深大寺
ジャメ・ビュ
Jamais vu



 松の内も終わりの朝、伸は妙な肌寒さに目を覚ました。
 顔のすぐ横を隙間風が吹き抜けて行くようだ。手は柔らかなムートンシーツを握り締めている、何となく隣に征士が居るのも判る。なのに何故こんなに寒いんだ、と思ったら、
「…何、見てんだよ…」
 体の半分程まで掛け布団を捲り、やはり起きて間もない様子の征士が見下ろしていた。
 何か、深刻な状況を伝える風ではなさそうだ。かと言って悪戯を楽しむ表情でもない。やがて伸が丸まっていた体を伸ばし、身を起こそうとすると征士は彼の手を取って、
「今、何処かで見たような記憶が」
 と言った。
「はぁ?」
「前にもこんなことがあったような気がするのだ。寒い朝、目が覚めたら伸が横に丸くなって寝ていて、私はそれを見ている」
「はあ…。『デジャビュ』ってやつかな」
 まだまともに頭が回らない中、伸は乱れた前髪を掻き上げながらそう返した。
 今、何か変わった状況だっただろうか?。否、元日からこの数日、ほぼ同じような毎日を過ごしていた筈だ。布団もシーツも同じ、寝巻にしているガウンも同じだ。外の天気は多少変化したかも知れないが、昨日の朝も同様に寒かった…。
 と、伸は現場の条件を次々考察しながら動き出す。別段、過去の日常の一場面を思い出そうと、そうでなかろうと何も問題にはならないが、惚けた頭を目覚めさせるに呈の良い話題と思い、彼は考え続ける。征士の為などと言う意識は無論なかった。
 寒い朝をふたりで迎えた。特に珍しいことじゃない。ふたりで住むようになって五年経つが、冬場はほぼ毎日それが続くこともある。否、ここに住む前にだってあったかも知れない。丸まって寝るのは昔からの習慣だ。今更特別に思う訳もない…。
 そして伸はそこまで考えると、クロゼットから取り出した服をそのドアに掛け、温まり出した温風ヒーターの前に縮こまって言った。
「前に見たことがあって当然だ、ほぼ毎日毎日こうして寝てるんだからな」
 それは尤もな意見、だけれども、征士がそれで済ませたなら止まって見てはいないだろう。未だベッドから離れない彼は、冷え込む部屋の空気に半身を晒しながら、特に気に留めない様子で佇んでいる。今起こった何気ないフラッシュバックが、余程印象に残るものだったようだ。
 そして、
「そう言う話ではない、何を思い出したかより、何故急に思い出すのか不思議なのだ」
 征士は至極真面目な口調でそう返したが、
「ああ、そうね。うう、寒…」
 服を着替え始めた伸の耳には、もうどうでもいいこととなっていた。寒い時は勢いを付けて一気に着替えないと、と言う慌ただしい意識だけが、今の伸からの返事だった。
 まあ征士にしても、何ら重要性を感じない些細な出来事だ。いつまでも引っ張り考え込むことではない。ただ「見たことがある」と感じた時の、一瞬に生まれる謎めいた感覚が心地良かっただけだ。喜びとまでは言わない、そこまで強い感情ではない。例えて言うなら、そう難しくはない数学の問題をひとつ解いた、程度の感覚でしかなかったけれど。
 その中途半端な達成感が不思議と後を引く。勿論何を思い出したのか、判断できなければ余計に宙ぶらりんな状態を味わう。思い出したところで大した意味はないと、解っているにも関わらず。
 もしくはこれが既視感の甘い罠か。
『意識より前に、目だけで記憶した映像があるのかも知れない』
 既に部屋を出て行こうとしている伸を横目に、征士は取り敢えずそんな結論をした。
 記憶とは不思議なものだ、意識的に思い出せるものもあれば、意識の外で憶えてしまうものもあるらしい。無意識の作用が生きる上で何に役立つのかは知らないが、ともかくも、普通の人間にしばしば起こり得る現象として、面白いことだと征士は思う。
 ともすれば今日憶えた映像に、思わぬ所でまた遭遇することもあるだろう。

 東京では例年元日から三日くらいの間は、日中陽が差して過ごし易い天気になることが多い。今年も例に漏れず三が日はそんな様子だった。しかしその翌日から空が曇り始め、雨の心配はないものの、今日は朝から寒々しい一日となりそうだった。
 部屋の中は、今はもう暖房が効いて快適な状態になっている。既に朝の日課と朝食を終え、特にすることのない平和な休憩時間になると、伸は、
「ところで今日何か予定ある?」
 ソファで新聞を広げる征士にそう声を掛けた。
「いや別に」
「ならちょっと出掛けない?、今年は初日の出も見なかったし、実家にも帰らなかったし、家と近所ばっかりじゃ飽き飽きするよ」
「そうだな…」
 伸の言う意味は解るので、征士は特に考えず答えた。
 実は昨年の年末、征士は大晦日まで出勤していたのだ。まあ仕事が好きな彼に取って、それ自体は苦になることではない。まして国内は右肩下がりの経済情勢、仕事が沢山あるのは喜ばしいことだ。
 ただ、そのお陰で元日は何もできなかった。大晦日の夜には事務所の忘年会があり、帰宅したのは夜十一時頃だった。苦にはならなくとも流石に疲れている、数時間後にまた出掛けよう、などと言う気分にはなれなかった。そうして何となく新年を迎えることになった。
 実家に帰らない口実ができたのは寧ろラッキーだったが。
 その後は、余裕のある伸が征士のペースに合せ、主に休養を目的に静かなお正月を過ごした。故にこれまで何処にも出掛けなかったのだ。
 毎年恒例の、柳生邸に集まる行事も今年は十五日となっている。誰かが年末年始は都合が悪いのだろう。ほぼ全員が社会人となり(当麻だけは院生と研究員を同時進行)、それぞれ別の分野へ乗り出すようになると、以前のように毎年同じスケジュールとは行かない面も出て来る。拠って今年の正月は特に暇になった、と言う状況だ。
 十五日まではまだ十日もある。それまでじっと待っているのは確かにつまらない。自ら動かなければ、印象的な映像にもそうそう出会いはしないだろう。
 征士はそう思い、
「明日から始業だから、あまり遠方へは行けないが」
 と言いながらも、早速マガジンラックからロードマップを取り出していた。その様子を見ると伸は、
「そんな遠くじゃなくていいよ」
 素直に嬉しそうな顔を見せ、征士の横に座り地図を覗き込む。まだ何処へ行くとも決まっていないが、既にいそいそと気持が歩み出す彼の態度は、珍しく本質的な明朗さをくっきりと現すようだった。恐らく見た目通り嬉しいのだろう。
「さ〜て、どっち方面にしようかな〜♪」
 しかし、伸のそんな浮かれた明るさを見ると、征士は多少戸惑いを感じざるを得ない。何故なら大晦日までは明らかに機嫌が悪かったのだ。それが新年を迎えた途端、毎日酷く穏やかな態度に変わった。否、その理由は簡単だ、並の企業なら休みに入っている時期も、征士は何ら変わらず仕事に出ていたせいだ。
 予想外の征士の忙しさに、伸の思い描いていた年末の予定がすっかり狂う。単に年末年始の面倒事を手伝ってほしいこともあろうが、年末と言えば買物や特定のイベント等、忙しない中にも楽しみがある時期だ。それを何もかも征士の仕事に奪われた形で、伸は日々遣り場の無い怒りを感じていたのだろう。
 ただ、そんなに不満があったのなら、伸の方は好きなように出掛けるなり、実家に帰ることも予定に組み込めた筈だ。何もかも征士に合わせる必要はない。事実学生の間の四年間は、相手のスケジュールをそこまで気にせず、各々自由に出ては帰る生活だった筈なのだ。何故今になってそれが変化したのか…
 と、征士は考えながら伸の横顔を見ている。
「何さ?」
「何でもない」
 出会った頃に比べ、その後このマンションに暮らし始めた頃に比べ、お互いそれなりに大人になった。内面的にはどうとも評価できないが、社会的な責任に於いては一人前と看做される立場となった。それと引き換えに幾つかの自由を失った。限られた自由しか持てない大人は、その限られた時間にこだわる必要があるのかも知れない。他の何を潰しても自分はこうしたい、と言う意志が必要だ。
 そして伸は、他の何より征士と居ることを取った、と言うことだろうか。
 また、一見昔と何も変わらないように見えても、内心では煮えくり返る程怒っていたとしても、なんだかんだ言いつつ伸の気持は、常に自分に向けられているようだ。と征士は思う。こんなことをしみじみ実感する時が来るなど、今まで考えたこともなかったが、それだけに、
「何だよォ、言いたいことがあるならはっきり言えば?」
 軽やかに悪態を突いた伸の顰めっ面も、今は変に愛おしく映った。恐らく幾度も見て来た表情の筈だが、その時の心境により、見え方が違って来るのも面白いことだ。
 こんな日の記憶は後に残るだろうか?。



「写真では木が青々してるけど、冬枯れの景色もいいねぇ」
 長く真直ぐに続く石畳の上、ゆるやかな風に吹かれ、落葉がカサコソと鳴りながら横切って行く。その寺の参道は、明るい季節と同様に出店で賑わっているが、初詣でのピークを過ぎたこの日は、人も疎らで閑散とした印象だった。
「調布なんて初めて来たぞ」
「住んでる人以外は滅多に来る所じゃないね。知られざる東京って感じ」
 ふたりはあれから色々考え、東京は調布市の深大寺に足を運んでいた。前途の通り今年は初日の出も見なければ、まだ初詣でにも出掛けていない。折角なので神社かお寺へ、と言うことになり、ガイド本から探し出したのがこの地域だった。都心近郊のメジャーな参拝場所には、もう行き尽くした後なのだ。
 因みに深大寺地区は、嘗ての武蔵野の風情を残す城下の景色と自然、深大寺蕎麦などで知られている。付近には神代植物園と国立天文台もある。深大寺自体は奈良時代に建立され、重要文化財である白鳳時代の本尊を収蔵する。
 それについて、
「七三三年っていつ頃?、平城京なのはわかるけど」
 伸はガイド本を捲りながら、自分よりもう少し歴史に詳しい征士に尋ねる。
「そうだな…、橘諸兄や吉備真備が大仏の構想を始めた頃か」
「ああ、都に病気が蔓延してたんだよね?。それで仏教に熱中したって言うけど」
 少しヒントを出すと、伸も無論出来事の流れは把握しているので、いつも歴史談義をするのは楽しかった。
 話しながらのろのろ参道を歩く内に、深大寺のひっそりとした本堂が見えて来る。京都などの、見る者を圧倒する絢爛豪華な寺社は各地に、有名なものが多く残っているが、意外に仏教文化の全盛時代以前の、この寺のような大人しい外観は貴重かも知れない。
 政治的顕示の色合いが強い中央に比べ、地方では地域に馴染むことこそ至上だ。しかし地味と言えば地味なので、明治時代に廃された所が多いのではないか。この深大寺が残されたのは恐らく、貴重な本尊のお陰なのだと思う。
 さて、ふたりが境内に足を踏み入れる頃には、伸はこんな話題を振っていた。
「多分ここも権力誇示の為か、鬼門封じの為に建てられたんだろうけど、そんな頃にこの辺、大して人いなかったんじゃないの?」
「いや、国は定まっていたし、関東は縄文時代から人が住んでいた。だが言う通り都ほど多くない、病の流行などはさしてなかっただろう」
 と、征士が伸の疑問に答えると、
「そうだよね?。満員電車で風邪が伝染るようなことないもんね」
 伸は現代を例え話にしながら、興味深そうに境内の立て札を読み始めた。
「どうりで、その時代に釈迦如来じゃ時代遅れだと思った。薬師寺ができたのが六八〇年だし」
 そう、この寺の本尊は『金銅釈迦如来倚像』と言う。所謂お釈迦様だが、その人生の物語から察するに、人としての悟りや智恵を齎す仏だと思われる。伸が「時代遅れ」と指摘するのはつまり、この時代中央では、病や悪霊を退治する仏がもて囃されていたからだ。例え関東では病の流行がなかったとしても、総合的な力を持つ仏より、専門的な仏が好まれるようになった時代なのだ。
 そこに、この武蔵の地が当時平和な田舎だったことが窺える。この深大寺周辺に残された、何処か懐かしい長閑な風景が、昔は何処までも広がっていたことを思わせる。今でこそ東京は、世界でも有数の規模を誇る大都市だが、伸はそんなことを面白く感じているようだった。
 また征士も、そうした時代のタイムラグには関心があるので、
「確かに」
 と頷いて見せると、伸は自分の興味が何処に向いているか、珍しく征士に話して聞かせた。
「ねぇ?。今も色んな物に流行り廃りがあるけど、仏像の流行って面白いよね。どんな霊験があるかでその時の世相がはっきり判るし、モデルは同じでも時代によって感じが違ったりさ。神や仏ってそう言うもんなのかな」
 しかし、楽し気に話す伸に対し、征士にはやや答を迷う話題だったようだ。
「迦雄須が…、昔見ていた時代と、今とでは神や仏は姿も違えば、それぞれの性質や解釈も違うと言う。常に望まれる形に変わって行くのが仏像だ」
 彼は主に仏像の話をしているが、仏教に限らずそんな例は世界中に存在する。古くはエジプト神話も、時代と共に信仰の形や対象は変化して行った。そう言うものだと考えるのは間違っていない。けれど、
「近世のは顔が優しいって言うけど、望まれてそうなったわけ?」
「そう言えるが、本来の意味とは違うものを拝む意味があるのかどうか」
 人間の都合で変化させた理念や道義は、人間の為ではあれ、世界全体の理屈からは離れて行くようだと、征士は歴史を勉強する内に悩み始めていた。
 原始的宗教は皆、自然界を巡る力そのものに敬服する思想だった。山には山の神が、森には森の神が、樹木には樹木の神が居り、人間はその恩恵に与り生きていると感じていたのだろう。実際自分達が所有していた鎧も、それに似た五行思想の上に成り立つものだった。そう考えると、現存する宗教は多くが局部的で、広く世界を救えるものではないような気がするのだ。
 否、靖国神社等では、国を守護する為の祈祷や護摩焚きが行われている。広い規模での祈りが全くない訳ではないのだが、個人個人が全体を敬う思想は確実に薄くなった。仏教と言う有難いものを広めた結果が、これで良いのかとしばしば感じる。
 人間世界の為だけに祈り、人間世界への救いだけを求めることは合理的だろうか?。過去はインド風の顔立ちの仏像が、土地に合わせ東洋的美観に変わることは利益だろうか…?。
 すると、征士の言を受けて伸も、
「う〜ん、難しいところだ」
 と首を捻って見せた。勿論征士が思うほど深く、詳細には考えていないだろう。けれど伸の持つ感覚には一目置いているので、征士は伸がどう話を続けるか、非常に興味を持ちながら次の言葉を待っていた。
 ところが。
 何を思ったか伸はニコっと笑顔を作って言った。
「君は昔の僕の方が好き?」
「は?」
 暫しの沈黙。だがすぐに、
「な〜んてね!」
 と、言いながら伸は踵を返していた。仏像についての談義がどう飛躍したのか、或いは彼には、仏像そのものよりそれに込められた、人の情念の方に興味があるのだろうか。優しくなってほしいと願うことには意味があると?。
 そして、そんな伸の軽やかな様子を見ると、
『確かに似た話かも知れない』
 征士は思わぬ発見に辿り着いていた。特別な感情を意識しなかった頃の伸に、自分の方を向くよう働き掛けて来た、その結果が今の伸の姿だとしたら、意味は考えなくとも解る。
「面白いことを言うじゃないか」
「ハハハハ」
 伸は冗談で済ませたが、彼にはすぐ解ったのだろうと征士は思う。見た目の変化は、日本人がどれほど仏像を愛して来たかの証明だ。己の理想を映す鏡だからこそ、解釈が変わろうと何らかの心の支えとなり、それなりに意味あるものとして存在できる。ある意味仏像と仏教は別物であり、個人的な思いを救うのが仏像で、より高い精神を養うのが仏教と言えるかも知れない。
 呼称として「仏教」と言うので、仏像が下位に来るのは本末転倒のような気もするが、仏像の役割は始めから、時代の民意と共に変容して行くものだったのだ。
 そんな考えに至ると、まあ、世の人間は頭の良い者ばかりではないし、全ての者が難しい仏教理念を逐一理解して、世界を救うなどと言うのは夢物語かも知れない、と征士はやんわり理解した。
 嘗てたった五人でそれを行って来たことを思うと、些か淋しい気はするけれど。

「あっちには弁財天があるんだって、観て行こうよ」
 既に本堂を後に歩き出した伸は、変わらず無邪気な声を発して、自分が今どんな衝撃を人に与えたかなど、考えてもいないようだった。感覚でものを捉える人間はしばしば恐ろしい。それこそ神の出現のように、何も無い所から真理を引き出すからだ。
「弁天様か」
 と、歩き出しながら征士が言うと、伸はまたそれについて詳しい情報を求める。
「あー、日本で言う弁天様と弁財天って同じもの?」
「本当は違う、元々はインドの神だが、神道と混ざって同一視されるようになったのだ。神道では市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と言う」
 征士がそう説明すると、今度は前の仏像の話とは違い、伸は「それだ」と言う顔をしてこう言った。
「やっぱりそうだよね、何か違うと思ってたんだ。何か、別の言い方があるんだよね?、外国の」
「サラスバティ?」
「そうそう!、サラスバティって川の名前なんだろ?。元は水の神だから、弁財天は普通水辺に祀ってあるって聞いてさ。親近感を持ったから聞いてみたかったんだ」
 元々伸に似合いそうな神だと思っていたが、本人がそんなことを語ると、征士には何となく神々しくも見えた。芸術や弁舌を助ける女神には、芸能関係者がお詣りに行く話をよく耳にするが、本来は川辺の豊かな実りを齎す神だった。「財」の文字が入るのはその為だ。
 参道の中程、池のほとりにその小さな祠は在って、単純に景色としても良い場所だった。伸は殊に楽しそうな足取りでその前へ行くと、何もかも知っているような全く何も知らないような、不可解な笑顔を浮かべている。征士はふと、『アルカイックスマイル』などと言う言葉を思い出す。常々神性とは、中身が空洞であるようなイメージだが、考えてみれば伸は正にそんな人物かも知れない。
 日々同じ空間で暮しながら、今頃そんなことに気付くのも不思議なことだが。
 水の将が水神の祠に手を合わす、その様子はまるで遥かな時の向こうと交信しているような、悠久の心の静寂を感じ、征士はそれを身動きもせず見詰めている。
「何だよ?」
「今、まるで初めて伸を見たような気がする」
 すると、その征士の言葉を意外そうに、或いは多少意地悪をして伸は返した。
「あれ?、今朝は『前に見た気がする』って言わなかった?」
 そう言えば、と、征士はさっぱり忘れていた記憶を呼び戻そうとする。だが今はもう、それがどれほど印象的だったか、何を思い出しかけていたのか、拾い上げることは全く出来なくなっていた。結局思い出は思い出以上の何物でもない、まして意識的に憶えた記憶でもなければ、と言う結論だろうか?。
 そして今の征士は、それよりずっと、心から伝えたいひとつの真理に目覚めていた。
「昔の姿は昔なりに美しいが、今を生きる者には今の方がずっと魅力的だ」
 それを聞いて、伸はただ可笑しそうに笑うばかりだった。
「…クックッ…、何の話してるんだよ?」
「さあ?」

 古の川の流れの波音のなつかしきを誰ぞ聞く。
 それは常にも時の者なり。









コメント)短い話なのに、体調不良で随分苦しんじゃいました。でもまあそれなりに面白い話にはなってると思うの。これまでの話を見返してみると、意外と歴史に関する会話をしてないし。うちの征士は史学方面に明るい設定なのにな(「Message」では普通に古文書読んでたからさ…)。
若干不完全な感じの出来ではありますが、しばらくしたら手を入れようと思ってます。
ちなみにこれは97年のお正月の話なんですが、調布は去年から微妙に流行ってますね。NHKの朝ドラ・大河で扱われると影響力がすごい。




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