シンの理由
PLEASURE TREASURE
#7
プレジャー・トレジャー



 リョウが気付いた時、その周辺は消防車のけたたましいサイレンと、行き来する人間の慌ただしい足音で賑わっていた。屋上での決死の攻防、あれからどれだけ時間が経過したのだろうか。そう考えられると言うことは、取り敢えず命は助かったと言う証だろうが…。
「怪我人は丁重に運べ!、死体となっては何も語らんからな!」
 やや離れた場所で、鬼の保安部長が指示の声を張り上げていた。そう、誰についても死体となっては価値が無い、重要な者については尚更だ。だから必至にある人物を連れて飛び降りたけれど、それでどうなったのだろうか…?。
 未だ朦朧とした状態から抜け出せないリョウの視界に、先程まで怒鳴っていたシュテンの顔が映った。リョウの意識が戻ったようなので、様子を見にやって来たところだった。
「よくやったな、間に合わないと知った時は、どうなるかと思ったが…」
「…はい…」
 力が上手く入らないながらも、相手の話に答えることができた。これなら大丈夫だと、顔を見合わせたリョウとシュテンが同時に思った。
 リョウはビルから飛び下りた後、思惑通りレストランの木立の中に落ちて、抱えていた犯罪組織の男も、絶命させることなく任務を終えていた。ただその際地面に頭から落ちてしまった為、脳震盪が起こっていたようだ。その代わりと言っては何だが、連れ出した男の方は銃で撃たれた外傷の他は、擦り傷さえ殆ど無い状態だった。リョウが如何にしっかり守っていたかが判る。
 また一緒に裏へ飛び降りていたセイジも、ナンバー2と思しき人物を爆発寸前のヘリの下から、無事に運び出せていたようだ。シュテンの背後に姿を見せた彼が、自分より元気そうな様子を見てリョウは、ふっと安堵の息を漏らしていた。共に動いていた者が殉死する様を、目の当たりにした事がない訳ではないが、捜査の成功の裏に寝覚めの悪い現実は、なるべくなら存在してほしくないものだ。
 そんなことを思っていたリョウの顔や手足に、徐々に血の気が戻って来た様子を見て、シュテンはもう少し続けて話し掛けた。
「多少犠牲は出たがやむを得ん。組織の頭を捕らえられたのだから、大成功だ」
「はい…、イテテ」
 一時意識を失っていたものの、特に問題は無いと言うところを上司に見せようと、身を起こそうとしたリョウはしかし、右腕に違和感を覚えて顔を顰める。するとシュテンの後ろに立っていたセイジが、やや身を乗り出すようにして言った。
「骨を折ったのではないか?、下敷きになっていたからな」
 セイジの言う通り、リョウは落下した際に腕を組織の男の下にしていた。それはつまり、結果的に頭を守る姿勢でもあったので、腕を折るくらいで済んだなら幸運な事だった。そんな己の咄嗟の判断については、リョウ本人が充分納得している筈だった。
「そうみたいだ。…あんたは大丈夫なのか?」
「打身程度だ、運が良かった。掴まっていた捜査官も無事だそうだ」
「そうか…」
 そしてセイジの強運振りを知ると、何故だか可笑しくなって、リョウは口許だけで笑っていた。そのくらいの運を持っていなければ、危険を買って出るような真似はできないだろうと。また、だから彼が世界でも数の少ない、特殊捜査官に選ばれたと納得できる気がしたのだ。
 運と言うものは、単純な行為で強くできる要素ではないが、心を鍛えることで引き寄せられるものだと言う。今回の捜査活動自体には満足な結果を得たが、個人的な結果に於いては、自分はまだ修行が足りないようだとリョウは感じた。どんな修羅場に配置されようと、平然と戻って来られるくらいに強くなりたい、と感じていた。
 それ程に、リョウの目にはセイジの行動が、卒なく効率的なものに映っていたからだ。
「…ご苦労だった。最初の火が見えてすぐ消防隊を呼んだから、ビルにもそこまで被害は出ていない。今日のところは安心して休め」
「はい、ありがとうございます」
 最後に事後報告と労いの言葉をくれたシュテンに、リョウは返事をすると、どうにかその場に立ち上がって頭を下げた。それを見届けると、安心した様子を見せてシュテンは踵を返したが、
「保安部長、聞きたいことがあります」
 セイジがそう言って引き止めていた。彼もまだ詳細な状況報告は得ていないので、知りたい事が何かしらあったようだ。が、
「ヘリを撃墜したのは私が仕込んだライフルだった。誰がホテルに向かったのです?」
「部下に行くように指示したが…、正直間に合うとは思わなかった、奇跡としか言い様がない」
 セイジが何故それを訝し気な顔で尋ねるのか、シュテンには今一つ理解できなかった。紙一重で間に合った状況を、疑問に感じるのは当然だと思うが、何かを疑っているセイジの口振りが気になった。
「奇跡…。なら良いのですが」
「?」
 けれど、それを今追及しなくとも、保安活動に関する重大な問題だと考えるなら、セイジは必ず後で報告してくれるだろう。保安局の規律や調整事項に意見できるのも、全体に関わる特殊捜査官ならではの権限だ。シュテンはそう考えて、敢えてそれ以上は言わずに場を後にした。信用で成り立つ保安機構の、殊に美しい面を表しているかのようだった。
 また、ふたりの会話を傍で聞いていたリョウも、言われてみれば手放しで喜べないような、妙な心境に至っていた。屋上での攻防の最中はただ、こちらに運が向いたことを喜んでいたけれど、奇跡などと軽々しく言える状態は、確かにあまり望ましくないと気付かされる。確実な行動が求められる保安局に、曖昧な状況が存在してはならないだろう。無論この後の報告会議ではっきりするだろうが…。
「救急車に乗るか?」
 だが、動かすと痛む右腕を支えながら佇むリョウに、セイジはもう様子を変えて話していた。あまり長く考え込まないのも、彼の特徴と言えば特徴だった。
「まさか…。腕折ったくらいで恥ずかしいぜ」
 対して、考え込んでしまう性質を持ったリョウだが、ここでは取り敢えずセイジに合わせて、明るい調子でそう答えていた。思考を自らコントロールできない点については、リョウは多分に恥ずかしく感じていたが、しかし。
「計画の目的は果たせたな、ありがとう」
 とセイジは穏やかに言って、リョウの動かせない右手を自ら取って握手した。つまり、それがセイジの自分に対する評価と捉えられていた。自分が彼の能力を信用するように、セイジもまた自分を信用してくれていたとリョウは知る。そしてそれならば、些か課題の残る身である自分を許せると、リョウは今に至って幸福に感じた。
 人間はひとりひとり違う、誰にでも美点欠点はあるのだろうが、少なくとも自分は保安局の理念に合わない存在ではない、と信じられただけリョウの心は軽くなっていた。至らない点は努力する、セイジのように切り回すことは自分には難しいけれど、これからもこの仕事を続けて行けると思えた。
 捜査官としてとても良い気分だった。
「俺の方こそ。ヤバい方をあんたに受け持ってもらったお陰だ。何とかなって本当に良かった」
「ああ」
 だからとても正直な言葉が、リョウの口から滑らかな調子で出ていた。
 いつもこんな風に、気持良く仕事を終えられると良い。痛ましい事件、血腥い現場に関わる捜査官達全ての、理想とも思える場面に出会えた事実は、リョウにも運があった、と証明できることかも知れなかった。全能の神は常に正しき者の味方だ。経過はどうあれ、結果的に偏り無く居られる者ならば、必ず何らかの神の愛を勝ち取れるのだろう。
 今正にそれを、リョウは感じていたに違い無かった。
「…リョーウ!、リョーウ!」
 その時、暫く耳にしなかったシンの呼ぶ声が、リョウの背中に徐々に近付いて聞こえた。屋上へと向かう前に、彼に強く言い聞かせたことは守ったようだが、しかしまだ警戒体勢を布いている現場に、何故安易に入って来てしまうのかと思う。これまでに感じたことはなかったが、やはり何処か危険意識の薄い子供なのかも知れない、とリョウは再び溜息モードに戻っていた。
 そして振り返ると言った。
「コラ、何でこんな時に来るんだよっ?。まだみんな仕事してるだろ?」
 しかし案の定、喜々とした様子で走って来たシンは、リョウが何を言おうと凹みそうになかった。事件をそこそこ上手く処理できたことを知って、喜んでくれるのはいいが、わざわざ駆け付けることもないだろう、とリョウは思っていた。
 ところが、
「ねぇ!、見た!?」
 と、シンは開口一番にリョウに尋ねた。
「何のことだ?」
「僕が撃ったんだよ?、ヘリコプターに当たったんだよ。これでいいんでしょ?」
「なっ…」
 不思議に思っていたところへ、衝撃的な事実が舞い込んで来たようだ。
 僅か数秒だが、沈黙している間にリョウは一気に考えを纏める。セイジが疑問視していたのはつまり、屋上との交信を止めた後に、部長がすぐに命令を出したとして、ホテルのフロントまでは走って六分程度掛かる。そこから部屋に着くまでにはまた数分掛かる。ルートを把握していなければ三分は猶に経過するだろう。それから息を整えてライフルを撃つまでに最低でも一分。そして現場では、ほぼ十分後には狙撃があったことだ。
 きっかり間に合う可能性も全く無くはないが、例えば交信を止めた何分後に命令が出たのか、それだけで事情は変わって来るだろう。また走って六分と言うのは、大通りの昼間の人通りや信号待ちを計算に入れていない。高級ホテルの内部を完全に把握している者が、自分達の他に居るとも思えない。と細かく条件を考えてみると、土台難しい行動だったとお判りだろう。
 冷静に見積もれば二十分前後が必要だった。部長はシンがそこまでするとは思わないから、奇跡と言う言葉を使ったが、むしろシンが撃ったと言う方が、この場合は信憑性のある話だった。
「…本当なのか?」
「うん!、だって、この近くに居ちゃ駄目だって言うから」
「だからって!!」
 しかもそんな理由でしかないのか、と途端に腰が抜けそうになるリョウだった。
「だからだよ!、遠くから手伝える事ないかなって考えて、ホテルに行ってみようと思ったんだ。あそこからお店が見えると思ったから。ね、僕は役に立ったでしょう?」
 そう話したシンの機知には、改めて脱帽するしかない。知らなかったこととは言え、彼に捜査内容を聞かせてしまったのは、本当に失敗だったようだ。否、そんな間違いがあったお陰で、最悪の事態を免れたとも言えた。殊にリョウには、捜査の様々な段階で助けられたような記憶もある。ある意味ではシンの存在が、自分に取って幸運だったような気さえしている。
 碾いては保安局の、地球世界全ての幸運だ。
 だからやはり今度も、怒ることも誉めることもできなかった。
「いや…、そりゃ役には立ったけど、何つーか…、参ったな…」
 こんな場合はどうすれば良いのだろう?、と困り果てていた。子供を育てた経験がある訳でもなければ、保育の専門家でもない。自分の育て親はやや風変わりな人間だったから、経験的にも一般のやり方が判らない。結果と行動のどちらを取れば良いのだろう、と、リョウは思わず現実から逃避するように、答が見付からない理由ばかり考えていた。
 すると、黙ってしまったリョウを諦めたのか、シンは体の向きを変えてセイジに言った。
「僕、役に立った…?」
 リョウに対する態度とは違い、笑顔も無く、酷く真面目な顔をして見上げていた。
 シンが親権を持つセイジをどう捉えているのかは、リョウにも誰にも未だ掴めないことだったが、この様子を見る分には、まだ全く疎通の無い状態のようだった。出会って二日にも満たないのだから仕方がなかった。が、リョウはそれについて、彼等の間に間違いが起こることを恐れていた。今回の事を巡って、セイジが決定的な悪印象を持ってしまったら、シンはどうなるのだろうか?。
 しかしリョウがそんな杞憂を感じている内に、その場には鋭い音が響いていた。
「!!!」
「大人がどれだけ心配しているのか判らんのか!」
 翳されたままの手の向こうから、セイジが激しい口調で放った言葉は、この場に於いては尤もな言い分だったろう。
 倒れる程ではなかったけれど、頬を叩かれたシンは首を横にしたまま止まっていた。否、もしかしたら怒られる可能性も考えて、構えていたから倒れなかったのかも知れない。そして泣き声ひとつ上げなかった。
「・・・・・・・・」
 横に向いたまま黙っているシンは、目に涙を溜めながらも固く口を結んでいた。徐々に頬の赤味がはっきりと浮き上がって、心情的な辛さの上に、現実の痛みも感じていることがありありと窺えた。けれどそれでもシンは、必死に状況を我慢しようとしているのだ。その健気な態度の訳は誰にも解らなかった。
 解らなかったけれど、このくらいの子供にしてはあまりにも、己を押さえ過ぎている様子が切なかった。大人ならしばしばそんな時もあるが、大概は己の立場を守る為の行動だろう。社会的な地位を持たない少年には、むしろ損な在り方だと考えられた。子供である内は皆天真爛漫に、感情を自由に発散できる権利がある筈だから。
 なのでリョウは、シンの大人びた立派な態度についてだけは、優しく受け止めてあげようと思った。
「そうだぞ、シン。彼の言ったことは正しい。色々助けてもらったが、俺はシンが仕事を手伝ってくれるより、信じて待っててくれる方が嬉しかったぞ?。何で施設のみんなと楽しく過ごすより、こんな危険な事を手伝いたいと思ったんだ?」
「・・・・・・・・」
 リョウは膝を折って、シンの頭を抱きかかえながら話した。変わらず口をへの字にしたままで、シンは何も答えなかったが、特に反抗する様子も見せなかった。大人しく話に耳を傾けているな、と判ったので、リョウもそれ以上は言わないことにした。
 これだけ頭の働く子なら、諄く言わなくとも理解できる筈なのだ。シンは何か理由があって、仕事を手伝いたかったに違いない。と、彼の良心を信じてやりたかった。
「もう終った事だからしょうがないな。さあ…、今日はちゃんと施設に帰るんだぞ?」
「…うん」
 すると聞こえるか聞こえないか、極小さな声でシンが返事をするのを、リョウは確と聞き取ることができた。人が普通の思い遣りを以って、気遣って話しているのが判るならば、今はそれだけで満足だとリョウは考えていた。
 シンの意思、彼独特の思い方と言うものがあるのだろう。恐らくそれは、子供だからと侮ってはいけないような、優れた観察や推理が基礎となっている。だから盲点を突かれた大人は驚かされるのだ。今回の理由についても、聞けば何かしら耳を疑うような要素が、彼の口から綴られるだろうとリョウは予想している。それはそれで構わない、個性を否定しようとは思わなかった。
 ただ、セイジはどう考えるだろうか。
 リョウはそればかりが気掛かりだった。セイジはまとも過ぎる程の人物だが、子供と言う存在にそこまでの執着はなさそうだ、と感じる節があったからだ。彼はシンの個性的な考えを理解できるだろうか?。シンを認めてくれるのだろうか?。リョウはまるで自分の事のように心配している。
 子供は犯罪集団に取ってさえ大切な宝物だが、彼にもそうだろうか?。
 彼が運気の強い人物だからこそ、見捨てないでやってほしいと思う…。

 こうしてふたりの捜査官とシンの長い一日は終った。



 その後、数日が経過した後に、リョウはシンの理由を知ると共に、長く考えていた己の意思をも決定することになる。



 その日の午後、リョウはプレイクドームの住民局に向かっていた。
 親権の処理を考えるから来てくれ、とセイジが連絡をくれた為だった。あの捜査の日以来、シンは児童施設に戻ったままで、事後処理に追われていたふたりは、全く顔を合わせていなかった。厳しく叱られて流石に堪えたのか、施設に連絡を入れてみると、大人しく過ごしている様子も知ることができた。今日はそのシンも交えて、最終的な話し合いをするつもりだとセイジは言った。
 事件に踏み込む事には激しい拒絶を示したが、こんな時にはシンの意見を聞こうと言うのだ。彼の考え方は変わらず真摯なものだと思えた。なのでリョウは、捜査の当日に比べれば随分、楽な気持でそこへ向かっていた。きっと、恐らく、落胆するような結果にはならないだろう、と思えていた。
 住民局に到着すると、滅多に来ることのない建物で行先に迷ったが、案内係の職員に助けられて、リョウは『登録課』のフロアに辿り着いた。しかしその時、遠目に見えたセイジとシンの居る光景が、リョウにはやや気になる様子に映った。これまでに見た記憶は無かったが、シンは頻りに目を擦りながら泣いているようだ。セイジはそれを見ながら立っているだけだったが。
 なので、リョウはまだ彼等の前へ出て行かずに、フロアを仕切る観葉植物の陰から、暫く様子を見守ることにした。人の少ない登録課のフロアでは、離れていても充分に話し声を聞くことができた。
 すると、セイジは長い沈黙の後に、リョウには思い掛けない言葉を連ねていた。
「…私の国はここのように綺麗な所ではない、それでも行きたいのか?」
 一瞬意味を取れなかったリョウだけれど。
 考えてみれば、これまでシンがどうしたいのかを聞いたことはなかった。大人の思考ではついつい、周囲の条件ばかり考えてしまいがちだが、重きを置くべきなのはむしろ、子供の意思の方かも知れないとリョウは感じる。そしてシンがそんな意思を持っていたことに、全く気付かないでいたことも知る。
 何故ならシンは、弱音らしい言葉を全く言わない子供だったからだ。
「だって…、僕ここでは普通じゃないから」
 上擦った声を絞り出すように話す、シンの泣き言をリョウは初めて耳にしていた。
「他の子は、半年くらいで出て行くのに、僕児童園に一年くらい居るから。僕が黒い目で黒い髪じゃないから、普通の子と同じようにしてもらえないんだ」
 そんなシンの悲しみを知ると、リョウは途端に胸の痛む思いがした。
『そんなにそれを苦にしてたなんて…』
 リョウの目には、明るい茶色の髪も、若葉のような緑色の瞳も、とても綺麗なものに映っていたのだ。存在感と言う意味では希薄だとしても、儚気なものに惹かれるような感情は、誰でもある程度理解できるだろう。けれど単なる色の違いに因って、微妙な問題が発生することもあるのだ。色がシンの存在を苦しめているとは、考えたことが無かった。
 人間は目を楽しませる為に生きている訳ではない。人間は植物のように、苦悩を感じずに生きることができない。だからとても大切な話だった。
「…明るいとよく見えないから、嫌われるんだ」
「それは辛いだろうが。色素が薄い者には、ここの日射は強過ぎるのだ」
 更にふたりの会話が、ここでは決定的な弱点となる目の話になると、リョウは捜査当日の夕方に出会した、ホテルでの出来事を思い返していた。
 捜査活動がひとつの山場を過ぎて、現場に残る調査を一般の捜査官に引き継いだ後、セイジを始め、朝から参加した者の多くは報告会に出席していたが、リョウは腕の骨折があった為病院に向かい、セイジより早くホテルの部屋に戻っていた。その時例のホテルのボーイが、ルームサービスのクラブサンドと飲物を持って現れた。そして彼はこんな事を言った。
「昼頃に昨日の子が、忘れ物を取りに来たとか言って来たけど、通して良かったのか?」
 まあ、今更駄目だと言ってもどうしようもない。昼頃と言うなら間違いなく、シンがここからライフルを撃ったことが、証明されるだけのことだった。
「ああ、丁度良かった。児童施設の方に家があるって言ったよな?」
「そうだが?」
「これを届けてやってくれないか、忘れ物なんだ」
 リョウはそこで、ホテルの部屋に置いてあったある物を、ボーイのシュウに託すことにした。それは小さな、子供のサイズに作られたサングラスだった。しかしリョウはシンがそれを掛けているところを、一度も見たことがなかった。シンがホテルに来ていたと知らなければ、誰の物かすぐには判断できなかっただろう。
 また、それが判ったことで、シンは偶然ライフルを使ったのではなく、始めからそのつもりでここに来たのだと判る。それは一体どんな決心だったのかとリョウは思った。
「ん?、忘れ物って、来た時に見付かんなかったのか?。…へぇ子供用か、珍しいな」
「そうだな」
 それを手渡されたシュウは、このドームでは滅多に見ない商品を、暫し面白そうに覗いてみたりしていた。大人でも特殊な仕事をする者が掛けるだけで、ファッションでサングラスを掛ける習慣は、このドームには存在しないからだ。その時ふと、
「こんなのが必要な子は可哀相だよな〜」
 シュウがそんな事を言った。
「う〜ん、慣れればどうってことないんじゃないか?」
 対してリョウがそう答えたのは、仕事中のセイジの様子を見てそう思えたからだ。が、それはシュウの意図することではなかった。
「そう言う意味じゃねぇよ、こんなのしてっと他の子供に怖がられるし、あんま掛けたくねぇだろうと思うからさ」
 そんな指摘の途端、シンが自らリスクを選択して生活していることに、リョウは気付いた。仲間外れに遭うくらいなら不具合を我慢する方が良い、それがシンの出した答なのだろうか。とても可哀想なことに思えた。何故なら住む場所に拠っては、彼は全くの健常者として扱われるからだ。
 またそんな気持は自分よりも、セイジの方が解るのだろうとリョウは思った。
 素直に感じていることを話してしまうと、シンは未だ怯えるような態度で、前に立つセイジを見上げていた。するとセイジはふっと肩の力を抜いて、
「しかし…」
 呟きながら、シンの目の高さに合わせるように姿勢を低くする。
「何も仕事の役に立とうとしなくても…。行きたいと言うなら連れて帰ったのに」
 半ば笑うような、呆れるような、本人にしても珍しい態度でセイジはそう言った。
『それだけ、必死だったんだな』
 その様子を見ると同時に、リョウもシンの気持を察して、不思議と可笑しいような気持が込み上げて来るのだった。
 シンがどれ程、自然に生きられる環境を求めていたかは理解できたが、並の子供なら可能性を引き寄せると言っても、すましているか、駄々を捏ねる程度の事しかできないだろう。普通、自分が役に立つことをアピールする発想は、就職する年になってから出て来るものだ。シンは一体何処で、何からそんな発想を得て来たんだろうと、考えるとシンと言う個性はあまりにも面白かった。
 否、その面白さも結局、人の注意を惹きたい意識から生まれたものだろう。彼がプレイクの市民として一般的な存在なら、そんな個性は育たなかったかも知れない。獲得した個性はむしろ、シンの苦労の代償のようなものなのだ。だからシンに取っては、一生をこの住み難いドームで過ごすか、セイジのような特徴を持つ人種が集まる場所で、自分に無理をせずに生活するかは、必死に縋り付かなければならない死活問題だった。
 誰かに取って楽園でも、他の誰かに取ってはそうでないこともある。
 エリバレがどんな場所だとしても、セイジを見た瞬間にシンが決めたことだったのだ。
 そして自分はただの知り合いでしかなかったが、セイジには、シンがもっと大事な存在になってくれるといい、とリョウは思った。
「やあ、どうなった?」
 丁度現れたような振りをして、リョウがその場に歩み出ると、
「ああ。今話し合って、サインをすることにした」
 セイジはすっきりした様子でそう答えた。恐らく彼に取っても、今日の今日まで決断に悩んでいた筈だった。そんなセイジに残されたのは、今はややひねくれた思考をしているシンをこれから、少しでも良い方に成長させる課題だ。けれどリョウは彼の折り目正しい人となりを、仕事を通して既に理解できている。何も不安に思うことは無かった。
「そうか。良かったな、シン」
「…うん」
 リョウが声を掛けて頭を撫でると、シンは久し振りに穏やかな表情で笑った。そう、本当の彼は狡っ辛い大人の振りをするような、世間に擦れた性質ではないのだ。それを如実に物語るとても良い笑顔だった。

 それからセイジが、窓口で親権登録に必要な書類を作っていると、その途中で、
「見てみろ」
 とリョウを呼んだ。セイジが指し示した登録書類の裏面には、親権法の抜粋が細かい文字で印刷されていたが、そこには彼等が全く知らない条項が記載されていた。その内容はこうだった。
『…但し、その児童の心身に取って、著しく生活し難い環境である、又は、成長を妨げる痛ましい記憶の残る場所である、と判断する場合に限り、例外的に他のドーム市民への、親権の譲渡を許可するものとする』
 思わず目を見開いて、それを読み終えるとリョウは話す。
「成程な…。渡航者向けのサービスだから、可能なことだったんだな」
 空港のあのショップは、余所から渡航する者に必要な品を提供している。オーナーである人物はそんな業種の性質を利用して、抜け道的な親権を入手することができたのだろう。それを考えると、一等賞品である油田などは、空港では出ない賞品だったのかも知れない。つまり事実上一等を引き当てていたセイジは、やはりとても強い運を持っているようだった。
 これからはその強運が、シンを幸福にしてくれるよう祈るばかりだった。
 そしていつか、その後のシンがどう変わったか、彼等の住む国がどんな場所かを見に行ける者になりたい、とリョウは心に強く願うのだった。



 エリバレドームへと出発するエアバスを見送った朝、リョウはこれまでと同じように、遅刻もせず保安局に出向いていた。
「お早うございます」
「早朝から御苦労だった」
 そしていつもと同じように、朝のデスクワークを始めている保安部長が、最初にそう声を掛けていた。毎日見て来たこの保安局のフロア、窓から見える町の風景ももう、飽き飽きする程見慣れたものになっている。けれど、職業に対する意識が変わったリョウには、それもまた愛おしい故郷だと思えた。外の世界に関心を向けない内は、実は自分の居場所の良さも判らない。そんな不思議さをリョウは知ったところだ。
 これから勉強と訓練を続けて、何年掛かるか判らないけれど、特殊捜査官になれば他のドームに出られるようになる。そうなれた時には恐らく、もっとこのドームが好きになっているだろう、とリョウは思った。自己の生まれに対する愛着を持てない者は、誰をも守れないと思う。だから今感じているこの感情を、何より大切にしたいと思う。
「…部長の赤毛って綺麗ですね」
 その時ふと思い付くままに、リョウはそんな事を口走っていた。
「な、何を言うんだ、突然」
「ハハハ…!」
 言われて狼狽える様子が新鮮で面白かった。鬼と言われる部長の違った一面が、垣間見れたような気がした。
 そう言えば、無罪放免となった植物学者も言っていた。確かに生物は皆生きた宝石の様に輝いている、ひとりひとりが違う個性を持って輝いている。近頃とみにそう思えるようになったと、リョウは嬉しく感じていた。何故なら誰もがそんな意識を持てれば、世界は未来永劫、平和を維持できるのではないだろうか?。

 何事も注目して見れば世界は変わる。
 それを教えてくれた君に出会えて良かったと、いつかシンに話しに行こう。









コメント)と言うリョウの物語でした。はぁー…、事件を扱うと話が長くなると、「Passenger」の時に思い知った筈なのに、予想が甘かったことを反省するばかりです(^ ^;。でも最終的には充分に、書きたい事を書き切れたので良かったです。それなりに満足です(まだ校正の余地を残しているので)。
 しかしリクエスト主の弘野さん、こんなもんでよろしかったでしょうか??。できれば伸がこんな子供じゃない話の方が…、と思ったんですが、伸と遼が普通に並んで戦うイメージは、「現の人」と同じような感じになってしまうので、敢えて違うタイプのものにしました。恋愛も何もない話でしたが、お気に召さなかったら済みません(^ ^;。
 さて、再三書いて来ましたが、おまけ解説が途中で入れられない状態だったので、事後になってしまうけれど書きます。
 まずドームの名前なんですが、これらは実在する地名から選びました。一応「第三次世界大戦の後」としてあるので、実在する土地で、それなりに海抜が高い場所を選びました。まあ多分温暖化などて、海面が上がってると思うんですよね、未来は。尚プレイクは本当はプレイクーです。こう書くと何処だかすぐに判っちゃいますね。
 それから、セイジとリョウが使っている銃はモデルがあります。これはまあ、月刊の方の企画の為に銃の資料を集めたので、勿体無いから利用しただけですが(^ ^;。セイジが持っていた連射システムの使える銃は、ベレッタ93Rフルオート9mm(イタリア)、リボルバーはスミス&ウェッソン696約11.2mm/44マグナム(アメリカ)、リョウが持っていたガス弾用の多目的銃はオーウェン37(イギリス)、オート銃はCZ85フルオート9mm(チェコ)です。
 と書いても何だか分からないでしょうが…。いや、SFとは未来の武器を書くものかと言うと、この世界では発掘した過去の遺物を使っている、と言うことを説明したかったので。尚パラベラム弾と言うのは、作中にもある通り、NATOが国際基準で決めた9mm弾の通称です。採用されている理由も作中の通りです。
 さてさて、後はシーンについてですが、子供が叩かれると言えば、TVでは純のそう言うシーンがありましたが、この作品を書いている内に気付いたのは、あの当時はまだ純どころかトルーパー達も、あまり親しくない時期だったんですよね。もっと親しかったならナスティの言う通り、殴らなくても良かったんだけど、純に理解してもらう為には、その時点で一番打ち解けていた遼が、それをする必要があったと言う訳ですね。改めて理に適っていると、原作(特にTV前半)の整合性に感心したりもしてました…。
 そんな訳で、コメントが長くなりましたが最後に、こういうタイプの話は年の若い内は書けなかったなぁ、と感慨深く思っている私が居ます。自分が子供の内は、なかなか客観的に子供を捉えられないもんですよね。特に自分はトルーパーブームの頃、二十才にしては無邪気なだけの人間だったので(今も大して変わらないけど)、ある時思い立ってトルーパーに戻って来て良かった、と今しみじみ思っています。
 なのでこれからも、色々なタイプの話を書いて行きたいです(^ ^)。それではこの度も、長い文章を読んでくれてありがとうございました。お疲れさま〜。




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