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六月の天使
We need a holiday



 今更ながら、六月には祝祭日が無い。
 現在の日本の祝日は、明治初期に政府が制定したもので、呼び名は変わったが、大半が天皇家の行うお節句と誕生日である。
 江戸時代以前、この島は多数の国に分かれ、自由な行き来を禁じていた為、言葉も文化も独自の発展をしていたが、そこから急速に日本はひとつの国となった。それまで指導者と言えば、各地の大名しか知らなかった国民が、一丸となり富国強兵に努められるよう、国のリーダーは天皇であると宣伝する目的だった。
 旗は本来、自国、自陣を象徴するアイテムだが、国民全てが同じ旗を揚げることにより、ひとつの国である意識を高めた。故に祝日は旗日と呼ばれていた。
 王政復古の大号令として学習した通り、古代の日本は長く天皇家がリーダーだったのは間違いない。そこから武士中心の社会となり、明治維新後に再び天皇家へ実権が戻された。天皇家は実権を失った後も、国の教養人として存在し続けていた為、それは自然な成り行きだったかも知れない。ただ、
 歴史的に神仏混淆であったこの国に、突然絶対神が降臨した。
 その当時の日本国民は、掘り起こされた古事記や日本書記の記述を、いきなり眼前に突き付けられ、何を感じただろうか。皇紀元年を開いた神武天皇は、天照大神の直系の子孫の神であると言われ、即座にイメージが湧いただろうか。
 否、日本の神々、天皇家の由来には多々曖昧な部分が存在する。だからこそ軍事強化を進める上で、利用できる隙があったのだろう。
 その統一政策の思わぬ側面により、日本は苦い敗戦に行き着いたが、凡そ理論的でない、神風のような逸話を信じさせる国も、狂信的に信じてしまう国民も、まだ国際的に未熟だったと言う他に無い。開国から百年も経っていなかったのだ。
 そして戦後、祝日の再編と呼び名の変更が行われたが、もし天皇が真に神と同等の存在なら、昭和天皇の命乞いと共に、祝祭日など、日本の信仰の保護をもアメリカに訴えた筈だ。だがそうはしなかった。治世の流れを知る政府は、当世の天皇を神と持ち上げ、国の統率に利用したことを認めているからだ。
 所謂維新志士達の、一見尊い思想も、単に将軍家を屈服させる存在は何か、と言うだけのことである。この国は古来から天皇のものである、天皇は日の本の神の子孫であると、大々的にプロパガンダを行い、本来の日本はこうであると洗脳することだ。
 この国を海外の脅威から守る為、統制された一等国と認めてほしい政府の切望は、当時の世界情勢から察することができる。ただその筋書きを知らぬ国民は、乗せられるまま戦火へ身を投じて行くこととなった。
 一部の知識人や良識的な層は反発したが、多くの人は国威発揚の煽りを受け、神の国日本に心酔していた。歯向かう者は弾圧された。
 果たして日本に再び神が降臨したことは、良かったのか悪かったのか。

 ところでこれは天皇制への批判ではない。
 開国以降、速やかに国力を整える必要があったのは、多数の記録から充分理解しているつもりだ。独裁政権は三百年が寿命と言われるように、当時の幕臣の多くは内向きで、激動する世界情勢に理解が及ばなかった。改革は必要不可欠なものだった。
 つまり私はそこに不満がある訳ではない。
 そう、不満に思うのは最初に述べた一点、六月に祝日が無い切なさである。
 当然ながら、休み無く働かされるのは気分的に滅入る、と言うのもある。鬱陶しく梅雨の続く年は尚更である。また他の理由にもうひとつ、親しい仲間の誕生日は、皆「何かの日」と広く知られていることだ。
 だからと言って忘れられることは無いが、その日の出来事、イベント等を話題にしたことは殆ど無い、六月九日は常にぼんやりとしている。自分自身、誕生日のイメージは全く定まらないままなのだ。六月、水無月、入梅の薫りが風情ある季節とは言え、誕生日の当日必ず雨が降る訳でもない。
 特に年を重ねて来ると、個人の誕生日など日常のまま過ぎていく。うっかりすると人に言われて気付く程度に、意識しない日付のひとつと化している。そんな事を気にする余裕も無いほど、充実して忙しいならそれも良いだろう。
 しかし近年の日本には充分な余暇がある。
 ああ、適度に暇な時間を持てるから、どうでもいい事を考えてしまうのかも知れない。
 何故「みどりの日」が私の誕生日でないのか。六月の祝日に「森の日」はどうか。など、ふと生年月日を目にすると、馬鹿馬鹿しくも思案している私が居る。何れもそれ程インパクトは無いが、祝祭日の到来を人は喜ぶので重要だ。

 と、そのような事を話してみると、その内朝食を終えた伸は笑い出した。
「そんなこと考えてたの??」
 三十路ともなりながら、気にすることじゃないと思っただろう。確かに自分も、特別拘る感情は無いが、何故かしばしば疑問に思うことがあった。幼い頃から変わり者であったせいか、疎外感が未だ心に引っ掛かるらしい。
「私の立場になってみないと判らん。つまらぬ事だが仲間外れの感覚だ」
 すると盛大に笑いつつも、伸は優しい表情でこう言った。
「あっはははは!、存外かわいいこと気にしてたんだね」
 そうだな、小学生のようだと私も感じている。誰かがこの日を特別な日にしてくれる時を待っている。それはあえて口にはしない。言えば「君が行動を起こせばいい」と、必ず返って来るからだ。残念ながら私はそこまでの人物にはなれないだろう。
 勿論犯罪者として有名になるのも嫌だ。

「調べてみたが、実際大した事は無い日なのだ」
 征士が言うと、伸は購入したばかりのノートパソコンを開き、早速過去の六月九日の出来事を検索した。
 53年ローマ皇帝ネロとオクタウィアが結婚。
 62年オクタウィアが自殺させられる。
 68年ネロが自殺する。と、六月九日は暴君ネロに関する、奇妙な同一の日付がまず登場するが、神話と同じく古い話は信憑性に欠ける。
 1815年ウィーン会議。日本にはあまり関係がない。
 1865年第二次長州征討。有名な出来事でも、第一、第二と分かれる出来事は、その詳細を知らなければ、第二以降は憶えにくいと思う。
 1993年皇太子と小和田雅子妃の結婚。
「あ、懐かしい、憶えてる!」
 そこで漸く伸が明るい声をあげたのは、当時の記憶を思い出したからだった。鎧戦士五人が二十歳になる年、丁度国は新たな時代の祝賀に沸いていた。だが、
「その時は盛り上がったが、毎年話す事でもないだろう」
「まあね、もうかなり忘れてた」
 天皇家の婚儀はその数年前、秋篠宮の時も大変な話題で、CNN等海外メディアも大いに沸いた。その後であったこともあり、双方の印象が混同している面がある。年表を見なければ思い出さない程に、濃い記憶にはならなかったようだ。
 そして昨年のサッカーW杯日韓大会。記念すべき日本の初勝利の日ともなるが、スポーツの記録は日付までは、あまり憶えていないものだ。
 ざっと見て、確かに征士の言うように、広く思い出される日ではなかった。実は伊達政宗が、秀吉の呼び出しに白装束で参上した日が六月九日だが、一般に知られる出来事でも、お目出度い出来事でもないので残念だ。
「特にイメージの無い日は少し寂しい」
 と、普段は世間の話題など何処吹く風な、彼が珍しい発言をすると、
「事件の起きない平和な日とも言えるんじゃない」
 伸は画面を見たまま平素にそうフォローする。まだ何も無い、真っ新なキャンバスのイメージは、格式と自由を奇妙に併せ持つ征士に、よく似合っていると思うのだが。残念ながら本人はそう捉えてはいないようだった。
「それは私のイメージか?」
 ダイニングテーブルにて、じっと画面を見続けている伸の顔を、横から覗き込むように彼は見る。本当に珍しいのだが、所謂「かまってちゃん」のような態度だ。想像はできないが征士は何故か、どうしてもその答を欲しがっている、と伸には感じられた。
「別に関係ないだろ、当麻と体育の日に何の関連があんの」
「それもそうだが」
 困った例を出されると、五人の中では最もミスマッチな当麻の、居心地悪そうな様子が思い出された。柳生邸などで度々開かれた、五人の誰かの誕生会では、毎度体育の日を弄られる当麻が見られた。運動音痴では無いが、特に運動会で活躍するタイプでもない、彼のイメージは体育の日とは結び付き難い。
 それより有名な中国の詩、天高く馬肥ゆる秋、を表す祝祭日が存在すれば良かった。海外ならば収穫祭の時期である。
 そして征士に関しても、彼を表す緑や稲妻を連想させる休日や、行事、イベントが日本には存在しないのだ。古来雷は豊かな実りの吉兆であり、それを願う神事は常に行われていた。農業に関する祝日が存在しないのは、昭和で改正されたことを物語っている。
 それはともかく。
 毎年何がほしいと、滅多に言い出すことの無い征士らしい。まさか誕生日のイメージを欲しがるとは、伸にも予想できないことだった。ここまで年を経て口にしたのは、それだけ彼の不満が蓄積したと言えるだろう。
 パソコンを閉じ、ダイニングの席を立つと、伸は何気なくコーヒーを淹れながら考え始める。その後もずっと、征士が納得しそうな答を探していた。それだけで済ますつもりは無いが、今年のプレゼントのひとつだと、伸は彼のイメージを真面目に思い馳せた。



 それから約二時間後。
「よし。新しい記念日を発表しよう」
 土曜日の午前十時、簡単に一通りの家事や雑事を終え、居間のソファに落ち着く頃にはひとつの答を出していた。
「六月九日は恋人の日〜、だよ♪」
「…?。その意味は?」
 これまでに話した歴史的出来事とは、まるで趣向の違う提案に、征士は些かキョトンとした様子で尋ねる。伸とホワイトデーの組み合わせは、最早誰も違和感を持たないが、果たしてこの案は受け入れられるだろうかと。
 すると伸はまず、前の会話を引いてこんな話から始めた。
「意味はねぇ、世界の祝日って宗教的なものが多いんだよね」
「そうなのか?」
「日本も以前はそうだっただろ?」
 廃止された日も、呼び名が変わった日もあるが、明治初期に定められた祝祭日は、基本的に皇室行事に則したものだった。一月一日は元日、三月三日の上巳(じょうし)の節句、五月五日の端午の節句、七月七日の七夕の節句、八月一日の八朔(はっさく)の節句、九月九日の重陽(ちょうよう)の節句、九月二十二日の天長節、など。
 大半は人の生活に関わるもので、この内最後の祝日は天皇誕生日である。ただ多少知識のある征士には、特に宗教的とは思えない問い掛けだった。
「明治からの祝日にあまり意味は無いぞ」
 そう、現在の言葉に直せば雛祭り、子供の日、七夕と一般に知られる季節の行事で、ごく単純な休日に感じる。けれどそれは生まれた時から、この暦で生きる者の感覚だと伸は続けた。
「でもさ、祝日を決める時に海外の暦を参考にしたから、八朔の節なんてあるんだろ?。将軍家が一番偉かった時代には無い発想だよ」
「確かに…。それまで民衆の祭日は無かったからな」
 八朔と言う柑橘類があるが、丁度その頃に生るから八朔なのだろう。田の実の節句とも呼ばれ、旧暦の八月一日頃は台風の多い時期で、稲穂が無事豊作を迎えるよう神に祈る祭日だった。当時は農家が国民の大半を占めており、この日は現在の敬老の日の辺りだが、意味としては勤労感謝の日に近い。
 重視されたのが農業だった昔と、昭和以降の企業戦士の時代に違いはあるが、国を営む上で、国民の生活を守ることが国力に繋がると、開国頃の先進国は皆知っていた。一方的に王様や殿様が支配するだけの、封建時代は既に古い形式となりつつあった。暦ひとつを見ても、維新政府が海外に倣う面は多かったのだ。
 そこで、海外では何故早くから、その発想を持てていたかと言う点だが、
「それが何だ?」
 まだ脈絡の見えぬ征士が再び尋ねると、ここから少し難しい話を始める伸は、軽く腕を組み首を傾げて見せる。
「んーと、ちょっと面白い事を教えてあげよう。僕の誕生日は言葉が通じない、君の誕生日には言葉が通じる、これなーんだ?」
「?、なぞなぞか?」
「違うよ、単純なクイズ」
 そう導入し、欧米の思想には疎い征士も、理解できるよう伸は考えていた。一見楽しげで他愛ない遣り取りだが、広く世界で重要視される出来事を、分解して話すのは些か骨が折れる。日本に存在しない宗教観は、理解しようがない面もあるからだ。
「…さあ…知らないな、何のことだろう」
 思った通り、何ら思い付かない征士見ると、伸は今現在も多くの国が、祭日としている日の簡単な説明を始めた。
「大半の日本人は知らないだろうから、あえて言ったんだけどね。欧米は毎年五月二十日頃に祭日があるんだ。それを境に違う人種や民族が、言葉を交わし理解し合えるようになった、大事なお祭りなんだって」
 勿論、そう聞いたところで何のことやら、
「聞いたこともないな」
「聖霊降臨祭って言うんだよ」
「…こうりんはこうりんでも全く判らない」
 笑える程に何も出て来なかった。
 聖霊などと聞くとファンタジーのようだが、主にカトリックの国では祭日、プロテスタントの国では、それに当たる日曜日がその日になる。
 肉体の死から三日後、キリストは復活し天へと昇り、その五十日後に天より聖霊が降り、種族を分けた人々が理解し合えるようになった、教会の始まりの日を聖霊降臨祭と言う。ユダヤ教の五節祭も同じ時期であり、イスラム教の神聖月もこの時期から始まる。
 尚、復活祭は近年、日本でも流行らせようとの動きがあるが、
「クリスマスの意味はわかるだろ?、復活した日はイースターと言うんだけど」
 と話す伸に、映画等を通し一般に知られつつある、現状を表しながら征士は返した。
「それは聞いたことがある。卵のイベントだろう」
 イースターと言えばイースターエッグ。その象徴をイメージできる程度だが、微かに知る様を見ると伸は、一から話す面倒を回避しホッと息する。
「そう、キリストの復活祭ね。その五十日後が聖霊降臨祭、ペンテコステだよ」
「ペン…」
 ふと文房具的な映像が頭に浮かんだが、絶対に違うだろうと征士は口を噤んだ。無論ペンやテラコッタとは何も関係がない。ラテン語で数字の五をペンタと言う為、五節祭であり、五十日後であるその日も、ペンタ(テ)〜と言う祝日名になった。
 余談だが、安倍晴明で知られる五芒星、ペンタグラムが魔除けの印として発明されたのは、古代メソポタミアと知られている。そこから古代チベットや古代中国の、呪術印となり日本に渡って来たらしい。近代に於いてもアメリカのペンタゴンや、大日本帝国陸軍の刺繍など、広く魔除けとして珍重されていた。
 そう、何故彼等は五人なのかと言う、根源的部分がそこに秘められている。世界を構成する要素は五つであると、彼等の鎧は中国の五行が反映されているが、その思想の元は中東地域が発祥であり、正に種族の隔たりを超えた知識、と言えるものではないだろうか。

 さて、意外に「五」と言う数は、万国共通、良運を招く安定数だと征士も感じたが、伸の説明にはそれより難解な言葉があった。
「キリストは判っている、聖霊とは何だ」
 するとそれについては、伸も曖昧にしか言えないもどかしさを見せた。
「ん、うーん、君が三位一体を知ってるとも思えないけど、」
「心技体とか…?」
「全然違う、多分」
 言葉だけは知られているが、正しく三位一体を理解する人は少ない。単に三つで一つの存在、と言うだけではないと知っていても、部外者には掴み所の無い面がある。概念はとても語れないので、伸は祝日と無関係な面を端折って続けた。
「難しいから説明できないけど、とにかくキリストが天に昇って、五十日後に聖霊が降りて来て、地上の人を幸福にしたんだから、何かの幸せを運んで来る存在だよ。通じなかった言葉が通じるようになった、って言うんだから」
 事実だとして、突然他言語が理解できたら一大事である。過去の言い伝えは恐らく、時間経過を省いているのだと征士は考える。
「紀元前後の世界でも、通訳できる人間は存在した筈だ」
 現実的に言えばその通り、通訳技術が飛躍的に広まったのは、恐らくその時期に文字が広まった背景がある。しかし宗教的に言えば全く別の事だった。
「そういう意味じゃない、バベルの塔から繋がってるんだ。近隣の土地の人々が、神への挑戦的な高い塔を建てて怒りに触れ、言葉の通じない民族に分けられて、再び理解し合えるようになったわけ。過去の罪が赦されたんだよ」
 有名な新バビロニア帝国の逸話は、箱舟伝説等と共に半事実的扱いで、残る記述とは違うにせよ、それらしき出来事があったのは間違いない。多くは自然現象であり、この場合は落雷により起きた、集団の離散劇を神の怒りと捉えた話だが、
「半分は作り話だろう?」
「そんなもんでしょ、宗教の創始の部分なんてさ。正確に記録できる時代じゃないし、みんな後付けの創作だよ」
 疑いを述べていたつもりの征士に、伸はそこであっさり言い切った。現代人の現代人たる知恵は、そうした分別が働いてこそだ。宗教は皆教訓的哲学が核であり、伝えられる文言が一字一句、正確かどうかは信仰対象ではない。
 それを言い出せば、ほんの数十年前まで神風伝説を真に受け、無駄な大量死を導いた我が国は、阿呆の集団としか言えぬではないか。比較的平和な島だったからこそ、過去の出来事が痛い教訓ではなく、美談に語り継がれた不幸である。
 日出る国の神々は、常にこの島を守っていると信じられていた。純粋に信じる民の心は穏やかで、狡猾な立ち回りは苦手な性質にもなった。完全な存在である神々に結論を委託し、安楽の内に楽しさや美しさばかり見ていた。
 明治維新を境に、この国には突然絶対神が降臨する。
 だが信じ過ぎてもいけないのだろう。個々の望みに対しては、神とて裏切ることもあるのだから。
「まあ、イザナギ、イザナミが実在したとは思わないが」
「そうそう、そう言えば古い多神教には似た話があるね、太陽に近付くイカロスとか」
 伸が続けた例は、神への挑戦の愚かを伝える話だが、他にも英雄の魔物退治など、各地の神話には似通った逸話がある。誰かが何処かで耳にした内容が、伝播し改変された結果であり、不思議と何処でも受け入れられる、普遍的想像だったことが窺える。
 それは何故か。理由は至極簡単である。
 今現在も世界の少数民族は、それぞれ共通の意識を持つと言う。大規模な社会が存在しない時代、自然環境と共生していた人間は、それに対する恐怖と敬意を神と感じていた。環境の恩恵による生活をしていたからだ。
 そう考えると結局のところ、どの宗教を選ぼうと元は同じであり、過去の日本の神仏混淆状態こそが、理想の平和に思えて来る。現代へ続く思想を生み出した中東で、未だ争い続けるユダヤとイスラムが、過去に囚われ続けるのは哀れである。
「そうだな。出所が不詳だろうと、現代人にはさしたる影響も無い」
「だろ?、大事なのはいつも結果だよ。聖霊が降りて来て人は理解し合えた。世界に幸福が増えたことが何より大事」
 伸がそう言って笑うと、全く真理だと征士にも信じられるようだった。世界征服だの、巨万の富を得るだの、無茶な野望を巡らすよりも、自然体で恵みを享受するだけの姿勢が、最も人間らしい幸福かも知れないと。
 またそんな様子の君は魅力的だ、とも思った。
「なら聖霊とは目に見えぬ神の力か」
 いつか地上に降りて来た聖霊は、今も我々を囲む空気に漂っているのだろう。征士の彼なりの考察に伸は、
「うーん、見えない天使?、見えない光とか?、聞かれても正確には知らないけどね」
 そう言い換えたが、実は征士には見えていた。
「知らなくとも周囲に常に存在している」
「うん、そう言うことだね」
 真実を必死に見付ける必要は無い。完全な理屈を求める必要は無い。不完全な人間には曖昧な世界がお似合いだ。その薄甘いグレーの影を帯びた優しさが、人間らしい幸福を肌に集め、君の命にはいつも淡い燈が灯っている。
 と、征士は何らかの満足感を得ながら伸を見ていた。
 伸は判りやすい象徴として、天使や光を持ち出したが、それらの輝きは恐らく直視できぬものだろう。人に優しく無い存在との意味では、己は光の戦士に違いないと、胸の何処かで納得する征士に免罪符が必要だった。
 キリストは死して復活し、人は全ての罪を許されたと言うので、聖霊降臨と言うギフトは、あるタイプの人々には何より有難いものだ。故にこの祭日が重視されることを知った、今日は彼に取って良き日となった。



「だからね、六月九日には既に理解できてるから、恋人の日だよ」
 気付けば居間のソファに、いつも並んで寄り添っている。それが最も居心地の良い状態だと、無意識に記憶した五感が伸の声を捉える。
「想像したより随分まともな理由だ」
「何を想像したんだよ」
「折角なのでもうひと声」
 身を乗り出し、手を伸ばし、首根を掴んで強引に唇を塞いだ。
 けれど悪乗りしても最早伸の感情は変わらない。理解はしても、人には不可侵の領域があるものだが、彼に取っての理解は全て侵入可能にすることだと、ある頃から征士は知っている。それが伸らしい愛であり、優しさであり、心の強さであると。
 延いては神に愛されていると言うことだ。
「…いいけど日が暮れてからに…、あ、でも、」
 言葉では否定しても、彼は心底拒絶しないと知った上で、趣くまま手を下す私は悪魔かと思うことがある。
「…でも?。ここでしていいのか?」
「いや違う、アホなこと言ってるんじゃない」
 そして悪魔にすら笑い掛ける君の、恋人に相応しいと言うならそれで満足だった。



 でも、と言って伸は何を思い付いたか。
 実は「結婚の日」と言いそうになっていた。思えば六月は結婚式シーズンで、瑞々しいカップルの並ぶ絵がイメージし易い。ところが伸にはなかなか思い出せなかった。自身に経験の無い事だからと、彼はまず考えたが。
 そうではない。第一印象から征士と言う人は、有名な絵画に見る大天使のようだった。故に結婚はおかしいかも知れないと、感覚的に覚っていたのだ。何処に居ても人目を惹く輝きの強さは、同時に人を寄せ付けぬ鋭さでもあると。
 ならば結婚より恋人より、「パートナーの日」と言えば良かった。
 それくらいが彼には丁度良い言葉だと、日の暮れる頃には、漸く伸の定める記念日も決定していた。まあ、それまでにどんな経過があったか、彼等の一日を察すると、今更記念日にする意味は無いかも知れない。









コメント)予定と全然違うけど、これはこれでいいと思う話になりました(´▽`)
つい先日オーストリア在住の知人が、5/20は祭日だと言って、何の日か聞いたら聖霊降臨祭だと言うのです。私はペンテコステが、海外の一部で祭日なのを、今年初めて知りまして。
で、降臨祭だから光輪祭のネタにしようと、駄洒落で安直に決めちゃったw
当初の予定では、古代日本の行事の話を書くつもりで、180度方向が変わってますね。いや、征伸には違いないから90度としておこう(どうでもいい)




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