苛立つ人々。
SOMEONE
IN THE MIRROR
history of the foursome



 傷付いて、疲れ果てて眠っている仲間の顔を見るのは、これが初めてではなかったけれど、ばらばらな個性を持つ集団の、要である彼が倒れている状況は、いつも堪え難く辛かった。
 同じ年の、体格的に大差がある訳でもなく、同じ立場の戦士として名を列ねながら、結局大した力になれていないような、酷く口惜しい気持。あの時何とかならなかったのか、他に方法はなかったのかと、思い返しては悔やむ気持。
 それぞれが、そんな思いを抱えて彼を見詰めていた。
 妖邪との戦いはまだ続いていた。けれどどうにか、新たな敵を撃ち破ることもできた。本当ならばもっと勝利に自信を深めても良い筈だった。
 不安と後悔。
 それでも、彼が起きて来た日には「済まなかったな」と、笑いながら言うのだろう。



 この国は今柔らかな光の世界。遠く晴れ渡る秋の空、幽かに北風を感じさせるきりりとした空気、僅かばかり色付き始めた山中湖畔の、絶好の行楽日和と言える。その明るい窓辺に、切り取られた四角の日だまりは、これから時が経つ毎に長い帯となっていく。
 退屈に時を刻むもの。それが目に耳に煩く感じる午後。
 昼下がりの柳生邸は、水を打った様に静まり返っていた。泥と化して眠り込む遼への配慮もあるが、この場に及んで、無邪気に楽しい話題を振る気はしない。ナスティは朝から研究室に篭りきりで、明るく甲高い子供のはしゃぎ声も、この時間にはまだ聞くことができなかった。
「っ…いってー…」
 居間のソファを立ち上がろうとした秀が、その途端、左膝に走る痛みに顔を顰めた。
 昨晩、阿羅醐以来初めて現われた敵との、勝負を決する戦いから戻った後、秀の片膝は、何処かに打ち付けられたように腫れ上がっていた。無論他の三人も、それぞれの部位が同様の変化を起こしていたが、一晩経つと誰もが見た目だけは、ほぼ回復したように映っていた。
 なので、皆それを我慢していたようだ。己の局部的な痛みなどより、尚苦しんでいる仲間がここには居るのだから、と。
「無理しない方がいいよ」
 食後のお茶を運んで来た伸が、居間のドアを潜るなり秀にはそう言った。小さく掠れた唸り声すら他の場所に聞こえる程、屋内からは物音が消えてしまっていた。しかし、
「…そんなこと言ってらんねぇだろ」
 秀は弱音を見せまいと、伸の手に乗った盆からいきり立つ調子で、自分の湯呑みをすっと奪い取る。その振動に、伸も僅かに顔を歪めた。左手に感じた痛みは、そうそう仲間を心配してばかりいられない、と直訴しているように思えた。
 他の者に比べ、自分が受けたダメージは最小だと伸は思っている。自分は左利きではないし、生活や今後の戦闘に於いて、他の仲間よりは不利を感じないからだ。秀と当麻はただ歩くだけでも曲がる膝に、常に辛そうな様子を窺わせている。そして最も深刻に悩んでいたのは征士だった。
「済まない」
 と言って、彼は左手で湯呑みを受け取った。一見普段通りの様子に見えるが、今朝は彼の日課である、朝の素振りすらできなかったようだ。日々規則正しく生活することにこだわる征士のこと、それだけで決まりが悪く、一日中落ち着かなく感じるのも解る。しかしそれより、もしまた新たな敵が現われたら、今自分はまともに戦うことができるだろうか、と彼は危ぶんでいた。
 昨夜は箸も満足に使えない程だったのだ。
「伸は、それ程辛そうにしていないのだな」
 秀の横に静かに腰掛けた伸に、目だけを上向かせて征士はそう言った。肩を落として、低い姿勢からそう眺められると、伸からは些か恨めしそうな態度にも見える。
 昨日から足繁く遼の様子を窺いに行き、又調査に忙しいナスティの代わりに、昼食の支度を買って出る程の伸は、他の仲間達の目には異質な感じさえしていた。が、
「ん、というか、元々左手なんてあんまり使わないじゃないか。負担がかかることが少ないからだね。そっとしておけば、君らだって痛くはないだろ?」
 彼がそう説明すると、
「そーだよなー、歩かねぇ訳にはいかねーもんな、ちくしょー」
 横から秀は同意しながら、己の身を不服そうに口を尖らせた。伸に成り替わりたい、とでも言うように。
「…あ、俺の飯は…?」
 そんなところへ、研究室から降りて来た当麻が顔を出した。食事の時間さえ忘れる程、研究室の何かに没頭していたのだろうか。
「台所にあるよ、ナスティの分も。あっため直さないと駄目だけど、…僕がやろうか」
 そう答えた伸は、やれやれといった様子で立ち上がろうとした。が、その時、ダイニングでその遣り取りを聞いていたナスティが、
「いいわよ〜、私がやるから、みんなは休んでて。当麻もそこで少し待っててね」
 と一際明るい声でそう返して来た。
 厭味なく気遣ってくれる彼女の好意を、伸は素直に受け取ることにしたようだ。また元の席に座り直すと、ドア側の壁に寄り掛かっている当麻に、
「今朝からずっと部屋に篭ってたけど、何か分かったのか?」
 と声を掛けた。恐らく他のふたりも聞きたがっている筈だった。
 しかし彼等の期待とは裏腹に、当麻は今一つ冴えない顔をするばかり。
「んー、分かったことより、分からんことが増えたって感じだな…」
 当麻の平坦な口調は、そう都合良く鎧の謎が解ける訳もないと、印象付けるに余りある風情だった。そうとは予想されても、今は遼が寝込んでいる、他の仲間も不具合を抱えている、心許ない状況に気ばかりが焦ってしまう。
「だーーーっ、勘弁してくれよなっ!」
 途端、騒ぎ出した秀は更に、ソファから身を乗り出して怒鳴り始めた。
「俺は智の鎧の力を信用して、謎の解明をおまえに任せてるんだぜっ!?、それがこの結果ってこたぁねーだろ!、全く、冗談も休み休み言ってくれよ!」
 膝の痛みの所為で、秀は今朝からずっと苛々していたのだ。本来ならこんな場面で怒りを爆発させることは、幾ら秀と言えども有り得ないことだった。それだけ、思う様に動けないことを悔しんでいたのだろう。しかし突然食ってかかられた当麻も、空腹だった所為か、普段のようにさらりとは躱さなかった。
「そんな言い方をされる筋合いはない!」
 珍しい当麻の怒声。睨み合っている秀よりもむしろ、他のふたりの方がその様子を恐ろし気に感じている。今何が起こっているのだろうと言う感じだ。
 更に当麻は続けた。
「おまえこそ大概にしろ!、おまえの指図なんか受けるかよ、ボス面すんな!」
「キッサマ…」
 愈々不味い雰囲気が漂って来た。秀が足を庇いながらも立ち上がろうとする、その右手が確と拳に握られている。このまま行けば、当麻は足以外にも痛手を受けることになるだろう。
 なので伸は咄嗟に秀のシャツを掴んだ。
「いちいち気に入んねーんだよっ、その態度!。えらっそうなのはそっちじゃねぇか!」
 動きを封じられた秀は、手が出せない代わりとばかりに喚き散らす。
「悪かったな!、だったら、少しはその馬鹿な頭を使えってんだ!」
「おい、当麻!」
 一歩前に出て怒鳴り返した当麻に、使える方の手で征士は制止を促す。暫しの間、上り詰めた緊張感がそこに、不可解な沈黙を置き続けていた。

 暫くして、いがみ合っていた二人の闇雲な怒りは、大分治まった様子に落ち着く。
 しかし今のことで、ここに居る全ての者が困り果てたような、遣り切れない心情に再び陥っていた。遼を案じる気持だけは皆同じ筈だが、そこから諍いが起きてしまえば、彼の『仁』の心に申し訳が立たないだろう。思えば矛盾だらけなのだ。
 ところが、
「フッ、クックックッ…」
 沈黙を破って当麻が突然笑い出した。見れば態度急変と言った様子で、実に愉快そうに笑っている。勿論だが他の三人は理解に苦しんでいる。
「何なのだ」
 彼のすぐ横に居た征士が尋ねると、周囲を囲む狐に摘まれた様な顔の面々に、彼は『研究報告』と言った風な話を始めた。
「…いや、昨日から考えていたんだが、今実に面白いことが確認できたんだ。そう、秀はそれでいいんだ、おまえは馬鹿でもいい」
「だから何なんだっての!」
 例え穏やかな口調であっても、罵られたらしきことには黙って居られない。秀は思わず口を挟んだが、
「まあ聞けよ」
 と言って当麻は彼を宥める。そしてここからは彼の独壇場だった。
「昨日、遼を追って埠頭で戦っていた時、突然手足が痛み出して困っただろ。今もまだこの通り完全じゃない。その原因を考えていたんだが…、遼はあの前の時点で、既に相当消耗していた筈なんだ。一人ではやられて当然だった。だから遼自身が新たに受けたダメージは、それ程ではなかったと考えられる。…そこで結論だが、遼と言うより『烈火』が危機に陥って、俺達の鎧に共鳴したと思えるんだ」
 大人しく耳を傾ける三人は、成程、とそれぞれに頷いて見せる。これまで鎧の共鳴ならば幾度もあったが、手足が痛くなるなどという現象はなかった。これは何か別のからくりだと、共通に誰もが考えていた。
「それで思い出したのが、一度阿羅醐に取り込まれた時のことだ。俺達の鎧は、本来在るべきポジションがあるらしい。元々の阿羅醐の鎧の、その部分だったのかも知れない。そしてそれは俺達の体にも照合されるのさ。俺は右足、秀は左足、征士は右手、伸は左手だ。その位置の意味も、少し分かったような気がする」
「どういうことだ?」
 話が佳境に入ると間を置かず問い返した征士。その余裕の無い様子は結局秀と同じ、不自由を強いられている状況を早く打開したい、と言う焦りだった。解決策はないかと態度が性急になってしまう、意外と脆い一面を彼は覗かせていた。
 その様子を察して、当麻は言葉を濁すことなく解説した。
「人間には右脳と左脳、ふたつの脳があるのは知ってるだろう。『右』とは心理学上でも、理性や知覚、現実の意識を司る。対して『左』は感情や感覚、無意識の心理を司っているんだ。まずそう言う分類の仕方ができる。それから、体を支える『足』と、物を創造する『手』がある。それらが左右に二本ずつある訳で…。な、面白いだろ?。こうして見ると、俺達はきれいに対照を描いて存在してるのさ」
『面白い…か?』
 当麻の話にそう感じたのは伸だった。
「俺達は特性が似ているものと、全く逆のものとを持って、ここに一同に会している。そしてそれらをまとめるものとして遼が居る、鎧は集まれば必ず力になるんだ。だからだ!、秀は馬鹿でいいんだ、それは俺が補っている」
「…馬鹿馬鹿って連呼すんなよぉ…」
 雰囲気だけでも納得できたのだろうか、気分が上向きになっただろうか。秀も態度を改めて大人しくそうボヤいていた。征士も特に引っ掛かるところがない様子で、当麻と秀の掛け合いを笑って見ている。けれど、
「中心に居るのが遼、という訳だね」
 そう言いながらも、何処か冴えない表情の伸を理解することは、まだ不可能だった。
「いいや、正確にはピラミッドだ。遼が頂点なら、俺達は四方の角だ、図形として美しいだろ?。それだけじゃあない、あの形は安定の象徴なんだ。そして力を生み出す神聖な形として、太古の昔から…」
 段々自分の説明に酔って来た当麻だったが、
「できたわよ〜、当麻〜」
 ナスティの呼ぶ声がそこに届くと、
「今行くっ!」
 と、途端に話を中断して部屋から出て行ってしまった。否、古代文明の話を延々とされるよりはいい、と誰もが思っていたけれど。
「なーんなんだよ、あいつ。…でも、まぁ」
 急に静かになった居間にて、秀がぼそっと呟いた。
「そっかもな。当麻はあんま戦闘向きじゃねーよ」
 すると征士も、あっさりそれに賛同するように付け加えた。
「参謀と言うタイプだろう」
「へへっ、じゃ、俺は実戦部隊ってとこか!」
 それで充分満足だというように、ソファの背にどっかと凭れ掛かった秀を横目に、伸はずっと複雑な思いを抱えている。おまえはこうだと決め付けられながらも、清々しく使命を受け止められる秀が羨ましい、と感じていた。
 自分の特性とは、自分の価値とは何だろうと思う。秀のように、或いは当麻のように、明確に表す言葉が殆ど見付からない。否それ以前に、自分にはそんなものがあるだろうかと思う。いつも自分を疑っている、何故自分は選ばれてここに居るのだろう。伸は考え続けている。
 ふと顔を上げると、丁度こちらを向いた征士と目が合った。
「さて、私達は何だろうな」
 征士も考えていた。
「さあ…分からないな」
 伸はそれだけ言って、また自分の中へと還って行った。例え同じように明瞭な肩書が無いにしても、自分と征士とでは、能力差が歴然としていると思えた。同列に置いて比べることはできない、と救われない考えに頭を巡らせ続けている。
 すると、
「ま、良く分からんが、頼りにしているよ」
 と征士は俯いている伸の上に声を掛けた。
『え?』
 声にはならなかったけれど、戸惑っている伸の様子から確と聞こえた返事だった。そして恐れるように顔を上げた彼に、征士は続けて言った。
「当麻の言った通りなら、何かしら補われているということだろう」
 自分が、とは言わずに、自分を、と彼は言った。
 特に意識をしなくとも、自然にそんな言い回しができる征士は、正に『礼』の鎧に相応しい人だと思える。そして些細な言葉にも傷付き、動揺するばかりの自分には有り難い、優しい存在だと伸はずっと感じていた。
「どうだろう、僕は全然そんなつもりはないけど…」
 自分はそうして、征士の配慮を有り難く受け取っているけれど、自分が何をしたという記憶は殆ど思い付かない。そんな心情を乗せた伸の返事には、
「その内見えて来るかも知れない。伸は、秀と違って単純ではないからな」
 と、征士は至めて明るい口調で返した。まるで、伸が悩んでいる事情を見透かしたように。
「わーるかったよっ!」
 秀は不貞腐れながらも、しかし笑顔を浮かべて、履いていたスリッパの片方を足先で、征士の方へと投げ付けて見せる。けれどそれを軽やかに避けて、
「事実だから仕方がない」
 と返した征士は、伸の目には一際輝いて見えた。

 自分で墓穴を掘っていた、『左手なんてあまり使わない』と。
 それが正に己だとしたら、その程度の価値しか己には無いと理解するしかない。これと言って特化した役割もなく、機能もなく、ただ体裁を整える為に存在する駒だ、と解釈するしかなかった。
 けれど、君が居る。
 己には何かしら役割があるのだと、君は言う。その言葉を信じていたい。例えそれが対でバランスを取る為の、戦闘には影響しない要素だったとしても、少なくともここは、自分を必要としてくれる場所だと教えてくれた気がした。
 君は偉大だ。僕はこんなにちっぽけな存在だ。それで釣り合いが取れているじゃないか。
 鏡の中の、僕の偶像。



「ねぇ〜?、ちょっと早いけどおやつにしましょうよ」
「いゃったー!、遅れんのは困るけど、早いのは大歓迎だぜーっ!」
 再びダイニングからナスティの声が聞こえると、秀は飛び跳ねるようにソファに凭れた体を起こして、少々ぎこちなくも足早に声の方へと行ってしまった。昨夜の状態からすれば、確かに急速に回復しているものの、まだ彼の膝は気に触る痛みを持っている。
 その様子を見て征士は、伸の方を振り返って言った。
「食べ物の前では文句を言わないな、秀は」
「まったくだね」
 伸も相槌を打つように笑う。
 その時ふと、伸は征士の手許に目を奪われた。痛む右の手首を左手で握っている、昨日から度々見られる不可思議な仕種。つい先刻もだが、征士は自己の不調や誤りがあると、自分が自分で居られないような恐怖を持つようだ。故にこの状況にはかなり参っているらしい。
 なので伸は、
「ちょっと手を貸してごらん」
 と言って彼の横に来ると、その右手を取ってこう言った。
「痛いの痛いの、妖邪の頭に飛んでけー!」
「…子供ではないんだ」
 何かと思えばそんなことか、と征士はやや呆れた顔を見せたが、
「でも僕の方がお兄さんだ」
 伸は得意そうに笑って、その場を逃げるように部屋から出て行った。その様子からして、冗談としてやったことに思えたけれど。
「…?」
 放された右手を動かしてみると、不思議と、筋を走るような痛みが消えていた。
 まさか、本当に伸の言う通りになったとは思えないが、確かに解ることは「治してあげたい」と言う彼の気持だ。ただ人を安心させる気持だった。
『…とすれば、私は人を不安にさせているのだろうか』
 あまり考えたくない答に行き着いた。
 征士は無理矢理頭を切り替えると、長く立ち止まっていたその場を後にする。廊下の向こう、ダイニングルームから聞こえる賑わいを耳にすると、もう先程までの不安は何処かに消えてしまった。確かに、心が軽くなったのを感じられていた。

 私は悩まなくて良い。おまえがそこに居るからだ。
 それぞれの迷い苦しむ心を預かっているからだ。
 鏡に映る、対極の人。









コメント/無理に名付ければ、征士は「特攻部隊」、伸は「支援部隊」ってとこでしょうか。あ、遼は大将なので別格ですよ。
ところで伸は「左利き」だとする本を、以前見た事があるのですが、そういう設定ありましたっけ…?。でもゆだみは断固反対なの(笑)。旧家のお坊っちゃんなのに、よくしつけられている身なのに左利き、ってちょっと納得いかない。
ということで、ゆだみんちの伸は右利き。多分当麻は左利き(笑)。




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