キラキラもーりくん
君 は 光
I think you're light



 伸はふと、以前に読んだ科学雑誌の一節を思い出していた。
『光は光子という微粒子であると同時に、音のような波調の性質も持っている』



 まだ夜は明けない。鎧戦士達の夜は明けない。残るひとりの同志の居場所を探して、右往左往する日々は一応昨日で終わったが、「天空」から彼を連れ戻す方法は判らないままだった。そして討議の末明日には、新宿に偵察に出る計画を立てたところだ。
 天橋立に広がる空は思いの外広い。初夏の夜空に浮かぶ全ての星、宙空に存在する全ての物をも見渡せる、巨大なスクリーンに囲まれているように感じた。獅子座の尻尾デネボラ、白く清らかな乙女座のスピカ、それにアルクトゥルスを加えた、肉眼で見付けることのできる春の大三角。それを形成する星達は皆、巡って来た自分の季節を謳歌するように輝いている。
 そう、今にも走り出して、何処かへ行ってしまいそうに。

 草地に野宿をしていた頭の上で、密かな話し声と物音が聞こえた。妖邪の襲撃、とは思えない。怪し気な気配は全く感じられなかった。続けて、彼らに同行している純の眠たそうな呟き。
 征士はゆるりと上体を起こして、声のした方向を遮る樹木の、茂る葉をそっと掻き分けて覗き見る。実と虚を、上辺と本質を見分ける、彼のアメジストの瞳に映ったのは、今正にこの場を走り去ろうとするふたりの後ろ姿。そしてその後を着いて行く白い獣の、小気味良く流れる四足の足音もする。夜空と地平線との境目に、見る間に姿を消して行くそれらを確認して、『しまった』と征士は小さく舌打ちした。
 昨夜の決定に明から様に不満を示した秀、そして何を考えていたのか、大人しく論議を引き下がった遼のふたり。このまますんなり事が済むなどと、楽観視した者は恐らく居なかっただろう。このような事態はある程度予測できるものだった。
 征士は咄嗟にそれを追おうと気が逸り、地に着けた足先に力を込める。ところが半ば立ち上がって、確認するように後方を振り返った途端、その気概はすっと後退してしまった。彼の背後、水辺に近い叢の傍に、伸は蹲るようにして静かに眠っていた。
 調整役とでも言おうか、これまでの伸の言動を見て来て、征士は彼が担っている立場を朧げに、と言うレベルには理解できたところだった。『仲間割れをするな』と繰り返されるこの状況に於いて、彼が皆に気を遣っているのが手に取るように解る。
 例えば、纏まらない自分達の面倒を見てくれる、年上のナスティに対する配慮。恐らくどんな決定が下ろうとも、伸はまずナスティの判断に従うだろう。それぞれが我を通そうとした昨晩の、個性の違いがくっきりと浮き彫りになった、議論とも呼べない掛け合いの中に在っても。
 今は無心に眠る彼を見ていた。
 彼の安らかな眠りを断ち切るのは、些か不憫な気がした。



 翌朝伸が目覚めたのは、何やら憤慨するようなナスティの声。
 明け方の空は青白く、昼間の暖かさとは違う空気が、僅かに露出している皮膚をひんやりと包んでいた。昇る日が辺りを輝きに彩れば、日中の天気を予感させるように空気も澄んでいる。そんな中、尚も耳に響いて来るナスティの声色は、己が無力を知らぬ、朝の鶏鳴の悲痛な趣に似ていた。変わらず朝はやって来るけれど、その自然の成り行きを変える程の力も英知もない、愛しむべき小さな存在を想像させた。
 穏やかとは言い難い朝だった。けれどその雰囲気にさえ溶け込むように、伸は音も無く静かに立ち上がって、声の主の居る方向へと歩き出していた。木々の茂みを抜けると、今は汚れ切って冴えない赤のパジェロの前に、ナスティと、困ったように体を折り曲げた純が立っている。向こうも近付いて来る伸に気付いて、早く、と急かすように手をこまねいて見せた。
「ねえ、遼と秀が、夜の内に新宿に向かったって言うのよ!」
 叫びにも似た声を発しているナスティ。
「え…?、純は知ってるの?」
 すると、体を前に倒したまま顔だけを上げた純は、子供ながらも済まなそうな顔をして言った。
「うん…、『お兄ちゃんたちは先に行くから、みんなは新宿の外で待っててくれ』って、白炎も一緒に行っちゃったんだ」
 寝入っていて気付かなかったとは不覚、と伸は心の中で敗北感のようなものを噛み締める。部外者である純でさえ目覚めたというのに、戦士として自覚が足りないのではないか、と自己嫌悪にも感じていた。
 それにしても、遼と秀にはまんまとしてやられた訳だ。身勝手ではあるが、彼らの行動力を侮ってはいけなかった。そして子供である純が、彼等を説き伏せるのは不可能だからこそ、彼にだけそれを伝えて行ったのだろう。気付いたのが自分なら、間違いなく止めるか諭すかしていた筈だった。
「…あれ程勝手な行動はダメって言ったのに…、下手な行動をすればする程、当麻に危険が及ぶってこと分からないのかしら…」
 ナスティは腑に落ちない面持ちで、誰に聞かせる訳でもなく呟いている。彼女にしても、残されたひとりを無事生還させることが第一、と判るが故に、敵に出し抜かれることへの焦りが、神経を尖らせてしまっているようだ。自分の提案を受け入れてもらえなかったことに、多少なりとも傷付いているナスティ。その様子を見て伸は、彼女にはこのように返事をした。
「分からないんじゃなくて、二人共『思い立ったらすぐ行動』って性格なんだと思うよ。考え込んで答えが出る事じゃないし」
「それはそうだけど…」
 大した慰めになる訳でもない言葉、と知っていて彼は穏やかに微笑んだ。意味が無いと判っていても、それしかできないこともある。明けを告げる鶏の声よりも増して、今は無力な響きを呈するしかない。ただ日がな繰り返されるばかりの、留まることのない水の流れの様に。
「でも私達だけの問題じゃ…」
 ナスティがかぶりを振るようにそう言いかけた時、何処かから戻って来た征士が、ふたりの会話に割り込んで来た。
「人の忠言に耳を貸す連中なら、私が止めているさ」
 流れを断ち切った、その断定的な言い種に伸とナスティは眉を顰める。
「どう言うことなの?」
 と、ナスティは問いかけるが、特にふたりの方を向きもせず、しかし征士は曇りのない言葉で答える。
「夜中に、遼と秀が走って行くのを私は見ていた。ふたりに追い着くことは可能だった。だが、何を言っても聞かないだろうと判断して見送った、という訳だ」
「何で!?」
 途端強い調子で聞き返したのは伸だった。
「追わなくってもいいけど、他のみんなをすぐ起こせばいいじゃないか!、こんなに時間が経っちゃったら、もう僕らには手の打ちようがないだろ!」
 無論それは事態を思っての発言だったが、伸は不信感に満ちた態度で訴えていた。そうでなければ、今彼が自分に劣等感を感じている理由も解らない。事実は自分一人が事態に気付かなかった。そのことが、戦士としての価値を揺るがす要素になると思うと、悔やんでも悔やみ切れないではないか。
 けれど、恨みがましい視線を向ける伸を見ても、「人の気も知らないで」などとは征士は考えない。
「良いではないか、余計な横槍を入れず静観する方が、ふたりのプライドも守られるというものだ」
 過ぎ去った出来事を切り捨てる様に、征士はスッパリとそう言い切っていた。
 前だけを見ている。
 誰かを責めるでもない、悔やみもしない、淡白とも思えるその判断にはしかし、仲間を信頼する気持ちも込められているのが判る。思い付きなのか、考えに考えた理屈なのかは知らない。けれど誰もが『言いたくても言えない』言葉をあっさり言ってのける、それが征士と言う個性であり、彼が光の戦士であることの証だと感じる。その鋭い切っ先は、どこまでも真直ぐに伸びて行くのだと。
 ナスティと共に口を噤んでしまった伸は、その一言で何となく説得されてしまっていた。確かに、先行した彼らは彼らなりに、自信を持って行動している筈だったので。

 己の言葉はこんなにも無力なのに、剣のように突き刺さる言葉も存在するのか。

「…そうね、とにかく今はふたりに追い着くことだけを考えましょ。そうと決まればすぐ出発よ!」
 ナスティも漸く踏ん切りが付いた様子でそう言った。わだかまりを残してはいるが、明るい表情を戻した彼女を見上げる純も、しょぼんとした態度を自ら切り替えるように笑う。
「でもちょっと待ってお姉ちゃん、僕まだ顔も洗ってないんだ」
「あ、僕も」
 伸と純がそう言うので、既に車のドアに掛けられていた右手を、ナスティはすぐに引っ込めてくれた。四人の内二人なら過半数、と言う実に民主的な裁定は、彼女の人柄が素直に表れている例だろう。そして溜め息交じりに笑いながら言った。
「分かったわ、早くしてね、ぐずぐすしてるとまた仲間割れしそうだわ!」
 少々皮肉も混じっていたが、無論それは冗談に過ぎなかった。なのでそこに返事が返って来るとは、言った本人も予想をしなかった。けれど、
「不可能だ」
 ポツリと答えた征士。ナスティは横に居る彼の方に視線を向けたが、その表情からは何も汲み取れなかった。征士が何を思っているのか、を端から憶測するのは難しい。大雪山での経験からナスティが得た知識のひとつだった。否、それ程複雑な思考をしているとも思えないが、普通とは違う所に思考基盤を置いているような、何処か風変わりな印象を皆に与えている。
 そしてここに居るもうひとりも、いつも穏やかで人当たりの良い人物ではあるが、こうだと言い切れるもののない、不明瞭な性格の持ち主と言って良かった。
 その『よく判らない』伸が、純に合わせてゆっくりと歩きながら、
「征士は元々敵だからさ」
 と、車の前に立つふたりに笑って投げかけた。理解不能、と感じたのは征士もナスティも同じだが、征士の方が僅かに早くそれに反応した。
「どういう意味だ?」
 言うなり、その場を離れて行く伸を追いかけようと、征士の足もその方へと歩を進める。先程まで何処ともない空間に向けられていた視線が、今は前を行く者を真直ぐ捉えていた。それ程集中するようにものを見詰める、人には『恐い』と評される瞳が伸を見ていた。
 けれど、そうして着いて来た彼を見据えて、伸はいつぞやの様に愉快そうに笑うのだった。
「忘れたとは言わせないよ、関ヶ原の合戦だ!」
 幾分力の篭った声で放たれた、その内容は更に突拍子もない。
「は…?」
 突然何を言い出したのかと、征士も間の抜けた返事しかできないでいた。すめと伸は歩きながら、扇子で机上を叩く振りを入れて、講談士の講釈の真似事をして見せる。
「…戦国時代も末になり、無駄に争うは身の為にならずと知ると、多くの武将が日和見を決め込み、次々徳川方へと寝返る始末、豊臣方の忠臣はあえなく敗走の一途を辿ることに…、哀れ毛利輝元公は敗戦の上に罪を着せられ、慣れ親しんだ安芸の国を追われ、萩へと城を後退する羽目になってしまいました…」
 伸は最後に、パン、と手を打ってその話をきれいに締め括った。つまり関ヶ原の合戦に於いて、伊達政宗が徳川に加担したことを言っているのだろう。
 しかし今更それが何だと言うのか。
「そんな事、私が憶えている筈がない!」
 征士の不服そうな物言いが耳に聞こえると、逆に、伸は満足そうな顔を露にして見せるのだ。
 案の定だった。征士はこう返して来るだろう、と予想していたのだ。つまりそれは伸の『遊び』に過ぎなかった。
「冗談に決まってるだろ〜、ムキになって答えなくていいのに〜」
 水道を使っていた純が思わず振り返る程、伸はいつになく派手に笑い声を上げている。けれど笑われていることに、征士は不思議と腹立たしさを感じなかった。目の前の情景を見て、征士はその向こうに、過去の幾つかの場面を思い出していた。
 こんな風に、人にからかわれることが過去からあった。その度恥ずかしいような、遣り切れないような困惑ばかりが残ったのを思う。自分は他の者達と同様に生きているつもりだが、何故自分ばかりがからかわれるのか、征士本人には未だ解らないでいる。勿論、たった一言で言い包められたことへの、伸の報復であるとは気付きもしない。
「…可笑しいか?」
 征士にしてはややトーンの鈍った返事。なので、伸もそれ以上意地悪い言い回しをするのは止めた。
「いや?、…君は真面目なんだなぁと思ってさ。だから人を納得させることが言えるのかな。ちょっと悔しいよ、かっこいい所をみんな持ってっちゃうしさ」
 伸は、水道の蛇口から流れる水に手を浸しながら、愚痴を聞かせている自分を呪うように息を吐いている。できれば戦闘以外のことで落ち込みたくはない、と思う。己が己でなければ恐らく、今ここに戦士として身を置くこともなかっただろう。けれどそれにしては、己は余りに非力だと伸は感じているからだ。
 何を以って価値を測るのかは知らないけれど。
 口を尖らせながら顔を洗っている、伸の様子を暫し眺めていた征士が、
「ククク…」
 と笑い出したのを耳にして、
「君には笑い事だろうけどね!、僕は色々考えてるんだよ」
 そう言って伸は彼の方を振り返った。
 ところがその目に映ったのは、自分を嘲笑するのではなく、征士本人が自嘲している姿だった。彼は額に右手を被せて、何故だか困ったような顔をしている。そして実に妙な話を切り出した。
「…参ったな、どう弁解しても角が立つ。伸は色々なことに気を回し過ぎだ。知らなくて良いことまで知ってしまうと負担が増える。考えない方が良い、むしろ眠っていろ」
「それって…何?、どう言う話?、弁解って何のこと言ってんの?」
 拭う間もなく顔の上を滑り落ちる雫が、混然とした思考を立て直そうとする頭には煩く感じる。伸同様、征士も唐突な話題の持ち込み方をしたが、伸には某かの真実がそこに在ることが解った。彼が言うように、知らない方が良いことなのかも知れない。とは言え自分を辞めることはできないのだから、知りたがる気持を押さえることもできない。
「つまり…」
 余り気が進まない様子で征士は続けた。
「昨夜のことだ、私は遼と秀を追おうとはしたが…、伸が寝ていたから諦めた」
 あれ?と伸は首を傾げる。
「先刻言ってたことと違うじゃないか」
 すると征士は悪びれもせず、
「そうなのだ」
 と答えていた。
「偵察案の話もあって、伸を置いて行く訳にもいかない。だが、よく眠っているな、と思ったら起こすのも躊躇われた。だから起こさなかった、それが本当のところだ」
「…僕の所為だと…?」
 そう零した伸の顔が、微妙に引き攣っているのが判る。確かに知らない方が良いことはあるものだと。否、大方伸と言う個性は、己の苦悩のみならず、自ら他人の荷物まで背負い込もうとするからだ。それが周囲の目には、ひとつの心配な要素として映っていることも、未だ本人は気付いていない。
 己を知らないことはお互い様だった。
 ならば知らず知らずの内に、お互いを傷つけ合っていても不思議はなかった。
 けれど、征士はこう返す。
「始めから遼と秀が行くことになっていたんだろう?」
「ちょっと待てよ…」
 事実に対してあんまりな結論かも知れないが、征士に取ってはそれが、唯一無二の真実だとでも言うように終始していた。最早力無い反論などに耳を貸す態度でもない。
 そして話はそれで終わったと、征士は暫くの間立ち止まっていたその場所から、ひとり踵を返して戻って行ってしまう。一方的な態度はいつものことだ、今更驚くものではないけれど、適当な理屈をでっち上げて颯爽と歩いて行く彼に、
「嘘はいけないよ嘘は!」
 と伸は破れかぶれな調子で追い縋るばかりだった。

 誰も傷付かないならその方が良い、と誰かが言う。
 確かにそうだ、とは言い切れないけれど、
 何より僕は、一人で残されなかったのが、嬉しかった。



 朝日がオレンジ色に変わり始めていた。漸くナスティの愛車は一般道を抜けて高速に入った。東京の異常事態を察してか、何処の道も普段に比べて車の数は少ない。後は順調に、目的地の新宿まで飛ばせそうだと思えた。 
「…それにしても、遼と秀には振り回されるわ」
 アクセルを踏みながら、ナスティはまだブツブツ小言を言っている。すると後部座席からは、
「いい加減にしたらどうだ、文句を並べれば状況が良くなる訳でもない」
 と、酷く冷静な批判が返って来た。
 彼等の中では年長者であり、如何にも清廉な才女であるナスティが恐縮する言葉を、征士は顔色も変えずに平然と言える。演技でもなく、彼は大真面目に話しているだろうと思うと、その傍若無人と言おうか、唯我独尊と言うべきか、そうした彼の態度を横で見ていた伸には、何故か笑いが込み上げて来る。
「その揺るぎない自信は何処から生まれて来るの?」
 と尋ねたかったが、その前に吹き出してしまった。
「…可笑しいか?」
 伸が自分を見ていたのを知って、征士は俯いて笑っている彼にそう声を掛ける。今日はこれが二度目の同じ遣り取りに、機嫌を損ねてしまわないかとヒヤヒヤしている伸。けれど、恐る恐る顔を上げて見ると、珍しく作り笑いをして見せる征士がそこには居た。

 車の窓に凭れる、彼の肩越しに差し込む朝日の帯。明るい色の髪や皮膚を透かして、ともすれば消え入りそうな、気紛れな大天使の絵画の様にも見えた。けれどそこに居る『光輪の征士』という存在には、虚ろな趣は微塵も感じられない。例え見えなくなっても、彼がここに居ることは確かだと思えた。
 伸はふと、以前に読んだ科学雑誌の一節を思い出していた。

 君は本当に、光の戦士なんだなぁ…。と。









コメント/あれだけ夜中に物音がして、起きないんじゃ間抜けもいいとこだと思ったので(笑)、こーゆー補足をさせてもらいました。征士には先見の明があったですね(笑)。「どうせ私は主役ではないし」



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