夢の少女
もし君が
大人になった時
#1
You Can Select Yourself



 校庭の木々が緑に覆われる頃、新たな生徒の顔ぶれにも漸く馴染んで来る。
 あの少女のことは知っている。
 俺は担任じゃない、専攻の違うクラスの新入生だが、とても可愛い娘だと方々で言われている。専門的に女子の少ない学校だから、そんな話が広まるのも速い。既に学校のアイドルと言っていい存在だが、本人にその自覚は無いようだった。
 何故なら、少女の印象はいつも朧げだ。常に笑っているがその声は微かだ。
 あまり自己主張をしない、大人しい娘なんだろう、と思う。

 紺色のセーラー服の襟と、白のタイが風に緩く靡いている。並行して流れる茶の髪は陽のように明るい。印象的な瞳は若葉のような瑞々しい緑だ。薄桜色の皮膚には貝殻の滑らかさと、些かひんやりする硬度を感じさせ、その細い指や小さな唇は、器用に動くとも思えぬ静的な美がある。
 汗臭い年頃の生徒達が、皆はたと立ち止まり、思わず目を奪われてしまう異質さは、恐らく見た目だけでなく、育ちの違いもあるのではないか。何処にでも居る普通の娘ではないと。
 そう、少女の姿を言葉に表すと、あまり人間味が無いとも言える。
 ところが今、彼女は俺の前に立っている。
 通りかかった花壇の隅の、萩の花に隠れていた少女は、話したこともない俺を何故か呼び止めた。人の姿の少ない時間帯でなければ、その蚊の鳴くような声に気付かず、通り過ぎていたかも知れない。そして存在を現した彼女は、暫しもじもじと迷いながら、薄く頬を赤らめていた。
 この状態は、いくら疎い俺にも察しが着いた。
 高校生は子供じゃない。
 卒業後、母校の教師と結婚する例は、いつの時代にもしばしば聞かれる話だ。
 突然の出来事で、いきなりそこまで想像はしないが、さて君は俺の人生に、後々まで関わる人だろうか、とは瞬時に思う癖が付いている。教師として最低限の責任は自覚しているつもりだ。
 初めて至近距離で見た少女は、そうだな、二十歳くらいになったら、輝くほど綺麗になるだろうなと感じた。但し君が選ばなければ、俺はその姿を見ることもないだろう。
 君が今の気持を憶えていてくれれば嬉しい。教師は大半の生徒に取って、ほんの数年の時の住人でしかない。不満を抱くのも職業柄おかしな話だが、稀に、しばしば、切なく思う時も無くは無いんだ。
 もし望めるならば。
 もし君が大人になった時、俺を選んでくれたら…
 けれど結局彼女は何も言わず、殆ど顔を上げることもせず、震える手で一通の封書を差し出すだけだった。俺がそれを摘むと同時に、彼女は野兎のように逃げてしまった。

 透かしの入った白い封筒の裏を返すと、丁寧な細い文字で「毛利伸子」と書いてあった。
 毛利…。毛利と言えば有名な武将の姓だ。可愛い顔をして厳つい苗字やな…
 ああでも君は可愛い、可愛い…



「いい加減に起きないか!」
 がなり立てるルームメイトの声に目を覚ます。夢のような時は、正に夢だったと知らせる友の顔が、地獄の門番のように恐ろしく見えた。元々そんな造形の顔立ちをしているが、こうしてほぼ毎朝、寝起きの悪い隣人を起こしてくれるのは、親切な人物である証拠だろう。そして、
「何度ベルを鳴らしたら気が済むんだ」
 その言葉に思わず息を飲み、時計を見ると途端に我に返る。
『もうすぐ八時じゃないか、ヤバい、一限の数学の宿題やってない』
 事態を意識すると即座に起き上がった。

 彼は羽柴当麻君と言う。
 そう、彼は高校教師なぞではない。一般的に言えば高校一年生、正確には工業高等専門学校の一年生である。基本的に寮制の学校の為、入学以降は校内の寮で寝起きしている。空気の良い片田舎の学校は敷地も広く、校舎も寮も近年建て替えられたばかりだった。最新設備が整っていると知ると、彼はこの学校への入学を自ら選んだ。
 周囲にろくに娯楽が無いのは、学習や活動に打ち込める良い環境でもある。関西のとある町中で育った彼には、人や騒音の多い都市での生活は、少々煩く思えていたのだろう。半数程の生徒はそんな意識で入学して来ると言う。
 何しろここはある点で有名な高専である。子供の数が減少するこの御時世、それなりの入試倍率を保つには理由がある。彼はその良い環境を勝ち取った訳だが、学習意欲はともかく、染み付いた生活習慣は、三ヶ月程度では変え難いようだった。
 彼は寝坊、遅刻の常習犯である。母親が早く離婚したせいか、男二人の家庭は長く好き勝手になっていたらしい。その様子にルームメイト、伊達征士君と言うが、日々苛つきながら世話を焼いてくれている。根本的に気の合う所があったのは幸いだ。でなければ放置されていたかも知れない。
 ルームメイトの方はもう既に、所属する剣道部の朝練を終え、朝食も終え、支度して教室へ向かうところだった。授業の開始は八時半だが、彼はいつもある程度早く部屋を去り、もうひとつ参加している、生徒会室に顔を出すのが習慣になりつつあった。
 推薦されるままクラス委員を引き受け、概ね優等生的な生活を送る彼は、知らない生徒にはかなりお堅い人物に見られている。独特の話し口調もそう感じさせている。だが同室に暮らしてみると、実は面白い奴だと当麻は知った。見た目に反し子供のような人間だとも。
 彼は時間制御で動くアンドロイド。決して規則を逸脱しないアンドロイド。表情の乏しさも、作り物のような見た目もそれなら納得できる。内部に収められたAIは、常に興味ある対象を分析しているのだろう。内心いつも彼は笑っているようなものだ。
 ただそれは通常時のこと。
 今は半ば怒っているので、恐ろしい気を発しながら近付いて来た。
「ぼーっとするな!、動け!」
 征士の言葉通り、実は半身を起こしてからも尚、当麻は動き出してはいなかった。物を考える頭は戻って来たが、身体を制御する神経が眠ったままなのだ。その情けなく鈍化した相手を見兼ねると、征士は実力行使の手段に出るしかなかった。
 即ち微睡みたがる上掛け布団を取り上げ、
 否、取り上げようとしたのだが、
「だ、だっ…!、待てよ待てよ!」
 思わぬ所で当麻は動き出した。引っ張られた布団を異常な力で引き戻している。何事か?と征士も同時に驚いてしまう。
 だがそこは同じ年の男子だ、苦笑いする相手の顔を見れば、あえて問わなくとも理解する事だった。ただでさえ激しい寝坊だと言うのに、まだ夢の余韻を断ち切れないとは呑気なことだ、と、溜め息を吐きながら征士は言った。
「早くしろ…」
 そう一言で片付け部屋を出て行く、彼の配慮は的確だった。だから当麻はひと月もしない内に、ルームメイトを信用する気になったのだろう。征士が部屋のドアを閉めた途端、ベッドから飛び出した彼はトイレに直行した。

 こんな場面はまあ、男子寮に於いては日常茶飯であろう。知られたところで恥じる訳でもなく、取り立てて騒ぐほど幼い世代でもない。誰も皆よくある事と流すだけだ。
 だがそれを最も意識していたのは、他ならぬ当麻本人だった。何故なら寮生活が三ヶ月を過ぎた今、初めてこの夢を見たと判るからだった。何が切っ掛けか、或いはすっかり寮に馴染んだのかも知れない。昔の夢が戻って来たことには、何やら奇妙な幸福感があった。
 あの少女のことは知っている。
 恐らく何処かで会った人だろうが、固定したイメージを持ちながら、誰なのかは思い出せないままだ。これまで幾度も夢に登場した人物で、余程執着する何かがあると彼は感じている。これと言った記憶も無いのに、恋するように見ているのは不思議なことだ。
 それとも既に恋している?。そうかも知れない。彼女のイメージが夢に現れる度、彼は実際喜んでいるのだから。
 因みに幼い頃家を出て行った、母親には似ても似付かぬ人物像である。また彼はこれまで、女子がセーラー服の学校には通っておらず、実家の周辺で見るデザインでもなかった。蛇足だが高専に制服は存在しない。高専のアイドルと呼ばれる女子が居るそうだが、関心の無い彼は見に行くことも無い。となると、一体いつ何処で憶えたキャラクターか、謎めく印象も強くなっていた。
 夢の中では確か、毛利何とか言う名前が記されていたが、果たしてそれは彼女の名だろうか。自身の事ながら、問い掛けても夢は答えてくれない。
 ただひとつ言えるのは、睡眠中に見る夢は一種の生理現象であり、意識の有無に関係なく、目や耳で受信した情報を反芻する。その時の心理状態により、様々な記憶を引き出し組み合わせ、アレンジして再生する脳の活動である。
 それなら彼女は、実在する可能性が高いのではないか。生きた人間以上に印象の濃い存在を彼は知らない。それ故いつまでも忘れないのだと。
 いつまでも、いつも、君は間違いなく俺の記憶に存在している…



「まーた寝坊かよ?」
 数学の授業が始まった後、十分遅れで当麻はこそっと教室に潜り込んでいた。しかし同じクラスの仲間達も、恐らく数学教師にも、彼の状況は知れていただろう。何しろ一目で判る特徴があり、授業を終えると早速声を掛けられた。
「頭が雀の巣だぜ〜?」
 ポケットから愛用の櫛を取り出すと、甲斐甲斐しく彼の髪を整えているのは、クラスで最も仲の良い友人だ。彼は秀麗黄君と言い、工作技術科を専攻している。電子工学科の当麻とは、基礎教養の授業でしか顔を合わせないが、いつしか気の休まる友人として親しくなった。
 否、世話を焼いてくれるから気に入ったのかも知れない。どうも当麻と言う人は、一目置かれるセンスを持ちながら、周囲に放っておけない気持を引き出させるようだ。優れた面があるからこそ、些かだらしない面も温かく見られている。
 しかも秀は、何故当麻が起きがけのような姿で、授業に遅れて来たかを知っていた。実は当麻には今、何より必死に取り組んでいる事がある。その為に毎晩三時頃まで、彼は個人的な研究に没頭しているのだ。
 目下の第一目標は、秋に地方戦の始まる「高専ロボコン」に、自前のロボットで出場することだった。そう、この高専は上位入賞の常連校であり、彼はそれを目的にここへの入学を決めた。今はそのロボット制作の真っ最中であり、日々試行錯誤を繰り返す状態だった。
 ただ、テレビで放送される本戦には、一校につき二チームしか出場できない。慣れた先輩率いる五年生中心のAチーム、三年生中心のBチームがそれに決まっているが、地方戦は自由参加枠がある為、一、二年生のCチームも練習に出場予定だ。そのリーダーに、何故か入学したばかりの当麻が選ばれた。その例でも彼が如何に、センスを評価されているか判るだろう。
 また若きリーダーにはもうひとつの期待がある。今後ロボコン部全体を纏め、牽引する力を付けてほしいと、先輩や顧問から注文された形だ。さすがの厚遇に、期待を裏切ることはしたくないと、彼は初年度から全力で努力することとなった。
 それは十六年ほどの彼の人生、最初の苦難でもあった。
 言わずもがなであるが、人生はそう上手く回るものではない。
 リーダーの指名を受け、意気揚々とロボット制作を始めたところ、彼はすぐ困難な問題に直面した。一、二年生のCチーム内にて、基礎設計の方向性が衝突してしまった。当麻の意見に特に反対するのは、設計工学専攻の真田遼君と言う、同じ一年生の生徒だった。
 彼の話すところ、当麻の案は耐久性に問題があると言う。そうした技術的な指摘には納得するが、どうにも性格が合わない人物のようで、癇に触る言葉の遣り取りをしては、腹の底で反目している状態だった。恐らく巧い折衷案を出せなければ、チームをひとつに纏めることも難しい。
 まだ在籍三ヶ月で、頼れる教員も人脈も、地元の協力者も知らない当麻は、問題解決に孤軍奮闘するばかりだった。そんな様子をそれとなく感じる秀は、彼に協力できる事を考え続けているが、今のところ材料を切り揃える程度しか助けにならず、残念に思う毎日を過ごしていた。
「今日の夕方以降空いてるか?、外枠を組むのにちょっと人数がほしいんだが」
 と誘われても、
「あー午後はずっと実習なんだよな〜。役に立たねぇな、済まん」
 今日もそう返すことになってしまった。誰しも自身の将来への訓練は疎かにできない。それを最優先するのは当然だが、秀は後ろ髪を引かれる思いを噛み締めていた。義理堅い彼には、困っている友人を助けることも同等に、大事な事だと感じているからだ。

 さて、幾度か手伝いに来てくれた秀は、今日は参加できないと言う。では他に誰を誘えるか?、当然第一候補は隣のクラスの征士である。約束すれば信用できるのは間違いないが、彼は情報工学が専攻で、ロボット作りに直接役立つ存在ではない。まあ今は金属枠を連結する際に、支えてくれる力があれば充分だが…
 しかし、
「今日は生徒会の定例会なんだ」
「あっ…、今日水曜だっけ…」
 彼のペースを崩さぬよう、昼休みを待って呼び出したと言うのに、剣もほろろに断られてしまった。今はそのふたりしか宛が無い当麻は、もう先輩チームに頭を下げ、誰かを回してもらうしか無いところだ。幸い五年生のリーダーを尋ねると、ベテランだけにチームには割合余裕があり、ある先輩を一時回してくれる約束を取り付けられた。
 ホッと胸を撫で下ろして一息。
 ところがそんな時にまた、意外な展開が待ち受けていた。
「おーい!、当麻〜!」
 階段を降り切った踊り場から、廊下の奥で手を振っている秀が見える。その明るい声色は、何か朗報を伝えてくれるに違いないと思った。
 途端彼は足早に廊下を突き進んだ。近付いて来る見慣れた友人の顔は、正しく何らかの幸運を掴んだように破顔している。取り敢えず助っ人は頼めたが、出来れば継続して参加できる協力者がほしい。ともすれば秀は望み通り、そんな誰かを見付けてくれたかも知れない。
 明るい期待を持ちながら、他の生徒をすり抜けて行くと、秀の横に立っていたのは…
「おい!、この子知ってるか?」
「…いや…?」
 ロボコン部の協力者として、理想とはかけ離れた人物を目にすると、当麻は思わずキョトンとしてしまった。あまりそんな表情は見せない彼の、内部での落差は凄まじいものがあった。
「知んねぇか。E組のカユラちゃんて言うんだぜ?。ロボコン部に加わってもいいって」
「えっ…???」
 更に間抜けな驚きを表す当麻に、けれど彼女ははきはきと挨拶を始めた。
「ロボコンのことは前から知ってます。一年からチームリーダーは珍しいですよね?。私はデザイン科なので、機械的なことは詳しくないですけど、メンバーに困ってるならお手伝いします」
「ああ…、工業デザインね…、そうか…」
「設計ならお手伝いできると思います」
 笑顔ながらもキリリとした彼女は、確かに何らかの面で優秀そうではあるが、
「良かったな!、早速今日から頼むわ!」
 そう笑う秀のようにはとても喜べなかった。大体秀も今日の作業は判っている筈だ、こんな子が30キロの鉄骨を支えられるとでも?。彼が何を考えているのか判らない。
 だがまあ、少なくとも猫の手よりは何倍もましだろう。力仕事の助っ人は調達できたのだから、自ら入部希望する人材を断る必要も無かった。
「じゃあ、よろしく、俺は羽柴当麻」
「知ってます」
「そう…、え、何で?」
「一年生はみんな知ってると思いますよ?。言いましたが一年からリーダーは珍しいし」
「おめぇ割と有名人なんだぜ?、ここでは」
「はぁ、有名人、聞いたことないな?」
 有りの侭の事実を心外そうに返す、彼がどんな人柄かは、カユラにもこの場ですぐ理解できたことだろう。良く言えば無駄な自意識の無いラフな人。悪く言えばあまり他人に関心が無いのかも知れない。そうだとすれば些か残念なことだった。
 否、かなり、否、非常に残念だ。
「おっと、もうこんな時間か、そんじゃな!」
 大概の学科に存在する実習授業は、午後一時から五時まで、作業場を使える時間は充分にある為、秀はその途中で休憩に出ていたようだ。さて彼がそこへ戻る今、他の学科の者は部活に参加するなり、自室で休むなり、思い思いに過ごす時間帯に入る。
「あー、取り敢えず部室に案内しよう…」
「よろしくお願いします」
 残されたふたりは、共に微妙な気持を携えながら、彼等の日常空間である教室の廊下を後にした。

 何が微妙かって。
 女子と言えども様々なタイプが居るだろう。実際ロボコン部のBチームには、三年生の女子が参加しているが、下手な男より大柄で170cmは上背がある。専攻も秀と同じ技術科で、ネジやハンダの扱いには慣れている。そんな生徒なら大歓迎だったのだが。
 カユラはどう見ても、その手の作業をしそうなタイプではない。平均よりやや小柄で、テレビタレントのように腕や足も細い。真っ直ぐな長い髪も綺麗すぎて、第一印象としては、人格プログラムされた人形のようだった。果てこんな子がチームに必要だろうか、と思うと、現状に於いては溜め息が出てしまう当麻だった。
 またカユラも同様に、新たな彼の印象にはやや落胆されられた。ギラギラした野心家は好きではないし、黙々と頑張る性格なのは良いと思う。C組に居る、やたら目立つ剣道部員のような華やかさは無いが、一般人レベルでかっこいい人だ。高い目線で穏やかに周囲を見ている様が、いつも素敵だと思っていた。
 それに間違いは無いとしても。どうやら人の感情に疎い人物で、誰もが平均的存在に見えている気がする。また自身もそこに属する一員のつもりで、己の美点を知らない人だと感じた。そんな生物への無関心は、誰の魅力にも気付かないような気がした。
 もしかしたら既に、一心に想う誰かが居るのかも知れないけれど…
 それぞれ、期待外れや思い違いを巡らせながらも、ロボコン部の活気ある空気を肌に感じると、部室のドアを潜るなり、ひとまずどうでもいい事として忘れられた。何しろふたりが姿を現すと、男ばかりのCチームは地響きのような声が上がった。
「おー!、リーダーさん、景気がいいじゃないか?」
 早くも手伝いに来ていた、四年生の螺呪羅先輩と言うのが、校内ではあまり見ない光景を早速からかう。一、二年生は珍しい来客にむしろ緊張していた。だが期待されるようなものじゃないと、当麻は普段の口調で淡々と話した。
「新入部員だ。これからCチームに加わってくれるから、みんな宜しくな」
「うっそ、マジかよ!?」
「よくスカウトして来れたな〜〜〜!?」
 沸き起こる部室のざわめきが、果たして当麻の耳にはどう聞こえたか。これについては普段仲の悪い遼も、ドギマギしながら喜んでいるようだった。カユラは前途の通り、精巧なお人形を思わせる人物で間違いなかった。
 自分の希望ではなかったが、部員達が喜んでくれるならやはり嬉しい。それでやる気が出るなら、全体が巧く回るようになるなら、秀の意外な紹介には感謝せねばなるまい。ともすれば彼女は、遼との間に入ってくれるかも知れないじゃないか。
 と、当麻も結局メリットを納得し、Cチームに唯一の女子部員を受け入れた。

 ところで、今年度の高専ロボコンは、標的に対し正確さを競う競技である。
 ラグビーのようなフィールドを、中央から半分ずつ自陣と敵陣に分け、5m毎に的が二つずつ並んでいる。中央から5m進むと10点、10mで20点、15mの両陣ホーム内の的で30点、だが、10〜20点の的は片方がプラス、片方がマイナスとなっている。
 また的は直径15cmほどと小さく、30点の的は更に小さい10cmだ。長距離スローの可能な親機から、30m先の30点にボールを当てるのはかなり難しい。そこで勝つ為の作戦と、二台まで追加できる子機をどう使うかが、勝負のポイントとなりそうだった。
 そしてその、作戦的設計の段階で、Cチーム内の意見は未だ割れている。
 試作前のアイディアは多く繰り出されたが、話し合う内にふたつの案が残った。その片方を支持するグループにいる遼、もう片方の案は当麻自ら考えたものだった。遼が推す案は二年生が多く支持し、アームや足回りの設計に回る生徒が多かった。
 彼等は子機のひとつを敵の30点の攻撃用、もうひとつを自陣の30点の防御用にし、的の大きい10と20を親機で攻撃するとした。10、20、30と全ての的を取ると、その時点でマイナス何点だろうとパーフェクト勝利になる。たった三つ落とせば勝てるのは、ロボコン史上最も達成しやすい条件であり、逆にひとつを確実に守れば、敵のパーフェクトを阻止できるのだ。
 但し前途の通り、今回は標的が非常に小さい為、高い精度で投球すること前提の作戦である。親機と子機の総重量は40キロまでとされており、バッティングセンターの投球マシンなど、重量のある装置の既製部品は、何処の学校も恐らく採用できない。となると親機は、近いとは言え20〜25m先の的に、正確にボールを当てる設計ができるか疑問が残る。
 また、敵陣に入って行く子機が妨害されれば、パーフェクトを取れなくなり、親機は敵のマイナス的を撃つだけになる。子機への妨害はよくある事なので、単独で敵陣に送るのは無理があると当麻は考えた。
 彼の案は主に、プログラム関係の生徒に支持されているが、素早く動く子機を二台共敵陣に入れ、片方は親機に位置を示すマーカー、もう片方はマーカーの完全な防御役にする。そして近い順に10、20、30と親機が攻撃するシンプルなものだ。マーカーを使えばほぼ確実に的に当てられる上、敵より先にパーフェクトを取る速さも必要と考えた。
 無論この案にも弱点はある。早く移動させるには、子機二台の動力を上げるしかない。重量が増すのでその分、親機は軽く小さめになり、充分な射出機構を搭載できるか難しいところだった。
 その比較について、
「敵がもっと速かったらどうする。打つ手が無いぞ?」
 最初に二年生の部員がそう指摘すると、
「勿論大会最速を目指します。それに、三つだけとは言え、今回の30点の的を取るのは難しい。時間がかかるチームが多いんじゃないかと」
 当麻はそう答えて一応相手を納得させた。だがそこに食い付いて来るのが遼だった。
「最速にできる確証があるのか?。毎年素早い動きのロボットを作る所はあるし、余程自信がなきゃやらない作戦だと思うな」
 その「証拠を見せろ」と言わんばかりの発言が、どうもいちゃもんに感じられ、ふたりの間に更に溝が刻まれたようだ。堅実志向の遼は、自陣の的のひとつを守ることに拘っている。
 ただどの道正解は無い。いちゃもんでも仕方ない面があった。
 学生ロボコンは商品を作る場ではなく、全て完璧にすることは想定されていない。決められた枠組みの中で、どれだけアイディアを実現できるかの問題だ。面白いアイディア、優れた設計であれば、勝敗に関係なく評価される賞もある。
 それを考えた当麻は、他チームが最もよくやりそうな作戦を避け、敢えて技術的に難しい方に挑戦しようとしていた。のだが、
「一箇所の防御を固めて攻撃する方が、安心して動けるし簡単じゃないか」
 そう言って遼は譲らないので、
「それなら言わせてもらうが、絶対に防御できる確証はあるのか?。子機は10キロまでに収めなきゃならない、防御を崩されることもあるだろう?」
 当麻は意地の悪い意趣返しに出た。尚、規定により的を完全に覆うことは禁止されている。半分は見えていなくてはならない。それだけでも完璧な防御はできないと、当麻は解釈するのだが、遼の解釈にもまた一理あったのだ。
「時間を稼げればいいんだ。的の前に板一枚でも、吸盤か何かで固定しておけば敵は手古摺るさ」
「それはそうだが、その程度のことは何処のチームも思い付く。逆に対応策で負ける可能性も高いと俺は考える」
「勿論対応策は考えるに決まってるだろ!」
「敵陣の丸腰の子機はどうするつもりだ?、そっちも妨害される可能性が高いんだ。パーフェクトも難しいと思うが」
「子機が自己防衛できればいいだけだ」
「そんな優秀な子機を作れるのか?、ボールの射出機も積むんだろ?」
「難しい子機はそっちも同じじゃないか、子機二台を完璧に制御できるのかよ?」
 結局ふたりの話し合い、否、言い合いからはどちらにも不安要素が感じられた。他の部員達は迷ったが、ひとまず纏まりがつくよう、採決ではリーダー案に合わせることとなったが、腑に落ちない雰囲気が有り有りと残されていた。
 これではどうあっても、当麻は有言実行して見せねばなるまい。
 出だしから厳しく前途多難だ…

 そんな空気の中に突然、ある意味場違いな女子が加入して、ロボコン部Cチームはちょっとしたパニックになっていた。その日は親機の作業用フレームを、動力部と射出装置に取り付ける作業をしたが、彼女のお陰でまあ、ブツブツ不平を言う者は居なかった。当麻に取っては嬉しい誤算だった。
 ただ、大方組み上がったロボットの基礎を見ると、カユラは彼等にこう告げていた。
「何だか美しくありませんね。寄せ集めでいっぱいっぱいな感じです」
 そんな、初めての制作に高い注文を付けられても…
「美しさとはスムースな機能を言います。基礎はこのまま、形を変えられるか考えてみます」
 可愛らしくも無慈悲な天使よ。
 どうやら優秀過ぎて怖い面もある子だと、部員全員が青褪めることとなった。機械的な作業も山程あるのに、いつか徹夜続きになりそうな予感が恐ろしい。



 その日の作業は、予定をオーバーして夜八時過ぎまで続いた。
 カユラの提案はまだ関係ないが、通電せずに動く筈の車輪が回らなかったのだ。
 原因はふたつ。ひとつは単純に取り付け位置のミスだが、もうひとつはロボットの重さのせいか、車輪の軸が曲がり巧く動かないことが判明した。指摘された耐久性を向上させると、他方に重量の皺寄せが行く。移動式ロボットの要である、足元を見直すことになるとは頭が痛かった。
 八時半頃、当麻はひとり学食で遅い夕食を摂る。夕方六時頃に、秀がパンを差し入れてくれたが、何やら無性に腹が減っていた。巧く行かないショックから来るストレスを、軽減する為にも食事は重要だ。幸い寮の食堂はいつも美味しかった。

 そして自室に戻る。規則正しいルームメイトは自習でもしているだろうか。
 と、ぼんやり思いながらドアを開けると、おや、部屋は真っ暗で誰の姿も無い。無論まだ九時だから、図書室や談話室に出ていてもおかしくはない。取っ付きにくそうな風貌とは違い、征士は人の輪に入るのを嫌がらない奴だ。
 が…。ここに入学した当初、この時間にはいつも部屋に居たような気がした。否、普段は大概九時には用事を済ませ、それ以降は自習、寝支度、十二時前に就寝と、時間割をこなすように過ごしている。ただ最近しばしばそのルーチンが、変則する日があるような気もした。
 部活が忙しくなると、ルームメイトのことなど気にしていられなかったが、朝から奇妙な一日、こんな日はあらゆる事が展開する節目かも知れない。征士にも何かあったかも知れない、と、途端に隣人の行動が気になり始めた。
 当麻はドア口で反転すると、征士が行きそうな場所をさらっと見回り始めた。

 ひとまず戻り、彼が先程まで居た食堂の前を通過する。当然この時間に居るとは思えなかった。その隣にある談話室は、テレビを観たりゲームをしたり、寮生が自由に集まれる場で、まだ多くの生徒が自由時間を楽しんでいる。丁度手前の席に、征士と同じ剣道部の二年生を見付けたので、
「先輩、伊達君居ますか?」
 と尋ねると、効率良くその状況が判った。
「飯の後ちょっと居たよ。ニュース観て、七時半に出てったかな」
 つまり今は居ない。それが判ると当麻は先輩に挨拶し、次によく行く図書室へ向かった。無論そこはこの時間、熱心に勉強する者が集まっている為、邪魔にならぬよう静かに席を回って行った。けれどあの目立つ容姿の彼は見当たらなかった。
 その三箇所に居ないとなると、あとは共同浴場とシャワー室、ランドリーなど、単なる生活行動に出たのかも知れない。それなら特に気にすることもないが、万にひとつ保健室に収容されたなど、何故だか普段考えない想像が次々湧いて来た。保健室の前に、剣道部が使っている格技棟があるが、気が向いて夜間の練習に出たのかも知れない、などなど。
 今日は何かがある、何らかのインスピレーションが降って来ている。過去の天才達は皆、ふとした閃きの降り来る一瞬を、逃してはならないと誰もが語る。良い物か悪い物かは知れないが、当麻は今感じている、未知の尻尾を確と捉えようと動いた。
 突き当たり東西に分かれる廊下で、彼の思考はまた更に分岐して行った。東に進むと一般授業を受ける教室、講堂、正面玄関があるが、さすがに夜間は殆ど人通りが無いだろう。反対の格技棟の方には体育館、作業室、特殊工作室、各部活の使用する部屋などに、遅い時間まで活動する生徒が必ず居る。当麻には既に馴染みあるエリアだ。
 ではどちらに進むか。保健室、格技棟、と順に思い付いて来たが、どうも今は知らないテリトリーに足を踏み入れたいようだ。彼のソナーが捉えた一瞬の魚影を追い、足は東の教室群へと向いていた。
 廊下の窓からは、建物ひとつが丸ごと暗闇と化した、若干ホラーのような趣が見られた。だがよく見ると所々に、小さな窓明かりが点灯している。正面玄関の横には用務員室がある。その奥の最も遠い端は職員室だ。更に奥には職員の休憩スペース、そこから職員宿舎の廊下へと続いている。生徒以外の大人は恐らく、誰かしら東棟に居る筈だった。
 と考え付くと、初めて夜中に訪れる場所も、気楽な探検に感じられたのだろう。暗闇に向かっていながら、当麻の心境は反対に楽しくなって行った。
 全ての始まりは暗黒だと言う。未だ見ぬ闇に触れた時、新たな発見やイメージを得ることがあれば、彼には何より嬉しい経験となるだろう。新たな知覚は新たな発想を呼び起こす。欲を言えばロボット制作に使える、アイディアのひとつも見付かるといいのだが。

 空の教室、足元に点々と非常灯の並ぶ廊下、夜は日常が日常でない空間と化していた。
 当麻がそこをある程度進んで行くと、何らかの音が彼の耳を掠めた。やはり誰も居ない訳ではないようだ。と、途端に歩を緩め、暫し耳を澄ましているとまた微かな音がした。
 彼は今二階の廊下を歩いているが、どうも音は上の階から聞こえて来るようだった。音とは書いたが、どちらかと言えば振動に近く、何かをする動作音のように思える。学校には稀に泥棒が入ることもあるが、それならそれで様子を確かめようと、彼は正面玄関の真横に当たる、中央階段を静かに上って行った。吹き抜けの眼下に用務員室の照明が見え、何かあればすぐそこに伝えようとも考えた。
 そして階段を上り切ると、当麻は正に発見したのだ。階段の前には各委員会の使用する会議室、吹き抜けと大窓を挟み、対面の位置には生徒会室があった。
 そうだ、今日は定例会のある水曜だった。生徒会はまだ何らかの作業をしているらしい。その証拠に控え目な灯りが、ドアの小窓から見えるじゃないか。
 彼はそう納得すると、すっきり腑に落ちた様子でそこへ向かった。そして気楽にドアをノックし、
「すいませーん、伊達君残ってますかねぇ?」
 言いながら勝手にドアを開けていた。
 ほぼ確実にここに居ると、感じたが故の当麻の行動。しかしその迂闊な行動により、彼は前代未聞の恐怖に見舞われることとなった。直感通り確かに征士は居たのだが、目に飛び込んで来た光景は強烈なものだった。
 彼は規則を逸脱しないアンドロイド。非人間的に統制されたアンドロイド。の筈が、元より怖い顔を更に鬼の形相にして、猛り狂う様子は獣のようだった。時間通りに淡々と生活する彼の、内側には何らかの鬱屈なり、インモラルな思考が閉じ込められていたのを、当麻はここで初めて知った。
 或いは真実を隠す為に、アンドロイドを演じているのかも知れないと。
 鋭い眼はギラリと光り、剣の稽古とは違う異様な汗が顎や首に滴る。体の大半は机の向こうに隠れているが、はだけたシャツの裾から太腿が直に延び、下半身の着衣が何処かに消えているようだ。そして彼と机の天板に挟まれた誰かが、捻れたような唸り声を上げていた。
 否、尋常でない熱情に翻弄され、動物的な愛憎に泣くようだった。

 揺れている、柔らかそうな茶色の髪は、当麻には何処かで見たような印象だった。
 そう、今朝見た夢でも見ていた…



つづく





コメント)更新一回分遅らせてしまいましたが、第一回をupできました。
予告通り征伸、当迦、当伸混じりのキテレツ小説の始まり!、ですが、話は結構きゅんとなる学園ものです。何しろピュアな当麻君を書きたかった話なので〜
そしてこれはマルチエンディング小説です。鎧30周年に際し初の試み、来年一杯で征伸、当迦、当伸、当秀、当麻と征士(どっちが右か左かは、そこまで書き込まないので好きにしてw)、ふざけんな、の10通りエンディングを書く予定です。どうぞお楽しみに♪
ただ、この続きはオフ活動の関係で間が空きます。お待たせしてすみませんm(_ _)m




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