浅い夜
Response Night
レスポンス・ナイト



 それは五月の連休中のこと、伸が上野駅の指定された階段へ歩いて行くと、そこには満足げな顔をした征士が立っていた。それを見て伸は、ホームを歩きながら思わず吹き出してしまう。
「クククク…!」
 またそんな様子を見て征士も、殊に楽し気なポーズを作って言った。
「どうだ、上手く行っただろう?」
「確かに」
 ふたりの計画した茶番が、痛快に成功したことが面白くてしょうがないのだ。
 この春、伸は大学に入学しひとり暮らしを始めた。春先は誰もが忙しい時期だが、連休頃には皆ひと息吐ける時である。なので仲間達はここぞとばかりに、伸の新居と生活振りを覗きにやって来た。或いは進学祝いの為、或いは来年我が身に起こり得る事の後学の為に。
 ただ、それぞれ何が目的だったとしても、最終的には乱痴気騒ぎになり、五人は充分楽しみ話し合えた。今日はその祭の後の静けさ、ほんの一日の解放日が明けたお別れの日だった。当麻だけは二日前から東京に来ていて、他の用事を済ませそこに来たが、遼と秀には正に一日だけのパラダイスだった。今年は進学に悩みまくるふたりとしては。
 伸は別れなくてはならない四人を、最寄駅である御徒町に連れて歩いた。道の途中湯島天神に寄り、有難い学問の神に手を合わせても来た。山手線の御徒町からは、遼、秀、当麻は東京駅へ出る。当麻はそのまま新幹線へ、遼と秀は中央線で新宿へ向かう、征士だけは反対方向の上野駅へ行く。伸はそれぞれが無事家に帰れるように、祈りながら、それぞれが見えなくなるまで手を振っていた。
 ただひとりを除いては。
 そんな別れの後に、伸はすぐ切符を買って上野駅に向かった。帰った振りをした征士と落ち合う為だった。彼は予め家に、他の仲間達より一日遅く帰る日を伝えていた。全く最初から計画された行動だった。御徒町と上野の間はとても短く、二分で着くことを伸は既に知っている。例え二本後の電車になろうと、そのくらいの時間差を待つことなど、征士には苦にならなかっただろう。
 故に、伸のマンションから近い駅は御茶ノ水も、地下鉄の駅もあったのだが、湯島天神に寄ることを理由に御徒町へ向かった。それがこの「密会大作戦」の肝だった。多少遠回りになる遼と秀には、やや申し訳ない気もしたが多少のことだ。そこまで気に病むペテンではなかった。
 何より、彼等が日常生活の中で自由に過ごせる、大切な最初の日だったから。
 そうしてふたりは、今上野駅のホームで再会を果たした。つい十分程前まで一緒に居たと言うのに、何故だか嬉しくて自然と顔が綻んだ。先程までは鎧が繋ぐ仲間としての時間、この後は特別な相手として付き合う時間。それぞれの意味合いは全く違う。
「って言うか、こうまでしてここに残りたかった?」
 と伸が言うと、征士は笑いながらも明瞭な言葉で返した。
「ああ、是非ともな」
 何故なら、ふたりが契りを結んだあの日から、もうあと三月ほどで一年が過ぎようとしている。しかし征士を取り巻く事情、主に家庭環境の厳しさから、その後数える程しかふたりは会えていないからだ。こんな時、家が遠く離れていることはあまりにも辛い。この度伸は東京に出て来ることになったが、それでも新幹線を使わなければならない距離は残った。来年にならなければどうしても解消できない隔たりが、ふたりには切実な問題だったこの年。
 誰より愛しい対象に触れたことで、却って飢(かつ)える時間が長くなった、初めて出会う矛盾を今は空しく抱くばかり。なので征士は、ここぞと言う調子で素早く伸の肩を引き寄せると、ごく僅かな間だが確と抱き締め、人の行き交う電車のホームだと言うのに、一瞬ふと唇を合わせて来た。それは神業の如き早さだった。
「あ!、ちょっと」
 と伸が言葉を発する頃には、もう征士の体は三十センチほど離れていた。
 そんな突発的行為も、恐らくこの条件が揃わなければ出なかった。今はふたり何をしても面白い時だった。それを考えれば長く会えない状況と言うのも、悪い事ばかりではないかも知れない。しかし端からはそう言えても、当人達の気持にそんな余裕はなかった。
 ある程度の距離感に直すと、征士はすぐにこんな話を始めていた。
「私はこの一年は、受験のせいで特に監視の目が厳しい。だから自らそれを破らなければ、望むものは手に入らない状態だ」
 監視の目については、伸の方にも多少責任がある事の為、自分が自ら招いた不幸と諦める他にない。けれど伸は、僅かでもこうして会えているのだから、その時々を楽しく、大切に過ごすことに賭けようとしている。
「望むもの。それは僕なの?」
 と、言葉遊びのように伸が返すと、征士は浮かれていても真面目にこう伝えた。
「伸と過ごせる時間だ。伸は物ではない」
 どんな場面でも、ふざけていても、自分に対する真剣な気持は変わらない。征士のそんな態度を改めて知ると、伸は飛び跳ねて喜びたい気持を押さえ、
「そ」
 とだけ言って小さく頷く。また征士は伸のそんな仕種を見て、決して反応が鈍い訳ではないことも判っていた。伸は喜びも悲しみも振幅の大きい性質だが、それをそのまま体現すると馬鹿みたいだと思うから、一見素っ気無く押さえた表現をする。大事な物事ほどそうなると、理解できるようになったのはこれまでの歩みのお陰だ。だから決して、会えなかった期間も無駄ではないのだけれど。
 フイと背を返した伸を見ると、やはり少し悔しく感じてしまう征士だった。いつか本当にこの、生殺しのような交際期間は終わるのだろうかと。ただ、
「じゃー、戻ろっか」
 歩き出した伸の明るい声は、この後の何より楽しい時間を予感させていた。なので征士は、一度感じた不満を引っ込め、大人しく後を着いて歩くことにした。一時の感傷など些細なことだ、この後に望み通りの一日を得られたなら、滝壷に煙る水飛沫ほどに霞んでしまうだろう。

 駅の改札を出た、上野の不忍口は変わらず明るい日射しで、遠目に見える西郷隆盛像も明るい青味を帯びて見えた。昼下がりを行き交う忙しない人の流れを見ながら、伸は、
「夕飯何が食べたい?、上野の周りは何でもあるよ」
 と尋ねる。だが征士は暫し考え、
「…何でもいい」
 結局そう答えるに至った。本当は一番に思い付いた冗談で、「伸が」と言いたいところだったが、後々お約束になって行くこの返事も、この時はまだ気軽に言えなかった。後の予定を考えると生々し過ぎた。けれど珍しく言葉を濁す彼に対し、伸はわざと怒ったような表情をして返す。
「『何でもいい』は一番駄目だって知らないの?」
 口を尖らせた伸は、そう、夫婦の間で交わされるような会話の、奥様の立場を演じているようなものだ。実際「何でもいい」が困るのは、毎日の夕食の献立の話で、こんな外出の場面で言う事ではない。伸も判っていて冗談をやっているんだろうから、征士には尚面白く魅力的に映った。いつか本当に、こんな会話ができるようになったらいいのにと。
 そんな考えが自然に征士の体を動かす。遣り取りを愉快に笑いながら、彼の手はすっと伸の腰に添えられていた。それにビクリと、伸は一瞬戦くように征士を見たが、彼は普段と何ら変わらない様子だった。
 征士は特に器用な人間ではない。何もかもが洗練された人間でもない。なのにこうした時の行動や仕種は、何ともスマートだと感じさせる。マニュアルに沿った行動と言うのではなく、感情のまま、本能のまま素直に出る行動が、妙に手慣れた風に感じるのだ。
 そして伸は思う。さっきだって、殆ど誰にも判らないような素早さで唇が触れた。年季の入った百戦錬磨のナンパ師と言うならともかく、征士は何処からそんなことを憶えて来たんだろう、と思うけど、別に習ってそうしてる訳じゃなさそうなのが、いつも不思議なんだよなと。
 どうして君は、思う以上に僕をドキドキさせるんだろう?。
 だが今はまだ白昼の町中。恋の秘密を考えるのは後にしようと、伸は景気良く声を上げて断ち切った。
「それじゃあ、久し振りに鰻でも食べるか。この辺老舗が多いんだよ」
「ひとり暮らしの学生には贅沢だな」
「まあね。でも普段から美食三昧って訳じゃないからいいんだ、たまにはさ」
 それからふたりは、江戸時代から続く有名店で食事をし、夕方の上野公園を歩いては、路上でパフォーマンスをする人々を眺めたり、一通り普通のデートらしき時間を過ごした。



 ビルの谷間に広がる住宅街の屋根が、青く暮れ行く頃にふたりは伸のマンションに戻っていた。彼は戻るとまず部屋の中の片付けに取り掛かる。昨晩は仲間達全員が一泊して行ったので、それなりに散らかっていたり、グラス類を洗わずそのままにしてあったり、伸には気が気じゃない状態だった。
 その間流石に手持ち無沙汰だった為、征士もゴミを纏めたりする程度は手伝う。ひとり暮らしの部屋に集まるとなれば、昨夜は自然に酒類を持ち込んでのパーティになった。その際に出たビン・カンなどの廃棄物は、ある程度隠蔽工作が必要だった。五人の仲間達はまだ全員未成年なので、これが見付かると社会的にまずい。正月も、お花見の時にも注意された通りで、警察のお世話になることがないように、皆それなりにセーブしていたようだが。
 そして、伸が見るに意外と征士は、そんな作業も楽しんでやっているようだった。否、傍に伸が居て、共に掃除をしているから楽しかったのだろう。柳生邸で合宿していた頃は、こんな場面にもまま出会うことがあったが、近頃そんな機会は殆どなくなったからだ。
 本来は掃除や片付けなど面倒なばかりで、義務的に行う日常行動だ。だが今はそれを頗る楽しく感じるふたりが居る。いつか、或いは、来年?、それが通常のことになるかも知れないと、夢見ていられる今は尚更、その幸福がふたりの気持を高揚させた。まるで結婚を控えたカップルのように。
 実際、同性の間では法的な結婚はできないのだから、同居した時点で結婚したも同じかも知れないが。
「もういいよ、征士、僕の方ももうすぐ終わるから」
 と、伸が声を掛ける頃には、部屋の中も征士の気分も居心地良くなっていた。

 昨夜一晩で既に慣れた雰囲気の、伸のマンションのリビングルーム。征士はそのソファに戻ると、パーティの残りの焼酎を口にしながら、
「しかし親元を離れると自由でいいものだな」
 としみじみ、正直に感じる現在の心境を話した。彼の家のことを考えると、正に自然な発想だとは思うが、伸は食器を拭きながらこう返す。
「まあ確かに自由で気楽ではあるけど、その分自分がしっかりしなきゃならないし、結構面倒なこともあったりするよ」
 勿論征士なら、他の三人に比べ、掃除や洗濯などに失敗する心配は少ない。ほったらかしで不潔にしておくこともないだろう。その点は厳しく躾けられていることを伸も知っている。ただ、一人暮らしとはそれだけではない。各種公共料金の支払い、各種買物、各種人付き合いなど、面倒事も全てひとりでしなければならないと言うことだ。憧れだけで快適に過ごせる訳ではない。
 そして伸はもうひとつ、
「それにやっぱり、ふっと淋しくなることもあるよ。特に最初の数日なんかさ、ベッドに入るとちょっと涙が出た」
 やはり独りを意識すると淋しい、と征士には明かした。仲間達の前では先輩らしい虚勢を張っていても、何故だか征士には普通にそれを口にできた。否もしかしたら、彼には聞いてほしかったのかも知れない。ひとりよりふたりの方が絶対に幸せだと、ひとり暮らしから新たに学んだ真実を。
 すると征士は、そんな伸の意図を汲めたのかどうか、
「その時に私が居てやれたら良かったな」
 と、的確に答えて笑った。あまりにぴったり来る返事だったので、伸は手にビールグラスと布巾を持ったまま寄って行くと、征士の顔を覗き込んで言う。
「そうだよ?、ホントに」
 そして征士はその顔を取ると、
「口惜しいよ、本当に」
 溜息を見せながらも、伸には優しいキスをした。
「私達は三月しか差がないのに、こうして立場を分けられていることが」
 伸が淋しがるのも、この侭ならない状況が在るのも、何もかもそこに起因していると征士は悩み続ける。十年もすれば気にならなくなるだろうが、そこまでの道程はまだまだ遠い。現在は現在の悩みを解決するしか、望む道に進めないと彼は悲嘆しているようだった。
「外国だと同じ学年なのにね」
 未だ顔に添えられた征士の手に、自らの手を重ね、伸は慰めるようにそう話した。
「何処の国だって?」
「アメリカでもヨーロッパでもさ。六月と七月で学年が分かれるみたいだから、遼達はやっぱり年下だけど」
「そうだったら、どんなにか…、私の心は穏やかであったろうに」
 征士の言葉に、彼が本当にこの一学年の差を腹立たしく感じているのが判る。生まれた時点で決定してしまったことに、彼は地団駄を踏む気持で僕を見ているんだろうか?、と伸は思う。それは確かに可哀想な心の状態だと思う。
 けれど人の心は、それだけでなく物理的な世界は、更に宇宙の活動までも全てがひとつの法則を説いている。動あらば反動もあるのだ。征士の中に日々溜め込まれる鬱憤は、必ず次の幸福な時間へのエネルギーになる。正に今はその時じゃないかと伸は続けた。
「でもさ、そういう思いをする時って、多分ほんのちょっとの間だよ。大人でいる時間の方がずっと長いんだし」
 今を切なく苦しんで生きればこそ、先の人生がより幸福になるんじゃなかろうか?。少なくともそうしようと言う意思なら、より纏まって強くなる筈だ。
「それは、この先ずっと伸が居てくれると言うことだな」
 伸の話を受け、大真面目な様子で征士は言うと、相手の頬に置いていた手をするりと後ろに回し、引き寄せ、ふたりは額を合わせ間近に見詰め合った。
「ハハハハ」
 と伸は笑い出すが、その内黙っている征士と共に沈黙した。触れている額から伝わる緩やかな震動、穏やかな呼吸と拍動を互いに感じ合い、誰も嘘を吐いていないと互いに知る。近寄れば近寄るほど、確かな未来が見えて来るようだと互いに思った。だから、離れていることがこんなにも辛いのだ。
 征士はその思いを確と乗せ、今度は深く接吻た。始めは優しく、そして貪るように、喉の奥に秘められた本当の気持を確かめるように。口腔を探る舌が絡み合い、体内の温度が直に伝わり始めると、間近で交わす息も皮膚を熱く撫でて行く。こうして交わる、体の何処かが交わっている感覚が、いつしかふたりの求める全てになる。
 互いの欲望に火を灯し、煽り合う唇の遊戯に耳も首も、手も足も体の芯まで熱を帯び、病のような囈言を吐きたい高揚感に包まれる。だがその時、
「駄目、…まだ駄目だよ」
 征士の手がシャツの首から、中へと侵入しようとするのを伸は言葉で制した。勿論本能的な感情から言えば、こんな所で止めたくはないのだが…。
 伸はまだ片手にグラスと布巾を持ったままだ。後片付けの作業がまだ完全に終わっていない。その上仲間達が泊まりに来たせいで、昨日から風呂やシャワーに入っていない。汚らしい行為は嫌だと言う伸の意思が見えると、征士は嫌がられることをしようとはしなかった。
 一旦は繋がれた君からまた離されてしまった。
 まあしかし、その続きはそう待たずとも訪れるだろう。瞬間的にがっかりした征士も、程なくして状況を見ながら落ち着いていた。伸は否定しなかった、この先ずっと傍に居てくれると。それは間違いのない気持だと態度で示してくれた。今はそれ以上の喜びはないのだから、もうあと数十分、一時間くらい余裕で待てると征士は密かに自嘲していた。
 己を堪え性がないと感じることはままあるが、一番欲しいものに対しては、何故待つことができるのだろうと。即ち、それが愛と言うものだと、思わぬ拍子に彼は気付いた。
 秘すれば花と言うが、待てばこそ花だ。状況の侭ならさも生まれの口惜しさも、夜は全てを受け止めてくれる。夜はいつもふたりの安息所なのだから…。

 その夜、と言っても時間はまだ浅い頃、ふたりの睦み合いは既に始まっていた。昨日からニ十四時間以上、欲求の対象を目の前にしてもうあまり我慢できない。伸が羽織るバスローブ代わりの白シャツの襟から覗く、肌色が際立つ赤味を帯びて見えた。
 綺麗に片付けられた寝室のベッドの上、顔を近付け合えば石鹸の香りが、この場には無意味な清涼感を鼻に運んで来る。最早遠くから眺めるだけの恋じゃない、その先に進んだ恋愛には深い愛と同時に、原始的な劣情も生まれて来るものだ。自らそう覚りつつある征士は、ひとつも余す所なく相手の体に、この迸る思いを刻み込もうとしていた。
 最初は遊びながら、啄むようなキスを繰り返しながら、足首や足先、足の指の形を確かめるように動く征士の手に、
「ハハッ、くすぐったいよ」
 伸は幾度も笑い声を上げながら身を捩っていた。それが膝へ腿へ、臀部へと上がって来る度、体の中で燻る薪が炎を上げて行くのが判った。溶けて行く、理性なり通常の思考なり、現代人の現代人たらんものが溶けて行くのを感じる。そして自然に、より深く唇を合わせるようになると、伸は控え目ながら甘えるように、征士の首に手を回して引き寄せた。
 征士の手はより細やかに、より巧妙にその体を浸食して行く。背骨の節をひとつひとつ数えるように、その溝をなぞって行くと、それだけで伸は密かな声を漏らし震えた。脇腹を探ると酷く身悶えした。皮膚の下の筋肉が何らかの感覚を得る度、電気ショックのような緊張に引き攣れて動く。それが、確かに行為を受け取っている返事だと、掌や指先からも征士は伸の気持を知る。
 体から胸へ、その心臓の鼓動が強く、早く轟き出すのを確かめながら、また同時に首元の脈動を口で捉え、征士は頭を下げて行く。左胸の、規則的に動くなだらかな丘を撫でる、掌が幾度かその小さな突起に触れた。ただ、時折手の腹で押し付けるような仕種はするが、なかなか直接触れて来ないことを、じらされているように感じた伸は、相手に回した手に力を込めて訴える。
 某かを訴える伸の意図を受けてかどうか、征士は首筋から鎖骨へと唇を這わせ、腋下を伝い、反対の胸の上へと到達していた。そしてまだ柔らかい、しかし既に熱を帯びた乳首に触れると、彼は徐にそれを甘噛みして伸を驚かせた。
「ひぁっ…!」
 思わず声を上げ、身を縮ませた伸の様子を面白そうに見ると、次には舌を使って優しく刺激する。そんな変化を付けた行為にも翻弄されながら、伸の内なる恋情は露にされて行く。もっと触れてほしい、もっと密着するほど近くに来てほしい、もっとこの身を熱に悩ませてほしい。一度憶えた体の到達感をまた、君と一緒に感じたいと伸は思うことなく思った。
 既に互いの吐く息も熱い。伸が感じている細やかな快楽の波動を、相手の様子から征士も感じ取っているからだ。ああ、熱い。恋愛とはこんなに熱いものだ。切りなく這い回る征士の手が、意識を掻き混ぜるように感じられる頃、伸の首には汗の雫が一筋伝っていた。そして、
「っ…あっ!」
 最後に残された部分に征士が触れると、既に固く張り詰めていた突端が、予想以上に反応し伸は激しく身を揺らした。すると征士は顔を上げ、
「…さっきは駄目だと言ったのに」
 と、やんわりからかうような口調でそう話す。何故なら手に納められた伸の陰茎は、既にしとどに濡れ、その透明な液体が腹まで滴り糸を引いていた。下衆な発想かも知れないが、そんな瑞々しい様子は伸らしく微笑ましいと征士は思う。そしてそれを緩く撫で上げると、
「うぁ!、あ、あ…!」
「もうこんなになってるのか?」
 丁度浮き上がった上体に、それはくっ付きそうな勢いで反り上がり、伸がこの十分程の間に、どれ程感情を昂らせていたのか判るようだった。
「だって、さ…」
 と、はにかみながら口走った言葉に、しかし続きは無かった。代わりに伸は、揺らめく思考の中で必死に考える。
『駄目だもう…、全然我慢できなくなっちゃってる』
 行為に慣れて来た体が、信号を受けると勝手に反応してしまうみたいだ。それだけでなく、いつも君の愛の行為が的確だから、僕は安心して身を委ね、僕の心も容易く絆されてしまうんだ。
『今日はちょっと疲れ気味なのにな…』
 再び動き出した征士の手指が、絡み付くような動きで端部を撫で付け、時折煽るようにその先端に触れる。堪らない感覚が背筋を這い上って来ると、伸は自ら思った通り、もう声さえ我慢できなくなっていた。
「あ…ッ!、あっ、あ!」
『何でこんなにすぐ追い詰められちゃうのかな…』
 けれど決して征士は、排出を強制するような動作はしていない。自身に比べかなり敏感な体質である伸に、あまり強い働き掛けはしないよう努めているのだ。だから彼の愛撫は基本的に優しい。伸の反応に合わせ、今もゆるゆると手を上下させているだけだったが、
「あ、あ、もッ…!」
 伸はそれも過敏に感じ取り、もう間もなく極みを迎えそうな様子だった。恐らくまだ征士はそこまでの気分に至っていないだろうが、伸が先へ先へと走ってしまうのは、まあいつものことだった。そしてその恥辱的な現実について伸は思う。
『何で君はこんな事が巧いの…?』
 彼の環境から考え遊んでいるとは思えない。例えそうでもまだ高校生だ、そこまで熟達したテクニックを持つ訳じゃない。なのに僕は思うがまま、否、思う以上に体の快楽を享受させられている。いつも不思議だ、君はいつも不思議で気持良い…。
「あ…っん!、も、駄目っ、出る…!」
 征士の手が何らかの意図を持って動き出すと、伸はそれにもすぐに反応し、喘ぎの内に答えていた。それを聞き取ると、
「出してしまえ」
 征士は相手が早く頂点に達してしまうことを、穏やかに許した。既にビクビクと脈打ち痙攣する熱い茎に、少し力を加え早いリズムで促し掛けると、間もなくそれは果実を割ったように弾け、勢い良く飛び出した蜜が征士の頬を濡らした。
「ふぁっ!、あ!、ん、んくっ!…」
 意識がそこだけに集中し、他に何も考えられない強烈な開放感が、伸の頭の中でチラチラと煌めいていた。何もかも手放した時だけに見える、美しい脳内風景は魅惑的に欲望を掻き立て、またそれに出会いたいと強く感じてしまう、麻薬のようなものだった。伸は段々に薄れて行くその感覚を淋しくも、安らぎにも感じながら、酷く逼迫した呼吸を整えようとし始めた。
 常に恥ずかしい気持はあるのに、その時だけは羞恥を感じないから恐ろしくもあった。否それが恐らく、人間が動物の一種である証しなんじゃないか、と思う。
 幾度かの解放の後、混濁した意識の中で伸はふと、征士の唇が顔に触れるのを感じた。彼は伸の目尻に溜まった、視界を揺らめかせる水滴を掬い、また涙の流れ落ちた跡を辿りながら、柔らかく耳の凹凸に触れていた。
 ひとつ、血流の怒濤を落ち着かせる余韻がほしい時、征士は必ずそんな優しい戯れを施す。そうして欲しい時に、望む事をしてくれるのは最高に気分が良い。
『何で君、そう打てば響くように返せるの?』
 ただ解らない。君は僕の為に遣わされた天使だろうか。そして僕は嫌な思いもせず内部を探られ、体の内側からも謎めく光を感じながら、また悦楽の瞬間に向かって行くのだけれど…。



 その翌日は連休も最後の日。征士は一時の充足と今後の苦悩を思い、神妙な表情を残して家に戻って行った。彼を駅から送り出した後、伸は飲み物を買いにとあるコンビニエンスストアに寄った。あまり使い慣れないその店で、何処に飲料の棚が在るか遠目に窺いながら、奥へ進んで行こうとすると、窓辺の棚に並んだ一冊の本がふと目に入る。
『星占い、かぁ…』
 ベストセラーなのか何なのか、その本は棚の前に突出したポケットに並べてあり、如何にも女性の興味を惹きそうな文句の帯が掛かっていた。主に相性や恋愛について書かれた本のようだった。
 だが伸は何故かそれが気になり、一度店内を見回して人目を確認すると、それを手に取り目的のページを探した。そう、征士は一体何者であるか、何か手掛かりはないだろうかと思っていた。すると、全く思い掛けないことだったが、双子座の人の特徴を羅列するページに、「特に教わらなくてもHが上手い」と書いてあり、伸は思わず目を疑った。
 そんなあからさまに公表されていることなのか、と。
『素直に気持を出せる性格だからかなぁ』
 恐らく君は相手が喜ぶこと、悲しむこと、笑うこと、傷付くこと、それぞれ速やかに掴む才能があるんだろうな。だから僕のあらゆるツボが判ってしまうんだろう。と、伸は昨夜の様子を思い出し、俄に身を震わせながら思った。

 君がそうであるなら、僕はどうしようか。
 君が巧みに僕を知るなら、僕はより深長に君を受け止めるべきだろうか。
 次の夜はいつ訪れる…?。
 と、伸は本のページを閉じて棚に戻すと、軽い足取りで飲料の棚へと歩いて行った。









コメント)随分後になってこの話を書いたのは、本当は書こうと思ってた話なんだけど、801描写が面倒で飛ばしておいた次第。それを一念発起して作品にしたのは、杏子さんの本を読んだからなので、皆様杏子さんに感謝して下さい(笑)。まあ彼女の作品に比べると全然エロくないけど。(時間的にまだ大人じゃない頃の話だしなぁ)
ちなみに最後の星占いの記述は本当です。本当に書いてあったからネタにした作品なのでした。



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