都会の空の当伸
H氏のバケーション
Vacation of Mr.H



 秋らしい話題も盛りを迎える九月の終わりだった。

 都市の風景は何処も似たり寄ったりだと言われるが、自分が慣れ親しんだ都市はもっと、賑やかで親しみのあるものだった。建物こそ近代的なビル群に成り代わり、軽薄そうな横文字に飾られてはいても、そこに集う顔見知りも見知らぬ人も、誰もが昔ながらの隣組みのような感覚。それが「街」というものだと長く思って来た。むしろその方が特異な例だと気付いたのは、割と最近のことだ。
 梅田の気安さに比べ、東京は素っ気無い街だとは知っていたが。

 当麻は今年の春から東京に住んでいる。彼の素質からすれば当然かも知れないが、天下の東京大学にあっさり入学してしまった。関西にも有名大学は多く存在するので、その名前に特別魅力を感じた訳でもないが、新しい環境を望む気持は、誰もが一度は持つものかも知れない。
 又他の仲間達も進学の為に、遼と征士が上京することを聞いていた。既に一年前に越して来ている伸と、元より横浜に家が在る秀を合わせると、柳生邸での合宿時代とまではいかないが、全員が極近い距離に集まることになる。だから一人だけ引っ込んでいるのも決まりが悪かった。否、有事の際に有利な条件を作っておくのも大切だろう。まだ本当に、『正義の味方』を降りられたのかどうかは確証がなかった。
 けれど、そうした様々な考えで上京した割に、彼は最近何処となく心許ない心情を抱えていた。ずっと一人暮らしの様な生活をして来た、当麻には一人で過ごすことは苦にならない筈だが、思い描いた様に上手く行くことばかりではなかった。
 当麻の選んだ町は、慣れない者には多分に冷たい印象のする界隈だった。東京大学の周辺には、文教地区の高級住宅街も、下町の風情を残す雑多な住宅街も、学生のアパートが多く集まる場所も存在するが、彼はわざわざ隣の千代田区に住むことにした。交通の利便性等もあるが、その一番の理由は、秋葉原にすぐ行ける場所だったからに過ぎない。彼の関心は専らそんな事に向いていた。
 都合が良い、便利である、条件を満たしている。
 誰にしても大体そんな基準で部屋を選ぶけれど、果たして利便性と合理性が豊かさの条件かと言えば、必ずしもそうではないだろう。そこが当麻の誤算だったようだ。彼の選んだ神田の一角は、想像以上に殺伐として当麻には感じられていた。住人達は忙しなく道を行き交うが、都会らしい灰色を被った風景に馴染むが如く、誰もが示し合わせた様に口を噤んで、ニヤリともしないのだ。
 否、長くここに住む者には知れている事だが、この辺りは所謂『江戸っ子気質』の強い町だった。普段どちらかと言うと無口でしかめっ面の人々は、話し出せば途端に口の悪さばかりが目立つ。それだけではなく、彼等は気性的にも厳しい住人だった。何故なら元は皆、何らかの職人の家系だからである。長く江戸の町の発展に貢献して来た、最も頑固で誇り高い民衆と言えよう。
 まあ、そんな知識を多少なりとも持ち合わせていれば、半年も経ってから、見当違いにがっかりする事もなかったのだ。加えて言えば、一般的なスーパーマーケット等が殆ど存在しない為、現代的な生活はし難い土地でもあった。

 その日当麻は、大学の講議を終えた後にサークルに顔を出すと、「機材入れ換えの為使用不可」との張り紙を目にして、そのまますごすごと家に戻って来た。因みに彼の所属する天文物理学サークルでは、電磁波スペクトルによる天体観測が盛んに行われていたが、それを視覚的に表現するグラフィクスコンピューターが入ると、得た情報は大学以外の企業等に、資料として提供し易いメリットが生まれる。
 その為の機材入れ換えがあると、一月前くらいには大学から通達があった。昔ながらのアナログ機材ならともかく、電子機器とは、一部が使えなければ全てが使えないものだ。なので当麻はあっさり諦めて帰ることにした、そんな経過だった。
 東大の在る文京区は高台の町である。その証拠に御茶ノ水の駅を降りると、どの方向に進んでも下り坂になる。当麻は普段通り神田方面への、なだらかとは言えない坂を下って歩いていた。まだ夕暮れには間があった。ぼんやり明るい昼間の空の下、線路の向こうには些か慰めに感じられる、秋葉原の電飾群が次々に現れて来る。賑やかで楽し気な雰囲気に餓えているなど、凡そ自分らしくないと当麻は苦笑している。
『これが都会的な風情と言うもんかね』
 そんな状況でも、彼の思考は常に理性的ではあった。

 雑居ビルの隙間にひっそりと建つ彼のアパート。割合新しい建物で、ホテルのロビーを思わせる外観はなかなか洒落ている。だが、左右に聳える壁に挟まれて何しろ暗い。白色のタイルが貼ってあるにも関わらず、眩しく反射する程の陽の光に恵まれない立地だ。その狭い間口の前に、その日は見慣れた人物がしゃがみ込んで居た。
「よっ」
 秀は当麻の姿を捉えると、小さく片手を上げて声をかけた。着ている暖色系のシャツの柄が、辺りの色調から妙に浮き立って見える。彼は色々な意味で存在感のある人物だ。
「何だ…どうした?」
 立ち上がろうとした秀のすぐ前まで来ると、当麻は何の気無しに問い返した。意味も無く立ち寄ったとは思えない、秀の家からここはやや遠いだろうと当麻は思う。すると秀は、
「べっつに、大した用じゃねーんだ。あいや、用って言えば用かな」
 と、要領を得ない返事をして笑うのだ。
「何なんだよ」
「ここじゃちょっと〜」
 ふと見ると秀の足許には、異様に大きな袋包みが置かれている。段ボール箱がそのまま入っているような、妙に体積を感じさせる荷物だ。恐らくそれが理由だろうと気付かない当麻ではない。
 取り敢えず秀の頼み事を聞いてみようと、当麻はオートロックのキーを開けて、ロビーに入るようにと秀を促した。すると彼は普段見せない様な慎重さで、そろそろと袋を持ち上げ、大事そうにそれを抱えて歩いて来る。その様子から察するに、中身はそこそこの価値を持った物だと当麻は考えた。
 それが自分の利益になるかは判らないが、何かを期待させたのは確かだった。

 都会のアパートと言って、比較的広めの1DKの部屋は、半年で既に本や機械類などに占拠されつつあった。これを『当麻らしい』と評したら、本人がどう思うかは知らない。だが気兼ねしないでいいと、秀は来る度に思っていた。
「こいつを直せねーかなーと思って」
 そしてその部屋の真ん中に広げられた荷物とは、
「…どこで見付けて来た?」
 形式は古いが、その頑丈そうな作りから、今でも充分使用に耐えると思われる、無線機だった。
「ガッコ。新しいやつが入ったから、壊れてんのは持ってっていいってよ」
 秀は商船系の短大に通っていて、当面の目標は二級船舶免許を取ることだった。横浜と言う土地柄からも、彼の趣味からしても良い選択には感じられる。
 しかし、船と無線機は切っても切れないものだが、
「…いいよなー…」
 と当麻も、かなり羨ましそうに溜め息を吐いた。
 使用目的から言えば、二人の観点はかなり違ったものだろう。秀は単純に学習の為の道具として、又気象情報など世界各地を旅する目的の上で、情報を集めたいと思っているらしい。だが当麻には『一般に入手できない情報』こそ魅力的だ。正に科学者とジャーナリストの間に育った子供、という意味では素直に育ったクチなのかも知れない。
 又秀の通う大学とは違い、国立の学校では例え壊れた器材でも、おいそれと備品を貰えたりするものではない。何故ならその半分は国民の税金でできている、私物化する事はまず認められないのだ。様々な条件を比較して、良いと思える学校を選んだとしても、結局メリットデメリットはあるという例えだろうか。
 その後、二人は暫く無線についての談義と共に、そのどっしりとした無線機の外観を眺めていた。そしてふと、当麻は棚の上に無造作に置かれていたドライバーを手に取り、背面のカバーを外して内部をしげしげと観察し始めた。
「直せそーかー?」
 使う事はともかく、内部構造についてはあまり知識を持たない秀は、当麻の思考を邪魔しないよう大人しくして、机の上に出ていたスナック菓子を勝手に食べている。すると、
「んー、中の埃を掃除して、焼き切れてる線を取り替えてどうか、って感じだな」
 当麻は好感触な見解を示して来た。
「埃のせいで、電源系統がショートしたんだと思う。多分他は故障してないんじゃないのか」
 大学の実習室など、公共の場所に設置される器材は概ね、使用頻度が高く傷み易いのは確かだ。が、一般例と同じく疲労から来た故障と判断されたなら、実にラッキーな箇体を貰って来たようだ。使えれば正に儲けものだった。
「早速買い出しに行くとするか」
 そして簡単に復旧できそうだと目処が付くと、当麻はすぐそれに取りかかろうと、さっさと出かける支度を始めていた。と言っても財布の中身を改める程度のことだが。
「へ?、今やんのか?」
 立ち上がった当麻を振り返り、やや頓狂な声を発した秀には、
「丁度暇だしな」
 当麻はそう告げて、もう玄関へと歩き出していた。空き時間があると思えば、彼の行動はせっかちと思える程早い。恐らく貴重な時間を無駄にしない為の、当麻なりの合理性に基づいたことなのだろう。そんな行動パターンを秀は勿論知っていたが、
「へへっ♪」
 敢えて文句も言わず、楽しそうに当麻の後を付いて出かけて行った。それには理由があったので。

 当麻のアパートから電気街までは、大人の足なら五分で歩ける距離だった。電子機器の修理には正にもって来い、「こんな出来事もあるもんだ」と思うと、当麻は自分の居住地選択は間違いでもなかったと、判断基準を見失ってしまうようだった。結局物事は、予め考えて用意した条件を満たしていても、起こる事象に拠ってその価値を変えてしまう。
 そう、誰かがこんな風に、自分を当てにして来てくれる時は良い環境だが、それは頻繁に繰り返される日常ではないのだ。大概は大学とアパートとの往復であり、よく見る顔と言えば一部の学友と講師や教授達、それ程親しいとは言えない間柄の集団。そしてアパートの周辺には、未だ馴染めない近所の住人達。そんな中に在って、彼は今周囲を取り巻いている現実、これまでに感じたことのない孤独感を知ったのだった。
 一人で過ごすことには慣れていた筈が、毎日でなくとも、見知った誰かが帰って来る家とは状況が違うと、当麻は今更ながらに自分の甘さを感じていた。誰かが言っていたように、実は甘ったれな面を持ち続けているのかも知れない、社会の厳しさも聞き知ったつもりでいるが、実際はどうだか怪しいとさえ思う。天才と呼ばれても人間であることには違いない、まだほんの十九年にも満たない人生だ…。
 電気街の大通りから一本裏の道に入り、当麻がよく足を運ぶ電気部品の店で、銅線等一通りの材料を買って外に出ると、辺りは鈍い夕空の天幕に被われていた。今日は一日冴えない曇り空だった所為か、まだ冷え込む季節でもないのに、上着が欲しくなる肌寒さを覚えた。
 これからが秋本番と言う季節だが、こうして都会の中で過ごしていると、テレビのニュースや旅番組等で騒ぐ程、生活には関係がない事のように感じられる。紅葉だの味覚だのと、実際それを売りにした商売もある訳だが、まるで作り話のように感じられるから不思議だった。去年までは、こんな気持にはならなかったと当麻は回想している。
 すると横を歩いていた秀が、ふと思い出した様にこんな事を言った。
「そういや俺、一昨日偶然伸に会ったんだぜ。渋谷のハンズで工具見てたら、丁度横の階段から降りて来てなぁ。クーラーボックスなんか探してるから、どっか行くのかって聞いたら、いい時期だから、征士と一緒にドライブ旅行に行くんだってよ。あいつら夏にもどっか行ってなかったっけ?、優雅だよなぁ」
 と、秀は口で言う程、僻みっぽく思ってはいなかった。ただ話題を面白くする言い回しをしているだけだ。けれど、
「奴らのことは俺にはわからん」
 当麻は明らかに不快そうに答えた。それが何故なのかははっきりとは解らない。
「おいおい、そんな突き放した言い方可哀相じゃんよ。大事な『仲間』なんだからよー」
「知るかい。それを言うならあいつら既に『仲間』の域を越えてる」
 解らないのだが、彼等に対して当麻が快い感情を持っていない事は、少し前から気付いていた秀だった。それは比較的最近に始まったことだ。以前は一緒になって、特別な繋がりを持ったふたりをからかって遊んでいたが、その記憶はまだ全く新しい。
「…羨ましいのか?」
 秀は一応そんなことを聞いてみたが、もしそうだったとしても素直に応えやしないだろう。
「阿呆か」
 と、当麻は平常心で一蹴して見せた。
「だったら何で不機嫌になるんだよ?」
 まあ、大方の予想は付いていたのだが、結局秀はいつも自らは言わなかった。相手の弱点を攻撃するのは好きじゃなかった、特に仲間と思える人間に対しては。だから応えない当麻には、ただ悪戯っぽく笑って返すだけだった。
 それはきっと、ひとりだけ親が授業参観に来ない子供の心境だと思う。同等の存在に感じていたクラスメートから、突然違いを見せつけられるような差別感。否、現状の形容としては若干違う面もあるが、恐らく、心が感じる相対的な幸福感に於いては、同じような事ではないか?。と、秀はそれとなく当麻の様子を感じ取っている。
 だけれども、今それを深く追求しなくとも、何れ彼にも自分にも解る時が来ると考えていた。未来を信じられるなら、気長に答が出るのを待っていられるだろうから。
 孤独も必要あって存在する概念かも知れないだろう。



「…これで完了。っと、後は正常に動くかどうかだな」
 アパートに戻るやいなや、当麻は脇目も振らず作業に取りかかっていた。そのお陰で、完全に日が落ちる前には必要な修復も済んだ。集中すれば兎に角素早く適格に手が動く、見ている者を感心させるだけのものがあった。
 そしてコンセントを電源に差し込むと、彼等の期待通りにスイッチランプが点灯する。
「お!やった!」
「やっぱり大した故障じゃなかったようだな。こいつは儲けモンだよ」
 通電さえすれば問題はないと思われた。当麻は正面のパネルに並んだつまみや計器を確かめ、それらを適当に調節してみる。本格的な設定は後でするとして、まずは動作を確認する為に。そして周波数を合わせるダイヤルを回すと、小さなスピーカーからはラジオチューナーの様な、微弱な雑音が聞こえたり消えたりし始めた。これは間違いなく「使える」証拠だった。
「流石だなぁ当麻様よ」
「そんな大した事はしてないけどな」
 秀のおだてに乗った訳ではないが、予想通りの結果になったことは満足だった。先程まで不貞腐れていた姿は何処へやら、当麻が至って気分良くしている様子は、無論秀にも見て取れるものだった。
「良ーかった〜…、ヒッヒッヒ…」
 そして、秀の目論みもこれで達成されたのだ。修理に尽力してくれた当麻を思うと、最早笑わずには居られなかった。
「?、…何だよ?」
 不可解な笑い声を訝しみつつ問い掛ける当麻。まるでネタに気付かない様を観察するのは、相当愉快な余興ではあった。通常は逆の立場であることが殆どなので、秀には特に面白く感じられるようだ。けれどつい先程の、頑に何かを拒絶する当麻を見てしまった以上、勿体振る態度は得策でないとも考えられた。今の当麻は少しナーバスになっているようだと。
 だから秀は簡単に種明かしをした。
「じゃ、これは俺からのプレゼントって事に」
「あ?」
「おまえ忘れてんじゃねぇのか?、九月も今日で終わりなんだぜ?。ま、俺の計算では修理に十日と見て今日持って来たんだが、ちと予定が狂ったぜ」
 当麻は改めて満面の笑みの秀を見る。
 聞けば「成程」と、当麻は笑われた理由に衒い無く頷くこともできた。自分を出し抜く程に、秀にしては巧妙な仕掛けだったからだ。予め譲るつもりの物を、その本人に快く修理させるとは。
「ああ…」
 そして何故だか、当麻の口からは安堵の息が漏れていた。留まる事なく変わって行く事象の中から、変わらないものを見つけられたことが、嬉しかったのだ。
「ありがとう…」
 己の利益になるかどうかは判らなくても、大事な友達、大切な仲間の為に手を貸すのは、当たり前だと思って過ごしている。しかしだから当たり前に返って来るものもある。己が大切に思うと同様に、大切に思われていることが解る。そんな単純な社会行動がとんでもなく嬉しかった。
「今は誕生日くらいじゃ、流石に全員集まったりしねぇけどよ。誕生日なんて、自分に取っちゃ大した事でもねぇもんな。でもみんな忘れてる訳じゃねぇんだぜ」
 更に秀はそんな事を付け加えた。改めて言う程の内容でもなかったが。
「わざわざそれを言いに来たのか…?」
 当麻はこそばゆい雰囲気を掻き消すようにそう返す。そこで、秀は思い出したように、 意外な言葉を後に続けていた。
「ん、ああ、さっき言いそびれたが、『当麻は淋しがってるんじゃないのか』って、伸が言ったんだぜ」
 意外でもあり、多少面白くない事実だった。
「一人で気侭にすんのが性に合ってるとしても、今は親父さんも、俺達も同居してる訳じゃねぇからってさ。伸はいちいち人をよく見てるよな、『まったくだ』って、思わず笑っちまったぜ」
 そこまでを話すと案の定、当麻は先程と同様の態度を示していた。否、それを確かめる為に秀は故意に話を戻したのだが、簡単に乗って来る当麻も珍しいと思う。仲間の内の誰かの行動が、意外にも当麻には重要な事なのかも知れない。
「…フン、お節介なことだ」
 本人を前に言えば激怒される言葉だろう。
「だーかーらー、そういう言い方はよせって」
 けれど秀はもう、彼を心配だとは感じていなかった。何故ならそんな態度もまた、当麻の昔からの習慣だと気付いたからだ。両親と離れて暮らしていた彼には、己が感じている不満を、何処にどうぶつけて良いか判らない所があるのだろう。そんな様子は以前にも見て来た。ただその対象が、親から別の所へと変わっただけなのだ。
 それを証明するように、当麻の矛先は常に以下のふたりに向いていた。
「まったく伸の奴ぁ、征士のことだけ考えてりゃいいだろうが。征士も征士だ、実家から離れた途端人格変わったぞ、あいつ」
「あのなぁ」
 そんな風に謂れの無い事で当り散らされたら、本人達にはさぞかし迷惑だろう。誰も悪くはない状況だからこそ、当麻にしても、感情のやり場に困っているようだった。
「そんなに悔しいンか?」
「どんな意味だ!」
 そして答えに迷いながらも、自分には明ら様に不満顔を向けて来る当麻が、秀の目には酷く子供染みて映るので可笑しかった。嘗ては神童と唱われ、今は現役の東大生でありながら。
「クッククク…」
「おい、変な勘繰りをすんなよ」
 さて、秀の嘲笑をどう受け取ったのか、当麻は秀のシャツの襟首を掴んで引き寄せていた。可能性は低いが、喧嘩腰とも取れる態度を敢えて見せている。秀はと言えば、無論当麻のプライドを傷つけるつもりはないので、
「わかってる、わかってるって!」
 慌てることもなく、しかし強い語調で言い聞かせる。間違いなく、言葉を言葉として受け取ってもらえる様に。
『当麻が欲しがってんのは、本当の家族みたいな繋がりなんだろな』
 だからだ、と秀は理解していた。
 自分や遼にしても、そうそう当麻を尋ねて来たり、絶えず連絡を取っている訳でもないが、それについて文句を言われたこともなかった。当麻と言う者は何に於いても平等に、均衡を保って居ようとするからだ。常に偏ることなく、皆が皆均等に和平を結んで居られる状態が、当麻に取っての理想の環境なのだろう。けれど思うようにはならないこともある。
 時間が経つ毎に、それぞれの見る所が変わってしまうのは仕方のないことだ。それが大人になって行く過程だとしたら、尚責める理由にはならない。
「前みたいに、みんな一緒に居られたら一番いいんだけどよ!」
 襟を掴んだままの当麻の頭を、秀が拳で小突くと、当麻は遣る瀬なさそうな顔をして笑った。なまじ頭の良い奴だから、却ってこんな時は、解り過ぎてしまう事を不憫にも秀は感じていた。



 夜空を見上げていた。
 十日も早いお祝いに、少しばかり高級な食事をした後の満足感を、星だかライトだか解らない雑多な輝きの上に漂わせていた。思えば一度、あの暗い宇宙に漂っていた事があるのだ。そこから見下ろした地上の景色。広いと思っていた世界は意外にも小さかった。そして全宇宙の規模から言えば、こんな小さな場所にこだわるのは、馬鹿馬鹿しくも思えて来たものだ。
 広い世界を、広い知識を得れば得る程に、全てを広く受け止められるようになれる筈だった。
「…旅行か、俺も休みに入ったら何処か出掛けるかな」
 今は静かに秀の話を思い出しながら、当麻は吹っ切る様に聞かせていた。すると「待ってました」とばかりに、秀は勢い良く答える。
「おう!、だったら一緒にアラスカ行こうぜ!」
「ああ?」
 そしてこの冬に計画している極地ツアーの説明を、秀は揚々とした調子で捲し立てていた。多少アルコールが入っていたせいか、普段にも増して饒舌な彼の話は、些か耳に煩い程だった。
 それは観光旅行と言うより、大方冒険の趣きに満ちた計画だったが、今は、当麻が選択に迷うこともなかった。何故なら彼には『一般に入手できない情報』こそ魅力的だからだ。未踏の土地に常に憧れを持って、着実に踏破して行く夢を見る秀のことだ。彼の行く先にはいつも、詰まらない日常の記憶を塗り替えて行く、新しい発見があるに違いないと思う。
 だから当麻は虚勢を張らずに受け入れていた。

 未来を信じられるなら、誰もが気長に待っていられるだろう。
 冬期休暇を、子供の様に楽しみに待っている自分など、他の誰にも知ってほしくはなかったが。









コメント)2001年に発行した本から、改校、加筆をしての公開です。当時、相当短い時間で書いた話(3日くらい)なので、さぞかし荒い文なんじゃないかと思っていたら、案の定でした(^ ^;。結局かなり細かく直して、何とか納得できる形に仕上げたと言う感じです。本を買ってくれた方には申し訳ない…。
ともあれ、単独の当秀本は初めての発行だったので(ブームの当時からひっくるめても)、一番いい感じの当秀の雰囲気を考えた話の展開は、自分でも気に入っている作品です。タイトルはジャックレモンか誰かが出演の映画から。
ところで発行順はこれが一番最初でしたが、話の時間的な順序はこれより「FIRST WORST」の方が先です。なのでサイトではその順に並べました。そして、お気付きの方もおられましょうが、話の最後に秀が言う「アラスカ旅行」は、結局行けないままで終ってしまいます。この殆ど直後くらいに「Message」が来ますので…、今更だけど当麻可哀想ですね(^ ^;。




BACK TO 先頭