滞在する内に判った事だが、ここには大気に似たものは存在するが、地球のような大気の活動は見られなかった。まあそうだろう、ここに呼吸をする生物群は存在しない。海も無ければ雨も降らない。絶対零度の宇宙空間に隣接している訳でもない。否、そもそも境界と言える場所が見当たらなかった。
 どこまでも歩き続けられる意味では、球体である地球上と似ているが、恐らくそうした三次元的形状ではないだろう、と当麻は予測していた。地形の変化が全く無い為、球の上に立っているなら、必ず何処かに地平線が見える筈だ。しかしこれまで、そうした縁のような視界は得られていなかった。つまりここは地球とは次元の違う空間、としか言えなくなっていた。
 無論宇宙の中には、五次元、六次元、七次元の世界が存在することまで、現在は研究が進んでいる。目で測れる形状ではないと考えても、特に突飛な発想ではない。ただ、それならそれに相応しい物質か、生物か、何かが在って然りだと当麻は考えていた。
 残念ながら、今ここに生息していると言えるのは、地球産の五人の生命体のみだった。対峙する敵もまた地球で生まれた。目新しい要素は何も見付かっていなかった。この世界が如何なる理屈で存在するのか、現状では何も判らないままだ。
 ひとつ手掛かりになりそうだった、地面にしばしば見られる小さな穴は、結局外界と繋がるものではないようだった。当麻の考えからは、一種の重力スポットだろうと結論された。地球の大地も表面の岩盤が、僅かずつではあるが常に動いている。星の中心で起こっている活動に、常に全てが引き込まれているのだ。それと同じで、雲のような地面を常に流動させる役割をしているようだった。
 それは、例え死者しか居ない空間だとしても、空間自体は活動していることを指していた。
 少なくとも場は生きている。死んだ者の為に。
 死者の念を集めて住まわせる為に?。それにしては随分と快適な場所を与えられたものだ。肉体を持つ戦士達ですら、何も補給せずに生きていられる、この有難い環境とは何なのだろう…。
 ぼやけた風の当たる顔の右側に、些かの鬱陶しさを感じながら当麻は考えていた。頭の中で幾ら考えたところで、答が出そうもない状況ではあるが、持て余す程の時間があっては仕方が無かった。すると、少し離れた所に居た秀が戻っていて、
「今はあんま無理すんなよ、遼?」
 と、当麻の向かいに座った遼に言った。
「分かっている」
 本人は恐らく、疲れた様子を見せまいとしているだろうが、今の遼は誰の目にも、疲労困憊している様が易々と見て取れた。
 ここに来たばかりの頃に比べれば、現状は遥かに進歩している。五人がそれぞれの新しい力の使い方を理解し、使い物になるレベルに達した能力もある。だが、結局最初に懸念された事は当たっていた。ここで為すべき最も重要な、死者の魂の鎮魂に対しては、遼の持つ要素しか効果が見られなかったのだ。
 他の者はその補佐的な事、或いは戦略的な事に回るしかなかった。つまり遼はひとりで、多大なエネルギーを消費する立場になっていた。しかも、今居る地点は過疎地ではない。下手に動けば切り無く敵に遭遇する場所に居た。
 それなので、
「むしろ休んで待つ方が、向こうから寄って来るから効率が良いだろう」
 当麻もそう言って、遼が無理に動こうとしないよう制した。
「だな、この辺は敵のメッカみてぇだし」
 秀は当麻の意見に賛同すると、遼の表情を窺うように顔を覗き込んで、ニッと笑って見せる。くどくど言わない代わりに、笑顔を向けて同意を求める彼のやり方は、昔から変わらない、厭味の無い思い遣りを遼に感じさせた。そして、
「ああ。そんなに気を使わなくていい、伸に助けてもらったから大丈夫だ」
 遼はもの静かな調子でそう答えると、それきり口を噤んで、眠りに入るように膝に頭を預けた。否、当麻と秀の心情はむしろ、本当に眠ってくれた方が嬉しかったが。
 ところで遼が話したように、伸は今現在、ある程度の能力回復ができるようになっていた。新しい鎧を介して発揮される力は、続けて使うと消耗が激しいのが難点だったが、伸の能力のお陰で今は、そこまで気になる事情ではなくなった。それより体力の回復に時間が掛かるからだ。何しろここには、手っ取り早くエネルギーを補充できる食物が、一切存在しないのだから。
 また、体力までを回復する力は、今のところ誰にも得られていなかった。テレビゲーム等では極簡単にできる事だが、実際は困難な技術のようだった。無論、生死を左右する力が簡単に使われては、命の価値も軽くなってしまうだろう。
 さて、遼の口から伸の名前が出ると、秀は思い出したように言った。
「…あいつら何処行ったんだ?」
 ここまで辿り着く間に、五人の作る隊列は長く伸びて、いつの間にか後方のふたりを失っていた。



 征士と伸は、他の三人からそう離れていない場所に居た。何故隊列から離れたのかと言えば、征士が歩くのを止めたからだった。
 歩き疲れた訳ではない。まして、何処も彼処も同じ景色の中に、目を引く面白い物を見付けた訳でもない。敵らしきものを捕捉した事実も無い。ただ突然征士が止まったので、その後ろを歩いていた伸も止まらざるを得なかった。
 理由を聞いたが征士は答えなかった。
「こんなこと…なぁ…」
「…ん」
 そして立ち止まってから、地球の感覚で十五分程経った頃、伸は予想外の事態に苦悶していた。
「してる場合じゃ、ないと思うんだよ」
 耳の後ろに感じる息遣い、首筋に沿って上下する、扇情的な唇の動作が細かに感じられる。後ろから抱き締められ、引き寄せられた躯を更に締め付けた、無理矢理な状態に多少の恐怖も感じた。
 彼の右手が服の下で、渇きを訴えるように這い回っている。長く忘れていた、身を締め付けられる震えが次々と、喉元に這い上がって来るのを感じた。鈍っていた皮膚の上の感覚が、刻々と研ぎ澄まされて行くのが判る。躯の奥から本当の自分が蘇って来るように。
 もっと繋がって居たいと、内なる欲求が揺さぶられて目を覚ます。
 だが今は、そんな沸き立つ感覚に浸っている時じゃない。
「そうだな」
 伸の呟きに対して、しかし行動を起こした征士は肯定して答えた。
「そうだな?、じゃないだろ?。仕掛けておいて何だ…」
 けれど、伸の追及を耳にしなくとも、征士は途中で止めたに違いなかった。不意に一切の動きが止まり、そのまま伸の肩に頭を預けると、征士は溜息を吐きながら唸る。
「…う〜ん…」
「…?。何考え込んでんの?」
 伸は変わらない調子で返したが、その重々しい様子は確と背中に感じられていた。
 これまで、征士が悩み始める時と言えば、自ら何かの失策をした時に限られていた。或いは己の信じて来た方向に、疑問を感じて自信を失くしているなど。だがそんな時はいつも、人から離れようとするのがパターンだった。今の彼の様子は、過去の例には当て嵌まらないようだと、伸は俄に感じ取っていた。
 すると暫しの間を置いて、征士はこう答える。
「どうも、生きていると言う感覚が乏しいのだ」
 これが地球上の、普通の生活の中で出た言葉なら、異常性も疑われただろうが、
「ああ…、そういうこと」
 伸は至って普通に返していた。その感覚は、ある程度今の五人に共通する意識だったからだ。
「それで唐突にこんな行動に走った訳だ?」
 何のことは無い、ここでは正常な思考だと判ると伸は、笑いながら一連の場面を締め括ってみせる。まだ征士は指一本動かさずに、変わらず伸の躯を抱き締めていたが、彼の明るい返事を耳にすると、やや肩の力を抜いて、少しばかり窮屈さを解消させてもいた。
 そもそも拘束しようと思ったのでもない。征士が思い付いたのは、本来の己に戻る手段に過ぎなかった。善きにつけ悪しきにつけ、伸の中には己を思い出す鍵があるだろう、と征士は考えた。感情に身を任せるだけで、本来その扉は簡単に開く筈だった。
 けれど何故だか、心の内から出る行動の前に、常に巨大な理性の壁が立ちはだかっているのだ。それが生きている感覚が乏しくなる理由。この世界に来てから、時間を追う毎に壁の存在を強く感じるようになった。ここでは本能的行動が規制されているようだと。
 だから、この世界の基礎理念が「理性」であることは判った。本能的に感じる食欲、性欲、睡眠欲などは、全く必要のない世界になっている通りだ。無論地球世界しか知らない人間には、完全な理は持ち得ないだろうが、ともかくここは理性の法則がある世界で、誰もが知らず知らずの内に、それに沿った行動をさせられている。
 知らず知らずの内に、この世界に合った形にされているようなのだ。
「どのくらい経ったのか、久しく人間から離れている気がする。生物的にも、感情的にも人から離れて行くような気がする…」
 と、肩越しに征士が話すのを聞くと、用意していた訳ではないが、伸の口からもすらすらと言葉が連なっていた。
「まあ、君だけじゃないよ、みんなそう感じてるだろうね。僕も最近、自分は植物なんじゃないかと思うことがある。生きようと思ってるだけで、自発的な事は何もしてないな、みたいな」
「そんな感じだ」
 伸の返事があまりに的を射ていたので、全く誰にも疑いの無い事実だと、征士は知ることになった。
 意の無い生物は、ただ法則に則って生きるだけだ。考えることをせず、痛みや喜びは感じても、自らの行き場を欲しがることは無い。与えられた命を与えられるままに生きている。戦士達は、今は正にそんな日々を送っている。
「何かが足りない。いや、欠けてしまったような気がする。こうしていても、沸き起こって来る感情が無い。植物と言うだけではない、年老いて枯れた木のようにも感じる」
 征士は続けてそう言うと、止めていた手を再び動かして、今度はしっくり腕に収まるように抱き直す。彼の話の内容が判れば、彼が何故そうしたかは容易に想像がついた。
 戦士としても人間としても、存在が定まらない現状が彼を不安定にさせている。
「考え過ぎだよ」
 伸は言ったが、
「考え過ぎではない」
 と征士は間を置かずに返した。
「私が確と欲を持っていないと、伸は何処かに流されて行くだろう?」
 もうひとつ、己を失うと同時に伸も失うことを、征士は酷く懸念しているようだった。否、普段の彼ならそこまでナーバスにはならないが、恐らくこの環境が影響しているのだろう。ただ与えられた使命の為に、己を一部品にして、単調に作業を繰り返す生き方は、征士の性質には凡そ合わないと考えられる。過去の鎧ならむしろ、個性を生かすことで戦えたのだが。
 本人が言うように、彼を支えているのは欲であり、意思の向く方向である。それが真直ぐ、ぶれの無いものであるからこそ、伸はあらゆる面で彼の判断を頼って来た。
 なのに、
「君は僕の足枷だって言いたいの?」
 伸が冗談半分にそんな言葉を出すと、
「…悪い言い方をすれば、そうだろうな」
「ハハハハ…。確かに重症みたいだ。内心そう思ってても、君はそんなことは言わない筈だな」
 征士が今どれ程堪(こた)えているかを、伸は知るばかりだった。
 そう、伸ならば、こうして恙無く時が過ぎることなど、大した苦には思わないだろう。人間として表面的な意思はあれど、奥底からこだわりたい物事は持たない。常に流れに乗って、波に乗って、見る場所を変えて行くのが彼の生き方だ。こだわりの有る者程、何もかも薄ぼんやりとしたこんな場所は、生き難い環境なのだろう。
「だから、動いていても己のような気がしないと言っている」
 伸に笑われた所為か、一際トーンを落として続けた征士に、けれど伸も無闇な反論はしなかった。
「そうだね…、ここでは人間じゃないのかもね、僕ら」
 植物のようだと、伸も常々感じている通りだった。それで落ち込みはしないけれど。
「漂っているだけだ。標的に出会えば機械的に反応するだけだ。まあそれだから、ここに送られたのは修行のような意味かも知れない、とも考えられたが」
「そうだろうね。新しい鎧の使い方とか、新しい考え方を取得しなきゃならない」
 ところが、茶々を入れず聞くことに徹していると、結局自己の不安に苛まれながらも、征士は正しく状況を理解していると、伸は気持良く安堵することができた。単調で面白味の無い時間が、今は呆れる程長く感じられているけれど、恐らく全ての時間の中ではほんの少しだと。
 ほんの少しの間だと、伸は自ら暗示するように思っていた。そうでなくては、行方も知れぬ海原に漂うことなどできない。伸が過去から唯一得ている真理だ。
 だから彼はこう続けた。
「仕方ないよね、前より難しい仕事をするとしたら、昔のままじゃ話にならないんだろ。でも、ここを出る頃に何が変わってるかを考えたら、僕は結構楽しみに思うよ?。人間が抱えるジレンマとかさ、何かが解消されるかも知れないじゃないか。まあ、その内元の世界にも関われるだろうしさ」
 最後にまとめてそんな話をした伸は、落ち着いて居ながらも明るい、南洋の静かな海辺のイメージに重なっていた。現代的な物は何も無い、最も基本的で、静かで退屈だけれど美しい。
 そんな清々しさを、手の内に懐かしく感じながらも、征士はまだ今ひとつ呑み込めないようだった。
「…何故そう割り切れるのやら」
 だが、険しく固まった表情には笑みが戻っていた。
「さあ?。慣れてるからじゃないの」
「分からんなぁ…」
 誰もが弱くなっている時に、ひとり溌溂とし出す伸は永遠の謎だった。



「だが俺は未だに分かんねぇんだよな」
 生温い風を受けながら、身を潜めるように大人しく休んでいた、三人の輪の中で秀が切り出していた。
「何のことだ?」
 彼のすぐ横に座っていた遼が尋ねると、
「ここは戦に恨みを持って死んだ奴の場所なんだろ?、奴等の意思で出来た場所って訳だ。ってことは、奴等には居心地の良い場所だよな。だが俺等はここに居る奴等を消して回ってる。俺等がやってる事は何なのかと思ってよ?」
 と、秀は彼なりに感じている疑問を話す。長きに渡り、歴史に苦しめられて来た魂の安住の地から、彼等を排除するのは些か可哀想に感じると。
 確かにそんな見方もできた。修羅へと落ちた残忍な者ならともかく、戦に巻き込まれて死した、単なる民草や農民には罪は無い。けれどそれらをまとめて、同様に葬り去ろうと言うのは、多少理不尽に感じることだった。ある意味人間らしい疑問だった。
「そうだな、俺もはっきりは分からない。送り出してくれたすずなぎの意思を思うと、間違ってないだろうと感じるだけだ」
 遼もそう返して、自らの判断は難しいと答えていた。
 誰もまだ、正確に死んだ経験がある訳ではない。肉体を離れ、魂だけが存在する者達の事実は測りようがない。地球の通常の世界にも、浮遊する霊の話はしばしば耳にするが、ここに居るのはもっと厄介な者達だろう、との想像は難くなかったけれど。
 個人的な恨みではないのだ。苦悩の歴史が続く内に、数が集まり、集団として強大な力を持つようになり、現世に影響を出し始めた怨恨の連鎖。どうあっても断ち切らなければならない。それが自分達をここに送り出した者達の、切なる悲願ではないだろうか。
 ただ、
「ただ…、多分、どんなに力を尽くしても、全てを浄化することは不可能なんじゃないか?、と思う時があるんだ」
 秀への返事に続けて、遼はそんな個人的な考えも話した。それはつまり、誰がどう頑張ろうと時間をかけようと、対象は次々現れ来ると言う予想だ。ここは最初からそうした世界なのでは、と遼は考えているようだった。すると、
「まァ…人間は次々死んでくし、戦争もなくならねぇから、そうなんのかな」
 秀もそれには納得している様子で、考え得る世界構造を頭に描いていた。
 人は生まれ、人は死ぬ。平和な日本に暮らしている内は、今現在も政治的、或いは宗教的闘争が続く地域で、毎日のように人が死んでいるとは、なかなか気付けないものだ。そしてそれ以前に、人間が繰り返して来た戦いの歴史が在る。過去と未来を切り離せない以上、人間が争いを忘れることはないだろう。戦に苦悩する者は出続けるだろう。
 地球は物質面で、完全なリサイクル形態を持っていると言うが、一度生まれた意思や恨みも、そうして巡り巡ってしまうのかも知れない。と秀は思った。
「それだけの意味じゃない」
 そこで当麻が、ふたりの会話に付け加えて話し出した。
「善悪は人間が生み出すものだ、人間が居る限り、ここのような場所は無くならないんだ」
 歪んだ執念の連鎖ばかりではなく、単純な人の思考も連鎖していると彼は言った。
 そう言えば、奇跡とは天から与えられるものではなく、人の集団的な思考エネルギーが起こすものだとする、未来史的なSF小説が存在する。無論それが事実かどうかは検証できないが、実際稀にそんな事例も無い訳ではない。例えば願を掛けた願いが叶うような事である。神が願いを聞くのではなく、本人や周囲の意思が成功を引き寄せると言う考え方だ。
 もしそうならば、この世を動かしているのは正に人の意であり、限りの無い欲求である。今ここにこんな空間が存在し、生前の意識を捨てられない者が集っているのも、全ては人間から生まれた意思、と言うことになる。まあその場合、死後の世界を信じる、信じない程度の思考から生まれたのだろうが、「想像できるものは皆存在する」と、嘗て誰かが言った通りかも知れない。
 それを望む理由が在りさえすれば、新たな存在は生まれて来る、と言う訳だ。
 ところで、その様な基礎理論は考え難くとも、遼は当麻の話の一点には関心を示していた。
「他にも似たような場所があるのか?」
 聞かれれば確かに、当麻はそんな口振りで話したようだった。すると彼は、これまでに知り得た事例に則った、自らの予想を話してくれた。
「恐らく、ここは数在る平行世界のひとつに過ぎない。人の負の感情は、なにも戦争から生まれるものばかりじゃないさ。偏った思考の種類の数だけ、その為の場所があるんじゃないかと俺は思う」
 そう、平行世界などというものは、理論的には人の選択の数だけ存在するものだ。どちらへ行くか迷って、右に行った時の未来と、左に行った時の未来が違うように。ただそうして生まれる膨大な平行世界の、全てが永劫に存在する訳ではない。残したいと言う意思が加わらなければ、選ばれなかった未来は次々に消滅して行く。それが地球上での道理だろう。
 そしてその中から残される平行世界とは、つまり強烈な思念に支えられた場所と言える。と、当麻には考えられていた。だからこそ、鎧戦士達はここに送られて来たのだと。
 するとそこで最初に疑問を発した秀が、
「そっか。俺等は得意分野に送られて来たってことだな」
 と、突然軽妙な調子で言った。それを聞いて、
「珍しく察しがいいな?」
 と当麻は意外そうに返したが、存外理解が進んでいるらしき所を、秀は更に続けていた。
「へっ、そうじゃなきゃやってらんねぇよ、お化け屋敷じゃあるまいし」
 地球上ならば、すぐ横に居る誰かを守るとか、大義名分のようなものはすぐに見付けられる。しかしこの世界では、何を対象に考えて良いか迷う面もある。秀の疑問は始めからその点に尽きていたので、これでほぼ解決といったところだった。
 勿論一連の話の中には、全く解決できない話題の方が多かった筈だが。
「負の感情か…。だから罪の無い者も浄化しなきゃならないんだな」
 と、遼は当麻の話から、自らの疑問の答を探すように呟いている。浄化と言えば聞こえは良いが、意の在る存在を消滅させることの理由を、遼は手を下す者として、誰より真摯に考えているのだろう。誰も教えてはくれない、導く者が不在の状態で決定的な仕事をするのは、誰にしても恐ろしい。もし万一誤った事をしていたら、この先どうなるだろうと考えてしまう。
 けれど、
「そうだと思う。意味も無く命を断たれた者は、自ら戦って死んだ者より哀れだ。生きたいと言う欲求の諦め所が無い。その所為で自ら歪んでしまうだろう。そんなのがいつまでも漂っているのは、本人にも世界にも良からぬ事さ」
 遼に対し特に気を遣う意識は無かったが、続けられた当麻の持論は、結果的に遼の考えを正しいと認めていた。
「うん、そうだな。死んだ人間が後で活発になるなんて、普通に考えりゃおかしい話なんだ」
「ああ。放っとくとまた阿羅醐のような奴が、再来することもあるんだろう」
 ただ悪しき者を排除する使命は終わった。今は、争いの悲しみを排除する為に歩き出したところだ。だからそれで正しいのかも知れない。悲しみは善き人の心の中にも、誰の中にも存在するから、全ての魂が対象になるのだろう。
 人間が居る限り、哀しい記憶は増え続けて行くだろう。
 こうしてまたひとつの疑問が消化されて行った。ここではこんな事の繰り返しで時が進む。
 遼と当麻の間で、今考えられる事情を一通り話し終えると、暫しの沈黙の後、遼はふと力を抜いた様子を見せて、ぽつりと呟いていた。
「全ては人の欲か」
 そう言って彼が見据えていたのは、対峙する敵のことだろうか?、それとも人類全てのことだろうか?。
「欲ねぇ。欲と言やぁ、ここに来てから腹が減ることもねぇから、変な感じだぜ」
 と、秀がいつものように戯けてみせると、遼は複雑そうな笑顔を浮かべて返す。
「難しいな、」
 勿論、簡単に判るレベルを卒業したから、彼等はここに居るのだけれど。
「ただ生きたいと言う欲求にも、良いものと悪いものがあるんだな」
「だなぁ…」
 生死とは何か。善悪とは何か。命とは何処から来るのか。
 右とも左ともつかない問題は、依然人類の前に山と存在している。そして人間の枠組に捕われる内は、何も判らないまま終わることになるだろう。新たに旅立った鎧戦士達は、今やっとその輪郭部分に触れたところだった。その場からの眺望は、迷宮の通路がまだまだ遠く、見果てぬ彼方へと続いている様、と言った感じだと思う。
 全ての真理に辿り着くまで、どれだけの時間がかかるだろう?。
 俺達はどれだけ彷徨うだろう?。
 何故だか、三人の間には笑みが零れた。



「何か感じるか?」
 そう言った征士の髪にも、幽かな風が通り過ぎて行くのが感じられた。
 今は戦闘は小休止しているが、また近い内に次々と、休み無く現れる標的に向かい続ける時が来る。否応無しに戦いへと引き込まれる、純粋で無感覚な時間帯がやって来る。無心で努力する様は美しいと言うけれど、そんな讃辞は有難くもない。征士の現在の心境はそんなところだった。
 誰かが誉めてくれる訳でもない事に、取り組む厳しさを君は知っているか。
 征士の問い掛けから、暫くの間目を閉じて、辺りの気の流れを一心に探っていた伸は、
「いや。まだ近付いて来る気配は無いみたいだ」
 と答を出していた。先に居る筈の他の三人からも、特に慌ただしい動きは感じられない。そうして伸が変わらず穏やかな様子で居るので、征士も簡単に一言で返す。
「そうか」
「そうかって。いつまでこうしてるつもりなんだ」
 伸にしてみれば、『もう発った方がいい』と嘘を吐けば良かったか?、と正直さを多少後悔する場面だった。
 先程から動作を止めたまま、彼等は何もしてはいないが、何も無いなら早く先の集団と合流した方が良い。伸はこの世界の常識を思ってそう考えているけれど、征士はと言えば、
「時間が許す限り」
 今はあまり、他を気にする余裕が無いようだった。
「みんなに不興を買うだろ?」
 けれどその時、これまで大人しくしていた伸が、次の行動を急かす様に身を捩った。左の肩に感じていた重みを振り返ると、伏せていた目を開いた征士と丁度視線が合う。その瞬間は、特にどんな表情とも言えなかったが、暫し見詰めている内に征士は、ぎこちなく作ったような微笑みを見せた。
「何だい?」
 と、伸も吊られたようにクスリと笑った。そして、
「吹かれる草のように生きていても、変わらず心臓は動いている。唯一、確かに人間として生きていると分かる」
 征士はそう言うと、再び眠るように目を閉じてしまった。もう二度と目覚めない、化石の沈黙を思わせる静けさを以って。

 静かな愛情も、個を認めぬ残酷な支配も、皆似たような人の欲求なのだ。
 征士は自らを足枷だと言ったけれど、確かに現状で身動きできない伸には、そう言える面もあるかも知れない。ただ、それは受ける側の感じ方にも拠るだろう。人間だから、通り一遍の考え方はしない。相手に必要なものが見えたなら尚のこと、伸は征士を責めないだろう。
 僕のように受け取るのではない、自ら欲するものを君は諦めてはいけない。
「少なくとも僕は居るよ」
 と伸は返して、結局同じ様に黙ってしまった。
 人間の持つそうした性が、果たして良いものか悪いものか迷いながら。

 今は誰もが彷徨っていた。









コメント)前の話からはかなり時間が経過しています。この辺りはまあ、敵に遭っちゃ戦って、と言う単調な時間が延々と続くので、この話一本に絞ってみました。感覚としては大体、「360°」から「フラクタル〜」の間がひと月くらい、「フラクタル〜」からここまでが四ヶ月くらい、この話から次の話の間が半年くらい、と言う感じです。
「偉大なる哲学」にも、ちょっとだけこの世界の説明が入ってますが、ホントにここは長い場面です。「鎧戦士達の長い改造期間」と理解していただければ、もう文句はございません(^ ^)。



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