眠りの前
高校生日記
ロングバケーション
We've only just begun



 慌ただしく過ぎた時の中にも、気付かぬ内に積み重ねられた思い出がある。
 休暇に一息吐く度に、ただ懐かしく回想される様々な記憶。
 或いは、ただ懐かしいばかりに終わらない事もあるだろう。



 随分遠い所まで来たものだ、と征士は思った。
 それは単に距離の話でもあるが、サムライトルーパーとしての、これまでの己の道程を考えた時にも、だ。当初の五人には理屈も何もなく、ただ目の前に立ちはだかる敵と思しき対象に、がむしゃらに立ち向かっていただけだった。それが今、尽きることのない悪意の連鎖、或いは宇宙の真理に触れようという、途方もない状況を前にして、戦士としての最後の選択を終えたところだった。
 誰もこんな結末を、予め想像はしなかっただろう。いつの日か戦いの日々からも、与えられた使命、鎧からも離れる時がやって来ると、心の何処かでは感じていた。否、それが希望的な目標として、誰もが心に共通に描く未来だったけれど、事実終わってみれば、何故だか物足りなささえ感じてしまう。決して、これ以上戦い続けたい訳ではないのだが。
 終わってみれば呆気ない。
 たった二年程の期間、実際の二年よりも長く、単なる普通の学生の生活とはかけ離れて、充実し過ぎる程の日々を過ごして来た。傷みながら、悩みながら長い道程を歩いて来た。その道の先が、もうこれ以上は無いと突然告げられても、そうすぐには実感できないものだ。
 まだ誰もが現実と非現実の境界に居る、今はまだそんな状態だった。南半球の見慣れぬ高地の様子からも、凡そ人種的な共通性を感じない原住民族の村も、充分非現実的な演出の一部となっていた。

 ところでタンザニアでの一件を終えた後、秘境の集落にてタウラギ族の民衆は、若き指導者となるふたりを救った五人の東洋人と、ナスティ、純、そしてアフリカでは珍しい白い虎にまで、手厚いもてなしと謝罪の意を示してくれた。戦いに疲れた者、長旅に疲れた者、理由はそれぞれだが、安心して休める場を用意してくれたことは、誰もが素直に有り難いと感じた。
 アフリカの夜は暗く深い。故に集う星の明かりが何処よりも美しく瞬く。
 しかしそれを眺めに出る暇もなく、遠くで獣の唸る声を耳にすることもなく、一同はその夜は正体を失くすように眠ってしまった。まだ彼等の、社会的な意味での休日は暫くあるのだから、数日眠りこけても構わなかった。
 しかし翌日、まだ現地人さえ揃わない早朝から、征士はひとり起き出し、村の様子を窺いながらうろうろ歩いていた。疲れていようといまいと、習慣的にある時刻には目を覚ましてしまう。何処に居ても極力規律を守ろうとする結果、時差ぼけから生じる時間を持て余し、長い朝の散歩となったようだ。
 だがそれは意外な幸運へと繋がっていた。
 彼が見渡す限りこの集落には、現代的な道具と思える物はひとつも無く、日本で言えば縄文時代のような印象を受ける。こんな生活をする民族が地球の反対側に居ると、情報だけならテレビ等で得た記憶はあるが、実際現地に降り立つ機会がある者は滅多に居ない。正規に渡航した訳ではないが、ここで得られる体験は殊に貴重なものだと推測できた。
 使わない手はない。と、征士は夏休みの宿題を思い出していた。まだひとつだけ完成していない、自由研究のレポートがあった。適当な題材として既に植物の観察を始めていたが、それはこの際破棄しても構わなかった。アフリカの原住民の文化を見聞するなど、これが最初で最後かも知れないだろう。
 との考えに行き着けば、今ここであらゆるものを見せてもらうのが望ましい。物や道具は自由に見て回れそうだが、祭や儀式、挨拶行動などにこそ、独特の面白いものがあるに違いない。征士は早速住民の数人に声を掛け、是非彼等の文化を紹介してほしいと頼んでみた。
 すると思いも拠らず嬉しい返答を得られたのだ。昨晩からこの村では、来客との和平を願う儀式の準備を始めていた。勿論それは戦士達の為に行われるものであり、宴は今夜開かれるとのことだった。元より行動的な仲間達、今はまだ寝入っているが、午後にもなれば全員が起き出して来る筈だった。特にパーティだ宴会だと、賑やかな行事がめっぽう好きな者も居る。今宵は楽しい晩になるだろうと想像できた。
 それから、
 否応なしにアフリカ大陸に連れて来られたふたり、ふたりの居場所を割り出して追い掛けて来たふたり、その四人については、それぞれの身に起こった事も、もう既に過去とする程度に納得しているだろう。同様の経験をした集団には、自ずと結束力が生まれると言うが、今回に限って、本来居るべきひとりを欠いているのが気掛かりだった。例えこれが最後の仕事だとしても、否、最後なら尚のこと、一致した意識を共有したかったのだが。
 結果的には、彼の別行動のお陰で助かったようなものだが、本人は他の仲間のように晴れ晴れとはしていない。結果よりも過程の方が大切だとする通り、正にそこに引っ掛かりを感じながらも、伸は穏やかな様子を装っていたけれど。
 誰もが心配していた。恐らく本人が気に咎める程、周囲の者は彼の非を意識していない。だが、伸に取ってこの第三世界での思い出が、永遠に心暗い過去になってしまうのではないか、と誰もが感じている。これが苦悩した戦禍の日々の、漸く訪れた終焉と新しい始まりであるのに。誰もが一抹の淋しさと共に、これからの新しい目標、新しい希望を模索し浮き足立っていられるのに。
 何か、伸を励ましてやれることはないだろうか?。
 征士は徐々に活気を増して行く、朝の広場を行き交う民衆の行動をぼんやり眺め、暫くの間そんな考えに耽っていた。そう、征士は伸にお礼がしたかったのだ。戦いの中だけに限れば、それぞれが助け合って来た事実はあるが、それ以外の活動、ひとりの人間としての生活面では、何かと自分の我侭を聞いてもらって来たような気がする。
 人に我侭を言った憶えは殆どないが、何故か伸に対してはそんな意識を抱いている。
 そう言えば少し前にも、頼んだ訳ではないが、彼は助けに来てくれたのだ。と。



 砂漠やジャングルのイメージが強いアフリカに在って、タンザニアは海抜の高い高山の気候を保ち、日本人には割合過ごし易い国だと言われる。しかし正午ともなれば、日陰を作る背の高い植物や、大型建造物の少なさが少々困らせられる。直視に堪えない強い光を放つ太陽が、日がなじりじりと地上を焦がしているのだ。ここはアフリカの一地域に違いない、と言う趣で。
 拠って真昼に床で眠っている者など、この土地では病人と老人に限られる。人の見方を気にした訳ではないが、当麻も正午前には目を覚ましていた。本来現地人は昼食を摂る習慣がないが、彼等の為に用意された、何かが香ばしく焼け焦げる匂いに目覚めたのだ。食欲が睡眠欲に勝ることもあるらしい。
 ところが、その寝覚めの良かった当麻が広場に到着すると、会食に設けられた席に着く仲間達が、妙な声を上げて騒いでいた。渦中の人は恐らく遼と、彼等の傍に案内として立っているナリア。
「そっ…そんなバカなっっ!!」
 怒っているのとは違う。そのまま見ていると、遼は力が抜けたように拳を座卓の上に下ろしていた。そして彼の様子を神妙な顔をして見守る、いつもの面々が周囲を囲んで立っている。否、どうも少し人数が足りないようだった。
「そうでしょうか…?」
 遼に答えたナリアもまた、彼の反応にはかなり戸惑っている様子だ。遅れてやって来た当麻は漸くそこで、話の輪の中に加わることができたが、遼の次の言葉に、
「だ、だって、ふたりとも男なんだぞ!?」
 途端に、場に流れる妙な雰囲気を理解することになった。そう聞けば、ここに足りない面子がふたり居るのも、大いに納得できる状況だった。どうせまたろくでもない(ふたりに取っては楽しい)遊びを思い付いて、周囲の人の感覚を麻痺させるような、異様な行動をするつもりだろう。と当麻は想像していた。
 しかし疑問なのはナリアだった。彼女の対応には全く怪し気な雰囲気が感じられない。つまりそれは、タウラギ族に取っては「普通」と解釈できる事なのだろうか。それとも遼のみに常識外と言う意味か?。当麻は口を噤んで慎重に聞いていた。
「はあ…あの…、説明が足りなかったでしょうか?」
 やはりナリアは特に妙な態度を見せない。しかし遼は変わらずの一本調子で、
「説明も何も結婚式なんだろ!?」
 と、天地が逆さまになる程混乱した様子を晒していた。
 成程「結婚式」。まあ、法的な拘束力のないものだとしても、或いは質の悪い冗談だとしても、遼には理解に苦しむ事件かも知れない。ある意味白と黒の輝煌帝の対立よりも、不可解な事情だと感じているに違いなかった。けれど流石に周りで黙っている者達は、ほぼ冷静に(呆れて)それを受け流している。あのふたりがやりそうな事なのだ、実際。
 そこでナリアは改めて、ここに集う者達に詳しく説明をした。
「皆様、このタウラギ族には伝統的に、結婚式は男女の儀式とは決まっておりません。それぞれの家系を絶やさぬ為の契約ですから、後継者の居ない家系に養子を迎える時も結婚式なのです。呼び方に区別はありません。御理解いただけるでしょうか?」
 そこまでを聞いてしまうと、この際理解が及ばないのは遼のみだった。
 聞けば実に古代的でおおらなか社会システムに感じられた。元々男女の結婚制度はユダヤ・キリスト教の流れであり、単に人間の活動だけを取って言えば、結婚も養子縁組も大差のない行為である。と、当麻並びにナスティは普通に考えられた。しかしそこで思いも拠らぬ発言が飛び出す。
「遼にいちゃんって、意外と子供みたいだなぁ!」
「!?」
 心臓が止まる程驚いたのは、無論遼本人だった。純にすら簡潔に考えられる状況だと、他の仲間も薄々解っていた。
「どうせここだけのことなんだろ?。征士にいちゃんと伸にいちゃんは、前からこんなことやってたじゃないか。僕だって、せっかくアフリカまで来たんだもん!、びっくりするような面白いことがあった方が、絶対いい思い出になると思うな」
 純は子供らしい言葉遣いながら、非常に理路整然と話して聞かせた。そうなれば遼も、一方向に流れていた思考を改めねば、「おにいちゃん」としての立場がないと感じ始める。そう、自分はこの集団のリーダーとして、こんなに器の小さいことではいけないと。
「…そ、そうか、純。おまえってすごいな」
「エヘヘヘ」
 そして無邪気に笑いかける小学生を見て、そう、世界規模から言えば全く重要ではない事に、こだわっていた自分が酷く幼稚に感じられた。大将たるもの、常にみんなが楽しく過ごせる状況を考えて当然だ。何があっても悠然と構えていなければならない。それが己に与えられた役割ではなかったか…?。
 と、遼は俄に明るい笑顔に戻して、まるで生まれ変わったように答えた。
「うん、そうだな!。一生に一度きりの夏休みかも知れない、思いきり楽しまなきゃ損だよな!」
 そしてその一声で、広場は途端に晴れやかな雰囲気になった。なったのだが、
『いいのかよー…おい』
『…さあ…』
 すっかり意気投合した遼と純を囲む、秀、当麻、ナスティはむしろ不穏な雲行きを感じていた。人の奇行を呆れつつ眺める、と言う分には何ら問題を感じないが、両手を挙げて楽しもうとは更々思わない。それが普通の思考だと言っても、もう今の遼の耳には入らないと思う。全く厄介なことに、遼は何処までもストレートな男だった。

 大体、何故そんなイベントが行われることになったかを、当麻は知らされていなかった。
「それが、ナリアから聞いた話だけど、征士が村人に頼んだらしいのよ。伸がひとりで落ち込んじゃいそうだから、何かしようと思ったらしいの。それでどうして結婚式なのかは、タウラギ族の儀式の中では、最も盛大のものだからなんですって」
 ナスティがそう説明をすると、
「伸の為に…なってんのか?」
 当麻の更なる質問には、秀がやや面白くなさそうに続けた。
「それだけじゃねーんだよっ、夏休みの宿題のレポートだってんだぜ!。調子いいよなーあいつ」
 彼の不服そうな態度には訳がある。何故なら今年、秀の通う高校では偶然、自由研究などの宿題が出なかったのだ。もし同様の宿題が出されていたら、当然彼もこれをネタに、素晴らしく珍しい研究を提出できたに違いない。実に運のないことだと思う。
「クク、征士らしいな」
 いつも、待つより先に動く方が結果が良いと、当麻は彼から何度も聞かされて来たのだ。ある面では似たような気質を持ちながら、そこが自分と征士の違いだと当麻は知っている。だから何となく、お互い変わっていない可笑しさも込み上げて来た。
「でもどう思う?、当麻」
 しかしナスティはやや気になる話を添えて来た。
「私達の住む世界では、確かに結婚式って形式的なものだけど、ここではただのイベントじゃないと思うわ。宿題の為の話題作りとか、ただ誰かを励ます為のイベントにしちゃって…いいのかしら。結んだ契約を破るようなことがあったら、呪いみたいなものが現れるかも知れないわ。古代からの土着信仰って、科学では解明できないものが残ってたりするのよ…」
「…恐えーなぁ」
 秀がボソっと返した。確かに安易に触れるべきでないものは、まだ世界の各地に残されているかも知れない。けれど当麻は考えもせず答えていた。
「まあ、自業自得だろう」
 恐らくそれは協議するまでもなく、征士は解っているだろうと思うからだ。つまり後がどうなっても覚悟の上だと、彼ならそう言うに決まっていると。その時々の最善の為に、後の結果を恐れる奴じゃない、と当麻は解っているからだった。
 それから当麻の両親は既に離婚していた。結婚とは別段、必ず保障がある契約でも、永遠の約束でもないことを早くから理解していた。だから一生の中のあらゆる場面で、何を選択しようと自己責任以外の何でもない。好きなようにすればいい、と当麻は少し大人の意見で考えられていた。
 まあそもそも、そこまで真剣に考えるようなことではない…。
「征士はアレだ、今までの恩返しのつもりなんだろ、色々あったからよっ。ま、御馳走が出るんなら俺は何でもいいぜ」
 そして秀もそんな軽口で締め括った。
 ただひとりナスティだけが、どうにも腑に落ちない思いを抱えていたのは、それこそ「性差」としか説明しようがなかった。一応ナスティはまだ、結婚に夢を持つお年頃だったのだ。



 タンザニアの森に夜の帳が下りる。
 音を立てて燃える松明のかがり火が囲む、集落の広場には溢れんばかりの肉や穀物、色とりどりの果物と、薫り立つ酒の満たされた瓶が並んでいる。取り囲む緑の壁には夏の花が、天然の装飾として照らす炎に輝いている。有りの侭のイルミネーションと化す星の天井は、ルネッサンスの装飾画とも比較にならない、全宇宙の財産だと感じられる趣きだ。
 その広大な空の下に集う、ほぼ全員と思われる民衆が、独特の打楽器を手に祝いの音楽を奏で、歌い出す。この音律は昨日まで、少年達を悪魔として葬る為のものだったが、今の彼等は客人として歓迎される身だった。誰もが不思議な心境に至っていた。とんでもない幸運か、或いは悪運による巡り合わせか、何が起こるか判らないから旅は楽しい、と言うけれど。
 中央のステージ状の場に現れたムカラが、民族の正装をさせられた遼を手招いている。ムカラにしてみれば当然、遼は客人の代表者と看做される。全ては遼の意見、意向が、このイベントに反映される訳である。そして遼はもう迷わなかった。壇上に上がると、ムカラが差し出した聖杯を真摯に、そして機嫌良く受け取って、満たされた甘い匂いのする酒を一気に飲み干した。
 拍手と歓声が沸き起こる。代表者の了解を得た証を見て、遂に盛大な宴が始まったのだった。

「これすっごくおいしいよ!、遼にいちゃん」
 日本では目にすることのない果物ばかりを、純は次々に口に運んでいた。原住民の食物と言うと、現代人の口には合わなそうな想像をしがちだが、意外と美味しく感じる物が多かったらしい。他の仲間達も大いに食が進んでいた。
「見た目は妙だが、結構旨いもんばっかりだな!」
 遼は純にそう返したのだが、
「遼はこういうのお得意だもんなぁ!」
 秀が横からそう茶々を入れた。日本国内のレベルで言えば、確かに遼は野生児の部類かも知れないが、秀が人のことを言える立場なのかどうか。実際全ての料理に手を付けているのは本人だった。食に関しては遼も秀も同様のサバイバル者だろう。
「秀に言われたくないぜ!」
「おまえらは何処でも生きるに困らん」
 そして当麻は、生まれて初めて食する水牛の丸焼きを、美味しそうに齧りながらそう言った。
「貴様は何なんだよっ!」
「草食動物は取り敢えず安全な食物だ」
 当麻が一言そう説明すると、尤もらしい蘊蓄に誤魔化されたのか、秀はそれ以上を追及しなかった。実は何が安全なのか判らない説明だったが、とにかくみんなお祭りムードで和やかに過ごせている。だからどうでも良かった。主役のふたりがどうしていようとそっちのけであった。
 否、壇上の征士と伸の方を、虚ろな瞳で見詰めている者は居た。ナスティである。
 巨大な黒水晶から切り出された台座に、設えられた椅子の上にふたりは今鎮座している。タウラギ族の伝統的な正装衣装と、婚姻の儀式に用いられる装飾品を身に着けた、彼等はまるで一族の王と王妃として君臨するように、実に神々しく立派に見える。恰も大航海時代に植民地に降り立った、白人の為政者の図々しい様を思わせる。それを「幻想的だ」と当麻は冗談半分に称賛したが、何とも絶妙な形容だった。
 考えてもみよ、元よりあのふたりは、有り得ないシチュエーションを楽しみに出掛けるなど、何かになり切って遊ぶのが好きなのだ。正に俗人離れした儀式に臨み、傍に待機する世話人のもてなしを何の戸惑いもなく、優雅に受け入れているのは流石だと思う。彼等はきっと充分に満足していることだろう。
 尚、西洋式の結婚式のように、指輪の交換だの誓いのキスだの、と言うものは特にないようだ。ただこうして、民衆に祝福してもらう為の儀式らしい。だから大した問題もない筈だった。
 ところが、
「もうイヤァァァーーー!」
 宴も酣となった頃、ナスティが突然奇声を発し始めた。
『や、やばい!?』
『やはりナスティには酷だったか?』
 予め彼女の様子を心配していた秀と当麻は、思わず顔を見合わせてしまう。ふたりの思うところは色々だ。西洋育ちでブルジョワで上品な環境に暮らして来た、ナスティの神経にはこんな粗野な様子は耐えられないのかも知れない。或いはこの恐ろし気な結婚式が、酷い悪夢のように思えるのかも知れない、などなど。
 しかし次のナスティの一声には、それらとは全く違った思考が感じ取れた。
「あたし達、ずっと当てられてるみたい〜〜〜!」
「確かに…」
 それには当麻も穏やかに同意していた。まずこの儀式自体、それを目的にしているのだから仕方がない。そして秀がもう少し突っ込んだコメントを続ける。
「珍しいって言や珍しいが、何もアフリカに来てまで、こんな気味の悪い冗談を見せられるとは思わなかったよなぁ!」
 するとその発言に後押しされたのか、口当りが良く度数の強いアルコールのせいなのか、ナスティは恐らく、最も言いたかった本音を語り始めていた。
「冗談よ、冗談であってほしいものだわ。あたし達は自費でここまで来たのよ?、どんなに苦労して辿り着いたと思ってるのよーーー!!」
 命懸けの旅路の果てにこれか、と言う意味なのだろう。
 人を励ますにしても、他にやりようはあった筈だ。旅のゴールには人知を越えた神秘的な、謎を解き明かした達成感と満足感、未知の人々との感動的な交流があると彼女は信じていた。極めて真面目な探究心に支えられてこそ、ここにやって来ることができたと考えていた。そんな研究者としてのプライドと乙女の夢を、打ち壊した対象がとにかく憎いのだ。
 それに加え、遼と征士は輝煌帝の力に連れられ、また伸は理屈もなくここにやって来てしまった。だからこのアフリカ滞在について、三人は今非常に呑気に過ごせる心境なのだろう。ナスティは不幸にも、そんな意識の違いも見てしまったようだ。秀と当麻にしても、これまでの苦難の道程を忘れた訳ではなかった。
「俺だって自腹で来てんだぜ!」
 途端に秀は腹の虫が騒ぎ出すのを覚え、大体誰のせいでこうなったのか、とも思う。
「ついでに言えば、俺達伸に殴られて来たんだよな。祝福しろったって割に合わないさ」
 続けて怪訝そうに話す当麻に、
「っだぜ!、こんなことやってる場合か!!」
 秀はその場を立ち上がるアクションと共に、当麻に賛成する意思を明白に示した。面白くない、考えれば考える程面白くはないと。
 しかし今にも何かを起こしそうな秀に、
「まあまあ、いいじゃないか!」
 と、遼はとにかく朗らかな様子で声を掛ける。
「今日は俺達の、ひとつの使命を終えた記念でもあるだろ?。無礼講ってことにしようじゃないか!」
 やはり酒のせいなのか、些か遼らしくない発言が聞かれた。が、
『本当にいいのかそれで…?』
 大将の意思を尊重しない訳にもいかない。それが鎧を失った後にも残る結束だと、当麻と秀は、この場は大人しく引く他なくなってしまった。既にひとりの世界に入っているナスティは、ぽそっと聞こえないような小声で呟いている。
「あたしも幸せになりたい…」
 美しい夜、松明の明かりが夜空に半月を炙り出していた。それぞれの心にそれぞれに残った、タンザニアの明るい一夜だった。



 翌朝。
「じゃあお先に!。みんな気を付けて帰ってね!」
 ナスティの晴れ晴れした声が、まだ陽の昇り切らない爽やかな青空に谺する。もうすっかり機嫌を直したような、開き直ったような明るい笑顔だった。
「じゃあな!」
「お達者で〜」
 過ぎてみれば短いようだが、様々に苦しんだアフリカからの帰路に立つ、当麻と秀の心には、些か複雑な清々しさが感じられていた。実感とは常に後から付いて来ると言う。ふたりはそんな言葉を思い出していたかも知れない。
 しかしこの三人の陽気さは勿論普通ではない。
「…可哀相だよ、遼にいちゃん達…」
 純だけは、道の上で何度も振り返りながら、ナスティに手を引かれてその場を後にした。つまり、村に残されたパスポートの無い三人は、手続きが済むまでここに居るしかなくなった。置去りにされたも同然だった。これまでの通例なら、全員の条件が揃うまでみんなで待つところだが、そんな心境にはなれなかった正規入国組。
 彼等が意気揚々と引き上げて行く様を、理解に苦しみながら見送った遼、征士、伸。まあ、何も無い砂漠に置いて行かれた訳でもなし、この環境に耐えられない連中でもなかったが。
 そして、彼等が不愉快に感じないなら、今後も決定的な亀裂になることはないのだろう…。



「ごめん」
 と伸は言った。タウラギ族の村に置去りにされたのは、伸の所為では全くなかったが、何故だか伸は一言謝っていた。
 賑やかな祝いの夜は過ぎ、今夜は簡素なテントの中で静かに過ごしている。夕食時を終え、辺りがすっかり夜気に包まれると、昨日の明るい晩のようにはいかないことを思い知った。アフリカの夜の闇は暗く、注意が必要な猛獣なども徘徊している。安易にテントを出ることもできず、多少窮屈に感じながら過ごす睡眠前の時だった。
 日中は村人の行動に混じり、広範囲に動き回っていた遼。今は気持良く疲れて既に寝息を立てていた。大体夜の八時頃だと、朧げに感じ取れるばかりのゆるやかな時の流れ。たまにはそんなのも良いと思うが、自分達が在るべき世界の、何らかの決まり事に急かされる事情があれば、心穏やかには居られないかも知れない。
 例えば夏休みの宿題、例えば大事な部活動など。伸はそんなことを案じているのだろう。
 誰が誰の為に、今の状況を作ってくれたのかを知っているからだ。否、それは自分なのか、自分の中に居る別の人なのかは、今を以っても判別できないけれど。
 ただどちらであったとしても、伸は嬉しかった。仲間達から微妙に心が離れてしまった自分に、それはほんの一時の杞憂だと印象付けてくれた誰かが居る。距離を置こうとする考えこそ愚行だと、諭して手を引いてくれる誰かが居る。自分は何と恵まれているのだろうと思う。
 いつも、多くの、楽しいと思う時間は君がくれた。
「流石に退屈だね」
「…私はどうでも、奥様が良ければいいのだ」
 すっかり寝入っている遼の横に、寝そべる伸が見上げた視界には、満足そうに夜空を眺める征士が座っている。この期に及んでも、彼の口からはあくまで、余興の続きを楽しむ言葉しか綴られないのだ。こんなに大切な時、自己の悩みに負けそうな時だからこそ、視点を逸らさせようとする努力は必要かも知れない。征士は経験的に、独自の感情に嵌まり易い伸を理解していた。
 ただそれは、伸に嬉しいことではあったが、不思議な状態にも感じられていた。
 征士は最初からこんな人間だっただろうか?。
 否、そうではなかったと思う。幾度も繰り返されて来た彼等の歴史の中で、征士もまた今の姿に成長したのだ。それこそ『サヨコ』と同じように、相手に似合う自分を自ずと作り上げて来た。
 だからもう、どちらでも良いと思えたのかも知れない。
「君にホントにそんな気があるなら、別に構わないけどね」
 と伸は返していた。星の数を端から数えるように、無心に空を見ていた征士は、
「…え?」
「前に言っただろう、僕はどんな人生を生きてもいいんだ。鎧もなくなったことだし」
 そしてはっと我に返る。そう告げた伸はもう、穏やかな眠りに入ろうと目を閉じてしまったけれど、無論追及しなくとも、その意味を理解できない征士ではなかった。

 今更だ、と思う。今更複雑な事情を蒸し返すのはどうかとも思う。今更そんな潔さを持ち出されても困るばかりだ。
 しかし俄に古傷が疼き出すのを無視することもできなかった。
『どうしようか…?』
 問題は再び征士の方に渡されたが、まあ、それは幸せな苦悩に過ぎない。

 考える時間は沢山ある。戦士達の長い休暇はまだ、始まったばかりなのだから。



終(一応ね)





コメント)あー面白かった。いや、ナスティだけは可哀想だったですね。輝煌帝伝説は突っ込みどころが沢山あるので、ギャグがいくらでも思い付く良作です(笑)。
一応これで高校生日記のシリーズも終わりです、御愛読ありがとうございました!。って、何故「一応」なのかと言うと、この先は時間が飛んじゃって、相当先に結末的な部分があるんですが、シリーズとして並べるのは変なので、今はアップしないでおくことにしました。
征士の決定については、どう解釈してくれてもいいんですけどね(笑)。これから原作基本シリーズの方にも輝煌帝伝説の話が入りますが、そっちに繋げて読む事もできちゃったりします。だからこれまで双方の進行状況が同じになるように書いて来て、輝煌帝伝説までは、原作基本シリーズでも、中学生日記シリーズでも、好きな方を選択してくれ!って感じです。
そんな訳なので、これで完結!大円団!、ってラストじゃなくてすみませんが、今後のストーリーは何を読んでもOKなのよ!ってコトです、はい。
さて、番外編にまた当秀バージョンがあるので、それについてはお楽しみに。ちなみこの「ロングバケーション」の後話だったりします。




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