悩み
音 の 絵
Look of Music



 秋のとある祭日のこと。

「どっか出掛けない?」
 と伸は言った。その朝マンションの窓からは、爽やかな秋晴れの空が広く見渡せた。例え排気ガスの入り混じる都会の空気だろうと、格別に煌めいて見える時もしばしばある。だからこそ何処かに出掛けよう、この気持の良い秋の日を満喫しよう、と伸は思い立ったようだ。
 今年の夏も暑かった、今はその暑さも忘れ、朝晩は肌寒く感じる日も多くなった。木々の紅葉が徐々に進んでいるのが判る。建ち並ぶ店のショーウィンドウや装飾も、既に秋から冬へと模様替えを始めている。心地良い秋の日は短い。偶然良い条件に恵まれた今日を逃すのは勿体無い。ただ、予め予定を組んでいなかったこの日、今から計画して遠出するのは難しかった。
 朝食を終え、新聞に目を通していた征士は、
「どっかとは。何処に?」
 と返した。すると伸はお決まりの文句で、
「そうだねぇ、勿論海の方!」
 そう楽し気に返す。まあ彼に取っては春夏秋冬、海を見ることが活力の源であり、心慰められる行動であるのは間違いない。では海の見える何処に出掛けようと、何となく新聞の一記事に目を止め、
「うーん…、では外車の展示会でも行くか?、青海でやっている」
 征士はそう提案した。青海は最近できたばかりのショッピングモール、ヴィーナスフォートが話題である。広々とした美しい海の景色は臨めないが、東京湾の町の雰囲気は楽しめるだろうと考えた。そして伸は、それに相槌を打って乗ったのだが、
「ああ、いいよ。ハードロックカフェでお茶でも飲んでこよ」
 そこで思わぬ言葉を耳にした征士が、些か目を見開いて繰り返した。
「ハードロックカフェ…?」
 然もあらん。過去にも現在にも、征士とハードロックを繋ぐパイプは全く無かった。服装ひとつ取っても遥かに遠い存在に思える。果たしてそんな所に足を踏み入れて良いものかと、考えてしまう場面だった。
 けれど伸は気にならない様子でこう説明する。
「別に踊ったりする訳じゃないから御安心を。ただのカフェだよ」
「それならいいが…」
 提案した本人もまた、ハードロックのイメージからは遠い人物だが、特に不安を感じないようなら、征士も一応納得するしかなかった。
 因みにハードロックカフェはアメリカ発祥で、支店がこの度青海にオープンしたところだ。店自体は普通のカフェと何ら変わらないが、流れるBGMがハードロックであること、店内に様々なロックスターの写真や、縁ある品が飾られている点が特徴と言える。ある意味では適当な喫茶店より、纏まりがあり落ち着いた雰囲気の店である。
 しかし、多くの人は「ハードロック」と聞いただけで、近寄り難い雰囲気を受け取ってしまうものだ。伸はそれについて征士に、
「何でさ?、ハードロックごときを恐れるのか君は?」
 と、冗談混じりに尋ねてみる。ハードロックはひとつの音楽形態に過ぎない。それにより暴行が加えられたり、ドラッグを強制されたりする訳でもない。否、昔は反社会的レッテルを貼られることもあったが、時代の変遷により、ひとつのスタイルとしか言えないものになった。現在はハードロックテイストを折り込んだ楽曲など、Jポップにも溢れ返っている通り。
 故に、今更何を怖じ気付くのか、伸は是非とも聞いてみたいようだった。すると征士はこう言った。
「恐れてはいないが、馴染みのない者には場違いではないかと」
 そう、彼の弁はごく一般的な感覚だろう。単に「ロック」と言うなら、国内のミュージシャンの多くが該当し、特に異質に感じることもないが、日本では意外に多くの国民が、ハードロックとは何かを知らないからだ。何故なら世界的にも明確な線引きはしない為、全て「ロック」の中に含まれている。
 またその他のジャンルに比べ、活動するミュージャンが少なく、当然それに触れる機会も少なくなる。日本に於いては、本格的にそうと言えるプロは数える程しか居らず、確かに様子が見え難いシーンではある。
 さてそこで伸は、
「僕だってハードロックに詳しい訳じゃないけど、雰囲気を楽しみに行くのはいいじゃないか。他のお客さんだって、いかにもロックな感じの人は見ないよ」
 そう店の雰囲気を話し聞かせる。当たり前だが、例えヘヴィメタルに心酔しているとしても、職業が事務員なら普段は背広を着ているだろう。それと同じで、あくまで一般社会に馴染む形で、ロックの一面を紹介する場と言うだけだ。しかしそんな説明を聞くと、かなり想像と違うハードロックカフェと言う店が、征士には増々解らなくなって行った。
「そういうものか?」
 と、首を傾げる彼に対し、伸はより饒舌にその実態を話してみせる。
「そういうものなんだよ。どっちかと言うとそこまでハードロックに浸かってない人が、さらっと来る感じのカフェだよ。本当のロッカーはもっとコアな店に居るんじゃないの?」
「コアな店と言うと?」
「いや、具体的には知らないけど、アマチュアミュージシャンの溜まり場とかありそうだろ?」
「そうかも…知れんな」
 そこで漸く征士の頭にひとつのイメージが沸いて来た。仕事で北新宿へ向かった際、特殊な髪型で楽器を担いだ、如何にもな連中がビルの地下へと、次々吸い込まれて行くのを見たことがあった。一見では単なる雑居ビルだったが、そこはライヴハウスか何かだろうと思った。
 正にその通り、そんな地下活動をしているミュージシャン達。聴くだけでは飽き足らず、自ら作曲、演奏しようと思う程に好きなら、彼等だけの交流の場があってもおかしくはない。そしてしばしばそんな場には、レコード会社のスカウトが現れたりするのだろう。
 そして伸は、業界の神髄とも言えることを口にしていた。
「だからハードロックカフェって、アピール活動みたいなもんだと思う。まだ知らない人に、ハードロックの文化を広く知ってもらおう、みたいな」
 前途のように、ハードロックを主体とするミュージシャンは、世界的に数が少ない。けれど反戦運動の時代に、一世を風靡した重要な文化でもある。何故普通のカフェ然としているかは、普通の人に気軽に立寄ってもらい、嘗ての「平和を求める時代」を感じてほしい意図があるのだ。
 それは古い文化の発信であると、知れば征士も些か関心を向けられる。
「成程。では私のような入門者でも構わないのだな?」
 漸く承諾してくれそうな様子を、伸は嬉しそうに続けた。
「勿論だよ。でもレッド・ツェッペリンとか、ジミ・ヘンドリクスくらい知ってるだろ?、いくら君でも」
「…名前だけは」
「いや、曲も絶対何処かで聞いてるって。テレビのCMとか、色んな所で使われてるから」
 ハードロック好きの人間に取っては、それが最も歯痒い点ではないだろうか。伸の言うようにテレビCMや効果音、店のBGM、映画の挿入歌など、一般の人がハードロックを耳にする機会は多い。その中でも、特に知られた名曲が使われているにも関わらず、気付いてもらえないのは残念なことだ。
「無意識に聴く機会があるなら、馴染みがないとは言えないかもな」
 と征士が続けたように、実は普段の生活の中にも、ハードロックは多々紛れ込んでいるが、意識しなければそれがハードロックだと、判別しようがないかも知れない。何故なら、
「そうだよ、今の世の中ロックのリフやフレーズなんて、結構ありきたりに聞こえるもんだよ」
 伸はそう続け、現在の日本の音楽環境が、それなりに成熟していることを伝えた。幸い我が国は、戦後以降は自由に海外の文化を輸入して来た。日本人の物見高い精神のお陰で、現代音楽は世界の潮流に、あまり乗り遅れることなくやって来たのだ。だからこそ、ロックと言う音楽が当たり前に存在し、そのリズムが自然に生活の場面に溶け込んでいる。
 ハードロックにしても然り。そしてその時代を含む貴重な音楽史を、できる限り未来に伝えられれば素晴しい。日本は自由で進んだ文化を持つ国だと、大衆音楽の面からも理解されれば幸いだ。ハードロックカフェの存在意義は、そんなところだろうと伸は理解していた。
 ところがそこで、
「ただまあ、私は伸ほど何にでも馴染める訳ではないからな」
 征士は新聞を畳みながら小さな溜息を吐く。最近の彼は、それなりに現代の流行にも触れていると思うが、どうも自身の成長過程に、そうした現代文化を知る機会が殆ど無かったことを、引け目に感じているようだ。同時にそれが、音楽全般への自信の無さに繋がっているらしい。
 だがそれを知りながらも、伸は解せない様子で首を傾げた。
「そうかなぁ?」
 人の生活環境は様々であり、当然何かに於いて目覚めの遅い者もいる。中には成人してから、ある種の音楽にどっぷり傾倒する人もいる。なにも、頭から馴染めそうにない世界だと、決めてかかることはないと伸は思う。するとそれについて、
「ああ、もし人生が違えば、今頃伸は長い金髪で、ギターケースを持って歩いていたかも知れん」
 征士はそんなことまで言い出した。
「あははは!、皮のジャンパーに皮パンで、全身黒ずくめの格好してたり?」
 それは征士による、「伸はそれくらい柔軟だ」との表現だが、想像すると面白いので伸は大いに笑った。
 まあ、もし鎧などと言う物が存在しなければ、各々全く違う成長をしたに違いない。学校の友人に誘われ、学園祭でロックバンドを組み、そのまま音楽活動をする大人になったかも知れない。当初はハードロックやパンクのバンドで、正に長髪に黒ずくめ、毒々しいメイクをしたり、社会への反抗を剥き出しにした音楽をしながら、年令が上がると海好きが高じて、最終的にはTUBEのようなバンドになったかも知れない。
 或いはコンサート会場で知り合った誰かに、偶然バンドの欠員補充の話を持ち掛けられ、それがビジュアル系メタルバンドで、当初は控え目に代役として参加したものの、その内正式メンバーとなり、しっくり来ない状態のままプロデビューに至り、女性客にキャーキャー言われていたかも知れない。考え出すとこの手の想像は切りがない。
 ただ、それは征士にも言えることではないか、と伸は思うのに、
「私の場合どう考えても、その方向に進む想像ができない。音楽をやっていたとしても、邦楽やクラシックならわかるが」
 まだ思考の固まった発言をするので、
「いやいやいや!」
 と、伸は全力で手を振って見せた。彼には征士本人が気付かない、何らかの特質が見えているようだった。
「ダンスポップなんかに比べたら全然アリだよ!、軽い乗りのものよりむしろ、重厚なロックやブルースの方が君には向いてる」
「そうか…??」
「そうだよ!!」
 その通り、征士が黒人的なダンスを踊る姿は想像し難い。可愛らしい音色のテクノポップも似合わない。だが例えば、フラメンコを踊る女性の後ろで、クラシックギターを掻き鳴らすギタリストならどうだろう。黙々と魂のリズムを刻むミュージシャンなら、決して似合わなくないと伸は話したが。
「とても想像できないな…」
 結局まだ、征士の中にそのイメージは湧かないようで、伸はその助けになるよう、世界で知られたアーティストの名を例に挙げて行った。
「そうねぇ、僕の見立てではエリック・クラプトンとか、ジェフ・ベックみたいな求道者タイプのギタリストがいいね」
 そのふたりは「ロック三大ギタリスト」として、揺るぎなく世界に知られている。もうひとりはレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジである。ただ彼と違うのは、クラプトンもベックもロックバンド出身でありながら、ギタープレイへの拘りが強く、いつしか単純なロックからは離れて行った。クラプトンなど今や「ブルースギターの神様」だ。
 そのように、入口はロックでも、突き詰めて変容するアーティストがこの世に存在する。征士にはそんなストーリーが向いていると、伸は素直な感覚で誉めていた。
「あ、ジェフ・ベックはね、侍みたいな精神の人なんだよ!。剣をエレキギターに持ち替えたような」
「ん…?、それは面白い話だな」
 日々の鍛練と創意工夫、それに明け暮れる日々を過ごすなら、剣士もミュージシャンもあまり変わらないかも知れない。自身とのひとつの共通性を感じると、少しばかり気持の動いた征士は、果たしてロックの何たるかを理解してくれるだろうか?。
「一度聴いてみるといいよ、びっくりするから」
 伸はそう言って、ジェフ・ベックの「ブロー・バイ・ブロー」を、近い内に買って来ようと決めた。それは通常のロックファンにすら、難解な作品群のアルバムだが、玄人と言える世界中のギタリストに賞讃された、ひとつの最高到達点と認知されている。
 いい大人になって入門するなら、そんな究極の場所から入っても良いだろう。ロック自体は現代に吸収され、有り触れた曲に聞こえる世の中だ。寧ろ滅多に耳にしない、高度な異質さの方が判別し易いかも知れない。折角だから征士には、一番良いものを教えたい伸の親切だった。



 さて、青海方面へ出掛けると決めたふたりは、早速車に乗ってマンションを後にした。
 午前十一時。今から出掛ければ丁度そこでお昼時になり、何処かで適当に食事をした後、征士の好きな外車の展示会へ、その後、例のハードロックカフェに寄ると言う、時間的に申し分ないスケジュールだった。
 片道三車線の大通り、都会の町の酷く密集した景色は、普段と変わらず全体的にくすんで見えるが、今日は晴天の青空が心に勝り清々しかった。こんな日は本当なら、何処かの海沿いの道へ、好きな音楽を鳴らしながらドライヴに行きたい。残念ながらそこまでの時間はないので、せめてそんな様子を想像しながら、伸は楽し気に海の町へ向かっていた。
 その時ふと、征士の車のCDケースを開けてみると、そこにはジャミロクワイのアルバムが入っていた。何処から知ったのか、否、日本でも相当流行ったアーティストなので、「ドライヴ中にぴったり」とか何とか、雑誌等の触れ込みを見て買ったのだろう、と伸は思った。
 ジャミロクワイはイギリスのアーティストで、近年の音楽界に一大ムーブメントを起こした。一応ポップスに分類されてはいるが、ファンク、アシッドジャズの流れを組んだ特徴的な曲が多い。そのように近年の流行は、ロックとは一線を隔てたジャンルが増え、何処か変則的な楽曲がヒットする傾向にある。
 勿論時代と共に、人々が新しさを求めるのは自然なことだ。その中でしばしば回帰的な楽曲がヒットすることもあるが、過ぎた時代を思い、一抹の淋しさを感じるのもまた音楽だ。
 そこで伸は言った。
「でもハードロックってね、もう相当古い音楽なんだよ」
「そうか…?」
 征士がそう返したのは、「ハードロック」と言う言葉は、今も普通に耳にすると思われたからだ。まあハードロックと言えるバンドが、この世から消えた訳でもなく、日本ではビジュアル系バンドなどが、形を変えて継承していたりもする。
 それ故、特に古いとは感じなかったのだが、
「だって僕らが小さい頃に全盛期だよ?。ツェッペリンやディープ・パープルなんて生まれる前だよ」
 と伸の話を聞くと、征士は些か耳を疑うような顔をした。
「そんな昔が全盛期なのか??」
 何故ならいかに征士でも、テレビに流れるPVをチラリと観たことはある。髪を伸ばした外国の厳つい男達が、声を張り上げ、激しくギターを鳴らす映像は、そこまで古いものには思えなかった。或いは日本のミュージシャンのインタビュー等で、尊敬するアーティストはレッド・ツェッペリン、などとよくよく耳にする。若いミュージシャンがそう言うのだから、そこまで古いバンドの認識ではなかった。
 だがその認識の差には、こんなからくりがあると伸は話す。
「そう、純粋にハードロックと言えるものは、六十年代から七十年代がピークなんだよ。七十年代だとキッスとかも有名だけど、日本だと矢沢栄吉とかの時代だね」
「ああ…そう言われると確かに、少し前の世代の音楽と言う感じだな」
「だろ。それが僕らが聴く頃になったら、ハードロックから進化したメタルになり代わって、ハードロックはその下地の音楽、ってことになったんだよ」
 つまり征士がテレビで目にしたのは、ハードロックではなくヘヴィメタルだったようだ。否、ハードロックとヘヴィメタルの間に、明確な違いがある訳ではない。特に八十年代は、明るく健康的なヘヴィメタルが流行ったこともあり、ハードロックとメタルの区別は増々困難になった。例えばボン・ジョヴィのようなバンドである。
 ただボン・ジョヴィから見ても、レッド・ツェッペリンは偉大な先輩に違いない。華やかな長髪に激しいギタープレイ、派手派手しい見た目のスタイルを、世界で最初に打ち出したバンドである。何に於いても最初に始めた人は、時を越えいつまでも尊敬され続けるだろう。現代の中学生がレッド・ツェッペリンを好きでも、何らおかしいことではなかった。
 そんな経過や事情を纏めると、ハードロックとは案外、「古き良き時代の音楽」と言えることがお解りだろう。まだカラーテレビが標準化されていない時代、ロックは既にハードロックを生み出していた。アメリカで生まれたロックンロールが、ひとつの飛躍をした音楽スタイルだ。但し、
「他にもプログレとか、パンクとか、最近はグランジなんてのも流行ったけど、ハードロック以降のロックのバリエーションは、もう出尽くしたっぽいのがちょっとね」
 伸がそう続けるように、時代はそろそろロックの進化に幕を引きそうだと、薄々感じられる面があった。何事も進化を止めれば衰退するもので、形式は残るとしても、新たなムーブメントが望めないのは淋しい。音楽の限りではないが、現代はあらゆる分野に閉塞感が存在する時代だ。
「優れた文化も廃れる時は来るものだ」
 と征士が、版画の錦絵などを思いながら返すと、伸はうんうんと小気味良く頷きながら続ける。
「今はヒップホップやR&Bなんかの、黒人音楽が世界的にかっこいいよね。日本ではまだそこまでの感覚はないけど、これから日本でもロックは段々懐メロになって行くと思う」
「懐メロ…」
 そんな言葉は、親の世代を越えるほど昔を想像してしまうが、
「僕らがフォークを聴くみたいな感じ?」
 伸の例えが的確だったので、征士にもその感覚はすぐに掴めた。
「ああ、そのくらいの懐メロか。だがその世代には熱狂的支持を集めているような」
 そして彼もまた、正しい観察と思しき発言をしたので、伸は食い気味に話に乗っていた。
「そうそうそう、アメリカでもハードロックを聴く人の年令は上がってて、若い世代はヒップホップやテクノを聞いてるんだよ。何処の国もそうなって行くのかな」
 評論家の話では、音楽の進化は楽器の進化だと言う。クラシックも当初は弦楽器、管楽器が中心だったが、ピアノが生まれて以降は流れが大きく変わった。現代音楽に於いては、生楽器からシンセサイザーに発展したことが、大転換期だったと言えるだろう。ロックやフォークは、実際シンセサイザー以前の音楽だ。
 考えてみれば日本で、今現在新しいフォークグループなど、見たことも聞いたこともない。ビジネス的にはもう完全に廃れたジャンルだ。だがそれを続けるミュージシャンと、好む人々が残っている限り、シーンに生き続けているとは言えるだろう。比べてロックは、合成音を取り込んだ発展をしているが、さて、未来永劫続いて行くかは誰にも判らない。
「うーん…、世界中にこれだけ定着した大衆文化が、古典と化すことがあるだろうか?。国内では最近演歌は売れないと聞くが」
  他の文化と比較して考え難いと話す征士に、伸は彼なりの予想をこう続ける。
「クラシックだって流行り廃りがあったそうだし、みんな同じかも知れない。再発見される時があったり、ファッションみたいに繰り返すこともあるかも」
 だから今、身の回りに当たり前に聞こえる音楽を、意識してみる機会はあって良いと思う。それが時代の空気であり、各世代の耳の思い出となって行くだろう。ハードロックは既に彼等の思い出より古い音楽だが、学校で歴史を学ぶより、当時の雰囲気を知れる貴重な資料である。現代には現代の空気感があるように。
 つまり、どれ程文字を読んでも、戦国時代の武将達の意識は掴み難いけれど、音楽はその時々の感情を伝えてくれる。もう二度と目にすることはなくとも、耳は過去を感じられる特別な器官なのだ。
 と、一歩進んだ所へ想像を巡らせた征士は、
「まあ、現代に侍と言う職業が無いのと同じかも知れないな」
 唐突に方向違いな話題を繰り出していた。無論彼の中では繋がった話なのだが、
「えー?、それはちょっと乱暴じゃない?」
 と、さすがに伸は苦笑いする。これまで理解しながら聞いていたようで、全く理解していないのか、或いは何らかの関連に気付いたのだろうか?、と。
 学校の勉強では、武士とは士農工商のひとつの階級と習う。否、それは江戸時代以降のことで、武士、士族はそれ以前から存在した。日本最古の武士政権は平清盛の頃だが、王権時代の豪族である曽我氏なども士族と言える。今現在、戦闘行為を行う職業は、日本では自衛官や警察官のみだが、家系的に士族を引き継ぐ訳ではない。確かに武士は消えた文化のひとつと言える。
 つまり、現在国を動かす原動力は経済であり、経済の担い手は商人なのである。本来の武家の治世に、全体経済は重要ではなかった。彼等の家系を考えても容易に判ること…
 そこで伸はふと思い出した。毎年洋服の流行が変わる理由は、流行を仕掛ける人々が居るからだと。それが経済性だとしたら、流行りのJポップなどは正に、経済ベースで作られた音楽と言える。流行とは広く多くの人に支持されてこそだ。となるとその他のジャンルの音楽は…
「あー、でも例えると、侍はハードロック、民衆はポップスと言えるかもね?」
「???」
 さすがにその表現は征士に伝わらなかったが、
「ポップの言葉の元はポピュラーだよ?、大衆的ってことさ」
 伸がそう言い換えると、意外に征士にも飲み込めたようだった。彼はその時、能と歌舞伎の違いをイメージしていた。
 歌舞伎の隈取りや派手な所作は、現代アートに繋がる正にポップな表現だと思う。大衆とは記号化された判り易さを好む傾向があるのだ。能はその元ではあるが、内容が複雑な為に、多少教養を得なければ理解し難い。音楽を聴くことに教養は必要ないが、肌に合う人間の多さで言えば、圧倒的に歌舞伎の方だろうと判る。故に、「大衆的でない音楽」の意味は理解できた。
 ただ、大衆的でない音楽など多数あるだろうに、とも思う。
「なら黒人音楽などは…」
 考えた上で征士は続けたが、そこはやや知識不足だと伸は伝えた。
「うーん?、元は民謡だから農民の音楽?。ラテンもフォークもそう言えるんじゃない?」
 そう、農民の民謡であるなら、寧ろ現代音楽などより大衆的だと言える。日本の各地に土地の民謡が存在するように、黒人達にも各部族の民謡、或いは奴隷時代、アメリカの綿花生産の時代などで、彼等は労働歌的な民衆音楽を生み出していた。日本にあまり馴染みが無いだけで、世界的にはよく知られたことだ。
 人の生活に於いて、最も古くからある活動は農作業ではないか。それに従事する者が溢れていた古を思えば、音楽の多くはそこから生まれて来るとも想像できた。
 否、それは歌である。何ともなく口から零れるハミングが、歌と言う表現になったのではないか。一説にはそこから言語が生まれたとも言う。
 するとそこでまた征士は考える。
「クラシックは?」
 音楽と言う場合、必ず何らかの楽器が入るイメージだった。英語ではその区別が明確になっており、歌はソング、楽曲はミュージックである。征士の感覚ではポップよりクラシックの方が、侍の印象に近いと感じたのだが、それもまた少し違うと伸は返した。
「クラシックは発祥がはっきりしてるんだよ、宗教音楽から発展したものだから坊さんの曲ね」
 そう聞くと、確かに一部のクラシックはお経のように聴こえなくもない。現代楽器の多くがヨーロッパで発達した為、その背景が多分に含まれるが、主にカソリック教の布教の為に、その偉大さや荘厳さを伝える演出として、今言うクラシック音楽は発生した。日本で言えば雅楽に近いものだ。
 無論、雅楽と言えば朝廷の音楽であり、貴族の文化と言える。若干重複する歴史はあるものの、武士の音楽ではないと再び征士は納得した。
 では伸の話した、「侍はハードロック」とは何だろう?
 大衆的ではなく、労働的でもなく、宗教的でもなく、貴族的でもない。音楽論の知識を得ること自体は面白かったが、結果的に征士は考え込んでしまった。まあ、音楽を頭で考えるのは却って難しい。多く耳にすることでしか理解できない面もある。
 そこで彼はふと閃き、
「では、私達に似合う曲とは何か?」
 と、隣人に答を乞うように言った。その問いは慣れた相手に対し、優れた直感が発揮されたものだった。対象が侍に近い人間なら、その活動に合う音楽を伸は答えられるだろう、と彼は感じたのだ。
「へ?、そうだねぇ…?」
 すると伸は暫く空を眺めながら、静かに、聞こえ来る耳の記憶を手繰り寄せ、徐に征士の方を向くと、さも良い物を見付けたように答えた。
「オペラなんかどう?」
 そしてふたりははっと顔を見合わせた。
 現代的にはミュージカルが主流だが、歌劇と言えるものは現代にも多く存在する。映画音楽もその一部と言って良いだろう。単なる表現でなく、舞台設定や物語を含む音楽は、特殊な経験をして来た彼等には馴染むかも知れない。酷くしっくり来るとふたりは暗に感じていた。
 実はつい先日、征士は映画の「オペラ座の怪人」を観たばかりだった。内容は侍とは何ら関係ないが、憎しみだの殺人だの、劇的な出来事を表現する音楽としては、間違いないと鮮やかに感じられていた。それはクラシック要素を持つ器楽であり、個人の感情を表す歌でもある。
『私はファントム…』
 征士の頭には映画で観た映像と、聞こえた音楽がぐるぐると巡っている。一見華美で豊かなばかりに見える世界に、醜くどす黒い憎悪や執念も存在していた。それは当時のヨーロッパの縮図であったかも知れないが、特殊な舞台でありながら普遍的な感情が見える。
 ああそうだ、戦国武将も出で立ちは華やかだが、戦で人や地域を捩じ伏せるなど、凡そ麗しい行為ではない。鎧にはそんな要素が含まれるのだ、と、言葉として考えられた時、
『…いや良くない』
 征士には途端に否定の気持が生まれていた。何故なら己がファントムだとしたら、マスクの下に異常な精神を隠すイメージは、ある意味自身の在り方に被り過ぎていると、途端に恐ろしくなった。安易に伸をクリスティーヌとは呼べないと思った。
 思わぬ悪寒を感じた征士の横で、しかし伸は、勝手に「マダム・バタフライ」の歌を作り歌っていた。
「僕は〜侍の娘〜♪、ピンカートンは帰って来な〜い♪」
 それもまた、征士には嫌なイメージに思えた。舞台や映像は知らないが、「蝶々夫人」の話は彼も知っていた。元々家庭を持つアメリカ人が日本に来て、現地妻的に武士の娘と結婚したが、アメリカに帰ってしまい、夫人は武家の女の習わしのもと自害してしまう。当時の時代背景を考えれば、ノンフィクションでもおかしくない話だが、どう繕ってもピンカートンは無責任に感じる。
「侍繋がりだとしても、そんな配役は止めてくれ…」
 続けて落ち込むような思いで、征士はそう訴えたが、伸はただ面白がって話すばかりだった。
「そう言われても悲劇が多いじゃないか、オペラって。曲は美しいんだけど」
 そう、結局歌劇の曲に付いて来る、何処か暗さを包含した物語が邪魔だと思う。民衆の感動を引き出す手法として、重い題材が扱われ易いのだろうが、そこには人の持つ根源的な愚かさや残酷さが、素直に表現されているようだ。それはとても厄介なことだった。
 人間である以上、原始の感覚を避けて通ることはできないが、できれば私達のテーマは明るく進歩的なものであってほしい、と征士は思う。けれどそこで、少し様子の変わった伸がこう言った。
「不思議だね、悲劇の旋律は美しいんだよ」
「・・・・・・・・」
 良くない、ともう一度征士は心で復唱した。確かにヴェートーヴェンの「悲愴」第二楽章が、何故あんな美しいメロディなのかは、ぼんやり理解できなくもない。だが伸はそうした、内面的な真理に心を寄せがちなので、この雰囲気が続くのは歓迎できなかった。
 恐らく、苦悩の中に最高の美が存在し、死んだ後にそれが完成するとでも考えているのだろう。死の永遠に憧れを見るような君の横顔は、確かに美しい至福が感じられるけれど、それは私達の為にならないだろうと、征士はフロントガラスの薄汚れた景色を見ていた。
 現実は決して美しいばかりではない。だが死後が美しいとも限らない。
「何?」
 と、征士の物言いたげな様子に伸が問い掛けると、征士は途端に腹を括って返した。
「ならば私はハードロックを聴こう」
「えっ、マジ…?」
 これまでの流れで、征士が何故そんな意識に辿り着いたか、伸には想像できなかった。しかし音楽と言うものは、心臓の動きを変える効果があると言う。もし、オペラ的な抑揚の激しさが、君の精神を乱してしまうなら、そうだな、一定のコードで進行するロックの方が、君には良いのかも知れないと伸は思った。否、相手に先にそう感じたのは征士の方だったが。
 そんな、全く意外な経過により、彼等に取ってハードロックカフェの価値は上昇した。



 それから征士は一週間ほど、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバスなど、ハードロック御三家と言われるバンドから、その少し進化したバンドや、逆に起源と言えるバンドまでを聴き続けた。
 その結果、ハードロックと言えるかは微妙だが、彼はキンクスやヤード・バーズの曲が気に入ったようだった。少し古い時代のイギリスのロックは、スコットランドの伝統音楽の流れを組むと言う。その背景である牧歌的リズムが、彼には合っていたのだろう。
 気候の厳しさから生まれた心が、緑に彩られる夏の輝きを常に望んでいる。その共通する理想の景色が、征士の中にも描かれているに違いない。

 尚、ヤード・バーズと言う伝説的バンドには、嘗てエリック・クラプトンもジェフ・ベックも在籍していた。つまり伸の見立ては正しかったと言うことだ。









改稿コメント)以前の話は着地点を決めずに書いてしまい、いつか直そうとは思ってたんですが。いざ読み返したら文章自体が酷いので、結局全体的に手を入れました。前半の内容は変わってないですが。
そんな訳で、いかにも閃きの悪い時に書いた文章を、すっきり纏められて自分で嬉しいです(^ ^)。前より征伸らしくもなったし。
尚、私がハードロックに凝っていたのは中学の頃で、当時流行っていたLAメタル全盛期も、トルーパーが放送される以前のこと。ホントに古いです。なのに最近アニメファンにメタルファンが多く、アニメとメタルには親和性があるのか?、と不思議に思ったりします。確かに水木一郎さんとか、アニメ以外の枠で言うとハードロックな気はしますねw



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