真夏の海の夢
海 潮 音
FEEL THE SEA



 長い冬枯れの時期を越え、都心の木々にも春の訪れが見られるようになった。
 そうなると、元鎧戦士達は決まって誰かの誕生日を思い出す。
 同時に数々の過去の記憶を思い出す。
 彼等に深い馴染みのある花、桜の蕾が綻び始める今は麗らかな感傷を抱く季節だ。

 そして昨年のこの時期は、社会人としての第一歩を踏み出すことに、多少浮き足立っていた伸もまた、今年は浮かない表情でいることが多い。特に何があった訳ではないが、この時期一般に見られるような情緒不安に陥っていた。
 日曜日。
 居間の窓辺に座り、ぼーっと外の景色を見ていた彼が言った。
「海に行きたい」
 その横のベランダにて、木瓜の鉢を植え替えていた征士は返す。
「まだ時期的に早いだろう」
 伸のそんな惚けた様子は、他の仲間達なら珍しく感じるだろうが、実は征士にはそうでもない。過去に幾度もこんなことはあった。が、大抵の場合は一日と待たずに、気分の回復が見られるのが通例だった。大体征士が御機嫌取りをするからだ。
 けれど今はこんな状態が三日も続いている。
 身の自由を保障された学生時代とは違い、嫌でも仕事に拘束される時間が今はある。征士も昨年の九月から既に社会人となって、同じひとつの部屋に暮らしながら、朝の短い間と夜しか顔を会わせない生活になった。当然、彼等がごく身近な隣人として過ごせる時間も減った。そうなってしまうことは予想できていたが、大人になったのだから仕方がない、と考える他なかった。
 そう、大人になったのだから、激しく且つナイーブな少年時代のように、相手を心配し過ぎることもないだろう、とふたりは考えていたのだが。
「今すぐ明るい海を見たい」
 今年の伸の様子は尋常じゃないと思えた。
 毎年夏休みには一度は海外へ、それも必ず海のある国へ出掛けている。去年はロサンゼルスのロングビーチや、サンフランシスコの港町などを満喫して来た。無論普段から伸のリクエストで、近場の海にドライヴに出掛けることもある。これまではそんな生活状況に、特に不満を漏らしたことはなかった。
「見るだけなら、紀行番組でも環境ビデオでも好きなように…」
 と征士は言い掛けて、
「…いや、」
 少し考え、こんな時にいい加減な提案は良くないと思い直す。
「何?」
「何でもない」
「…変なの」
 五月病と言う言葉があるが、思い返すと去年の伸にそんな徴候は見られなかった。出社初日は気張り過ぎて失敗したが、怪我の巧妙か、その後は肩肘を張らずに勤められるようになっていた。縦社会での規則や序列、儀礼的行事などには素直に従える彼のこと、職場に馴れる面では苦労はなかった。
 だが単なる会社員を生業にすることは、誰にしてもそうだが、心から望む幸せな生き方ではない。一年目はやる気に満ち充実していたとしても、その状態がずっと続くとは限らない。結局企業の一部品として働くことには、すぐに限界が見えて来るからだ。
 女性ならそこまで考えない人も多いけれど。
『最近すっかり忘れていたが…』
 長く続いた、自由で開放的な大学生としての生活が、あまりに楽しく安定していて、いつの間にかそれで普通だと考えるようになっていた。だが征士は今になって気付いた。
『やっぱり伸は伸だ』
 表面的には昔の、ふわふわした軽い印象とは随分変わっている。それだけ成長したとも感じられるが、何ら変わらない部分も残っていることを知り、征士は多少呆れている。
 しかし伸には悪いが、寧ろホッしたような気持も彼は感じていた。何故なら伸の不安定さこそが魅力的に映った、それが彼等の交流の始まりだったので。
 余裕を見せたり傷付いたり、忙しく感情を入れ替えながら生きる人がいる。
 海は常に動いている。制止することもなければ、同じ形の波が立つこともない。
 伸は己を現す自然の有り様を見て、自分はそれで良いのだと、平常心に戻る切っ掛けを欲しがっているようだ。
 すると暫しの沈黙の後、
「映画でも観るか」
 と彼は言って、長く座っていた日溜まりを立ち上がった。
 テレビの横のラックから、暫く触れていなかった引き出しを開けては閉める、伸は目的に適うビデオテープを探し始める。それを見て征士は、
「海の出て来る映画はあまりなかったような…」
 と一言呟いた。
「う?ん、『南極物語』と『天地創造』くらいかも。借りて来ようかな」
 確かに彼等の記憶通り、意外にも海に関する映像は少なかった。否、風景の一部だの、バラエティ番組のロケ先だの、海の映像が出て来るだけのものはあったが、海そのもののイメージが強く残る映像は、意外に少ないと言う話だ。また録画を残すほどの名作映画に絞れば、更に数が限られる。
 加えて伸の挙げた二作品は、明るい海のイメージとは言えないタイトルだ。
 彼はその後も暫く引き出しを漁っていたが、いつしか諦め、自ら言った行動に移ることにしたようだった。本日のノルマ、鉢植えの手入れを既に終えていた征士も、それに気付くと特に了解も取らず、伸の外出に付き合おうと部屋を出て行った。
 今日は取りあえず休日なので、不安定な彼をなるべく傍で見ていようと、煩くない、征士らしい配慮だった。



 暖かいような肌寒いような、何とも言えない春先の風が髪を掠めて行く。まだ春一番は到着していないが、明らかに季節が変わったことを感じさせた外の空気。例え人工物に囲まれた都会でも、他と変わりなく季節が感じられるのは良いことだ。
 町行く人々の服装がいつの間にか、寒色から明るいトーンへと変わっている。朝の通勤時間帯はまだまだ黒っぽい人間が多いが、休日ともなると、誰もが意識的に春を装いたくなるようだ。無論伸もそれに漏れず、去年購入した柄ジャガードのジャケットを羽織って来た。が、まだジャケット一枚では首周りが寒いと、今は少し肩を竦めてもいた。
 その仕種に気付いて征士が向くと、伸は歩きながら映画の話を始めた。
「そう言えば征士は、あんまり『これが観たい』ってこと言わないね」
「映画や俳優にそこまで関心がないからな。だがまあ、返せばどんなジャンルでも楽しめる」
 確かに征士はそうだろう。観ようと誘われれば映画でもオペラでも、それなりに関心を持って付き合うが、俳優の名前が話に挙がることはまずなかった。日本のタレントですら、大半の名前と顔が一致しないくらいだから、今人気の外国の俳優など知る筈もない。勿論一般常識的な古い名優や、古典芸能に関する人物なら知らなくもなかったが。
 ただ、そんな征士は一体どんなものが好みなのだろう?。伸は今頃になってはっきり聞いてみたくなり、過去に観たタイトルを挙げて質問する。
「『チャイルドプレイ』とか面白かった?」
 御存知の方も多いだろうが、一時話題になった人形もののホラー映画だ。内容はB級と言って差し支えないが、何故か続編シリーズができる程人気があった。
 で、その手の映画が好みかと言われると、
「う???ん…」
 その唸り声と渋い表情には、どちらかと言うと代金を損した気分だ、との意味が込められていた。そして、
「アハハ、あれは僕もつまんなかった。日本人形のホラーの方が怖いよね」
 と伸も同意して笑う。征士の意思表示はきちんと伝わったようだった。
 実は、言葉には出さなかったが、町中で秀がこれを観ると言い出して、たまたま付き合って観たことをふたりは思い出していた。帰りには三人共しょっぱい顔をしていたことも、思い出していた。
 またその序でに、
「私は『インディージョーンズ』が好きだ」
 征士はもうひとつ、仲間達と一緒に観た作品を思い出してそう言った。好きな映画と言って、一般によく挙がるタイトルだが、それだけに征士の好みは至って普通、と言うことが伸には判っただろう。まあ映画マニアでもなければ、嫌な印象がなく楽しい作品を好んで観るのが、当然の行動かも知れない。
「昔観に行ったね、みんなで。いや当麻だけいなかったっけ。新宿のコマ劇場にさ」
「そんなに昔でもない。七年前だ」
 まだ当たり前に鎧と言う物があった時代の、懐かしい一場面がふたりの脳裏に蘇る。当麻が居なかったのは単なる偶然だが、珍しく遼がこの新作を観たがっていて、使い慣れた新宿に集合することにした。因みに『インディージョーンズ』三部作の最後の作品だった。
 観終わってから簡単な食事を済ませるまでの間も、鎧の因縁がまだ続いている事実は忘れ、ずっと映画の話で盛り上がっていた。ただただ楽しかった。
 七年前。
 文字だけ見れば確かに、「昔」と言うには短い期間かも知れない。だが、
「そうだけど、何か随分昔みたいに感じるよ。僕らも色々あったけど、公開される映画の数もどんどん増えてるからさ」
 伸がそう続けると、すぐに思い当たる事実を征士は口にしていた。
「ああ…、毎週のように新聞に広告が出ているが、全て観る人間はいないだろうな」
 その通り、日本と言う国が経済的に豊かになり、物質的な面では不足を感じない状態になると、映画、音楽、舞台芸術、ファッションなど、ソフト面のバラエティが加速的に増えて行った。親の世代の頃には考えられなかった、有名なミュージカルの興行や、有名ミュージシャンの相次ぐ来日など、あらゆるビッグイベントが毎週のように開催されるようになった。
 無論それは良いことでもある。文明の中心からは遠い島国だった、過去の日本人は中国より先にある、進んだ価値観を知らずにいたのだから、明治から戦後に至る時代のような、間違いを繰り返さない為にも大事なことだとは思う。異文化を知り他者に敬意を持つことが、戦後の理想だった筈だからだ。
 ただ、町に溢れ返る物質のひとつひとつを、特に貴重には感じないように、ソフトもまた溢れ返れば、有難味を感じなくなるのが現実。輸入コンテンツの増加のお陰で、新聞の映画広告などは、時には目障りに感じることも出て来た。急激な価値観の変化と、豊かさの果てとも言える文化の氾濫は、正しい流れなのだろうか?と首を傾げたくもなる。
「テレビでも放送してるし、WOWWOWに加入したら一日中観れるし、映画好きにはいい時代になったんじゃない?」
 辛うじてそうは言えても、
「だがそう暇な者ばかりではない」
「まあね」
 今やふたり共社会人として働く身、ソフトの垂れ流しが大したメリットでないことに、すぐ気付いてしまう状況だった。
 誰が望んでこうなったのか。
 映画自体は虚構の映像でも、昔はもっと大きな感動や楽しみを与えてくれた、と感じられるのは何故か。
 すると伸は、
「僕は思うけど、映画って観る時のシチュエーションも大事なんだ。評論家は別としてさ、普通の人は一日のイベントの中で一作観るのが普通だよね。だからその時の気分とか、誰と一緒に見たかで印象が変わることがある。それも含めて映画だと思うんだ」
 そんな風に、少し昔の平和さを懐かしむように言った。自分達に取っては苦悩の時代でも、バブルが弾ける前はまだ、戦後の復興から続く正常な軌道の上に居たと、何となく感じられるのだろう。息抜きの為の娯楽は必要だが、娯楽の数が多過ぎて、却って人間側に余裕がなくなったように感じる現代。
 これからもっと困難な時代が来るかも知れない。そんな予感が実社会から伝わって来ることもまた、伸の不安定さを深刻にしているのかも知れない。
 しかし征士がいつものように、やや外した発言で笑いを取ろうとすると、今日はそれが効果的に流れを変えて行った。
「隣から食べ物の匂いがするとか?」
「あっ、そうそう、そう言うことも含めて。映画の内容とは違うけど、その時の体験が映画の記憶とセットになるから面白いんだよ。いつだったか、途中の場面で拍手が起こったことがあるけど、他人のリアクションは予想できないからさ」
「映画館ならではだな」
 そして伸は、最近の映画事情について、本当に言いたいことで結論をした。
「だから、家でひとりで観るのは邪道なんだよ、ホントは。元々映画館で観る為に作ってあるんだし」
 だがそれは、今の目的を否定する内容でもあった。映画館で観るべきものを家で観て、彼が望むようなストレス解消になるのだろうか?。
 今のところその矛盾に気付かないでいる征士は、
「まあ、夜まで予定はないから付き合ってやろう」
 と伸に返した。暫し、言われた意味を考えて伸は、
「ふたりで観るならまだいいか」
 そう呟いていた。
 ひとりよりふたり、同じ場所で同時に同じ映像を観る方が、ひとりの時より記憶に残り易いものだ。そして人間には時間や記憶を共有することで、安心感が生まれる機能が備わっている。喜びでも悲しみでも、取るに足らない物事でも構わない。それを思うと、映画を始め大衆的な文化とは、殊にそんな事情に役立つツールなのかも知れなかった。
 自分には自分の、君には君の、見知らぬ人々にはそれぞれの海が見えるだろう。
 家族でもいい。友達でもいい。恋人でもいい。判り易いメッセージであればある程、広く様々な人々の記憶に繋がれるのだ。



 ギリシャの海はまだ見たことがなかった。
 『グランブルー』は世界的に知られたフリーダイバー、ジャック=マイヨールの事実を映画化した作品だが、それだけに海のイメージは素晴しかった。地中海の美しさ、明るさ、穏やかさを背景に、人間の持つ能力の限界を追求しようと言う、健康的な人々の爽やかな情熱が心を打つ。
 また、海と言っても浜だけでは物足りないし、海上だけでも詰まらないが、この映画には更に海中と言うカテゴリもあって、海好きな人間には満足な作品だと思う。ギリシャの海は知らないにしても、海を泳ぎ、潜ることに馴れた伸なら、役者を通してシンクロする現実の感覚を、何かしら感じ取れるに違いない。
 と、征士は映画を見ながら考えていた。
 居間のソファに並んで座っている、静か過ぎる程静かに過ぎて行く午後。外はやや肌寒くも感じたが、部屋の中は寒くもなく暖か過ぎることもなく、実に居心地の良い状態だった。
 平日の忙しさを忘れ、正に休日の安息を感じられている。画面の向こうに広がる爽快感に満ちた世界が、観ているだけの者にもエネルギーを分けてくれるような、全く理想的なタイトルを選んで来たものだと、征士は妙な関心さえ覚えている。そして、伸もそう受け止めているといいのだが、と思っていた。
 そろそろ映画は、クライマックスを迎えそうな展開に入っていた。
 すると突然、
「…駄目だ」
 伸の口から意外な言葉が零れた。
「何が…?」
「音がよく聞こえない」
 勿論、音量を絞って観ていた事実はない。征士も流石に野暮なことは言わなかった。
「テレビのスピーカーでは限界があるだろうな。サラウンドシステムを揃えれば良くなるかも知れないが」
 だが、そんなことは恐らく百も承知だっただろう。伸の性質上、必要だと感じる時があれば、その場ですぐに買い揃えている筈なのだ。
 今もそんな物欲しそうな様子は見せていない。そしてこれまでにそうしなかった理由はひとつ。
「それでも無理な気がする」
 実際の音とは比較できないと、彼自身がこだわっているからだ。
 それなら、無駄な設備投資に気が向かないのも当然。お金をかけようがかけまいが、伸の満足するレベルは得られないのだから、音響機器にはかなり妥協をしているのだろう。だがそもそもそれを前提にビデオを借りたのだ。気分の乗らない時は、普段気にならないことも不快に感じる、典型的なストレス状態でもあった。
 残念ながら、自ら選んで来た海のイメージも、期待通りの効果を発揮しないまま終わりそうだった。折角内容の良い作品を借りて来たと言うのに…。
「厳密には不可能だと私も思う。実際の様々な物から発する音の震動が、スピーカーひとつで出せるわけがない。そう言うものだと納得するかしないかの問題だ」
 と、慰めなのか単なる意見なのか、征士がそんな話をすると、伸は「おや?」と言う調子で返す。
「珍しく科学的なことを言うね?」
「そうか…?」
 征士にはアナログな話のつもりだったようだ。
 例えば波打ち際の音なら、地形や水質、その時の天候なども再現する必要があるだろうし、貝殻が鳴る音なら、カルシウム質のまちまちな個体が発する音を、他の物質で正確に再現できるとは思えない。そんなレベルの話だったのだが、まあ科学的と言えなくもなかった。
 何故そんな話をしたのかは偏に、偽物を聞き分けてしまう伸の感覚を思い測ってのことだ。そんな面では騙されてくれない彼の、心の安定を促す為にはやはり、その場に出掛ける以外に方法がなさそうなので。
 彼の聞く海の音と、その他の人が聞く海の音は違うと知るからこそ。
「でもそう思うよ、機械なんかどんなに発達しても、人には単純なことができない」
 伸が振られた話に同意しながら話すと、
「そうだな」
 最早征士は肯定するだけになってしまった。科学の進化も文明の発達も、今の伸にはさっぱり役に立たないと知ると、現代が酷く下らないものにも見えてしまう。娯楽など幾らあったとしても、生に悩むひとりの人間を救うこともできない。貧困に喘ぐ世界を変えることもできない。そんなものだと。
「本物の海の音が聞きたい」
「・・・・・・・・」
 どうせなら明るい海のある場所へ、一時間程で移動できる乗り物が開発されていれば良かった。経済成長時代には、日本だけでなく世界中がそんな夢に向かって邁進していた。無謀と思えるチャレンジが評価された時代は、まだつい先日と言っていい近い過去だが、いつの間にかその気風は廃れて行った。
 無論、物理への抵抗には限界があると知り、途方もない夢より足許の発展を選択したのも、高い知能を持つ人類の判断ではあるけれど。
 人間は愚かなだけの生物ではないと、まだ信じられるけれど。
 ならば助けてほしい。今行き詰まっている伸の世界を助けてほしい。
 彼の言う通り、人には単純なことの代わりになれない物事の、発達や進化を経済と言う形で喜んでいる、この世界は盲になってしまったのかも知れない。と、伸を通して考える征士だった。

 ところが、現代への失望を見い出した頃になって、思い掛けない発見をすることになる。

 詰まらなそうな顔をして、ソファの上に膝を抱えていた伸はいつの間にか、ふて寝するように征士に寄り掛かっていた。他に何をすることもできないので、征士は子供を宥めるように彼の頭を撫でていた。映画がもうすぐ終わろうとしていた。伸とは違い、十分にその内容を楽しめた征士には、少しばかり申し訳ない気持も生まれていた。これは誰の為の映画観賞だったのだろうと。
 すると、エンディングらしき音楽が聞こえ始めたその時、
「でも、君の心臓の音は聞こえる」
 伸はポツリと、あまり脈絡の感じられないことを言った。
 その言葉の意味はともかく、ふと見ると彼は、先程までより随分穏やかな表情をしていた。住み慣れた生活空間に安心して、丸まって寝ている猫を見るようなホッとさせられる様子。何故そうなったのか解らないが、征士は映画の余韻に合わせるように、明るい声色で問い掛けてみる。
「東京湾でいいなら、十四日の夜にでも出掛けるか?」
 しかし伸の返事は、
「もういいよ、もう満足」
 予想外に呆気無く、また言葉通りに満足そうでもあった。
 そう、征士は気付かないでいるが、伸は求める音のひとつに偶然出会えていた。
 それは確かに海を現す音だった。つまり、征士が海の映像を見て、気持の良い感動を味わっていることが、彼の心臓を通して伸に伝わったらしいのだ。
 音と言っても、空間を伝い来る大音響とは限らない。
 海と言っても、誰もが認める特定の場所が海とは限らない。
 伸が認めるなら、それは何より価値のある海の音だった。

 始めから大した期待はなかった筈だが、ビデオを借りて来たことが意外な結果を導く。だから、映画はひとりよりふたりで観る方が正しいのだろう。



 誕生日を前にした、何でもない今日と言う日が、それなりの思い出になったなら尚素晴しい。
 残念ながら今年の夏は、既にカリブ海方面への予約を入れてしまったが、いつかギリシャの海の音を聞きに行きたい、とふたりは思った。









コメント)去年書いた征士の話の続きです。かなり時間が経っててすみません。この辺りの時間帯は今のところ、誕生日ごとにしか作品を入れられなくて…。
で、書いて行く内に映画の話になったんですが、文中にある通り、考えてみると名作映画で海が印象的な作品て少ないですね?。単に話題になった映画ならあるけど。
『ベニスに死す』なんかは印象的だけど、内容がちょっとなぁと思って却下した(笑)。
それと迷ったんですが、DVDも一般的じゃなかった頃ですよね、まだ。


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