銀座を歩くふたり
水の中のナイフ
Knives in you



 神社の梅祭りが終わる頃、取って代わるように桃の花がほころぶ三月。
 ある休日の朝、伸は朝食を摂りながら、何気ない日常の話を征士に聞かせていた。
「あー、もうすぐバレンタインだね」
 しかし征士は「え?」と言う顔をする。それを見たからなのかどうなのか、伸は自ら言ったことをすぐに訂正した。
「じゃない、ホワイトデーだ」
 そこで彼は考える、何故言葉を間違えたのだろうと。思い当たるのは昨日出掛けたコンビニだった。バレンタイン前はそれ用の、綺麗にラッピングされた高級チョコが並んでいた。もうその時期は過ぎた筈だが、昨日もまだ高級チョコの陳列コーナーがあった。店側は勿論ホワイトデー用に販売しているのだろう。が、伸はそれが何となく、バレンタインの延長のように感じられたのだ。
 実はよく見ている者は、バレンタイン用とホワイトデー用の商品は違うことに気付く。バレンタイン用は赤系の可愛らしいものが多かったのに対し、ホワイトデー用は青系や金銀など、落ち着いた高級感を出したものが主流だ。ただ、そう滅多にコンビニを覗かない彼が、その趣の違いを知らなくても仕方ない。そもそもホワイトデーは伸に取って、贈る日でなく贈られる日なのだから。
「自分の誕生日が何の日か間違うこともあるんだな」
 と征士が続けると、伸は最早そのイベントにはあまり関心がない、と言う風にこう言った。
「いやだって、バレンタインもホワイトデーも僕らには同じようなもんだし」
「まあ…」
 確かに、根本的に男同士でホワイトデーも何もないのだが、それを言ってはおしまいだと征士は笑う。すると伸はそのこと以上に、このイベントにはうんざりだと話した。
「会社辞めちゃったら余計どうでも良くなったよ。義理チョコのお返しって一番馬鹿馬鹿しいし」
 まあ世の男性達の、半分くらいはそんな思いをしているのだろう。特に管理職の男性などは、部下の女性から義理チョコを貰うと、上司としてそれなりに立派なものを返さなくてはならず、などと言う例をしばしば耳にする。例え後輩の平社員でも、あまり粗末な品を返すと印象が悪いだろうし、結局好きでも何でもない女性達に、返したくもないお礼をする日という面がある。
 無論その「義理」が無く、恋人同士、或いは告白の意味でのやり取りなら文句はないのだが、いつからか妙な習慣になったものだ。と、征士もその現状については同意できたが、この家の中で、私達ふたりの間のホワイトデーはそうではないと、敢えて押し切るように返した。
「だが私にはそれなりに大事な日なのだ」
 その征士の表情が妙な真剣さを帯びていたので、伸は途端に可笑しくなって笑った。
「アハハハ!」
 たかがホワイトデー、されどホワイトデーだ。成程征士に取っては間違いなく、愛する人に贈り物をする日である。誕生日がその他のイベントと重なっていると、その解釈がおかしなものになる面白さに、伸は今頃になって気付いたようだ。但しこれは色気のあるイベントだから成立するのであり、当麻の誕生日に運動会を行うとか、秀の誕生日に防災訓練をするのとは訳が違う。
 ふたりは恋人であることが前提だ。故にホワイトデーも大切で面白い。
 けれど、征士の気持は解ったものの、伸には今ひとつ納得できないイベントのようだ。それが自分の誕生日だからこそ、その意味に引っ掛かりを覚えるのかも知れない。一頻り笑うと彼は、今度はやや攻撃的な口調でこう言った。
「でもさぁ、そもそもホワイトデーって何?。何の意味があんの?って思わない?」
 そう言われると、流石に征士もこう返すしかない。
「まあな」
 日本人が近年勝手に作ったイベントなので、何とも説明しようがないことは確かだった。
「バレンタイン自体が、お菓子屋さんの売り込みから始まった習慣なのに、更にホワイトデーってさ」
 伸の話す通り、バレンタインデーは神戸のモロゾフが流行らせたらしく、この日に好きな人にチョコレートを贈ろうと言う、お菓子の販促だったことが知られている。それが国内に広まり、二月の行事として定着したのだが、その事自体は特別違和感を覚えない。クリスマスと同じで、海外にもその日は存在するからだ。
 しかしホワイトデーについては、誰が考案したのか、誰がやり始めたのか、それ以前に何故「ホワイト」なのか、考え出すと増々薄っぺらなイベントに思えて来る。伸はそれを嫌がっているようだった。
「贈ったら贈り返すと言う、日本の習慣からできたものかも知れない」
 征士が慣例的な日本人の行動を考えて言うと、伸はより皮肉めいた言葉で続けた。
「いや、それにつけ込んでホワイトデーなんて作ったんだよ」
「つけ込んで?」
「そうだよ、本来のバレンタインを知ってる人なら、バレンタインの日に男女とも贈り物をすればいいだろ?。それをわざわざふたつに分ける意味って何だと思う?」
 その日は、正式には聖バレンタインデーと言う。バレンティヌスと言う名の司祭が、当時禁じられていた兵士の結婚を取り持ったことで、処刑されたのが二月十四日。その後ローマを中心に恋人達の日として定着した。元々ヨーロッパでは、贈り物と言えば花が定番の為、花やメッセージカードを贈るのが習慣となった。特に男性から、女性からと言う決まりがある訳ではない。
 それが何故日本では、男性の日、女性の日と分かれたのか思えば不思議なことだ。恐らく古来の日本には、女性から告白するのはふしだらと言う考えがあり、なかなか女性主導の世の中にならなかった為に、このチョコを贈るイベントが、積極的な女性の気持を掴んだのではないかと思う。それが日本でのバレンタインデーとなった。そこまではいいのだが。
 ではホワイトデーの存在とは?。
「うーん…、経済効果かな?」
 と征士が返すと、伸はうんうんと頷いて言った。
「そう、別々にした方が沢山売れるからだよ。バレンタインが恋人の日ってだけなら、義理チョコとか配る人は少なくなるし」
「そうだろうな」
 つまりそんな詰まらない理由でできた日、と言うのが伸の結論のようだ。
「こういうイベントって、企業の利益の為に乗せられてるだけで、ふっと白ける時があるよね」
 自らの誕生日をそう貶めて、何が言いたいのだろうと征士は思う。だが彼は伸と言う人が、遊び好きで楽しい事に目がない割に、虚飾と思われるものを嫌うことも知っている。
 伸には物の本質が見え易い。だからこそその優しさの海の中に、鋭く切り裂く刃を隠し持っている。嘘を嘘と、異常を異常と見抜く度に、その攻撃力が発揮される時がある。それがたまたまホワイトデーと言う話題に現れた。残念ながら今年のホワイトデーは、ただのイベントでは済まされそうにない。
「まあまあ、何処の国の人間もお祭が好きなのだ。楽しみなイベントは多くあった方がいい、と考える人間もいるんじゃないか?」
 征士は伸の苛立ちを宥めるように言ったが、伸はどうにも飲み込めない様子で答える。
「それはそうなんだけど、物を買うことが中心になるイベントって、ちょっと疑問を感じるんだよね」
 まあ実際、適当な口実で物を買わされていると思えば、不愉快に感じる人間も居るだろう。それを国民的行事にまで持ち上げ、人の気持を煽るのは罪なことかも知れない。だが現代はそんな宣伝社会なのだと、甘んじて受け入れている我々日本人。経済が全てとは言わないが、経済活動に支えられた幸福を知っているからこそ、仕方ないと誰もが思っていることだろう。
 それを敢えて拒否したいとするなら、
「フフ、伸は根が真面目だな」
 征士は、何とも形容し難い伸の表情を眺めながら、話の終わりには楽しそうに笑った。
「真面目、かなぁ?」
 腑に落ちないホワイトデーの存在意義は、今は伸の不満そうな唇の上にだけ残された。



 午後の昼下がり、ふたりは銀座の某デパートに買物に出掛けた。
 町のショーウィンドウからは冬物が姿を消し、優しい色合いの服や小物が春の気分を誘う。ここには自然の季節感は存在しないが、そうした店の演出で四季を感じるのが恒例だ。休日を楽しみながら町を歩く人々の、表情も皆何処か明るく華やいで映った。
 ホワイトデーの話ではないが、人の手に拠って演出された雰囲気も、抵抗なく受け入れられるものはある。服や小物が春らしく変わるのは、事実日本中が春になるからだ。現実の流れに則した販促イベントなら、伸も特に気にすることはないのだが。
 新しい季節を気持良く迎える為に、僕らに必要な何かを買いに行こう。暖かな日射しに春めく銀座の並木道を抜け、目的のデパートの中に足を踏み入れると、伸の目線はすぐに、桜色に統一されたフロアの装飾を追っていた。押し付けでなく、寧ろ居心地の良い宣伝活動なら大歓迎だった。
 それから、ふたりは高級ブランド品の店鋪を幾つか覗きつつ、その奥にある革製品の店で足を止める。征士は特に今、自分用に必要な物はなかったので、目立つ所に陳列された鞄などを暫く見ていたが、ふと振り返ると、伸は一箇所で熱心に何かを見ているようだった。マンションを出る前には、テーブルクロスを買い替えようと言っただけで、個人的に何か欲しいとは聞かなかったが。
 征士は、その伸の思い付きを確認しようと、そっと傍まで寄って尋ねた。
「何を見ている?」
「ん、今使ってる財布がちょっと傷んで来たから、新しいの買おうかなと思って」
 顔を向けた彼は特に驚いた様子もなく、言葉通り棚に並んだ財布を眺めては手に取っていた。壁面に設えた格子状の棚には、紳士物だけでも三十種ほどのデザインが見られ、成程これは迷うと、征士にも伸が止まった理由が理解できた。大体紳士物の財布などは、色は黒、焦茶、茶、紺の何れか。形はほぼスクエアな長財布か二つ折り財布、と決まり切っているが、この店には少し珍しいものが並んでいた。
 その中から伸は、パステルブルーと言うか、ブルーグレーと言うか、柔らかい中間色のオストリッチの財布と、表はスタンダードな牛革に黒だが、内側はピーコックのスウェードになっているものと、どちらを選ぶか迷っていた。値段的にはどちらでもあまり変わらない為、好み以外に決め手がない様子だ。
 そこで取り敢えず、丁度良いと思い征士は声を掛けた。
「では私が買ってあげよう?。今年の誕生日祝いに」
 すると、そんなつもりは毛頭なかったらしく、伸は思わぬ申し出に喜んで返した。
「あ、ホント?」
 そう、もうすぐ彼の誕生日がやって来る。そのプレゼントとして買って貰う物だから、最も気に入ったデザインを選び、大事に使いたいと言う気にもなる。伸のテンションは俄に上がり、今迷っているふたつの候補以外の物まで、もう一度端から眺め始めていた。それを見て征士は、まだ暫くかかりそうだなと笑った。
 そして十五分ほどが過ぎた。
 伸を急かさぬようその場を離れ、向かいの靴屋を見ていた征士が戻って来ると、その場の状況が一変しているのに気付いた。伸は棚の前で腕を組み、何故か固い表情で考え込んでいる。嬉しそうに商品を選んでいた筈の彼の目は、今は静かに冷えて沈んで見えた。この短い間に何があったのだろう?。
「どうかしたのか?」
 と、征士が横に並び尋ねると、伸は全く思いも寄らぬことを口にした。
「革製品ってさ、考えるとちょっと怖いよね」
「え?」
「牛革って牛の皮だよ。羊なら羊の、豚なら豚の皮を剥いで作るんだよ」
 勿論、そんなことを征士が知らない訳はない。ただ伸がそんな考えに囚われる経過は、まあ理解できなくもなかった。世の中には動物愛護団体と言う組織も存在する。愛護の観点から、動物を使った製品や食品を買わない、食べない、と言う人間もそれなりの人数が存在する。
 あまり行き過ぎるのもどうかと思うが、要は万物への愛情であり優しさだ。伸は慎重に、充分商品をチェックしようとする過程の中で、ふとその材料となっている動物の方に、注意を惹かれてしまったのだろう。動物の体を人の道具として使うことは、正当化されるだろうかと疑問に思ったのだろう。
 ただ、できれば今それを思い付いてほしくなかった。
「今はそんなこと考えなくていい」
 現状に困惑しながら征士が言うと、伸は更にギョッとするような例え話をする。
「でもふと思ったんだよ、人の皮を剥いで製品を作ったりはしないのに、他の動物だったらいいのか?」
 女の皮を剥いで服を作る殺人鬼、が登場する映画ならあったが、もしそれが実話だったとしても、そんな異常な行動をする人間は滅多に居ない。そう言えばその映画には、人肉を食べる殺人鬼も登場したが、そんな気持になれる人間は圧倒的に少ない。何故なら、誰かがそんな目に遭うということは、自分にもその機会が巡って来ると恐怖を覚えるからだ。
 人間は殺し合い、共食いし合う生物ではないと思いたい。人間は助け合い、その魂や肉体を尊重する生物でありたい。唯一、飛躍的に高等な頭脳を与えられた生命として、人間は社会の秩序を守るべき存在だと、誰が最初に言い出したのかは判らないけれど。少なくとも、人間の管理下で成り立っている社会では、人が人を道具の材料にすることはないのだ。
「まあ…、人間は頂点に君臨する生物だと、ある頃から考えられて来たからな」
 征士はそのように、主に欧米から伝わった考え方を話すが、それにも伸は反感を覚えるようだった。
「傲慢だと思わない?」
 だが、その質問にはそれなりの説明ができる。
「…いや。人間以外の動物はそもそも、皮を製品にするなどと言う発想をしない。人の手があって初めて革製品が生まれるんだろう?」
 征士が話したように、皮を取るだけなら本来殺す必要もない。死んだ動物の亡骸を材料にすれば、特別傲慢と言う程でもない。古代の人間は地上に落ちているあらゆる物を、道具として加工し暮らして来た。その中に動物の皮と言う素材があっただけのことだ。
 それは伸も解っている筈、と征士は思うが、更に彼にはもうひとつの疑問が突き付けられる。
「いやだから、だったら何で人の皮を使わないのさ?」
 話の内容に、流石の征士も気分が悪くなって来た。大体、主義主張以前に革製品を嫌う人も存在する。誰もが一度はその材料を想像し、気持悪く感じることがあって然りだ。だが、伸は殊に真面目に議論していると知って、征士もいい加減な返事はできなかった。あまり考えたくない事にどうにか付き合っていた。
「単に弱いからでは。人毛を使った鬘なら昔からあるが」
 そう言われてみれば、人の肌は柔らかい。人間は衣服を着るようになって、強靱な表皮を必要としなくなったのだ。あのナチスドイツでさえ、死体から革製品は作らなかったことから考えて、道具に加工できる強度が足りない皮だった。と言う結論になるだろう。
 そして有難いことに、その説は漸く伸にも納得してもらえた。
「ああ…、まあそうか」
 靴などは柔らかい革の方が良いが、柔らかくても強度がないものは使えない。利用価値がないから使われない事実を、伸はホッとするような思いで飲み込む。その様子を見て、征士はもう少し気持を鎮める話をした。
「結婚式や葬式では、殺生を思わせるから革製品は嫌われるが、それが日本人の伝統と言う訳でもなく、昔から革製品はあったんだ」
「そう言えばそうだね…。昔からある鹿革とか、馬の鞍とかも革でできてるね」
 伸はそう言いながら、古の戦国武将の姿を思い浮かべていた。馬の鞍は伝統的に革で出来ている。革を鞣す技術が中国等から伝わって来たのだろう。フサフサの鹿革は敷物にしたり、羽織の飾りに使われたりもして来た。特に乱獲していた訳ではないのだから、そこまで忌み嫌う必要はないようにも感じた。
 獣の皮は昔から人に利用されている。マタギと呼ばれた人などは、いつも熊の毛皮を着ているイメージもある。それは解ったがまだ何か引っ掛かっていた。伸の表情があまり変わらないのを見ると、
「だからそんなに深く考えることはない」
 と征士は続けたが、どうももう少し話が長引きそうだと覚悟した。案の定伸は、
「うん…、でも」
 自らが求める答に近付きたい、物事の本来の姿に近付けそうな気配がある、と言う意欲的な態度のまま、やはり皮革製品の話を続けていた。
「鹿や牛のことならわかったよ。食べる為に殺すから、ついでに利用できる物は利用した方がいいよね。でも例えば、蛇とかミンクなんて食べるかい?」
 そう返され、征士はこの場で思い付く例を考える。まずこの店の製品は牛、羊、豚、オストリッチ、ワニが使用された一般的な物、何れも食用と言える動物だ。その他、話に出て来た鹿や熊も、古来から食料として捕獲されて来た動物だ。ただ確かに、ミンクのようなイタチの仲間は一般に食べない。蛇もごく一部の地域でしか食べない。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に出て来た、ラッコの上着と同じような異質さが感じられる。
 何故今はそれらが当たり前の商品になったのか、は、想像の域でしか語れないが征士は答えた。
「大昔の、食料の少ない時代は何でも食べていた筈だ」
 恐らくそうだろうとしか言えない。古くから牧畜をして来た民族以外は、獣の肉はいつも食べられる食料ではない。そうなれば蛇だろうがラッコだろうが、捕れれば貴重な蛋白源だ。最初はそうして、皆食べる為に捕獲したものだと征士は考える。しかし、尋ねられた件とはやや方向の違う回答だった為、伸は更に強調して言った。
「今は食べないだろ?」
「…その頃の名残りと言うか、一度ミンクの毛皮が良いとわかると、それを求める人間が増えて、製品にするのを止められなくなるのだろう」
 その返答は、伸にもよく理解できるものだったけれど。人間は一度手にした快適さや豊かさから、レベルダウンすることをなかなか、受け入れられない所があると聞いたことがある。省みれば自分の生活も、そんなこだわりの上に存在すると思うけれど。
 ただ、現代は合成皮革などで優れた物が、多く流通するようになっている。耐久性、防寒性、軽さなど、何に於いても合成品の方が性能は良い。なのに本物の革を有り難がる人が減らないのは、やはり人間の持つ業なのではないかと伸は思う。
「象牙と一緒だね。やっぱり残酷だよ」
 根本的に人間は、人以外の動物には残虐になれる面がある。象牙が高く売れると聞けば象を殺す者が居る。油が沢山取れると知れば鯨を殺す者が居る。人間の歴史は、最近になって動物愛護団体の発言力も上がって来たが、ほんの五十年も前には、全く疑問視されなかった残虐性が存在する。
 それが人の業。と、伸が財布を見詰めながら考え着くと、そこで征士が、
「それを言ったら、日本だって三味線に猫の皮を使うが、猫なんて始めから食べないぞ」
 ある意味最悪な日本の例を挙げ、思わぬ形で伸の答を導いていた。
「そう、それだ」
「ん?、何だ?」
「日本人は猫なんて絶対に食べない。性格的に穏やかな民族であっても、人の欲望は勝手な正義を作ると感じる例なんだ」
 つまりきっと、伸の気付いたことは、如何なる正義の中にも人の欲求があり、欲求の為に踏み躙られる命は必ず存在し、それを含めて正しさを語らなければならない、と言う征服者の真理だろう。例え上品で雅びな音楽家でも、良い音色を求める為だけに猫を犠牲にする。それが人間だと知った上でなければ、正義と言う言葉を掲げて戦うことも、本当は無意味だったのではないかと知ったのだ。
 そう、彼等はたった十四才だった。まだ人に対する深い洞察どころか、日本人の独自性すら充分に知らない年頃で、ただ善かれと思うまま戦場に立っていた。今、ひとりの大人となって思うことは、「勝てば官軍」と言う苦々しい言葉こそ、唯一の真理と認めざるを得ない現実だった。伸は過去に己の行った事が、果たして正しかったのかどうか、自分自身に刃を突き付け考えている。
 革製品を眺めて正義とは何かと悩む。何事も身近な所から考える伸らしい状況かも知れない。それに、
「ああ…」
 と一言相槌を打った征士は、それもまた伸の正義だと内心笑うしかなかった。伸に比べ遥かに冷徹になれる征士には、最早正義などと言う、正体不明の言葉には悩まされていなかった。
 嘗て我々は何も持たない器だった。事の起こりの全てを知っていた迦雄須に、ひとつの正義を与えてもらっただけだ。信じられる人物の教えだからこそ、純粋にそれを追っても居られた。だが実際には、阿羅醐には阿羅醐の正義があっただろう。同様に全ての生物から見た、或いは個々の視点から見た正義がそれぞれ存在するものだ。正義とは絶対ではない、誤りではないが正しくもないものだ。
 未だ気持の切り替わらない伸を見て、征士はそんなことを思うと、もう良いだろうと切り上げるように言った。
「だが今は別に三味線を買う訳ではない。この革は私達が昨日食べた牛肉から取ったものだ。それなら有難く使えば良いだろう」
 どう転んでも、人間は他の生物を栄養として生きるしかないのだ。けれどその時、死んで行くものを悼む気持を持てることも、人間ならではのことだ。
 猫が魚を食べて、魚の命を奪う罪を感じるだろうか?。答は否だ。だからこそ人間は高等な生物だと、論じられる根拠にもなっている。ただの傲慢ではなく、命とは何かを考えられる唯一の生物だからだ。
「うん…、まあそうだね?」
 すると、そこで漸く征士の方に顔を向けた伸は、やっと何かが腑に落ちたように笑った。
「食べる動物はそれでいいんだね。大事に使えば牛も報われてくれるかな」
 ただ伸のこだわる気持も解った。穏やかな人間の中にも残虐性が潜んでいる事実は、即ち気の優しい彼自身の中にも、何か禍々しいものが隠れていると感じさせるからだ。そんな自己への疑念をも、彼は鋭く抉り出そうとして悩む。
 なので征士は、自らの刃に傷付く彼をいつも、変わらぬ愛情で手当てすることを忘れない。



「少し早くプレゼント貰っちゃったね」
 夕方の銀座通りを、のんびり歩きながら家路に着く頃には、伸の尖りまくった神経も淡く沈んでいた。今はただ良い買物をしたこと、良いプレゼントを貰ったことに満足しているようだ。つまり、これまでの議論の落ち着き所を見付け、もう忘れていられる状態になったと言うことだ。伸は感情的なように見えて理論派だ。だから必ず答が出るまで話し合う。それに付き合うのも大切な義務だと征士は思っている。
 その後には必ず、こんな晴れやかな時間がやって来ると判るからだ。
 因みに、伸が最終的に選んだのは、始めに候補に挙げていたふたつの財布ではなく、より春らしい若草色のものだった。その時既に、彼の気分がその色に向いたのだとしたら、もう何も心配はなかった。牛革にワニの型押しなんて素材のことは、満開の桜の木の下にでも埋めてしまったのだろう。
 死を思えばこそ価値が判る物もある。我々の生活は前提として、他の命に支えられているものなのだと。
「お礼に今日は何処かで一杯引っ掛けて行こうか?。僕が奢るよ」
 伸が明るい顔をしてそう言うと、
「それではプレゼントを贈った意味がないのでは?」
 と征士は返した。誕生日プレゼントのお返しなら、三ヶ月後の自分の誕生日の時にすれば良い。今返されたらまたそのお返しを、近い内に考えなくてはならないと彼は慌てる。けれど、
「うーん?」
 と、何やら楽しそうな様子で思案する伸を見て、君が楽しいなら、君が幸福ならそれでも良いと思う。征士はただ、伸が伸らしい優しさに揺れ動く気持を、興味深く受け止めるだけだった。これまでもいつも、君の持つ感性や心の機微に惹かれて来た。そして今も、
「別にいいんじゃない?、今朝のバレンタインの話じゃないけど、強制的な贈り物なんて本当は居心地悪いだろ?。イベントじゃなくて、あげたいって思う時の方が僕には大事だ」
 と続けた伸に、征士は最も彼らしい正義を見て笑った。
「では有難く貰っておこうか」
 思えば昔から、バレンタインのチョコレートなどは、親しくない者から貰っても薄気味悪く感じていた。日本では習慣となっている、御歳暮、御中元の類も最早作業感が感じられる。征士は伸の話した、「贈りたい時が贈り時」と言う意見には大いに賛成だった。それなら仕込まれた商業活動に乗せられ、馬鹿馬鹿しく思うこともなくなるだろう。
 祝い、喜び、恩義、愛情、大切な気持はいつ芽生えるか判らない。
 人生のイベントは、恋のイベントは、本来他人に決められるものではないのだから。









コメント)伸の誕生日であるホワイトデーについての話、と言うだけだったんだけど、ちょっと気持悪い内容が入っててすみません(^ ^;。ナイフのように物事を鋭く抉る伸、を考えてたら、何かそんな方向に向かってしまいました。
ところでバレンタインデーを日本に広めたのはモロゾフ、と書いたけど、その説が一番有名なだけで、他にも諸説あるようです。それと、日本はホワイトデーまでしかないけど、韓国では4/14にブラックデーと言うのがあるそうで。結構日本以上にそういうイベントが好きな国なのかな?、と思ったりします。



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