色々あった後
憎しみのピエタ
School of Love



 空は明るく、しかし空気の冷たさが確実に肌に伝わる、十月後半の秋晴れの日。
 征士は午後の講議が休講となった為、昼過ぎにはマンションに戻って来た。伸はその日外出予定がなく、一日家に居ることを知っていたからだ。
 伸の持ち物であるこのマンションに、ふたりが同居を始めて一年半が経過していた。ふたりはまだ教養課程の授業を受ける身で、今年三回生の伸も、三年後期の授業を多少残している。とは言え商学部などは卒論がない為、その他多くの学生に比べ気楽なものだった。来年に向け、確実に単位を取りながら、良さそうな就職先を吟味することが、今は最大の目標と言うところだ。
 それなので、彼等が普段会話する内容に、そこまで差し迫った話題は出て来ない。勿論大学で聞き齧った知識について、議論することはしばしばあった。征士は経済学部にいる為、ふたりの専攻する分野は多少似ている。時にはほぼ同じ内容の講議を受けることもあった。だが、家に居る時はそこまで大学の話はしなかった。
 寧ろこれまで通り、他の仲間達の近況や友人の話ばかりしている。又は趣味や流行など、楽しみの多い話題ばかりが部屋を飛び交っていた。
 これと言って深い悩みに直面していない、現在のふたりの生活は恐らく、それまでの二十年あまりの中で最上の時だろう。遊興の楽しみ、恋の楽しみ、明るい展望だけ追っていられる時間が、例え数時間でも持てるのは結構なことだ。それが毎日のように続くのだから、彼等が幸福を感じない筈もない。
 けれどそんな中、征士はこれまで一度も話題にしたことがない、ある場所へ伸を誘って酷く驚かれた。それは特別変わった場所ではないが、凡そ征士が関心を持つ分野ではなかった。

 少しずつ秋の色に変わりゆく、木の葉のしおらしく揺れる様を眺めながら、ふたりは上野公園の噴水に向かって歩いていた。ふたりの住むマンションからは、散歩程度の時間で来られる場所だが、これまであまり出向いたことはない。
 上野動物園に一度、国立博物館に一度、後は不忍池の周囲をジョギングに来る程度で、公園内にはあまり用がなかった。そして丁度左に、不忍池が見切れる辺りに来た頃、
「君が絵を観に行こうなんて、変だと思ったらもらい券か」
 と伸は、征士が何故絵画展に自分を誘ったのか、漸くその経過を教えてもらえた。すると、
「そう言うな。後学の為になるからと、わざわざ譲ってくれたものだ」
 征士は財布の中から、その有難い頂き物を取り出して見せる。秋の公園に馴染む色彩のチケットには、有名な『ヴィナスの誕生』の一部が印刷されていた。
 秋と言えば芸術の秋、食欲の秋、スポーツの秋などテレビ等で頻繁に耳にするが、何故征士に対し、芸術を薦める人間が居るのか伸には理解できない。否、征士は人の誘いをあまり断ることがなく、如何なる分野も取り敢えず見聞しようと言う奴だ。彼のそんな交遊姿勢を知っていれば、深い意図のないプレゼントと言うこともあり得る。
 そこまで関心のないチケットを、偶然征士に譲っただけかも知れないと伸は軽く思い、
「御親切な友達だなァ」
 と笑って見せた。実際込み入った理由がある訳ではなかった。征士が言うには、
「親切と言うか…、私が変わり者だから、色々心配してくれているようだが」
「心配って何だよ?」
「大したことではないと思っていたが。どうも、私は思っていた以上に、日本以外の文化を知らないようなのだ。国文科などに進めばそれでも構わないが、経済学部ではやや不安だと言われたもので」
 切っ掛けはそんな、ちょっとした面白エピソードだった。けれどそれを聞くと伸にも、成程と思わせた一学友の行動。
「ああー、言われてみればそうかも知れない」
「だろう?」
「君の家の環境を思うと、しょうがないと思うけどね。高校で世界史習った筈だけど、あーゆう勉強じゃ、なかなか感覚は身に付かないもんだしね」
「一応世界経済の講議は受けているがな」
 征士が「一応」と言うのは、本人にもあまり自信がないことの現れだ。伸の指摘する通り、征士が育って来た武道家の家庭では、あまり外国文化に馴染む機会もなかっただろう。既に現代の日本に取り込まれ、日本風にアレンジされた文化はともかく、征士が外国の外国たる由縁を、今一つ掴めずにいるのは正に環境のせいだと伸は思う。
 それについて周囲に何か話したのかどうか、今や征士の外国音痴は、気の知れた仲間以外にも気付かれているようだった。
 まあ、だからと言ってそれほど深刻になる話題でもない。
「大学にも結構、征士の観察ができてる奴が居るんだねぇ」
 伸はクスクスと笑いながらそう話す。それを見て征士も、応えるように笑顔を作って返した。
「まあそんな理由だ」
 無論伸にしても、海外暮らしの経験がある訳ではない。ほんの数回訪れただけの外国の印象と、その他は本やテレビ番組などで得た知識があるだけだ。けれどどうだろう、勉強の差か、関心度の差か、伸の方が遥かに欧米の文化を理解できている。それは、何気ない日常の詰み重ねがそうさせた、と言える面があるようだ。
 同じ武家の流れを組む家でありながら、伊達家と毛利家の背景は違う。維新を果たした長州藩士への流れを作る、毛利の郷と言える中国地方は、鎖国時代から海外の思想と物資を積極的に取り込んでいた。その気風が現代の教育にも受け継がれているのだ。
 対して東北は、冬場雪に閉ざされる地域でもあり、元々外への関心はあまり高くない地域だ。バチカンに書簡を送り、西洋へ利権を開こうとした伊達政宗公の野望は、残念ながら鎖国と共に潰えてしまった。もしその後、海外に渡った使節団が重用されることがあれば、陸奥の国にも文化交流が根付いたかも知れないが。
 ただ、今それを論じても始まらない。これまでのことは、人間の素地を形成した一要素ではあるが、ふたりはまだ学ぶこと多き学生だ。これから理想の社会人像に近付けるよう、好きな方へ勉強して行けばいいだけのこと。
 好きな方へ、望む方へ確実に進んでいけるように。君が考え得る理想的な人間になれるように。その為には確かに、ある程度外国文化への理解は必要だと伸は続けた。
「そうか、だからボッティチェリなのか。一応君の関心事に関係なくもないよね」
「何だ?」
「あれ?、ボッティチェリって言ったらメディチ家だよ。イタリアだよ。君の好きな車がある国だろ?」
 そう聞くと、征士はすぐに羽馬のモチーフと三色旗を思い出したが、
「ああ…そうなのか。画家の名前など知らないからな」
 カーレース以外のイタリアのことなど、まるでピンと来ないようだった。現在も東北地方は、文武両道は奨励されても、芸術文化を賞賛する習慣のない土地柄だ。今はまだそんな影響が強いと見える、征士の軽い溜息が伸には、これから面白いことになりそうな予感を見せた。

 西洋美術館の特別展示として、この時開催されていたボッティチェリ展。ふたりは回廊を周りながら、滅多に話すことのない美術について会話する。否、ここで蘊蓄を語れるのは伸だけで、今日の征士は生徒役と言ったところだ。普段は専ら、征士独特の哲学を伸が聞かされる形だが、こんな趣向もたまには面白い。
 そして、初めて交わされる話題の斬新さが、ふたりには特別な時間に感じられていた。こんな機会が巡って来ようとは、券をくれた友人には感謝せねばなるまい。
「宗教画ばかりだな」
 数点の作品を眺めた後の、征士の感想はまずそんなものだった。それについて伸は、
「えーと、この時代は世の中の風紀が乱れててさ、国や教会が優れた画家に宗教画を描かせて、風紀を取り締まってたんだよ」
 そう説明すると、ややあって考える征士がこう続けた。
「絵で…?。憤怒の形相の仏像ならまだわかるが」
 同じ宗教でも、仏教についてはそれなりの知識を持つ彼は、その違いに何らかの、文化の違いを見い出そうとしているようだった。そして伸は、
「勿論効果があったからやってたんだろ。キリスト教は公開されてたから、みんなその内容を知ってたし、神の与える罰みたいなものを絵にすると、心を改めようと思う人もいたんじゃない?。一種の脅しだね」
 簡潔にその背景を語って見せた。伸の言うことに征士がすぐ納得できたのは、適切な仏教との対比が語られたからだろう。
 民衆に解放されていたキリスト教に対し、仏教は内容を秘密にし、民には仏を拝むことしか教えなかった。仏教は諸説入り混じる解釈が難しく、学のない農民などには理解し難いものだったからだ。また経文は呪術性が強かった為、その乱用を防ぐ為でもあったと言う。
 そんな、仏教の神秘主義的側面を知っている征士には、無知な人々の無闇に厄災を恐れる意識より、意味を知って罰を恐れる意識の方が、より高次元なものと理解できたようだ。個々の知識の増大と、それによリ形成された社会構造が、アジア一帯に比べ進化していた顕われと言える。進んでいたからこそ、その思想は早く広く世界に広まったのだと。
 ただ、その広まり方にはある特徴があると伸は説明した。
「まあ、そういうやり方が西洋の歴史なんだ。土台が自由主義だから、自由に打てるテレビCMみたいなもんさ。写真の無い時代だし、絵を見せることで人の気持をコントロールできたんだね。それと、有名な大聖堂を荘厳な絵で飾れば、画家は名声が得られるし、教会と国も権威が増して一石二鳥だし」
「成程、政治的な意味合いが強いのだな」
 伸の話が余程腑に落ちたのか、征士は頷きながら深く飲み込むようにそう返す。
「そう、頭のいいやり方だよ。強制されると反発も生まれるけど、すごい芸術だって認められれば、自ら見に来る人が集まるからね」
 政治的に宗教観を広めたのは、西洋に於けるキリスト教も、日本に於ける仏教も同じだが、政治家主導で布教した我が国とは違い、一部の人々の主張が取り上げられた形で成り立った、キリスト教の背景には行動の自由がある。そして自由であるからこそ、人々はより価値のあるものを求め、優れた思想や芸術を発展させて行ったのだ。
 ローマを見て死ね、と言う当時の流行り言葉が残るほど、そのコマーシャリズムが成功していた一大帝国は、正に近代国家の源流である。そこまでを想像できると、
「そして信者が増え、国に税金を納める者も増えると言う訳だ」
 征士も最早、自信を持ってそう言うことができた。適切な解説をすれば理解は早い、優秀な生徒に対して伸はもう一言、
「そうだよ、現代社会はキリスト教下でできた形だ。日本人は知らずに受け入れてる人が多いけど」
 と、問題定義的な話も付け足してみた。日本人がごく短い期間で近代文化に馴染んだのは、国民的に物見高い性質を持つせいだ。新しい物好き、良さそうな物にすぐ飛び付く国民性が、宣伝社会に合っていたからに過ぎない。そうして日本は現代まで急速な発展を遂げて来たが、今となって、右肩上がりだった国の勢いに翳りが見え始め、社会の歪みも露呈し始めた。
 古来からの宗教観を失い、間接的に西洋社会の影響を受け、思想の根本的土台を持たなくなったこの国が、今後何を基盤にして行くか、制御の難しい時代になるかも知れない。それについて征士は、
「知らずに?、受け入れているとしたら、私もある程度それを知っていることになるが?」
 そんな疑問を返したが、伸は肯定も否定もせずこう言った。
「アハハ、そうだね、まあ今の時点のことは、みんな知ってる通りだと思うよ。でもその文化が何処から来たのか、知らずに乗っかってるだけじゃいい仕事はできないだろ?。経済はみんな繋がってるんだし、起源を勉強するといいと思うよ。キリスト教が正しいかどうかはともかく、ローマはそれを人気取りに利用して大国家になった、と言うのは確かだし」
 今の自分と言う存在が、どれだけ西洋思想に感化されているか、自ら測ることは難しいかも知れない。けれど社会を客観的に見ることは可能かも知れない。
「金融の歴史もローマにありか」
 伸に向けられた意図を、穏やかに受け取った征士がそう呟くと、
「だね。民主主義となるとギリシャまで遡ることになるけど」
「そこまで遡らなくていい」
 最後には余談で笑える程度に、芸術と社会との繋がりを楽しめていた。尚、ローマの風紀が乱れた原因は、実は古代ギリシャに存在する。自由で奔放なギリシャ文化、取り分け神話の神々の裸像や、奔放な行為を伝える神話の物語に憧れた人々が、自由な芸術活動した結果、それを見る民衆の気持も乱れたと言う訳だ。
 日常的に何気なく目にするものが、人の心に如何に影響するか、宣伝文化の凄まじさはこの頃から知られていたようだ。
 さて、ふたりがそろそろ、絵画展の終わりの方に差し掛かると、そこには赤ん坊を抱き、本を捲っている女性の絵が現れた。
「これは『聖母子』って言うんだ。色んな画家が描いてるけど、マリアとキリストの絵だよ」
 伸が簡単にそう説明すると、「色んな画家が」と言う意味を取って征士は返した。
「それだけ重要な題材と言うことだな」
「さすが征士くん、その通り」
 話をよく聞いていると言う点でも、伸先生としては申し分ない征士の態度だ。そして、その重要な題材について伸はこう解説した。
「ぱっと見て親子の絵だってわかるだろうけど、子供を持つ母親の愛情は、愛の根源的な象徴とされてるんだよ。だから重要な題材なんだ」
 ところが、宗教画としては最も普遍的で、理解し易い母子像が途端に征士を悩ませる。絵として特に変わった特徴もなく、クセの強い画風でもないが、彼は暫しその正面に立ち止まると、穴の空くようにまじまじと眺め始めた。
「愛の根源…ねぇ」
 言葉と共に征士の口から零れた疑問符。を、耳にした伸ははたと思い出す。
「あ、別に君の個人的なことは関係ないよ」
「そうだろう。こんな麗しい親子ではなかったからな」
 そう言えば、もしこの母子像を自身に当て嵌めるとしたら、征士は多少疑心暗鬼な気持で見るだろう。生まれた当時のことは知らないとしても、物心ついた頃にはこのように、優しく導いてくれる母親ではなかったからだ。それを「愛の根源」と言われても、すぐには承服できないだろうと伸も気付いた。なので、
「そうかなぁ、見た目だけで言ったら君の家族は…」
 と、冗談を言おうとして、
「いや。とりあえず誰もこの親子のようにはなれないね。何しろ聖なる母子だから」
 何故だか伸は止めておくことにした。笑えない冗談でお茶を濁すのは、征士に対しても、『聖母子』に対しても詰まらないことになると、暗に覚ったのかも知れない。どれ程身近に居る人間でも立ち入れない領域、その人だけの思いと言うものが存在するだろう。無闇に介入してはいけない、征士だけの家族観を伸は傍で見守っている。何故ならその背景があってこそ、彼は彼として存在するのだから。
 すると征士の方から、
「どう言う意味だ?」
 伸の言い直した内容に質問があったので、ここでは一般に知られている話を聞かせた。
「『受胎告知』って知ってるかな?。マリアは処女で子供を産んだんだよ。それがキリストさ。ある時天使が降りて来てマリアに告げたんだ、『あなたは神の子を産む』ってね」
 海外の文化を学びに来た場面で、身内との関係に悩んでも仕方ない。それも社会のひとつではあるけれど、今はより広い視点で、世界の流れを見ようと言う時だった。そう意識しての伸の説明は、狙い通り征士にも伝わったらしく、
「神話にありがちな話だ」
 と征士は、彼なりの知識から来る感想で纏めていた。それを伸も、
「まあそうだよね、神話としては逆に普通の話だね」
 穏やかに笑って受け止めた。
 いつの時代も、如何なる場所でも、神と呼ばれる者の誕生には、奇想天外なエピソードがあるものだが、その意味では東洋も西洋も同じだと知ると、多少ホッとしたような気持が征士の表情に現れる。周囲から変わり者と認知され、自ら認める所もあれど、少なくともこれまで学んで来た知識は、間違っていないと確信が持てたのかも知れない。
 特殊な家庭に育った偏りはあれど、物の見方に誤りがないなら、この先も安心して勉強を続けられる。『聖母子』については納得し難い面もあるが、ひとまず外国音痴を脱する自信が着いたのなら、充分な収穫を得た征士だった。
 ただ、その後、
「次の『ピエタ』も同じ意味の絵だよ」
 最後に伸が案内した絵は、『聖母子』より更に難解なイメージを彼に与えた。キリストを抱くマリアの図、と言う構成は同じだが、こちらのキリストは明らかに成人だからだ。
 俗な表現をすれば、マザコン男と子離れできない母親、のように見えなくもない。実は、征士はまだ知らないことだが、これも前途のギリシャ文化が影響しているのだ。ごく理性的なキリストの教えに対し、ギリシャ神は原始的で根源的、性に関しては自由で煩雑な説話が多い。つまり人の持つ本能を押さえようとする社会の中で、本能的表現に憧れる者が多く居た訳だ。
 ギリシャへの憧れは、人の中の動物性を克服して行く過程での、中和剤的な心理だったと今は考えられる。極端な性表現は糾弾されるが、根源的性愛が批難されることは少ない。故に、男性の根本にある母親への思慕を現す、この『ピエタ』と言う題材はもて囃された。実際キリスト教の聖書には、そのような記述は一切出て来ないが、誰も理性だけでは生きられないことを思えば、より人間らしい表現の方が、一般には受けが良かっただろう。
 母は子を愛す。子は母を永遠に愛す。
 しかし征士に取っては、その歪曲が壁となって立ちはだかるようだった。寧ろ彼には芸術表現より、飾らない聖書の原文の方が馴染むのかも知れない。本来は男性的理屈を説いた宗教であり、女性を賛美する面は殆どない世界観である。
 その意味では、ギリシャ美術は彼の敵とも言えるようだった。

 美術館を出たふたりは、まだ寒くはない、秋らしい午後の黄昏時に公園のベンチで、暫し足休めをしていた。丁度目の前にケータリングの屋台が見えたので、伸がコーヒーを買って来ると言った。ひとり待つ間に征士は、何とも消化不良なモヤモヤとした気持を、揺れる枝葉の間にボンヤリと見ていた。
 今や西洋だけでなく、世界的に価値を認められる絵画ならば、必ず何かしらの最大公約数的な魅力があると思われる。今見て来たボッティチェリの絵画は、そこまで個性的と言うほどでもなく、写実の意味でも中途半端なものだった。ならばその魅力は題材の方にあるのだろうか。
 宗教画の示す意味は、まだ私にはよく解らない。目玉として展示されていた『ヴィナスの誕生』ならまだ、絵としての面白さが感じられたが…、と、
「はい、お待たせー」
 征士が考えていた時、伸は両手に紙コップを携え戻って来た。丁度通り掛かった、背の高い女性に気を取られていた征士は、渡されたカップを一度取り損ねて戸惑いを見せる。その様子を変に思い、伸はふと彼の視線の先を振り返った。
「…美人だね」
 それは日本人ではない、一見アパレルモデルのようなスーツの女性。伸は美人とは言ったけれど、顔はあまり見えなかったので、雰囲気美人と言うのが正しいかも知れない。ふわりと靡く金髪混じりの髪が綺麗だった。
 ただ征士が何故、うっかり気を取られるほど見ていたかが気になる。すると、
「さっきのチケットの絵に似ている」
 と彼は言った。チケットの絵とは、そう、丁度今思い出していた『ヴィナスの誕生』だ。それにイメージが被るような白人女性だったのだ。否、正確にはあの絵のモデルは白人ではない。ローマのラテン人種か、ギリシャの地中海人種の顔立ちだ。だから本当に似ていたかどうかは、怪しく感じるところもあるが、
「ああ!、確かに髪型はソックリ」
 と、その点については伸も素直に賛同した。ベンチの隣に腰掛け、改めてよく見ると、描かれた美の女神の豊満さに比べ、もう少しほっそりとした後ろ姿だった。美の基準が昔とは違うこともあり、今は若干細身の方がバランス良く見える。そんな、見も知らない他人の姿形について、あれこれ考えることもふたりには珍しかった。
 それも、優れた芸術作品を目にした効果か。何しろ日常の中では、自分等が楽しく暮らせていれば、それで幸福なら他人のことなど構わなかった。日本国内が比較的平和なら、世界の動きなど滅多に気にするものではない。誰でも基本的にはそうだと思うが、こうして古の芸術家の作品に触れると、究極の理想を生み出そうとする熱意には、確かに何らかの影響力があるような気がした。
 理想の姿に憧れつつも、人はなかなかその通りにはなれない。その意味では現代に至っても、人は何も進化していないと気付かされる。無い物ねだりが人の欲望の基礎だとは、あまり認めたくはないけれど、それが広く支持される芸術の存在感なのだ。
「そうかー、君は僕があーゆう女性だったら良かった?」
 伸は、それまで考えていた芸術論の流れから、思い付いてそんなことを言った。突然思いもしない方角に話を振られ、征士は暫し時を止めたように黙り込むが、結局彼の答は、
「どうでもいい」
 と言う、素っ気ない返事だった。それを聞くと伸は小さく舌打ちして見せる。
「そう言う答で返されちゃつまんないだろ?」
「何が?」
「女の方がいいって言ったら、『あっそう!』って返すし、男の僕の方がいいって言ったら、『変態!』って返そうと思ったのに」
 ただ、多少意地悪い口調で言いながらも、伸は征士が常に自分を気遣ってくれていると、端的な言葉からも感じ取っていた。何、と特定して答えると、その本人の理想が他者を振り回すことがあると、征士は日常的に知ったのだろう。伸のように感じ易い人間を見ていると。
 しかし今、征士の頭を占めているのは、通り掛かった女性でも、海から生まれた美の女神でもなかった。
「今の私は、伸が男か女かより、『ピエタ』を理解できるかどうかの方が迷う」
 母は子を愛す、子は母を永遠に愛す。ギリシャ文化の根源は女性原理にあり。
 彼のその発言を耳にすると、伸は「おや」と言う顔をしながらも、想定内と言う調子でからかった。
「アハハハ、そんなに気に入った?」
 対して征士は、伸のそんな面白がる様子に合わせるでもなく、不愉快そうでもなく、何とも表し難い表情をしてこう返す。
「気に入ったのではない、どちらかと言うと気味が悪い」
 恐らくそんな態度の通りに、繰り返し考えても言葉にできない複雑な感想を、率直な言葉で述べただけの征士だが、それを聞くとさしもの伸も、
「そんなこと言ったら可哀想だよ、お母さん」
 と、さり気なくフォローするしかなかった。否、そう言った伸にしても実際、成人した自分を母親が抱き抱える姿など、気持の良い画ではないと感じているが、絵画はあくまで心象イメージの世界だ。親子なり、家族の繋がりは斯くあるべきと言う、ひとつの理想型を描いたもので、そんなことは征士にも重々解っていると伸は思うのだが。
 征士にはどうもそれが、西洋文化を前にしたひとつの躓きに感じられているようだ。何故だかは解らない。別段、親を憎んでいようと恨んでいようと、異文化を理解できないことはない筈だが。
 彼の考える理想は、どんな形をしているのだろう。



 その日の夜、色々あって征士の部屋に居た伸は、そのベッドの上で微睡みながら呟いた。
「やっぱり、僕は女に生まれた方が良かったな」
 教科書から生活用品から、何もかもが整然と整えられた同居人の部屋。同じ屋根の下でありながら、伸の部屋に比べると、見た目の印象はかなり閑散とした印象だ。マンション主に遠慮している面もあるだろうが、元々実家の征士の部屋もこんなものだったと伸は知っている。
 窓に見える乱雑な都会の夜景以外、余計な物が目に入らないのも時にはいいことだ。唯一、ヨーロッパの古城の道を走る赤いフェラーリのポスターが、一点だけ征士らしさを主張しているが、それも見ようによっては窓の景色のひとつだった。
 だから、伸は考えごとをする時、しばしば征士の部屋に来てボンヤリすることがある。
「昼間の事が気になるのか?」
 と征士は、すぐに美術館での出来事を思い出していた。征士としては、あの通り掛かった女性に、特別関心がある訳ではなかったので、あの時のように変に気を取られたことが、誤解を生んだ気がしてならなかった。案の定と言うように、伸がそれらしいことを話すので、さてどう弁解しようと考えている。
 けれど伸は、彼に見当違いの弁明をさせなかった。
「違う。外側なんかどうでもいいけど、何にもならないことが嫌なんだ。妻にもなれないし、子供も産めないし、僕が何をしても君は報われないな、と思って」
 読みかけの本を思わず閉じると、征士は椅子を振り返って言った。
「そんなことは…」
 今、彼の机の上には分厚い聖書が置かれている。上野公園から帰ると、伸が持っていたものを貸したのだ。その本だけは、この部屋にそぐわない異質な存在かも知れない。だが征士の勉強如何によって、いつかそれも彼の中に吸収されるかも知れない。親の望みでなく、己が己を希望する方へ成長させること、それが最も理想的だと伸は考えている。
 そして征士も考えている。普通の人間の普通の生き方を否定する訳ではないが、己に最も価値のあるものを得る為に、己だけの道を選択したことを。
「どう思おうと私の意思は変わらない。伸が苦しむなら、その苦しみも私の意思の内だ」
 取り巻くものがどう変わろうと、優しい隣人を愛しむ心は変わらない。また愛には常に苦しみも伴うだろう、と、彼は強い言葉を使いながらも、至って柔和な表情を見せていた。しかし、
「だからだよ。君が本当に真面目な気持を向けてくれてるの、僕はわかってるよ。でも、じゃあ、君のその気持は何になるんだい…?」
 伸はその苦しみの果てに、空しか見えないことを淋しがっているようだった。
「何にもならないんだよ。だから僕は悲しい」
 彼のそうした物言いは、大概一時的な感傷の内に忘れられる。けれどだからと言って、その時その時の伸の気持を軽くあしらうことは、過去に一度も、絶対にしない征士だった。何故ならそれこそが伸だからだ。誰も彼もが安定した、一直線上の意識で生きている訳ではなく、彼のように好きに何処へでも意識を飛ばす人間もいて、それが魅力的な生活に繋がっていることを、征士は過去から学んで来た。
 なのでこの場合はどう返事しよう、何を話そうと頭の中を回転させていた、征士の目にふと、先程まで読んでいた聖書の簡素な表紙が映る。
 まだほんの十数ページ、旧約のほんの序盤の部分しか読めていない。現代社会で主に引用される、重要な言葉や場面はまだ殆ど出て来ない。だがそれでも、彼には何かしら閃くものがあったようだ。
「…カインはアベルを殺したので、神はカインを追放した」
 と征士は話し出した。
「え…?」
 それを耳にすると、やはり異常事態のように感じたのか、目をしばたかせた伸は半身を起こしながらこう返した。
「急な勉強の割に身に着いたじゃないか」
 さて、本当に身に着いたかどうかは判らない。ほんの少し前に読んだ箇所だから、まだ新しい記憶として残っていただけだろう。けれど征士はそれに加え、自ら考えた解釈も続けた。
「須らく人間は、善悪を見分けていながら、常に正しく選択することができない。だからカインは殺されず追放された。後々絶える家系として、カインが生きることにも意義があったのだ」
「そう言われると…、不思議な話だよね…?」
 半ば眠気に支配されていた、伸の頭も途端に冴え冴えとして来る。そこで彼も思わず疑問に思ったように、旧約のごく最初の方に出て来るこの話は、意外に謎に満ちていた。神は人の命など一撃で奪う力があると言うのに。命は同等の命でなければ償えないと言うのに。何故カインは生かされ、しかも殺されない印を与えられたのだろうか?。
 呪われた者として生きることは、死ぬより辛いだろうか。苦労や苦痛は誰にでもある筈だが、それ以上に何かを背負わされていたのか。結局彼の家系は、大洪水と共に地上から消えてしまうのに。
 けれど、考える伸に征士はこう言った。
「何にもならないことはない、と言う文化だ」
 呪われた者、殺されない者、滅びる者にも、長い歴史の中の一時を幸福に暮らす権利はある。それぞれの人生は、恐らく凡人の一生よりも深い意義を秘めている。ならば、全てのものは認められていると、征士は古の書物から読み取ったようだ。愛される者が必ず幸福になる訳ではないと。
「成程?」
 と、一応頷いてみたものの、伸にはまだもうひとつ飲み込めない様子だ。だが、この際理屈などどうでもいいと言うように、征士は伸の上に覆い被さって再び横たえた。そして、
「日常的に幸福ならば、それ自体有意義なことだと私は思う」
 征士は伸の、多少戦きを見せる瞳を見詰めていた。
 そこにはただふたりの未来を思い、優しさに迷う緑の海原が広がっている。そう言えばヴィナスは海の泡から生まれたと、絵の注釈に説明されていた。太古の昔から愛だの美だのと言う領域は、海に属するものだったのかも知れない。ならばそれもひとつの「愛の根源」だ。
 そこに映る自分。そこにある愛を見ている自分。ただそれだけでどれ程自分が幸福かを、本人である君は知らないのかも知れない。と、征士はより顔を近付けて尋ねる。
「違うか?」
 すると、征士の思った通り、伸は自らもう少し顔を寄せ、相手の唇にそれを重ねた。思うことがそのまま谺のように返って来る、パートナーとして完全な形を作り上げたふたりが、それでも悩むことから解かれないのは、そもそも、愛とはそう言うものだからだろう。愛に応えたいと思い悩むのもまた愛だ。
 男と女が完全に理解し合うことはない。同性では後に続くものが生まれない。その狭間に揺れながら、愛は芸術となって花開く。
 伸は、長い接吻の後に息を整えると、もう全てを納得した顔をして笑った。
「君は昔より、今の方がずっと幸せなんだね」
 征士もまた、ややはにかむように笑って見せた。異文化を知るのもいいものだ。背徳者だからこそ繋がれる家族があり、そこにもまた意義があると教えてくれるのだ。
 罪人には罪人の作る文化が、今ここにある。



 だから君は『ピエタ』を嫌うのか。
 瞼を閉じながら、伸は脳裏に浮かぶ母と子の聖なる姿を思い返していた。









コメント)そんなつもりはなかったけど、何か難しい話になっちゃったな(^ ^;。単に芸術について書こうと思っただけなのよ。大体芸術家は「芸術は愛だ」と言うし、まあそう言う面もあるなと思うから、芸術の愛とは何ぞや?、と考えてみただけなの。
とりあえず秋らしいテーマと言うことで。
一応書いておくと、ローマのキリスト教はカトリックなので、現代社会には直接結び付いてないです。今はプロテスタント国家が中心なので。



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