暗い…
神は無情な沈黙で
THE SILENT SIGN



 僕の強さについて、弱さについて、存在について、孤独について、
 これまで何度繰り返し考えて来たか知れない。
 けれど君の強さについて、弱さについて、存在について、孤独についてを、
 そこまで考えたことはなかった。

 君が自分を信じなくなることがあるとは、思わなかったからだ。



 春まだ浅く、頬打つ風もまだ冷ややかに指先を掠めて行く、三月。
 毎年三月に入ると途端に、僕の周囲は賑やかになるものだった。無論行事や人の移動が多い時期でもあるが、僕は丁度そんな微妙な時期に生まれたのだ。寒いとも暑いとも言えない、嬉しいとも悲しいとも言えない、始まりとも終わりともつかない季節。
 僕は完成という結果を待つ命の中の、未分化な細胞の様に、何処に振られるのかまるで判らない立場だった。人の動き出すこの季節では、昨年知り合った人と、今年はまた別れることもある。しばしば誰もが、記憶を通り過ぎるだけの通行人と化してしまう。
 だからこんなことになる。
 今最も近しいと感じる仲間達と、常に同じ視点で、同じ気持を共有していたいと願っても、こんな時に限って「違い」を意識する他はない。僕に取っては、穏やかに巡って来た十七回目の三月だけれど、他のみんなは今それどころじゃないようだ。もう少し、あと半月程早いか遅い日に生まれていれば、毎年誕生日を楽しみに待って居られるのに。
 僕は何故ひとりきりでこの世に生まれたんだろう。こんな淋しさはずっと知らなかった。
 彼等を知らなければ、即ち自分が鎧に共鳴する者でなかったら、その集団に属するこだわりも生まれようがなかった。今感じている自分の気持、あらゆる意味で、ひとり離れていることの淋しさに辿り着いてしまった、それは幸運なのか不運なのかと考える。否、幸運であり不運だ。僕の前に用意される問題はいつも、そんな風にふたつの答を持っている。
 子供の頃は平和だった。幼い僕は単純に、お祝いをしてもらえる状況を楽しんでいられたが、今は嬉しいのか嬉しくないのか、自分で判らなくなっている。

 三月四日。
「もう片付けなきゃね」
 麗らかに陽の射す休日の午前のこと、伸の居た母屋の大広間に、彼の姉は空になった洗濯籠を片手に顔を覗かせて言った。
「…え?、何でさ。別に姉さんにはもう関係ないでしょ」
 何の話題かと言えば、二間分はある床の間一杯に広げられた雛飾りだった。
 一般に、雛祭の後は早く片付けてしまわないと、娘が嫁に行き遅れるなどと言われている。しかし伸の姉は既に婚約しており、又婚約者はそれとほぼ同時に、この家で寝起きを共にするようになっていた。拠って、今更迷信を重んじる意味もあるまい。
「フフフッ、確かにそうよね」
 姉君は上品に笑いながらそう答えた。
 未だ毎年こうして飾られてはいるが、果たして誰の為の雛飾りなのか、今は意味を失っている世代に当たる。もう暫くしたら、再び意味を持つことがあるかも知れない。との答も含んだ笑いだったのかどうか、彼女にも滑稽な行動に思える節はあったようだ。
 そうして、雛飾りセットを納める箱を置いた場所、部屋の袋戸棚の襖にふと目線を向ける。
「いつも翌日には片付けるって習慣だから。決まりが付かないと、何となく気持悪いじゃないの」
「うん…まあね」
 伸も素直にそう感じていた。
 人間は生活する上での効率性から、何かと物事を時節で区切りたがる傾向があるが、彼自身も朝は起きて夜は床に就くという、典型的な区切りのサイクルの中に生きている。それが最も自然で論理的な行動だと理解している。
 古来からの様々な習慣や行事。中にはこじ付けのような妙な伝承もあるが、大抵のものは時の流れの中で自ずと決められた、自然界の時間割りのようなものだ。それに沿って生活をすることが、最も気持良く暮らせる方法論とでも言おうか、つまりは多くの者が納得できる理屈になっている。なので年中行事などは、そんな事実の証明でもあるのではないか。
 しかし、論理的であれば幸福と言えるだろうか。
 自然であれば淋しくないと言い換えられるだろうか。
 それはきっと違う。
「あ!、そうだわ、御遣い物を頼まれてるんだった」
 姉の口から、俄に思い付いた様子の言葉が漏れた。
「出掛けるの?、そういや今日竜介さんは?」
「仕事よ。それがおかしいの、学校が休みに入る時期は休日返上になるんですって」
「ああ…」
 成程、研究機関などと言う事業では、将来が有望と思える学生にアピールしてこそ、価値の上がるものかも知れない。もしそれが有名大学の学生だったり、資産家の御子息などであれば、研究内容の面白さを印象付けることが、尚一層重要さを増すことだろう。その為の休日返上なのだ。
 何の研究に於いても、ひとつの役立つ結果を得るには、役に立たない研究を膨大にこなす必要があるものだ。しかし日本の投資家の傾向は、確実性のあるものにしか、なかなか触手を動かしてくれないと言う。竜介はしばしばそれについて愚痴を聞かせていた。
「分からなくもないかな…。僕は大事な研究をやってると思うけど、海洋科学なんて、今は結構地味な分野なんだよね」
 無論伸もその分野がもっと、注目されてほしいと思う一員だった。今もて囃されている経済や機械の分野も、面白味はあるが、言ってみれば人間が創造した小さなシステムに過ぎない。人間などより遥か昔から存在する、自然の偉大なシステムを研究する方が、少なくとも伸には魅力的に感じられていた。後々この分野が注目される日が来ようとは、まだ誰にも知りようがない時だった。
 だからまあ、ターゲットは学生で正しいのだろう。太古の世界を垣間見るような、夢を買う気になれる世代に訴えるのが、最良の方法だと納得できるものだった。
 そんな内容の、家族の会話らしい話を少しばかりした後、
「じゃ、今から行って来るわ。帰りに夕飯の材料も買って来るから、そうねぇ、お昼過ぎには戻れるけど、お腹が空いたら適当に食べてなさいね」
 そう言って慌ただしく歩き出した姉には、それ以上話し掛けることはできなかった。
「分かってる」
 そして伸は、何処かに諦めの心境を匂わせる様子で返事をする。別段何かに不満があった訳ではないが、恐らく心境の変化の発端は、本人にも何だったのか判らなかっただろう。
 ただぼんやりとした不安。音の無い不安。静寂であるが故の不安。姉は伸の表情を何とはなしに窺いながら、部屋を出掛けに一言、
「午後には片付けるわよ?」
 と言って笑って見せた。
「…そ」
 伸は気がなさそうに返しただけだった。

 広々とした床の間を威厳を以って占領している、一大パノラマのようにも感じる見事な雛飾り。それは現代の雛段とは随分異なる美術品だった。
 杉材で組まれた雅びな寝殿の中に、雛と内裏の他に十五体もの人形が犇めき合っていて、特に数の多い女性の人形は、どれが一般に言われる「三人官女」なのか区別できない。辛うじて楽器を持っている男性は五体、「五人囃子」はそれなりに成立していた。例え同じ楽器を持つ人形があろうとも。
 この様な形式の雛飾りは、主に京都を中心とした、上方で作られていた物だと言われている。江戸時代中期以降に、豊かな生活を送るようになった商人などが、こぞってこんな人形セットを収集していたそうだ。今風に言えば『コレクターズドール』と言うところ。無論雛の節句とは特に関係のないもので、女児が居ない家に、年中飾られていても構わなかった訳だ。
 寝殿や人形、嫁入り道具のひとつひとつが作り手に拠って違い、又それぞれが別売の商品で、現在のように決まった形式はなかったようだ。だから持ち主によって、人形や道具の数がまちまちだったりもする。実際この家にあるセットでは、寝殿の舞台に掛かる花道の様な廊下に、置き切れない嫁入り道具が、籠や植木と共に地面にまで並べられていた。
 尚、本来の意味での雛人形は、現存する流し雛に見られる平たいもので、いつの間にかそれらの意味が交じってしまったらしい。
 それにしても、毎年飽きもせず飾っては片付けている。毛利家ではこの人形達は、大変愛着の沸くものだったに違いない。伸も彼の姉も、或いは今は無き父にしても、これと同じ物を他所で見ることはまずなかったからだろう。
 そこまで古い品ではないが、流石に元は領主であった家の所蔵品である。人形の造り、着せられている着物の生地や、小さなお道具の細かな細工に至るまで、手の込んだ質の良い作品ばかりが揃っていた。
 そして三月に入る頃には、毎年必ずこの床の間に飾られて、その前には家族、親類、御近所仲間、そして子供達の友人と言った顔触れが集う場所となる。
 そう、少し前までは毎年、親睦的な団欒に温められるこの時期だった。
 いつからかそんな事もなくなってしまった。
『姉さんにはもう関係ない』
 と、自分で言った言葉を伸は淋しがっていた。
 それを言うなら、彼には始めから関わりのない行事と言っても良い。ただ同じ月の賑わいに、自分の行事も含まれていたと言うだけだ。今は解析不可能な己の心情について、こだわっているのは、この雛飾りとは別のことだと判っている。
『何か嫌なんだ』
 人形達は一様に真直ぐ前を向いて黙っている。沈黙の中に微笑をたたえるばかりの、彼等の小さな世界には時が存在しない。彼等には懐かしむことも、何かを待つことも有り得ない。目線の先を一点に揺るぎなく固定されて、今以外の何をも見ることはない。
 だから、穏やかなのか。



 それから十日が過ぎた。

 厳かな春の宴に寄り添い合った人形達も、今は元の箱に戻され、更に倉の片隅へとしまわれた後だ。今、母屋の床の間には春の山水を描いた水墨の軸と、木瓜の生けられた薄鼠の花器とが置かれている。あの雛飾りの豪奢で賑やかな様子が脳裏に鮮やかに残る内は、何を置いたとしても閑散と感じてしまうが。
 仄暖かい昼下がりの、他に誰も居ない家屋の一室は妙に静かだった。その意味では、置かれる無生物が何であっても大した変わりはない。水墨に写し取られた春には音が無い。切り落とされた花の枝には、急き立てる薫風の囁きも届かない。全てが黙っている。物言わぬ春、物言わぬ空間。

 このまま誰も何も、僕に語りかけてくれないのではないか。

 伸はこれまで通りに待っていただけだ。幼い頃には当たり前にあったものを。
 今は自らが望む形を満たしてくれるものを。
 要求とは年を重ねる毎に、細かく膨大な条件となって自らを苦しめる。誰でも良かったことが、今は誰かでなければ嫌だと思う感情がある。それが成長か、成長と言う名の呪縛だ。
 選びながら人は進んで行く。選んで来たことからの自縄自縛も着いて来る。「今」は常に過去の歴史が支配するのだろうか。又それをも進歩と言うなら淋しい。
 淋しいと思わないか?。
『離れることには何の利益も無い』
 と、誰かが彼を止めなければ。そう言って彼を止めなければ。
 連絡がほしい。
 
「向こうに電話よ、伸?」
 襖を開ける音と共に、やや驚いたような顔をして彼の姉は言った。何故なら彼は特に何も無い部屋で、ひとりぽつんと蹲っていたからだ。「どうしたの?」と、是非聞かせてほしいところだったが、
「あっ、すぐ行く」
 途端に伸の様子は変わった。
 突然スイッチが押されたかのように、忙しない動作で横を擦り抜けて行く彼を見れば、追求する意味は余りないのかも知れない、と彼女は思うに留める。言わずもがな「よくあること」だった。人に気を遣い過ぎる為に、自ら塞いでしまうことのある弟については。
 そして伸の方は母屋の玄関を出ると、真直ぐに新宅の玄関へと走って行った。家の敷地は広いが、住居は一ケ所に固まっているので殆ど距離はない。目と鼻の先と言える場所に、それでも走って、彼は玄関脇で保留になっている受話器を目指す。
 彼は待っていた。
『しーん!、ぅおめでとぉぉぉー!!』

 ああ、これは秀の声だ。

 電話の用件が大事だった訳ではない、ただ自分が「何らかの集団」に属していると、確認することが重要だっただけだ。何故なら毎年この時期にはそうして過ごして来たのだから。三月は雛祭、卒業式、彼岸の行事、彼の中の密かな伝統は、日毎に人の集散する季節の中に在って、その度に己の居場所を確認して来たようなものだった。
 だから一言で良かったのだ。待っていた誰かの声を聞くだけで不安から解放される。
 そしてその不安とは、己の存在を確認する方法に限界が近付いていることだった。
 与えられるままで居られた昔とは、取り巻く環境や、求めるものが変わってしまったこと。自ら求めるものが、身近に存在するものでなくなってしまったことだ。
 彼に取ってはまだ、雛祭も卒業式も、傍観するだけのイベントに風化されていない。三月は大切な時間。今年もこうして、彼の伝統的な意識からは抜け出せないでいる。いつかは笑い話になってしまうだろうと、既に気付いている年頃でもあるけれど。
「あれっ?、何だ、憶えてるとは思わなかったなぁ〜」
 しかし伸は、自分がどんな不安を抱えていたかなど、覚られるような態度を一切見せはしない。秀に対してはつい昨日会ったばかりのような調子で、からかい半分な言葉でも通じ合えると知っている。それは新しい伝統のひとつだ。
『何でだよ?、んなことあったりめーじゃねぇか』
「君のことだから、今はそんな余裕がないんじゃないかと思ってさー」
 それはつまり、今日まで期末試験が行われていたからだった。秀のことだから、来年無事に二年生に上がれるかどうかの瀬戸際で、今だけは他のことを考えて居られないのでは?、と思った。
『そりゃそーだけどよっ、終わっちまったらもう関係ねーだろ!、電話をかけようが何しようが』
 背負う背景は違っても、今を共に喜べるなら幸いだ。
「ハハハ、でも追試とかって心配はないの?」
『縁起でもねぇこと言うなっ!。そん時はそん時だぜ!』
 秀のどこまでも明るい考え方が、電話を通じてこちらに渡って来るようだった。
『よっ、休みの内にまた遊びに来いよな!』

 手短かに済まされた長距離電話。たったこれだけのことで良いのだと、誰もが伸の、心の構造の全てを理解できる訳ではない。彼は思うことを即表には出さない人だから、深い理解を得るにはそれなりに時間もかかるだろう。場を和ませる適当な言葉は幾らでも出るが、自らのことは滅多に言い出さないからだ。
 賑やかなばかりの他愛無い日常会話の中で、いつも彼は朗らかに黙っている。そして黙していることが、人を安心させる時もあるのだから、何が価値のある行動かは選べないものだ。少なくとも彼には何らかの信用があり、理解が及ばないとしても、認めてくれる者は確かに存在している。
「あ、待って」
 暫し電話の余韻に浸って、玄関口に佇んでいた伸に、
「手紙が届いてるわよ」
 彼の姉は言いながら、一通の大振りな封筒を手渡した。
 渡されるまま、その宛て名の面を正方向に直してみれば、切手に乗せられた消印は小田原だが、右肩上がりの角張った筆跡は、遼のものだとすぐに判別できてしまった。
 恐らく遼は今ナスティの所に滞在しているのだろう。無事一年間の高校生活を全うしようと言う時に、保護者が行方不明ではと、彼女は遼の生活をとても気遣っていた。そしてこのカードを選んだのも恐らく彼女だと、容易に想像できるから愉快なものだった。
 何もかも、杞憂で済んでくれればそれに越したことはない。



 今年の、特別な一日はこうして終わった。
 その夜には当麻からも電話が入った。彼の学校は明日まで試験期間だと聞いていたが、あろう事か風邪をひいて、初日から欠席しているそうだ。電話越しの声はまるで別人で、話し口調から漸く当麻だと判ったようなものだった。まあ彼らしいと言えば彼らしい話かも知れない。ついでに言えば試験を休んだところで、彼には大した不利益もないのだろう。
 そして、ただひとりだけ故意に忘れているように、何の反応も示さない者が居る。
 彼を待ち続けても恐らく、期待するだけ無駄な結果に終わるだろう。
 今は仕方がない。
 光輪は今自身の成長に於いて、恐らく初めて頓挫してしまっているのだ。伸はその過程を最もよく知っている一人。己の存在を映し合う鏡である彼に、ある時から伸は注意深くその行動を見ては、自分の在り方を重ねて考えるようになった。
 意を持つ者の動に対する反動、放射に対する反射、水の質を持つ者はそう在るべきだと考えている。そして彼のことが解るが故に、彼の拒絶をも今は受け入れなければならない。
 誰もがまだ成長途中の、絶え間ない苛立ちの中で生きていることを。

 けれど、彼は大丈夫だと信じられる。
 自然の流れとは即ち、多数の本能的な欲求とも言えるのだから。他の四人が同様に繋がりを大切に思うなら、彼一人が離れてしまうことは決してあり得ない。区切られてしまいそうな恐れを感じていた伸に、皆が自発的に声を掛けてやれるように、ひとりで苦しんで、離れて行こうとしている者も、彼等はこのまま見捨てはしないだろう。
 遠く離れていても、誰かが無音の声で話し掛ける。
 誰もが掛け替えのないひとりだと変わらずに。

 僕らはそう言うもので居なければ。



 論理的であれば幸福な時もある。幸福でない時もある。
 自然であれば淋しくないこともある。淋しいこともある。
 僕の答はいつもふたつある。
 君には僕のように、曖昧に答えることができないのだろう。
 正解が得られない限り君は先に進めない。
 正解など誰にも判らない。

 全てを知る神は常に沈黙しているものだから。



終(光輪伝に続く)





コメント)「光輪伝に続く」が二本になっちゃった。この話を入れるかどうするか、時間的に迷ってたことがあるんだけど、「LOTUS」の方があまりに内心理的な話なので、やっぱり現実の世界ではどういう流れだったかを書こうと。ストーリー中の時間もちょっと空いちゃってるし(前の年の後半から受験勉強をしている訳ですが)、お誕生日話を入れたかったこともあるし。
それから、ドラマ自体は征士が自力で復活した結末になってるけど、それは他の四人が大事にしている土台あってのことなので、あえて征士以外の人の事が書きたかったです。
しっかし…。「光輪伝」は消化するのがとっても難しくて、これまで何パターンか考えて来たんですが、一応一番いい方向にまとめた下地があっても、書き出すと文がちっとも進んでくれないのよねー。CD発売当時から本当に厄介ものです、こいつは(笑)。…好きだけどね。
という訳で次こそは本当に光輪伝の補足話です。




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