曼荼羅
無 量 光
One Universe



 六月の上野公園は清々しい緑に囲まれ、犇めき合う都会の息苦しさをほんの少し、そこに居る間は忘れさせてくれる風情がある。
 東京のオアシスと言える大型の公園等は、皆元々は大名家の屋敷や寺社の敷地だったが、上野も寛永寺の境内であったことは有名だ。それだけに単なる公園でなく、何処か日本人的な心の穏やかさを感じさせる、独特な空気が流れているのだろう。
 上野公園のように保たれている土地はなかなか貴重である。周囲が下町だった為に、そこまで異様な都市開発はされずに来た。有名な芝の増上寺のように、境内であった場所に東京タワーやホテル等が建ち、ビジネス街も広がり、寺の山門が完全に境内の外に切り離された例もある。幸い寛永寺は首都の中心からは外れていた為、博物館や動物園など、落ち着いた施設が作られるに留まった。
 増上寺には江戸時代の礎を築いた、二代徳川秀忠公の霊廟が存在するが、都心のビルに浸食されまくったそこに比べ、寛永寺の幸いは何が齎したものだろう。何れも土地にはそれ以前の歴史が存在するが、今も穏やかな上野公園は恐らく元より、穏やかな土地だったと考える他に無い。
 そんなことを思うと、偉業を成し遂げ、都の中心に何らかの功績を残したとしても、後の世の保障は何も存在しない無常を感じるばかりだ。都は常に変容して行くしかない、東京然り京都然り。

「おかんむりだな」
 と、横を歩く伸の表情を見て征士が言うと、
「当たり前だよ!、二時間もボーッと待ってられるかい?」
 言われた通り彼は、眉間に皺を寄せ故意に不満顔を作って見せた。
 今日は六月最初の土曜日、天気は薄曇りで雨の心配はなさそうだが、上野の町自体の人出はそこそこと言う程度だった。祭日の無い六月は当然大型連休も無く、季節物のバーゲンがある時期でもない。アメ横も年末年始のような大混雑は、普段の週末には見られないものだ。彼等が日常的に目にしている通りの、通常の上野の風景がそこにはあった。
 ところが、ある一ケ所だけに人が長蛇の列を為している。
 そこが伸の目的でもあった為、予想外の人気を目の当たりにすると、「120分待ち」と言う時間の無駄が馬鹿馬鹿しくなり、こうして引き上げてしまったと言う訳だ。因みに、言わずもがなだが場所は国立博物館、現在行われている特別展は『大曼荼羅(まんだら)展』だ。
 さて、「待ってられるかい?」と問われた征士は、暫し考えると伸にこう返した。
「まあ…、絶対に他では見られないとか、他では手に入らない物がある場合は」
 するとそれには彼も同意して言った。
「そう、それならわかるよ?。数十年に一度しか公開しない物を展示してるとか、一度きりしか無いコンサートのチケットとかさ」
 特に後者の場合は、時が許すなら二日、三日前からでも並んで待ちたい物があるだろう。その時観る以外に味わえない価値があるなら、時間に対する価値も当然変わって来る。だが美術品など形ある物は、大概写真ならいつでも見られる為、無理に実物を観る必要はないと諦めることもできる。
 そう、本来はその程度の展示だった筈なのだ。それが何故二時間も待つ程になったのか、伸はまだ納得が行かない様子で不満を口にしていた。
「でもこの『大曼荼羅展』のさ、一応メインになってる東寺の曼荼羅は、結構何度も公開してるんだよ?。何であんなに並ぶほど人が来るんだよ!」
 ひとつ理由があるとすれば、多くは関西の施設で公開されている為、東京ではあまり見られない物である。ただ曼荼羅などと言う、図画としては地味で難しい物に、そこまで人気が出るのは確かに得心し難い状態だった。教科書に載っている有名な日本画、有名な仏像なら、普段その分野に関心がなくとも、観に行ってみようとする者が居るのは解る。けれど今回は一体何が人の関心を集めたのやら…。
 それを、征士はまた暫し考えた後にこう返した。
「うーん…、宣伝かな」
 実は数日前の新聞のラテ欄に、この展示を特集した番組があったのを彼は憶えていた。番組になるくらいだから、当然主催者はその他の方向にも、広く宣伝して回っていると伺える。するとそれを耳にした伸も、
「ああ、そうそう、余計な事をしてくれるよね。変に宣伝されるとホントに見たい人以外の、ちょっと物見高い連中が押し掛けて来るから嫌だよ」
 そう続け、有り難迷惑な現状に更に腹を立てていた。否、それは伸の視点での話で、展示会そのものは慈善活動ではないのだし、
「まあ、主催側は人が大挙してくれる方が有難いだろうが」
 資本主義を謳う国では仕方ないことだと、征士は話したが、そんなことは伸も重々理解できていた。その上で彼はこんな意見を持っているようだった。
「それならそれで!、少し高くてもいいから人数限定の日とか、人数限定の時間を作ってくれてもいいじゃないか!。見て勉強したい坊さんの卵や、東洋美術の美大生とか可哀想だろ?」
 確かにそれは一理ある。実体験を本当に必要としている人が、まともに見られないようでは、貴重な展示会もただの見世物小屋と同じだ。収益だけを見られては、真面目に勉強したい人間の迷惑になる。故に、価値を認める人がそこそこ居そうな物なら、入場に格差を設けても良いのではないか。
 ただそこで征士が首を捻り、
「ん…?、何かそんな宣伝を見たような…?」
 と呟くと、まさか自分が情報を見落としていたかと、伸は必死になって彼に問い掛ける。
「えっ!?、何で話してくれないんだよ!?」
「いや、この『大曼荼羅展』ではなく別の話だ」
「ああ、何だ…。でもそういうシステムが何処かにあるってこと?」
 ひとまず己のミスではないと知り、しかし伸は今後の為に、そんな形式の展示会こそチェックしようと、意欲的に話を聞きたがっている。そんな相手の様子を見れば、征士は必死にその記憶を手繰り寄せるしかない。幸いなことに比較的最近の記事だった為、徐々にその情報は形を成し、征士の頭に鮮明に浮かび上がって来た。
「確か…何処かのクレジット会社だと思うが、上級会員向けサービスの中に、何かの一般公開前に学芸員も同行して、人数限定で観られる観賞会があったのだ。四十人程度だったから恐らく抽選だろうが、カードを所持していれば誰でも申し込めるようだった」
 それは伸が望むより更に高級な企画で、学芸員の案内付きと言うからには、参加費もかなりお高い観賞会なのだろう。だがもし今回の『大曼荼羅展』に、その企画が存在すると知っていたら、伸は間違いなく申し込んでいたと考える。学芸員の説明が聞ける機会など滅多に無いし、ある程度高価だとしても、それこそ価値があると彼が認めるからだ。
 寧ろ今からでもその企画をやってほしいと、声を大にして訴えたい気分だった。
「そんなの全然気が付かなかった。チケットだけなら、貸し切り公演の抽選とかよく見るけど、そんな特別な企画もあったんだ」
 と、目を見開いている伸は、知らなかった自分にショックを受けているのか、或いは考えが甘かったと猛省するように、その瞳の色を暗くさせている。薄曇りの今日は公園内の木々も、あまり美しい緑とは言えなかったが、それをそのまま映したような、曇る彼の心境が征士にはやや痛々しく感じられた。彼が今日をどれだけ楽しみにしていたか判るので。
 それなら、決してそれは伸の落ち度ではないと、改めて宥めるだけだった。
「恐らく無料会員は申し込めないものだろうが」
「あー…そうかぁ…、有料のカードは一枚しか持ってないからなぁ…」
 そこには多分に運も含まれると、理解した伸は漸く諦めがついたように言った。クレジット会社は多数存在するが、相当に豊かな人物でも、全ての会社で有料会員になるとは思えない。またどの会社がいつどんな企画を提供するか、知りようもないことなので、誰しも偶然巡って来る事にしか関れないと、そのシステムに納得する他なかった。
 取り敢えず自分が持つ某社のゴールドカード、それとは別系列の、征士が持つ某社のゴールドカードなどの、DMやサイトだけはよく見ておこうと彼は思った。しかしそれにしても、そんな行動は伸なら「彼らしい」と表現できるが、征士がそんな事をチェックしているとは意外だ。
「でも何で君、そんなのに気付いたの?」
 実に素朴な疑問として伸はそう尋ねた。征士は彼ほどエンタメや展示会などに、広くアンテナを張る性格ではない。すると征士は、何故か少しはにかむように笑い、
「え?」
 と、明後日の空の方に視線を向ける。そんな仕種は記号化された合図であり、敢えて言葉にしなくとも伝わる事だったが。
 予定外にがっかりさせられた、今の気持を埋めるように伸は敢えて音にした。
「僕の為?」
「まあな」
 何処を探しても完全な幸福など存在しない。最大限に尽力しても手の届かぬ事など、世の中には山程存在するものだ。だが失意に気持を寄せてくれる誰かが居るなら、それでいいと現状を甘受することもできる。人の幸福感の基礎はその辺りに在ると、敢えて何も言わず見守ってくれる征士に、伸は漸く不満顔を直してこう言った。
「んー、残念っ!。だったら尚更君のカードに、『大曼荼羅展』の特典が無かったのが悔しいよ!」
「運が無かったな」
 そして、過ぎた事は忘れるが吉と前を向く伸は、
「今日はもういいよ、不忍池の睡蓮でも見て、僕なりの曼荼羅図を想像するとしよう」
 視線を既にその方角に移し、暑くも寒くもない過ごし易い初夏の、温室のような景色に意識を乗せ始めていた。六月の不忍池は一面が睡蓮の紅と緑に飾られ、梅雨の時期の象徴的光景となっている。鎌倉の紫陽花のように騒がれはしない分、知る人ぞ知る心の憩いである。
 そこに今日、見る筈だった夢を伸が展開してみせると言う。
「むしろその方が面白いな」
 果たして伸の描く曼荼羅とはどんな物か、征士は展示会などより余程関心を持ち、俄に明るくなった伸の顔を覗き込む。すると彼はそれに応えて笑った。
「東寺の立体曼荼羅よりすごい物ができると思うね、僕は」
 わざとらしくアーティストを気取って話し、ガラっと場面転換を計った伸だが。
 考えようによってはふざけた態度とも言えない。知られた絵画や造形物の展示に、無闇に人が群がる現代ではあるが、如何なる創作も天然の美しさにはかなわない面がある。人の想像は全て、天然に存在する物の模倣から始まっていると、デザイン史などで知られる通りで、自然発生的に形作られた全ての物は、皆優れて美しいと言えるからだ。
 毎年この時期になると、頼まれもせずに水面を埋めて行く睡蓮の花は、正に美しい世界のサイクルを描いていると思える。その法則的な景色に伸が何を見ているのか、征士はその場所までの、散歩的な緩い道程を楽しみながら歩いていた。
 君の曼荼羅には何が描かれているだろう?。例え十年、それ以上傍に居る相手であっても、心の内を全て見通せることはない。また己が知らぬ己の心と言うのも、皆必ず抱えているだろう。だから人はもっと相手を知りたがる。より魅力的な何かを見付ける時が必ずあるからだ。



 平日午前のような時間帯では、全く閑散としていることもあるが、さすがに土曜の昼にはそこそこ人の姿が見られた。彼等と同様にのんびりそこを歩く人々は、また彼等と同様に水面を彩る、睡蓮の賑わいに視線を向けているのが判る。前途の通り寛永寺の庭と言う立地を思えば、その景色は極々東洋的な美観に感じるが、それこそ有名なモネの絵画をイメージする人も、中には存在するかも知れない。
 どちらにしても水辺の景色とは、不思議に心休まるものだ。見晴しの良い場所に足を止めると伸は、周囲の花の様子をひとつひとつ見回しこう話した。
「まずね…、あの大きいのが大日如来ね。その上が阿弥陀如来、右が不空成就如来、下が阿(閃)如来、左が宝生如来だよ?」
 丁度良い大きな一輪の花を最高位の仏とし、周囲に四つの少し小さな花が咲く、その一角を伸は曼荼羅の中心と定めたようだ。それを聞くと征士はすぐに、
「金剛界曼荼羅だな」
 との言葉を発した。今日日本に続く仏教の上では、金剛界、胎蔵界の二種類の曼荼羅のみを、教えの基本として珍重しているが、本来はアジアの幾つかの宗教に、多数の形の曼荼羅が存在している。その中から何故二種類が選ばれたかは、これが釈迦の表現した曼荼羅である為だ。つまり最も優れた考え方と思われる曼荼羅なのだろう。
 図柄の中の、仏を五体ずつ収めた円を月輪(がちりん)と言うが、釈迦の瞑想の中では月に五仏が、東西南北中央と配置される形が、精神的真理と捉えられたそうだ。それは少し、我々鎧戦士の在り方にも似ていると、征士には以前から感じられる話でもあった。また、
「そう、それが中心の成身会で、そこが三昧耶会、そっちが微細会、その上が供養会、向こうが四印会…」
 中心を取り囲む花株の固まりを、伸はそれぞれそう命名して行った。会は「え」と読む仏のグループだが、伸が話した五つの会は皆、大日如来を中心とした仏らしいグループなのに対し、その続きの一印会は大日如来のみ、更に理趣会以降は、人の煩悩を擬人化した仏以外のグループと言う、不思議な構成なのが金剛界曼荼羅の面白味である。
 全てで九つの会があり、五つと四つ(正確には五、一、三)に別れるのも、彼等の鎧との共通点である。無論迦雄須がそれを意識したからだろう。
 ただ、そこまで想像しながら征士は一言伸に尋ねた。
「ふーむ…、だが胎蔵界曼荼羅の方がわかり易くないか?。東寺の立体曼荼羅もそうだろう?」
 そう、普通の感覚なら観念的な金剛界より、意味として判り易い胎蔵界曼荼羅を選ぶ。中央から外へと、大きな物から小さな物へと広がって行く、宇宙の始まりのような構図は、デザイン的にもポピュラーで親しみ易いものだ。因みにそれは、功徳を積んで仏と化して行く過程を表しており、間違い易いが仏の格付けなどではない。大日如来以外は誰が特に偉い訳でもないと言う、仏教的な思想が反映されていると言う。
 それに対し金剛界曼荼羅は、仏教的悟りを開くに当たり、如何なる精神を心に描くべきかを説いたものだが、
「それは僕の好みで」
 と、実に軽く返した伸には、別段仏教的悟りへの気負いのようなものは無く、ただ己を見詰めるツールのように感じているらしかった。仏道に関わりない一般人には勿論それで良いと思う。
「金剛界の方が好きか…。伸らしいと言えばらしいかもな」
「そうだろ?。僕は別に仏様の絵やフィギュアを見たい訳じゃないし」
 確かに見た目が映えるかどうかで言えば、胎蔵界曼荼羅の方が圧倒的に格好が良い。もしプラモデルのような物を発売するなら、絶対に胎蔵界曼荼羅の方だと征士も思う。だがそんな興味ではないと言う伸の回答は、彼の意識を征士により理解させた。
「それもそうだな、宗教的な絵や像は布教の為に作られた物がほとんどだ。伸には入門者用の物はもう必要ないと」
「そこまで悟りが開けた訳じゃないけどさ!」
 半ば冗談として話した征士の言葉を、伸もまた冗談で返す。現代日本人の多くがそうだが、彼等も特別熱心な仏教徒ではない。ただ古来から存在する宗教的な教えには、それぞれ何かしら人の糧となる、優れた理念や教訓が含まれるもので、
「まあ心の中のイメージだよね、大事なのはさ」
 と伸が続けるように、古からの人間観察により成立した、知恵のひとつを借りているに過ぎない。この場合はより良く己の心を保つ為に、曼荼羅と言う思考装置をちょっとお借りした、と言う話だった。
 思考装置と記すのは、本来仏教・密教の教えは大変難しいものであり、ひとつひとつ言葉や文字で説明するのが、困難なことから生まれた視覚的説明であり、最初に日本にそれを持ち込んだ空海も、そのように伝えたと記録が残っている。曼荼羅とは元の言葉で、「本質を有する物」「完成した物」の意味であり、それを見続けることで仏教的観念が備わる装置、と言える物だ。
 ただ御存知だろうか、ある時インド旅行にやって来たスイスの心理学者、ユングが曼荼羅と言う物を初めて目にし、とても興奮してこう話した。
『マンダラこそひとつの個としての人間の完成像であり、すべての道はそこに通ずる』
 ユングは現代心理学の基礎を築いた、フロイトと共に並び称される偉大な学者だが、東洋の宗教概念など知らない筈の彼が、その思考装置の意味をすんなり理解したのだ。暮らす地域、人種、文化など、人間はひとりひとり違う背景を持ってはいるが、根底の部分は皆同じだと、心理学者ならではの発見をした訳だ。
 つまり描こうと思えば、神道的曼荼羅を描くことも可能であり、キリスト教的曼荼羅でもイスラム教的曼荼羅でも、元の題材は何でも良い。要は見る人の心が人間的に成熟する為の、助けとなる形ができていれば構わない物なのだ。
 そこに自ずと気付き、否、気付いた意識があるかは定かでないが、ごく穏やかに心惹かれる様子の伸は、かなり知的レベルの高い心を求めているようだ。元々馬鹿な人間と感じる面は無いが、彼は今それ以上に何か、研ぎ澄まされた思考や精神に触れたがっている、と征士には思えた。
 外部に対する勉強も大切ではあるが、己を見詰め整えることも大切な作業だ。より向上したいと願う伸を見ていると、征士はどうしても、この美しい六月のふたりの風景を破壊する、野暮な話をしなくてはならなくなった。
「う〜〜〜ん…」
「何?」
「それなら伸のイメージの為に、少し不粋な事を言ってもいいだろうか?」
 池の睡蓮に漂う東洋の幻想。伸の描く曼荼羅も恐らくとても美しいだろう。だがしかし、美的であれば中身はどうでもいい物ではない。恐らく彼も「本当の事」を知りたがっている筈だ。すると、
「ははは、いいよ、そういう言い方をする時は、何か僕が間違った想像をしてるって言いたいんだろ?。君の方が詳しい事だから何でも言ってよ」
 軽やかにその通りのことを返すので、多少は話し易くなった空気の中、
「いや、曼荼羅とは直接関係ないんだが、」
 征士はその、根本的な間違いを伸の為に正し始めた。
「睡蓮と蓮は別物だ。と、知っているか?」
「…それが?、何なの?」
 彼がキョトンとしているのは、読んで字の如く睡蓮は蓮の仲間であり、厳密には種が違うことは誰でも判るからだ。それを敢えて言及するのにはこんな訳があった。
「仏が乗っている花は、共に『蓮華』と言うことで区別しないが、仏教の神々の大元、ヒンズー神話では蓮に意味があって、睡蓮とは区別されているのだ」
 つまり本来は、仏の座は睡蓮でなく蓮でなければならないようだ。
 けれど伸は様々な図画や仏像を思い出す。大陸的な極彩色の華やかな曼荼羅、寺や僧院を飾る鮮やかな彫像などに、睡蓮のような赤い花は多く見られる。白い花、白に少し紅を差した花も見るが、そもそも睡蓮に比べ蓮の花は、花弁の幅が太く枚数も少ない為、現在見られる蓮華のデザインは全て睡蓮に思える。征士の言う説が本当なら何故そうなったのだろう?
「そう言う変化は、中国の環境のせいかな?」
 元となったヒンズー教の出所、インドと中国ではやや気候や地形の違いがある。土地が違えば目にする植物も違うだろうと、その程度の推論は彼にも容易にできた。征士もそれは否定せずこう続けた。
「そんなところだろう。中国はインドに比べ、睡蓮の方が身近な花だったのかも知れん。またこう、水の上に花がポツポツ浮いているように見えると、いかにも仏の台座のようだからな」
「ああ…、確かにイメージしやすいね、座布団みたいな感覚だ」
「そんな安易な発想を伸は嫌がるので、一応説明しておいた」
 ここでは至極簡単な話に留めたが、恐らくは前途の通り、デザイン的に睡蓮の方が様になるとか、目立つ赤い色の方が好まれたとか、複数の理由があったのだろう。だが征士は真に伝えたい事がぶれぬよう、細かい事は敢えて話さなかった。そして彼の意思がそのまま通じたかのように、伸は睡蓮のデザイン性などには全く触れず、話の本質を正しく見い出していた。
「で?、本当は蓮だった意味は?」
 そこにこそ征士が言いたい何かがあるのだろうと、彼も解っていて率直にそう尋ねる。そして征士は彼が一番欲しがっている物を与えることができた。
「それは家にある蓮の姿を思い出せばわかる。泥の中からスッと一本伸びて咲く様が、気高い神の姿とされていたからだ」
「ああ…!、それ凄くわかる!」
 彼等のマンションのベランダの隅に、古い漬物用の壷を鉢にして育てている、大賀蓮の花は今年は蕾を付けなかった。マンションの管理人の老婦人から、株分けしてもらった物だが、二千年前の種から再生した古代蓮として知られている。多くはこの蓮も紅からピンクの花だが、伸が貰った株は白い花を咲かせた。なので尚更そのイメージは解り易かった。
 蓮の管理はそこまで難しい訳ではなく、水さえ充分なら放っておいても良いのだが、大事なのは泥であり、そこらの土や一般園芸用の土では駄目だ。特定の水田用の土を買い求める必要がある。それだけ滑らかな泥でなければ蓮は育たない。同種のレンコンなどもそうだろう。
 そうレンコン、蓮根はインドで観賞用の花として育てられていたが、中国に渡った際に食用となった。机以外は何でも食べると中国人が揶揄されるのは、そんな話から来ているのかも知れない。現在の日本の栽培種はその、中国から渡って来た品種なので、花は綺麗だが古代蓮とは少し異なる姿をしている。
 また泥にまつわる話と言えば、伸にもひとつ思い付く事があった。英雄ギルガメシュの冒険譚、その背景である古代オリエントの話だ。
「泥から花が咲くって、泥から命が生まれるメソポタミア神話みたいだね。インドは隣の文明だし、人伝にその考え方も伝わったんだ」
「だと思う、メソポタミアと同様インダス河のデルタもある、泥から命が生まれる発想は理解し易かっただろうな」
 高速の移動手段が存在しない時代も、陸続きの場所は皆人の行き来があった。中央アジアとアラビアの間にはザクロス山脈が聳え、一見分断されているように見えるが、後にペルシャとなるペルシスの土地から、アラビア方面へ行くことは可能だった。先に繁栄していたメソポタミアの文化を、インドに持ち込んだ人々が存在した。それが中国へも渡った道程が、伸の頭の地図に明確に描かれて行った。
 全ては水辺の文明の流れ。水辺に生まれた命と、恙無く降り注ぐ光の歴史だと。
「ああホント、スッキリ全部繋がった感じ」
 ここに来て伸が、殊に晴れ晴れしい顔をしたせいか、
「蓮や睡蓮は地下茎で繋がっているからな」
「あ、あはは!、上手いことを言う」
 受け狙いで話したことも彼は素直に笑った。それで良い、展示会に対する不満も、曼荼羅の解釈に対する迷いも、最後に楽しい気持で終わるなら良いと征士は思う。
 蓮と言う植物は、その頑丈で太い地下茎が、全ての株を見えない泥の中で繋いでいる。彼等は、と擬人化して言えば、決してひとりで生きている訳ではないが、それぞれ独立して立ち上がる力を持っている。また花の咲く株もあれば、花芽を持たない株もあるが、皆それぞれに根を広く伸ばそうと努力している。まるで我々人間の姿のようでもある。
 人の社会に於いて、真に大切な事は目に見えぬ所に存在する。と、植物が示してくれたなら、確かに蓮の花は神の贈り物かも知れない。互いに強く繋がっていられるよう、個々も広い努力が必要なのだ。そう感じさせる花を前に征士は、もうずっと前から知っていると言いたげでもあった。
「そう言われると確かに、睡蓮はちょっと違う気がする。白い花ならもっと神々しいかも」
「ヒンズーでは白い蓮であることが絶対だ。インドの美の女神は『蓮女』と書くくらいで、清廉さの象徴でもあるんだ」
「成程。僕も神話には白の方が似合うと思う」
「話せばそう言うだろうと思った」
 伸の求める根源的な何か、深層に隠された原型的な何かに色があるとしたら、それは鮮やかな紅色をしているだろうか?。否、彼が曼荼羅の上に見い出し、常に惹かれているのは、何とも形容できぬ力を持った白色の世界だ。彼が客観的に見ている自分自身の、心のイメージに間違いはないだろう。何故なら彼は曼荼羅を知っている。混沌から秩序へと向かう、眼前の白い光を伸はいつも目指している。
 それが彼の精神を安定させる神話だからだ。
「ま、僕はもう清い体じゃないけどね〜」
 清廉と言う言葉に、最後はやや毒付いて笑うのも、彼が非常に平穏である現れだと征士は感じている。それなら余計な茶々と思われた、蓮の話をして良かったと、彼もまた穏やかに笑うことができた。



 不忍池の鮮やかな仏教世界を離れつつ、不忍通りを根津の方向に歩いている。展覧会を観る時間が丸々空いた為、根津を通り越し更に先の千駄木へ行き、穴子の美味しい店にでも行こうと話し合って決めた。近頃はこの辺りを谷根千などと言い、風情あるエリアとして紹介することもあるが、まあ比較的昔の東京の雰囲気が残る一帯である。
 寛永寺周辺が何故、増上寺周辺に比べ変化が少なかったかを、首都の本当の中心から外れているからだとしたが、この谷根千地域を歩いていると、もうひとつ大きな理由があることに気付く。この地域は寺社や墓地が多く、無闇に整地して開発することができなかったからだと。
 否、首都の中心にも青山墓地や、泉岳寺周辺など寺や墓地は残されているが、明治期の廃仏毀釈の際、立地の都合などで多くが姿を消した。運良く免れたものだけが今も存在するが、その強制的廃業が、谷根千地域にはあまり及ばなかったようだ。当然人の多く暮らす地域の近くには、弔いを行う寺社や墓地も必要だ。その為に選ばれた一帯だったのだろうと考えられる。
 だからこの地域は清らかな空気が感じられ、身が清浄になるような感覚をも得る。例えすぐ側の大型幹線道路から、大量の排気ガスが漂って来ようとも、科学的な事実とは別に、心は清々しい景色を感じられるのだ。
 皇居を中心としたここは曼荼羅の上の、果たして何に当たるかは判らないが、人はそこに何らかの安らぎを見い出している。
「今更だがひとつ聞きたい」
「ん?、何?」
「何故曼荼羅などに興味を持ったのか。仏教美術などにはさして興味もないだろう?」
 のんびり歩く中で征士がそう尋ねると、
「そうだねぇ…?」
 伸は少し首を傾け、暫し考えた後にこう言った。
「僕らの命なんて歴史の中のほんの一瞬だけど、曼荼羅は神の視界だから永遠を感じるだろ?。そう思えると不思議と安心する所があるんだ」
 決して人には手に入らない物。秦の始皇帝が不老不死の薬を探させたように、誰にも生きている限り逃れられない不安が存在する。それは「己」と言う自我が消滅することだ。何故なら己が存在しなければ、愛する人も愛する世界も無に等しい。積み重ねて来た大切な思いを何の甲斐も無く、詮無く手放し終わってしまう人の果敢なさを、誰もが暗に悲しんでいるからだ。
 心が常に無であれば、そんな不安は生まれはしないが、釈迦の瞑想の域に達する人は至極稀だろう。愛に指向を持つのが普通の人間であり、指向ある愛には悩みも生まれる。伸に取って曼荼羅とは、そうした不安を慰めてくれる物のようだ。
 確かに、外から時間を見ることができるなら、全ての命は永遠と言えるだろう。私達も永遠にそこに存在しているだろう。と想像し、
「私達は永遠だと言うことか?」
 と、征士が多少ふざけて返すと、
「フフ」
 そんな適当な解釈も、伸は納得して受け入れているようだった。一度口先だけで含み笑いを見せ、その後にくるりと征士の方を向くと、
「そう言っておこうかな!、お誕生日祝いとしてさ」
 彼は満面の笑顔で言った。贈るのは自分だと言うのに、彼自身がとても嬉しそうだった。征士はそれこそ一番の人の幸福ではないか、と、己に問いながら、いつまでも今の彼を見ていたかった。
「有難い話だ」
 この記憶が86億4000万年の、ブラフマーの一日に残れば良いと思った。



 ただ、俗世に生きる者には睡蓮の花もまた美しい。それは別の視点の話である。









コメント)聞き慣れない仏教用語が多いので、一見難しいように見えるけど結構単純な話です。征士も伸も世界も時間も全て繋がってますよと言いたいだけ(笑)。因みにお釈迦様は紀元前500年くらいに生まれた人だけど、蓮と睡蓮が種を分けたのは更に遠い昔なので、お釈迦様には最初から蓮と睡蓮の区別がなかったんですな(^ ^;。
あ、勿論ですが前半部分は最近話題になった、「若冲展」の320分待ちの話から引いてます。それと(閃)としてある部分は、日本語として変換できない字なので、似たものを仮に表記しました。本当は門構えの中に人が三つ入る字です。



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